ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

墓について

2010-01-19 23:09:02 | 随筆

 死んだ後のことを、何かに書きつけておいて欲しいと、子供に言われた。

 定年退職はしたが,自分が死ぬなど,まだ本気で考えたことが無かったので、いささか面食らった。

 人生わずか五十年、下天のうちに比ぶれば、夢幻のごとくなりと、信長の謡に誘われ、一般的な死は、考えたことがあるが・・・。

 そうなると、今親に死なれ、子供が一番頭を悩ますのは、墓のことだろうか。何代も続く土地の名士か、そこそこの金持ちなら、墓の費用など心配する必要もなく、好きにやれば良いのだし、助言する世話好きも、沢山いるに違いない。しかし、われわれは、そうはいかない。

 詳しく書くとややこしいが、簡単に言うと、わが家の墓は無い。必要ということになれば、これから手当てをしなくてはならない。私の受けた戦後の教育では,夫婦とその子が構成する家族が、社会の構成単位で、家などという封建の残滓は、民主主義の世から消え去ったと,確かそういうふうに習った。そういう意味で、わが家の墓は無い。

 暮らしを立てるため、都会に職を得て、ふるさとを後にした多くの人々が、敗戦後の日本を立て直した。私の両親も、そうした庶民の一人だった。空腹を友とする日々は、ひもじさとの闘いであった。荒廃した国には、貧しさと混乱があった。それでいて、どこか明るかった暮らしでは、なかったかと、幼い日の記憶には、そんな印象が残っている。

 (こんなことを書いていると、また墓の話を忘れ、横道に行きそうだから、要注意だ)

 親が作った墓があるが、遠い田舎のため、訪れるのもままならず、親類縁者も絶え、墓が荒れ放題になっていると、そんな話を何度が耳にした。

 ならばいっそのこと、高い金をかけ墓など作らず、自分たちの生活設計をする方が、賢明でないかと、そんな意見もある。先祖代々の墓と言う風習が、一般庶民の間で始まったのは、たかだか明治以降だと知って以来、なじみの無い土地に作られた墓になど、子供たちだって参る気はしないはずと、ついつい、自分に都合の良い方に考えてしまう。

 人間なんて、死んだらそれでお終いだよ。魂だってあるもんかね。そんなこといったら、戦争で死んだ何万人もの人は、ほったらかされた土地で、迷ったままじゃないか。

 死ねば恨みも悲しみも、消えてしまうから、だからいいんだよ。お母さんの骨は、海にでも山にでも、捨ててくれればいいよ。と、八十八の母は、こんな私をけしかけるように、しかも本気で、電話をかけてくる。

 結論から言うと、家内とも相談の上であるが、夫婦のどちらが先に死んでも、無駄な葬儀はせず、家族だけでお別れ会をし,骨は小さな壷に少しだけもらい、二人が死んだ後で、いつか子供たちの都合のいい時に、どこかの海に散骨してもらう、ということに決めた。

 最近は、海を汚さないよう、骨を粉末にしてくれる業者がいるらしいから、便利になっている。できれば、私のお別れ会の時には、秋川雅史の「千の風になって」を、かけてもらえたら最高だ。

 参考のため書き記すが、十数年前に亡くなった父については、葬式もしたし,納骨もした。というのも、まだ会社勤めだったから、世間並みのことをしないと、無用の波風を立てそうだったからだ。

 それはそれで良かったと思っているが、残る課題は、田舎の墓に入れた父の遺骨を、今後どうすべきかということだ。生前父が何も言わなかったので,息子である私は、母と相談し,父が兄弟たちと作った田舎の墓に入れるのがいいだろうと、軽く考えた。今ではその叔父たちが、すべて亡くなり、その家族は皆、土地を離れて暮らしている。

 母は、遺骨に思い入れがなく、海でも山でも、散骨してくれと言うし、私も今後訪ねることもない田舎だ。まして子供たちとは、何の思い出もない、見知らぬ土地で、無縁の墓となってしまう。いったい、あの墓はどうなってしまうのか・・。

 これはこれで、いつか書く日が来るのだろうから、本日はこれまでだ。

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俳句のこと

2010-01-17 14:41:08 | 随筆

 俳句に関心が生まれたのは、昨年の秋からだ。

 それまでは、むしろ短歌に引かれていた。中学生の頃,啄木の歌を知って以来だと思う。平易な言葉づかいと、感傷的な甘い響きが、心を虜にした。放浪の人生とか、貧乏の揺かごとか,切ない恋や素朴な野心など、啄木の歌には、私を捉えて離さない魅力があった。

    石狩の都の外の君が家 リンゴの花の 散りてやあらむ 

    ほのかなる朽ち木の香り そが中の 茸の香りに秋やや深し

 意識せずともそらんじた、彼の歌が沢山ある。学生の頃作った歌には、どこかに啄木の響きがあったと思う。

    タバコのみ わが友なるか 揺れながら
          昇る煙の濃き紫よ

    悲しみは 小舟にたまる水のごと
         汲めども尽きぬ ふと手を休む

 今はもう、こんな歌は作らないし、タバコだってとっくの昔にやめてしまった。己の感傷に浸るより、家族のために働くことや、会社のために頑張ることに忙しくなったからだった。

 時は丁度、日本の高度成長時代で、誰もが、企業戦士としての生き方を、選ばされた頃だ。( 本当はここに、先ほど作った句をのせたいと、それで書き始めたのだが、前置きが長くなって、収拾が着かなくなりつつある。少し結論を急ごう )

 啄木との決別は、彼の生き方に対する、素朴な疑問だった。大切な妻子をないがしろにし、小説や歌に傾倒する、生活破綻者としての彼は、手本にしてはならない人物だった。ましてや、真面目な学者である金田一氏から借金を重ね、彼の家庭を脅かすような浪費を重ねていた、と知るにつけ、心が離れた。

 歌そのものは今でも好きだが、個人としての啄木とは、一線を引いている。 

 今少し結論を急ぐなら、啄木とは距離を置いたが、それでも歌との付き合いは長く、俳句に無縁で来たのに、今日もまた、下手な句を作ったということなのだ。( やっと現在に、到達した。)

     まだ堅き 冬芽を照らす 日差しかな

     爽空を 背にして高き 木々の枝


 季語も無いような句を作っているのだから、きっとひどいものなのだろうが、自己満足の段階なので、これでいい。
このようにして、短歌だって作ってきたのだし、どうせ誰にも評価されず、外にも発表しないのだから、自分が楽しければ、何ということもあるまい。

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文明の利器

2010-01-16 13:23:28 | 随筆

 自分のブログとはいえ,まだシックリとこない。

 カテゴリーが、勝手に日記と表示されるのも、馴染めない思いがする。改行のタイミングもつかめない。プレビューで確認しても,実際の表示は、妙なところで改行しているし,自在に使える日がくるまで、もっと時間の積み重ねが必要ということなのだろう。
 
 だいたいブログを開くたびに、IDやパスワードを要求されるというところからして、間違った使い方をしている印だろう。それでもなんとか続けていれば、子供たちのように使いこなせる日が、来るのだろう。
 
     冬枯れの 庭にけなげな 木の芽かな  

 去年の秋頃から、字数を合わせるだけのような、句を作っている。

     あるだけの 菊投げ入れよ 棺の中

 
 漱石の句だと聞くが,とてもこの域には届かない。家族か友人か、敬愛する知人か、いずれにしろ、強い悲しみが迸る句だ。というところで、今日はこれまでとするか。

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今年の目標

2010-01-12 14:20:04 | 随筆
 三十年くらい前は日記を書いていたが、今はすっかりやめている。

 最近、何かを書きたいというか,思いを表現したいというのか、要するに,気まぐれが生じてきたということで、
息子たちの力を借りて今年は自分のブログを作ろうと思うようになった。

時には,携帯で撮った写真ものせてみようと,日頃は縁のない、というより、むしろ敬遠してきたバソコンと
携帯に近づく決心をした。会社を円満退職して以来,金はないが時間はたくさん持てるようになったから、これ
を活用することが人生を楽しむことにつながると独り合点している。

 これからの予定は,息子の助言を得ながら携帯からパソコンに写真を取り込むためのケーブルなども購入しなけ
ればならない。 

 誰に読まれずともよいから、自分の心の記録として続けて行き、楽しんでみたいと、少し気持ちがはずんでいる。
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