ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大阪維新の会

2011-11-28 13:55:13 | 徒然の記

  秋深し 隣は大阪 維新の会

 予想してはいたものの、現実となるとやはり驚く。民主党が第一党になったときと同じか、あるいはそれ以上のものかと、そんな気がする。

 民主主義は衆愚政治なのか、民意の賢明さを反映するものなのか、答えは何年かしないと出ないのだろう。野次馬といわれても、もし自分が大阪府民だったら、橋下氏に投票したに違いない。

 府と市の二重行政を廃し、政治の効率化と明確化を図り、住民のための政治をするという理念に、共鳴せずにおれない。また、政治に介入しすぎる市の職員に対し、本来の仕事に専念すべしという主張にも、賛同する。氏は、実行力もあるし弁も立つ。曖昧な政治家が多い中では、やり手として目立つが、暴言、暴走も多く、嵐のような毀誉褒貶の真ん中にいる。

 政治家と呼べる人物が少なくなり、政治屋が増えているとしか思えないため、それでも、彼に一票を入れざるを得ないところに、今の政治の貧しさがある。

 今回の選挙における大阪の市民は、自民党に幻滅し、民主党に希望を託した時の私の行動に似ている。そして今また、私は民主党にも幻滅しているのだが、大阪が今後どうなるのか、大いなる関心事だ。

 民主党や維新の会が、今後国民の期待を裏切るとしても、ハッキリしていることが一つある。「国民は、自分の一票で政治が変えられる」という事実だ。我々は衆愚かも知れないが、こうして一つずつ勉強して、政治に参加する。それを知っただけでも、良しとすべきなのだろう。

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沖縄の基地

2011-11-18 07:22:56 | 徒然の記

 こんがらがった糸みたいになった沖縄については、いったいどこから考えれば良いのだろう。

 琉球王朝の頃、明治時代、第二次世界大戦後と、いずれから始めても一筋縄でいかないものばかりだ。基地に限っていえば、昭和20年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し、敗戦となって以来のこととなる。

 大戦後に戦勝国を中心とした国際連合、いわゆる国連が創設され、日本は連合国軍によって占領された。連合国軍と言っても、実質はアメリカによる単独占領で、マッカーサーの統治下に置かれ、この時期から東西両陣営が形成され出した。

 新しい緊張関係が国際間に生まれ、やがてそれが、冷戦という言葉で語られるようになり、アメリカは、沖縄の戦略的重要性という観点から、長期支配の意思を固め、軍事施設の強化と、恒久化のため土地の強制収用を実施した。

 日本の国土の1%に満たない土地に、日本全体の米軍基地の75%があると、それが国の愚策ででもあるように語られていたため、当時まだ何も知らなかった、若い私は、長い間政府の失策とばかり思っていた。基地がアメリカの世界戦略に従って作られ、当時の日本は、口出しさえ出来る立場になかった事実を知ってからは、政治家の背負う荷の重さを知らされた。

 敗戦国が、戦勝国から占領地を返還されたという話は、歴史的にも聞いたことが無いから、アメリカが昭和47年、当時の佐藤政権に沖縄を返還したというのは、今から考えても驚ろくべき出来事なのだ。

 ロシアは未だに北方四島を返さないし、中国は尖閣諸島で、韓国は竹島でわが国と揉め、解決の兆しさえ見えない。だから領土の返還にあたり、色々な注文がアメリカからあったのではないか、もしかすると密約かと、それくらいのことは、素人の私にだって推測できる。

 ともかくも領土を返還してもらい、その後のことはその後のこととし、時間をかけて解決して行けば良いと、当時の政府当局者は考えたに違いない。

 基地の撤去を訴える沖縄県民と、恒久的提供を迫る米国が、いずれも譲らない強さで政府を締めつけている。こうした経緯を考えると、アメリカに逆らえない日本の弱さが、痛いほど理解できる。戦後60年以上経った今、日本とアメリカの力関係は、あたかも対等になったかのごとく、国内で語られるが、私たち国民が考えている以上に、当時とさほど変わっていないのが実態ではなかろうか。

 つまり、アメリカと日本の立場は、ちっとも対等になっていないということ。分かっていても、そうした常識が国民に伝えられないというのだから、まさに歴史は繰り返すということなのだろうか。

 明治37年の日露戦争後に、小村寿太郎がロシアと交渉し、賠償金を取れなかったといって、怒った国民が暴徒化し日比谷を焼き、彼の邸に投石するという事件があった。

 大国ロシアとの戦いで、薄氷を踏みつつ勝利を収め、アメリカの仲介を得てやっとの思いで終戦処理をし、安堵の胸を撫で下ろした小国日本の指導者たちだった。ロシアがまだ戦争を続けると言ったら、とても太刀打ちする国力のなかった当時の日本だ。それなのに、指導者たちは、実態を国民に知らせず、勝った勝った大勝利だと、景気の良いことを言い続けたから、バカ正直な国民は、ロシアから多額の賠償金が得られると信じ込んでしまい、小村の交渉に理不尽な怒りを爆発させた。

 世界第二の経済大国、技術大国日本、世界に冠たる一流国、アメリカに施す思いやり予算と、いい気になって騒ぐマスコミや、政治家の言葉を聞くと、明治でも平成でも、変わらない日本を見る思いがする。

 左翼の人々は政府を攻撃する時、「アメリカべったり」と必ず言う、しかしそんなものであるはずがない。「べったり」どころか、「一段下の家来」なのだ。情けなくても、腹立たしくても、これが戦争に敗けた日本が置かれた、現実だと、私たちはここから出発しなくてならないのだ。

 以前にブログで書いたが、いつまでも曖昧に「終戦記念日」などとごまかしているのでなく、打ちのめされた「敗戦の日」から再出発すべきなのだ。それは、卑屈になることでなく、自国の姿を直視する勇気だと信じる。

 さて、ところで、肝心の沖縄の基地。いったいどうすればいいのか。そのことだけを書くつもりだったのに、前段が長くなってしまった。どうせ、「気まぐれ手帳」なんだから、続きは後日に述べるとしよう。もともと、「時間をかけて解決すべきもの」だから、一ヶ月や二ヶ月の遅れが、いったい何だと言うのだろう。

 国会で意見を述べる訳でなし、失言を待ち構えている人間がいるわけでもなし、たかが「風にそよぐ雑草の繰り言」でないか。今日はここまでにするとしよう。

  秋深し 隣はなにをする人ぞ  猛暑の夏が去り、静かに冷える秋となった。

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民主党の議員

2011-11-04 20:29:55 | 徒然の記

 会社では、仕事でパソコンを使っていたものの、生活用具として使うほどには親しんでいなかった。

 定年退職後、息子たちに助けられてブログを初め、録画で国会討論を見るようになったのは、つい最近のことだ。もし昔から、パソコンで情報を収集していたら、自分は民主党に投票していなかったとつくづく思う。

 一川防衛大臣、平岡法務大臣、山岡国家公安委員長等々、彼らの国会答弁のお粗末さを、政権に不慣れな議員だからと黙認してきたが、事実を知るにつれ、己の無知を恥じる日々となった。彼らと北朝鮮の関係を知り、驚きと怒りとが押さえられなくなった。

 小泉総理と安倍官房長官の時代に、マスコミが拉致被害者の救出につき、盛んに報道を展開していた。北朝鮮の理不尽さに憤るだけでなく、これだけのことが実行できたのは、日本国内に協力する日本人たちがいたからに違いないと思った。表に出ない彼らをあぶり出すことが、絶対に不可欠と考えていた。

 国会討論の中で、その日本での協力者どもが、民主党の議員たちであったと知った。単に在日の朝鮮人・韓国人と親交があるというのなら構わないが、北朝鮮の拉致犯を援助していたというのだから、見過ごす訳にいかなくなった。

 拉致犯の協力者の団体・市民の党に、鳩山元総理が1,000万円、菅元総理が6,250万円の寄付をしたと聞き、驚いたのは先日のことだった。民主党の大臣たちが、今もこの市民の党と関係を持ち、その党の事務担当者たちを、大臣秘書官として政府内に登用していることを知り、唖然とした。

 日本人の中にも、千差万別いろいろな人間がおり、在日朝鮮人の中にも良い人間がいるのだろうが、よりによって、日本を敵視する団体の人間、を大臣秘書に採用するというのは、私の理解をこえる。

 犯罪でないとしても、国家機密の遵守と言う点から、許されるのだろうか。野田総理には、個人として親しみを感じるが、もはや民主党に選挙の一票を投じる訳にいかなくなった。さて、そうなると次の難題だ。どの党に未来を託すのか。愚かな国民のせいで、ギリシアは国の経済を破綻させたと、マスコミが他人ごとみたいに批判しているが、わが国の状況だって似たようなものでないか。

 財政破綻を食い止めようとしているのか、していないのか、しかも平気で国を売るような議員のいる日本。民主党の政権、ある意味ではもっと深刻でないのか。

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