ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

原子力安全委員長

2011-05-28 23:40:41 | 徒然の記

 緊迫した原発事故のまっただ中で、炉への海水注入の是非を、総理が判断するにあたり、臨界事故について質問され、原子力安全委員長が「可能性はゼロでない」と答えたという。

 この回答で、総理が海水注入の決定を遅らせ、事故の拡大を招いたと、野党から攻撃され大問題となり、委員長が弁明した。

 「可能性がゼロでないというのは、事実上ゼロということだ。学者はたいていこんな言い方をする。」「可能性がゼロでない」という回答なら「可能性があると言うこと」と、そう受け取るのが常識だから、総理の決断が遅れた。

 東大の元教授だかなんだか知らないが、原子力安全委員会のトツプに、このように能天気な学者が座り、総理を補佐していると知り、仰天させられた。国の緊急事態だというのに、禅問答みたいな返事をして恥じない本人も本人だが、周囲も、さして強く非難していない不思議さ。彼はマダラ目でなく、デタラ目でなかろうかと、とっさに思ったほどだ。いったいどこが、専門家としての補佐なのだろうと、総理に肩入れする気はなくとも、同情はしたくなる。

 菅氏に人望がないからという理由も、分からぬではないが、それ以上に私は、官僚組織を敵に回し、野党が政権を取ることの困難さを、垣間見る思いがする。民主党が政権を取ってからというもの、自民党時代では知り得なかったことを、沢山教えてもらった。総理大臣の言うことを聞かない東電や、ろくな補佐もしていない原子力安全委員長などなどだ。国難の時と言いながら、党内で揉めている政治屋たちの悲しい茶番劇も、原発事故同様暫くは収まりそうにない。

 国の政治がこんなにも混乱して、それでも日々が過ぎ、我々は生活を続けている。

 自分が死ぬまでに、あと何回解散があるのか分からないが、国会中継と日曜討論と、新聞と、パソコンのネット情報を眺めながら、大切な選挙の一票を、どの党の誰に投ずるかにつき、熟慮したい。

  どうせ、ハッキリと分かりはしないだろうが・・。

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日曜討論

2011-05-10 22:43:12 | 徒然の記

 国会中継の他に興味があるのは、NHKの日曜討論だ。

 進行役の司会者に促され、与野党の議員が意見を述べあうのだが、国会中継とはまた違った関心をそそられる。中身の議論というより、政治家の品格というか、品位というのか、実によく見せてもらえる。ニュースで記者にインタビューされる時は、ひとかどの紳士なのに、番組では別人になる。

 他人の意見に耳を傾けない。相手を遮ってでも、自分の主張を展開する。司会者に制止されても、話をやめない。最初は節度ある態度で臨んでいても、いったん議論が白熱してくると、見境がなくなり、国会中継と同様、国民の選良としての姿がかき消える。

 一流大学を卒業し、エリートの道を歩いて来た議員、青雲の志を抱き苦学して政治を志した議員など、一人一人は、尊敬せずにおれない過去を持っている。知識においても、志の高さにおいても、掛け値なしに立派な人物が多い。そんな彼らが、品位のカケラもない姿を、映像として曝す不思議さを、なんと理解すれば良いのだろう。

 国会中継にしても日曜討論にしても、こんな人間になってはお仕舞いだよと、議員自らが、悪しき見本を国民に提供しているのだと、そうでも考えなければ、どうしたって理屈が合わない。

 かと言って、そんな馬鹿をやる訳がないので、この現実が、わが国の政治家の実態だと、受け入れるしか無い。いったいに国会議員たちは、テレビの国会中継や日曜討論を、自分で見ることはないのだろうか。情けない己を、反省することはないのか。

 本人が反省しなくても、周りの先輩や同僚が忠告をするということは、ないのか。醜い自己主張が、変わること無く今も続いているところに、誰もそんなことをしていないという証拠が、横たわっている。

 結局は、議員たちの向上心が停止しているのだと、知らされるばかりだ。

 そこで本日は、議員諸氏に、討論に臨む基本を、箇条書きにし、提案することとしよう。

    1. 思想信条の異なる相手であっても、最後まで意見を聞くこと

    2. 自分ばかりが喋り、相手の発言の機会を奪わないこと。

    3. 相手を傷つけたり、揶揄したり何度もしないこと。要するに、常に議論の相

      手に敬意を失わずにいること。

    4. 誰でも知っているような、饒舌な美辞麗句をやめること。

    5. 声の大きさで相手に勝とうとせず、議論の中身で勝負すること。

    6. そもそも議論とは、低レベルの口喧嘩でなく、意見交換による相互理解

      を深化させるところにあること。

 テレビを観ながらいつも考えているから、ためらわずここまで書いたが、何としたことか。ここで戸惑いが、自分を襲って来た。議員諸氏に提案する前に、己ができているかと、反省したからだ。

 議員の姿は、自分自身そのままでないかと、まるでブーメランのような、腹立たしい発見だ。なるほど、それはそうだろう。議員を選んだのは私たちだし、自分の程度に見合う議員を選んでいる、という理屈だ。

 なんてことはない。今宵もまた、自己嫌悪の日か。だがめげず、菅さんに負けず。あるいは菅さんのように。厚かましく、新しい明日のため眠ろう。


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