「日本で仏教に改宗なさったのは、聖徳太子の御父の用明天皇である。」
どのようにして用明天皇が改宗されたかについて、本日は渡部氏の解説を紹介します。
「敏達天皇の次に即位された第三十一代の天皇が、敏達帝の弟の用明天皇である。この方の母は、蘇我稲目の娘の堅塩媛(きたしひめ)であり、馬子の妹でもある。そのせいか、用明帝は仏教に関心があった。」
有力貴族が自分の娘を天皇の妃にしたのは、平安朝の藤原氏からと思っていましたら、古代にもありました。
「用明帝は即位の翌年の新嘗祭の後、ご病気になられた。その時天皇は群臣を招集され、〈自分は仏教に帰依しようと思うが、お前たちで相談してくれ〉と言われた。また同じパータンの議論が繰り返されます。」
〈 物部守屋と中臣勝海の意見 〉
「どうして我が国の神々(くにつかみ)を捨てて、他国の神(あだしかみ)を拝まれるのですか。こんな例はありません。」
〈 蘇我馬子の意見 〉
「そんなことを言っても、天皇ご自身が仏法を信じたいと言っておられるのだから、そのお心に従ってお助けすべきである。誰もその御心と異なることを計画すべきではない。」
用明天皇は馬子の娘の子供ですから、馬子には孫に当たります。ここまで説明されると、用明天皇が改宗された背景が分かりました。しかしこれからが、また不幸の始まりです。
「その後、群臣の間に睨み合いがあり、中臣勝海が暗殺された。」
宗教戦争で初めての殺人となり、ご不幸が続きます。
「一方天皇のご病気はますます重くなり、いよいよご臨終という時、一人の廷臣が進み出て申し上げた。」
「私は陛下にために出家して仏法を行い、大きな仏像を作り寺も作ります。」
天皇はその言葉を聞いて大いに悲しみ、惑われ、おかくれになったそうです。氏の説明では争いの凄まじさが感じられませんが、切迫した宗教戦争の始まりでした。深刻さを避けるため、故意にしているのか、氏の解説がぼんやりとしています。
「惑うというのは、仏法を信ずることに惑われたのではなく、廷臣の言葉を大いに悲しまれたということであり、天皇は仏教徒として亡くなられたと考えられる。聖徳太子は、用明天皇の第二子である。」
ここで初めて聖徳太子の名前が出てきて、同時に本格的な宗教戦争が始まります。
「天皇と信仰を同一にするに至った馬子は、意気軒高である。泊瀬部皇子( はつせべのおうじ・後の第三十二代崇峻天皇 ) と共に、宿敵物部守屋の討伐に向かう。」
渡部氏の解説は『日本書紀』に基づいてされていると言いますが、こんな内容だとすれば、同書は天皇や皇室を美化し正当化する書籍と言い難くなります。ここまで事実を赤裸にしなくて良いのではないかと、むしろそんな気持ちがします。
「討伐に向かう馬子を、もちろん守谷の一族は迎え撃つ。守谷の軍勢は強勢で、家に満ち野に溢れた。泊瀬部皇子や馬子の軍は恐れて、三度も退却する有様だった。」
「この時十四才の少年であった厩戸皇子(うまやどのおうじ・聖徳太子)も従軍し、後ろの方にいたのだが、これは誓いを立てなければ成功すまいと言い、ぬりでの木を切り取り、四天王の像を作り、それを頭においてこう宣言された。」
「私を勝たせてくだされば、必ず護世四天王のため寺塔を立てます。」
馬子も同じような誓いを立てたため、守屋の矢は太子を傷つけることができず、自分が矢を受けて倒された。この時の太子の武勇伝が頼山陽の次の二行だと説明します。
皇子は 頭 ( かしら ) に四天王を戴き
大連の箭 (や ) は 傷つくるを得ず
「戦勝の後に、守屋の奴の半分とその邸宅とを分けて、寺の奴と田荘(たどころ)にしたと言い、これが次の一行の意である。」
汝の家をすきて 我が家を建つ
こうして建立されたのが、今の大阪の四天王寺の起源だそうです。壮大な建物は雲に連なるほど高く、金・銀・瑠璃・玻璃・珊瑚・瑪瑙・しゃこの七宝が輝き、この四天王の他には国家鎮護の天神はないかのようであると、これが最後の二行の意味だそうです。
伽藍雲に連なりて 七宝輝く
四天王の外 天王なし
「わずか五行の中に、聖徳太子らが天孫降臨派の旧豪族を滅ぼして、仏法を興隆せしめたことをまとめた頼山陽の腕前には、いつものことながら驚く。」
渡部氏は褒めていますが、私はそのような気になりません。むしろ日本古来の神々を大切にした物部氏と中臣氏の方に理があると思い、氏の言葉に違和感を覚えます。聖徳太子に関しても、このような姿で現れるとは考えてもいませんでした。もしかすると氏も、心のどこかで私と同じことを考えていたのか。結びの叙述が気にかかります。
「最後の行の中に、仏教を背景にした蘇我氏の専横に対する山陽の批判を、読み取ることもできよう。」
次回は「五闋 大兄靴 ( おほえのくつ ) 大化の改新」へ進みますが、最後の叙述がないと歴史の流れがつながりません。なぜなら蘇我馬子は、日本史の中では好しからざる人物として語られているからです。
四闋 四天王 ( してんわう ) 用明天皇の「改宗」 5行詩
五闋 大兄靴 ( おほえのくつ ) 大化の改新 7行詩
六闋 復百済 (くだらをふくす) 白村江の戦い 9行詩
七闋 放乕南 ( とらをみなみにはなつ ) 壬申の乱 7行詩
八百万の神々と仏教がどのようにして共存していくのか、渡部氏の解説がどのように展開していくのか興味津々ですが、とても大事な部分なので、今年はここで終わりといたします。12月30日ですから、もう「ねこ庭」に向かっている時間がありません。続きは、年明けの落ち着いた日に始めようと思います。
どなたも、良いお年をお迎えください。