ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『歴史と視点 』- 4 ( 支離滅裂のついでに )

2019-02-28 16:52:18 | 徒然の記

 昨日、司馬遼太郎氏の著作の紹介を、突然止めました。

 「もともと氏は、反日左翼のグローバリストのような、性悪の人間でありませんから、深追いする非情さが湧いてきません。」

 理由は簡単でしたが、中断はやはり唐突で、訪問される方々はもちろん、わが息子たちにも、十分に理解されなかったのではないかと、思います。理屈で分かっていても、気持がついていかなくなったら、止めるしかないのですが、他人には「支離滅裂」と見えるはずです。

 支離滅裂を別の言葉で言いますと、「矛盾する気持」とでも言えば良いのでしょうか。今回は、最近の自分を捉えている矛盾する気持に焦点を当て、ひとまとめにしてみたくなりました。息子たちにも訪問される方にも、何の参考になりませんから、どうぞスルーしてください。

 沢山ありますが、二つだけ述べます。

  1. チャンネル桜の水島社長について

   反日・左翼の言論空間である沖縄と北海道に支局を作り、保守の意見を広めようとする行動力と情熱には、心からの敬意を表しています。私のブログが何年かかっても伝えられない数の人々に、「日本を大切にする重要性」を発信しています。

 けれども氏は、なぜ古谷経衡氏とシンガーsaya氏を重用するのでしょう。今は中断していますが、「さくらじ」では二人を番組の顔とし、2年半使いました。

 若手の保守と評価する人もいますが、私は古谷氏の保守に疑問符をつけています。年配のゲストを招いているとき、ガムを噛みながら喋ったり、敬語を忘れたりという基本的なところからして、不愉快にさせられました。

 シンガーsaya氏も、パチンコ業界に支援された広告塔のような女性歌手です。話している内容も、保守とは程遠い軽薄さです。これが沖縄で、我那覇雅子さんに活躍の場を提供している水島氏と、同じ人物なのかと思わされます。

 「清濁併せ呑む、度量の広い人物」と思いたいのですが、人物評価の落差に失望します。

 先日まで安倍氏を絶対的に支援し、安倍信者と批判されていましたが、移民法以来、距離を置き始めました。私も氏と同様に、ずっと総理を支持してきましたが、グローバリスト的法律を次々と成立させる姿に嫌悪すら覚えました。

 ということで私は疑問を感じながらも、「水島氏への批判」を抑制する一方で、疑問が大きくなったため、続けてきた「総理への支持」を中断しています。これなどは、司馬遼太郎氏への紹介の中断どころでない、支離滅裂な自分です。

  2. 皇室について

   これまでに陛下と美智子様、あるいは眞子様のご結婚問題等につき、自分の気持をブログにして参りました。ますますエスカレートするネットの関連情報や、週刊誌の騒々しい記事の氾濫を知りますと辟易して参りました。

 陛下も美智子様も大元では、すべての行為が「国民のため」という、無私の思いから始まっています。お二人のことばかりでなく、皇室の方々について、これ以上言及しない方が良いのではないかと、そんな気になって参りました。

 陛下も美智子様も、国民の思いが様々あるということ、決して好意的なものばかりでないことがお分かりになったはずです。

 「住まいにお金をかけすぎる」とか、「税金の無駄遣い」だとか、こういう批判をするのでは、反日・左翼のグローバリストと同じになってしまいます。もともと皇室と国民は対立するものでなく、敵対するという文化が日本にはありません。

 憂国の批判でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、無用な騒ぎと対立を煽るのでは日本のためになりません。

 自分の過去のブログを後悔したり、反省したりして言うのではありません。国会で政府を追及する野党のように、倒閣狙いの醜い争いをしているのでありませんから、そろそろ皇室への言及を止めるのが、国民としての節度でないかと考えます。

 これとて、深い理由はありません。いわば、支離滅裂の中断の話です。

 「もともと皇室の方々は、反日左翼のグローバリストのような、性悪の人間はおられませんから、深追いする気持が湧いてきません。」

 司馬氏への書評を止めたのと同じ気持ちで、誰かに説明を求められても、説明のしようがありません。悪し様に批判されておられる皇太子ご夫妻についても、私の気持ちは変化しています。

 「新天皇になられたら、殿下は変わられるのでないか。」

 そういう期待があります。国民から悪口ばかりを言われれば、皇太子ご夫妻もお気持ちが乱れます。私たちはネットを通じ、礼を失するほどの批判を、沢山して参りましたがもう矛を納めるべき時でしょう。

 意外なほど素直な皇太子殿下は、新天皇になられ、国民の温かい支えを知られたら大きく変わられるのではないかと、そんな期待さえ湧いて参ります。

 「開かれた皇室」の思考も、ほどほどにしないと、大切な皇室そのものを、崩壊させてしまう危険があると、私は学びました。平成の時代に入ると、ネットが益々大きな力を持つようになりました。

 国民の間に様々な主張や意見があることを、陛下と美智子様もお知りになったはずです。良くも悪くも、ネットの発達と、情報の拡散は、昭和天皇の時代には無かった出来事です。私たち国民もこれだけあからさまな意見が、皇室に向けられていると知るのも初めてではないでしょうか。

  言論の自由ですから、「ねこ庭」の片隅から訴えても、世の中がどうなるものでもありませんが、支離滅裂の中断のついでに自分の思いを綴ってみました。
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『歴史と視点 』 - 3 ( 寛大な八百万の神様 )

2019-02-27 06:42:18 | 徒然の記

 司馬氏著『歴史と視点』の、3回目です。本日は、氏が反軍反軍人になった原点を、著書から見つけました。28ページと37ページと、50、61ページに書いてあります。

    ・太平洋戦争の最中、文科系の学生で満20を過ぎている者は、ぜんぶ兵隊にとるということになって、私も兵隊にとられた。

   ・大阪の本籍地の区役所で徴兵検査を受けると、驚いたことに甲種合格だった。

           ・兵科については検査後数日して、通知が来たような記憶がある。私の小さな通知書には、戦車手と書かれていた。

 氏は歩兵でなく、戦車兵となりました。私はここに、氏の悲劇の原点を見ます。機械と計器に囲まれた狭い戦車の中で、敵を見つけ、攻撃距離を計算するには機敏な動作と判断力が要求されます。

 本の書きぶりからしますと、文科系で、かつ方向音痴であった氏は、私の見る限り戦車兵不適格者です。氏が機械いじりや計算を得意とする、理工系の学生だったら、軍隊に馴染んだのではないかと考えます。

 健康な体を持つ大学生の氏は、話せばいっぱしの理屈を述べますから、複雑な操作をする戦車兵の適性があると、面接官が勘違いしたのだと思います。想像でしかありませんが、氏は機械操作が苦手なだけでなく、のろまな兵ではなかったのでしょうか。

 方向音痴、機械音痴、機敏な動作ができないとなれば、戦車兵不適格者です。上官に怒鳴られるだけでなく、同年兵にも、悪くすると部下の兵にも、馬鹿にされていたのかもしれません。

 このようなことは自分で書きませんし、有名になった人気作家の過去を他人が語れば、悪口にしかなりません。わざわざ憎まれ役をする人間も、いなかったはずです。

 だがその事実を、氏の本の中で読みました。

  ・私が、兵庫県加古川の北の方の青野ケ原にあった、戦車第19連隊に初年兵として入隊した時、スパナという工具も知らなかった。

  ・戦車の格納庫で、作業のまねごとをした時古年兵が、スパナを持ってこいと命じた。

  ・足元にそれがあったのに、その名称が分からずおろおろしていると、古年兵はその現物を取り上げ、私の頭を殴りつけた。頭蓋骨が陥没するのではないかと思うほど、痛かったが・・

  当時は、大学生でもスパナを知らなかった時代だったのか、それとも氏が、とことん機械や道具に無関心だったのか。これが氏の軍隊への恨みの始めです。次は、50ページに飛びます。

  ・弁解がましいようだが、私は自分自身の身辺や経歴について、全く話題価値が感じられないたちで、このことは私がもし作家だとすれば、致命的な欠陥なのかもしれないと思っている。

  ・しかし既に、私の過去に属している戦車について書いてしまった。

  ・戦車は私にとって、好奇心の対象となるものでなく、怨念がこもっているという意味で自分に属している物だから、じつに書きづらかった。

 私はこの叙述の中に、思い出すさえ不愉快な氏の軍隊経験を感じ取ります。終戦間際に氏は満州から、本土決戦のため群馬県に一時駐屯していました。そこへ新式の戦車が配備され、将校や下士官が集まります。どういう経緯なのか分かりませんが、氏が操縦席に乗り込みます。

  ・操縦席に乗り込んで、膝に新品のベルトを締め、セルモーターのボタンを押してみた。

  ・私はこの頃、形ばかりは4輌の長だったが操縦はとびきり下手で、始動が特に苦手だった。

  ・ガソリンエンジンと異なり、デーゼルエンジンは、図体がばかばかしいほど大きいのである。それをちっぽけなセルモーターで始動させるのだから、何度もやっているとバッテリーが上がってしまい、戦車そのものが動かない機械になってしまう。

 こういう具合に、氏は説明 ( 理屈 ) だけは達者なのです。操縦席で難渋している氏に、上官が声をかけます。

  ・「お前には、無理だよ。」天蓋から覗き込んでいる、士官学校出の正規将校である中尉が笑った。嘲笑しているのでなく現実にその通りで、私の操縦下手は定評があり、自分でも認めていた。

  ・もっとも戦車の操縦は、将校自身がするわけでなかったから、職務に著しくさしつかえるという訳ではない。

  ・私が始動し直し動かしてみると、その都度新品の戦車はエンストするのである。

 自意識が強く誇り高い氏は、これだけ書くのもずいぶん苦労したはずです。苦々しく腹立たしい己の無能と、怒鳴るばかりだった上官と、嘲笑する同輩と部下たち・・思い出すだけで、憎まずにおれない軍隊だったはずです。

 ここで氏は自分の戦車兵としての無能を語らず、戦車の無能を力説します。

  ・この戦車の最大の欠陥は、戦争ができないということであった。

  ・敵戦車に対する防御力も攻撃力も、無いに等しかった。どの国の戦車と戦っても、必ず負ける戦車であった。

 そして氏は、陸軍の上層部への非難と攻撃を始めます。

  ・陸軍の技術本部は専門家だけに、世界中の戦車を知っており、もっと長い砲と、もっと強い防御力を持たなければ戦車を持つに値しないと、いろんな設計図を参謀本部へ持って行ったが、戦車出身の幹部が一人もいなかったから、戦車を使う近代戦を知らなかったらしい。

 参謀本部の幹部は、戦車であればいいじゃないか、防御鋼板の薄さは大和魂で補うと答えた言います。ここから氏の極論が始まります。

  ・政治好きで気違いそのままの、政治的空想を持った陸軍軍人は、参謀本部に集まっていた。

  ・日本は超一流の軍事国家だと思っているこの連中が、この戦車を決めたのである。彼らの特徴は兵器開発にあたり、世界の水準よりやや弱いものを選ぶということだった。

  ・国際的な兵器の水準に自発的に遠慮をし、日本の兵器の攻撃力は卑小でいいという癖が、ずっとあったことは記憶されていい。

  ・手のつけようの無い侵略妄想の、この権力集団が、いざ兵器となると、技術本部を脅しあげてまで自己の卑小を守り続けたのは、

  ・財政の窮屈さという束縛があったからでなく、もともとこの権力集団が、いかに気が小さく、貧乏くさく、国際水準という白日の市場に、自分を晒すことを恐れていたか、

  ・むしろ極東の片隅で、卑小な兵器をこそこそと作り、それを重々しく軍事機密にし、世界に知られ無いようにする才覚の方へ逃げ込んだと見る方が、当時の日本の指導者心理を見る上で当たっているように思える。

 自分の無能を棚に上げ、ここまで批判を広げるのを知ると、唖然とします。ノモンハンの戦闘で、日本の戦車はおもちゃでしかなく、優秀なソ連の戦車に悲惨なほど撃滅されたとの話が続きますが、ノモンハンの戦闘結果は、前回のブログで報告した通りです。

 防御力の無いはずの日本の戦車が、たった30輌しか破壊されてい無いのに、ソ連の戦車は400輌破壊されています。攻撃力が無いと氏が酷評した日本の戦車にやられたのですから、何と言えば良いのか言葉を失います。

  本の紹介は十分の一も終わっていませんが、今回で終わりにします。もともと氏は、反日左翼のグローバリストのような性悪の人間でありませんので、深追いする気が湧いてきません。

 無断での引用ですが、「ねこ庭」を訪問された方のご意見を紹介いたします。

  ・司馬遼太郎さんを、さんざん酷評してしまいましたが、公正を期するため、司馬さんの主張で正しい部分も掲げておきます。

  ・そのひとつは、日本は「儒教文化圏」ではない、という主張ですね。

  ・まあこれは、別に司馬さんの独創的見解ではありませんけれども、司馬さんは繰り返し、日本が朝鮮中国のような、儒教文化圏にならなかったことは幸いだったと、おっしゃっています。確かに、それはその通りです。

  ・また司馬遼太郎さんは、幕末の勤皇派の志士の活躍や、明治維新の大業については、実に素直に肯定的に描写しておられ、満腔の賛意を表します。

  ・その点については、司馬作品は良書だと思いますね。

 私の気持はこの方と重なる部分が多くありますので、ご意見を紹介したところで、今回を最終回と決めました。

 八百万の神様がおられる日本ですから、司馬氏のような奇妙な人物も受け入れられているのでしょう。ついでに私も、八百万の神様に許容して頂ければ有難いと思います。

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『歴史と視点 』 - 2 ( どちらが政治発狂者か ? )

2019-02-26 13:42:30 | 徒然の記

 司馬氏の著書『歴史と視点』の、二回目です。本日は最初から、氏の極論を紹介します。

  ・軍閥にこの国を占領されてしまっていた、昭和10年前後以後の国家というものは、あれが国家だったかと思われるほどインチキくさい。

   ・例えば、日本海軍である。日本の海軍というのは、日本海海戦が基本となっており、侵略用の海軍でなく防衛用の海軍として作られ継承されてきた。

  ・かって、はるばる極東へやってくるバルチック艦隊を、日本近海で待ち伏せ、待ち伏せによってこれを覆滅したように、米国の大艦隊が日本近海にやってくるという設定のもとに艦隊を作った。

    ・遠洋決戦というものは、元来が不可能として作られており、さらには日本近海で主力決戦をしても、決戦は一度きりで二度できなかった。

 長い文章が続き冗長なので割愛し、結論だけを言いますと、もともと待ち伏せの日本海軍なのに、北のアリョーシャンから、西の東シナ海、南の東南アジア、インド洋まで、軍艦をばらまくような作戦は金輪際不可能なのに、海軍は陸軍にそれを言わなかった。

  これがそもそも問題だったと、氏は断定します。

  ・もし太平洋戦争を起こす前に、海軍が陸軍に実態を正直に打ち明けていれば、既に陸軍の参謀が、軍人である前に政治発狂者になっていたとはいえ、あの常識では考えられない多方面作戦、大風に灰を撒いたというような、いわば世界史に類のない国家的愚行を思いとどまったであろう。

 昭和55年の出版ですから、売れっ子作家の氏がここまで海軍と陸軍を叩けば、反日左翼の人間たちが、喜んだことでしょう。

 「日本だけが間違っていた。」「日本が、悪い戦争をした張本人だ。」と、東京裁判史観が日本中を席巻していましたから、多くの国民も日本軍をそのように思ったのかも知れません。

 氏の叙述は、寄席の舞台で面白おかしく客を喜ばせる、講釈師の話と似ています。なぜ日本軍は国の存亡を賭け、戦わずにおれなかったのか。米国からハルノートを突きつけられ、座して自滅するか戦って破滅するかと、その選択を迫られていた大切な事実を語りません。

 氏の目的は、日本の海軍と陸軍を批判し、攻撃し、罵倒することにしかないのでしょうか。氏が日本を愛する作家なら、醜い批判を並べる前に、語るべき事実がいくらでもあります。

 なぜか氏は、個人的、生理的に、乃木大将を嫌悪していました。同様に氏は、個人的、生理的に、日本軍と軍人を嫌悪しています。この二つを語るとき氏は理性を失い、偏見の塊となり、一面の事実でしかないものを全てでもあるように説明します。

 次の叙述はどれほどの裏づけをもって語っているのか、疑問を感じつつ読みました。息子たちに言います。長くても、我慢して読みなさい。大作家と言われる氏の驚くべき偏見と、根拠の乏しいこの主張を。

   ・日露戦争の頃の日本陸軍の装備は、世界の準一流で、第一次世界大戦以後、日本陸軍のそれは第三流であり、第二次世界大戦のころには、信じられないほどのことだが、日露戦争時代の装備にほんの毛の生えた程度のものでしかなかった。

  ・その装備は、満州の馬賊を追っかけているのが似合いで、よく言われる、軍国主義国家などといったような内容のものでなかった。

 どういう資料を根拠に、このような断定をしているのか、私の知る書物の情報と違っています。聞くところによると氏は、昭和時代の事実を調べる際、昭和を否定する文献や、昭和を憎む人物の証言を大きく取り上げていたそうです。

 これは私が嫌悪する反日左翼の学者、今日の言い方をすれば、反日グローバリズムの学者と同じ手法です。過去の文献や著名人の証言に基づいているため、全くの嘘でないが、結局は偏見と捏造の主張ということです。

  ・このことは、昭和14年のノモンハンでの対ソ戦の完敗によって、骨身に沁みて分かったはずであるのに、その惨烈な敗北を、国民にも相棒の海軍にも知らせていなかった。

  ・その陸軍が強引に押し切って、ノモンハンからわずか2年後に、米国と英国に宣戦布告しているのである。

  ・こういう愚行ができるのは、集団的、政治的発狂者以外にありうるだろうか。

 この一文を読んだとき、氏への嫌悪感は軽蔑へと変じました。もう一度、息子たちに言います。昭和55年に氏の著作が出版された時、反日グローバリストたちは、手を叩いて喜んだはずです。

 「バカな軍人が、無謀な戦争へ走った。」「国を破滅させたのは、頭に血が上った軍人だ。」と、氏は反日左翼学者や活動家を支援したようなものです。

 氏への反論として、昨日別途に探した情報を紹介します。

  ・ノモンハン事件は、第一次 ( 昭和14年5月から6月にかけて ) と、第二次 ( 同年7月から9月にかけて ) の、二期に分かれます。

  ・これについてはつい最近まで、ノモンハンでのソ連軍は統制が行き届き、高い技術を用いた最新兵器のため、戦闘による損害は軽微だったと言われてきました。

  ・しかしソ連が崩壊し、多くの文献が明らかになるにつれ、実はソ連軍の損害は、日本軍とは比較にならないほど大きかったことが分かってきました。

 ソ 連  〉・・ 死傷者数・・ 少なくとも25,655名、

           戦車等の装甲車両400両、航空機350機が破壊された。

 〈 日 本 〉・・ 死傷者数・・ 少なくとも18,000名 多く見積もれば23,000名

                        戦車30両、航空機180機が破壊

   ・つまり日本軍は、言われているほど惨敗したわけではなく、苦しみながらも相当健闘したことが窺えるのです。

 事実が判明したのは、平成3年のソ連崩壊後ですから、 『歴史と視点』出版当時は分からなかった事実です。しかし氏が亡くなったのは平成8年ですから、この事実を知らないはずがありません。

 自分の名前を大事にする作家なら、事実判明の時点で読者へ謝罪し、著書を絶版にすると「ねこ庭」では考えます。ついでに、バカにした陸海軍にも謝罪してもらいたいのですが、軍のない日本なので今となっては無理な話です。

 神がかりで、無謀をした軍人がいたのも事実でしょうが、十把一絡げの誹謗・中傷してはダメです。英霊として感謝すべき軍人が存在するのですから、こんな書き方は許されません。

 本の紹介を止めようかという気になりますが、まだ21ページです。

 間違った資料で日本軍を罵るという氏を、見過ごせません。このままにしていると、「暴走した陸軍」「国を破滅させた、軍国主義者たち」と、東京裁判史観の間違いが拡大されます。

 息子や孫たちのことを思えば、悪書を放置してはなりませんので、もう少し頑張ろうと思います。

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『歴史と視点 』 ( 司馬遼太郎の不均衡な精神世界 )

2019-02-25 20:59:29 | 徒然の記

 司馬遼太郎氏著『歴史と視点』( 昭和55年刊 新潮文庫 )を、読了。

 40代の頃、『坂の上の雲』を読んで以来氏の小説に魅かされ、ほとんどの作品を読みました。歴史の中の人物を、生き生きと描く平易な文章にも魅力がありました。『坂の上の雲』で、乃木大将を酷評しているのが気にかかりましたが、そんな見方もあるのだろうと読み過ごしました。

 今回はテーマに入る前に、昔の記憶を少し述べたいと思います。省略すると、著作への適切な紹介が出来なくなると、思えてきたからです。

 全体として氏の作品に好感を抱き、楽しんでもきました。

 その例外が、『坂の上の雲』における乃木将軍への酷評でした。謹厳実直な軍人として語り継がれ、学習院の院長の時は、学生だった昭和天皇に仕えた好人物として知られています。その将軍をなぜここまで悪し様に語るのかと、疑問がありました。

 次に『殉死』と言う氏の作品を、読みました。乃木将軍が崩御された明治天皇の後を追い、夫人と共に殉死した様子を小説にしたものです。

 将軍がまだ下士官だった頃、西南戦争に出陣した時、熊本県の八代で大切な軍旗を失くしたそうです。切腹ものだったのに、明治天皇が責任を不問にされ、以来氏はおそれかしこみ、明治天皇へ格別の思いを抱きます。

 大恩のある陛下が亡くなられたのですから、明治時代の軍人である氏が殉死したとしても、うなづけるものがありました。この時も司馬氏は、作品の中で散々将軍を批判しました。世間に見せるための演技ではないかと、卑しい言葉で殉死を語っていました。

 私はこの時、初めて氏の作品を嫌悪しました。

 それから『竜馬が行く』『翔ぶが如く』と氏の作品を読み、嫌悪したことを忘れていました。今回『歴史と視点』を読み、優れた作家である司馬氏にも欠陥があるのではないかと、複雑な気持ちになりました。

 日本の歴史を広く知り、軽妙な叙述で読者を楽しませてくれる氏が、ある部分に来ると偏狭になってしまう、不思議な事実を見つけました。

 『歴史と視点』は小説でなく、副題が「私の雑記帖」となっていますから、氏の思いが綴られています。小説が観客に見せる舞台だとすれば、雑記帖はその舞台裏、あるいは作者の素顔だろう考えています。

 これまで「ねこ庭」でバカのひとつ覚えのように使ってきた、「反日左翼」という物差しで測れば、氏は保守の作家に入ります。

 ところが氏はこの著書 ( 『歴史と視点』) で「昭和の軍人」を、乃木将軍と同様に酷評します。軍人ばかりか、「戦前の昭和」を罵倒し否定します。ここで過去の作品に抱いた疑問を思い出し、司馬氏という人物に疑問符をつけました。

 「氏は作家として、致命的な欠陥を持っているのではないか。」

 作品名になっている「歴史」も「視点」も、重要視する気持が薄れました。大家と言われる作家は、主義主張に一本筋が通っています。私のような凡俗は、折々の感情に左右され、人物の評価に偏見が先に立ちます。

 素晴らしい作家と世間で言われ、多くの読者を持っている人物が、突然極端な思い込みや偏見で文を綴るとしたら、不均衡な精神を持つ人間と考えざるを得なくなります。

 どうやら自分は氏を過大評価していたようだと、考え直しています。定期購読していた朝日新聞に失望した時に比べれば、度合いが小さいのでまだ救われます。たった227ページの文庫本ですが、氏の全作品を無価値にする不思議な本でした。氏への好感や敬意が、浜辺から戻る波のように一気に引いていくという珍しい経験でもあります。

 18ページの文章を紹介します。つまり私は氏の著書の最初から幻滅したのです。

  ・近代国家というのは、実に国家が重い。」

  ・庶民の長い生き死にの歴史から言えば、明治というのは途方も無い怪物の出現時代であり、その怪物に出くわした以上は、もはや逃げようがなかった。

  ・西洋人もこれをやっているのだという国家の文明活動として徴兵され、その巨大な怪物を、兵士の一人一人が背負わされた。

  ・押しつぶされて死ぬまで歩き、走り、銃を撃つのである。

 これが司馬氏の、明治時代観です。ここには日本の歴史がありません。幕末の志士たちの活躍をあれほど生き生きと描いた氏が、日本の過去に無知だったとは、思いもよらぬことでした。

  泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)

       たつた四杯で夜も眠れず

  ペリー来航時に巷で流行った、有名な狂歌です。鎖国していても、将軍以下幕末の指導者たちは、海外の事情に無知だったのではありません。欧米列強がアジアの国々を植民地にし富を奪っていることを、長崎出島のオランダ人を通じて、つぶさに知っていました。

 欧米諸国への警戒心と危機意識を常に持っていたから、ぺリーが軍艦で浦賀に入港した時、上へ下への大騒ぎになりました。

 教科書では、ペリーの来航を友好的なものという書き方をしていますが、実際は武力による恫喝でした。以後列強と屈辱的な不平等条約を結ばされ、開港したした港には、各国の治外法権の地域ができました。

 幕府はもちろん、京都の天皇も列強を嫌悪し「攘夷」思想を共有していますが、武力と国力の差があり過ぎました。薩摩も長州も、英国の軍隊に散々やられました。

 このままでは列強に侵略されるというと恐怖から、「富国強兵」を決意し、明治維新につながります。こうして生まれた明治国家は、氏が言うような「途方もない怪物」であるはずがありません。まして「庶民を押しつぶし、死ぬまで歩かせるだけの国家」であろうはずがありません。

 以前に「ねこ庭」で読んだ、林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」を思い出しました。薩摩・長州が敗北した幕末の戦い以来、日本の指導者たちは、西欧との戦争を覚悟し、懸命に近代化を進めます。アジアの小国である日本が、列強の植民地化をはね返すためどれほどの苦労を重ねてきたか。 

 林氏の著作には、日本の歴史が語られていますが、司馬氏の意見には日本の過去が欠落し、明治時代への理解が寄席の講釈師に似た軽薄さで語られます。

 息子たちが司馬氏の著作を読んでいるのかどうか、有名な作家なのでこれから読むのかもしれません。息子たちのためと批判してきた反日左翼学者の本とは異なりますが、ここまで日本の歴史を「自分の思い込み」で酷評するのでは、悪書として紹介せねばなりません。

 本日は、スペースの関係でここまでとし、次回から具体的に述べます。訪問される方々の中に司馬氏のファンのがおられたらスルーしてください。

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無国籍志向か、自国への愛か

2019-02-23 22:52:00 | 徒然の記

 昨日、久しぶりにチャンネル桜の動画を見ました。安倍総理を支持してきた水島氏が、総理と距離を置き始めた番組でした。

 1月26日付の「自民党とは、いったい何だったのか。」という表題の討論番組です。「温故知新」で昔の本を読んでいる間に、世の流れが変わっていることを知らされました。

 一昨日まで政治と国民の思潮を、「右か、左か」で判断してきましたが、現在は「グローバリズムか、反グローバリズムか」で、世相を判断する時になっているようでした。

 今日の日本を国際社会の中で捉えた時、「右か、左か」より、「グローバリズムか反グローバリズムか」で判断する方が、より適切に理解できる気がしてきました。

 この横文字を私なりの言葉で表現しますと、次のようになります。

 〈 グローバリズム 〉

  国を無視し、企業、組織、個人の利益を追求する社会

  強いものが勝ち、弱いものが淘汰される弱肉強食の世界

  利益を追求するためなら、人も物も金も国境を越えて移動させる社会

  国家が消滅し、民族が混在し、国の伝統や文化が消滅した無国籍社会 

  〈 反グローバリズム 〉

  自分たちの国の、歴史や伝統、文化を大切にする自国優先社会

  異なった国同士が、共生しようと努力する世界

  弱肉強食でなく、国民全体の生活の安定と安全を考える社会

  力のある者だけが富を独占する格差を、否定する社会

 巨大な金融資本が国境を越えて荒らし回り、弱い国々の経済を破綻させたリーマンショックを思い出せば、グローバリズムが多くの人々を不幸にした現実が理解できます。

 企業家は左翼思想では資本家階級と呼ばれ、資本主義体制を支える元凶と位置づけられます。資本主義体制で野放しにされた彼らは、利益を追求するため、やがてグローバリズム勢力となります。

 かって社会主義国家ソ連は、共産党の独裁国家を世界に広めようとして、自国の宗教も文化も伝統も破壊しました。反対する周辺国を軍事力で制圧し、自分の衛星国にしました。

 そっくり同じことを、中国がしています。彼らはマルクス主義というより、中華思想による漢民族の帝国を建設しようとしています。共産党の独裁によるこのやり方は、グローバリズムそのものです。

 従来の左翼主義思想では対立する左右の勢力だったものが、現在の国際社会では、「似た者同士」になっているということです。

 アメリカはむしろグローバリズムの本家であり、米国の金融資本が世界の市場を席巻し、巨大な利益を手にしてきました。

 トランプ大統領の登場が、この流れを変えつつあります。日本の中で反日・左翼が、国の歴史を守る保守と激しく対立しているように、アメリカには、グローバリズム勢力と反グローバリズム勢力が競り合っていました。

 それがトランプ大統領の出現で、やっと目に見えてきました。

 「アメリカ第一」「アメリカを優先する」という、トランプ氏の言葉は、「グローバリズム勢力」への、宣戦布告でした。

 氏は常識を超えた言動で世界をかき回していますが、彼を知るほどに注目せずにおれなくなりました。

 トランプ大統領を登場させた原因は、赤い中国です。ニクソン大統領以降、ブッシュ、クリントン、オバマと、親中派の大統領が続きました。彼らは、冷戦の対決相手だったソ連を、潰すため、中国を支援し利用しました。

 日本にも協力させ、中国の経済発展と軍事力の強化を支援しました。

 めでたくソ連を崩壊させましたが、中国はソ連以上に厄介な国となりました。軍事力を格段に増強しただけでなく、独裁国家ですから、中国の金融資本は、米国の巨大金融資本に対抗する規模と力を持つようになりました。

 米国に育てられた恩義を忘れ、太平洋を中国とアメリカで二分して支配しようと、尊大な提案までしてきました。

 米国の中で大人しくしていた「反グローバリズム」勢力が危機感を抱き、ついには米国の「グローバリズム」勢力も、中国への危機感を共有するようになりました。

 「グローバリズムは世界を混乱させ、一部の巨大資本を富ませるだけで、国民の幸福をもたらさない。」

 米国の指導者たちがこの認識でまとまりつつあり、それを可能にしたのが、「中国への危機感と嫌悪」だと言います。

 対立していた共和党と民主党が、対中国ではまとまっているというのですから、アメリカも変われば変わるものです。

  ・私は自分では保守政治家だと自負していますが、総理の北方領土返還交渉につきましては危惧しています。

  ・四島が不法に占拠されているのは、歴史的事実であり、これを言わずに交渉をするというのでは、将来の日本のため禍根を残すことになります。

 先日の国会で、前原誠司氏が安倍総理を詰問していました。氏が保守政治家だと一度も考えたことがありませんでしたので、耳を疑いました。

 しかしどうでしょう。安倍総理は移民法を成立させ、漁業、農業という基幹産業を外国資本へ開いています。中国に北海道の土地を買わせ、韓国に対馬の土地を買わせ、グローバリズムの政策を進めている総理は、国を滅ぼそうとする「グローバリスト」ではないでしょうか。

 「戦後レジームからの脱却」という約束は、どこへ行ったのか。とても保守政治家と言えません。

 これに前原氏が反対し、国の将来を憂えるというのですから、氏が保守政治家と自称しても、この点だけは納得できます。保守政治家と信頼してきた菅官房長官が、「アイヌ新法」を推進し、国内不和の種を蒔いており、反日・左翼との区別がつかなくなりました。

 アメリカだけでなく日本も、「左右の対立」が過去のものとなり、「グローバリズムか、反グローバリズムか」で、政治家を判断する時が来たのではないかと考えます。

 グローバリストは、自分の国や国民を、大切にしない政策を優先するのですから、たとえ自民党に在籍していても、そのような議員は、「国を愛する保守政治家」ではありません。この理屈で行けば野党に属していても、反グローバリストの議員は、「国を愛する保守政治家」ということになるのでしょうか。

 何時だったか、中国や韓国が、日本で土地を大量購入している件につき、民主党の田嶋要氏が危機感を持ち、どうにかならないのかと、国会で質問していたことがありました。

 この時、対応が難しいと答弁していたのは、自民党の副大臣でした。今にして思えば、田嶋氏はこの点に関しては、「国を愛する保守政治家」だったということになります。

  チャンネル桜の動画を、久しぶりに見ましたが、政界はこれから大きな変動が来ると、そんな気になりました。「グローバリズムか、反グローバリズムか」で、政治家を判断する方が、今後は妥当ではないのかと思えてきました。

 ただし「反グローバリズム」という基準を徹底することになれば、野党議員は、反日左翼思考を捨てなければなりません。

 昨日動画を観たばかりのため、まだ頭の整理ができていませんので、明日から、じっくりと考えてみようと思います。

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不思議な保守の人

2019-02-22 21:04:57 | 徒然の記

 保守と自称する人物の中に、奇妙な思い違いをしている人がいます。

  ・日本はアメリカの属国で、自主独立していない、こんな状態にしたのは自民党だから、自民党は嘘つき政党だ。

  ・ご先祖様は、こんな日本をきっと嘆いているだろう。韓国を嘘つきだというが、自民党も嘘つきだから同類でないか。

 ・・と、こんな主張です。ならば、自称保守氏はどの政党に投票するのかと、不思議に思いますが、それについては何も語りません。

 自主独立できない原因が憲法にあり、自国を守る軍隊がないからだと、私はこれが保守の常識と思うのですが、自称保守氏は違う意見です。

  ・国の安全保障は、戦争だけではない。

  ・日本のように災害の多い国では、災害から国民を守るため、自衛隊は国土防災隊で良い。

  ・国民の意識は、軍隊など考えていない。」・・これが、自称保守氏の意見です。

 かと思えば、「安倍内閣の移民法は、国を滅ぼす。絶対に、許してはならない。」と、正論らしいことを言います。

  ・日本の独立のためには、日米安全保障条約の即時廃棄だ。そうすれば、日本は独立国になれる。・・このような現実無視の安保廃止論を、本物の保守がするのでしょうか。

  ・韓国と日本は、同じような言葉を使っても言葉の意味が違う。韓国の立場に立って、真剣に話し合いをすべきだ。

 日本の立場を何も考えない韓国の擁護など・・、しかも、この意見を賞賛する者がいるという不思議な事実を発見いたしました。

 自民党と安倍総理を散々けなし、安倍総理を支持する者は「安倍信者」と、バカにします。ならば、どの政党の、どの議員を支持するのかと聞きたくなりますが、答えは無しです。

 野党でもない、与党でもない、しかも棄権する者はダメな国民だと言いますから、この自称保守氏は、自分では選挙の投票をどうしているのでしよう。

  ・自民党を支持したり、野党を支持してみたり、腰の定まらない無党派層は日本をダメにする。

 無党派層ではありませんが、かって民主党に投票し政権獲得に寄与したことがあります。金に汚染され、腐敗に首まで浸かり、国民を忘れた自民党だったからですが、自称保守氏は、当時はどうしていたのでしょう。

 自分は何も悩まず苦しみもせず、自分以外の全てを批判し、文句を言い、対策を示さず、こんな保守は反日・野党とどこが違うのでしょう。こうしたピント外れの人物に出会っても、何時もなら無視するのですが、本日は腹の虫が収まらなくなり、つい取り上げました。

 息子たちに言います。お前たちはブログを作らず、日本も語りませんが、自称保守氏の「保守ブログ」に比べれば、恥をさらさないだけ立派だと思います。父もこのようなブログには、決してコメントを入れません。

 支離滅裂な主張を黙認している、本物の保守日本人の寛容さに、ただ驚くばかりです。

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『素顔の昭和 ( 戦後 ) 『- 7 ( 戸川氏の代弁者として、息子たちへ )

2019-02-20 07:06:30 | 徒然の記

 第7回目の『昭和の素顔』です。294ページから、氏の説明を紹介します。

  ・この数年にわたる間に、社会と個人の生活のあり方にも、ある変化が生じたことは見逃せない。

  ・高度成長期にはテレビのコマーシャル、新聞、雑誌などのPRが、消費を大いに煽った。

  ・使い捨ての時代、消費は美徳、消費者は王様というのが、社会通念化されていた。

  ・それが昭和48年のオイルショック以降、社会も個人も節約の時代へと、移行し始めたのである。

  ・加えて物価の上昇が、大衆の購買力を鈍化させたことも、否定できないところであった。

  ・しかしこのような経済状況の下に、ロッキード事件、金嬉老事件、三億円事件、成田闘争など、騒然たる場面が展開されながらも、社会総体としての生活、個人の生活は、高度成長期の水準を下回ることはなかった。

  ・消費を抑えながらも、依然ある種の贅沢さを維持していた。

    ・主要都市の開発も着々と進み、49年の10月には、新宿に地上55階・地下3階で、高さ日本一の209メートルという三井ビルが完成をみた。

  ・新宿、渋谷、池袋など、副都心開発の計画に沿い、続々と高層ビルが建設されていく様相は、高度成長期時代と変わるところはなかった。

 反日左翼の評論家なら、おそらくこのような説明はしません。

  ・日本経済の先行きは真っ暗になり、貧富の差が激しさを増し、金持ちだけが優遇されていた。

  ・貧しい人間を見殺しにし、富める者に益々寄り添う自民党の政治が、大きく揺らいできた。

  ・・と不安を煽り、読者を暗い気持ちにさせる文章になった気がします。

 すらすらとこんな文章が浮かぶというのは、反日左翼の本を、うんざりするほど読んできたからです。教条的な彼らの主張は、決まり文句が並ぶだけで、戸川氏の一行にも及びません。

 反日左翼のマスコミは国民の多数を無視し、常に少数の人間に焦点を当てます。国民の一部でしかない過激な左翼主義者、過激な男女平等論者、過激な同性愛論者などの意見を、常識であるかのように報道し、社会の秩序と家族を崩壊させていきます。

 しかし物言わぬ多数である国民が、反日左翼の横暴に怒ったとき、社会がどのように変化したかを氏の著作が教えます。

  ・こうした不況の中で総評の打つストも、そのありかたを変えざるを得なくなってきた。

  ・恒例の春闘のうち公労法違反の国鉄ストに対して、大衆の批判と激怒が、不況とともに上昇してきたせいもある。

  ・昭和48年1月10日高崎線上尾駅では、通勤の乗客たち100人が、止まったている電車と駅の窓を破り駅長室に乱入した。

  ・同様な事件が各地で起こり、4月24日になると、統一ストに怒った大衆はその夜、上野、赤羽など38駅を占拠し、破壊・放火する始末であった。

  ・昭和50年11月に、公労協がスト権奪還ストに突入し、国鉄全線がストップとなり、郵便、電信・電話が拠点ストを打った。

  ・しかし世論の大勢は、親方日の丸の公共企業体労働組合のストに、支持を与えなかった。

  ・巨大な赤字を抱えながら、労組がストを打つやり方に世論が反発し、中小企業や農協の一部などから、国鉄ストで被った損害賠償請求などの動きが発生し始めた。

  ・昭和50年代に入ると、国鉄民営移管の声が出はじめた。

 東京都の美濃部知事を筆頭に、横浜市長、京都府知事、神奈川県知事と、革新首長が並んでいましたが、昭和53年の選挙で、横浜市長と京都府知事が敗れ、社会党と共産党が敗退し、左翼勢力が低落を見せはじめました。

 「ねこ庭」の過去記事でも述べましたが、反日左翼の過激派が凋落した理由は、「国民の支持」と「世論の動向」が変化したからです。

 強調したいのは、「和を尊び、やわらぎを尊いものとする「庶民の意思」が示されたという事実です。

 途中沢山の氏の意見を割愛しましたが、著作の主要部分は紹介できたと満足しています。息子たちのため、「ねこ庭」で氏の意見を代弁してみようと思います。

 ・少数者の意見を無視してはいけませんが、民主主義社会の原則は、最大多数の最大幸福ですから、多数決で物事が決められます。

 ・議員の選挙もそうですし、政権を担う政党も議員数で決められます。多数を占める人間の意見を集約し、社会の平和と秩序を守るのが民主主義社会です。

 ・一部の意見を殊更に取り上げ、針小棒大に騒ぐのは反日左翼の常道です。

 ・彼らは騒ぎを大きくし、国民を混乱させ、社会の騒擾と破壊を狙っているだけで対案は持っていません。

 ・対策は、共産党政権を作り自由な意見をなくす、国民弾圧の独裁政権を作ることです。

 ・数におごり、国民の負託の意味を取り違えている自民党の政治家にも、国民は、無条件の支持を与えているのではありません。

 ・右でも左でも、国を愛する心のない政治家、学者、活動家は、いずれ国民に見放され支持を失います。大切なのは、愛国心です。

 戸川氏の著書の紹介を、本日で終わります。息子たちがいつ読んでくれるのか。自分の死んだ後だろうと思いますが、それでも良しとします。

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『素顔の昭和 ( 戦後 ) 』- 6 ( 原因の一つは、進歩的教授たちの扇動 )

2019-02-19 15:25:41 | 徒然の記

 昨年の12月に、佐々淳行氏の『彼らが日本を滅す』を読みましたが、これは民主党政権を糾弾する著作でした。

 戸川氏も、佐々氏もすでに亡くなっていますので、二冊の本を両氏の遺書受け止め、大切に読んでいます。学生運動の真っ只中で、機動隊の指揮をしていたのが佐々氏でした。横道へ逸れますが参考のため、再度氏の経歴を、紹介します。

  「昭和5年に東京で生まれ、平成30年10月に逝去。」

 「昭和29年東大卒業後、国家地方警察本部 ( 現警察庁 ) に入庁。」

 「入庁後は、主に警備警察の分野を歩み、」「昭和35年代から、昭和45年代の東大安田講堂事件、浅間山荘事件、ひめゆりの塔事件など、数多くの学生運動や、新左翼のテロに対する、警備指揮をした。」

 『彼らが日本を滅す』と、氏が著作の表題にしている彼らとは、学生運動家たちのことです。戸川氏は、単に学生活動家と書いていますが、佐々氏の著作では実名が述べられています。氏は民主党内の四人組として、菅直人、仙谷由人、岡田克也、枝野幸男各氏を挙げていました。

  浅間山荘事件で、佐々氏は大事な部下二名を学生の銃弾で失っただけでなく、多数の警官を負傷させられています。指揮官だった氏は、過激派学生が作った民主党内閣が許せなかったのだと思います。
 
 鳩山総理の後を継いだ菅内閣に関する、氏の意見を紹介します。
 
  ・鳩山総理の後継になったのは、市民運動家出身の菅直人氏。官房長官には、人権派弁護士だった仙谷由人氏。共にかって学生活動家であった二人が継いだ。
 
  ・組織防衛上の危機管理原則は、腐ったリンゴは樽から出せだ。
 
 ・しかしながら鳩山、小沢、岡田、菅、仙谷、枝野と、自らが、揃いも揃って腐ったリンゴだから、樽から出しようがないのである。
 
 回り道をしましたが佐々氏の著作を頭に入れ、戸川氏の本へ戻ります。
 
  ・全学連は、総評やベ平連のベトナム戦争反対運動に乗じて、その暴力闘争をエスカレートさせた。
 
  ・それは昭和41年5月の、アメリカ原子力潜水艦の横須賀入港反対デモ、米潜水艦シードラゴン入港反対デモなどに示されている。
 
  ・彼らの反対運動は昭和43年1月の、エンタープライズの佐世保入港反対に至って最高潮に達した。
 
  ・市内では早朝から、賛否両派の海上パレード、デモがあり、「防衛意識高揚」「核基地化・ベトナム戦争反対」と、相対するスローガンが街にあふれた。
 
 全学連は佐世保港で警官隊と衝突するだけでなく、各地で騒ぎを起こしました。氏の詳細な説明を割愛し、事実だけを紹介します。
 
  1. 霞が関の外務省に乱入、89人が逮捕された。
 
  2. 社会党、共産党に合流し、佐世保の米軍基地に乱入、負傷者160名を出した。
 
  3. 東京・王子の米軍野戦病院に暴力的デモをし、350人逮捕、300人負傷、市民1人の死者を出した。
 
  4. 反日共系の全学連各派が、暴動により、山手線、中央線、総武線などをストップさせ、市民ら300人の負傷者、144名が逮捕された。
 
  5. 首相官邸に乱入しり、404人が逮捕された。
 
  6. 反日共系の全学連各派が、野次馬とともに新宿駅に乱入占拠。734名が逮捕、警官隊と双方に、140名の負傷者。
 
  7. 沖縄返還交渉のため渡米する愛知外相に反対し、羽田で警官隊と衝突、350名が逮捕。
 
  8. 伊東で開催された、ASPAC会議に押しかけ乱闘、440名が逮捕された。
 
  9. 成田空港阻止闘争は、日共系全学連が反対派農民と組み、反戦労働者達と組織化。彼らは運動を政治化、暴力化の方向へ進めた。
 
 どの事件もテレビが映像で流し、新聞が大見出しで報道しましたから、多くの人が記憶していると思います。事件を検証してみますと、学生運動が政党や労働組合と連携して動いているのが分かります。
 
 政治家からの情報がなければ、原子力空母の正確な入港日時や、自民党政治家の訪米日程など、学生たちに入手できるはずがありません。
 
 学生運動の指導者の多くは、佐々氏が語るように危険なデモの先頭に立たず、安全な場所から指示を出しています。純粋で真面目一筋の学生たちが、要領の良い者に利用される事実も判明しています。
 
 過激な学生運動も、昭和44年の大菩薩峠での軍事訓練や、浅間山荘の立てこもり事件で国民の支持を失います。
 
 ネットで別途調べた、事件の説明を紹介します

  ・これら内ゲバや、赤軍派に代表される、爆弾や銃による武装のエスカレート、連合赤軍内での12名のリンチ殺人事件(山岳ベース事件)などが発覚したことで、学生運動は急速にその支持を失っていく。

  ・さらに昭和47年の沖縄返還などにより、日本人の反米感情が薄れ、日本社会が豊かになるにつれ学生たちは、潮が引くように学生運動から遠のいていった。

 これが、第二次の学生運動の推移ですが、ここで氏が大事な指摘をしています。学生運動の総括として、息子たちに紹介します。

  ・これまでの大学紛争が、収集のつかないまま長期化していた一つの原因は、いわゆる進歩的教授たちの扇動、あるいは、無力な教授たちの傍観にあった。

 いわゆる進歩的教授たちについて、「ねこ庭」では『変節した学者たち』として取り上げました。「無力な教授たち」は、「無力な一般学生」と置き換えて見れば理解できます。

 しかしこれらの人々は腐っても鯛、腐っても大学教授ですから、一般学生と同様には許容してはいけません。

 明日の日本のためには、反日左翼教授や学者に厳しく臨むことが大事です。反日左翼のマスコミは、未だにこうした教授や学者たちを、「進歩的」「リベラル」と褒め言葉で紹介しています。

 ですから私たち国民は、気を緩めてはなりません。

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『素顔の昭和 ( 戦後 )』 - 5 ( 学生運動を利用している者たち )

2019-02-18 22:55:35 | 徒然の記

 『素顔の昭和』の第5回目、232ページです。学生運動の前半が終わり、後半になりました。

  ・高度成長とインフレ、公害が、矛盾、対立を孕みながら進行していた、昭和40年から44年は、一面では大学紛争と全学連騒動の5年間でもあった。

 一旦下火になった学生運動が、燎原の火のように、再び日本中の大学へ広がっていきました。昭和40年1月に起こった、慶応大学での授業料値上げ反対ストが最初でした。

 9月にはお茶の水女子大で学生寮管理規定反対ストが起こり、宇都宮大、東京学芸大、千葉大、山形大へと、波及していきます。

  ・学園紛争の動機は授業料、自治などの問題であったが、究極的には全学連のリードで、暴力的なイデオロギー闘争、政治闘争と化した。

  ・昭和41年になるとこの傾向はますます強く、1月22日に、早大で授業料値上げ反対ストが始まり、暴力化した学生は大学本部を占拠した。

  ・このままでは入学試験も行えない状態なので、学校当局は機動隊の出動を求めた。

 私はこの時、四年生でした。シリーズ三回目の「ねこ庭」で、クラスの仲間との言い争いを紹介しましたがこの時です。

  ・約2,500人の機動隊で早大を包囲して、本部を占拠するおよそ1,000人の学生を実力で排除し、退去させた。これで早大は機動隊の護衛のもとに、入学試験を実施することができた。

 今も変わらないと思いますが、当時の早稲田大学の学生数は4万人でした。本部を占拠したおよそ1,000人の学生が、活動家と言われる学生です。簡単に言いますと、残りの三万九千人が一般学生です。

 この騒動を通じて、私が学んだことは次の事実です。

 ・烏合の衆はいくら沢山いても、一握りの訓練された活動家には敵わない。

 左翼思想で団結しデモの手法を会得している彼らに、一般学生は引きずり回されるままでした。集会の場で違う意見を述べる者がいたら、壇上を占拠した彼らが、即座に大声で怒鳴り、威圧して黙らせてしまいます。数が多くても、組織化されていない一般学生は、個別に粉砕されると何もできなくなります。

 負けずに彼らとやり合っていると、一人になった帰り道で、ヘルメットと角材を手に顔を隠した彼らに容赦なくやられます。空手部にいた友人は、逆に彼らが分散し、二、三人になった時殴り倒していましたが、一般の学生にそのような真似はできません。

 目的のためなら、殺人も辞さない過激派の学生ですから、生半可な気持ちで立ち向かえる相手ではありません。彼らに立ち向かえるのは、格闘技で鍛錬した機動隊だけです。その隊員にも、過激派の学生は挑みます。

 彼らは人道的な平和主義者でなく、反対者をこの世から消す殺人者でもあります。だから私は反日左翼を嫌悪し、子供たちが騙されないように「ねこ庭」の発信を続けています。憎しみと対立を掻き立てるマルクスの思想は、八百万の神様がいる日本には合わない思想です。

 現在は総本山であったソ連が崩壊し、左翼社会主義の国は、中国と北朝鮮が有名です。この国は言論の自由を奪い、国民を弾圧する国家です。この恐ろしい国が理想だと言われ、本気にする人間が世界のどこにいるのでしょう。

 このまま進みますと横道ヘ外れますので、氏の著書へ戻ります。

 ・同じ時期の2月9日には横浜国大の学生がストを起こし、10月には明大でストが始まり、翌年の1月に学長を缶詰にする事態に至った。

 ・機動隊が出動して学長を救出したが、この年の9月に、法大で学生たちが総長を缶詰にし団交を始めた。ここでも警官が出動し、学生275人を逮捕している。

 ・学園紛争のピークは、昭和43年から44年であった。全国の大学379校のうち、104校で紛争が生じていた。

 煩雑になりますので詳細を割愛し、紛争校となった大学名を列挙します。

 中央大学、    東京大学 ( 安田講堂 )、

 京都大学、 九州大学、

 日本大学  電気通信大学

 東京教育大(現筑波大)、東洋大学と続きます。

 同じ大学でも異なる学部で紛争があるので、騒ぎの数は大学名より多くなっています。「学生運動の後半です」と言い、今回で終わる予定でしたがそうなりませんでした。

 残りを次回へ譲り、今回のまとめとして氏の説明を紹介しておきます。

  ・全学連の目的は、学園改革にあるのではなかった。

  ・日米安保条約の固定延長期限が切れ、一年ごとの自動延長に切り替わる昭和45年の6月に、安保を廃案に追い込み、革命を起こすことにあった。

  ・彼らはこれを70年安保闘争と称し火炎瓶方式をとり、棍棒を小銃・機関銃に変えるという構えであった。

 あの時なぜ、突然早大紛争が生じたのか。氏の著書で疑問が解けました。過激派左翼への危険性についての説明も、次回と致します。

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『素顔の昭和 ( 戦後 ) 』- 4 ( 民意に見放される、流血の学生運動 )

2019-02-17 19:38:04 | 徒然の記

 今回から、氏の力作『素顔の昭和(戦後)』に戻り、氏の著書より学生運動の記録を紹介します。

  昭和27年2月 ・・吉田内閣 

  ・東大ポポロ事件 観衆の中にいた私服警官に、学生が暴力を振るった。

 昭和27年2月 ・・吉田内閣 
  
  ・植民地闘争デーのデモ、学生120名が渋谷警察署を襲った。   
 
  昭和27年5月  ・・吉田内閣
 
  ・血のメーデー事件 使用禁止の皇居前広場に、都学連中心の学生200名が、朝鮮人、日雇い労務者が混じるデモ隊と合流し、警官隊と市街戦さながらの大乱闘をした。
 
  昭和30年9月    ・・鳩山内閣
 
  ・砂川基地反対闘争 学生たちは、地元住民や支援団体の6,000人と共に、2,000名の警官隊と衝突し流血の惨事となった。
 
  昭和35年1月    ・・岸内閣
 
  ・安保条約調印団の渡米に反対、羽田空港で、全学連の学生700人と警官2,000名が衝突した。
 
  昭和35年5月    ・・岸内閣   
 
  ・新安保強行採決、国会侵入を阻まれた学生200名が、首相官邸に乱入し流血の乱闘となった。
 
  昭和35年6月    ・・岸内閣  
 
  ・ハガチー事件 羽田空港で、ハガチー氏を出迎えたマッカーサー大使の車を、全学連と総評のデモ隊5,000人が取り囲み、車のガラス窓を叩き割るなどした。
      ハガチー氏一行は、米軍ヘリコプターで脱出した。
 
  昭和35年6月   ・・岸内閣  
 
  ・全学連7,000名国会構内に乱入、警官隊と大乱闘となる。第二回目の乱入時に、東大生華美智子が圧死した。
 
 昭和27年のポポロ事件以降、昭和35年の国会乱入までが、日本における第一回目の学生運動のピークでした。この時の事情について、氏の著作より紹介いたします。
 
  ・政府への反対運動が、暴力をエスカレートさせるに及んで、世論の矛先が反転した。
 
  ・岸内閣が退陣すると、世論は逆に社会党、共産党、総評と、全学連の行き過ぎに対し批判が高まった。
 
  ・朝日、毎日、読売、サンケイなど7紙が暴力を排し議会主義を守れと、共同宣言をしたのがそれであった。
 
 今は面影がありませんが、朝日と毎日も当時は社会の木鐸の役目を果たしていたということです。安保闘争後ブントが四分五裂し、全学連も分裂して学生運動が下火となりました。
 
   ・昭和45年頃までは、学生運動に共感を持つ人々も存在していた。
 
  ・この背景には、学生は世の中をよくするために身を挺して立ち上がっているという意識や、学生運動を若者のエネルギーの発露として、許容する空気が広く存在したことが挙げられる。
 
  ・権力側も一部には、学生運動をする学生たちを、左翼の国士と見るような風潮もあった。
 
  ・しかし内ゲバや武争のエスカレートなどで、市民の支持が徐々に失われていった。
 
 ヘルメットを被りゲバ棒と呼ばれる角材を手に、タオルで顔を隠した学生たちが見境もなく人を傷つけ、流血の騒ぎを繰り返す様子が、毎日テレビで報道されました。逃げ遅れた警官を角材でめった打ちにし、瀕死の重傷を負わせる様を見ていますと、これが人間のすることかと情けなくなりました。
 
 「和をもって、尊しとなす」と、聖徳太子の言われた日本には相応しくない流血騒ぎでした。二日前に見た動画で田中英道氏が、「和という文字の読み方は、やわらぎです。」と、説明していましたが、それならなおさら、学生たちの血なまぐさい乱闘は日本人の心に馴染みません。
 
 金儲けに目が眩み、働く者を酷使する経営者も同類ですが、和を忘れた過激な人間は日本では受け入れられません。
 
  「世論の矛先が反転した。」と、戸川氏が語り、「市民の支持が失われていった。」と説明していますが、これが「庶民の意思」です。現代風に言えば、「国民の意思」「世論の動向」「民意」という言葉になるのでしょう。
 
  息子たちに言います。過激な学生運動だったため新聞7紙が批判したと、そういう理解では不十分です。「国民の支持」「世論の動向」「民意」がそうなったからという、肝心な点を見過ごしてはなりません。
 
 言葉の表現はどうであっても、、国民の意思が大きな波となり津々浦々に広がれば、朝日も毎日も逆らえないという事実に注目して欲しいのです。
 
 ネトウヨと蔑称されても、ブログの世界で保守の人々が国民に訴え、明日を変えようと頑張っています。子供たちに送る「ねこ庭」のブログも、この中の一つとして小さな役目を果たしているはずです。
 
 明日は、日本における学生運動の第二回目のピークに関する、氏から教えを紹介することとします。
 
 北風の吹く、寒い一日でした。車に乗り、灯油を二缶 ( 36リットル )買ってきました。寒い日は誰もが同じ行動をしますから、売り場がとても混雑していました。
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