ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

沖縄 修学旅行

2016-04-29 20:17:00 | 徒然の記

 新崎盛暉・目崎茂和・国吉和夫・仲地哲夫・村上有慶・梅田正己氏共著「沖縄 修学旅行」(平成4年刊 高文研)を、読み終えた。

 母の具合が良くないと聞き、急遽九州へ帰省することを決め、往復の待ち時間に読もうとバッグに入れた。題名が「修学旅行」なので、名所旧跡を紹介する本だろうと、軽い気持ちで手に取った。

 「観光・沖縄のキャッチフレーズは、青い海です。」「きらめく太陽の下、無数のガラスの玉を海中に敷き詰めたように、虹色に輝く海を見ただけで、」「沖縄へきた甲斐があったと言えます。」

 空港の待合室で、ベージをめくった。基地問題で荒れる沖縄とは言え、私には、まだ見ぬ憧れの島でもある。前書きの言葉に、心踊りさえ覚えた。

 「沖縄で体験すべきことは、まだ他にたくさんあります。」「人生観が変わると言えばオーバーかもしれないけれど、」「しかし沖縄が、私たちの歴史と現実を見る目を、」「変えることだけは確かです。」

 文章のトーンが変わり、軽かった気持ちが、重いものへと変じて行った。「この本は、そうした沖縄体験のための、基礎的な入門書です。」「本で学んだことを、沖縄の地で確かめたとき、」「青い海 の輝きもまた、違って目に映ることでしょう。」

 目次を眺めると、「沖縄が知っている戦争」、「基地の島・沖縄」と、気楽に読めないタイトルが続いていた。「羊頭狗肉」とは、看板と実物が違っていると、騙された客が苦情を述べるとき使う言葉だが、この本の印象もそうだった。

 私はこれまで沖縄について、保守の側の情報で知識を得、反日・左翼に振り回される人間が多数いる島、という理解をしてきた。読み終えた今は、著者たちの偏見が混っているとしても、別の姿の沖縄をつかんだ気がする。

 今日まで、反日左翼への怒りばかりを述べてきたが、今少し、沖縄の側に立ち、眺める要があると感じさせられた。私が言う「羊頭狗肉」は、本に騙されたという怒りだけでなく、「期待していない知識を貰った」という変な驚きだ。

 日本の各地から沖縄へ移住し、騒ぎを起こすプロ市民には、依然として好感が持てないが、反日とならざるを得ない沖縄の実態を知った。たかだか240ページの本を読み、沖縄を理解したと言うのは早計かもしれず、別の書物を読めば、また違った思いが生じるのだろうが、現時点での気持を足跡として残しておきたい。

 まず自分が、沖縄について、知らないことばかりだという事実を、認めなくてならない。国内で唯一の戦場となった沖縄で、どれだけの戦没者が生じたか。覚えやすくするため、概算でメモをした。沖縄戦の戦没者総数は、20万人だとのこと。このうち沖縄出身の軍人と、沖縄住民の戦没者が12万人で、内訳は軍人が3万人、民間人が9万人だ。沖縄出身以外の軍人が、7万人で、米軍が1万人。これで合計が20万人となる。

 本でに書かれている言葉を、そのまま引用しよう。
「沖縄ではたしかに、6万6000人もの、本土から来た兵士が、」「かけがえのない命を落としたが、」「しかし、それをはるかに上回る、沖縄県民が命を奪われた。」「沖縄県掩護課の資料でも、沖縄県出身の戦没者は、12万2000人を超える。」「この事実を見落とすと、沖縄戦の本質を見失うことになる。」

 「いま、摩文仁の丘には、各県の慰霊碑が建ち並んでいる。」「沖縄には、沖縄県を除く、全都道府県の慰霊碑がある。」「沖縄戦が、それほど大きな戦いだったということだ。」

 挿入されていいる一覧表に、県名、塔名、建設年月、合祀者数が記載されている。これほど多くの慰霊碑が、摩文仁の丘にあることや、戦死者の数の内訳も、本を読むまで知らなかった。

 本の著者は、修学旅行の学生に向かって語りかける。
「日本政府と軍部は、ジュネーブ条約を批准せず、」「兵士には、条約の存在すら知らせず、」「ただ、" 生きて虜囚の辱めを受けず " の」「戦陣訓を叩き込んでいた。 」「捕虜の口から、軍の機密が敵に漏れると考えたからだ。」「負傷して、戦えなくなった傷病兵は、みずから死ななければならなかったのだ。」「これが、日本を支配していた 、 死の論理 だった。」

 戦陣訓の非情さを、こうした角度から解説されるのは、初めてなので、著者の言葉が正しいのか、偏った見方なのか、私は知らない。

 やがて著者の話は、次のような主張へつながっていく。
「摩文仁の丘の頂上には、自決した牛島司令官と、長参謀を祀った黎明の塔がある。」「ただ残念ながら、碑文の多くは、司令官の最後の命令にあった、」「 " 勇戦敢闘、悠久の大義に生きる " 式の、美文調だ。」「しかも、沖縄住民の犠牲については、触れていない。」

 「司令官が自決し、しかも生き残っているものは、」「生きている限り戦えと、言い残していったため、」「沖縄戦は、終わりのない戦いになってしまった。」

 著者は、当時の軍人が、いかに人命を軽んじ、住民の生きる権利さえ奪ったかと語る。
牛島司令官については知らないが、私は、大田中将については少し知っている。玉砕戦となる前に、大田中将は「沖縄県民かく戦えり」と、惜別の電文を大本営に送り、沖縄県民に対し、戦後の配慮を要望した。

 あるいは、硫黄島の栗林大将は、住民の安全を考え、玉砕戦の前に、彼らを疎開させている。学生に戦争を伝えるというのなら、牛島中将の非情さだけでなく、大田中将や栗林大将のことも語らなくて良いのだろうか。筆者は、何も知らない、未成年の生徒たちに向かって、自分に都合の良いことだけを伝えている・・。

 平成4年の出版だから、朝日新聞の慰安婦の捏造報道が、大手を振って闊歩していた時なので、著者が一方的な軍部批判を展開しても、無理ないと思いはするが、それにしても、次のような偏向は看過せない。

 「大事なことは、私たちの国が、このような悲惨な戦争を、」「二度と起こさぬという決意を、世界に明らかにすることだ。」「言葉によってでなく、具体的な行為によって、その決意を示すことが必要だ。」

 「つまり国が引き起こした戦争で、犠牲となり、被害を被った人に対しては、」「国の責任において、最大限の償い(補償)をするということだ。」「とても残念なことだが、私たちの国は、その償いをするのに、とても消極的だった。」「戦争中に、軍夫や慰安婦として、朝鮮半島から連行して来た人たちについては、」「およその数さえ分かっていない。」「あれほどひどい目にあわせながら、完全に無視、ないしは忘却してきたということだ。」

 米国の無差別爆撃による死者は33万人で、原爆による死者は広島で20万人、長崎で14万人だった。敗戦となった国に対し、遺族たちは国の補償を求めただろうか。

 同じ日本人と思ってきたが、沖縄はやはり別の国なのだろうか。本の著者の主張が、私にはまるで、韓国人の論調と重なって聞こえる。朝日新聞の慰安婦報道が、捏造と判明した今でも、著者たちは、こうした意見を持ち続けているのだろうか。

 沖縄の人々に、素朴な反感を持てなくなったのは、次の章を読んだからだ。
「本土と異なる沖縄の歴史」「薩摩・島津氏による琉球侵略」「薩摩・島津氏に支配された琉球」「琉球処分」。

 この部分には、沖縄の人々の怨念すら漂っている。日本から何をされても喜ばず、何もされなければ激怒し、そこはかとない郷愁を中国に寄せ、機会さえあれば、中国に庇護されたいと、そんな思いが伝わったきた。

 同じ国民と思えば腹立たしいが、日本の中にある異国だと知れば、沖縄の人々の思考が分からぬでもない。翁長知事だけでなく、政治家や実業家、教育者など、沖縄のリーダーたちの多くは、中国からの移住者を先祖に持っている。近年ますます国力をつけてきた中国に対し、彼らが親近感を持ち、その分だけ、日本から離反したがる様子も理解する。

 逆らう国民を弾圧し、異民族を虫けらのように蹴散らす、赤い中国への接近は、「自滅への選択」と言う者もいるが、沖縄県民の意思なら異を唱える立場にない私だ。政治家でない自分には、複雑な国際情勢の中で、今後沖縄がどうなっていくのか、さっぱり分からない。

 本は24年前の出版なので、現在は改訂版が出回っているのか、絶版となっているのか。調べる気はないが、調べる気になったことが一つだけある。この6人の執筆者たちは、どのような人たちなのだろうか、ということだ。

 仲地氏と国吉氏を除くと、他の四人は東京都、新潟県、佐賀県生まれの日本人だった。新崎氏は沖縄大学の学長で、目崎氏は琉球大学の助教授という経歴の持ち主だ。なんらかの形で沖縄の住民運動や平和活動にかかわっていると、分かった。こうした人たちは、日本人でありながら、国の悪口を言い、沖縄の住民と、政府の対立を煽っている。

 ことさら沖縄を被害者として語り、本土の日本人と、沖縄の住民との離反を作ろうとしている。こういう人物は、日本のために有害だし、沖縄のためにもならない。

 やはり、「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」と呼んで良いのではなかろうか。

 

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花のもの言う ー 四季のうた

2016-04-29 17:01:12 | 徒然の記
 久保田淳氏著「花のもの言う ー 四季のうた」( 昭和59年刊 新潮社) を読み終えた。
内扉の写真では若々しい氏だが、昭和8年生まれだから、存命であれば83才だ。中世日本文学を専門とする、東大の教授で、「和歌研究における業績はめざましい」と解説に書かれている。

 実際には4月2日、北方謙三氏の著作を読む前に読了したのだが、あの頃は気分が滅入っていたため、パソコンに向かえなかった。明日は九州へ行くから、長い空白を置くと感想を忘れてしまいそうで、急遽ブログにすることとした。
 
 和歌について少しは知っているつもりだったが、学者先生の本に向かうと、無知な自分をこれでもかと知らされる。万葉集でも、百人一首でも、勅撰和歌集でも、氏は当然のものとし説明なしに語る。不明な部分を、慌ててパソコンで調べるところから出発した。

 まず、「万葉集」だ。西暦783年に大伴家持の手によって完成されたもので、現存する日本最古の和歌集である。天皇、貴族、下級官人、防人など、様々な身分のものが詠んだ歌およそ4,500首が集められている。朧げに知っていても、いざ他人に説明するとなると咄嗟には出てこない。万葉の " 葉 " には、言葉という意味だけでなく、" 世 " の意もある。つまり万葉集は、万代の世に伝えるべき歌ということになるらしい。

 これだけで随分賢くなった気になるのに、次は「百人一首」だった。
今からおよそ730年前の、鎌倉時代の歌人藤原定家がまとめたもので、西暦668年に即位された天智天皇の時代から、 1210年の順徳天皇までの約550年間に読まれた歌より、年代順に100人の和歌を取り上げている。京都嵯峨の小倉山にある別荘で、定家が屏風に書き写したものであるところから、「小倉百人一首」とも呼ばれるようになった。

 そういうことかと感心させられたのに、まだ先があった。歌は全て次の10の勅撰和歌集から集められ、古今集、後撰集、拾遺集、後拾遺集、全葉集、詩歌集、千載集、新古今集、新勅撰集、後新勅撰集、という具合だ。ならば、どうして百人一首に万葉集の歌があるのかと、賢い人ならきっと疑問を抱く。

 勅撰でない万葉の歌が、どうして定家に選ばれたのか。疑問を抱いても解けなかったのだから、私はそんなに賢くなかった。さすがに氏は専門家だ、答えをさりげなく本に書いていた。「万葉集の歌は、勅撰和歌集に取り上げられているものがある。」、つまり定家はその中から選別したということ。聞けば呆気ないけれども、知識がなければ謎のままだ。

 氏の著作を読む前の事前学習だったが、これほど準備をして手にした本は、今までになかった。内容は四章で構成され、一章ごとに春夏秋冬と、順に季節が割り振られている。それぞれの季節の句や古文が紹介され、氏の解説が添えられるという形式だ。

 われが名は 花盗人と立てば立て ただ一枝は折りて帰らむ

 大納言公任の山荘に、敦道親王が愛人の和泉式部を伴ってやってくる。主人が留守だったため桜を無断で一枝失敬し、家守に託した歌だという。この時代の歌は、掛言葉や縁語あるいは著名な元歌の引用など、沢山の知識が無いと分からないものが多い。貴族たちの知恵と技巧の競争みたいになっており、無知な者は参加すらできない。

 全てではないのだろうが、行ったこともない場所の季節を詠んだり、当意即妙の言葉遊びを楽しんだり、私は平安時代の和歌にあまり親近感が抱けない。高度な技法がなくても、素朴な読み人の気持ちがこもっている万葉の歌に惹かされる。

 からごろも 着つつ慣れにし 妻しあれば 
   はるばる来ぬる 旅をしぞおもう

 都を離れ友人たちと旅をする在原業平が、傍らに咲くかきつばたに心を動かされ、都に残してきた妻を思う歌だという。歌の頭の言葉を拾って読むと、「かきつばた」の文字が歌いこまれている。瞬時にこのような歌を詠むのが、貴族たちの才として評価されたのだが、こうした観念の遊びを私は好まない。

 防人に行くはたが背と問う人の 見るが羨しさ(ともしさ) もの思いもせず

 防人となり、遠隔の地へ行く夫を思い、妻が詠う万葉歌の方に、技巧がなくとも惹かされる。氏は専門家なので、どの歌も正しく評価するから、俗人の私には面白くない本になる。高校生の頃、古文の時間に和歌を習った時、干からびた年寄りの先生が、無味乾燥な説明で眠気を誘ってくれたことを思い出した。(他人事みたいに述べているが、今はその自分が干からびた年寄りの仲間になっているのだから、吹き出したくなる。)

 だが読み進むにつれ面白くなり、氏の人柄に惹かされていった。飾らない氏の率直さを示すため、文章をそのまま引用しよう。

  春の野に すみれ摘みにと来し吾そ 野をなつかしみひと夜寝にけむ    山部赤人

 「そんなに解釈上問題のある歌だと思わなかったのに、実はなぜ摘んだのかが、国学者によって議論されているのである。」「契沖は食用、鑑賞を兼ねてだろうという。」「橘千蔭は染料として摘んだのだという。」「すみれは女の比喩だという、人間くさい見方もあるらしい。」

 「しかし、ほとんど全ての人は、スミレ科スミレ属の草をさすことを疑っていない。」「ところが一人勇敢な人がいて、昔のすみれは今のすみれではないと主張したことがある。」「香川景樹である。」「マメ科のゲンゲ、すなわちレンゲの花だというのである。」


  草深み 荒れたる宿に言問えば 古き垣ほにすみれ摘むなり   伏見天皇御製集

  昔見し 妹が垣根は荒れにけり つばな混じりの菫のみして   藤原公実

 「ともかくこれら一連の作から、すみれは荒廃感、失われた昔の恋への連想を呼ぶ草となったらしい。」「これを毛氈を敷いたように賑やかに咲いて、やがては緑肥となるれんげだと主張する景樹という人は、歌というものをどう考えていたのか、ちょっと首をひねってしまう。」「景樹は、ただ常識に異を唱えてみたかったのだろうか。」「それともレンゲびいきでスミレ嫌いだったのだろうか。」

 学問より雑学の好きな私は、こうなってくると面白くてたまらない。難しい顔をした学者たちが、こんな話を真顔で議論しているなんて、思いもしなかった。干からびた老人であるどころか、元気いっぱいの愉快な先生たちでないか。

 難波潟 みじかき蘆のふしの間も あはでこの世をすぐしてよとや    伊勢

 「古代語における " 逢う " とは、 現代語 "逢う" のように、単に会うことを意味するにとどまらない。」「 " 契り合う " ことをも含めた語である。」氏の説明をもっとくだけて言えば、古語に言う逢うとは、男女が一夜を共にする意味が含まれているというのだ。

 氏の説明を読んでいると、万葉に限らず古代の歌は男女の関係が、あからさまに歌われているものが多い。中学生や高校生だった頃、古文の時間に先生がこんなことを教えるはずもないから、無味乾燥な説明になった訳だ。こうした歌は氏の説明によると、次のようになる。

 「蘆にせよ竹にせよ、イネ科の植物は、" 節 (よ) " と " 世 " または " 夜 " 、」「 " 節 " と " 伏し" 、" 根 " と " 寝 "の連想を起こさせる、なまめかしい存在である。」「この世における短い生の間、ずっと好きな人に寄り伏していたいと訴える、可愛い女の歌と読みたい気がする。」「いかにも従順で女らしい。」「これに屈しない男は、おそらく男ではないだろう。」
こんな解説をする氏に、限りない親しみを感じ、いつしか平安時代の歌の世界に誘われていく。

  秋風は すごく吹けども葛の葉の うらみがおには見えじとぞおもふ   新古今集 

 「夫に忘れられたのち、和泉式部が詠んだ歌である。」「葛の花を歌った名歌は、近代化人釈迢空まで待たねばならない。」
こう言って、氏は釈迢空の歌を紹介する。自分の大好きな歌が、こんなに高い評価を受けていたとは知らなかった。色恋のなまめかしさはないが、静寂さの漂う、しみじみとした味わいのある歌だ。

  葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を行きし人あり

 こうして引用していると、いくら述べても切りがない。わずか240ページばかりの本だが、日本の歴史と、その時代を生きた人々の思いが詰まっている。傍らにおいて、何度でも読み返したい本だ。読みたくなった方は、図書館で探されてはいかがだろうか。廃棄図書として無料で手に入れたのに、こんな素敵な本は人に貸したくないという、エゴのかたまりとなった自分である。作者である久保田氏の素敵な人柄が、きっとそうさせたに違いないと、氏への感謝の念が湧いてきた。


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月光の東

2016-04-18 14:23:10 | 徒然の記
 宮本輝氏著「月光の東」(平成10年刊 中央公論社)を読んだ。
昭和22年生まれの氏は、今年69才だ。兵庫県に生まれ、父親の仕事の関係であちこちを転居している。芥川賞になった「蛍川」を随分昔に読んだが、中身はすっかり忘れ、とても長編だったという印象だけが残っている。

 今回の作品も、430頁の分厚い本だった。36年前、中学一年生だった頃に出会った、薄幸の美少女を探し当てるという物語だ。
丁寧な読みやすい文章に引き込まれ、60頁くらいは無心になって読んだ。本当の主人公は塔屋米花(とうや よねか)という美少女だが、彼女は物語の最後になってからしか登場しない。

 同級生だった杉井純造と、同じく彼女の同級生だった加古眞一郎の妻と、合田孝典の妹による、回想形式で物語が進む。
語り手の杉井純造が48才という設定なので、眞一郎の妻も孝典も妹も、同じような年代だ。眞一郎は妻に隠れてよねかと深い仲になり、出張先のカラチで自殺し、孝典も家族に隠してよねかと深い関係を持つようになり、突然の交通事故で命を失う。

 淡い恋ごころを抱いていた杉井は別とし、眞一郎の妻も孝典の妹も決してよねかを快く思っていない。
夫の浮気相手だと知った眞一郎の妻は、敵意すら覚えている。どんな女性なのか、一目見たいという執念がある。北海道の牧場主の娘だった孝典の妹は、アルバイトに来ていた学生のよねかを知っており、兄と親しかったと聞かされ傷ついている。

 眞一郎も孝典も彼女と接点を持ったことで不幸になり、命を失っている。
話の進め方はミステリー小説の謎解きみたいな趣があり、事件性はないが、よねかという不幸な女性の持つ、美しさと怪しさが全編に漂っている。話の進行とともに、よねかを巡る男たちが更に増える。

 彼女のパトロンとなり、面倒を見続けている画商の津田富之、その友人である骨董屋の主人古彩斎、あるいは事故死した孝典の親友だった柏木邦光など、次第に話が込み入ってくる。これらの人物たちが、彼女を探そうとする杉井と眞一郎の妻に対し、快い協力をせず、持って回ったような断片を語り、途中で口をつぐんだりする。

 それで一層よねかの姿が神秘性を帯びてくるのだが、半分ほど読んだところで、本への興味を失いそうになった。
文章は巧みで、丁寧な叙述が読者を飽きさせないのだが、こんな込み入った筋立てにしたら、収束が難しくなるのでないかと心配になった。なんでも器用に書ける作家だし、才能の豊かさも十分知ったが、「書き過ぎる」という印象をこの時点で抱いた。

 登場人物が個性豊かで、みな生き生きとし、一人に絞っても十分小説になる素材だ。一人ずつ丁寧に描かれているため、話が横道へ入り、肝心のよねかに行き着かない。バルザックを読んだとき、ごった煮の料理みたいな小説とため息がもれたが、作風は違うのに同じ印象を受けた。オーケストラのように全部の楽器(人物)を掻き鳴らし、全体の効果を狙っているのかもしれないが、散漫な小説としか受け取れなくなってきた。

 彼女に夢中になった男たちは、同じような言葉で熱く語る。
「彼女は自分の中に架空の世界をいっぱい作り、それを寄る辺に生きている。」「一人ぼっちで生きている健気な彼女を、見守ってやりたい。」表題に使われている " 月光の東 " という言葉は、よねかが抱く架空の世界を表す言葉だ。騙されても、冷淡にされても、あるいは悪態をつかれても、男たちは彼女を許し、返って自分の不明を恥じる。

 そしておそらく、氏が小説の結論として言いたかったのは、「罪悪感ほど、心身を痛めるものはありません。」「大切なことは、自分を肯定すること。好きになることです。」、という言葉なのだろう。

 杉井は幼かった自分が、彼女に何もしてやれなかったことに罪の意識を持ち、その悔いから自己嫌悪に陥る。淡く悲しい恋が絡まっているだけに、いっそう切ないものがある。眞一郎の妻は、恨むべきはよねかでなく、夫の心を思いやれなかった自分だったという罪悪感から精神を病んでいる。

 最後に彼も彼女も、「自分を肯定し、好きになることで」、心の病を乗り越える。同時によねかの生涯も理解し、許す気持ちになる。ハッキリ書かれていないが、結論はそんなものと推察した。

 でも、この小説の印象は、「大山鳴動して、ネズミ一匹」だった・・・・、ような気がしてならない。上手な作家の力作なのは間違いないが、北方謙三氏の通俗小説に及ばなかった。通俗とは言っても、「たかが通俗、されど通俗」だ。作者の人格そのものが読者へ迫るのだから、小説は、正直といえば正直でないか。

 何が何でも宮本氏と、心酔する読者もいるので、私の意見なんて、そういう人にとっては、それこそ「みみずの戯言」だ。十人十色なんだし、もともと感想とはそんなものだろう。
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祝祭日の国旗

2016-04-17 00:07:22 | 徒然の記
 4月3日午前9時から、自治会の総会があった。
27年度の活動報告を会長が行い、監査役が監査報告をし、誰も異議を唱えなかったので、私たち役員の任務が無事終了した。

 1丁目自治会、2丁目自治会、3丁目自治会、4丁目自治会等々、地区に沢山の自治会があるが、私たちの自治会には、分別のある住民が多かった。多少文句を言っても、無理難題で役員を困らせたり、騒ぎを起こし立ち往生させたり、そういう性悪がいなかった。

 温厚な会長を中心に、副会長、会計、総務の三役が、難題が生じてもチームワークで処理した。自治会の役員は、会長以下班長まで数えると24名になる。組織の長に人を得ると、たとえ自治会であっても人間の和が生まれるという、貴重な経験をさせてもらった。

 慣例に従い当日の午後7時から、自治会館で旧役員だけの慰労会が行われた。自主参加なので、およそ半分強の17名が出席した。一人三千円の費用で弁当やビールやお茶など、質素ながらささやかな歓談の場ができた。倹約家の女性二人が会計係だったから、安くて量のあるツマミが工夫され、残ったものは欠席者に配ることもできた。ただし欠席の連絡をくれた人だけへのサービスとし、無断欠席者には届けなかった。

 さて、表題に何の関係もなさそうなことを、どうして長々と語るのか。
実は、決して無関係でないことを、これから徐々に明らかにしていきたい。慰労会は9時で御開きとなり、連れ立って会館を後にした。
「あっという間の、一年間でしたね。」
「もう一年、やりますか。」「とんでもない。それは別の話。」
「でもこのメンバーでなら、あと1年やってもいい。」「私も、そんな気持ち。」
「引き継ぎが済んだら、安心して何でも言いますね。」
「◯◯さん、間違えて来週の土曜日に出席しないようにね。」「なんだか、間違えそう。」

 皆が小さな気持ちの高揚と満足感を覚えつつ、他愛のない冗談を言いながら、自宅の近い者から一人抜け、二人抜け・・・・、こうして私たちは散会した。最初は義務感で渋々やってきたけれど、終わりには楽しい思い出となった。


 あれから約二週間後の今日。会長がタケノコを持ってきてくれた。
「家内がいないので、ちょっと上がりませんか。」
女房がいると、飲み物や菓子などあれこれ気を使うので、互いに遠慮し、話があるときは外ですると、いつの間にかそうなっていた。
「コーヒーでも、どうです。」
「そんなら、ちょっとだけお邪魔しますか。」
懐かしさも手伝い、私たちは久しぶりに顔を合わせた。ところが何としたこと、いつもあるはずのコーヒーが、どこを探しても見当たらない。菓子だけは皿に載せ、気取って二人分用意したのに、肝心のコーヒーが見つからない。
「参りました。」
「Nさんも、奥さんがいないと、どこに何があるか分からないんですね。」
笑っている会長に、私は焦って提案した。
「酒とウイスキーとビールならあります。どれにしますか。」
「昼間から、飲んでもいいんですかね。」
言いながら、会長がビールを所望したので、あり合わせのツマミを大皿に盛った。ついでに話も、盛り上がった。もともと気の合う二人だったので、自治会の思い出話がはずんだ。
「ゴミステーションの改修作業は、手がかかったけど楽しかったですね。」
「10ヶ所もあるのに、自治会の有志が作っていたなんて、知りませんでした。」
「あんな人たちが、同じ町内に居たんですね。」「役員をしてなかったら、無縁なままでしたよ。」
「あのときのメンバーで、一杯やろうという話があります。楽しみですね。」
「役員を止めても、町内の仲間は失くしたくないもんです。」

 そのうちほんのりと酔いが回り、私は本音で語りたくなった。
「実は、私、最近いつも考えてるんですが、なかなか決心がつきかねてることがあるんです。」
怪訝な顔をする会長に、心のうちを出してみた。
「祝祭日の国旗なんですがね。世界中どこの国でも、祝日には国旗を飾るし、大切にしています。」
コップをテーブルに下ろして会長が聞き入っているので、踏み込んで話した。
「いくら戦争のシンボルだったからと言って、70年前の話を、いつまで引きずればいいんでしょう。」「戦争なんて、世界中の国がやってますよ。」「歴史を考えてもみてください。酷い戦争はいくらでもあったのに、どうして日本だけが悪者になり、謝ってばかりいなくてならないんでしょう。」

 自治会では政治の話をしないと決めていたのに、喋りだすと止まらなくなった。
「こんなことを言うと、すぐに右翼とか軍国主義者だとか決めつけられるんですが、自分の国を大切にしたいというのは、右翼や軍国主義者の占有物なんでしょうか。」「私のは単純な気持ちなんです。」

 「ふるさとを大事にするのと同じ気持ちで、日本も大切に思うんですよ。」「今年はなんとかして、祭日に国旗を、自分の家に立てたいんです。」
「一緒に立てましょうか。」
会長の言葉に、今度は私が驚いた。
「実は私も、同じ気持ちだったんです。祭日になっても、どこの家も国旗を揚げていません。」「それはやっぱり、おかしいことですよ。」「誰かが立てたら、そのうちあっちでもこっちでも、家の前に日の丸が立つんじゃないでしょうか。」

 今度は会長が、沢山喋りだした。
「きっと、誰もがそう思ってるんだと思いますよ。」「貴方の話を聞きながら、私は嬉しかったんです。国旗がどこで売ってるのか、私も調べましたよ。」私は即座に言葉を挟んだ。
「靖国神社でしょ。」
「そうなんです。でもあそこのは、ダメです。窓に飾るように小さくて、家の前に立てるものじゃないんです。」

 そうか、このような人が町内にいたのかと、心強い発見だった。会長の方が先を行っていたと知るのは、安堵するやら嬉しいやらだった。

 「会長、そんならなにも急ぐことはありませんね。町内で同じ気持ちの人を、ゆっくりと探しましょう。」
「そして、一斉に国旗を立てますか。その方がインパクトがありますね。」
どうやら会長も本気になったらしく、私の話に乗ってきた。右翼や軍国主義者の手から、国旗を取り戻し、庶民のものにできたら、こんな嬉しいことはない。

 「前会長のAさんなら、賛成してくれそうですね。」「元会長のYさんだって、そんな気がしますね。」
いつの間にかビールがなくなり、家内の帰宅時間が迫ったので、会長が腰を浮かした。

「いや、長居をしました。楽しかったです。」
「こちらこそ。嬉しかったです。」

 私と会長は、祝祭日の国旗掲揚という共通の目標を抱いて、本日からゆっくりと進むつもりだ。千葉の片隅から、一本の国旗が二本、三本となり、千葉県全体に広がり・・・・、いつの日にか日本のありふれた風景となる。これこそが国民としての私の一歩であり、社会への参加だ。

 激するでなく、声高く叫ぶでなく、いつもの声で語った会長を、これほど頼もしく思ったことはない。自治会の副会長をさせてもらって、こんな有難い人の輪に参加できたことは、誰に向かって感謝すべきか。


 「理想は高く、手は低く」・・・・。この言葉を噛みしめる今宵は、きっと静かな眠りが訪れる。

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北方謙三氏の作品について

2016-04-14 22:38:36 | 徒然の記
 北方氏の著作を、まとめて読んだ。
「風烈」(平成12年刊 集英社)、「海嶺」(平成13年刊 集英社)、「罅」(平成9年刊 集英社)、「疾走の夏」(平成13年刊 恒文社)の計4冊だ。
氏は昭和22年唐津市に生まれ、今年69才だ。48年に中央大学を卒業し、ハードボイルド作家と呼ばれ、一貫して荒々しい男の闘いをテーマに作品を書いている。度胸が座り、喧嘩に強く、衆を頼まず一人で敵と向き合っていく男。それはもう、子供漫画のヒーローみたいに、胸のすく不死鳥のような一匹狼だ。

 図書館の廃棄本を貰ってくる習慣がつく前まで、私は作家の作品をまとめて借り、一気に読むというやり方をしいていた。
菊池寛、松本清張、司馬遼太郎、吉川英治、伊坂幸太郎、大橋菜穂子氏等々だ。北方謙三氏もそんな作家の一人だった。ブログを始めていなかった時だから、もちろんパソコンには記録していない。

 石原慎太郎氏の「殺人教室」は、平然と人を殺す若者を主人公にしていたが、北方氏の主人公も、非情なほどの残酷さで敵と闘う。どちらの作品にも荒唐無稽な筋立てと、人物描写があるが、北方氏には何故か好感を覚える。日本冒険小説協会賞、吉川英治文学新人賞、柴田錬三郎賞などを受賞し、直木賞は貰っていないが、選考委員の一人に名を連ねている。

 今でもそう言われているのかどうか知らないが、私の中には「芥川賞は純文学」「直木賞は通俗小説」という区分が残っている。いわば「朝日新聞は日本の良識」と、そんな通説みたいなもので、今はとっくに打ち捨てた「常識」でもある。その反動なのか、取り澄ました芥川賞の作家より、世俗を描く直木賞作家に甘くなっているのかもしれない。

 本の内扉を見ると、最初から単行本として出されたものでなく、週刊誌や月刊誌に連載された作品だったことが分かった。「週刊プレイボーイ」「週刊小説」「小説すばる」「小説推理」「小説現代」などだ。週刊誌や月刊誌は今でも軽視し、読む気になれないので、図書館がなかったら、一生北方氏を知らずに終わっただろう。偏見がどれだけ世界を狭くしているのかという、いい見本だ。

 同じハードボイルド作家と言っても、大藪武彦氏には心を動かされなかったから、やはり北方氏の方が技量が上なのだろうか。まずもって文章が簡潔で、無駄がない。喧嘩のやり方や無謀な運転の仕方など、何が何やら分からない詳しさだが、それでも冗長と感じさせないものがある。一流のエンターテイナーと呼べるのではないかと、勝手にそんな判断をしている。

 サマーセット・モームは、自らをストーリーテラーと称したと聞く。モームはヤクザや死闘は扱わない紳士だったから、北方氏と同列に論じたら機嫌を損ねるのかもしれない。だが読者を退屈させない文章が書けるという点では、共通した職人技を見る。

 芥川賞作家に拘る訳でないが、村上隆氏との比較でも、私は北方氏に肩入れをする。同じ残酷な殺人を扱っていても、石原氏や村上氏には、嫌悪感しか覚えない。理由は、単純で簡単だ。北方氏のむごたらしい喧嘩や殺人には、それなりの理由がある。愛する者のためか、あるいは信義を守るためか、主人公は世間が納得のいく理由のため命を賭ける。馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、主人公を応援せずにおれなくなる自分がいる。

 それは、日本人の心の底にある、人情とでも言えば良いのだろうか。忠臣蔵や水戸黄門の話など、誰もが知っていて、筋書きだって分かっているのに、それでも多くの日本人は、あの単純な話に涙をこぼす。意識して氏がそうしているのか、いないのか、でも間違いなくそれが作品の魅力だ。勧善懲悪の単純な話とせず、現代風にアレンジしてあるが、主人公を愛せずにおれなくする秘密がここにある。

 残念ながら、石原氏や村上氏の殺人には、根底に流れる日本人としての情が欠落している。
石原氏への書評が心の傷となり、今日までブログに向かえず時間を空費してきたが、北方氏の作品を前にすると、やはり言葉を綴りたくなる。私たちの心の奥に流れる、義理や人情というもの・・・・。封建時代の残滓だとか、時代遅れの感情だとか蔑視してきたが、どうもそうではないらしい。

 北方氏の闘いのエネルギーは、愛する妻や子を守るための男気でもある。あるいは年長者や友との約束の履行だ。それは、故郷への熱い思いや、属する集団への愛の激しさでもある。国歌や君が代に対しても、そうであろうと願うのは私の深読みだ。

 「疾走の夏」はフィクションでなく、彼の回想録だった。無謀な37才の時の、アメリカ旅行の思い出だ。虚構の作品しか書かない彼が、珍しく飾らない自己を語っていた。それによると、学生時代は左翼の中にいて、警官隊ともみ合った経験を持っている。簡単に国歌や日の丸を大切にする人間になるはずもないのだが、それでも私は氏の作品の向こう側を、深読みする。氏の得意なセリフで表現すれば、「そう考えるのは、あんたの勝手で、おれの知ったことか。」と、こうなる。

 堀江健一氏が太平洋を一人で、ヨットに乗って横断した時、日本中が大騒ぎになった。
本の中で彼は、次のように書いている。「他人の目を気にするというのは、日本人の特徴なのだろうか。」「行為の本質を見つめる前に、他人がどう思うだろうかということで、全てを判断し、対処してしまう。」

 「政府は、堀江氏がパスポートを持っていないことを、アメリカ政府がどう思うか、という危惧だけで対処してしまったのである。」「アメリカで英雄視されると、表彰でもしかねない空気になったのが、日本の日本たるゆえんだろう。」

 「最初の開発者などを、率直に受け入れない空気がどこかにある。」「いずれにせよ、最初に何かやる人間は、純粋な行為だけでなく、もろもろの負担を負ってしまうことになる宿命があるのだろう。」

 こうした政府批判や日本人論は、反日の人間の主張でなく、ごく普通の意見だ。
当時のことを思い出すと、賛成したくなる常識的な思考だ。今回は氏の作品の一つ一つを取り上げず、全体の感想を述べて終わりたいと思うのだが、もう一ヶ所心に留まった文章がある。

 「肉体が生命を失うことを死というならば、人間の死は一度きりである。」「心が生命を失うことを死というのなら、人生には何度でも死がある。」「経験できる死、蘇りのある死。」「売れもしない原稿をえんえんと書き綴っていた頃、自分はすでに死んでいるのではないかと、ふと思ったことがある。」

 「書くことをやめてしまわなかったのは、死ぬことをほんとうは怖れていたからだ。」「書くことが生きることだと、信じようとしていた。」

 「純粋に夢を語ることができる自分は、死んだ。」「愛している女と別れようとしていた時の自分も、死んだ。」「そうやって、何度も死んできた。」「そして、青春というやつを失った。」


 小説が売れなかった頃の氏は、貧乏な一匹狼を描き、売れっ子になりしこたま懐が豊かになると、贅沢な狼を登場させる。境遇の変化に合わせ、氏の主人公が変化した。まとめて読むから発見した、作品の移り変わりだった。

 さて、随分褒めたけれど、ほんとうのことを言うと、4冊の中には一冊だけ駄作があった。
「海嶺」(平成13年刊 集英社)だ。詳細は省略するが、簡単に言えば「過ぎたるは及ばざるがごとし」の好例だ。どうしてこのように、肩に力を入れ強調したのか。息子を守る父親としての姿や、恋人を救うための意気込みなど、下手な舞台俳優からオーバーな演技を見せられ、いい加減にしろと言いたくなる観客の気持ちだった。

 ても後の三冊は、本当に楽しく読ませて頂いた。私もまた、心の死から救われたのだから、北方氏には感謝せずにおれない。

 
 
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