ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

皇位継承策議論 - 2 ( 河野太郎氏 )

2021-03-31 22:15:27 | 徒然の記

 亡国論者河野太郎氏の言葉を、もう一度伝記します。

「600年前に天皇家から分かれた方たちを戻して、」「本当に、国民に受け入れられるのか」

 皇室と国民の関係について、氏はどのような視点を持っているのか。何度読み返しても、おかしな意見です。11宮家の方々が皇籍を離脱されたのは、昭和22 (1947)年ですから、まだ74年しか経っていません。氏は何のために、600年前の話を持ち出してくるのでしょう。

 日本が戦争に負け、連合国軍の管理下に置かれなければ、たとえ600年前であろうと、800年前であろうと、皇位継承は「男系」で続いていたのです。河野氏は、600年前からの皇位継承にまで、疑義を唱えているのでしょうか。現在の反日左翼は、せいぜい明治以降の日本を批判・攻撃していますが、河野氏は600年も前からの歴史を批判しています。

 文化と伝統を守る自民党の中にいながら、反日野党を超える愚論を展開しています。韓国や中国に対し、臆せず物を言う大臣として、一部の国民の共感を得ていますが、今回の発言はその全てを帳消しにします。

 「600年前に天皇家から分かれた方たちが、戦前は皇位の継承者でしたけれど、」

 「この方々について、国民の誰かが、受け入れないと一度でも言ったのでしょうか。」

 氏の愚論に対しては、この反論で十分な気がいたします。皇位を継承する皇族男子の方々が、年々少なくなり、皇室を安泰にするため、600年前からの制度に戻ると、それだけの話です。

 それだけとは言いながら、「直系男子相続」と言う制度は、ご先祖が知恵を絞り、守ってきた苦心の賜物であることは、国を愛する者なら誰でも知っています。そんな大切な制度を、たかだか一大臣が何を根拠に批判するのかと、私は問いたくなります。

 女性宮家や女系天皇に関する危惧を、具体的に説明すれば、息子たちに分かるのでしょうが、語るのは気が進みません。大袈裟と聞こえるとしても、国民の一人として、躊躇いがあります。以前は何度か、ブログで言及いたしましたが、皇室については、できることなら、触れないで済ませたい私です。

 しかし、「憲法改正」と「皇室護持」が危機に面しており、今は国難の時です。私情を去り臆せずに言えば、秋篠宮家の眞子様について話すのが、河野氏への一番の反証になるということです。

 今から4年前の平成29年6月に、眞子さまの婚約内定のニュースが、日本中を駆け巡りました。さまざまな特集記事が書かれ、千葉日報も、大きな見出しで祝福していました。

 「眞子さま、幸せ目前。」「清子様以来の慶事」「小室圭さんのプロフィール」

 しかし今、お二人の婚姻はどうなっているのか。日が経つにつれ、婚約相手の小室氏の身辺が、眞子さまに相応しくないものと判明し、祝福ムードが消えてしまいました。金銭にまつわる母親の話や、自殺した父親の話、目立ちたがり屋の小室氏の無謀さなど、眉を顰める話題が世間を騒がせ、秋篠宮様も結婚への決断を伸ばし続けられています。

 眞子さま自身は、小室氏への愛が変わらず、世間が反対するほど、逆に思いが強まっておられる様子で、親子の断絶が始まりました。眞子さまが皇室の方でなければ、私はお二人の結婚を祝福します。世間が何を言おうと眞子さまは、ご自分の愛を貫かれれば良いのです。

 しかし皇室の一員である方となれば、単純な祝福が言えなくなります。金銭に執着する小室氏を見ていますと、眞子さまに近づいた動機にも、いかがわしい気配が漂います。こう言う人物が、将来天皇になられる悠仁様の義兄だと言う事実を、国民としての自分は納得しません。

 野心を持つ若者が、卑しい心を隠しながら手に入れた皇室の方との婚姻・・・そんな疑いが消せません。「恋は盲目」と昔から言われ、私自身も若い頃を思い出せば、片想いの恋の辛さを味わっていますので、眞子さまのお気持ちが分からぬわけではありません。

 皇室の女性方は俗世に疎いのですから、口先三寸の若者に騙されても不思議はありません。お気の毒なのでこれ以上は、立ち入りませんが、要するにこれが「女性宮家」あるいは「女系天皇」につきものの、危険性です。

 「女系天皇」の場合は、ご結婚を境に、正当な「男系の皇統」が断絶し、お相手となられた別の男性の家系が、ここから始まります。2665年間126代続いた、世界一古い名家が消滅し、皇室は、一般国民という砂漠の中の、砂つぶの一つになられてしまいます。

 反日左翼の人々は、これが男女同権だと言うのでしょうが、国を愛する国民は、そのような事態を納得いたしません。国民の敬愛の中心を消滅させ、人々の心をバラバラにし、本当にこれが歴史のある日本の姿なのでしょうか。反日左翼の人々の理屈と、国を愛する国民の魂の対立ですから、危機感を持つ人々は気持ちを一つにして頑張らなくてなりません。

 左翼学者の言うような、理性と感情の不毛な対立でなく、反日の屁理屈と日本人の魂の戦いなのだと、私は考えています。次回は、「11宮家の皇籍離脱」の行われた、敗戦後の事実という、別の角度から考えてみたいと思います。

 息子たちも、これまで「ねこ庭」を訪ねて来られた方々も、どうか足をお運びください。国難を乗り越える知恵を、ご教授ください。

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皇位継承策議論 ( 河野太郎氏 )

2021-03-30 23:15:15 | 徒然の記

 皇室について、ブログで取り上げることは、私の本意ではありません。日本の歴史と伝統に沿って、安定した皇位の継承がなされるのなら、それだけで、国民には何よりの慶びと安心になります。

 昭和天皇が亡くなられて以来、皇室を取り巻く雰囲気が変わり、国内の反日マスコミや学者だけでなく、国連の介在する「皇室崩壊プラン」が進行していると、そういう危惧を抱いています。先月3月11日のブログ、「やはり始まった女性宮家前哨戦 」 で述べましたように、森会長の差別発言報道、中満氏の日本批判などと、徐々に現れています。

 分かっている方には余計な説明になりますが、皇位継承が直系男子でなされるのは、日本の伝統であり文化です。皇位継承に女系を認めたときから、人心の乱れが始まります。国の安寧と平和を保つには、直系男子の継承を守ることが基本であり、これを守ってきたのは先人の知恵です。

 平成の御世になって以来、「女性宮家」、「女系天皇」という言葉が、「男女平等」と同列に語られるようになりました。自由、平等、人権という、左翼系の人々の主張がさらに重なり、「直系男子相続」を言う者が、あたかも時代遅れの人間でもあるかのように、マスコミが蔑視します。今流行の言葉である、「差別主義者」というレッテルも貼ります。

 「女性宮家」や「女系天皇」の意見を肯定することは、やがて日本の崩壊につながりますから、許してはなりません。批判をしていますものの、国民の意識形成に、大きな影響力を持っているのは、やはりマスコミです。テレビと新聞の報道を信頼する国民が大多数であることは、今も変わりません。

 公共放送であるNHKを含め、日本のマスコミは、90%が反日左翼勢力の影響下にあります。女性宮家や女系天皇が、どうして日本の崩壊につながるかにつき、マスコミは伝えません。テレビと新聞に登場し、皇位継承問題を語るのは、ほとんど反日左翼系の学者や評論家ですから、「男女平等でいいではないか。」という考えに導かれます。

 せめてマスコミが、報道の基本である「両論併記」でニュースを発信してくれたら良いのですが、「憲法改正」と「皇位継承」についてだけは、そうなりません。

 日本が敗戦となって以来、76年が経過し、国際情勢が大きく変化しています。核大国となった共産党中国は、武力での威嚇を背景に連日尖閣の領海を侵犯しています。それだけでなく、尖閣も、沖縄も、自分の領土だと主張しています。北朝鮮はすでに核を所有し、日本に向けてミサイル発射の実験を繰り返しています。国連が反対しても、どこ吹く風と核実験をし、ミサイルの照準は日本です。韓国は相変わらず、慰安婦と徴用工の捏造を世界に発信し、日本の領土である竹島を不法占拠し、軍事拠点化しています。

 原因になっているのは、「日本国憲法」が日本の反撃の一切を禁じているからです。自衛隊はありますが、反撃のできない組織ですから、中国も北朝鮮も韓国も、安心して日本を侵食します。それなのに、反日マスコミと野党と活動家たちは、「平和憲法を守れ」「自衛隊はいらない」「戦争は反対」と、日本だけを攻撃し続けます。

 国民と領土を守る軍隊なのに、いまだに自衛隊と呼ばれ、尊い使命と責任を公認していません。つい先日まで、自民党の議員諸氏が頑張っているのだと信じていましたが、どうやら党の中には、国を守る矜持のない議員が混じっていました。 

 1.  日本を守る軍の再建のための、「憲法改正」

 2. 日本の歴史と文化と伝統を守るための、「皇室護持」

 この二つは、日本を存続させるための土台です。敗戦時に連合国軍は、この二つを日本から消滅させることを目的として、復讐裁判と呼ばれる東京裁判で、日本だけを悪者にしました。国内にいる反日左翼勢力が、これに協力し、現在の「日本国憲法」信仰が浸透しました。

 マッカーサーがやり残したあと一つが、「皇室廃止」でした。、国民と共に、苦難の道を歩まれた昭和天皇の時代には、尊崇の中心に陛下がおられ「皇室廃止」などと口にすれば、国民がこぞった大反対したはずです。

 しかし現在では、昭和天皇を知らない世代が増え、人権、自由、男女平等といえば、簡単に飛びつく風潮が形成されています。反日左翼のマスコミと学者と政治家がこの風潮の強化に力を貸しています。戦後の76年を費やし、「日本国憲法」の改正を不可能なものにしたように、今度は「皇室護持」を困難にしようと、反日左翼勢力が動き始めました。

 長い前置きを述べましたが、危惧が現実化している詳細につきましては、スペースの都合で、次回からにいたします。まず、3月25日の千葉日報の記事を紹介します。

 皇位継承策検討のため、有識者会議が開催されているというニュースは、4、5日前から共同通信社が、千葉日報に配信しています。しかし今回の記事には、看過できない事実が報道されていました。

 「旧皇族の皇籍復帰浮上」「保守派宿願、批判も根強く」「皇位継承の有識者会議」

 これが記事の見出しです。書き出しの部分が重要ですから、そのまま転記します。

 「安定的な皇位継承策を議論する、政府の有識者会議で、」「今後検討する10項目の中に、旧宮家 ( 旧皇族 ) の皇籍復帰が含まれた。」「男系で続いてきた『万世一系』の伝統を守るため、」「保守派が長く政府に求めてきた宿願だ。」

 「ただ菅政権内でも、600年前に天皇家から分かれた方たちを戻して、」「本当に受け入れられるのか ( 河野太郎行政改革担当相 ) と、」「批判的な見方がある。」

 父親の洋平氏は、韓国の慰安婦問題の言いがかりのもとになる、「河野談話」を出し、国民に塗炭の苦しみを与えた官房長官でした。その子である太郎氏が、今度は「日本崩壊」の元になる意見を言っています。しかも、反日野党と同じ意見です。

 「河野太郎氏を未来の総理に」という、保守の人もいますが、私はずっと疑問を抱いていました。こうなると氏はまさに、「親子二代の売国政治家」となります。党内の害虫というだけでなく、日本国民にとって「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」です。

 気持を落ち着かせて、続きは明日といたします。

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いじめと不登校 - 5 ( 森田洋司・浜田寿美男氏 )

2021-03-29 15:07:11 | 徒然の記

      5. 森田洋司 昭和16年生 大阪市立大教授     127、132ページ

  「日本社会における私事化」、「いじめの四層構造」などと聞き慣れない新しい言葉を使い、D・オルヴェウス、P・K・スミスという外国の学者の説を引用していますが、内容に真新しいものはありません。

 「私事化とは簡単に言えば、" 公 " 重視から、" 私 " 重視への転換であり、」「社会が近代化していく過程で、生きる意味や価値を、」「私的な生活世界に求める傾向が、強まることです。」

 個人の自由や権利が叫ばれるようになった、戦後の日本なのだと分かりましたが、氏の意見も過去の日本否定です。

 「集団や組織に飲み込まれ、蔑ろにされがちだった私生活や、」「その中心にいる" 私 " を大切にする、ライフスタイルが登場してきたという意味では、」「歓迎すべきことである。」

 「今子供たちの世界で問題となっている、不登校やいじめや非行などは、」「社会の深層を流れる、この私事化という大きな動きの表層にある、」「波紋や渦として理解しなければ、対応できない側面を持っている。」

 反日左翼教授らしい意見へと、傾斜していきます。

「この傾向は、社会全体の人々のライフスタイルが、 " 滅私奉公型 " 社会から、」「 " 活私型 " 社会へと転換していることの表れであり、」「自分を大切にする風潮が、社会に浸透したことでもある。」

 「私事化社会の到来それ自体が、問題なのではない。」「" 個 " という存在が共同体や組織に縛られ、埋没した状態から、」「個々人が、それぞれの表情を持つ顔を見せ始めた段階へと、」「時代が変わりつつあることは、むしろ歓迎すべきことである。」「私事化の動向が様々な問題を生み出しているとすれば、」「それはとりもなおさず、日本社会の中で、」「私事化が成熟していないことを示している。」

 氏の言は、今はその過程であるという楽観論でもあります。結論はこれがまた、意味不明な観念論です。

 「社会の深層の流れのプラス面を伸ばしつつ、いかにしてマイナス面を極小化行くかという課題が、」「横たわっていることを忘れてはならない。」「自立した個の輝きを図りつつ、個と個の共同生活を担いうる資質と能力を、」「いかにして子供たちに培うことができるかに、かかっている。」「いじめ問題の解明と克服には、こうしたマクロの視点を睨んだ対応が、」「必要な段階に来ていると言える。」

 昔の日本を否定するという目的以外に、氏は何を達成したのでしょう。無意味な言葉を繰り返し、なんの解決にも結びつかないお喋りをしているだけです。

  6. 浜田寿美男 昭和22年生 花園大教授 編者の一人  154ページ

 氏の意見を紹介するのは初めてですが、『いま教育を問う』では執筆者の一人でしたから、私は既に読んでいます。わざわざ取り上げたのは、反日左翼学者とはいえ、氏の意見に傾聴に足る部分があると思うからです。反日左翼嫌いだからと言って、何にでも反対している訳ではありません。 

 問題は氏の意見を、どのように具体化させていくかということです。現在の学校制度を全否定したのでは、角を矯めて牛を殺すことになります。氏の提案する形の学校が、全国のどの地域に、どの程度の数で存在すればいいのか、将来の課題として検討に値します。

 「学校はこれまで、同年齢の健常な子供たちを寄せ集めて、」「効率よく教える場であろうとしてきた。」「しかし少なくとも、小学校と中学校については、」「この発想を根本的に見直す必要があろう。」

 「学校は子供たちだけの集団の場でなく、その一世代、二世代前の大人たち、」「つまり教員、職員が共に生活する場である。」「子供たちだけの中で見ても、小・中学校合わせれば、」「12年に及ぶ年齢差がある。」

 「その中にはもちろん、男もいれば女もいる。」「軽重様々な障害を持つ子もいれば、持たない子もいる。」「学校が本来、そうした多様な人間によって構成される集団であることに注目すれば、」「そこに、守る  ー  対等性を生きる  ー  守られるという、」「重層性が成り立つ可能性を、見ることができるはずである。」

 「生活の場には、もっぱら守る人と、もっぱら守られる人がいるのではない。」「同じ人が守りもする、守られもする、あるいは対等にやり取りもする。」「それはあまりに非現実的な、理想主義に聞こえるかもしれない。」「現在の学校状況と、この発想の隔たりは大きく、一見したら夢物語でしかない。」

 氏の夢想する学校には、教室の壁がなく、オープンスクール形式で、子供たちが入り混じって勉強します。教師も職員も、自由に参加するという場所になります。「保健室登校生徒」や、「行き場のない不登校生徒」も、こういう場所なら参加できるのかもしれません。

 ただ、全ての学校をこのようにすべしという極論には賛成しません。勉強の嫌いな子がいるように、勉強の好きな子供もいます。勉強の好きな子には、こういうオープンスクールは逆に苦行の場所になります。

 私のように、定年退職後から勉強を始めたような者には、生涯学習の場としてオープン化された教室があれば、若い人たちに混じって学ぶのも楽しい気がします。長寿社会が到来したのですから、学校も施設の何割かを公開し、社会人と共有する工夫も良いような気がします。

 その場合でも、現在の学校制度が中心となって運営されるのが正しいと、私は考えます。浜田氏の意見は、現在の制度からはみ出した子供の行き場を作り、別の学びを提供する有意義な学校形態だと思います。

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いじめと不登校 - 4 ( 門脇厚司・清水賢二氏 )

2021-03-29 09:21:29 | 徒然の記

 門脇氏は先般名前だけあげて、意見を紹介していませんでしたので、今回取り上げます。理由は氏の主張が、典型的な反日左翼学者のスタイルだからです。現状を批判攻撃しますが、対案は持っていない、持っていたとしても空疎な観念論でしかなく、具体性がない・・・と、こういうものです。

  3. 門脇厚司氏 昭和15年生 筑波大教授  85ページ

 「ありていにいえば、近代学校は、教育を受ける者の人生を豊かにするため、」「教育を行う場所でなく、教育を強制する側の利益や都合のため、」「教育を行う場所として作られている。」

 「さらに言えば、国家の力の大元になる産業の発展に役立つ人材を、」「探し選抜するために教育の機会を与え、」「競争試験をする場所と言っても良い。」「そうであるにならば、学校が整備され、」「教育の仕方が洗練されればされるほど、」「子供たちの違和感が募るのは、当然と言える。」

 筑波大学は、明治5年に日本で最初に設立された師範学校で、かっては東京師範学校と呼ばれていました。師範学校とは、教員を養成する学校を意味しますから、筑波大学は元々は教員を育てる大学でした。今でこそ卒業生の進路は、教員より一般企業へ進む者が多数を占めていますが、私の記憶ではいまだに「先生のための大学」です。

 文部省の指定するスーパー・グローバル大学の一つで、世間の評価では一流大学ですから、その大学の教授である門脇氏が、学校そのものを否定する意見を堂々と述べているところに、違和感を感じます。氏の教えを受けた学生たちが教師になり、学者になり、公務員になれば、日本の教育がますます崩壊します。

 氏の主張そのものは何という特徴もありませんが、、こういう主張が大学で教えられているところに、危機感を抱きます。「獅子身中の虫」である氏に育てられた学生は、日本各地へ拡散し、行った先で「獅子身中の虫」となります。一流大学の卒業生ですから、エリートとしての扱いを受けます。

  浜の真砂は尽きるとも、世に反日( 左翼 )の種は尽きまじ

 まさに私が、石川五右衛門から盗作して完成した辞世の歌、そのままの現実です。

 「父親たちが、会社人間から地域人間に転身する決意を固める必要がある。」「日本の男性がこのような決意をした時、会社大国日本の体質に変化が生じ、」「それにつれ学校もまた、子供たちを人間として育める方向へと、」「大きくそのあり方を変えていくことになるであろう。」

 「とりあえずの改善提案」と題された、氏の結論です。批判と破壊の大きさに比較すれば、この提案の曖昧さと具体性の軟弱さに首を傾げます。こんな氏が馘首もされず、大学に居座っている事実の中に、日本教育の崩壊を見る気がいたします。

  4. 清水賢治氏 昭和18年生 日本女子大教授  101ページ

 「責められるべきは子供でなく、本来そうした可能性を持っている子供を、」「無造作にイジメに走らせてしまった、家庭や学校、」「そして地域社会等の、子供とのつながりの脆弱さであり、」「子供たちに、十分な自己抑制力を身に付けさせることのできなかった、」「教育環境の貧困さである。」

 一読しますと、正論のように思えますが、氏の意見もまた学校教育の否定という「既定のスタイル」です。目新しいところを言えば、教育問題の原因として、学校を一番目に上げず、家庭を持ってきているところと、地域社会を加えているところです。

 「子供を非寛容的に統制するのでなく、イジメ行為そのものを問題視し、」「それに対応しなければならない。」「ここまでは許せるといういじめと、絶対に許されないいじめとの、厳しい仕分け、」「すなわち的確な、いじめ診断作業を進めることが大切だろう。」

 それができないから、多くの関係者たちが苦労しています。同じ反日左翼教授の中には、氏の薦める医学的診断作業を、有害な方法だと否定する人物もいます。要するに彼らは、てんでに自分の思いを述べているに過ぎません。私が最も驚いたのは、113ページの結論です。

 「子供達の間での、現代いじめの根源的回復対策。」「それは子供達に何かを求めるより先に、私たちの間にもう一度、」「人と人とが共生する上で必要な、確かなモノサシの再確認、」「あるいはこれまでの、和を強いる日本的規範を超えた、」「新たなモノサシを形成するしかない、という結論に向かっていく。」

 つまり氏が否定しているのは、私たちが大切にしている「和を持って尊しとなす」という、聖徳太子の教えです。反日左翼教授たちは、岩波書店の出版物を媒介として、「日本文化と伝統」の破壊を頑張っているのだと分かります。

 馬鹿にできないのは、彼らの使う「共生」とか「寛容」などという日本文化否定の用語が、23年後の今日、マスコミで盛んに使われるようになったという事実です。この書はまさに、「日本をダメにする害虫」の集積物 ( 巣 ) です。

 自分としては、腐臭の漂う悪書でしかないので、「武漢コロナ」の汚染物のように、ゴム手袋をしゴミ袋に入れたい気持ちです。愛する息子や可愛い孫たちのためには、もうしばらく我慢し、彼らの意見の恐ろしさを説明すべきかと、ここで迷います。一旦休んで、考えます。

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いじめと不登校 - 3 ( 田中正彦、青木信人氏 )

2021-03-28 17:30:21 | 徒然の記

 『いじめと不登校』を、読み終えました。これで本棚の11冊は、小学校の有価物ゴミとして回収・再利用され、社会に役立つこととなります。

 私はこれまで、「いじめ」と「不登校」を似たものとして考えていました。いじめを原因とする不登校は、あくまでも「いじめ」の範囲に入れられるもので、本来の不登校とは、生徒本人にも説明のできない、学校そのものへの不安感や恐れのために生じる「学校恐怖症」だと、区別することを教えられました。

 また「いじめ」についても、1対1の個人同士の「対立やいさかい」は、「いじめ」として捉えられていないことも、初めて知りました。あくまでも本書で扱われているのは、1対複数による「いじめ」でした。

 全部読み終えての感想が、最初の印象のままなので、そのことに驚いています。 

 「各氏の意見は、風景写真の中から抽出した事実ですから、間違いではなく、嘘でも捏造でもありません。しかしあくまでもその事柄は、各氏が日本社会の事実の中から切り取り、拡大して見せているものです。」

 だから私も、各氏のやり方を真似てみようと思います。執筆者たちの詳細な説明の中から、私が注目した部分を切り取り報告するという方法です。切り取った部分は各氏の意見から拾い出したものなので、嘘ではありません。あるとすれば、私の基準で選び出したと言う点において、「偏見」という物差しがあるのかもしれません。

 ということで、最初に申し上げた通り、興味のない方はスルーして下さい。人生の貴重な時間を、「ねこ庭」で使っても構わないと言う方だけ、どうかお訪ねください。

 1. 田中正彦氏 昭和20年生 北大助教授 本書編者の一人  20ページ

  「人間の攻撃性には、良性のものと悪性のものとがある。」「自己の生存が犯されたとき、その危機を排除しようと発動するものが、」「良性の攻撃性であり、それは全ての生物に備わっている。」

 「悪性の攻撃性は、自己の生存が脅かされてもいないのに他者を攻撃し、」「攻撃すること自体に、快感を覚えるものである。」「それは人間に特有な、社会・文化・教育によって生み出された、人間だけのものである。」

 「ある人間が他の人間を搾取したり、管理したりする社会が、」「悪性の攻撃性を、人間の中に生み出す。」「従って、人間の本当の要求や能力の十分な発達そのものを、目的とする社会、」「人間が、誰にも脅かされない社会を作る努力の中で、」「悪性の攻撃性を、減じて行くことができる。」

 氏はこれを、フロムの研究から引用したと述べていますが、悪性と良性の攻撃性の区分なら、外国人の学者の説を借りるまでもない話です。もしかするとフロムは、左翼マルキストなのでしょうか。田中氏は自分の意見を権威づけるため、フロムの名前を持ち出したのでしょうか。

 「人間を搾取したり管理したりする社会が、悪性の攻撃性を、人間の中に生み出す。」・・と、この叙述は、左翼学者固有の主張です。古典的マルキストたちの言によれば、資本主義社会は弱者を搾取し、管理するが、社会主義社会では搾取も管理もないと言います。

 2. 青木信人氏 昭和29年生 保護監察官   ( 酒鬼薔薇聖斗事件 )  27、44ページ

 「私たちの心を捉えた、" 透明な存在  "  という表現に、」「少年の深い孤独を読み取るべきなのだと、思う。」「わずか10代半ばの少年を、ここまで孤独な世界へと追い込んでしまう、」「私たちの社会のありようというものを、改めて考え直さなければならないのだと思う。」

 知り合いの少年の首を切り落とし、校門の前に置いたという中学生を、ここまで親身になって考える監察官がいたと知る驚きがありました。

 「戦後我が国の典型とされた、家族と企業社会をめぐる構図の中で、」「多くの父親たちは、企業戦士として思う存分に戦い、」「戦後日本の超高速の、経済再建を実現させた。」

 「だが一方でその構図は、裏側で進行する家族関係の荒廃と形骸化を、」「覆い隠すことに成功した。」「つまり我が国の戦後の再建には、経済的な豊かさと引き換えに、」「家族関係を犠牲にするという、シナリオが元々用意されていたと、」「いうことができる。」

 私も企業戦士の父親の一人として、息子三人を育てた人間ですが、氏の意見には賛同しません。私の周りにと言うより、当時の日本では、父親はがむしゃらに働き、子供の面倒を見ていたのが母親でした。男たちは家を守る女に頭が上がらず、大抵「かかあ天下」の家庭持ちでした。男尊女卑などと、最近の評論家たちが言いますが、笑ってしまいます。むしろ役割分担というべきだと、今でも思っています。

 まして青木氏が、子供の凶悪犯罪が、企業戦士の家庭から必然として生まれるという暴論には、与しません。氏の意見に従えば、三人の息子たちの中から凶悪殺人犯が生まれなくてなりません。

 馬鹿を言っては困ります。父親の不在が家庭を崩壊させるというのなら、敗戦後の私の家では、常に父親は不在でした。父も母も、離れた場所で別々に働き、家族揃って食事をすることもありませんでした。むしろ私は、懸命に働く父や母の姿を、子供ながらに感謝して心に刻んでいます。

 自分に都合の良い意見を展開する二人に、言いましょう。

 「日本をダメにし、少年の心を破壊したのは、反日左翼の貴方たちですよ。」

 「子供たちから、日本を愛する心を無くさせ、ご先祖さまへの感謝の気持ちを失くさせたのは、貴方たちですよ。」

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いじめと不登校 - 2 ( 門脇厚司氏 )

2021-03-26 15:35:19 | 徒然の記

 『いじめと不登校』80ページの、門脇厚司氏を進行中です。田中孝彦、青木信人、芹沢俊輔の各氏は読み終えました。

 解像度の高い、美しい風景写真の一点を狙い拡大し続けますと、木や花や小道が大きく映し出されます。その中の虫食いの花や病気の樹木だけを、さらに拡大しますと、画面いっぱいに食い荒らされた花や木の、無惨な姿が鮮明に現れます。

 「病気と虫たちが、こんなにも自然を破壊しています。」

 写真の説明文に、このような言葉が書かれているとしたら、眺めている人はどんな気持ちになるのかと、各氏の意見を読みながら、そんなことを考えました。

   昭和55年 金属バット殺人事件     昭和58年 浮浪者襲撃殺人事件   

   昭和62年 アベック引きずり殺人事件  昭和64年 コンクリート詰め殺人事件、連続幼女殺人事件       

   平成 5年 マット圧死事件       平成 9年 連続児童殺人事件 (酒鬼薔薇聖斗)

  執筆者たちは、こうした重大な少年犯罪に対し、エーリッヒ・フロム、E・レイトン、ジュディス・ハーマン、F・メイトソンなど、欧米の学者や精神科医たちの説を紹介しながら、自分の意見を述べます。

 彼らは一様に、事件の当事者である少年たちへの理解者としての立場で、「近代産業社会が必然的にもたらす、個人の孤立化と無力化」が、「心と魂の病」を培養した、という見方のようです。犯罪者の少年より、彼らを産んだ学校、世間、社会の方に原因を求めています。

 論理が詳細になり、精緻になるに従い、私の心は離れていきます。各氏の意見は、風景写真の中から抽出した事実ですから、間違いではなく、嘘でも捏造でもありません。しかしあくまでもその事実は、各氏が日本社会の事実の中から切り取り、拡大して見せているものです。違った角度から接近し、焦点の当て方を変えると、別の事実となる気がしてなりません。

  その一つが、形として日本が独立しても、実質的支配は続けると言った、日本独立の時のダレス氏の言葉です。これが私の言う、「トロイの木馬」です。

 「日本国憲法」「反日左翼学者」「反日左翼マスコミ」「反日左翼官僚」・・米国内にいる反日勢力が、日本支配のため残したものに焦点を当てれば、別の事実が見えてきます。そう言うことで、私は、各氏の意見にあまり期待をしていません。

 読みかけた本は最後まで読むというのが、私の習慣ですから、息子たちにも、「ねこ庭」を訪問される方々にも、ブログが続いてもスルーされることをお勧めします。人生の無駄です。

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いじめと不登校 ( 執筆者紹介 )

2021-03-25 15:42:08 | 徒然の記

  本棚に残る教育関係の書11冊も、最後の一冊となりました。昨年の11月から読み始めていますから、5ヶ月を費やしたことになります。

       1. 『いじめと不登校』4     編集委員6名   (  平成10年 )

       2. 『いま教育を問う』1   編集委員6名   (  平成10年 )

    3. 『教育への告発』0     編集委員6名   (  平成10年 ) 

    4. 『教師』                        森口秀志編   (  平成11年 )

    5. 『昭和教育史の証言  教育証言の会  ( 昭和51年 )

    6. 『学校は変われるか』      菱村幸彦  (  平成8年 )

    7. 『教なき国民は滅ぶ』  鷲野一之   (  平成9年 )

    8. 『教育問答』 なだいなだ  (  昭和52年 )   

      9. 『ジャカルタ日本人学校の日々』 石井光信   (  平成7年 )

     10. 『日本の教師に伝えたいこと』 大村はま   (  平成7年 )

   11. 『学校崩壊』 川上亮一   (  平成11年 )

 読んでも読んでも、この世に溢れている反日左翼の悪書です。 

   浜の真砂は尽きるとも、世に盗人( ぬすっと )の種は尽きまじ

石川五右衛門を真似て、私も先日辞世の歌を作りました。

   浜の真砂は尽きるとも、世に反日( 左翼 )の種は尽きまじ

 今回の執筆者は、下記14名の人々です。青字で表示した田中、浜田両氏は、編者でもあります。

  1. 青木信人 昭和29年生 保護監察官     2. 門脇厚司 昭和15年生 筑波大教授

  3. 河合隼雄  昭和3年生 教育社会学者    4. 清水賢治 昭和18年生 日本女子大教授

  5. 芹沢俊介 昭和17年生 社会評論家     6. 滝川一廣 昭和22年生 精神科医

  7. 田中孝彦 昭和20年生 北大助教授     8. 野田正人 昭和20年生 花園大助教授

  9. 浜田寿美男 昭和22年生 花園大教授     10. 森田洋司 昭和16年生 大阪市立大教授

  11. 山田潤 昭和23年生 大阪府立定時制高校教諭   12. 山田真 昭和16年生  小児科医

  13. 横湯園子 昭和14年生 北大教授      14. 河合洋  昭和9年生 精神科医

 教授、学者、評論家、お医者さんと、私に比べれば、みんな立派な執筆者の方々ですが、反日左翼系統なので、共通して庶民の常識に欠けています。子供たちが荒れ、学級と学校が崩壊する原因を、欧米の学者たちの説をもとに解明しようと、頑張っています。しかし、私のような庶民から見れば、執筆者たちのアプローチは全て間違っています。

 1. 日本には長い歴史と文化があるのに、敗戦以後反日左翼の人々は、それを全て批判し否定した。

  2. 「日本だけが間違っていた。」「日本だけが悪い国だった。」と、昭和時代は、学者、政治家、マスコミが大合唱した。悪法の「憲法」を、素晴らしいものとして学校でも教えた。

 3. 平成に入ると、反日左翼教育が全国に浸透したが、国際社会情勢との乖離が露わになった。

 4. 反日左翼の教育を受けた親たちが育てた子供が、平成に入ると学校で荒れ出した。権利意識が強く、自意識の過剰な子供たちは、その多くが自己中心的で、何もかもを否定する生徒として育った。

 時系列で検討すれば、原因は自ずと見えています。

 1. 日本人の中には、ご先祖さまのDNAが流れているのに、敗戦後の教育は、それを力任せに打ち壊した。DNAとは、国を大切にし愛する心と、ご先祖さまに感謝する心という、この二つである。

 2. 「東京裁判史観」に基づいた反日左翼の戦後教育は、生徒を混乱させ、自分の立ち位置を分からなくさせ、相談できる相手のいない学校で自暴自棄になるのは必然。

 3. このようなおかしな教育を、戦後75年間も続けて来て、人心の乱れない訳がない。

 ブログの中で何度も言ってきたことを、繰り返している訳ですが、11冊の本の執筆者たちは、誰一人としてそこに気づきません。反日左翼教育が、日本の教育をダメにしている原因ですから、張本人の執筆者に、気づける訳がありません。最近では保守自民党の議員諸氏の中にも、この簡単な理屈が理解できない人間が増えているようです。

  浜の真砂は尽きるとも、世に反日( 左翼 )の種は尽きまじ

 これからも私は、自分が作った辞世の歌を呟きながら、ブログの発信を続けます。

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千葉9区選出の秋本真利議員

2021-03-23 02:12:06 | 徒然の記

 3月17日の千葉日報に、千葉県9区選出の衆議院議員・秋本真利氏の記事が掲載されていました。17面(社会面)となりますと、まともなニュースではありません。氏については、3月4日のブログで「これが現実、私の選挙区」のタイトルで取り上げたばかりです。

 「脱原発講演会見合わせ要請」「自民・秋本議員に茨城県連」

 社会面の左端に5段組で掲載された記事に、私は思わず目を奪われました。

 「自民党の秋本真利衆議院議員=千葉9区=が、水戸市で28日に予定する、」「『脱原発』をテーマにした講演会をめぐり、自民党茨城県連が、」「党本部に、秋本氏の参加見合わせと、」「従わない場合は、『反党行為』として処分するよう求めていたことが、」「16日分かった。」「県連関係者が、明らかにした。」

 最初に記事を読んだ時、自民党の千葉県連が厳しい対応をしていると、勘違いしました。もしかすると、私のブログを読んだ千葉県連の関係者が、秋本氏に危機感を抱き、遂に厳く接するようになったかと、ぬか喜びをしました。しかしよく読みますと、それは千葉県連でなく茨城県連でした。

 考えてみれば、今回の知事選挙で、反党行為をした石井準一参議院議員ですら、何の処分もできなかったのですから、千葉県連であるはずがありません。森氏の知事選妨害に対しても、一言も返せなかった千葉県連に比べると、茨城県連はずいぶん強気な対応です。

 記事を要約しますと、秋本氏の講演会はおよそ次のようなものでした。

  1. 講演会は、秋本氏の著書の出版記念として行われる。

  2. 著書名は、『自民党発 !  " 原発のない国 " の宣言  』

  3.    計画は市民グループが行なっており、実行委員会に野党系関係者もいる。

  4.   秋本氏から、茨城県連に事前連絡がなかった。

  5. 海野透・自民党茨城県連会長代行らが、党本部へ対応を求めた。

  6. 二階氏が対応を検討中。

 海野・茨城県連会長代行は、記者の取材に対し、次のように述べています。

 「茨城県は原子力発祥の地で、日本原子力発電・東海第二原発は、」「運転再開に向け、準備している。」「政治家として何をするかは、基本的に自由だが、」「茨城まで来て、脱原発の講演をすることは、」「反党行為だ。」

 クリーンエネルギーとして、太陽光、風力、地熱発電などがありますが、電力の安定供給という面からは、まだどれもテスト段階です。水道・電気・ガスという生活インフラは、安定供給が一番大事です。不安定なエネルギーを優先すると、国民の暮らしが不安定になるばかりでなく、生命の危険が生じます。経済活動も、停滞します。

 発祥の地だからという茨城県連の談話には、そのまま賛同しませんが、エネルギー源の模索段階で、脱原発を不用意に叫ぶのには賛成できません。まして今の日本で「脱原発」は、イコール「反日左翼」の主張で、その証拠に、秋本氏の講演会を計画・実行しているのは、市民グループと呼ばれる反日活動家たちです。

 県知事選で他党推薦の熊谷氏を応援した石井氏は、同じく反党行為をしましたが、千葉県内での話でした。秋本氏は県を超え、しかも原発再開に向けて努力している茨城県で、「脱原発」の講演をするのですから、地元で騒ぎになるのは当然です。

 自民党同士でありながら、茨城県連へ連絡をしないのは、礼儀を失した行為です。同じく脱原発を党内で唱える河野氏は、「お前は共産党員か」と派閥内の議員から批判されていますが、その一番弟子と自称しているのが秋本氏です。

 「地元の立場も伺ったので、講演会の可否や、」「内容についても、熟慮して対応したい。」

 茨城県連への非礼を詫びるでもなく、取材を受けた秋本氏の言葉です。 これでは氏が、私の話を聞くはずがない・・・と、記事を読みながら納得しました。やっていることは反日左翼の野党と同じですから、「憲法改正」も「皇室護持」も期待できませんし、するほうが無理です。

 「これが現実、私の選挙区」

 先日のブログのタイトルを、改めて心に刻みました。氏が9区の議員である限り、私は衆議院の選挙で、棄権するしか方法がなくなりました。だからと言って、私は希望を失い、落胆していません。たかだか千葉の9区の話です。日本にはまだ、まともな自民党議員のいる選挙区が沢山あります。

 自民党 !  しっかりしてくれと、私はネットで発信し続けます。

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いま教育を問う 13- ( 田中孝彦・ 内山節氏 )

2021-03-22 06:31:57 | 徒然の記

 『いま教育を問う』を読み終えました。大切な息子や孫たちのため、世間に流布する悪書の「世迷いごと」をきちんと指摘したいと、意気込みは大きいのですが、目的は中々叶いません。前回までのブログで、6番目の姜尚中氏までを取り上げましたが、残る6名の人々の紹介をどうすれば良いのか、迷っています。

 1. 鶴見俊輔  2. 栗原 彬  3. 佐藤 学    4. 暉峻淑子   5. 矢野眞和    

 6. 姜 尚中    7. 田中孝彦 8. 内山節   9. 柏木恵子   10. 浜田寿美男

   11. 吉見俊哉 12. 鵜飼 哲

 残る6名の人々は同じ左翼教授ですが、12番目の鵜飼哲氏を除くと、傾聴すべき部分もあり、教えられることもありました。共通して言えるのは、日本を離れた、観念的な教育論だということです。日本を語らないのでなく、日本を分析し、検討していても、明治以降の教育論で、それ以前を度外視しているという意味です。

 日本の教育は、「西洋に追いつけ、追い越せ」の明治時代から始まったものでなく、もっと以前からあります。読み書き・そろばんを教えた江戸時代の寺子屋が有名ですが、時代を遡ればさらにいろいろな教育形態がありました。

   7番目の田中孝彦氏の意見は、非行少年とその親たちの話が中心です。非行は正論で正すのでなく、非行している子供たちを「見守る」ことから始まるという意見です。単に見守るのでなく「生の根源的受容」にまでなれば、見守る側の親と教師、見守られている子供も救われる、共同体験ができると語ります。このような教育が、現在の学校で可能かという疑問を別にすれば、立派な一つの意見です。ちなみに氏は、私より一つ年下で、昭和20年生まれの北海道大学助教授です。

  8番目の内山節氏の意見は、戦後の日本教育の一般論です。真面目な主張ですが、私には正しい意見と思えず、間違っているとも断定できない独特の考えです。

 「戦後の日本に定着した、近代思想を振り返ってみると、」「ここに展開されているものは、日本的に作り変えられた近代思想であることが分かってくる。」

 「敗戦後の近代化への憧れが、欧米以上に、」「近代的価値至上主義の社会を、作り上げた。」「もちろん古い時代への郷愁は、いつの時代でも存在するものであるが、」「それが日本の戦後史に、それほどの影響を与えたとは思えない。」

 書き出しの部分ですが、どう考えても戦後日本の説明だと読めません。日本的に作り替えられた近代思想を言うのなら、明治時代からの話であり、敗戦後の日本が憧れたのは、アメリカの文化と生活様式だったはずです。

 内山氏は昭和25年生まれで、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科客員教授もしています。私よりわずか6才年下で、これほど戦後日本への記憶が異なっているのが、不思議でなりません。

 「戦後の社会を動かしていたものは、科学、合理、進歩、個人といった観念に対する、」「日本的な崇拝であった。」「それらが、何のためらいもなく絶対視される中で、」「日本的な、戦後の精神の習慣が作られていった。」「それは、ヨーロッパの近代精神史の中にも見られない、」「現象であった。」

 私にすれば、戦後の社会を動かしていたのは、むしろ東京裁判史観ではなかったかと思います。戦争への反省、過去の日本への反省、アジア諸国への謝罪などなど、私は学校でそう言うことを教わってきました。

 柏木、浜田、吉見各氏も、東京裁判史観的意見があまりなく、報告するまでもない主張でした。鵜飼氏だけが、頑迷な反日左翼で、徹底的な教育制度、内容への批判でした。頑迷なだけに、読者である私には不愉快でなりませんでしたから、紹介する気にもなれません。

 と言うことで、『いま教育を問う』の書評は、今回で終わりといたします。次回は、いよいよ最後の一冊、『いじめと不登校』(岩波書店)です。

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千葉県知事選挙

2021-03-21 06:04:56 | 徒然の記

 どうやら、反日野党推薦の熊谷氏が当選確実のようです。自民党千葉県連は、スポーツ庁を任期満了で退任する鈴木大地長官を、早い段階で決定していましたが、うまくいきませんでした。マスコミの予想通りの結果となりましたが、自民党が県知事の座を失った直接の原因として、私は二つを考えています。

 1. 石井準一参議院議員の反党行為

 2. 森会長による、鈴木氏の擁立反対行為

 公明党が当初から熊谷氏を推していたため、公明党と関係の深い石井氏は、早い時点から、自民党千葉県連の決定に異議を唱えていました。氏の反党行為は目に余るものでしたが、除名処分せず、注意すらできませんでした。

 このため自民党の候補者選定手続きが、混乱状態に陥りました。マスコミは元々反日左翼ですから、熊谷氏に好意的な記事を書き、自民党の内紛を興味本位に書き立てました。

 奇妙なことに、森氏がこれに介入し、「スポーツ庁長官の鈴木氏擁立」に反対しました。昨年の10月29日の、千葉日報の記事をもう一度読みます。

 「森氏は、スポーツ界に大きな影響力を持つ。」「氏の反対で、鈴木氏の擁立は困難な状況になった。」「森氏は会談で、スポーツ庁を重視する立場を表明し、」「長官を退任したばかりの鈴木氏が、保守分裂の可能性がある知事選に巻き込まれることに、」「懸念を示した。」

 森氏は、千葉県知事とスポーツ庁長官を並べ、負けるような選挙に鈴木氏を出さないという、おかしな理由で自民党千葉県連の決定を覆しました。マスコミが騒いだ「女性蔑視発言」より、県知事選挙への介入の方が、もっと大きな問題でなかったかと、私は今でもそう考えています。

 森氏もまた、石井氏と同じく、公明党に忖度し、千葉県知事の座を譲ったのでしょうか。詳しい事情を知りませんので、的確な意見にはなりませんが、現在の自民党の、情けない状況が見えることだけは確かです。

 自民党の本部も、森氏の介入に異議を唱えなかったのですから、菅総理が黙認したことになります。

 自民党が、公明党の選挙協力なしでは、政権の座が守れないという噂は、本当だということなのでしょうか。外国人の土地取得法改正についても、公明党の反対で国会に提出できず、中国や韓国による土地の爆買いを止められなくなりました。

 「伯父さん、自民党はもうダメじゃないの。」「LINEの情報が中国に流れていることなんて、昔から誰でも知っているのに、今まで何もしてなかったのよ。」「LINEは、韓国系の会社なのに、警戒心ゼロね。」

 「経団連が、日本より中国を大事にしても、何も言えないし、」「自民党がこれじゃあ、日本がどうなってもおかしくないよね。」

 昨日九州に住む姪っ子と、電話で話したばかりでした。若い姪が、私と似たことを言うのも初めて知り、驚きました。日頃は政治向きのことを、話さないようにしていますので、ここまでハッキリ聞かされるとは、意外でした。

 そして今、熊谷氏当選のニュースを聞き、自民党の不甲斐なさを改めて考えています。日本を再生させる政党は、自民党しかないのに、議員諸氏は何を考えているのでしょうか。憲法改正も、皇室護持も、このまま有耶無耶になるのでしょうか。

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