ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

党員・党友票の結果 ( 千葉・茨城・大阪 )

2021-09-30 18:00:44 | 徒然の記

  昨日 ( 6月29日 ) 、産経のwebニュースを見て、「千葉県民の敗北宣言」をブログにしました。茨城県と大阪府の党員・党友による投票結果が、報道されていましたので、千葉県と合わせてご報告します。

 〈 1. 千葉県 〉

    河野太郎氏が 1万 617票 でトップ

    高市早苗氏が   4939票

    岸田文雄氏が   4712票

    野田聖子氏が   1778票

      ( 注 ) 投票総数は2 万 2 0 9 8 票、投票率は66・16%、無効票は52票

      ( 注 2 )4候補のうち、河野氏のみ県内選出国会議員の推薦人がいなかった。

 

 〈 2. 茨城県 〉

    河野太郎氏が   1万 3 2 0 4票 でトップ

    岸田文雄氏が   1万   4 2 8票  

        高市早苗氏が     3 339票

    野田聖子氏が   17 4 1票

          ( 注 ) 投票総数は4 万 4 0 40 票、投票率は65・29%

 

 〈 3. 大阪府 〉

    河野太郎氏が          9 8 2 1 票 でトップ

    高市早苗氏が    7 9 9 4 票

    岸田文雄氏が    6 2 5 8 票

    野田聖子氏が    16 2 7 票

           ( 注 ) 投票総数は2万5774票、投票率は67・11%、無効票は74票

 他の主要な県も分かれば、興味深いのですが、今のところこれだけしか探せませんでした。それでも千葉県は、やはり異常な数字です。こんなにも河野氏が突出しているのは、氏の一番弟子の「秋本真利氏」の活動が功を奏したのでしょうか。

 道路を作ったり、市街地の開発をしたり、橋を作ったり、秋本氏は典型的な「利益誘導型」の政治家ですから、利権で有権者を集めているのかもしれません。どっちにしてもこの結果を見た時、私は千葉県の自民党員の政治意識の低さに唖然としました。茨城県と大阪府の結果を知った今でも、この思いは変わりません。皇室への敬意も無く、憲法改正も言わず、中国で金儲けしている河野氏に、どうしてこれほど票を入れるのでしょうか。

 千葉県の自民党員は、国を大切に思っていないのでしょうか。救いは、( 注 2 ) の説明でした。

   ( 注 2 )4候補のうち、河野氏のみ県内選出国会議員の推薦人がいなかった。

 党員と違って、さすがに議員は自民党員の常識があり、「中国の代理人」とは距離を置いているようです。( 注 2 )の説明がなかったら、千葉県に失望したままだったと思います。

 本日の千葉日報の記事にも、心強い印象を受けました。共同通信社の配信でなく、千葉日報社の独自取材だと思いますが、これでこそ県民紙です。県民が知りたい事実を、きちんと伝えています。「ねこ庭」を訪れる方々の読まれている地方紙が、同じ報道をしているのかについて、知りたくなります。記事のタイトルは、「県選出国会議員の投票先」です。

  選 挙 区   氏       名     派   閥     第1回目     第2回目  

   第  1 区      門山 宏哲     石破    非公表    非公表 

      第  2 区  小林 鷹之     二階    高市     岸田

   第  3 区  松野 博一      細田    非公表    岸田

   第  5 区  薗浦健太郎      麻生    岸田     岸田

   第  6 区  渡辺 博道      竹下    岸田     岸田 

   第  7区    斉藤  健      石破    河野     河野

   第  8 区  桜田 義孝      二階    高市     岸田

   第  9 区  秋本 真利      無派閥   非公表    非公表

   第10 区  林 幹雄          二階    非公表    非公表

   第11 区   森 英介       麻生    岸田     岸田

   第1 2区  浜田 晴一      無派閥     野田     非公表

      衆・比例    木村哲也       無派閥   河野     河野 

      衆・比例    出畑 実       二階    非公表    非公表

   参・千葉    石井 準一      竹下    非公表    岸田

   参・千葉    豊田 俊郎      麻生    河野     河野

   参・千葉    猪口 邦子      麻生    岸田     岸田

   参・千葉     元栄太一郎         竹下    野田     非公表

 派閥の意向に逆らっている議員が、「非公表」となっているのか。二階派の議員の苦労が伝わってきます。私の選挙区は 第  9 区ですが、秋本氏は無派閥ですから公表しても良いはずなのに、「非公表」です。 参・千葉  石井 準一氏秋本氏同様、私の目には、日本のためにならない、胡散臭い議員です。

 したがって、秋本氏と石井氏に関しては常に棄権すると決めていますが、妥当な判断でないかと思っています。同じ千葉県の方には参考になるのか、ならないのか。他県に住われて、「ねこ庭」を訪問される方々に、何かの役に立ったのか。とんと見当がつきませんが、「岸田総裁誕生」にひと安堵しましたので、ご報告方々ブログにまとめてみました。

 次回からは、中断していた『日露戦争』の書評に戻ります。

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自民党総裁選の結果

2021-09-29 18:43:39 | 徒然の記

 総裁選の結果が判明し、岸田氏の総裁就任が決定したので、一安心しました。NHKの実況報道を最後まで見ました。岸田氏の総裁就任挨拶は、珍しくはっきりとした口調で、まずコロナ対策で大変な中、総裁選挙を支えた党員・議員・選対関係者へのお礼と感謝の念が表されました。

 「足元においては、引き続き、わが国の国難が続きます。」「コロナ対策、必死の覚悟で努力を続けていかなければなりません。」「また、数十兆円規模の経済対策を、年末までに、しっかり作り上げなければなりません。」

 国難の中には、中国による尖閣の領海侵犯や、皇室安定化のための皇位継承問題がありますが、そこには触れず、次のように述べていました。

 「新しい資本主義、また〈 自由で開かれたインド太平洋 〉の実現へ、」「さらには少子化対策など、わが国の未来に関わる重大な課題が山積しています。」

 「新しい資本主義」が具体的に何を指すのか、やや不安ですが、〈 自由で開かれたインド太平洋 〉の実現は、大賛成です。敵対する中国への政策であり、その向こうには「憲法改正」があります。これまでのようなむやむやでなく、力強く、ハッキリと語る氏に、期待したくなりました。菅総理の労に感謝し、「ご苦労さまでした」と下げた頭には、気持ちがこもっていました。

 応えた菅総理の挨拶にも、胸に響くものがありました。つい先日までは、続投の意思を持ち努力していたのですから、複雑な思いだったはずですが、党員・議員への感謝を述べ、今後も党が一丸となり、国政を進めていこうとエールを送ったのは、立派でした。

 「私はコロナ対策とともに、重要法案も成立させました。」「重要土地規制法と国民投票法です。」「デジタル庁設置と脱炭素社会への道筋をつけました。」

 会場のざわめきの中で、菅総理の言葉はあまり注目されていませんでしたが、「重要土地規制法」と「国民投票法」の成立は、間違い無く総理の功績です。ネットの情報を見ましても、なぜかこの2法への誉め言葉は見当たりません。しかしこれこそが、保守自民党の総理として、安倍政権から引き継いだ、「日本再生」への一歩となる重要法です。せめて「ねこ庭」を訪れる方々だけにでも、正しく評価していただきたいものです。

 前置きはここまでとし、総裁選の結果が下記の通り報道されました。

 〈 第1 回目の投票結果 〉

   岸田文雄(64) 256票

   河野太郎(58) 255票

   高市早苗(60) 188票

   野田聖子(61)  63票  ・・・合計 762 票

 

 〈 第 2 回目の投票結果 〉 ・・・決選投票

   岸田文雄(64) 257 票

   河野太郎(58)  1 7 0 票   ・・39.8%

     ( 内訳 国会議員  380名 地方票 47名分  合計 427 票 )

 第 1 回目の投票結果は、たった 1 票の差で岸田氏が一位になりました。文字通りの辛勝です。2回目の投票で過半数を取りましたが、これは高市氏支持の議員票の結果だと思います。総裁になったとはいえ、岸田氏の政権は難しい舵取りが予測されます。河野氏の第 2回目の獲得数の比率は、39.8%ですから、これを無視しての政権運営はできません。

 まして高市氏との連携は不可欠ですから、岸田氏はいずれのグループにも気配り、目配りが欠かせなくなります。「護る会」の議員諸氏のように、ドーンと「国益」を大きく掲げていませんから、しっかりしていないと、いつもの優柔不断な氏に戻ります。今回の総裁選の挨拶で、明確な言葉で語り、国民を安堵させたのですから、これからもぶれない総理として「走って」下さい。

 私は今後、敵対する中国の「代弁者」である河野氏を推薦した、下記議員の落選のため、自分のブログで発信を続けます。

  推薦人代表   伊藤 達也   選挙責任者   坂本 哲志
 
  推 薦 人   あべ 俊子   穴見 陽一    伊藤 忠彦

        石原 宏高   うえの 賢一郎  岡下 昌平

       田中 良生    平 将明    高橋 ひなこ

       武村 展英    野中 厚    古川 禎久

       宮崎 政久    義家 弘介   島村 大

また千葉選挙区では、安倍氏の弟子を公言する秋本真利氏と、公明党心酔者の石井準一氏には、投票しません。自民党支援者でも、この二人の投票については、棄権すると決めています。

ネットの発信と選挙の一票が、私たち庶民の武器です。

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千葉県民としての敗北宣言

2021-09-29 12:45:16 | 徒然の記

 総裁選の開票速票は、千葉県が一番に出ました。産経のwebニュースです。

  河野太郎氏が 1万 617票でトップ

  高市早苗氏が   4939票

  岸田文雄氏が   4712票

  野田聖子氏が   1778票

 千葉県の自民党員と議員の常識のなさ・・というより、「国を愛する心」の低さに唖然としました。

 この調子で他府県の開票が進むとしたら、自分たちの日頃の努力の足りなさを反省させられます。もう少しすると、状況がはっきりすると思いますが、まずは自分の住む千葉県の、情けない事実を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にご報告いたします。

 

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もしもの話

2021-09-25 16:04:01 | 徒然の記

 総裁選が終わるまでは、『日露戦争』の書評に専念できないと分かりましたので、今回は「河野ファミリー」への怒りを殺し、「もしもの話」をします。

 九州人なら大抵知っていますが、九州工業大学と言う国立大学があります。昔は北九州工業大学と呼ばれていましたが、九州では、九州大学に並ぶトップクラスの名門校です。分かりやすく言いますと、東京に、東京大学と東京工業大学があるように、九州大学と九州工業大学があります。

 話はここで大きく飛んで、明治32年6月、文豪森鴎外が北九州の小倉に、軍医部長として赴任しました。およそ2年9ヶ月住んでいましたが、「もしもの話」は、その時のことです。ネットの情報によりますと、当時の鴎外の肩書きは「軍医総監」で、少将待遇と言いますから、まさに高官でした。

 その高官・鴎外の目に苦々しく写っていたものが、九州の富豪たちでした。当時の富豪と言いますと、いわゆる炭鉱主、その頃の言葉で言えば「坑業家」です。美衣を身につけ、酒食に耽り、彼らの傍若無人な振る舞いを、知らぬ人はなかったと言います。

 私の知る話で、その一つの例が「花嫁人形」の歌です。誰もが知っている、あのもの悲しいメロディーの童謡です。

  きんらんどんすの 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

  文金島田に 髪結いながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

 歌のモデルになったのは、柳原燁子と九州の炭鉱王伊藤伝右衛門の結婚だそうです。ネットの説明を、そのまま転記します。

 「明治43年、伝右衛門は50歳、炭鉱労働者からの叩き上げであり、学問はなく、妻を亡くした直後であった。」「親子ほどの年齢差、身分・教養ともあまりに不釣り合いであり、」「日の出の勢いの事業家で富豪とはいえ、労働者上がりで地方の一介の炭鉱主が」「〈皇室の藩塀〉たる伯爵家から妻を娶るのは、前代未聞のことで、」「華族の令嬢が売物に出た、と話題になった。」

 炭鉱主の実例として挙げましたが、要するに鴎外は、こうした富裕層に眉を顰めていました。当時の福岡日日新聞に寄稿を頼まれ、「我をして九州の富人たらしめば」と言う題名の原稿を寄せた・・・これが本日のメインテーマの一つです。

 鴎外の主張は、もし自分が金持ちなら、酒食や贅にばかりに富を費消せず、もっと社会に役立つように使う。九州は歴史の宝庫だから、学者を集め、研究所を作り、九州の学問・文化のために貢献する、と言う富豪たちへの警鐘でした。

 そう言うことなら、よし分かったと、作られたのが九州工業大学だと言います。明治ならではの、面白い話ではありませんか。

 「もしもの話」の一つ目は、鴎外の「もしも自分が、九州の富豪ならば」と言う新聞記事の話です。次の「もしもの話」には、前置きが必要になります。覚えておられる人も多いと思いますが、立花隆氏が、「田中角栄研究〜その金脈と人脈」と言う記事を『文藝春秋』に書き、大スクープとなりました。昭和49年10月のことでした。

 田中角栄元首相は、「今太閤」、「コンピューター付きブルドーザー」とマスコミに持て囃されていた実力者でした。敵も多いが味方も多い政治家で、常に話題を振り撒く、やり手の宰相でした。しかし立花氏が詳細な調査をもとに、角栄氏の錬金術を文藝春秋の記事で明らかにしたため、総理を辞任する羽目になりました。

 私も読んでいますが、すっかり中身を忘れてしまい、息子たちに伝えることができません。しかし、ここからが本日のメインテーマになります。

 「もしも日本に、今も本物のジャーナリストがいるのなら、」「河野ファミリーの錬金術を、本気で調べてはどうなのか。」

 日本最高の権力者だった角栄氏を、権力の座から下ろした記事を書いたのに、立花氏は仕事も干されず、変わらずに活動していました。他の国だったら、いつの間にか、この世から消されていると思いますが、これが日本の素晴らしいところです。

 ネットを見ますと、9月21日の「文春オンライン」に、河野氏が「ファミリー企業」から得た政治献金が、6千7百万円だったと書いてありました。しかしこれだけでは、この金額が、何年から何年までのものなのか。「ファミリー企業」とは、どの会社を指しているのか。さっぱり分かりません。

 また別の情報では、河野氏が「日本端子」から得た政治献金が、平成8年以来今日までで3千万円だと言います。だがこんな金額であるはずがありません。

 河野氏には、株式配当金が毎年別にあります。まして父親の洋平氏や、弟の二郎氏には、高額の配当金だけでなく、多額の役員報酬も入っています。この金は、河野太郎氏やその周辺の政治家へ、政治献金として流れているのではないかと、性悪の私は考えます。同じ性悪のジャーナリストなら、これくらいのことは、やろうと思えば調べられるはずです。

 「日本端子」に関しては、下記の情報しかありませんが、調べていけばもっといろいろ分かるはずです。

   資本金 一億円 

   売上高  120億円(2009年3月期)

   純利益  22億1300万円 (2021年03月31日時点)

   純利益率   18.3 %

      純資産   261億円(2021年03月31日時点)

   従業員数  440名 (2020年1月1日現在)

 「日本端子」だけでなく、「北京日端電子有限公司」、「昆山日端電子科技有限公司」、「香港日端電子有限公司」の3社と、氏の弟二郎氏が社長をしている 「恵比寿工業」、さらには「鈴江コーポレーション」を調査すれば、大スクープとなるに違いありません。

 くどくても、私の言いたかった、「本日のメインテーマ」を繰り返します。
 
 「もしも日本に、今も本物のジャーナリストがいるのなら、」「河野ファミリーの錬金術を、本気で調べてはどうなのか。」

 立花氏のレポート以後、田中角栄式「金権政治」が表舞台から消えました。あの記事がなければ、今でも自民党の総裁選挙では、千万円単位での金が動いていたはずです。それだけでも、政界の浄化に役立ちました。今回「河野ファミリー」のレポートが出れば、もっと大きな浄化ができるのではないでしょうか。

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『日露戦争』 - 9 ( 同族会社・日本端子 (株) )

2021-09-24 12:42:52 | 徒然の記

 前回は、「奉天の戦い」と「日本海海戦」前の、日本を取り巻く各国の動きを説明しました。今回は、「奉天の戦い」が終わり、ルーズベルト大統領が、調停に乗り出すたところから初める予定でした。しかしここで、予想していない事態が発生し、またしても書評の中断です。

 河野氏の弟・二郎氏が社長を務める「日本端子」が、中国に子会社を三つ持っていることが分かりました。北京、昆山、香港の3カ所で、作っている製品は端子と呼ばれるコネクターですが、これは太陽光発電機器に使われる電気部品です。

 山の斜面に敷き詰められた「太陽光パネル」は、火力・水力・原子力に変わる、代替えエネルギーとして注目されています。しかし山を切り開いて設置するため、自然破壊と、崖崩れの原因となり、熱海などで見られるような土石流災害の原因となっています。

 またパネルには有害物質が含まれ、使用後の廃棄処分が環境破壊にもつながると言われ、賛否両論があります。太陽光発電機のトップメーカーは中国にあり、世界各地に販売しています。「脱原発」を主張する河野氏は、小泉進次郎氏とともに、「太陽光発電」の推奨者でもあります。

 総裁選候補者の河野氏の、ファミリー企業のことがネットで発信され、大騒ぎになっていますが、私はこの事実を知って以来、不快感と怒りのため、「ねこ庭」を開く気が失せてしまいました。

 不正選挙で当選したバイデン大統領も、子息が中国で企業活動をし、法外な役員報酬をもらっていたとかで、騒がれていました。中国共産党政府は、主要国の有力政治家に自国で会社経営をさせ、配当金という形で大金を渡しているとも聞いています。クリントン大統領夫妻も、同様の手段で中国共産党に取り込まれていると、真偽は不明ですがこれもネットの情報でした。

 他国の話と思っていましたが、河野氏のファミリー企業の中国展開を知りますと、他人事ではないと実感しました。「私の政治活動には、なんの影響もない。」と、例によって氏は断言していますが、信用する人はいません。ネットの情報から、会社の内容を調べましたので報告します。

 〈 日本端子 〉株式非上場の同族会社

  1.  役員

   会長 河野洋平 ( 父 )  社長 河野ニ郎 ( 弟 )  取締役 河野典子 他5名 

  2.  株主

   日本端子       90,000 株 ( 自社株保有 )

   河野洋平       58,000    ( 父 )

        恵比寿工業      24,000  (  社長は、弟・二郎氏  )

        鈴江コーポレーション 10,000

        河野太郎         4.000        (  本人  )    他に5名

 
  3.  主要子会社
 
    ・北京日端電子有限公司
   ・昆山日端電子科技有限公司
   ・香港日端電子有限公司
 
 これ以上説明をしなくても、分かる人には分かると思いますので、あとは省略します。皇室破壊論者と言うだけでなく、エネルギー政策においても日本破壊主義者です。果たして党員・党友は、こんな河野氏が「総裁選のトップにいる」と、マスコミに言わせて平気なのでしょうか。
 
 日露戦争の歴史も総裁選も、どちらも大事なことなので脱線しましたが、次回は必ず本題 ( 276ページ ) へ戻ります。
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『日露戦争』 - 8 ( 小林外相の外交方針 )

2021-09-22 16:21:53 | 徒然の記

 267ページ「終戦交渉と列国の動き」の、書き出し部分を転記します。

 「国家間の紛争が、戦争にまで発展し、相手国を軍事的に、」「全面的に敗北させた場合でも、それだけでは戦勝国も、」「十分な成果をうることはできない。」

 下村教授の言葉は、「日露戦争」に関するものですが、「日清戦争」についても、そのまま当てはまります。戦いに負けていても、捨てられない大国の面子のため、清国もロシアも、言を左右にして敗北を認めませんでした。そこにあった戦勝国日本の内情を、氏が説明します。

 「日露戦争の場合、日本にとっては、資本のための市場の獲得や、」「天皇の名誉心の満足ためや、国内の不満を、」「外戦で逸らそう、と言うものでなかった。」「また、バルカン、中央アジア・清国で、ロシアの南下政策に悩まされる、」「イギリスにそそのかされ、その肩代わりをした、と言うような戦争でもなかった。」

 「日本は当時、そのような余裕のある戦争を、」「大国ロシアに仕掛ける富力、軍事力を持っていなかった。」「ロシアによる、韓国・満州への野心と進出に脅かされ、」「立ち上がっただけであった。」

 戦後の反日・左翼学者やマスコミが、侵略戦争だったと主張しても、諸般の事情から判断すれば、下村氏の意見が正しいと思います。政府の指導者たちも、勝利を確信していませんでしたし、まして世界の指導者たちは、日本の敗北を予想していました。それだけに、「奉天の戦い」でロシア陸軍を敗走させ、「日本海海戦」でバルチック艦隊を全滅させた時、世界中が驚きました。

 少し横道へそれますが、息子たちに伝えたいのは、氏の次の言葉です。( 272ページです。 )

 「日露戦争開始前に、わが軍部に満州作戦の具体的構想はなかったが、」「公表された歴史書類には、あたかも存在していたかのように、述べたものがある。」「それが嘘であり作文であることは、戦前の陸軍大学の講義が証明している。」

 「当時の若手軍人や官吏が組織した " 胡月会  " や、民間ジャーナリストなどの放言を引用し、 」「満州に対する侵略意図を説く歴史家があるが、それは資料を分析する能力がないか、」「他に意図があって、やっているのである。」

 日清・日露戦争を、侵略戦争と説明する南原繁、宮沢俊義、芦部信喜氏らの学者たちは、こうした自己に有利な、作られた資料を使っているのでしょうか。次の説明を読みますと、どちらの教授が正しい事実を述べているのか、分かると思います。

 「こんな戦争であったから、完勝は期待できないため、」「政府は戦前、戦後を通じて、外交を重視した。」「戦争を互角以上になんとか持っていき、外交的に国家利益を守ろうとした。」「その外交を担当したのが小村寿太郎で、彼は列国との関係に苦心した。」

 日露講和条約の締結後、まるで国賊のように非難・攻撃された小村外相のことを、私は知っています。しかし今回氏の著書を読み、外相に関する考えを大きく改めました。

 「小村外相の奮闘は、東郷元帥に匹敵する功績だった。」

 これは外相の外交基本方針と、当時の各国の動きを知れば、自ずと納得できますので、割愛しつつ紹介します。

 〈 小村外相の外交基本方針 

  ・日露交渉に対し、同盟国イギリスを含む第三国が口を入れることは、それがどのような方法によるものであっても、ロシアの利益となる懸念があるから避ける。

 〈 イギリス 〉 

  ・同盟国であるから、日本は戦争前から、対露交渉経過を内報した。

  ・日露交渉への不干渉を要請し、了承を得た。

 〈 ロシア 〉

  ・国内で戦争熱が高まらないことと、日本の強腰は、イギリスの陰謀であると宣伝し、イギリスを挑発した。

  ・ロシア外相ラムスドルフは、この情勢を利用して、イギリスに調停させようとした。

  〈 アメリカ 〉

  ・義和団事件以後、主としてロシアの満州侵略に対抗する面が強かった。

  ・日本と協調し、米清条約に門戸開放を要求していたので、むしろ日本に同情的であった。

  ・イギリス同様、日本は対露交渉経過を通告し、日露交渉への不干渉を要請し、了承を得た。

  〈 ドイツ 〉

  ・自国領の安全のため、独露密約があるとの噂があった。

  ・ドイツ皇帝ウィルヘルム二世が、在独ロシア大使に、「日露開戦の場合、余は中立を守るが、ロシアは万事ドイツに、」「友誼的援助を期待して良い。」と語っていた。 

  ・小村外相は、ドイツに対しても、日露交渉への不干渉を要請した。

  〈 フランス  

  ・露仏同盟が威力を減少することを恐れ、ロシアがドイツ寄りになることを警戒し、日露間を調停する動きをしばしば見せた。

  ・外相デルカッセは、英米に共同調停を呼び掛けたが成功せず、単独で行おうとした。

  ・日本に調停の意思を通告したが、小村に拒否された。

 少し長くなりましたが、これが日露開戦後の各国の動きです。日本が戦果を上げていますが、「奉天の戦い」と「日本海海戦」はまだこれからと言う時です。次回は、ルーズベルト大統領の動きについて報告します。金子堅太郎の苦労が、偲ばれます。

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『日露戦争』 - 7 ( 日露戦争と現在の自民党議員 )

2021-09-21 16:20:33 | 徒然の記

 日露戦争の中には、多くの戦いがありましたが、私が知っているのは、「旅順の戦い」、「奉天の戦い」、「日本海海戦」です。

 このほかに、「仁川沖の海戦」、「南山の激戦」、「ロシア東洋艦隊撃滅戦」、「遼陽の戦い」、「沙河の戦い」などがあることを教えてもらいました。高台に堅固な要塞を築いたロシア軍は、攻め寄せる日本軍を狙い撃ちにします。夜襲、肉弾戦、強行突入と、日本側が死力を尽くし奪っても、援軍を投入したロシア軍がまた奪い返すといった具合です。陸上戦で最も日本軍の戦死者が多く、苦戦したのが「旅順攻撃」でした。

 司馬遼太郎が『坂の上の雲』の中で、指揮官の乃木大将を散々罵倒していたことが、私の記憶に残っています。しかし地上戦で一番大規模だったのは、「奉天の戦い」でした。海上戦で最大の戦いは、言うまでもなく「日本海海戦」で、東郷司令長官の指揮により、ロシア軍の最強部隊と言われた「バルチック艦隊」を打ち破りました。

 73から266ページまでは、押されたり押し返したりを続けながら、一つずつ日本がロシアに勝ち進んでいく様子が、詳述されています。寒風と雪と、ぬかるんだ道、補給の追いつかない弾薬と食糧など、戦争の過酷さと悲惨さも語られています。

 しかし私は、こうした戦いの叙述を割愛し、最終章へ飛びます。

 267ページ「終戦交渉と列国の動き」・・です。

 「日露戦争」終結のため、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカといった世界の強国が、どのような動きをしたのか。日本のご先祖さまたちは、どのように対処したのか。・・私はこれを、息子たちに伝えたいと思います。現在につながる、世界の国々の国益を前面に出した、つばぜりあいがあるからです。

 「日本だけが間違った戦争をした。」「日本軍だけが、他国を侵略した無謀な集団だった。」何度でも繰り返しますが、国際社会の複雑さと、非情な駆け引きがどのようなものであるかを、息子たちが知り、戦後日本の反日・左翼学者の意見の間違いを理解して欲しいからです。

 29日の自民党総裁選において、反日の候補者たちが手を挙げ、マスコミが持ち上げている現状を見ていますと、危険な状況にある日本が見えます。

  1. 日本人の心を一つにする皇室を、守り続ける。

  2. 日本の国民と国土を守る軍隊を持つ。

 中国発「武漢コロナ」への対応ばかりでなく、上記  1. 2. を語らない総理は、国難の日本を救うリーダーになれません。総裁選候補の一位にあると、マスコミが持て囃す河野氏は、「皇室破壊論者」です。「女系でも女性でも、皇室を継続させることが大事だ。」と、こんなことを言う人間が、なぜ自民党の総裁になり、国の舵取りをする総理になれるのか。

 「11宮家の復帰は、本当に必要があるのか。」「DNAをしらべたら・・・」と、この意見は、中国共産党の主張そのままです。河野氏は、敵対する中国の代弁者なのでしょうか。こう言う氏を支援している議員名を、ネットの情報から得ましたので転記します。

  推薦人代表   伊藤 達也   選挙責任者   坂本 哲志

 

  推 薦 人   あべ 俊子   穴見 陽一    伊藤 忠彦

        石原 宏高   うえの 賢一郎  岡下 昌平

       田中 良生    平 将明    高橋 ひなこ

       武村 展英    野中 厚    古川 禎久

       宮崎 政久    義家 弘介   島村 大

       そのだ 修光   中西 健治   山下 雄平

 さもありなんと思う人物もいますが、えっ、こんな人がとびっくりする議員の名前もあります。しかしここに名前を連ねている議員諸氏は、中国共産党と同じ主張をする河野太郎氏を支援している限り、国を大切にする政治家ではありません。だから私は、次回から267ページ「終戦交渉と列国の動き」に書評を飛ばします。

国際社会の非情さも知らず、ご先祖様の苦労も勉強せず、保守自民党の名前を汚す議員たちです。次の選挙では、落選させましょう。

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『日露戦争』 - 6 ( 明治天皇と伊藤博文侯 )

2021-09-20 17:14:54 | 徒然の記

 明治37年早々、日本政府は戦争回避のための提案書を、ロシア側に手交しました。軍備増強を続けるロシアは解答せず、ウラジオストック在住の日本人への退去命令を出します。情報を受けた政府は、ロシア軍の攻撃開始真近と判断し、急遽同年2月4日に御前会議の開催を決めました。

 「陛下の決断を得るための御前会議は、午後1時40分に開かれ、夕刻まで続いた。」

 氏の説明に従い明治天皇の席に向かって、右側と左側に並ぶ出席者の顔ぶれを転記いたします。

  〈 右側に並ぶ重臣 〉      〈 左側に並ぶ重臣 〉

    伊藤枢密院議長          山本海相  ( 首相代理 )

    大山参謀総長           小村外相

    寺内陸相             元老・山縣有朋

    曽彌蔵相             元老松方正義

    元老井上馨            桂首相   ( 激しい腹痛のため欠席 )

 「伊藤は寺内陸相・山本海相らに、果たして勝算があるかどうかたずねた。」「ともに確信はなかった。」「伊藤はさらに、曽彌蔵相に、軍費その他、」「国内経済上の諸問題について質問した。」

 「やがて、伊藤が聖断を乞うた。」

 明治天皇が述べられたお言葉を、息子たちのため転記しますが、もしかするとそれは、私が知る数少ない陛下のお言葉なので、自分自身のためかもしれません。

 「国交断絶は、日露両国の不幸である。」「できる限り、平和的解決に持っていきたい。」

 意外なお言葉でした。ロシアによる「三国干渉」に対し、陛下も「胡月会」の血気な軍人のように、強い言葉を述べられるとばかり思っていました。軍服姿の写真しか見たことのない私は、激しい性格の方だと勘違いしていたようです。

 「先に送った文書に、まだ回答を得ないことは、誠に残念である。」「私および私の政府が送った電文が、まだ貴陛下のお耳に達していないためかと、考える。」「ついては、自ら直接ロシア皇帝に、最後の電文を送ってみたいと思う。」

 陛下が電文案を読み上げられると、すぐに打電され、ここで会議が打ち切られています。しかし翌日になっても、ロシアからの回答がないため、政府は最終の電文を打ちました。

 「日本政府はこれまでの談判を断絶し、貴国のため侵略せられた、わが国の地位、」「権利・権益を防衛・保護するために、必要な独立行動を取ることに決めた。」

 日清戦争前の清国もそうでしたが、ロシアも日本を軽視し、まともな対応をしていないことが分かります。国土の広大さと人口から見れば、遥かに小さな国ですから、彼らが軽くあしらっても不思議はありません。小さな国が、大きな国にまともに扱われないのが、国際社会の現実だからです。

 明治天皇は、清国との交渉が難航しているときにも、次のように語られていました。 

 「この際、前後の策を誤ってはならぬ。」「休戦のことは、先方が申し出ている通り、無条件にやってよろしい。」「なお償金も手心を加え、早く事件の決着をつけるよう、」「伊藤に伝えよ。」

 病気がちだった大正天皇については、資料がほとんどありませんが、明治・昭和の両陛下について、私たちはもっと心に刻む必要があります。現在67ページですが、伊藤侯の言葉も、同様に刻むべきと考えます。

 「伊藤は、御前会議の終わった夕刻に、金子堅太郎を呼び寄せた。」「金子はかって伊藤の助手として、憲法起草に当たったことがあり、」「アメリカにルーズベルト以下の友人を持っていた。」

 「伊藤が金子を呼んだ理由は、すぐアメリカへ行き、ルーズベルトの斡旋を得ることとアメリカ世論の工作をするためだった。」

 伊藤侯は、開戦前に既に和平のことを考え、その手を打とうとしていました。話を聞かされた金子は、役目の困難さを考え、渡米を渋りました。

 「君は、成功不成功の懸念のために、行かないのか。」

 伊藤侯の問いに金子がうなづくと、侯が言いました。

 「それならば言うが、今度の戦いについては、誰一人として成功すると思う者はいない。」「陸軍でも海軍でも大蔵でも、今度の戦いに、日本が勝つと言う見込みを立てている者は、」「一人としてありはしない。」

 「かく言う伊藤は、もし満州の野にあるわが陸軍が、」「ことごとく大陸から追い払われ、わが海軍が、」「対馬海峡でことごとく撃ち沈められ、いよいよロシア軍が、」「海陸からわが国に迫った時は、伊藤は身を士卒に伍し鉄砲を担いで、」「山陰道か、九州海岸において、命のあらん限りロシア軍を防ぎ、」「敵兵は、一歩たりとも日本の土を踏ませぬという、決心をしている。」

 金子は侯の胸の内を語られ、彼もまた、命をかけて渡米の決意をします。読んでいる時は静かに文章を追いましたが、こうして文字を打ち込んでいますと、自然と涙がこぼれます。この叙述に、「ご先祖さまの苦労」がこもっている、と分かったからだと思います。明治天皇のお言葉も、侯の言葉にも、忘れてならない「日本人の心」がありました。

 それを「大和魂」と言う人もあり、「武士道」と呼ぶ者もいます。私は私なりに、「愛国心」と言います。「大和魂」も「武士道」も「愛国心」も、戦後の日本では、ヤクザも者の右翼を表す言葉になっています。国民に忌避され、嫌悪される言葉です。

 しかしこの言葉は、元々は謙虚で、弱い者いじめをするような、口先だけのならず者の使う言葉ではありません。くどいので息子たち嫌われるだろうと思いますが、日本をこんな情けない国にしたのは、「東京裁判史観」を肯定し、亡国の「日本国憲法」制定に手を貸し、国内に広めた学者たちです。

 中心人物は、南原繁、宮沢俊義、芦部信喜氏らの憲法学者たちです。

 読んでいるのは232ページですが、書評はやっと68ページが終わったところです。「そりゃあ、ご苦労なことだね。」と、笑う人間がいるのかもしれませんが、

 「ご先祖さまのご苦労を知れば、遅々とした書評などなんでありましょう。」「他人の批評をする暇があったら、貴方こそ総裁選の報道で、河野太郎氏や共同通信社に騙されないようにしなさい。」・・・と、これが本日の結論です。

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『日露戦争』 - 5 ( 明治の元勲と若手軍人たち )

2021-09-19 13:27:34 | 徒然の記

  ロシアがウラジオストック港を開き、クロポトキンが「日本との戦争はロシアにとって、軍事的散歩に過ぎない。」と、語っていた当時の、ロシアと日本国民の意識を下村教授が説明しています。( 48~49ページです。 )

 「ロシア国内では、戦争に対する民衆の関心は極めて低く、」「動員が始まれば、逆に不平不満の声の方が高まっていた。」「ロシア国民にとって、遥か遠方の満州・朝鮮の出来事などでは、」「国家の危機という意識が、一向に生まれなかったのだ。」

 「それに比べると、日本の事情は大きな違いがあった。」「日本国民にとっては、軍事力を先に立てる、ロシアの極東侵略に対する恐怖が、」「そのまま、国家の存亡に関わるという危機感になっていたのである。」

 大国ロシアへの恐怖感が、国民の意識を萎えさせるのでなく、返って怒りと憎しみを高め主戦論へと走ったところが、事大主義の朝鮮国民との違いです。しかし政府の動きはどうであったか。これについても氏が説明しています。( 50ページです。 )

 「一般世論は、三国干渉以来、対露敵愾心に覆われていたと言って間違いない。」「しかもそれに拍車をかけたのは、歴代内閣、伊藤・山形・西園寺・桂らの施政であった。」

 「彼ら国家の指導者たちも、心理としては一般国民と同じあったかもしれないが、」「いやしくも国家を背負った者が、迂闊な発言ができるわけもなく、」「また当時の日本の実力を、十分に知っていたため、」「列強、特にロシアに対しては、極めて慎重な態度で臨んでいたのである。」

 息子たちには、何度でも言います。いったいこの日本のどこが、侵略国家なのでしょう。憲法学者の宮沢俊義氏や、芦部信喜氏の、こんな批判を許してはなりません。

 「日清戦争も、日露戦争も、太平洋戦争も、みんな日本の侵略戦争だった。」

 彼らの意見が、戦後に蔓延した反日・左翼思想の産物でしかないことが、確認できます。臆病者と罵られながら、それでも慎重だった政府に対し、マスコミはどう報道したのか。これについても、氏が説明しています。( 52ページです。 )

 「主戦論には、新聞雑誌が大きな役割を果たしたことは、言うまでもない。」「ほとんどすべての論調が、ロシアの侵略に対する恐怖から、」「憎悪に身満ち満ちて、国民の士気をかき立てていた。」

 100年前も現在も、マスコミは「売らんがための記事を書く」ことを優先させています。国民の感情を煽り立て、冷静な判断を曇らせ、だからここでも、ちょっと言いたくなります。

 「河野太郎氏と、共同通信社に騙されてはいけません ! 」

 では、軍国主義、侵略主義者の集まりと言われる、軍人の動きはどうであったか。これについても、氏の説明を転記します。

 「当時陸軍は、元帥山縣有朋、参謀総長元帥大山巌を大御所とし、」「首相・大将桂太郎、参謀次長大将児玉源太郎、陸相・大将寺内正毅らが抑えていた。」

 「薩摩出身の大山を除いて、すべて長州出身である。」「みなわが国軍閥史上、著名な人物ばかりである。」

 陸海軍の若手の中には、対露強行論を主張する者が沢山いました。いわゆる「胡月会」と言われる、若い軍人の集まりで、ロシアの横暴を抑制しなければ、日本の前途は憂慮すべきものになると、息巻いていました。彼らは、上層部を開戦に踏み切らせようと、しきりに説得したと言います。

 1. 外務省・政務局長山座円次郎

  「伊藤は親露協調派の親玉だから、言うことを聞くまいが、」「ウンと言わなければ、叩き殺すまでだ。」と放言していたが、伊藤博文から激しく叱責された。

 2. 海軍中佐・上泉徳弥

   山本海相に逆襲された。「言うことは分かる。だが戦争には、何十億という金がいる。」「どうやってその金を作るんだ。そこまで考えているのか。」

 3. 陸軍大佐・福田雅太郎

   「君たちの考えは、書生論に過ぎん」と、やっつけられた。

 簡単に一部分を転記しましたが、いずれも一身を賭した激論です。大事なのは、氏の次の叙述でしょう。

 「当時は、昭和の軍部のように、下克上の風潮はなかった。」「上層部には国家があるだけで、清廉潔白、」「私的欲望は抑制していたから、水火も辞さない若手に、」「つけ込まれる隙もなければ、抑えも利いたのである。」

 軽挙妄動しない、明治のご先祖さまたちの姿が、垣間見られます。そうは言っても、ロシアの行動を見ていれば、戦争突入の危機は明らかです。軍の若手には賛同しませんでしたが、陸軍も海軍もあらゆる手を尽くし、開戦の準備を進めます。

 本日はこれまでとし、次回は明治天皇の出席された御前会議の模様を、氏の著作から教えてもらいます。時間の許す方は、「ねこ庭」へ足をお運びください。

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『日露戦争』 - 4 ( 「極東進出」と 、〈核心的利益〉 )

2021-09-18 21:26:49 | 徒然の記

 まだ23ぺージです。予定変更が重なり、なかなか書評が進みません。本日は下村先生に教わった、興味深い言葉を紹介します。

 万延元年、西暦で言えば1860年に、ロシアはイギリス、フランスと清国の軍事衝突を仲裁し、その報酬として、ウスリー江の一帯を獲得します。そしてここに、ウラジオストック港を開きます。名前だけは、大抵の日本人が知っていますが、その意味は知りません。

 「ウラジオストックとは、ロシア語で〈東方を支配せよ〉の意味。」だそうです。

 つまり、ロシアの国是である「極東進出」の拠点となる港です。「極東進出」という言葉も、言葉だけなら大抵の人が知っています。これを今の言葉で言いますと、大国と自称する中国が、盛んに使う「核心的利益」と、同じ意味です。ネットの助けを借りて、息子たちに説明しますと、恐ろしい言葉だと分ります。

 〈 核心的利益 〉

   ・どんな代償を払っても、守らなければならない決心を示すときに使われる、中国の外交用語。

   ・絶対に妥協することはできない、武力行使も躊躇(ちゅうちょ)しない意味がこめられている。

 昔から使っていた言葉でなく、平成21 ( 2009 ) 年の胡錦濤国家主席、温家宝首相の時からの外交用語です。中国経済が、政府主導の強力な需要拡大策により、いち早く金融危機を乗り越え、2010年にはGDPが、日本を抜いて世界第2位になることが確実になった時です。

 自らを世界の後進国と認め、日本をはじめ各国から支援を受けていましたが、国力がついてくると、次第にわがままを言う大国の仲間入りをし、「核心的利益」を強調するようになりました。日本のマスコミや反日学者、あるいは政治家も、中国の尊大な主張に恐れをなしているのか、正しく説明しません。
 
 今回は自分の知識を整理するためにも、正確な情報をネットから転記します。
 
 〈 核心的利益の内容 〉・・・3つありますが、2.  3. は省略します。

         1.  国家主権と領土保全(国家主権和領土完整)

    ・台湾問題  

    ・「一つの中国」の原則

    ・チベット独立運動問題

    ・東トルキスタン独立運動問題 

    ・南シナ海問題 ( 九段線・南海諸島 )

    ・尖閣諸島問題

 どうでしょう。平成21年の段階から、中国共産党政府が公言しているのに、自民党をはじめ野党も、国民への説明を怠っています。尖閣への領海侵犯も、早くから分かっていたのに、いまだに無策で、なされるがままです。中国政府は、武力を使ってでも「核心的利益」に対処すると言っているのですから、亡国の「日本国憲法」をなぜ変えようとしないのでしょう。

 今回の総裁選においても、国防や安全保障を語ったのは、高市氏だけで、後の三人は知らぬ顔です。私がここで、わざわざ「中国の核心的利益」の説明をした理由は、二つです。

 1.  ロシアの国是である「極東進出」の意味を、息子たちに理解してもらいたい。

 2.   国難の日本を語らない総裁候補に、総理の椅子を与えてはならない。

 そしてまた、下村教授の著作を読んでいますと、悪法「日本国憲法」の間違いを糺さずにおれなくなります。「日本だけが、間違った戦争をした。」「軍国主義の日本が、アジアを侵略した。」・・こんな事実はなく、むしろ日本は「大国の清とロシア」に挑発され、蔑視され、戦争へと追い詰められていったことが分かります。

 現在は190ページを読んでいますが、大国ロシアへの恐怖のため、懸命に外交努力をしている政府を知るだけです。侵略国はむしろ、清国であり、ロシアであり、イギリス、フランスです。

 「われらは、即座に40万の軍隊を日本との国境へ集めることができる。」「これは日本を破るに足る兵力の、3倍の数である。」

「日本との戦争は、単なる軍事的散歩に過ぎず、」「わが軍は、ドイツやオーストリア国境から、兵力を動かす必要はまるでない。」

 ロシア軍の「極東進出」の総指揮官である、クロポトキンが述べた言葉を、下村氏が紹介し、説明を加えています。

 「クロポトキンはもともと、日本の戦力をほとんど眼中に入れていなかったのである。」

 日清戦争前の李鴻章がそうであったように、クロポトキンも日本を軽視し、蔑視していました。いったいこの日本のどこが、侵略国家なのでしょう。私が、憲法学者の宮沢俊義氏や芦部信喜氏を批判する理由がここにあります。

 「日清戦争も、日露戦争も、太平洋戦争も、みんな日本の侵略戦争だった。」

 彼らは大学で教え、マスコミで発信し、悪法「日本国憲法」を正当化しました。だから私は、彼らを許しません。

 とうとう、今回の書評も横道にそれましたが、それでも、40ページまでは進みました。懲りずに次回も、「ねこ庭」へ足をお運びください。

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