昨日、司馬遼太郎氏の著作の紹介を、突然止めました。
「もともと氏は、反日左翼のグローバリストのような、性悪の人間でありませんから、深追いする非情さが湧いてきません。」
理由は簡単でしたが、中断はやはり唐突で、訪問される方々はもちろん、わが息子たちにも、十分に理解されなかったのではないかと、思います。理屈で分かっていても、気持がついていかなくなったら、止めるしかないのですが、他人には「支離滅裂」と見えるはずです。
支離滅裂を別の言葉で言いますと、「矛盾する気持」とでも言えば良いのでしょうか。今回は、最近の自分を捉えている矛盾する気持に焦点を当て、ひとまとめにしてみたくなりました。息子たちにも訪問される方にも、何の参考になりませんから、どうぞスルーしてください。
沢山ありますが、二つだけ述べます。
1. チャンネル桜の水島社長について
反日・左翼の言論空間である沖縄と北海道に支局を作り、保守の意見を広めようとする行動力と情熱には、心からの敬意を表しています。私のブログが何年かかっても伝えられない数の人々に、「日本を大切にする重要性」を発信しています。
けれども氏は、なぜ古谷経衡氏とシンガーsaya氏を重用するのでしょう。今は中断していますが、「さくらじ」では二人を番組の顔とし、2年半使いました。
若手の保守と評価する人もいますが、私は古谷氏の保守に疑問符をつけています。年配のゲストを招いているとき、ガムを噛みながら喋ったり、敬語を忘れたりという基本的なところからして、不愉快にさせられました。
シンガーsaya氏も、パチンコ業界に支援された広告塔のような女性歌手です。話している内容も、保守とは程遠い軽薄さです。これが沖縄で、我那覇雅子さんに活躍の場を提供している水島氏と、同じ人物なのかと思わされます。
「清濁併せ呑む、度量の広い人物」と思いたいのですが、人物評価の落差に失望します。
先日まで安倍氏を絶対的に支援し、安倍信者と批判されていましたが、移民法以来、距離を置き始めました。私も氏と同様に、ずっと総理を支持してきましたが、グローバリスト的法律を次々と成立させる姿に嫌悪すら覚えました。
ということで私は疑問を感じながらも、「水島氏への批判」を抑制する一方で、疑問が大きくなったため、続けてきた「総理への支持」を中断しています。これなどは、司馬遼太郎氏への紹介の中断どころでない、支離滅裂な自分です。
2. 皇室について
これまでに陛下と美智子様、あるいは眞子様のご結婚問題等につき、自分の気持をブログにして参りました。ますますエスカレートするネットの関連情報や、週刊誌の騒々しい記事の氾濫を知りますと辟易して参りました。
陛下も美智子様も大元では、すべての行為が「国民のため」という、無私の思いから始まっています。お二人のことばかりでなく、皇室の方々について、これ以上言及しない方が良いのではないかと、そんな気になって参りました。
陛下も美智子様も、国民の思いが様々あるということ、決して好意的なものばかりでないことがお分かりになったはずです。
「住まいにお金をかけすぎる」とか、「税金の無駄遣い」だとか、こういう批判をするのでは、反日・左翼のグローバリストと同じになってしまいます。もともと皇室と国民は対立するものでなく、敵対するという文化が日本にはありません。
憂国の批判でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、無用な騒ぎと対立を煽るのでは日本のためになりません。
自分の過去のブログを後悔したり、反省したりして言うのではありません。国会で政府を追及する野党のように、倒閣狙いの醜い争いをしているのでありませんから、そろそろ皇室への言及を止めるのが、国民としての節度でないかと考えます。
これとて、深い理由はありません。いわば、支離滅裂の中断の話です。
「もともと皇室の方々は、反日左翼のグローバリストのような、性悪の人間はおられませんから、深追いする気持が湧いてきません。」
司馬氏への書評を止めたのと同じ気持ちで、誰かに説明を求められても、説明のしようがありません。悪し様に批判されておられる皇太子ご夫妻についても、私の気持ちは変化しています。
「新天皇になられたら、殿下は変わられるのでないか。」
そういう期待があります。国民から悪口ばかりを言われれば、皇太子ご夫妻もお気持ちが乱れます。私たちはネットを通じ、礼を失するほどの批判を、沢山して参りましたがもう矛を納めるべき時でしょう。
意外なほど素直な皇太子殿下は、新天皇になられ、国民の温かい支えを知られたら大きく変わられるのではないかと、そんな期待さえ湧いて参ります。
「開かれた皇室」の思考も、ほどほどにしないと、大切な皇室そのものを、崩壊させてしまう危険があると、私は学びました。平成の時代に入ると、ネットが益々大きな力を持つようになりました。
国民の間に様々な主張や意見があることを、陛下と美智子様もお知りになったはずです。良くも悪くも、ネットの発達と、情報の拡散は、昭和天皇の時代には無かった出来事です。私たち国民もこれだけあからさまな意見が、皇室に向けられていると知るのも初めてではないでしょうか。