内藤正典氏著『絨毯屋が飛んで来た』( 平成10年 筑摩書房刊 ) を、読んだ。副題は、「トルコの社会誌」である。
著者は昭和 31年生まれの大学教授で、ドイツ、フランス、オランダにおけるトルコ人移民の研究をしている。氏自身が付けているタイトルは、『エーゲ海の泉、チェシュメ物語』だ。
エーゲ海を挟んだギリシャの対岸にある、チェシュメに滞在した時の話を面白くまとめたもので、教えられるところが沢山あった。
調査と研究のためチェシュメを本拠地として、トルコ国内を回り、必要となればヨーロッパへも足を伸ばす。彼を訪ねて、日本から学生たちが頻繁に訪れ、それもどうやら女子学生の方が多いらしく、楽しそうな日々が綴られている。土地に密着して研究をするには、家族ごと住み着くのが一番だと、彼は妻と娘を連れて学究の日々を送っている。
商売人というものはどの国でも油断のならないもので、お人好しとなると吹っかけ放題の金を払わされる。
しかし彼は、そうした商売人ともいわゆる裸のつきあいが出来ているようで、彼にだけは良心的な値段で物を売り、おまけもくれる。チェシュメで売られている野菜は、トマトも茄子も、ピーマンも、日本とは比べ物にならないほどの色つやで、香りも高い。メロンもタマネギもシシトウも、みんな取れ立ての新鮮な物で、しかもめっぽう安いと言う。
料理の得意らしい彼が、焼いたり炒めたり蒸したりと、調理方法を伝授してくれる。
香料も種類が豊富で、チーズも肉もチャンと使用方法が書いてある。私にはちっとも理解できないが、それでも読むだけで愉快になり、食べたくなってくる。陰気な部屋でカビ臭い書物に囲まれ、額にしわを何本も寄せ、この世の悩みや悲しみなどを研究する厭世的な学者が多い中で、彼のような明るさは珍しい。
自慢したり高説を垂れたりしないので、好感を抱かされ、あっと言う間に読み終えた。
トルコとギリシャが第一次世界大戦後に分離独立した国ことを、この本を読んで知った。ギリシャはパルテノンの昔から独立国と思っていたが、そんな若い国だったのだ。
分離以前はオスマントルコ帝国だったが、ドイツについたため帝国が崩壊し、片方はトルコ共和国となり、もう一方がギリシャとなったと言うことだった。たんに分離したのでなく、双方が武器を持って闘い殺し合った後の合意だ。
住んでいたトルコ系住民40万人余とギリシャ系住民100万人余が、交換という形でそれぞれ土地を捨て、移住したのだと言う。なんという荒っぽい解決方法といえば良いのか。だから混在した風俗習慣がありながら、トルコ人とギリシャ人は仲が悪く、何か事があると、激して互いを攻撃し非難し合うのだそうだ。
こんな話を聞かされると、私たちが隣の中国や韓国と争っていることも、国際社会ではありふれたものだと分かってくる。
荒松雄氏の『ヒンズー教とイスラム教』を読んだ時もそうだったが、100年500年の単位で、隣国同士は血を流して争っている。こうしたことを経験していない日本のマスコミやインテリや有識者は、所詮島国の人間だと言いたくなる。無論私も、「所詮」の仲間だ。
人口の90%以上がイスラム信者だというのに、トルコの指導者たちは手本をヨーロッパに置き、いまだに国づくりに四苦八苦している。
指導者たちが信じているのは世俗主義、政教分離主義で、軍部が強力にバックアップし、裕福な都市住民が支持している。貧しい農民や労働者にはイスラム教を信じる者が多く、彼らは指導者たちを「西洋かぶれ」と内心で軽蔑している。
国論は何時も分裂し、政党が乱立し、血の気の多い国民は瞬間湯沸かし器みたいに騒ぎが好きだ。トルコが国として抱えている矛盾は、日本の比ではない。安倍氏が「戦後の体制を見直す」と、真っ当なことを言ったら、まるでこの世の終わりのようにマスコミが騒いだ。
歴史修正主義者だ、軍国主義者だ、果てはヒットラーのような独裁者だと、ドイツ人が聞いたら眉をひそめるようなことを平気で記事にした。日本のマスコミの頭の中には、「日本の保守政治家は悪だ」という信仰があり、イスラム教にもキリスト教にも負けない教条主義なのだろうか。
だからこうした他国の姿をそのまま語る本を読むと、私は覚醒する。
日本のマスコミの、何処が「社会の木鐸」なのか。依頼主の求めに応じ、派手な宣伝を鳴り物入りでする「社会のチンドン屋」という方が、ずっと適切でないのか。彼らを「日本の良識」と考えたのは、とんでもないことだった。
彼らが広めようとしているのは、「日本の非常識」と「日本の思い込み」だ。言い切ってしまうのは酷な面があるとしても、そのくらいの割り切りをして丁度良いのだと思えてきた。
読書をしていくと、だんだん賢くなっていく。日本には博識な人が沢山いて、いろいろな意見や様々な出来事を教えてくれる。この覚醒をもっと早く、もっと若い時にしていたら、40年以上も朝日新聞に金を払い続けなくて済んだのにと、返す返すも残念でならない。