ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

写真

2010-05-22 20:42:08 | 随筆

 残念ながら、今回はカメラを諦めた。

 味のある写真の横に、気の利いた説明を入れたら、あっと驚くブログになると小躍りしたが、捕らぬ狸の皮算用となった。携帯の写真で十分いけると思ったのに、いざパソコンに取り込んでみると、画像の不鮮明さに気がそがれてしまった。こんな写真を入れたら、あっと驚くお粗末なブログになる。

 家内がデジカメで庭の草花を写し、ブログで楽しんでいる。それを私が自分のパソコンに貰い受け、音楽など聴きながら更に楽しんでいる。「ひと粒で二度美味しいアーモンドグリコ」みたいに、家内の写真は、我が家で二度活用されている。

 こんなことを書き出すと、話が横道に逸れそうだが、家内の写真主眼にするなど、そんなヤボは間違ってもしないつもりだ。妻を大事にしないというわけでなく、彼女はなぜか時に対抗心を燃やせる、良きライバルという位置に立つ。

 自分のブログにも、写真を添えたいが、女房に写せる写真が、自分にやれないはずが無い、いやもっと趣きのある一枚が撮れるはずと、要するにこんな考えがそもそもの出発点だった。

 家内がデジカメで撮り、私が携帯のカメラだったとしても、弘法は筆を選ばずというでないかと、自信満々の計画だったが、バソコンに取り込んだ画像の鮮やかさに、これほどの差があるとは誤算だった。デジカメと携帯の歴然たる差異を見たら、もしかすると、弘法は筆を選んだのではなかろうかと、思えるほどだった。

 双方のネガを、写真屋で昔ながらの名刺や手札にしてもらうと、素人目には、いずれも綺麗に仕上がる。しかしパソコンに取り込むと違いが大きく現れるという、何か意義があるのか、それとも無意味なのか分からない発見をした。

 携帯とデジカメのレベルの差を、ハッキリさせ、金をかけずにいいものは生まれないと教えるところなど、バソコンはまさに、商業主義社会の申し子だ。それでもこれで良かったと、一方では冷静な判断をしている。

 カメラと言えば、旅行の時に「すみません。シャッター押してくれませんか」と頼まれ、渋々手にした経験しかないので、写真を撮りまくっている家内のように、うまくいくはずがない。正直なところ、携帯のカメラが使えなくて幸いだったのかも知れないが、これについては、周りの誰にも言わず、家内にも言わず口をつぐむこととする。

  天気予報によると明日は晴れだ。今日は終日雨で、庭いじりができなかったから、明日は存分に手入れをしよう。少し早いが、眠るとするか。

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予定

2010-05-15 17:49:49 | 日記

 予定は常に未定と、かって、そんな都合のいい言葉を教えられたことがある。

 どうしても書きたいと言うか、書き残しておきたいというのか、実はそんなテーマがいくつかある。過去に何度か試みたが、いつも失敗した、苦い経験が残っている。偏見や気持ちの高ぶりを少なくし、静かに自分の思いを綴りたいと、挑戦するのだが、都度つまづいてしまう。

 だから、何時から書くのか、果たしてまとめられるのか、自信がないけれど、列挙するだけはしておこう。「気まぐれ手帳」だとしても、時にはまともに取り組んでみたいものがあるということなのだから、それはそれで大事にしなくてなるまい。

 他からの強制でなく、自分からやりたいと思うことは、たとえ人の目に楽しいものと見えなくても、何であれ楽しいことにかわる。

    1. 憲法または九条

      2. 愛国心または祖国

        3. 家族 または親子

    4. 愛と恋

          5. 神または宗教      というテーマがそれだ。


 いざ文字にしてみると、他人の目からでなくても、自分でも楽しいと思えなくなったテーマだ。が、そこはそれ、昔からへそ曲がりの片意地で生きている私だから、楽しいものに変えてみせると、返って意気込みたくなる。

 若い時分から、こんな思い込みで何度も失敗したのに、まだ懲りていない己がいる。だが、こうしておけば、変化のない暮らしに目標が生まれ、自らへの宿題になる。
 
 子どもの頃は、教師や大人に与えられ、会社時代には、上司が職権で無理難題を押しつけてきたが、定年退職した今となっては、誰も、そんなおせっかいはしてくれない。

 それはそれで寂しいのだから、まったく、気持ちという奴の、勝手さ気ままさには、今更ながら手を焼くというものだ。ということで、今日は簡単に、これまでとしておこう。

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記憶の砂浜 

2010-05-09 12:12:46 | 日記

   幸せだった日の思い出が
   寄せる波のように
   記憶の砂浜を濡らす
   五月の海と太陽が
   お前の笑顔と重なっている

   忘れられないお前よ
   冷たい冬の近づく部屋で
   暖かい日の思い出が胸を焦がす
   
   飲もうか
   こんな日には禁酒をやめ
   酔ってつぶれて泣いて眠るか
   流す涙が 心の底にたまり
   塩辛い海とつながっていくのだろうか

 もうすぐ、過去のものとなる大学生活だ。こんな日には、思い出にひたるのもいいだろう。失ったものが甦るのは、記憶の砂浜に身を任せるときだ。消えた日々が波となって寄せ返し、打ち重なってかすかな調べを奏でる。

 岩に打ちつけ、飛沫とともに大きく割れるのは、青雲の志が世間に挑む音だ。優しく静かにひた寄せる小波は、昔の恋の囁きだ。物音ひとつせず、日も射さない海の広がりは、孤独の果てしなさを教える。目を閉じて耳を澄ませば、学生生活の6年間が、記憶の浜辺に寄せ返す。

 うねりの青の優しさに揺られていると、忘れていた少年の心で、追憶の波と戯れたくなる。記憶の砂浜は、人間だけがもっている心のふるさとで、疲れた魂が安らぐ場所だ。そんなときは、誰であっても詩人になれる。繰り返す波音の優しさに包まれ、素直になり、詠いたくなる。私のこころよ、きらめく言葉で語ってくれ。願わくば、私だけのことばで・・。

 と、こんな具合に、大学6年生(24才)の晩秋のノートに、若かった日の自分が書きつけている。このような詩も文章も、今は書かないが、改めて「みみずの戯言」に写しとってみると、感慨深い。

 24才にしては書けているでないかと、感心する反面、以来自分の書くものは、レベルアップしていなかったか、という失望も入り混じる。友人どもから、貧民窟と呼ばれた馬場のアバートの一室で、私はこれを書いた。入り組んだアパートの一階にある、安普請の角部屋は、一日中陽がささず、窓を開けても、見えるものは隣の建物の壁だった。昼間でも、電気をつけないと暮らせない、陰気な部屋は、安い家賃が魅力だった。

 6年間大学にいたが、文字どおり居たというだけで、授業には出なかった。専門の学部の単位は取得済みで、在学するため教養科目をひとつ落とし、試験を受ければ卒業できるという状況だった。

 きらめく言葉になっているのかどうか、分からないが、これを書いたのは、埼玉の小さな会社へ、就職が決まったのを機会に、二三日後に引っ越しをすると、心に決めたときだった。

 どちらかと言えば、自分を陰気なペシミストだと思っているが、過去を振り返ると、お目出度いばかりの楽天家を発見する、驚きがある。恋に破れ、悲しい酒を飲もうとしていながら、恨み言ひとつ書いていない。

 やせ我慢で、追憶の砂浜などと気取っているが、そんな心境では無かったはずだ。だが、もう済んだ話だ。「つらいことでも、過去になって振り返れば、懐かしい思い出に変わる」というのが、昔からのパターンだ。

 金色夜叉の貫一みたいに、一生お宮を怨み、冷酷な高利貸しであり続けるような、根性のある人間とは違うのだ。いったん過去になってしまうと、憎んだ奴も怨んだ相手も、不思議なことに、すべて懐かしい思い出の中の人間に変わる。

 いい加減とも見えるこの精神構造は、もしかすると、顔も知らないご先祖様から受け継いだ、有り難いDNAでないのかと、最近考えたりする。この調子で、何もかもがどんどん過去になり、一生が終われば、楽しい思い出だけを抱えて死ぬことになる。

 まことに、ロシアの古い格言に似た理想の臨終となる。

「最後に笑う者が、最も良く笑う者である」・・・・・。表現が多少違っているかもしれないが、途中経過がなんであれ、死ぬ間際に笑って死ねるのなら、それが最高、という意味だ。はたしてそんな具合にうまくいくものか、こいつばかりは、生きてみなくては分からない。自分の最後を見届けるまで、簡単に死ねない理由がここにある。

   この世をば どりゃお暇に 線香の

   煙と共に ハイさようなら
 
  勝ちどきの東陽院の門柱脇に、一九の辞世の句が刻まれた墓碑がある。

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携帯電話

2010-05-04 00:25:03 | 随筆

 携帯電話は、嫌いだ。

 恥じらいと謙譲の美徳を持つ、日本人を、あっという間に、傍若無人な人種に変貌させてしまったからだ。

 JR、私鉄、地下鉄、なんでもいいから乗ってみれば、10人のうち7 人は携帯を開き、眺めたり操作したりしている。メールであったり、ゲームであったり、検索画面だったりと様々だが、周りを気にかけることなく、自分の世界に浸っている。しかも年代を超え、老若男女が広く熱中している。幼子を隣に座らせたまま、携帯をにらみ、子供の呼びかけに眉をひそめる、若い母親を目にしたときは、総理大臣でもないのに、国の行く末を憂えたくなった。

 静かな夜道で、後ろから来る女性が、大声を出しているので振り返えると、なんと、携帯を片手に、友人と話をしていた。若い女性にあるまじき、乱暴な言葉で、喧嘩でもしているようなやりとりだった。

 「マー子がさあ。また妊娠したんだってよ。」「懲りねえ奴。」「五ヶ月だっつうからさあ。下ろすのも難しいだろ。」「今度は生む、なんて言ってやがんの。」「そんでてめえは、暮らせるかって言いてえな。ったく」

 この時私は、自分の幸せをしみじみと噛み締めた。

「子供が女でなくて良かった」と・・。

 男の子ばかりなので、優しい女の子がひとりくらいは欲しかったと、日頃は思うのだが、優しい女の子なんて夢のまた夢だ。こういう場合はいつも、「男か女か分からないような、娘を持った親」に、心から同情することにしている。

 これ以上述べると、差別だとか女性蔑視だとか、ややこしい話になるし、まして本題は、携帯への苦情であり、若い女性への苦言でないのだから、やめておこう。

 日本に、初めて携帯電話らしき物が現れたのは、昭和45年の大阪万博で、会場案内に使われた時だと言う。重さ600グラムというから、携帯のイメージにはほど遠い。

 9年後の昭和54年に、NTTが自動車電話を発売したが、これだって車に固定されていたので、現在の携帯のイメージではない。6年後の昭和60年に、NECがショルダーホンという名で、やっと個人が持ち運びする電話を売り出したが、なんと2500グラムという重さだった。忘れもしない、通勤のバス亭で、得意そうに喋っている男がいた。

 「ああ、今バス亭です。もうすぐバスに乗ります。」「天気は快晴。風が少し強く吹いています。」

 妻とでも話しているのか、周りに聞かれているのも気にかけず、大きな声で恥ずかしげもなく、むしろ得意そうに、肩から掛けた四角い箱につながる受話器に向かっていた。

 周りの人間たち、特にこの私の反応は、彼の思惑と違い、感心したり驚いたりせず、眉をひそめていた。まだ眠い、早朝の出勤時間帯では、静かにぼんやりしている方が楽なので、やけに元気な喋り声は、何であれ、うるさいだけだった。
 
 まさか携帯がこれほど軽量化し、高性能になるとは思いもしなかった。

 世間にあまねく普及するなど、こんな不幸は想像もしなかったが、出現のときからして、私と相性が良くなかったことだけは確かだ。大人や子供が、競って手にするようになったのは、平成4年の、携帯電話販売の自由化以後だと言うから、爆発的に携帯が普及し出したのは、ほんの16年前からなのだ。

 私が子供だった頃、長距離電話は、お金がかかるから冠婚葬祭など、よほどのことでないと掛けなかったし、市内電話だって無駄話はせず、出来るだけ簡潔に済ませるようにと、教えられて育った。

 それよりもっと以前は、電話のある家にかけさせてもらいに行ったり、呼び出ししてもらったり、どこの家にも電話がある現在では、考えられないような使い方をしていた。今にして思えば、当時は誰も慎ましく、控えめに、なるべく声も穏やかに、日本の社会は、ゆっくりと時が流れていたのかもしれない。

 携帯登録のアドレスが100を越え、毎日電話やメールのやりとりをしていないと、不安になるとか、孤独感に苦しめられるとか、若者たちが語っているが、彼らの心の構造はどうなっているのだろう。

 顔も知らない相手と携帯でつながり、友人になったり恋人になったり、親しくなったり別れたり、すべてバーチャルの世界での、人間関係でしかない出来事だ。実体のない、絵空事のような携帯に振り回され、縛られ、一日の大半の時間を奪われ、それが人生だというのなら、彼らと私は、交差することの無い、異次元に住んでいるのだろうか。

 かってルイス・ベネディクトは、著書「菊と刀」で、日本文化の底流にあるのは「恥の意識」である、と分析していたが、もはや日本の文化は、携帯のお陰で崩壊させられてしまった。

 携帯は、日本人を、恥知らずな人間へと変貌させ、自分さえよければ他人など知ったことかと、もともと身勝手な人間を、更に利己的な生き物に変えてしまった。
 
 車の運転をしているから、万一の事故に備え、連絡手段として携帯を持っているが、私はほとんど使わない。普段は電源を切り、カバンに入れたままにしているので、連絡しても通じないし、携帯の意味が無いでないかと、友人・知人からの評判は悪い。

 携帯は、私が必要とするときの連絡手段であり、他人のための用具でないと、心に決めており、日常生活に支障はない。

 大切な用事なら、自宅に電話してくれば、留守録の機能もあるのだし、それで十分でないか。便利さのために、たったそれだけのため、人間が振り回されてどうするのか、と言いたい。

 NTTやソフトバングが、いくら巧みな宣伝をしても、資本主義社会だから、それはそれでいいとして、人生は自分のものだから、携帯なんぞに、鼻面を引き回される暮らしだけは、したくないものだ。

 我が家を巣立ち、あちこちに散らばって住む息子どもよ、どうか賢く生きてくれと、時代遅れの親とは、決して思っていない父は、願うのだが、それもはたして、どうなることやら。昔から、子供は親の言うことなんか聞きはしない。

 自分もそうだったし、諦めるしかないのか。

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