ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『憲法・新版』 - 5 ( 羊頭狗肉の講義 )

2021-08-31 23:39:37 | 徒然の記

 現在154ページを進行中です。学生が一年かかって勉強する教科書ですから、簡単に読めません。ページ外の「はしがき」に戻り、著作の分かり難さがどこから生まれているのかを、考えることにしました。

 「大学で講義される憲法学は、高校における〈一般社会〉や〈政治経済〉の一環として説明される憲法学と、」「大きく異なる。」

 「最大の違いは、制度の解説でなく、その制度の沿革をさぐり、」「趣旨、目的、機能を、諸々の見解との比較検討、」「対立し合う価値・利益の比較衡量を通じて、具体的に検討し、」「一定の結論を導き出す、論理構成能力を養うことを、」「目的としている、と言うことである。」

 「はしがき」にしても、冗長な繰り返しと、多用される修飾語を省略しています。憲法の内容が広範であるばかりでなく、私を困らせているのは、やはり氏の整理されない文章にあるような気がします。

  「第一部 総論」  「第二部 基本的人権」  「第三部 統治機構」

 教科書は、大きく三部構成になっています。「総論」を受けた「第二部」「第三部」が、各論ですから、総論で述べられたことが、ここでまた繰り返されます。判例や他の教授の学説が挿入されるのは、教科書だから当然ですが、学生たちは本当に理解したのでしょうか。

 これが氏の言う「諸々の見解との比較検討」、「対立し合う価値・利益の比較衡量」なのでしょうが、私には、何でも放り込んで煮た「雑炊」を出されたような気がします。

 東大の学生は理解したのだと、もし氏に反論されると、黙るしかありません。現在「第一部 総論」を読み終え、「第二部 基本的人権」の途中ですが、どうもそんな簡単な話ではなさそうです。ブログの第一回目で述べましたが、この本は「反日左翼」の教科書です。難解な文章が綴られているとしても、目的はハッキリしています。息子たちのため、1回目のブログの書評を転記します。

 「ここまでで分かったのは、徹底した「明治憲法」否定の教科書だということです。氏の頭には、明治憲法は封建的で日本国憲法は近代的、という固定観念があるらしく、そこから意見が組み立てられています。」

 東大の法学部には優秀な学生が多いから、氏の講義の字面は理解したと思いますが、「明治憲法」の否定が、結局は「日本の過去」の否定なのだと、そこまで理解したかどうかです。悪法の「日本国憲法」を有り難がり、戦前の日本を否定する学者が、東大の教室から育ち、日本の憲法学をダメにしている現実を思うと、学徒の一人として、頑張らなくてなりません。

 実例を挙げた方が、息子たちに分かりやすいと思いますので、55ページ「平和主義の起源」の部分を、そのまま紹介します。長いけれど、我慢してください。

 「平和主義原理が、日本国憲法に採用された背景には、」「昭和16年8月の〈大西洋憲章〉( 侵略国の非軍事化の原則 ) 、昭和20年7月の〈ポツダム宣言〉( 軍国主義者の勢力の否定、戦争遂行能力の破壊、軍隊の武装解除 )、」

 「昭和21年2月の〈マッカーサーノート〉( 戦争放棄、軍隊の不保持、交戦権の否認 ) など、国際的な動向、」「とりわけアメリカを中心とする、連合国側の動きがあるが、」「それに加えて、日本側の意向も反映されていると、」「見ることができる。

 この部分は、つい先日まで『最後のご奉公』の書評で言及した内容です。著名な教授の講義ですから、東大生は真面目に聞いたと思います。

 「特に、憲法制定当時の幣原首相の、平和主義思想が、」「マッカーサーノートの、一つのきっかけとなったと考えられる。」「幣原首相がマッカーサー元帥を訪問し、憲法問題を含め、」「日本の占領政策について会談した際、戦争放棄という考えを、」「示唆したと、伝えられている。」

 「幣原はそれが、天皇制を維持するため、必要不可欠だと考えたのである。」「従って日本国憲法の、平和主義の規定は、」「日本国民の平和への希求と、幣原首相の平和主義思想を前提とした上で、」「最終的には、マッカーサーの決断によって作られたと、解される。」

 「日米の合作とも言われるのは、その趣旨である。」

 息子たちに言います。このいい加減な叙述が、東大の憲法講義です。「東京裁判史観」そのものが、氏の頭を占有しています。もはや「外国かぶれ」とういう段階でなく、氏は「獅子身中の虫」、「駆除すべき害虫」です。

 一体この説明のどこが、「諸々の見解との比較検討、」であり、「対立し合う価値・利益の比較衡量」なのでしょうか。ここにあるのは、「ご先祖様の否定」と「日本の歴史の否定」です。日本の憲法学の権威などと、笑わせないで欲しいものです。

 氏が展開しているのは、「羊頭狗肉の講義」です。

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『憲法・新版』 - 4 ( やはり外国かぶれ )

2021-08-30 17:57:47 | 徒然の記

 学徒の身で、先生を批判するのはやめようと思いますが、芦部教授の著作は、やはり肝心の説明が足りません。

 「近代立憲主義憲法」、「立憲主義国家」、「立憲主義の展開」と、盛んに「立憲」と言う言葉が出てきますが、「立憲」についての説明がありません。せっかく難しい教科書で習っているのですから、基礎から学びたくなります。

 ネットで調べますと、次のように書かれていました。

 「立憲主義とは、単に憲法に基づいて統治がなされるべきであるというのみならず、」「政治権力が、憲法によって実質的に制限されなけれなばならないという政治理念である。」

 「 立憲主義を前提とした民主制を、立憲民主主義、立憲主義を前提とした君主制を、立憲君主制と呼ぶ。」

 ネットの説明文を書いた人物も、政治権力を制限するのが、「憲法」であると言う理解ですから、宮沢・芦部氏の流れを汲む学者だと分かります。「法の下の平等」とは、政府と国民が同じ法律に守られ、同時に拘束されることと考えている私と、氏の説明は噛み合いません。

 「法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、」「英米法の根幹として発展した、基本原理である。」「それは、専制的な国家権力の支配を排除し、」「権力を法で拘束することによって、」「国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。」

 芦部氏の意見は、西欧の社会の状況説明ですから、日本のことを述べているのではありません。

 「ジェームス一世の暴政を批判して、クックが引用したプラトンの言葉は、」「法の支配の本質を、よく表している。」

 「国王は、何人の下にもあるべきではない。」「しかし、神と法の下にあるべきである。」

 これがプラトンの言葉です。何度も言いますが、日本の歴史には、ここまで国民を苦しめた暴政の支配者はいません。八百万の神の日本には、支配者を超える一神教の絶対神もいません。プラトンの言葉は、西欧では万民に通じるのかもしれませんが、日本国民に通じるのでしょうか。

 平成30年の9月に、橋川文三氏の著書『ナショナリズム』を読みました。氏の意見が芦部氏と共通しているのは、「個人」の捉え方です。橋川氏は「ナショナリズム」と言う言葉を、「愛国心」として考え、日本人には「郷土愛」があっても、「愛国心」はないという意見を展開していました。

 愛国心に目覚められるのは、ルソーが言った近代的「個人」だけだと言うのが、氏の主張です。権利意識に目覚めない人間は、自分の住む地域への「郷土愛」が精一杯で、それを超えた国や国家への愛は知り得ない、と言う恐るべき暴論です、

 氏と芦部氏に共通する「頑迷さ」は、ルソーの言う「個人」の定義への固守 ( 信仰 ) です。もう一つ共通しているのが、日本には自立した「個人」が存在せず、自由も権利も知らない前近代的な民衆がいるだけだったという、日本人蔑視の学説です。

 『ナショナリズム』は昭和43年の出版で、東大法学部を卒業した橋川氏が、明治大学の助教授の時、世に出しています。元共産党員と聞きますから、反日・左翼の流れで、宮沢、芦部教授と繋がっているのでしょうか。

 「フランス革命は、絶対王政を倒したブルジョア革命と呼ばれていますが、」「別に、市民革命とも言われています。」「市民は現在で言う一般市民でなく、王政を倒すだけの力を持った、富裕層の市民階級です。」「ヨーロッパでは、ルソーが高く評価され、人々も信じていますが、」「そんな西欧の話が、どうして日本で語られなくてならないのかと、不思議な気がします。」

 上記は、13年前の橋川氏への書評から転記したものですが、芦部氏にもそっくり当てはまります。不思議なので、もう少し転記します。

 「当時の日本が、どういう状況であったのか、ネットで調べてみました。」「ルソーの社会契約論が出版されたとき、日本は江戸時代です。」「9代将軍徳川家重の治世で、かの有名な田沼意次が活躍していました。」「フランス革命のあった頃は、これもまた日本史で有名な松平定信が、」「奢侈に溺れる武家と町人の社会を戒めようと、〈寛政の倹約令〉を出しています。」「その頃の主な出来事を、ざっと拾い出してみました。」

 1791年   米国商船ワシントン号来航

 1792年   林子平「海国兵談」  ロシア使節来航

 1797年   イギリス船来航

 1798年   本居宣長「古事記伝」

 1800年   伊能忠敬 蝦夷地の測量

 「こうして歴史を辿りますと、氏には申し訳ないことですが、西欧と日本では違う時間が流れ、」「武士も町民も農民も、西欧とは違う形で動いております。」「氏のような学者も、私みたいな学徒も、外国を知ることは大切ですが、」「無理をして、日本に結びつける必要があるのでしょうか。」

 「外国船の度重なる来航が危機を感じさせ、ついにはペリーの武力による威嚇があり、」「日本国や天皇の存在を、嫌でも考える時が来ます。」「幕府はもちろんのこと、下級武士や豪商、豪農に至るまで、」「国の守りを考え、走り出す者も生じます。」「ルソーの定義で考えますと、「これら日本人は、真の意味での〈個人〉ではない、という話になります。」

 「橋川氏の説明によると、日本の武士や豪商や豪農は、自由と権利に目覚めている個人でなく、」「自然権という基本認識すら持っていないので、」「西欧に比べると、遅れた無知な国民に分類されます。」

 「新政府になり、指導者たちが〈攘夷〉の旗を捨て、」「〈富国強兵〉と〈文明開化〉に大きく舵を切りますので、日本より西欧諸国の方が先進国であったのは、間違いありません。」

 「だからといって、個人や愛国心までが、ヨーロッパの基準でしか語れないとは、おかしな話です。」「武士道や剣道、柔道、あるいは茶道、花道などが、日本固有のものとして続いてきたように、」「個人や愛国心も、日本固有の育ち方があるのではないでしょうか。」

 13年前の文章なので、息子たちも忘れているでしょうから、そのまま転記しました。

 両教授の意見を読みますと、間違った憲法を持つ国の不幸が改めて分かります。「立憲民主主義」とは、「憲法に基づく政治」ですから、悪法「日本国憲法」を改正しない限り、日本は独立国になれず、やがて皇室も崩壊すると言うことです。「日本国憲法」を信仰している「共産党」は言うに及ばず、「立憲民主党」にも投票できないことが分かります。

 「温故知新の読書」が、過去を教えると同時に、現在を教えくれる有り難さも分かりました。この人たちは、やはり「外国かぶれ」の学者です。こうなれば、明日もがんばります。

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『憲法・新版』 - 3  ( 憲法学界の決めごと ? )

2021-08-30 07:37:40 | 徒然の記

 「十七箇条の憲法」について、芦部氏が語らないのなら、ネットで調べてでも取り上げようと、頑固さにおいてなら、氏に負けません。元々面白くない「憲法」のブログですから、このようなことをしていると、息子たちだけでなく、「ねこ庭」を訪れる方々が減ります。

  一体日本には、古代から憲法と呼ばれるものがいくつあるのかと、思いつくままに並べてみました。憲法と呼べないものが混じるのかも知れませんが、学者でない私は、怖いもの知らずです。

  1.  604年 ( 飛鳥時代 )  「十七箇条の憲法」 推古天皇・聖徳太子

  2.  701年 ( 飛鳥時代 )   「大宝律令」    文武天皇

  3.  794年 ( 平安時代 )  「律令法」     桓武天皇

  4.      1232年  ( 鎌倉時代 )  「御成敗式目」   北条泰時

  5.   1615年 ( 江戸時代 )   「武家諸法度」「公家諸法度」  徳川家康

  6.   1868年 ( 明治元年 )   「五箇条の御誓文」 明治天皇

  7.   1889年 ( 明治22年 )   「明治憲法」    明治天皇

  8.   1946年 ( 昭和21年 )   「日本国憲法」     ( 昭和天皇 ) ?

 ネットに書かれた「十七箇条の憲法」の説明を読みながら、自分の間違いに気づきました。芦部氏が「十七箇条の憲法」について触れないのは、「西洋かぶれ」のせいでなく、どうやら憲法学界の決めごとのせいです。

 「〈十七箇条の憲法〉は、憲法の名を冠しているが、政府と国民の関係を規律する後年の近代憲法とは異なり、」「その内容は官僚や貴族に対する、道徳的な規範が示されており、」「行政法としての性格が強い。」

 日本だけでなく他国でも同じなのか、彼らが憲法と認める法律には、「政府」と「国民」の2要素が不可欠のようです。しかも「国民」は、ロックやルソーが解説する自然権に目覚めた、自立した個人でなければなりません。

 個人がどれだけ多数いても、権利意識に目覚めず、政府に反抗しない国民は、彼らの定義では「個人」ではないようです。氏は言及していませんが、ネットの説明と、かっての「読書」の知識を合わせますと、憲法学者の間ではそのような取り決めがあるように思えました。

 「十七箇条の憲法」が憲法でないとするのなら、私が上げた8つの中で憲法と呼べるのは、「日本国憲法」だけになります。憲法学者の言葉を使えば、他は全て「行政法」または「基本法」となるのでしょうか。

  1. 人間は生まれながらにして自由・平等であり、生来の権利(自然権)を持っている。

  2. この権利を確実なものとするため社会契約を結び、政府に権力の行使を委任する。

  3. 政府が権力を恣意的に行使し、人民の権利を不当に制限する場合は、人民は政府に抵抗する権利を有する。

 上記3点に目覚めた人間だけが「個人」だと定義するのなら、こうような個人は、ロックとルソー以前には存在しません。なぜなら自由・平等という自然権や、社会契約という概念は、ロックとルソーが考え出したものだからです。彼らのいう個人も、実在する人間と言うより、思索が生み出した「抽象的概念」です。

 芦部氏に限らず宮沢氏も、同様の考えでしょうから、彼らが「憲法」という場合の憲法は、ルソー以降の法律ということになります。「外国かぶれ」と不用意に批判するのは、間違いだと理解しましたが、疑問は残ります。

 欧米の憲法学がそうだからといって、日本の憲法学がそのままの模倣で良いのでしょうか。日本には奴隷制度もありませんし、壮大な宮殿を幾つも築き、自分の趣味や贅沢のため国を傾けるような散財をした、専制君主もいませんでした。ありふれた言い方になりますが、「日本には日本の文化と風土」があるのですから、日本なりの「憲法」があっても良いのではないでしょうか。

 宮沢氏や芦部氏の説明を読んでいますと、GHQの押し付け憲法を、日本国民との共同制定だと、懸命に解釈している様子があります。憲法の前文からして、不自然さが目立ちます。あの前文は、日本人の思考から生まれる文章でなく、アメリカ人のマルキストたちの文脈です。主語と述語がうまくつながらない翻訳文を、どうして日本人の文章だと強弁するのでしょう。

 ロックやルソーの思想にしても、それは西欧社会の歴史と文化から生まれたものです。そのまま日本に当てはめようと、疑いもせず移植するのは無理があります。根のない花を、花壇に植えているようなものです。明治以降の学問の主流が西欧にあったため、便利さと手軽さを優先し、そのまま取り入れているのではないのでしょうか。

 本日の私は、前回の早とちりを反省していますので、氏への失礼な批判を避けますが、一人の日本人として、日本の憲法学界には疑問を残したいと思います。

 ブログの本来の目的は、ロックやルソーの話でなく、芦部氏の『憲法・新版』の書評ですから、明日は元へ戻ります。

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『憲法・新版』 - 2  ( 西洋かぶれ )

2021-08-29 14:26:23 | 徒然の記

 芦部氏に限ったことでありませんが、憲法学者は大抵が「西洋かぶれ」す。「列強の侵略」に危機感を抱き、「西洋に追いつき追い越せ」の時代でもないのに、平成時代になっても彼らは、フランスやイギリスやアメリカを過大に評価し、日本を蔑視しています。

 6ページにその良い例がありますので、転記します。

 「中世の基本法は、貴族の特権の擁護を内容とする、」「封建的性格の強いものであり、それが国民の権利、自由の保障と、」「そのための統治の原則を持つ、近代的な憲法へ発展するためには、」「ロックやルソーなどの説いた、近代自然法思想によって、」「新たに裏付けられる必要があった。」

 少し読みやすくなっているのは、過剰な修飾語を減らし、繰り返しの言葉を省いたせいです。原文の煩雑さは、変わらないということを付け加えておきます。

 近代自然法思想を、氏は3つの要素に分解しています。

  1. 人間は生まれながらにして自由・平等であり、生来の権利(自然権)を持っている。

  2. この権利を確実なものとするため社会契約を結び、政府に権力の行使を委任する。

  3. 政府が権力を恣意的に行使し、人民の権利を不当に制限する場合は、人民は政府に抵抗する権利を有する。

 「このような思想に支えられて、1776年から89年にかけて、」「アメリカの諸州法、1788年のアメリカ合衆国憲法、」「1789年のフランス人権宣言、91年のフランス第一共和制憲法などが制定された。」

 氏はここで、憲法が成文の形式を取る理由についても、説明します。

  1. 成文法は慣習法に勝るという、近代合理主義がある。

  2. 国家の基本的制度に関する定めは、文章化しておくべきという思想がある。

  3. 最も重要なのは近代自然法学の説いた、社会契約説である。

  4. 国家は、自由な国民の社会契約によって組織され、その契約を具体化したものが憲法である。

  5. 契約である以上、それは文書の形にすることが必要である。

 それならば、慣習法が主体となっているイギリスはどうなのかと、疑問が生じます。そんな読者のため、忘れずに、小さな文字で注釈を入れています。

 「イギリスには、憲法典が存在せず、種々の歴史的理由から、」「実質的意味の憲法は、憲法慣習を除き、」「法律で定められているので、国会の単純多数決で改正することができる。」「このように、通常の立法手続きで改正される憲法を、」「軟性憲法という。」

 憲法改正を望まない氏は、イギリスに深入りせず、学生への説明を曖昧な文章で終わらせています。学者がルソーを高く評価するのは当然でしょうが、芦部氏のような「西洋かぶれ」は、フランスやアメリカと比較して、日本をこき下ろすところが問題なのです。

 「アメリカ合衆国憲法」と「フランス人権宣言」の出された年を、ネットで調べますと、およそ日本では寛政元年の頃になります。

 ・近江彦根藩・第10代藩主、大老井伊直幸

 ・儒学者・三浦梅園

 ・長州藩・第7代藩主、毛利重就

 代表的な人物として、二人の殿様と学者が亡くなっています。水戸の浪士に桜田門外で暗殺された井伊直弼は、15代の藩主ですから、「アメリカ合衆国憲法」と「フランス人権宣言」の出された年は、この事件発生のおよそ70年前の出来事です。

 わざわざ、日本の同時期を引き合いに出しているのには、訳があります。芦部氏が説明している、「アメリカ合衆国憲法」と「フランス人権宣言」も、聖徳太子の「十七箇条の憲法」に比べれば、遥かに後世の憲法だと、それが言いたいのです。

 西暦で言えば、「十七箇条の憲法」は604年の制定ですから、「アメリカ合衆国憲法」より1184年前のものです。憲法学の泰斗として学生に講義をするのなら、せめて「十七箇条の憲法」の名前だけでも、触れなくてどうするのかと、そんな疑問が湧いてきます。

 「素晴らしい」とか、「時代の先端をいく」などと、余計な修飾語は要りませんが、1100年も前に日本が制定した憲法について、一言も語らないのですから、「西洋かぶれ」と言いたくなります。

 本題を外れますが、次回はこの点について述べます。

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『憲法・新版』

2021-08-28 20:06:20 | 徒然の記

 『近代の戦争』(全8 巻)の一巻目、『日清戦争』を中断し、予定通りの読書を続けています。

    1.  塩田潮氏著『宰相 幣原喜重郎 最後のご奉公』( 平成4年刊  文芸春秋社 )

      2.  芦部信喜氏著『憲法・新版』( 平成11年刊  岩波書店 ) 

 『最後のご奉公』を読了し、芦部氏の『憲法・新版』の84ページを進行中です。大学で使われている教科書だと言いますから、面白い本ではありません。わざと分かりにくくしているのかと思われるほど、要領の悪い文章です。

 「このような個人的権利、特に自由権と異なる一定の制度に対して、」「立法によっても、その核心ないし本質的内容を侵害することができない、」「特別の保護を与え、」「当該制度それ自体を、客観的に保証していると解される場合、」「それを、一般的に制度的保障という。」

 切れ目のない文章で、何を言っているのか、すぐに理解できません。宮沢教授に継ぐ日本の憲法の権威なのでしょうが、こんな長い文章しか書けず、論点が整理できないのだとしたら、あまり賢い人ではなさそうです。

 360ページの本の84ページですから、偉そうなことは言えませんが、ここまでで分かったのは、徹底した「明治憲法」否定の教科書だということです。氏の頭には、明治憲法は封建的で、日本国憲法は近代的という固定観念があるらしく、そこから意見が組み立てられています。

 相変わらず、「日本国憲法」は押しつけ憲法でなく、日本国民との共同制定だと説明しています。

  1.   現行憲法は、押しつけ憲法の性格が強いこと。

      2.   現行憲法は、手続き的には明治憲法を継続しているように見えるが、実質は革命でしか施行されない形の憲法であること。

  3.   占領国による憲法作成であり、国際法違反のおそれがあるとこ。 

 大先輩の宮沢氏が昭和42年に、上記3点を述べているのに、平成11年になっても、氏は3点を否定します。そうしなければ、「憲法改正」を認めることになるとでも思うのか、頑迷だった頃の宮沢氏の意見そのものです。この人は、不肖の後継者というだけでなく、日本人としての常識が欠けています。

 翻訳文そのままの、あのおかしな日本語の「憲法前文」を、無闇に褒めます。戦争否定、武力放棄という崇高な人類の理想が語られており、日本は世界平和の先頭を走っていると説明します。幣原首相がマッカーサーと二人で考えたとしても、そこにあるのは人類普遍の素晴らしい願いだそうです。

 「崇高な人類の理想」と「人類普遍の素晴らしい願い」だとしても、こんな憲法を持てば、日本がどんな無惨な状況に陥るのか、典型的な専門バカなのでしょう。庶民の常識が頭から飛んでいます。

 「憲法は、国民を支配する政府の権力を縛り、国民を守るための法です。」と、こんな説明をします。宮沢教授以来のお決まりの解釈ですが、「法の下の平等」を言うのなら、憲法は政府だけを縛るものでなく、同時に国民も縛ると言うのが、学問的論理で常識でもあります。憲法が政府だけを縛ると言う偏った解釈をするから、責任を忘れ、権利ばかり主張する、自己中心的国民の大量生産につながりました。

 仁鶴さんの「おばちゃんブルース」には感動しましたが、氏の著作にはなんの感動もありません。せっかく優しい気持ちになり、他人を批判するのはやめようと思っていましたが、すっかり元に戻りました。「獅子身中の虫」としか言えない、反日の氏を前にしますと、いい顔ができなくなります。

 「おばちゃんブルース」のおばちゃんは、可愛い子供のため我慢しますが、私は我慢しません。「駆除すべき害虫」は、駆除するのが子供や孫のためです。私は「おばちゃん」でなく、「おじちゃん」ですから、我慢しません。

 しばらくは、掃除の「おじちゃん」の遠慮ない批評が続くと思います。芦部氏を尊敬している反日左翼の方、特に東大卒の方は「ねこ庭」への訪問をご遠慮ください。 

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「港町のカフェテリア」

2021-08-26 21:52:25 | 徒然の記

 「港町のカフェテリア」という、音楽専門のブログがあります。アメリカ、フランス、イタリアなど、洋画の映画音楽がメインです。

 偶然見つけて時々訪問していますが、ブログ主の方は私と同年配か、もう少し先輩なのか、懐かしいものばかりです。選ばれている映画も曲も、かっての名画やヒット曲なので、心のどこかに記憶があります。画像も曲も味わいのあるものが選別され、聴きだすとやめられなくなります。

 沢山のファン登録がされているので、すでにご存知の方もおられると思います。

 「内容の薄い能天気なロックンロール時代が衰退しはじめ、逆に日本では低迷していたブレンダ・リーが徐々に脚光を浴びるようになりました。」

 私は歌謡曲が好きなので、西洋の歌手やスターの名前を、数えるほどしか知りません。しかし短い解説にいつも心を惹かされて、紹介してある曲に聞き惚れ、至福のひと時を過ごします。

 コメント欄が閉じられていますので、ブログ主の方へ連絡できないまま、勝手に紹介しています。ブログの途中で用事を思い出し、急いで戻ってきましたら、「下書き」の指定を忘れ、「公開」にしていました。

 すると何としたことか、10行ほどしか書いていないのに、訪問された人が35人もいて、「いいね」「応援」「役に立った」「続き希望」などと、9人の方がマーキングしています。まだ何も書いてないのに、これだけの反応があるということは、「港町のカフェテリア」のブログが、いかに有名なのかという印なのでしょう。

 私が今回、ブログ主さんに無断でも、わざわざ「ねこ庭」で取り上げたのは、理由があります。いつも洋画とその主題曲なのに、今回は笑福亭仁鶴さんの追悼のブログでした。仁鶴さんが8月17日に、84歳で亡くなったことを知らせるとともに、仁鶴さんの若い頃の歌を紹介していました。

 「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせぇ」のフレーズで有名な、『バラエティー生活笑百科』をよく見ていましたので、訃報にまず驚きました。次の驚きは、西洋一辺倒かと思っていたブログ主さんが、仁鶴さんの追悼ブログを発信したという発見です。

 そして、仁鶴さんの歌を初めて聴き、ここで最後の驚きを経験しました。歌には、「おばちゃんブルース」というダサイ曲名がついていましたが、聞いているうちに涙が溢れ、思いがけない感動に、私は驚きました。

 掃除夫のおばちゃんが、一人息子のために頑張るという、なんでもない曲です。しかしこれは、関西弁の仁鶴さんが、大阪人丸出しの明るさで歌うから、心に迫る歌になったのだと思います。生真面目に歌えばつまらないし、ふざけて歌えば軽薄です。誰もが歌える曲でなく、「おばちゃんブルース」は、いわば仁鶴さんにしか表現できない「人生劇」でした。

 感動が、息子たちだけでなく、「ねこ庭」を訪れる方にも伝えられたらと、祈るような気持ちで、歌詞を転記します。( 著作権があるのでしょうが、他意はありませんので、関係者の方々のご理解をお願いいたします。)

            作詞/ 歌唱:笑福亭仁鶴  作曲:田中正史

   わたしゃビルの お掃除おばちゃん

   モップかついで 生きてゆく  
   ひとり息子を 自慢のたねに 
   毎日 床を みがくのさ  
   おばちゃん おばちゃん 
   がんばってや おばちゃん 
 
   「おばちゃん 腰にぶらさげてんのん トランジスタラジオ?ようやる」
 
   やがて息子は 立派に育ち 
   今じゃ一流    サラリーマン  
   だけど 嫁さんもろうてからは 
   息子は はなれていったのさ  
   おばちゃん おばちゃん 
   がんばってや おばちゃん 
 
   「そら息子が悪い 悪いチャンチャコや ソンナ息子ドツキチャンチャコしたりぃな!」
 
 
   息子にゃ 息子の道がある(ナンジャイナ) 
   わたしゃ ひとりであきらめた  
   しぼり足りない 雑巾のように 
   初めて わたしは 泣いたのさ  
   おばちゃん おばちゃん 
   がんばってや おばちゃん 
 
   「おばちゃん、若い時 だんさんと一緒に行水入ってんてな」
 
 
   わたしゃビルの お掃除おばちゃん 
   モップかついで 生きてゆく  
   ピカピカ光る 床の様に 
   汚れちゃいない 人生さ 
   おばちゃん おばちゃん 
   がんばってや おばちゃん 
 
   「夕焼け空に おばちゃんの顔 きれいななアー」
 
 どうか皆さん、ネットで検索して、この歌を聴いてください。涙は流さないと思いますが、しみじみとした気持ちになります。私が涙をこぼしたのには、ちゃんと理由があります。実は私も、一人息子で、両親が苦労して大学へ行かせてくれました。父が亡くなり、今では母が一人ですが、今年の10月で100才になります。
 
 「武漢コロナ」のおかげで会いに行けませんが、老人ホームでお世話になっています。今は少し痴呆が始まっていますけれど、まだしっかりしていた頃の、母の言葉を思い出しました。
 
 「男の子は、ダメやねえ。」「嫁さんもろうたら、大抵が嫁さんのことばっかり。」
 「あんたは違うよ。これは、よその人の話。」
 
 照れ臭そうに笑っていましたが、自分のことを言われていると、分かっていました。仁鶴さんの歌のおばちゃんは掃除夫でしたが、母は父と二人の自営業でした。掃除夫と自営業の違いはありますが、貧しい中で、苦労を苦労とも言わず、息子を育てたところは同じです。
 
 孝行息子でなかっただけに、仁鶴さんの歌が心に沁みました。だから、この歌を聴いて、誰もが涙を流すわけではありません。
 
 と、こんなことが言いたくなり、ブログ主さんに無断で、「港町のカフェテリア」の紹介をいたしました。
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何度でも変節した、宮沢俊義氏

2021-08-25 18:45:33 | 徒然の記

 マッカーサー元帥は、大抵のことでは驚かないと自慢していましたが、私は凡人ですから、何にでも驚きます。

 最近の私は、憲法問題に絡んで、宮沢俊義氏を強く批判しています。GHQに協力し、悪法「日本国憲法」の成立に手を貸した、とんでもない学者です。神話を否定する論を述べながら、軍の力が強くなると、天孫降臨の憲法を説くようになったりしました。GHQが来ると迎合し、再び神話否定の憲法学へ戻り、「8月革命説」などを考え出し、明治憲法と日本国憲法の関係を説明する、悪知恵を働かせました。

 敗戦後の日本で、どさくさに紛れ、数々の日本崩壊政策を進めたホイットニー准将と似たような動きをした人物と、今でもそう考えています。二、三日前から、芦部信喜氏の「憲法」を読んでいますが、宮沢氏の顔がチラついて離れません。まだ18ページですが、芦部氏は、あちこちで宮沢氏の説を紹介しており、いやでも思い出させられます。

 それで、何が驚くことなのかと、せっかちな息子たちが尋ねそうなので、話を本題へ戻します。

 なんと4年前の、平成29年に、宮沢俊義氏の著「憲法講話」(昭和42年刊 岩波新書)を、読了し、ブログに残していました。当時はまだ、勉強が足りなかったのか、あまり氏を意識せず、普通の態度で読み終えています。つまり、悪口を言わず、やたら批判をせず、行儀の良い学徒として書評を述べています。

 どうして気づいたのかと言いますと、「ねこ庭」を訪問される方のおかげです。グー・ブログの「アクセス解析画面」を見ますと、訪問された方の「アクセスページ」が、10件表示されます。何人の方が見ているのか、数字も示されます。

 ここ数日「憲法」というタイトルのページが、繰り返し表示されます。自分で書いていながら、記憶にないタイトルなので、探してみて驚きました。何と、4年前の宮沢俊義氏の著「憲法講話」の書評でした。

 「憲法改正」を願ってやまない私は、『最後のご奉公』だけでなく、憲法について何度も述べ、必ずGHQと宮沢氏に言及しています。「ねこ庭」を訪問される方の中には、本人の私が忘れている過去のブログを探し、合わせて読んでおられることが分かりました。

 他の人のことは知りませんが、これは私にとって、驚き以外の何ものでもありません。そんな真面目な訪問者もおられるのだという、驚きです。私は口で言うほど立派なことを、日常生活では実行していません。どちらかといえば、国会議員諸氏に似た、口先先行で、実行の伴わない凡俗です。だから真面目な人に出会うと、敬意を表し、その時は自己反省します。

 今回のテーマは、「何度でも変節した、宮沢俊義氏」を、4年前のブログで発見した、その驚きについてです。( 過去ブログのことなので、つまらないと思われる方はスルーしてください。)

 「氏の略歴を知らずにこの書を読めば、博識の教授に敬意を表すると思います。」「また実際、傾聴すべき意見も沢山ありました。」「例えば、明治憲法を復活しても、そのまま現在に通用するから、現行憲法は不要だと、」「そのような意見がありますが、氏はこれに異を唱えます。」

 「説明を聞きますと、なるほど明治憲法は、そのまま現在の日本には通用しません。」「憲法を超えた天皇の " 統帥権 " が、再び軍による政府の軽視を引き起こす危険性について、説明しています。」

 「統帥権は、政府から独立し、天皇自らが行使するという建前になっていましたため、」「天皇への助言者は、陸軍は参謀総長で、海軍は軍令部総長でした。」「軍務に関しては、結局陸軍と海軍が実質的決定権者となり、」「議会のコントロールが及びません。」「婉曲ではありますが、氏はこれを明治憲法の欠陥とし、悪法のように語ります。」

 書き出しの部分ですが、現在のように氏を容赦なく批判していません。たくさん書いていますので、興味深い部分だけを引用します。

 「押しつけ憲法なのか、そうでないのか、相反する事実が沢山あり、いろいろな意見が流布しています。」「それでも冷静に観察すれば、GHQの提示した憲法も、外圧の一つです。」「押しつけられたのか、利用したのか、マッカーサーと幣原首相による " 阿吽の呼吸 " の産物なのか。」「今となっては、確かめようがありません。」

 なるほど、あの頃はその程度の知識だったのかと、懐かしくなります。「温故知新の読書」も、積み重ねれば無意味でないと安心します。

 「敗戦後も70年が経過すれば、現行憲法にだって不備が生じます。」「憲法一条と九条は、日本人が、叡智を絞って修正しなくてはなりません。」「つまり、〈天皇〉と〈戦争放棄〉の二つは、日本の土台なのです。」

 知識が不十分でも、大切な点への理解は、今も同じだと知る安堵もありました。少なくとも自分は、宮沢氏のような変節漢でなかったという安堵です。しかし私が発見した本当の驚きは、次の叙述でした。

 「この本で最大の収穫と感じましたのは、憲法の権威として今尚、日本人に尊敬されている氏が、次の3点を明確に述べているところでした。」

  1.   現行憲法は、押しつけ憲法の性格が強いこと。

        2.   現行憲法は、手続き的には明治憲法を継続しているように見えるが、実質は革命でしか施行されない形の憲法であること。

  3.   占領国による憲法作成であり、国際法違反のおそれがあるとこ。 

 つまり氏は、現行憲法は、日本人の手によって、改正されなくてならない定めにある、と語っていました。 反日・左翼学者として、氏はこの3点を率先して否定し、東大を拠点に「反日憲法」の講義を続けてきました。

 「戦争を繰り返すな」「平和憲法を守れ」と主張する、「お花畑」の学者、評論家、マスコミ人を育てました。その氏が、昭和42年の著書で、こんなことを述べていたのです。しかしもう、手遅れです。今手にしている芦部信喜氏の「憲法」は、平成11年の出版ですが、何の修正もされていません。氏の「反日憲法講義」は、一人歩きしています。

 となりますと変節した宮沢氏の意見は、芦部教授から、役に立たないものとして無視されている・・ということなのでしようか。宮沢氏は、日本国憲法の権威でなく、変節した老人として片付けられているのでしょうか。

 「左翼学界の無情さと、恐ろしさ」

 私が発見した、もう一つの驚きはこれでした。「憲法改正」は、予想していた以上に厄介で、自民党が主催する、あの「憲法講座」のお粗末さを思いますと、とても菅内閣では実現不可能と分かります。

 だが私はめげることなく、芦部氏の著作を読みます。広大な宇宙では、目にも見えない塵でしかない人間ですが、生きている限り、親の役目を果たすのも大事ですから・・ 

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ご先祖さまを迎える日の新聞記事

2021-08-24 06:55:17 | 徒然の記

 お盆の期間は、一般的には8月13日~16日の4日間とされています。初日の13日は、ご先祖様をお迎えするため、迎え火を灯します。最後の14日には、帰られるご先祖さまを送るため、「送り火」をつけます。

 お盆の間は、果物や野菜、飲み物、お菓子などをお供えして手を合わせます。自分では神道のつもりですが、仏式のお盆も真面目に行います。ご先祖様がどこから来られ、何処へ帰って行かれるのか、深く考えたことはありません。

 私の家では、亡くなった人は全部ご先祖さまです。親も祖父母も、叔父も叔母も、自分の記憶にある人はみんなご先祖さまです。死産や早産で亡くなった子供たちも、入れています。亡くなった愛猫や、野良猫タビーも、忘れずにお祈りします。いい加減と思う人もいるのでしょうが、私たち夫婦は、お盆が来るたび真面目に繰り返しています。

 8月13日金曜日の記事を読んで、びっくりしました。いつもの通り、共同通信社が配信した、千葉日報の記事です。幣原元首相の書評に時間を取られ、普段より遅れて今頃13日の新聞を読んでいます。

 紙面の4分1を占める 、5段組の大きな記事です。

「A級戦犯の処刑報告書発見」「米軍作成 " 正確に執行 "」

 「マッカーサー元帥宛て」「日大講師 米で入手」

 これが、ご先祖さまを迎える日の新聞記事かと、自分の目を疑いました。東條英機、広田弘毅両首相の顔写真が掲載され、下に説明文があります。

 「 A級戦犯・・第二次世界大戦後の1946年5月から、48年11月、連合国が東京・市ヶ谷で開いた、極東軍事裁判 ( 東京裁判 ) で、" 平和に対する罪 " などで起訴された、」「28人の戦争指導者ら。」「そのうち、途中で死亡するなどした3人を除く、」「25人が有罪となり、東條英機、広田弘毅両首相、板垣征四郎元陸将、」「陸軍の土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎各大将、武藤章中将の計7人が絞首刑となった。」

 この罰当たりな説明を書いたのが、どんな人間なのか知りませんが、共同通信社には、歴史も知らずお盆の意味も知らない記者が、大きな顔をしているようです。こんな大記事にするのですから、トピック扱いなのでしょうが、共同通信社の判断基準がどうなっているのか、トンとわかりません。

 記事の書き出し部分を、そのまま転記します。

 「東京裁判で死刑判決を受けた、東條英機元首相ら、A級戦犯7人の処刑について、」「正確に実行したと記載した、米軍の公文書が、」「12日までに見つかった。」

 「専門家によると、今回の発見で、A級戦犯をめぐる主な公文書が、」「出揃ったことになる。」

 発見者は日大の高澤弘明専任講師だと言いますが、米国による違法な「復讐裁判」で、ありもしなかった刑で命を奪われた7名の方々について、「哀悼」も「感謝」の気持ちも無いようです。NHKが田島宮内庁長官の犯罪的資料を、「世紀の大発見」でもあるかのように報道した姿勢と、共通する非礼さがあります。

 昭和28年8月3日の衆議院本会議で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が採択された時から、旧敵国の戦争犯罪裁判による刑死者等は、国内法での罪人とは見なさないとの、立法措置がとられています。

 この事実を無視し、共同通信社は、今はありもしない「A級戦犯」という死語を使って恥じません。この記事を手にする読者の多くは、なんとなく読み、7人のご先祖様を批判するのでは無いでしょうか。歴史を知らない若い人々は、日本の過去を否定する気持ちになります。

 靖国神社では、7人の方々を「戦犯」と呼ばず、「昭和殉難者」と言っています。朝日新聞社とNHKと共同通信社を、私は反日・左翼マスコミの筆頭として批判していますが、こういう記事を見る限り、疑いのない事実では無いでしょうか。

 ネットで検索しますと、早速中国と韓国の新聞がこの記事を引用し、日本批判をしています。「報道の自由」にあぐらを書き、「悪意と捏造」の記事を発信する共同通信社は、何の責任も問われないのでしょうか。

共同通信社がニュースを配信している、国内の報道機関は次の通りです。

 1.  加盟社(共同通信の運営に出資)

  • NHK - ただしNHKは独自取材の割合が高く、共同通信配信のニュースは補足的にしか使われない。

   2.  契約社発行新聞

     3.  契約民間放送局

 

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『 最後のご奉公』 - 15 ( 総まとめ - 2 )

2021-08-22 16:50:32 | 徒然の記

 「憲法に関する昭和天皇のお考え」について、述べます。参照データは、令和元年8月にNHKが放送した、『昭和天皇拝謁記』です。本来なら、外部へ洩らしてならない陛下のお言葉を、宮内庁長官田島道治氏が密かに書き残した、大量のノートと手帳をもとに作られた番組です。

 国家公務員の「秘密保持義務」に違反する、恥ずべき犯罪証拠書類ですが、NHKはこれを「歴史的第一級の資料」として、鳴り物入りで公開しました。反日左翼の学者たちが集まり、陛下のお言葉の一つ一つに、皮肉な批評をつけるという醜い番組でした。

 「どこまで驕るNHK」というタイトルをつけ、怒りを込めて49 回のシリーズでブログにしましたので、覚えておられる方がいるのかもしれません。今回紹介するのは、その中の、「憲法に関する昭和天皇のお考え」の箇所です。  

 昭和27年2月11日から、2月26日までの、4回の拝謁時のお言葉で、田島長官が逆らっている様子も書かれ、反日学者の注釈が添えられています。本論に入る前に、『昭和天皇拝謁記』の書かれた昭和27年がどのような年であったかを、ネットで検索してみました。
 
 ・ 連合国軍最高司令官だったマッカーサー元帥が、トルーマン大統領により解任され、4月にマシュー・リッジウェイ大将が就任した。
    ・ 「日米安全保障条約」の調印後、半年が経過していた。
 ・   内閣総理大臣: 吉田茂   内閣官房長官:   保利茂 
 ・   衆議院議長 : 林譲治   参議院議長  :   佐藤尚武
 
 これを予備知識として、NHKの「WEB  NEWS」から再度転記します。
 
 【 昭和27年2月11日拝謁時のお言葉 】 
 
陛 下
 「私は、憲法改正に便乗して、」「他のいろいろのことが、出ると思って、否定的に考えていたが、」「今となっては、他の改正には一切触れずに、」「軍備の点だけ、公明正大に、堂々と改正した方が、」「いいように思う。」
 
 【 昭和27年2月16日拝謁時のお言葉 】
 
陛 下
 「再軍備に関して、憲法改正の方が良いと、」「吉田に言っても良いか。」
  (  田島長官が尋ねられ、それを止めています。)
 
   【 昭和27年2月18日拝謁時のお言葉 】
 
陛 下
 「吉田には、再軍備の事は、 憲法を改正するべきだという事を、」「質問するようにでも 、言わぬ方がいヽだらうか。」
 
田島氏
 「呼び出すのは、よろしくありませぬが、吉田が皇居に来た際なら、」「だいぶ国会で、再軍備問題で、議論があるやうだが、」「一体どうかという程度の、陛下の御考を仰せになりませぬ形で、」「御質問になる程度は、およろしいかと存じます。」
 
 【 昭和27年2月26日拝謁時のお言葉 】
 
陛 下
 「軍備といっても、国として独立する以上は、必要である。」「かっての、軍閥が悪いのだが、」「それをアメリカは、何でも軍は、全部軍閥だという様な考えで 、ああいう憲法を、作らせるようにするし・・・」
 
 (  戦前のような軍隊を否定しつつも、独立時の再軍備は必要だという認識を、重ねて示すとともに、戦力の保持を禁じた 憲法9条の制定過程に、不満をにじませる様子がうかがえます。)
 
 (  )内の言葉は、この番組を作った反日・左翼学者の註釈です。「国として独立するには、軍備が必要である。」という陛下のお言葉は、常識として当然のことですが、学者たちは、何か間違った意見を言われているかのような、説明文にしています。
 
 番組を見ていますと、ウイロビー准将と芦田総理の権力を後ろ盾に、宮内庁長官田島氏が、昭和天皇を追い詰めている様子が窺われます。保守の顔をした獅子身中の虫が、陛下のお側でどの様な動きをしていたのかを知らされました。

 別に調べたネットの情報だったのか、記憶が確かでありませんが、以前のブログから転記します。

 「昭和23年6月、芦田均首相によって、田島が宮内府長官に任命された。」「昭和天皇は、宮内府長官・松平慶民と、侍従長・大金益次郎を交代させることに、難色を示していたが、」「芦田は、宮中改革を実行するため、交代を断行した。」
 
 こういう経緯で就任した長官ですから、陛下をお支えするというより、監視役のような不遜な働きをしています。「戦争放棄」を謳った憲法の思想が、「平和憲法」として皇室内に浸透するよう、周到な計画をしています。
 
 軽井沢のテニスコートで、上皇陛下と美智子様が出逢われ、「テニスコートの恋」として有名になりましたが、お二人の出会いを準備したのは、田島道治、小泉信三、三谷隆信の三氏でした。
 
 美智子さまはキリスト教徒でありませんが、キリスト教の教えを守っておられる方で、才色兼備の願ってもないお妃候補でした。美智子さまは、三人の敷いたレールの上を走らされた方であり、ネットでは次のような意見がありました。
 
 「明仁皇太子も、ヴァイニング女史の指導で、キリスト教的世界観の影響のもとで育っていた。」「皇太子と美智子さまは、キリスト教という絆で結ばれた夫婦だった。」「だから、昭和天皇が激怒されても、美智子さまは、キリスト教を捨てることができなかった。」
 
 私以外にこのような意見を言う人はいませんが、昭和天皇の憲法改正のお気持ちを、皇室から消してしまわれたのは、美智子様でした。上皇陛下も天皇陛下も、誕生日の会見時に必ず次のように言われます。
 
 「憲法を遵守し、象徴天皇として、誠実に勤めを果たしていきたいと思います。」
 
 私たち国民が、「憲法改正」を悲願としていても、両陛下のお言葉が厚い壁となります。そろそろ私たちは皇室を含め、GHQの呪縛を卒業し、日本の独立を取り戻さなくてなりません。私たちがやるべきことは、ハッキリしています。
 
  「昭和天皇のお言葉に戻れ」・・・この一言です。
 
 塩田氏の書評からだいぶ外れましたが、今回で『 最後のご奉公』 の書評を終わります。暑い中にもかかわらず、「ねこ庭」をご訪問頂いた方々に、厚くお礼を申し上げます。
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『 最後のご奉公』 - 14 ( ウイロビー少将とケナン氏の意見 )

2021-08-21 17:04:20 | 徒然の記

 本日は、反日左翼の憲法学者たちが崇拝してやまない、「日本国憲法」の基となった「東京裁判」について、息子たちに伝えたいと思います。

 「軍国主義の日本は、無謀な戦争で他国を侵略し、世界の平和を乱した憎むべき犯罪国家だ。」と、戦前の日本を断罪したのは「東京裁判」です。国民を不幸にした軍国主義を根絶やしにするため作られたのが、「日本国憲法」だったという経緯については、これまで述べてきました。

 今回は、米国人がする「東京裁判」への、別の見方を紹介します。これから読もうとしている、芦部信喜氏の著『憲法・新版』に関する予備知識でもあります。氏は「日本国憲法」を信仰している東大教授で、反日変節学者・宮沢俊義氏の流れを汲む人物です。

 日本の権威とされている憲法学者たちの間違いを、息子たちが知るには、「東京裁判」を批判する米国人の意見が、大切な役割をすると考えます。ネットで調べれば他にもありますが、今回は二人の人物、チャールズ・ウイロビー少将とジョージ・ケナン氏を紹介します。

 マッカーサー元帥統治下のGHQで、辣腕を振るった二人の軍人高官がいたことは、多くの人が知っています。ウイロビー少将と、ホイットニー准将です。

 ホイットニー准将は、ケーディス大佐とともに、日本共産党幹部の釈放や、組合活動の奨励をし、日本国憲法の作成を指導したことで有名です。それ以外に、皇室の崩壊を図るため、「11宮家の皇籍離脱」にも関与しています。芦田総理を動かし、皇室弱体化のため、宮内庁長官や次官、侍従長、女官長などに、キリスト教徒の送り込みもしています。上皇陛下の教育係だった、バイニング女史もそうです。

 以前NHKが報道した『昭和天皇拝謁記』を、密かに記録していた宮内庁長官の田島氏が、キリスト教の信者だったことは既にブログで報告しましたが、ホイットニー准将は、数え上げればキリがないほど、日本の解体に尽力しています。

 日本ではあまり語られませんが、一方のウイロビー少将は、G2と呼ばれた参謀第2部の部長でした。諜報、保安、検閲を管轄し、共産党嫌いの彼は、ホイットニー准将とケーディス大佐を敵視し、対立していました。対立の激しさから、当時「G1・G2戦争」とも呼ばれていたと、聞いています。

 そのウイロビー少将が、東京裁判が終わった後、帰国の挨拶に来たオランダのレーリンク判事に語った言葉が、レーリンク氏の著書に残されています。

 〈 1.  ウイロビー少将の意見 〉 
 
 「この裁判は、史上最悪の偽善だった。」「こんな裁判が行われたので、自分は、息子には軍人になることを禁止するつもりだ。」
 
 「なぜ不信をもったかと言うと、日本がおかれていた状況と、同じ状況に置かれたなら、」「アメリカも日本と同様に、戦争したに違いないと思うからだ」
 
 今一人のジョージ・ケナン氏は、米国の外交官、政治学者、歴史家で、ソ連の封じ込めを柱とする、アメリカの冷戦政策を計画したことで知られています。
 
 〈 2.  ケナン氏の意見 〉
 
 「この裁判には、法手続きの基盤になるような法律は、どこにもない。」「戦時中に、捕虜や非戦闘員に対する虐待を禁止する、人道的な法はあるが、」「公僕として、個人が国家のためにする仕事について、国際的な犯罪はない。」「国家自身は、その政策に責任があり、戦争の勝ち負けが、国家への裁判である。」
 
 「戦勝国が、敗戦国を制裁する権利がないというわけではないが、」「そういう制裁は、戦争行為の一部としてなされるべきであり、正義とは関係がない。」「またそういう制裁を、いかさまな法手続きで装飾するべきではない。」
 
 「この裁判は、国際司法の極致として賞賛されているが、」「そもそもの最初から、大きな考え違いがあり、」「敵の指導者の処罰は、不必要に手の込んだ司法手続きのまやかしや、」「ペテンにおおわれ、その本質がごまかされており、」「東京裁判は、政治裁判であって、法ではない。」
 
 ただケナン氏の意見は、日本を理解する立場で述べられたものでなく、強い敵意から発せられており、次に続く言葉は怒りを誘います。
 
 「余計な手続きをせず、処罰を決めたのなら、」「有無を言わせず、処刑してしまえば良かったのだ。」
 
 ケナン氏の発言を知ってか知らずか、戦後の日本では、著名な氏を賞賛する、保守系の政治家や評論家たちがいますが、情けない話です。中国へ靡き、米国にへつらい、保守も左翼も戦後の日本には、愛国心を失った人間が横行しています。私がケナン氏の言葉を紹介するのは、氏が、米国政府の政策を指導した高名な学者だからではありません。
 
 腹立たしいまでの傲慢さですが、「東京裁判」への指摘は核心をついていると、思うからです。
 
 「東京裁判は、政治裁判であって、法ではない。」
 
 息子たちだけでなく、変節漢だった宮沢氏にも、その後継者の芦部氏にも、日本学術会議に所属する左翼学者たちにも、ケナン氏の言葉を送り届けたいと思います。
 
 昭和天皇の「憲法」へのお考えは、説明するスペースがなくなりました。陛下につきましては、項を改めて述べるのが礼に叶います。予定が少し変わりますが、次回が最終回となります。
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