ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

最後の一冊

2014-12-29 20:23:11 | 徒然の記

 大崎正瑠氏著「韓国人とつきあう法」(平成10年刊 ちくま新書)。名古屋で読んだ、最後の本だ。

 氏は、昭和19年に北海道で生まれ、慶大卒業後に、ビジネス界の実務を経験し、現在は大妻女子大学教授である。

 韓国に関する本を、これまで4、50冊読んだが、系統だった読書をしていないから、量は多くても断片的な雑学となっている。その中でも、大崎氏の著作には、目を開かせられる発見があった。

 日本は、欧米諸国と価値観を共有する、民主主義国家で、欧米の国々からは、アジアのどの国より理解されていると、今日まで信じて来たが、その思い込みを、氏が見事に打ち砕いてくれた。

 「ヨーロッパから日本まで、中近東・南アジア経由の旅行を含め、海外において、」「肌に感じたことだが、イベリア半島から、朝鮮半島まで、陸続きのユーラシアにあって、」「人々は自然に往来し、相互に、影響し合っている。」「日本は海に囲まれ、人々の往来が自由でなく、」「ユーラシア的相互影響から、途切れている。」「これに加えて、日本は鎖国を経験し、小宇宙を作り、独特の文化を発展させて来た。」

 こうして氏は、日本の特異性を語る。

 「筆者が今まで、約40カ国見て来た限りでは、相手とぶつかり合いもしない、文化など、」「日本以外に、まず無いのである。」「ぶつかり合いをするのは、韓国人以外も、大体同じようなものである。」

 「筆者の知り合いの中国人の話では、故郷に帰ると、100メートルも歩けば、」「大抵道ばたで、怒鳴り合の口喧嘩をしている光景に、出くわすと言う。」「しかるに日本では、そのような光景はまず見ないので、」「不思議に思う、とのことである。」

「個人的な経験でも、ブルガリア、ドイツ、アメリカなどでも、」「職場や学問の場で、日本人から見れば、喧嘩としか思われないように、感情を露にし、」「口角泡を飛ばし、議論している光景が、何処でも見られた。」「翌日には、互いに、何事もなかったかのように振る舞い、」「議論の続きを、したりする。」「この点においても、日本対日本以外の、図式が成り立つだろう。」

 「日本人が、あまりに謙譲するので、外国人の中には、日本人には、」「精神的マゾヒストの傾向がある、という人もいる。」「筆者の経験からしても、このような謙遜・謙譲の文化を、日本以外に知らない。」「韓国人は自己を誇示し、万事控えめと言うことがない。」「しかしこれは、韓国人に限ったことでなく、アメリカ人もドイツ人も、」「中国人もアラブ人も、日本人以外は、大体同じようである。」

 「この意味で、日本人のこのような態度は、国際的な場所では、理解者が誰もいなく、孤立する。」

 なるほどと、うなづかされる意見でもある。外国と交渉するにあたり、謙遜・謙譲では、相手に理解されないばかりか誤解も招く。外務省や政治家に関し、、氏が言う分には反対しないが、日本人全般に押し広げられると、チョット待ってくれと言いたくなる。

 だから日本人には、国際感覚が欠けていると、決めつけられるに至っては、不愉快極まりない。

 最後まで読んで分かったのだが、氏は、日本人への助言として語っているのでなく、自己主張する韓国や、中国の方を是としている。つまり日本を批判し、韓国・中国には理解と好意を示すということだった。

  1. 日本人特有のコミュニケーション・スタイルは、多分に「武の文化」、およ

    び、いくらか儒教文化に影響を受けている。特に自己犠牲を義務とし、自己

    主張を押さえつけて来た、「武の文化」の影響が強い。それは例えば、「ぶつ

    かり合いをしない」、「畏まる、謙遜する」、「議論嫌い、感情を抑制する」、

    「無原理・無原則」などに現われている。


  2. これが日本人を、世界に類のないほど発信下手、そして、外国語下手にする大き

    な要因である。個人的発信力の点で、汎世界的水準に近い、韓国人・中国人なみ

    の発信力を、発揮するためには、これから日本人が、どの程度「武の文化」の呪

    縛から、開放されるかが鍵であろう。

 この2点が、氏の本の結論である。
氏の言う「武の文化」とは、何なのだろう。おそらく、「武士の文化」という意味なのだろうが、そうなると起原を、氏は、武士が天下を制した、鎌倉幕府以降のこととしているのか。

 けれども、私は違う意見だ。日本人の気質を作るキッカケとなったのは、聖徳太子の「十七条憲法」である。

 中学時代に日本史で習ったが、その中に「和をもって尊しとなす。」という言葉があった。いがみ合いをせず、仲良く暮らしなさいという意味だと、先生に教わった。無闇に異を唱え、他人と争わず、和の心を大切にすると言うことで、それは氏が解説するような、「一方的な自己犠牲」や、「自己主張の押さえつけ」などという、次元の低いものではない。

 氏の意見に従えば 、武の文化」は、1192年からの始まりとなり、日本史で習った「十七条憲法」は、574年からの話になる。日本人の気質が、世界に稀であるのなら尚のこと、鎌倉時代より618年を遡る、飛鳥時代に始まると言う方が、自然な認識と言えないだろうか。もっと言及すれば、一般の日本人が、外国語を喋れないのは、日常生活に必要がないという、簡単な理由だ。

 ついこの間まで、地位のある者は、外国語など喋らず、通訳を介し日本語で話すのだと、そんなことが言われていた。私が会社にいる頃、社長は、知っていても英語を喋らず、通訳の役員を常に同行していた。

 そして通訳専門の役員は、他の役員に比し、レベルが低いと見られていた。私と同じ年齢なのに、氏はそうした事実を忘れているのだろうか。今の時代で、外国と折衝する政治家や役人が、英語のひとつも喋れないのは、使命感の欠如した職務怠慢でしかない。

 他のアジア諸国で、英語やフランス語が使われているのは、彼らの国が、植民地であったり、白人に支配されたりしていたからだ。白人の言葉を使えなくては、暮らしが立たなかったため、必要に迫られ、彼らは異国語を使う。

  「武の文化」などという、ヘンテコな理屈を持ち出さなくても、私の意見の方が常識的と思えてならない。発信力にしても、国際的に弱くなったのは、先の戦争で負けたからにすぎない。戦前の日本の政治家や、軍人を見るがいい、自信に満ち、高慢になり、世界に自己主張をドンドンやったではないか。

 特異な文化を持つ日本が、白人優位の国際社会で自己主張をしすぎ、敵に囲まれてしまった。敗戦の結果、徹底的に痛めつけられ、憲法も押し付けられ、極悪非道な軍国主義者の烙印を押され、スッカリものが言えなくなっていると、これが戦後の歴史ではないか。

 見当違いの氏の意見に対し、私は自己主張する。確かに私には、大した発信力がなく、ブログで、怒りをぶちまけるくらいしかできない。氏は大学教授で、私は一介の年金生活者だが、ハイそうですかと引き下がる訳にいかない。

 こんな私のどこに、「畏まり 、 謙遜し」 、「感情を抑制する 、武の文化」の影響があると、言うのか。日本の歴史を深く考察せず、己の狭い経験から、世界とわが国を規定するなど、笑止千万である。

 どこにあるのか知らないが、大妻女子大学の学生さんたちよ。大崎先生の話は、眉に唾して聞き給え。北星学園大学の、植村隆先生ほどの悪人ではないとしても、自分の国を大切しない先生の話に、騙されてはいけませんよと、不幸な学生諸君に伝えたい。

 多忙な名古屋での日々、こんな酷い本を読んでいたのだから、疲れたはずだ。だからこの本は、何時もの通り、「有価物回収の日」にゴミとして処分する。

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アジアの田舎町

2014-12-24 19:48:28 | 徒然の記
 下川裕治氏著「アジアの田舎町」(平成7年 双葉社刊)。 名古屋で読んだ3冊目の本だ。
氏は昭和29年に長野県に生まれ、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、アジア・アフリカを中心に旅行し、週刊朝日に紀行文を連載したと、経歴に書かれている。

 「貧乏旅行について何冊か本を書いているせいか、なにか貧乏旅行の達人のように思われている。確かに貧しい旅ばかり続けて来たのは事実だが、僕の海外旅行がのっけから貧乏の二文字に色どられていたわけではない。」

 リュックを背負い、汗や汚れも恐れず、歩けるところならどこまでも自分の足で行く。安ければどんなホテルでも気にせず泊まり、宿がなければ野宿する。若い時にしかできない、乱暴で無謀で、自由気侭な楽しい旅だ。タイ、ビルマ、シンガポール、台湾、韓国、中国、インドネシアと、気の向くままに足を向ける。

 読みながら、私は55年前の自分を思い出した。
当時の私は、高校一年生。素朴な疑問と、激しい憧れを抱く16才だった。「この世界で、日本人であるということには、どんな意味があるのだろうか。世界で日本人は、どんな風に見られているのだろう。」・・・・・。なぜこのような疑問を抱くようになったのか、理由は覚えていないが、単純なだけに、心を捉えて離さない強さがあった。

 それゆえ私は、世界旅行に激しく憧れた。自分を発見するための外国なら、どうしたって放浪の旅だと確信していた。
つまり、当時の私は、下川氏のような旅がしたくてならず、そのために東京の大学を目指した。けれども当時の日本は、こんな私を拒絶し、否定し、突き放した。

 世界を自分の目で見たいという希望をどうすれば叶えられるのかと、外務省の旅券課で相談した。
「君は語学もできない。他所の国の歴史も知らない。金もない。そんな人間に渡航許可なんてどうして出せるんだ。君のような学生に外国をうろつかれたら、日本の恥だ。」
人が並びごった返していたから、彼も忙しかったのだろうが、辺り構わず怒鳴られた。

 田舎から出て来たばかりの一年生だったが、一寸の虫にも五分の魂だ。本気で怒り問いただした。
「金なら用意しますよ。百万ですか、二百万ですか。」仕送りが月に七千円の時代だったから、百万円とはおよそ12年分の生活費になる。天地が逆さまになっても手に入れられない金額だったが、怒りが私を大胆にした。

 高慢ちきな役人が詳しく説明してくれたことは、まさに世間知らずの私を打ちのめした。
日本は外貨が少ないので、たとえ金があっても渡航が難しく、国のため有益と認められるものにしかパスポートが出されないと言うこと。有益と認められるのは、政府関係者、経済界の人間、報道関係者に限られ、漫然とした観光には貴重な外貨が割り当てられない。

 為替管理、外貨、パスポート、ビザなど、今なら常識の言葉だが、当時の自分には馴染みのないもので、理解するのに時間がかかった。こんな経緯を書いていると、とてもブログに収まらないのでここいらで止めよう。
私より9才年下の下川氏が大学生だった頃には、いまいましい為替管理もなくなっていたはずだ。旅券課の担当官も、あんな居丈高な対応をしているはずがない。恥さらしでも何でも、金がなくても、若者が自由に世界へ出かけられるようにする国。これが、当たり前なのだ。

 外務省があんなへ理屈で若い者を小突き回すなんて、思えば、日本は貧しかったのだ。時代の変化の激しさを、しみじみ感じさせられる本だった。(変わらないのは、今も昔も外務省は害務省だということか。)

 恐らく氏は朝日新聞に勤務していたのだと思うが、左翼思想を振りかざすでもなかつたので、自分のできなかった旅の話を、楽しみつつ読んだ。
彼によると、茨城県の荒川沖という場所がリトルバンコクと呼ばれるタイ人の街になっているらしい。不景気になった今はどうなっているのか、暇があったらいつか足を伸ばしてみたいと思っている。


 
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「チベット問題」を読み解く

2014-12-23 13:33:07 | 徒然の記
 大井功氏著「チベット問題を読み解く」(平成20年 祥伝社新書)。
名古屋で読んだ二冊目の本だ。筆者は昭和23年に長野県に生まれ、大学卒業後にビジネスマンとして世界各地で勤務し、今は松蔭大学の教授をしている。

 同じ長野に生まれても本多勝一のような不心得者がおり、大井氏のような良識人もいる。
ひとつの県に賢者も愚人も生まれて当たり前なのだが、そこを強調したくなるほど氏の本に感銘を受けた。久しぶりに心地よい読後の余韻を味わい、世間の広さを知らされた。

 まず驚かされたのは、チベット本来の領土が、中国の4分の1を占める宏大さであったということだ。
ダライラマ14世のインドへの亡命後に、自治区として中国が認めている地区でも、中国の領土の8分の1の広さがあるという。これだけの話だって、教えられなければ分からなかった重要事だ。

 四川省とか雲南省、青海省など、私たちはあたかも元々から中国領のように思い込んでいるが、これらの省の人口はチベット人が大半を占めている。移住してくる漢民族が増えたためこうなったのであり、今でも年々漢民族に浸蝕され、チベットの文化が失われつつあるのだと言うから驚きでないか。

 氏の言葉を引用してみよう。
「悲しいことだが、"民族浄化" の例は、歴史上も現代もいくつもある。近年ではボスニアのムスリム(イスラム教徒)虐殺がある。さらに現在では、中国政府が手を貸していると、世界から非難されている、アフリカのスーダン・ラルフールでの虐殺である。
これらの問題より遥かに長期間行われて来た"民族浄化" として、国際社会から非難と危惧が寄せられているのが、中国のチベット政策だ。」

 日本の政治家や政府関係者がチベット問題に関し、何も言わず静観している理由として氏は3つを上げる。
その1番目は、チベット問題に関する知識も情報も持っていないこと。2番目は、経済へのマイナス影響の懸念。中国を有望市場として企業が進出している中で、中国の機嫌を損ねたら、財界や業界団体から反発されると言う危惧だ。3番めは、チベットは中国の内政問題だから、内政干渉すべきでないと建前論を守っていること。

 中国がオリンピックを開催するとき、欧州各国が不参加を表明していた背景に、チベット問題への抗議があったことなど、本を読むまで知らなかった。
当時チベット争乱に対する強い非難を表明し、オリンピック不参加を表明したのは、ポーランド、ドイツ、イギリス、フランス、ベルギー、バチカン、EUである。

 何も報道しなかったマスコミめと怒りたくなる私に、氏はその心得違いを説く。
「政府や大手メディアを弱腰と責めるのは簡単だが、そんな政府やマスコミの姿勢を許して来たのは、紛れもなく、われわれ国民である。民主主義の国においては、政府もメディアもその国民のレベルにあったものしか存在しない。国民は賢明だが、政府やメディアだけが愚かという逆はありえない。北朝鮮による拉致問題についても同じ経験を痛感したが、戦後の日本人は何かにつけ余りにも"ことなかれ主義" だった。私たちは、そのことをまず反省しなくてはならない。」

 国民を騙し続けた売国の朝日新聞だってそのままにしている私たちだ。不買を広げ倒産させるだけの見識も気概もないのだから、その通りですと反省するしかない。これ以上感想を述べる資格もない。

 紹介した内容は著作の最初の部分で、ほんのサワリのみだ。賢明なる国民の皆様におかれましては、各自、図書館で借りて読まれることをお勧め致します。
有益なこの本も、図書館で貰って来た「廃棄処分本」の中にありました。

 で、私はこの書籍をゴミとして処分せず、本箱の棚にキチンと並べることと致しました。
希望する方にお貸ししたい気はありますが、ブログの世界ではそれもなりません。残念なことです。

 
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読売新聞 その軽さ

2014-12-21 11:38:50 | 徒然の記
 12月11日の記事だった。
衆院選ドキュメント「投票日まで3日」というタイトルが付いていた。朝日の慰安婦問題を批判し、良識のカケラらしきものを見せた読売が、こんな軽薄な記事を書くのかと呆れ、記念に切り抜いて名古屋から持ち帰った。

 共産党の不破氏が京都で街頭演説をした模様を、次のように伝えている。
「議長を退任してからも、党の理論的支柱と言う存在感は大きく、グレーのコート姿で街宣車に上がり、マイクを握ると、支持者から "おおー" というどよめきが起こった。」

 「弁舌の鋭さは健在で、集まった数百人の聴衆からは、何度も大きな歓声が上がった。11日には、沖縄でもマイクを握る。」

 記事を書いた記者は、共産党員なのだろうか。選挙戦の最中に不破氏を持ち上げ、誉め讃えるという神経が分からない。不偏不党の精神はどこへ消えたのか、こんな提灯記事を掲載した読売の姿勢も分からない。

 不破氏の演説というのが、馬鹿の一つ覚えでしかない反日の決まり文句だ。
「日本のやった侵略戦争を認めない。ヒトラーを擁護するネオナチと同じ勢力に、今の自民党は乗っ取られている。」

 不破氏のような政治家がいるから、中国や韓国・北朝鮮が日本攻撃の合唱に参加してくる。安倍氏をヒトラーと同列に置き、私のような人間をネオナチと決めつける卑劣さ。この妄言が共産党の理論的支柱と言うのなら、不破氏こそが獅子身中の虫、反日と売国の元凶である。

 そんな彼をここまで美化して報道する読売に、朝日と同様の「軽さ」を感じる。要するに、日本のマスコミの度し難い軽さだ。
こんな新聞を読まされる国民が、どうして賢明な判断を培うことができるのだろう。こうしてみると、偉そうなことを言っているが、新聞なんて愚民化のためのツールでしかない。

 不動産屋の誇大広告より、もっと始末が悪い。
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「公安条例」

2014-12-20 20:46:03 | 徒然の記

 東京護憲弁護士団編「公安条例」(昭和42年 三一書房刊)を、名古屋で読了した。

 ベトナム反戦ストが新聞を賑わせ、中国の文化大革命が、素晴らしい出来事のように報道されていた頃の本だ。今なら誰も振り向かないのだが、当時はこんな本が読まれていたのかと、埃とカビの匂いがする歴史的な本だった。
 
 正しい日本文とは思えないが、本のカバーに書かれている、広告の文章を、参考までに転記してみよう。

 「東京護憲弁護士団のメンバーは、」「それぞれ学生運動、労働運動の体験者であるとともに、」「現在では総評、べ平連、全学連などの新進気鋭の弁護士団として、」「法廷の場で、デモ行進の場で、」「もっとも具体的に公安条例に対峙している。」

 「また、このメンバーが、大衆運動の復権に、」「大きな関心を寄せているのも、当然である。」「まさしく東京護憲弁護団こそは、公安条例をその核心において、」「もっともよく語ることができるであろう。」

 公安条例という法の名は知っていたが、私はこれまで中身について、全く知らなかった。本を読んでいると、警官を殴り殺したり、警官たちに殺されたり、そんな激しいデモの報道が、記憶の彼方から甦って来た。つまり公安条例とは、左翼運動家や学生たちの、無謀なデモを取り締まるための、法律であったということだ。

 東京護憲弁護士団という組織が、今もあるのかどうか知らないが、もしかすると、反戦平和と護憲を唱えている、日本弁護士会の前身なのだろうか。

 カバーの広告文を読めば、知識のある者なら、読まずに中身が分かるのだろうが、私は無知なので、謙虚に熟読した。書かれている内容は、私の主義主張と相容れず、むしろ、対極に位置するものだったが、知識の空白を埋めてくれる本として、何時もどおり敬意を払って読んだ。

 もう少し正確に言えば、「不愉快になりながら、敬意も払った。」、というのが正直な思いか・・。

 「日本国憲法の保証する限り、われわれの行動は自由である。」「犯罪の発生した後に、これを取り締まるのであるのならともかく、」「犯罪が行われようとしているといって、むやみやたらに、」「実力規制に入ることを、許していいものではない。」

 犯罪が行われようとしている時に、取り締まるのが警察の仕事であり、発生した後に取り締まると言うのでは、話にならない。このへ理屈が、石川博光氏の主張であるが、なんというおかしな弁護士なのだろう。

 これが、本の第一章を飾る論文なのだから、後は推して知るべしだ。カバーの広告文が、後少し残っているので、こいつもオマケと、気前よく追加してやろう。

 「われわれは、本書を単なる公安条例の解説書にせず、」「今後の撤廃闘争についても、単純な闘争方針ないしは、」「展望ということでなく、問題の所在を明らかにし、」「権力闘争、権力への抵抗、という視角から、展望することにした。」

 カバーの装丁者として、増渕克子氏の名前が印刷されている。戦場のジャンヌダルクのように、高揚した下手な文章は、彼女の手によるものなのだろうか。

 ソ連でマルクス主義が崩壊し、似ても似つかぬ左翼独裁が、中国と北朝鮮で跋扈し、国民をねじ伏せている様子を、どのように見るのか。彼女が今も存命なら、問うてみたい気もする。

 今朝から、家内と二人でするラジオ体操を、再開した。体調不良でしばらく休んでいたが、整形外科でリハビリをし、眼科で薬を貰って来た。こうして私の日常が、元通りになっていく。だから、馬鹿馬鹿しい本の感想を書いても、今日は怒りを覚えない。

 平穏な日常の有り難さと、感謝の念が優っている今宵は、感謝の気持ちのまま、早く床に就くとしよう。
 

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読売新聞と中日新聞

2014-12-19 22:33:47 | 徒然の記

 名古屋では、毎日1時半から4時半までの間、近所のファミリーレストランで、読売新聞と中日新聞を読むことにしていた。

 いずれの新聞だったか忘れたが、自民党圧勝の原因は、民主党が立候補者を全国に立てなかったから、自民優勢のまま選挙が推移した処にあるという、総括記事があった。

 つまり海江田氏は、のっけから政権奪取の気構えを捨て、自民党の勢いに負けたのだと、そういう意見だった。一強多弱の選挙を、戦わずして諦めたという批判だ。テレビの報道もそんな論調だったから、マスコミの選挙分析や解説は、どこも似たようなものでなかったかと推測する。

 心ある保守の有権者たちは、こんな記事を読み、マスコミの解説に苦笑したに違いないと、私は確信する。

 国益を前面に押し出し、世界の国々がせめぎあっている時に、反日と売国の政党に、政治を任せる国民が果たしているであろうか。野党がもし、政権党の権力を正しく批判する政治家の集団なら、真面目に国を考える国民は、自民党の圧勝を許さなかったと思う。

 きな臭い国際情勢に危機感を覚え、一日も早く日本を「普通の国」にすべきだと、国の未来を思う国民なら誰しも考える。

 軍事力にものを言わせ、日本の近海を侵略する中国に、腰を屈めるしかできない政党に、どうして票を入れると言うのか。ねつ造の歴史で国民を教育し、憎悪のプロパガンダで日本を罵倒する中国。その中国に擦り寄り、執拗に日本を貶める韓国に、友好友好と笑顔を振りまく議員に、誰が票を入れるのかと、そんな分析をしたマスコミが皆無だったことを、私は名古屋でしみじみと確認した。

 これも、いずれの新聞なのか忘れたが、韓国のマスコミが、日本に関する世論調査をしたという記事を読んだ。

 その結果は、

  1. 韓国民が一番大切に思う国は日本だ。

  2. 一番見習うべき国は日本だ。

  3. 一番嫌いな国は日本だ ・・・・、というものだったらしい。

 しかし韓国のマスコミが、世論調査の結果として記事にしたのは、「韓国民が一番嫌いな国は日本だ。」という部分だけだったとのこと。

 韓国のマスコミが、いかに偏った情報を国民に提供しているか、と言う事例らしかったが、韓国だけを笑えた話かと私は苦笑した。民主党敗北の理由の中から、どの新聞も肝心な点を外し、横並びの解説しかしないのだから、似たようなものでないか。

 朝日新聞の読者を卒業した私のように、自分の頭で国を考える人間が増えれば、民主党だって、いずれは、首の皮一枚で政党の列に連なっている、社民党のようになるはずだ。
国益そっちのけで勢力争いをしている、維新も生活も、反日と売国である限り、賢明な国民の支持を得られるはずがない。国の安全を忘れた政党と政治家は、選挙の度に削ぎ落とされていくだろう。

 次世代の党が伸びなかったが、保守の大道を進む限り、この党は健全野党として躍進する日が来る、と言う予感がする。
アントニオ猪木みたいな議員を受け入れる、と言う愚かな真似をしなかったら、票を失わずに済んだのかも知れない。事実の一面ではあるが、小沢一郎みたいに、民主主義は頭数だと、低次元の理屈だけで動かないことが一番なのだ。

 名古屋で読んだ本について、どうしても書いておきたい気持ちがあるので、そろそろ、皆さんのブログを読ませて頂きながら、「みみずの戯言」を再開したいと思う。

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浦島太郎

2014-12-18 22:02:14 | 徒然の記

 昨日、名古屋から帰って来た。

 予定ではもう一日あったが、低気圧の影響で、何年ぶりかの雪になるという予報だったため、雪になる前に出発した。

それでも駅に着くと、降雪による、新幹線の遅れが出始めていた。私同様に日程を変え、切符の変更に来ているのか、緑の窓口には行列が出来ていた。重い荷物を抱え、ホームをあっちへ行きこっちへ戻り、方向音痴の厄介さを久しぶりで味わった。

 11月24日から、12月17日まで、24日間の長い滞在だった。
二才の孫と息子夫婦が、全員病気でダウンしたため、家内と二人で、急遽応援と言う次第になった。

 その間のことは、ひたすら慌ただしく、忙しく、疲れに疲れ、思い出すのも億劫だ。
パソコンも自宅に置いたままだし、ブログも見ず、意見を述べるすべも無く、ひたすら忙しかった。途中で息子のパソコンを借り、コメントを入れてくれた方へ、短い返事と言うのか、言い訳と言うのか、それを返しただけだった。

 用事のある家内が三日前に帰っていたから、多少家の中が綺麗になっていた。
幸いにも息子夫婦と孫は元気を回復したが、昔のような体力のない私たちには、厳しい修行のような日々だった。

 いま、こうして自分の机でパソコンに向かい、やっと、帰宅した実感を得ている。
しかし、まだ浦島太郎のような気分だ。沢山のことを忘れ、沢山のことが思い出せず、無為な時間が過ぎていく。

 一番の辛さは、選挙の一票が入れられなかったことだ。
不在者投票をする時間が取れなかったことと、送付された選挙用紙の入手が出来なかった悔しさが、いつまでも残る。

 人生には、こういうことが多々あるのだろう。
息子たちの回復を良しとし、その一点のみを見ていくこととしよう。未だ少し、頭痛が残るが、今夜はこれから風呂へ入り、サッサと床に入るとしよう。(ついさっき、風呂の掃除もしたことだし。)

 私はまだいつもの「みみず」でなく、浦島太郎の心境だ。数日間のことが、陽炎のように揺れている。思い出すのは苦痛だから、曖昧に記述し、足跡としてのみ残しておく。

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