ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

1994年 世界は、 - 5 ( 北を称賛する4人の日本人 )

2020-08-31 17:01:45 | 徒然の記

 悲惨な北朝鮮の実情を、金賢姫が落合氏に語ります。戦後教育で育った息子たちには、彼女が説明する北朝鮮が理解できないはずです。そんな国が本当にあるのかと驚くのが、せいぜいでしょう。

 国民の自由を奪い弾圧し、気に入らなければ強制収容所へ送り、二度と戻れないにようにし、最後は殺してしまう。金一族が世襲で支配する北朝鮮は、中国と並ぶ国民弾圧の独裁国家です。

 そんな北朝鮮を賞賛してやまない日本人たちの言葉を、紹介しようと思います。金賢姫の話に驚く前に、現在の日本にはとんでもない馬鹿ものがいると、こっちの方に驚いてもらいたくなります。以前取り上げた事例なので、根気よく過去のブログを探し見つけました。

 息子たちが、戦後日本の狂気とも言える実情を理解してくれればと、そんな気持ちで探しました。

 〈 北朝鮮を賞賛してやまない日本人たち 〉

    1. 立命館大学名誉総長 末川博氏         ( 『 金日成伝記』への書評  )

  「人類のながい歴史のなかで、それぞれの民族や国家は、波瀾興亡をくりかえして きたが、」「現代における奇跡といってもよいほどに、驚異的な発展をとげて、」「栄光と勝利に輝いているのは、朝鮮民主主義人民共和国である。」

 「かって幾世紀かの間、内憂と外患のために苦しんできた朝鮮民族は、」「いま金日成首相を天日と仰いで、社会主義国家としての基本路線をまっしぐらにつきすすみ、」「 ゆるぎない基盤を築きあげている。」

  「まさに金日成首相は、百戦錬磨の偉大な政治家であるとともに、国際共産主義運動と労働運動の、卓越したリーダーである。」 「この伝記は、ありきたりの記録ではない。」

 「世界史上にもまれな、民族解放闘争を勝利へと導いた、」「人間金日成将軍の、感動あふれる一大叙事詩であり、」「輝かしい朝鮮 近代史であり、人類の良心とも希望ともいえる不滅の人間ドラマである。」 

 「朝鮮民主主義人民共和国こそ、立命館大学が理想とする国家である。」
                                                                

    2. 作家 小田実         ( 昭和60年、雑誌のインタビューで語った意見  ) 

   「北朝鮮には、あの悪夢のごとき税金がない。」「食料は、ほとんど完全に自給自足できる国だ。」

 「北朝鮮の社会を見ていると、それはあたかも働き者の一家で、」「みんなが懸命に働いていて、一家の頂に、" アポジ " (親父 )として、金日成さんがいる感じだ。」

 「北朝鮮は、ものすごい管理体制の中で蓄積したから、去年くらいから、ものすごく豊かになった。」「これから、韓国との差がものすごく出てくる。」

  税収無しで国家は成り立たないという、基本知識の無い氏は、北朝鮮が別の形で税を徴収していることに気づきませんでした。自給自足の国が、どうして生活必需品や食料品を、厳格な配給制度にしているかについても、疑問を抱きませんでした。国民圧政の欠片さえ感じ取れず、能天気な印象を述べています。

 
  3. 朝日新聞入江特派員   ( 昭和59年 北朝鮮から送った記事  )

 「北朝鮮の、経済建設のテンポはもの凄い。」「鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の、一人当たり生産高は、」「日本を凌ぐと政府は言っている。」「深夜の街で、酔っ払いなど一人も見かけない。」「深夜の道を歩いているのは、夜勤へと急ぐ労働者だけだ。」

 4. NHKの解説委員 寺尾五郎   ( 昭和33年  テレビでの解説 ) 

 「昭和61年になれば、一人当たり生産額で、北朝鮮が日本を抜くでしょう。」「日本が、東洋一の工業国だと自負していられるのは、」「せいぜい今年か、来年の内だけである。」

  今回も金賢姫のインタビューに触れないまま、スペースが無くなりました。次回は、彼女が語る北朝鮮を紹介します。日本人の学者、作家、朝日新聞特派員、NHK解説委員たちの愚かな意見と比較し、じっくりと読んでください。

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1994年 世界は、 - 4 (木村伊量とベンジャミン・ミルフォード)

2020-08-31 12:39:03 | 徒然の記

 落合氏が好意的インタビューの記事を書いたからと言って、取り立てて騒ぐことはないと、氏のため補足しておく必要があります。

 爆破事件から13年経った平成22年は、自民党に代わり民主党が政権に就き、菅内閣の時代でした。反日・左翼が政権を取ると、どういうことになるのか、これも息子たちのため、ブログに残しておきたいと思います。

 「2010 ( 平成22  ) 年7月20日早朝、日本国政府のチャーター機で、金賢姫の訪日が実現。」「21日、22日に、横田滋氏ら拉致被害者家族と面会し、23日に韓国へ帰国した。」

 「滞在の場所として、鳩山由紀夫前首相の軽井沢別荘が、警備上等の理由で選ばれている。」「政府は元来、死刑囚や懲役5年以上の刑を受けた外国人の、」「日本入国は、出入国管理及び難民認定法の規定で認めていないが、」「千葉景子法務大臣が、出入国管理及び難民認定法の12条特例条項を適用して日本入国を認め、」「日本警察も、旅券偽造による事情聴取を、今回の来日中は見送った。」

 「また、この訪日に対して、自民党、公明党等の野党から、」「超法規的措置判断での入国や、関越自動車道等の封鎖、」「ヘリコプターによる遊覧飛行などの、いわゆる要人待遇に、非難の声が強まっている。」

 「中井拉致担当大臣は、遊覧飛行は韓国側の要請によって行われた、」「と主張しているが、韓国国家情報院は、韓国から日本に要望した事実はないと否定している。」

 拉致被害者家族との面談をさせるという理由で、民主党政権は金賢姫を迎え入れ、下へも置かぬもてなしをしています。高速道路の封鎖や、ヘリコプターでの遊覧飛行など、何のためのサービスなのでしょう。田口八重子さんから日本語の教育を受けたとか、横田めぐみさんは生きていると、そんな話を聞き、拉致被害者家族は喜んだのでしょうが、問題の解決には何の役にも立っていません。

 反日・左翼の彼らは、野党である時は自民党を攻撃しますが、自分たちが政権を取ると、無節操なことを平気でやります。拉致問題の中心人物である辛光洙(シン・グァンス)の、助命嘆願をしたのと同じ流れで、日本人にとって凶悪犯罪者でも、「人権尊重」の美名のもとで、国賓待遇のもてなしをします。お人好し外交政策でしかなく、中身は何もありません。

 自民党と公明党が批判していますが、マスコミは民主党の側に立ち、もてなしの報道に熱をあげていました。これが事件発生から13年後の日本です。事件後6年の落合氏のインタビューが、好意的雰囲気で行われても不思議ではありません。当時の日本は、拉致問題より、日韓関係や日朝関係の方が重要だという風潮が強かったのです。

 今では誰も信じませんが、当時はまだ、日本マスコミ界のトップリーダーと呼ばれていた、朝日新聞との関係を語らなくては、息子たちへの説明が完成しません。書評と離れますが、全く無関係ではありません。敗戦以来、朝日新聞がやってきた情報操作が二つあり、それがみごとに結実したのが当時の世相です。

  1. 東京裁判史観による国民意識の煽動

  「日本だけが悪かった」「日本は中国や韓国を侵略し、植民地化した。」「日本は、アジア諸国に甚大な被害を、与えた。」と言う、反日報道の発信。

  2. 韓国慰安婦問題による国民意識の煽動

  ペテン師吉田清治の大ウソを利用し、「日本軍が、韓国女性を力ずくで慰安婦にした」「人権無視の奴隷扱いをし、彼女らの人生を踏みにじった。」と連日のような反日記事の発信。

  反日団体の日弁連が、この大ウソを国連に持ち込み、日本への糾弾活動をし、おかしげな少女像が世界の各地で作られるようになりました。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、知って欲しいのは次の事実です。

  1. 平成14 ( 2002  ) 年、小泉総理が訪朝した時、日本人を拉致したのは、自分たちであると、金正日自身が認めた。

   2. その事実を知りながら、平成22 ( 2010  ) 年、なぜ民主党政府は金賢姫を日本へ招き厚遇したのか。

 金正日が拉致を認めた時、朝日新聞の政治部長が署名記事で述べていました。

 「朝鮮半島の植民地支配を踏まえ、拉致問題は棚上げし、日朝国交正常化を進めるべきだ。」

 朝日新聞は社を挙げて日本の過去を糾弾し、責任の全てが日本にあると主張し、国民に「日本だけが悪かった」と思わせることに成功していました。東京裁判史観に基づく情報操作と、吉田清治の慰安婦の嘘を記事にし、日本人の悪行を世界中に拡散しました。

 拉致が北朝鮮の仕業と判明しても、反日野党は動揺せず、自民党でさえ拉致国民を奪還する動きをしなかった原因がここにあります。保守系の学者や国民の一部が、「慰安婦問題は、おかしい。」と反論しても、政治家が耳を傾けませんでした。そういう意見を、朝日新聞に代表される反日マミコミが黙殺しましたから、国民にも伝わりませんでした。

 平成26 ( 2014 )年の8月、朝日新聞社社長・木村伊量 ( ただかず ) 氏が、吉田清治の記事を間違いと認め、一連の記事を取り消すし、国民へ謝罪をしました。国民は、やっと朝日新聞の反日姿勢を理解し、不信感を抱きました。補足しておきますと、金正日が拉致を認めた時、署名記事を書いた当時の政治部長が木村伊量氏だったということです。

 私が名前を呼び捨てにする人間が、4人います。吉田清治、本多勝一、植村隆、田原惣一郎です。彼らは日本の歴史を汚しご先祖を足蹴にし、国民に苦痛を与えた人間です。本日ここに、新たに二人の人間を追加します。

 木村伊量 ( ただかず )とベンジャミン・ミルフォードです。

 肝心の金賢姫のインタビューに触れず仕舞いでしたが、いつものことなので、驚く人もいないでしょう。次回に、頑張ります。

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1994年 世界は、 - 3 ( 辛光洙の、「助命嘆願書」 )

2020-08-30 21:54:39 | 徒然の記

 氏の本は、金賢姫 ( キム・ヒョンヒ ) のインタビューから始まります。

 昭和62年竹下内閣の時、大韓航空機爆破事件がありました。乗客乗員115名全員が死亡し、蜂谷真一、蜂谷真由美という日本人の親子が、犯人として浮かび上がりました。

 現地バーレンで警察に逮捕される直前に、二人はタバコを吸うフリをして、服毒自殺を図ります。父親が死に、服毒自殺を阻止された娘が生き残り、それがこの、金賢姫でした。

 書評から離れますが、息子たちが事件を知らないはずなので説明することにしました。このような面倒なことをする理由は、落合氏のインタビュー記事に違和感を覚えたからです。

 「韓国、国家安全企画部要員の案内で、私はソウル市内の閑静な住宅地にある、一軒の家を訪れた。」「彼女は、居間の中央に置かれた円形のテーブルのそばに立ち、私を迎えてくれた。」「濃紺のワンピースに身を包み、手にハンカチを握っている。」「笑顔が、実に寂しそうだ。」

 「その時の印象は、それまで私が抱いていたイメージとは、だいぶ違っていた。」「事件のとき、バーレンからソウル金浦空港に連行され、」「安全部の係官に、抱えられるようにタラップを降りた時の彼女は、」「捕らえられたケモノのような脅えと、疲労感を漂わせていた。」

 「しかし目の前に立った彼女は、全く別人だった。」「顔は小さく、両腕は細く、体全体がきゃしゃと言えるほど細身だ。」「その目は深い憂いをたたえながらも、落ち着き払っている。」「深窓の令嬢といったところだ。」「朝鮮労働党調査部の、超エリート工作員という、かっての面影は微塵もない。」

 彼女は元死刑囚で、日本人の旅券を持ち日本人になりすまし、残虐な犯罪を日本人の仕業と見せかけるため、韓国警察を欺き続けた犯罪者です。しかるになぜ落合氏は、彼女に好意的な叙述をするのか、これが私の受けた違和感です。

 彼女は拉致被害者の一人である、田口八重子さんから日本語の教育を受け、横田めぐみさんとも会ったと語ります。拉致被害者の救出が進まないから、情報を得るため、優しく接したということなのでしょうか。

 事件当時、まだ二大政党の一角にいた社会党と、社民連が、「拉致問題」を頭から否定し、北朝鮮を誹謗する捏造だと反論していました。日本人拉致の中心人物だった、北の工作員・辛光洙(シン・グァンス) が韓国で逮捕され、死刑判決を受けた時、野党議員の多くが韓国政府に、「助命嘆願書」を送っています。総理大臣になった、菅直人氏もその一人です。

 今は拉致が、北朝鮮の犯罪だと知られていますが、当時の野党は北朝鮮を向き、日本を糾弾していました。救出を叫んでいる自民党も、本気で取り組んでいるとは思えませんでした。

 書評と無関係ですが、参考のため、「嘆願書」の文面と、署名した議員の名前を紹介しておきます。このおかげで辛光洙は北朝鮮へ帰国し、英雄として扱われました。
 
 《 「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」  》

 「私どもは、貴国における最近の民主化の発展、とりわけ相当数の政治犯が、自由を享受できるようになりつつあることを多とし、」「さらに、残された政治犯の釈放のために、貴下が一層のイニシアチブを発揮されることを期待しています。」
 
 「在日関係のすべての『政治犯』と、その家族が希望に満ちた報せを受け、彼らが韓国での社会生活におけるすぐれた人材として、また、日韓両国民の友好のきづなとして働くことができる機会を、与えて下さるよう、ここに心からお願いするものであります。」

    1989年 大韓民国 盧泰愚大統領貴下
                          日本国国会議員一同   
 
 《 嘆願書に署名した国会議員名  》
 
   土井たか子  衆議院 社民党 兵庫7区 (日朝友好議連)
   菅直人    衆議院 民主党 東京18区
   田 英夫    参議院 社民党 比例 (日朝友好議連)
   本岡昭次   参議院(副議長) 民主党(元社会党) (2004年引退)
   渕上貞雄   参議院(社民党副党首) 社民党 比例 (日朝友好議連)
   江田五月   参議院 民主党(元社民連) 岡山県
   佐藤観樹   衆議院 民主党(元社会党) 愛知県 (2004年辞職 詐欺容疑で逮捕)
   伊藤忠治   衆議院 民主党(元社会党) 比例東海
   田並胤明   衆議院 民主党(元社会党) 比例北関東
   山下八洲夫  参議院 民主党(元社会党) 岐阜県 (日朝友好議連)
   千葉景子   参議院 民主党(元社会党) 神奈川県
   山本正和   参議院 無所属の会 比例 (社民党除名)(日朝友好議連)
                                

 スペースがなくなりましたので、本日はこれまでとし、次回はインタビュー内容を報告します。

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1994年 世界は、 - 2 ( ミルフォード氏と落合氏 )

2020-08-30 14:40:50 | 徒然の記

 自分の知らないことを教えてくれる人は、皆私の先生ですと、いつも言っています。それでいきますと、落合氏は間違いなく、私の師です。

 韓国、北朝鮮、中国、台湾、マレーシア、カンボジア、オーストラリア、ドイツ、フランス、イタリアと、政治や経済や政治家たちの人物像について、眼から鱗の事実を語ってくれます。率直な意見は分かりやすく、大胆でもあり、読者は心を奪われます。息子たちのため、具体的な例を紹介し、一緒に考えてもらいたいと思います。159ページ、「イタリアの巨大汚職」に関する説明です。

 「イタリアというと、すべてにわたってデタラメで、無秩序というイメージがつきまとうが、」「経済面を除くと、日本と酷似する点が多々ある。」

 「まず政治のいかがわしさ。」「日本では政治家が地位を利用して、金をかき集めるのが、」「半ば常識化しているが、イタリアも同じ。」「しかも賄賂の額が、比べものにならないほど高い。」

 私はこの文章を読む時、二つの思考を同時にしました。

 1. イタリアが酷いと言っても、日本と酷似しているのなら、それ程でもないではないか。

 2. イタリアが酷いと言い、日本がそれに酷似しているのなら、思っていた以上に、日本の政治家はひどいと言うことか。

 「また、マフィアと政治家の腐れ縁も、共通している。」「日本では、銀行、政治家、ヤクザが三位一体となって、」「バブル経済の美味しい部分を、食い荒らしたが、」「イタリアでは、そんなレベルではない。」「南部では、マフィアがカネで選挙民の票をかき集め、」「完全に、地域の政治・経済を牛耳っている。」

 「日本でもイタリアでも、政治の腐敗は公然の秘密で、」「それが当たり前と言う、風潮さえあった。」「日本ではいまだに巨悪が、永田町で利権漁りに精を出し、」「一部のワルは、新生党に鞍替えし、免罪符を受けたりもしている。」

 私はこの文章を目にした時、5年前に読んだ、ベンジャミン・ミルフォード氏の著作『ヤクザ・リセッション』を、思い出しました。氏はカナダ人の新聞記者で、日本の大学を卒業した人物です。ショックだったため、ブログに残していましたので、氏の文章を、再度紹介します。

 「日本は、政・官・業・ヤクザに支配された、腐敗国家だ。」「スキャンダルを通して見える日本の姿は、決して民主主義の国ではない。」「欧米のデモクラシー国家にも、腐敗はあるが、日本のように、」「北朝鮮や、イラクの独裁者と共通する腐敗は、ほとんどないと言っていい。」

 小泉総理の時代に書かれた本ですが、これは事実なのかと、首を傾げながら読みました。

 「今の日本ほど、内部に矛盾を抱えた国家はないであろう。」「もちろん、西欧の民主主義国家も、矛盾をかかえている。」「しかしそれは、自由・平等という、民主主義の原理に矛盾があるのではなく、」「原理を完全に実行できないところに、生じている問題だ。」「今のアメリカが抱えている、力こそ正義もこれである。」

 「日本の矛盾は、その腐敗構造にあって、」「それは、民主主義が機能しないところまで、きてしまっている。」「本当に国を滅ぼすのは、政治や経済ではない。為政者たちのウソや、ゴマカシである。」

 これでは、どこかの未開な野蛮国と同じです。カナダ人記者の目には、本がこのように見えているのかと、驚きと共に不快感が生じました。私が一番に感じたことは、日本人としての反省より、彼の中にある「度し難い偏見」でした。日本に留学し、学生生活を経験していながら、それでもこうした意見を述べると言うのですから、彼の経験と常識を疑いました。

 「日本政府は、これを、数十年にわたってしているのだ。」「腐り切った官僚組織と、ゾンビ企業群が、ヤクザと癒着し、」「国民を、欺き続けてきた。」「しかし自国民は騙せても、世界は騙せない。」

 ここまで言われると、怒りの気持ちしか湧いてきません。彼の文章を転記している今でも、心が騒ぎます。

 日本について何も知らない他国の人間が、彼の著作を読めば、おそらくそのまま信じます。政治家とヤクザの関係、官僚組織の腐敗など、全くの嘘ではありませんが、誇張の度が過ぎます。国民は騙されているのでなく、世界の国々と比較し、必要悪と許容しているだけの話です。ならば、カナダの政治家の実態はどうなのかと、問うてみたくなります。

 つまり私には、落合氏の文章を読んでいますと、このカナダ人記者の姿が重なってなりません。カナダ人記者ほどの無知と、厚顔と偏見はありませんが、合い通じるものを感じます。一部の事実を拡大し、それが全てでもあるような叙述は、眉に唾して読むしかありません。

 氏がそこまで日本の政界の腐敗を語るのなら、国を思うジャーナリストの一人として、もっと具体的な事実を述べるべきでしょう。巨悪は誰なのか、どんなヤクザと、どのようにつながっているのか。新生党に鞍替えし、免罪符を得た政治家とは誰なのか。

 日本の片隅で、細々とブログを綴る私でさえ、勇気を出して個人名をあげています。具代的なことや、改善策を言わず、単に抽象的な事実を並べるだけなら、それは著書を売ろうとする「金儲け主義」でしかありません。

 とは言うものの、氏は、ミルフォード氏と全く同じではありません。私の知らないことを教えてくれますし、有意義で、貴重な意見が沢山あります。日高氏の著作、『1994年世界はこう動く』と、同じ国々を対象としていますから、余計に私を啓蒙してくれます。

 感謝すべきなのに、批判を先にしてしまい、私自身が戸惑っています。「武漢コロナ」は収束せず、安倍総理が辞任して気持ちの張りが薄れていますから、氏の著書は、ちょうど良い刺激です。感謝と怒りと、めげておれない勇気など、色々とプレゼントしてくれます。

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安倍総理へ贈る言葉

2020-08-28 16:51:59 | 徒然の記

  本日、総理が辞任を表明された。持病の再発で、長期療養が必要となったとのことです。

 「ご苦労様でした。」「有難うございました。」「どうか、療養に専念してください。」

 私は、心から、総理にこの言葉を贈ります。沢山批判をしてきましたが、それも全て、元気な総理であればこそ、です。

 「一強」と、反日・左翼のマスコミに書き立てられ、就任以来、彼らの攻撃の的となり、今日まで来られました。負の政策もありましたが、

  1. 憲法改正

  2. 皇室の護持

 の二つの旗を、ずっと下さず、自民党内でも、孤軍奮闘して来られた姿を、再度心に刻みます。二階、菅、石破氏を中心とする政争に、心身ともに疲れられたこともあると思います。

 どうか、最後の力を振り絞り、後継者の誕生に力を尽くしてください。一寸先が闇と言う政界で、よくもここまで踏ん張ってこられたと、敬意と感謝の念を捧げます。貴方は、誇りある日本の首相にふさわしい方でした。

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1994年 世界は、 ( 普遍の物差し )

2020-08-28 13:14:28 | 徒然の記

 落合信彦氏著『1994年  世界は、』( 平成5年刊 (株)小学館 ) を、読んでいます。氏の著作を読んだことがあったのか覚えていませんが、著名なジャーナリストとして、世間に知られているということは知っています。

 今回氏の著書を読み、失望しました。氏は慰安婦問題について、全面的に日本軍の関与を認め、政府の対応の不誠実さをドイツとの比較で糾弾しています。慰安婦たち6人が暮らす韓国の家を訪問し、限りない同情と敬意を払い、「この問題について問われているのは、日本民族の良心と正義の心だ。」とまで、言い切っています。

 本が出版されたのが平成5年で、朝日新聞が慰安婦報道の誤報を認め、社長が辞任したのが平成26年ですから、致し方なしという面もありますが、ここまで政府と日本人を攻撃しているとは予想外でした。

 机の上に、二冊の本がありました。

       ・『1994年世界はこう動く』 ( 日高義樹氏著 平成5年刊 株・学習研究社 )

   ・『1994年  世界は、』      ( 落合信彦氏著 平成5年刊   株・小学館 )

 米国はクリントン大統領で、日本の首相が細川氏の時です。ソ連が崩壊し、冷戦が終わりましたが、アメリカもEU諸国も経済が振るわず、停滞していました。同じ年に出版され、いずれの著者も、翌年の1994年( 平成6年 )という年に注目しています。

 落合氏の著書と日高氏の著書の違いを、一言で表現すると、「真面目な論文」と「三流雑誌の煽動記事」となるのでしょうか。読んで面白いのは落合氏の文章ですが、思い込みの強さがどこか私に似ていて、読んでいると恥ずかしくなりました。

 ということで、まず落合氏の略歴紹介します。

 「昭和17年、東京都葛飾区生まれ、現在78才」「ジャーナリスト、小説家、翻訳家」「昭和36年、米国オルブライト大学留学、卒業後テンプル大学院進学。」

 「オルブライト大学在学中、柔道と空手の教室を開く。」「門下生たちが、のちにCIAや政府高官となり、貴重なニュースソースとなった。」

 「帰国後、文芸春秋、週刊文春、集英社、月刊プレイボーイ、小学館を活動の場とし、ノンフィクション作品、連載記事、小説などを多数発表。」

 「平成9年、オルブライト大学から名誉博士号授与される。」「平成14年、中国・山東省観光大使に就任。」

 ニュースソースが元の教え子で、CIAや政府の高官と言うのには驚かされます。腕っ節が強く、度胸もある、まるで映画の主人公のような格好の良さです。こう言う経歴で文才があれば、出版社も氏の記事を欲しがるはずです。

 先日、坂口安吾氏の書評を書いた時、文才があるけれど中身がないと言いました。落合氏には文才と、読者を納得させる中身があります。55ページの慰安婦問題の意見にに出会うまでは、うなづきながら読みました。例に、7ページの「まえがき」の文章を紹介します。

 「1991 ( 平成3 )の暮、ソ連邦が正式に消滅した時、」「世界はホッと一息ついた。」「気の早い人々は、西側民主主義が勝利したと結論づけて、」「 〈歴史の終わり 〉とまで、言い切った者もいた。」

 「しかし、旧ソ連邦を覆っていた秘密のベールが剥がされ、」「その実情を目の当たりにした時、われわれは、」「西側民主主義が勝ったのではなく、共産主義が勝手にこけたのだ、と言う事実を知らされた。」

 レーガン大統領が仕掛けた軍拡競争に、ソ連経済は耐えきれなくなり、崩壊しました。この事実をどう捉えるかは、人それぞれです。氏のように、「勝手にこけた」と言う解釈も生まれますし、「民主主義の勝利」と考える者もいます。理由が何であれ、私から見れば、共産主義の崩壊であることに変わりはありません。

 科学的社会主義の絶対優位を主張し、計画経済の素晴らしさを語り、人類のユートピアを作る思想だと、左翼学者や政治家たちが散々吹聴してきました。それが現実には実態のない空論で、ソ連が「張子の虎」でしかなかったと言うのなら、「勝手にこけた」のでなく、「民主主義の勝利」です。

 しかし氏にかかると、そうではなくなります。分かりやすい言葉であるだけでなく、事実の一面なのでうなづかされます。

 「そして今、われわれの前には、新たな現実が横たわっている。」「何事も米ソの話し合いで片がついた、冷戦時代に比べて、」「今日の世界は遥かに複雑で、かつ予測し難い要素に満ちている。」「歴史は終わったどころか、新たに始まったのである。」

 落合氏と日高氏は、同じジャーナリストとして「1993 ( 平成5 ) 年」と言う年を解説しています。日高氏は、米国の学者たちの論文を編集することで読者に訴え、落合氏は、自分のインタビュー記事で本を書き上げ世間に問うています。積極的で、エネルギッシュな文章に、落合氏の才能を見せられました。

 当然敬意を払いますが、けれども私には不変の物差しがあります。

  1. 自分の生まれた国の、歴史や文化を大切にし、愛しているか。

  2. ご先祖への感謝の気持ちを持っているか。

 才能と実力に恵まれた人物は、誰の世話にもならず自分の力で生きていると、自信過剰になります。青年時代にはそんな自信も必要ですが、いつまでも「強気の自己主張」だけでは、あの竹中平蔵氏と同じになります。

 うなづいたり、反発したりしながら、私は氏の著書を読んでいます。

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終戦の日の特集記事 - 3

2020-08-25 18:50:08 | 徒然の記

 終戦の日の特集記事、第三回目です。

 《  9. 千葉県・空襲体験者 千葉通子氏 (82)の話 》

・見出し・・「燃える家 重なる遺体」「平和願う 元軍国少女」

・本人の話・・「授業では級友と、ヒノマルノハタ バンザイ バンザイと音読し、」「日本の勝利を信じる、軍国少女だった。」「家族は幸いにも、全員無事だった。」「父親も戦地から戻り、六畳一間のバラック建てで、」「食料もなく貧しい日々だったが、平和な暮らしに期待を膨らませた。」

 「空襲から75年、あの戦争を経験した、最後の世代だと思っている。」「平和の尊さへの想いを原動力に、市民団体で、」「空襲体験を伝える、活動をしている。」「戦争は、人間が引き起こすもの、災害は防ぎようがないが、」「空襲は、平和が続けば起きない。」

・記者のコメント・・ 「今の中心市街が、一面焼け野原。」「想像できる ? 」と、千葉さんに言われた言葉が、心に残った。平和のバトンを後世につなぐため、何ができるか。自分に問いかけている。

 10. 8月19日  第一回学徒動員による勤労学生 峠久雄氏 (92) インタビュー記事

 11. 8月20日  シベリア抑留 中山輝夫氏 (94) インタビュー記事

 新聞記事のスクラップは、上記のようになっていますが、考えるところがあり、順番を入れ替え、11.番目の記事を先に紹介します。

 《  11. シベリア抑留 中山輝夫氏 (94) の話 》

・見出し・・「極寒の地 過酷な労働」「夢断念 仲間も息絶え」

・本人の話・・「日本の敗戦を知った時には、初めて悔し涙を流した。」「獣医師の夢を断念し、国のために戦った苦労は、なんだったのか。」

 「家族を戦地に連れて行かれ、残された人が逃げる姿を、」「嫌になるほど、見てきた。」「私自身も戦地へ行くことになり、親不孝なことをした。」「戦争はもう、二度とあってはならない。」「当時の経験を伝えていくことで、悲劇を繰り返すことがなくなれば・・・」

・記者のコメント・・戦争を経験していないから、知らないと片付けるのは、無知だと痛感した。風化させないよう、同年代や、若い世代に継承していきたい。

 《 10. 第一回学徒動員による勤労学生 峠久雄氏 (92) の話 》

・見出し・・「孤児の姿に 不戦誓う」「客観的検証で、争い防ぐ」

・本人の話・・「戦後、都内の友人を訪ねた帰りに、上野の地下道に足を運んだ。」「戦禍で親を失った子供らが、雨風をしのごうと、」「道路の両側に折り重なり、身を寄せ合っていた。」「悲劇をより感じたのは、この時。」「一番弱い者が犠牲になるのが、戦争だと実感した。」

 「『戦争はだめだ』『軍部が愚かだった』と、分かりやすくパターン化してしまっている。」「しかし戦争は、そう単純なものではない。」

 「『終戦』を、太平洋戦争だけに集約するのでなく、」「この機会に、もっと振り返るべき、戦前の史実がたくさんある。」「2・26事件や、日中戦争、日本が経済的に追い込まれた、米国などによる経済封鎖・・」「戦争に至る経緯に、より目を向けてこそ、次の戦争を防げるのでないか。」

 「好んで戦争をする国はない。」「自己弁護でなく、当時の状況を客観的に検証し、」「今に置き換えることが、幸福につながる。」「終戦記念日は、そういう意味で、過去を見直す大事な機会。」

・記者のコメント・・戦争の惨禍に焦点を当てるだけで、次の戦争を防ぐことにつながるのかと、思い始めていた。戦争体験者も減っている。戦争の伝え方を考える時期に来ていると、再認識した。

 私は記事を読んだ時、信じられない思いがして、二回読み返しました。千葉日報社が実行しているのは、「両論併記」でした。二度読んでも、記事には衝撃を受けました。簡単に言えば、スクラップした他の10件の記事を、否定しています。

 峠氏の意見は、いわば常識です。しかし、今日まで、決してマスコミが認めなかった常識でもあります。珍しいことに、11件の記事には、反日・左翼の共同通信社の配信記事がありませんでした。千葉日報社は、今回の特集記事を、自分で取材し、県内に発信したことになります。

 「戦争特集」記事の中に、同社は、全国マスコミの特集報道を否定する、自社記事を掲載した・・・この事実は、勇気なのか、常識なのか、信じられない思いがいたします。他県でも、地方紙が同じような記事を掲載しているのなら、今年から始まった、全国的趨勢となります。国民の不評に気づき、マスコミ各社が今年から改心した、ということです。

 千葉日報だけが、常識的記事を掲載したのなら、それは日本一の快挙でしょう。堅牢な「祭りの土手」に空けられた、蟻の一穴です。私が「ねこ庭」を訪問される方々と、確認したいのはこのことです。

 1. 千葉日報だけの「常識記事」なら、愛する郷土紙の「誇るべき快挙」

 2. 他の地方紙も「常識記事」掲載なら、今年から始まる、マスコミの改悛

 いずれにしましても、国を愛する国民には、朗報です。1.のケースなら、私は鼻高々です。

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終戦の日の特集記事 - 2

2020-08-24 23:10:07 | 徒然の記

 終戦の日の特集記事、第二回目です。

 《   4. 県被爆者友愛会会員 岡田千砂子氏 (52)の話 》

  ・見出し・・「戦後75年」「戦争の記憶 継承模索」「県原爆被害者友愛会」「経験者減る中、次世代へ」

  ・本人の話・・「戦争があったことを知らない人が増えると、もう一度過ちが起きてしまう。」( 岡田氏の親族に被爆者はいないが、同会の賛助員として、語り部をしている。  ) ( 氏は、被爆者が登壇できない場合を想定し、2ヶ月前から準備している。普段は会場で話を聞くが、突然の欠席時は、代わって話をする。 )

  ・記者のコメント・・ 会員が減少し、戦争を知らない世代に、戦禍の記憶をどう語り継ぐのか、模索している。

 《   5. 前県遺族会会長 川島義美氏 (79) の話 》

  ・見出し・・「不戦のバトン次代へ」「終戦75年、風化させない」

  ・本人の話・・「父が逝ったニューギニア・サルミには、これまで二回、」「慰霊のため訪れた。」「戦争経験者が少なくなる中、平和の尊さを、」「子供たちに語り尽くしたい。」「戦争を風化させてはいけない。」

 「小中学校で、戦争の記憶を語り継ぐ活動を、」「遺族会として始めたいと、考えている。」

  ・記者のコメント・・今年3月に母を亡くした女性は、「バトンを引き継いだ。」「被爆者と子供たちを、橋渡しする場を作りたい。」と、不戦の決意を新たにした。

 《   6. 元特攻隊員 武井敏雄氏 (90) の話 》

  ・見出し・・「特攻で死にたくない」「市川で大空襲」「訓練中終戦」

  ・本人の話・・「命を捨てても、戦争に勝てと教育され、」「大勢の若者が無駄死にした。」「こんな恐ろしい教育は、二度と繰り返してはいけない。」「若者が、自分のために生きられる世の中が、」「続いてほしい。」

  ・記者のコメント・・75年前を振り返り、武井さんは語った。

 《   7. 千葉在住・広島被爆体験者 重田忠治氏 (82) の話 》

  ・見出し・・「目覚めると、地獄絵図」「迫る炎、父救えず無念」

  ・本人の話・・「川に着くと、火傷で皮膚がただれた人たちが、」「水が欲しいと、川へ飛び込んでいく。」「川にはたくさんの死体が、浮かんでいた。」「地獄絵図そのものだった。」

 「奇跡的に助かったと、思っている。」「たまたま熱線を浴びることなく、家が守ってくれた。」「75年目の節目になり、生き残った者の務めと考え、」「当時の記憶をたどり、語った。」「戦争を、二度と繰り返してはならない。」「平和な日々が続いて欲しい。」

  ・記者のコメント・・平成生まれの私に、戦後という言葉に実感が湧かない部分もある。だが生き証人である重田さんは、今だからこそ、伝えたい思いがあった。これをしっかりと記録し、後世に残したい。

 《   8.  県忠霊塔 追悼式 県知事参列 》

 「追悼式は、昭和29年に忠霊塔が完成して以来、今年で67回目。」「日清戦争以降の、本県出身の戦没者5万7千243人の名簿が、納められている。」

  ・見出し・・「戦没者の冥福祈る」「県忠霊塔 追悼式に知事、遺族ら」

  ・森田知事の話・・「みんな仲良く、世界平和。」「恒久的な平和を思い、誓った。」「靖国神社にも、毎年参拝している。」「命を賭けて頑張ってくれたことは、忘れない。」「こういう悲惨な戦争が、二度と起きないことを願った。」

  ・遺族会会長 椿唯司氏の話・・「父が戦争で亡くなった。」「75年経っても、遺族会の気持ちは同じ。」「絶対に、我々と同じような、犠牲者を出してはいけない。」

 マスコミから突かれないように、森田知事の話は、中身が何もありません。立ち位置は保守ですが、森田氏は信念のない、要領の良い人物です。だから県の遺族会会長の話も、軽い中身です。戦禍に倒れたご先祖に、感謝の気持ちがなく、犠牲者と呼びます。これではご先祖様も、浮かばれません。

 「犠牲者」と決めつけるだけではなるまい、という気がいたします。大切なのは、「哀悼」と「感謝」の気持ちです。

 本日は、ここで一区切りとし、残りは明日にします。

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終戦の日の特集記事

2020-08-24 17:55:45 | 徒然の記

 毎年のことですが、8月15日の終戦の日が近づくと、特集記事が全国に一斉発信されます。

 「遠のく戦禍の記憶」「遺族、最後の一人になるまで」「語り続け継承」

 大きな活字で飾られた見出しが、今年も多くの記事を届けました。すべてが写真入りで、7~ 8段組みの大きな扱いで、紙面を占有しています。今年は千葉日報の記事を、可能な限り切り抜いてみました。全部で11件ありましたので、日付順に並べてみます。

 1 番目の記事は、説明が必要なため、概要を紹介いたします。8月13日、JR成東駅は、激しい機銃掃射を受け、弾薬を積み、停車していた陸軍の貨物列車に引火し、大爆発が起こりました。駅職員15人と将兵27人が、駅舎ごと吹き飛ばされ、犠牲となりました。駅には慰霊碑が建てられ、駅関係者や成東市長らが、毎年献花式を行っているというものです。

 《   松下・成東市長の談話 》

  「戦争の過ちを二度と繰り返さないため、75年前に惨事があったことを、」「後世に語り継ぐことが、私たちの使命。」

 《   当時現場近くで目撃した、住民小川公平氏(85) の話 》

  「あれから75も年が経ち、社会が平和ボケしている。」「平和はただでは得られない。努力して、守っていかなければ。」

 成東市長の談話も、東京裁判史観そのものです。「戦争の過ち」と、広島の慰霊碑と同じトーンで語っています。氏の頭にはどんな歴史観があるのでしょう。「日本だけが悪かった」「日本だけが間違った戦争をした」と、いつまで、そんなことを後世に語り継ぐ気なのでしょうか。

 住民小川氏の「平和ボケ」は、私が使う言葉と同じ意味ではありません。日本を大切にする国民が、「平和ボケ」というのは、「憲法さえ守れば、世界に平和が来る」と主張する、「お花畑」の人間を指します。ここで氏が言っているのは、「戦争を語り継ぎ」「戦争を批判し続けない人間」のことを、「平和ボケ」と称しています。

 このように、反日の手にかかると、言葉が逆転します。こんな記事を、戦後75年間も発信され続けているのですから、国民がおかしくなる訳です。2.番目以降、あと11件もある「おかしな記事」を、どのように報告すれば良いのか。・・ここで私は、思案します。

 75年間も続いている「戦後特集記事」ですから、私だけでなく、多くの人も、似たような記事に手を焼いているはずです。いつの間にか定形化され、決まり文句が並び、退屈な記事ばかりになってしまいました。11件も紹介するとなりますと、読まされる方も大変ですが、転記する私も意欲が湧きません。

 スーパーの特売セールのチラシと同じで、中身は代わり映えのない宣伝ですから、記事のタイトルと、本人の話と、新聞社のコメントだけを、番号順に紹介すれば十分かと、そんな気がしてきました。

   1. 8月14日 JR成東駅慰霊碑へ、成東市長献花

   2. 8月15日 元戦艦武蔵・生存者 早川孝二氏 (92) インタビュー記事

   3. 8月15日 サイパン戦・生存者 上地安英氏 (82) インタビュー記事

   4. 8月15日 県被爆者友愛会会員 岡田千砂子氏 (52) インタビュー記事

   5. 8月16日 県遺族会会長 川島義美氏 (79) インタビュー記事

   6. 8月16日 元特攻隊員 武井敏雄氏 (90) インタビュー記事

   7. 8月16日 千葉在住・広島被爆体験者 重田忠治氏 (82) インタビュー記事

   8. 8月16日 県忠霊塔 追悼式 県知事参列

   9. 8月18日 千葉県・空襲体験者 千葉通子氏 (82) インタビュー記事

 10. 8月19日  第一回学徒動員による勤労学生 峠久雄氏 (92) インタビュー記事

 11. 8月20日  シベリア抑留 中山輝夫氏 (94) インタビュー記事

 2.件目の記事から、始めます。

 《   2. 元戦艦武蔵・生存者 早川孝二氏 (92) の話 》

・見出し・・「重油の海」「奇跡の生還」「沈む戦艦『武蔵』」「鮮明に」

・本人の話・・「戦争はとにかく悪、全てを破壊する。」

・記者のコメント・・「戦争を体験した人たちが、減りつつある。」「記憶の継承のため、残された時間は少ない。」「平成生まれの記者たちが、昭和の戦争を、令和の世に伝える。」

 《   3. サイパン戦・生存者 上地安英氏 (82) の話 》

・見出し・・「すべて破壊 愚かなもの」「戦禍の島、今も脳裏に」「サイパン戦で家族5人を失う」

・本人の話・・「ここで戦いが終わっていれば、沖縄戦や、」「広島、長崎の原爆はなかったはずだ。」「この苦しみは、体験した人にしか分からないない。」「だからこそ、少しでも語り継いでいきたい。」

・記者のコメント・・ ( 本人が、全て喋っているため、無し)

 ここで一区切りをし、次回へ移ります。

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1994年世界はこう動く - 補 5 ( 米国人が見る、日本の北方領土問題 )

2020-08-23 20:27:58 | 徒然の記

 バーンスタム氏の、論文の続きです。254ページ、「北方領土」についてです。今から27年前に、米国の学者がどんな意見を述べているのか、関心をそそられました。

 「北方領土の返還について、ロシアの指導者が心変わりしたのは、」「国内政治・経済の悪化という、全体的な状況が関係している。」「ロシアの経済危機を救うため、援助すべきだ、」「ロシア経済がうまくいけば、島が返ってくる、」「こういう忠告が、よく日本人に対してされるが、」「これは間違っている。」

 「冗談抜きで、日本もアメリカも、他のどこの国も、」「ロシアを救うことはできない。」「財政面で見ると、ロシアは毎年、二百億ドルの金を、」「資本逃避で失っている。」「ここで注意しなくてならないのは、通常の資本逃避ですらない、ということだ。」

 「民営化された輸出業者が、国へ納めるべき、国有天然資源の税金を、」「そっくり西側の銀行へ、預金しているのだ。」「それゆえロシアは、二百億ドルの黒字を抱えているのに、」「ルーブルが5分の1にまで、過小評価されている。」

 財政・金融に弱いので、正確に理解できませんが、計算上は毎年に二百億ドルの黒字が出ているのに、国庫に納められず、不正な手段で、西側の銀行へ預けられているという話だと、思います。政情が不安定なせいで、輸出業者が国外へ、堂々と利益隠しをしているということなのでしょうか。

 「貿易黒字を抱え、円が過大評価されている日本とは、好対照である。」「このような状況では、日本や西側諸国がどんなにロシアを援助しても、」「徒労に終わることになろう。」

 ソ連が崩壊したのは、平成3年の12月で、本が出版されたのが、2年後の平成5年11月ですから、混乱の最中です。巨額の石油代金を隠匿する輸出業者ですら、取り締まれない政府だった、ということなのでしょうか。

 「西側の、ロシア観測筋の認めるところでは、」「ロシアの外交政策は、1993 ( 平成5 ) 年になって強引さが増し、」「より厳しい要求をしてくるようになっている。」「特にそれが目立つのは、旧ソ連邦に関する問題で、」「ロシアは、旧ソ連の領土を、」「自国の安全保障地域にすると、主張し始めている。」

 エリツィン大統領が訪日したのは、1993 ( 平成5 ) 年の10月でした。細川内閣の時です。こういう時期に、政府は、領土問題を話し合っていたということになります。

 「ロシアの外交政策を取り仕切る顔ぶれは、以前と少しも変わっていない。」「彼らの姿勢の変化は、ロシア国内の、」「政治・経済情勢の変化と、軌を一にしている。」

 「現在の危機的状況のもとで、また選挙を目前にした状況において、」「北方領土の返還に賛成できるロシアの政治家は、一人もいない。」「選挙が終わり、政治・経済状況が、」「可能な限り改善した後なら、北方領土交渉が再開され、」「いい方向に向けて、解決されるかもしれない。」

 「日本はエリツィンに、次のように質問をぶつけてみるべきだ。」「ロシア国内がうまくいくことと、北方領土の返還は、」「本当にリンクしているのかと、」「おそらくエリツィンは、うなづかざるを得ないだろう。」

 現在安倍総理が、プーチン大統領と領土問題を話し合っていますが、進むどころか、逆に難しくなっています。「前提条件なしで話し合おう」と、プーチン氏に言われ、総理がその気になりましたが、プーチン氏は憲法を改正し、「領土不割譲」の文言を追加しました。しかも、規定に違反した政治家には、刑事罰が下されるというものです。

 石油収入だけが頼りのロシアは、石油価格の低迷で、国家財政がゆらいでおり、政治も経済もまだ安定していません。領土問題の解決の見通しは、遠のいていると見る方が当たっているのかもしれません。バーンスタム氏の論文は、これで終わりですが、領土問題の記事を、スクラップしていましたので、わかる範囲で、抜き書きしてみます。

  1. 昭和36年 フルシチョフ首相から、池田首相宛て親書

  2. 昭和48年 田中・ブレジネフ会談 交渉の継続合意

  3. 昭和64年 宇野宗佑・シュワルナゼ外相会談 クリル諸島のソ連への帰属は国際法上、歴史上確定

  4. 平成  3年 海部・ゴルバチョフ会談 関係拡大の中で検討

  5. 平成  5年 細川・エリツィン会談 「東京宣言」

  6. 平成   9年 橋本・エリツィン会談 「クラスノヤルスク合意」

  7. 平成 10年 橋本・エリツィン会談 「川奈合意」

  8. 平成 10年 小渕・エリツィン会談 「川奈合意」拒否

  9. 平成 13年 森・プーチン会談 「イルクーツク声明」

   10. 平成 15年 小泉・プーチン会談 「日ロ行動計画」合意

   11. 平成 24年 プーチン首相 「はじめ」「引き分け」発信

 問題の発端は、ヤルタでのルーズベルトとスターリンの密約にあると、聞いています。ソ連の対日参戦を望んでいたルーズベルト大統領が、代償として黙認したのが北方領土だそうです。

 ロシア問題の専門家ですから、バーンスタム氏も知らないはずがありません。しかしそれについては、何も触れず、「日本はエリツィンに、次のように質問をぶつけてみるべきだ。」と、他人事でしかありません。

 首脳同士の個人的な関係を、マスコミは盛んに強調しますが、これもまた「捏造報道」の一種でしかなく、踊らされてはなるまいと、警戒するに越したことはありません。

 まとまりのないブログとなりましたが、私たちは、日本がまだ敗戦後の後遺症を沢山引きずっていることを、知る必要があるようです。「戦争の記憶を絶やすな」「戦争の悲惨さを後世に伝えよう」と、マスコミが毎年「終戦の日の特集」をしますが、本当に必要なのは、こんなことではありません。

 「憲法」「沖縄の基地」「北方領土」「ヤルタ会談」「靖国問題」「南京事件捏造問題」「慰安婦捏造問題」など、どうして今のような事態になっているのか。それを検証し、後世に伝えることの方がより大切で、「戦争の抑止」と「平和」に繋がると、考えています。

 「もう、こんな愚かなマスコミとは、付き合っておれない。」・・・これが現在の正直な気持ちです。

 日高氏が編纂した『1994年世界はこう動く』の書評を、本日で終わりますが、次回は、世界一愚かで、おめでたい、日本を愛せないマスコミの「戦争特集記事」について、息子たちに、伝えると決めました。マスコミをなんとかしなくては、日本の明日は、閉ざされたままです。自民党の議員諸氏の中には、マスコミによる日本の破壊に警鐘を鳴らす、勇気のある人物はいないのでしょうか。

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