ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

自己主張だけする住民たち

2016-01-31 19:21:48 | 徒然の記
 原発事故で発生した、放射性物質を含む廃棄物が、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の5県でバラバラに管理されている。ゴミ焼却灰や下水汚泥などは屋内に保管されているが、汚染された稲わらなどは屋根なしの仮置き場に積み上げられている。

 豪雨による破損や流失など安全面での心配が大であるため、環境省は、せめて各県内での分散管理を止め、県毎に堅固なコンクリート製の処分場を新設し、集約する方針を決定した。5年前の話だ。
ところが候補地となった場所の住民の反対で、国は土地調査に入れないまま、計画が一歩も進んでいない。

 現在保管場所となっているところでは、「あくまで仮置き場だったはずだから、長期保管は認められない。」「国は最終的な処分先や期限を明示すべきだ。」と、国を責めている。住民、市町村長、県知事が一体となり、国の対応の遅さを批判している。

 他方集約保管場所として候補地に挙げられた町村では、住民、市町村長、県知事までが一つになって反対している。「建設絶対反対」「国は土地に立ち入るな。測量だけでも許さない。」鉢巻姿の住民が、拳を上げて反対し、「安全な施設だというのなら、東京のど真ん中に作れ。」などという暴言まで飛び出す。

 現在仮置き場になってる土地の住民の訴えや苦情も、候補地になった住民の反対も、心情としては理解できる。
しかし双方が絶対反対を主張し、「何もかも国が悪い」と非難の応酬をしていたら、何か解決策が生まれるのだろうか。確かに原子力発電所を作ったのは国の方針だ、だからと言って目の前に積みあがっている有害廃棄物を、小田原評定のまま放置しておいて良いのか。

 国が国がと、成り行きに任せ、5年の歳月を空費した。こんな有様を見ていると、地方自治を標榜している県知事や市長村長に、政治家として、どれほどの当事者意識があるのかと首をかしげたくなる。絶対反対の住民が対立するに任せ、国へ無理な注文をつけているが、国だって魔法の杖があるわけでなし、打つ手がなくて当然だろう。大事な問題になると、国へ責任を押しつけ、住民の説得に汗をかかない知事や市町村長の無気力と無責任が、私には理解できない。こういう人たちに地方自治を任せたら、どんな地方が生まれるのか、空恐ろしくなる。

 前にも述べたが、私は自分の住む土地に処分場が作られても、無下に反対はしない。
その代わり、国との折衝過程を逐一マスコミが報道し、役人による一方的な計画の推進がされないようにする。住民にはバカな人間も沢山いるが、道理が通れば納得する賢明な人間も沢山いる。むしろ賢明な者の方が多いのだから、民主主義の原則に従い、最終的には多数決で決めれば良い。

 話をどんと飛ばして、自分が体験している住民の実情を述べてみたい。
私は現在、自治会の副会長をしている。三月末に新しく決まる役員へ引き継ぎをし、それで無事役目が終わる。四月以降は、元の一般住民に戻れると思うと、ホッとするものがある。

 私が所属する自治会は約400所帯だが、600所帯とか、500所帯とか、近隣の自治会も似たような人口で、いずれも高齢化が進んでいる。自治会の役員は、隣から隣へと順送りが原則となっており、約15所帯に一軒の割合で役員が出される。当番になった役員の中から、くじ引きで会長、副会長、会計、総務が選出され、彼らが三役と呼ばれる。奇特な人は別として、自治会の役員になりたがる者はいないので、近所付き合いの一環として、誰もが役目を引き受けている。

 12年前に副会長をしているので、二度目の三役だった。
会議の話題に以前と違うものがあり、こんな地方の片隅にも、時代の波が及ぶのかとつくづく感じさせられる。

「次の役員にならないという人がいるんですが、どうしたらいいんでしょう。」
「役員になるため、住んでるじゃないと言われました。」
「自治会費も払わないという人がいます。」
「ゴミステーションの掃除当番を、絶対しないという人がいます。」
「住んでる人が、お互い利用するのだからと言っても、自分は利用しないと言うんです。この人、どこにゴミを捨ててるんでしょうね。」

 嫌だからという理由で、自治会の仕事を拒否する住民や、苦情を言い募る住民が増えているのである。
新らしく越してきた者もいるし、以前から住んでいたが、突然性格が変わり文句を言い始めた人間もいる。そして、こんな人物に限って、引き受けた仕事を休んだり、すっぽかしたり、見え透いた言い訳を並べて周囲を辟易させる。彼や彼女らに共通しているのは、「自己主張だけ」という醜く浅ましい姿だ。

 さてここで、偏見だと眉をしかめられても、臆せず述べたい事実がある。
こうした「我儘な自己主張」をする人は、たいてい左翼の活動にかかわっており、自称平和主義者であったり、社会貢献論者だったりする。市民とか、平和とか、人権とか、そんな名前のネットワークに繋がり、小さな自治会の範囲を超えた、大きな組織の一員として誇りを持ち、一家言を持ち、自治会の役員を頭から見下してモノを言う。
 
 ここで、「廃棄物処理場の建設反対」、「政府は住民を無視するな」と活動する、初めの話とつながる。徒党を組んで叫んでいるのは、たいていこんな手前勝手な住民たちだと、自分の経験から言いたい。
狭い経験で全体を語るなと、批判を承知で言っているのだが、自治会の役員は他の自治会と年に何度か交流する。最初は他人行儀でも、慣れてくると本音で語れる間柄になる。

 若い人には分からないだろうが、高齢者が増加一方の現在では、自治会の集会場がとても重要な役目をしている。
自治会館と呼ばれる建物には、会議室だけでなく、談話室や和室があり、調理場がある。子供会、老人会、踊りの会、歌声の会など、沢山のサークルが活用している。

 増えていく高齢者が自宅に引きこもっていると、ボケ老人となったり、孤独死したり、碌なことはない。だから地方自治体は、増大する医療費を抑制するためにも、高齢者の自宅外活動を奨励している。自治会館の建設にも以前より資金援助を大きくするようになった。

 私たちの自治会も、一丁目、二丁目、三丁目の3自治会で協力し、共同の会館を持っている。老朽化してきたから建て替えをしようと、10年前の役員が計画を立て、三つの自治会で費用の積み立てをしてきた。会館の建て替え費用を三千万と見積もり、自治会の積み立て目標額が二千万円だった。

 市の規定による会館建設への支援は、「建設費用の三分の一で、一千万円以下」となっている。
そろそろ目標額が達成されるので、来年には、3自治会で会館建設委員会を発足させることとなった。ところが、昨年の末から三丁目の自治会で難題が持ち上がった。共同の会館は、三丁目からは遠すぎる、車で行こうとしても、駐車場がない。不便で遠すぎる会館の建設に、なぜ協力する必要があるのか。

 三丁目は、この際独自に会館を建設すべし。それでなければ、反対だと、強硬な意見が現れ、自治会の役員が立ち往生し、他の二つの自治会も立ち往生することとなった。
三丁目が抜ければ、市の規定による建設支援がなくなり、老朽化した会館の建替えが出来なくなる。というより、更に積立金を増やし、建設時期が遅れるとなれば、自分たちの自治会でも騒ぎが起きる。昨年の12月から一月の末まで、大荒れの三丁目自治会を、眺めているしかできなかった。

 騒ぎの原因となったのが、住民の中にいる左翼活動家たちだ。
その中心には、かの有名な国立大学の左翼教授もいた。彼らの主張は、威勢が良くて、偉そうで、とても自治会の役員には太刀打ちできなかった。「今後の高齢化社会を見据えるなら、自治会ごとの会館は当然の施設だ。」「国だって高齢化対策に力を入れているのだから、市役所だけを当てにするな。」「足りない金は、国から貰うべし。」「土地がなければ、国と市が探すべし。」

 危険な国際情勢に目もくれず「平和憲法を守れ」と、現実無視の暴論を吐く左翼活動家らしく、自治会での意見も高邁で力強い。彼らが固まって出席し大声を出すと、自治会役員はもちろんのこと、他の住民も黙り込んでしまう。同じ役員の話なので、私は心から同情した。支援したいと思っても、他地区の役員が何を妨害するのかと、かえって火に油を注ぐことになる。

 結局三丁目の役員は、どうしたか。たったこれだけのことのために、最後の手段として、住民投票を実施したのだ。結果は、こうだった。

  住民総数  550世帯   建設賛成  500世帯
               建設反対   25世帯  棄権   25世帯

 たった25人の左翼活動家たちのため、善意の住民が翻弄されたという見本だ。だから、私は反日・左翼の人間たちを嫌悪し、軽蔑する。こんな人間たちを育て、支援する共産党や民主党、社民党、その諸々の反日野党を病原菌みたいなものとして、唾棄する。

 国政においても、自分の身近でも、こんな獅子身中の虫がいるというのに、それでも騙される国民に驚くしかない。オレオレ詐欺と同じなのに、巧妙な嘘が見抜けないというのでは、左翼思想の若者たちは、詐欺にかかる年寄りを笑っておれまいに。       
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私のへ理屈

2016-01-29 16:23:15 | 徒然の記

 昔から、日本人は、喜怒哀楽の情を露わにしない。
大声で泣いたり笑ったり、怒鳴ったり、喜んだり、よほどのことでない限り、そのまま気持ちを外に出さない。

 中学生の時だったか、高校生になっていたのか、我慢したり押し殺したりしないで、日本人は、もっと人間らしく、自分の気持ちに素直になれないのかと、そんな意見を聞いたことがある。

 そう言われて外国映画を見ると、なるほど欧米人は、大きな声で笑ったり泣いたり、身振り手振りまで加え、騒々しく振舞っていた。

 どちらが人間らしいかと、そもそもそんな見方をすることの間違いを、私はこの頃、強く感じるようになった。喜怒哀楽を、暮らしの中でどのように現すかは、その国の歴史や文化の反映だと、理解する方が正しい。

 聖徳太子以来の和の文化では、声を荒げ他人と諍いをする行為は、疎んじられる。厳しく自己を律した、武士道の教えに、気ままな心の表明は馴染まない。あるいはまた、侘び寂びを尊ぶ心からは、むき出しの喜怒哀楽が切り捨てられる。

 だから私たちは、長い歴史の積み重ねの結果として、感情の発露が控えめになっている。西洋を崇拝するというより、欧米かぶれの日本人たちには、それが不自然に見え、偽善にも見えると言うのであろう。

 話が飛躍するが、言論の自由は民主主義国家の存立基盤なので、様々な意見があって良いと私は思う。言論の自由があるかどうかで、国の品格が分かる。反対意見でも言おうものなら、有無を言わさず官憲に引っ立てられ、刑務所へぶち込まれるなどと、こうした理不尽が横行する国は、未開の野蛮国と言って間違いない。

 だから私は、西洋かぶれの日本人の言論にしても、個人としては気に入らないけれど、抹殺してしまえとは考えない。反対意見がなくなればスッキリするが、これこそ不自然な社会というもので、矛盾だらけでも、愛すべき人間の生きる場所でなくなってしまう。

 ああでもない、こうでもないと、何時も反対と賛成が入り乱れ、議論百出するのが、国の姿だと常にそう思っている。

 今日は随分と前置きが長くなったが、これからが本論だ。
私が気に入らない意見を我慢しているのだから、対極にいる人間たちも、私の意見を頭から否定しないでもらいたいと、実はそれが言いたかった。そしてここからが、私のへ理屈の開始だ。

 大阪市が制定した、天下の悪法である「ヘイトスピーチ条例」を、多数決で成立させた元凶は、戦後に流され続けた数々のテレビドラマだと私は言いたい。謙遜して「へ理屈」と言っているのだが、心ある人なら、きっと「正論」と理解してくれるはずだ。何しろ私は、歴史的観点から自分の意見を展開している。

 最近は益々酷くなっているが、NHKの朝の連続ドラマはいうに及ばず、テレビのドラマというドラマが、登場人物に、醜いまでの感情の発露をさせている。親子の争い、兄弟の喧嘩、恋人たちの詰りあい、友人・知人との大喧嘩など、聞くに堪えない罵詈雑言の嵐だ。

 喜んだり笑ったりする時のシーンも、外国人顔負けの過剰演技だ。多くの日本人は、日常生活の中で、あのように大声で喚いたり、泣き叫んだりしない。ドラマの中の話にすぎないと許容してきたが、テレビドラマで見せられた演技が、何時の間にか若い者の間では、「普通のこと」として受け取られるようになっているという、気がしてきた。

 感情のままに怒ったり、攻撃したり、その醜さを何とも感じない日本人が育っているという危険性に、どれだけの人間が気づいているのだろう。ドラマの製作者たちに、その意図はないのだろうが、見ている若者や幼い子供たちは、あからさまな感情の発露を、当然のこととして受け止めるだろう。一歩進んで、「そうすることが正しい」とまで思いこむ。

 「私が思うから、そうして、何が悪い。」「私は、自分の気持ちに、正直に生きている。何が悪い。」

 こうして居直り、他人の意見に耳を貸さない人間たちが増えているのは、戦後の社会に垂れ流し続けられた、テレビドラマの過剰言動が一役買っているのではないか。

 昨今、街頭で行われるデモのシュプレヒコールが、醜く汚ならしく、過剰な攻撃に溢れるのも不思議でなくなる。在特会のヘイトスピーチも酷かったが、しばき隊の反撃も、負けず劣らず醜悪だ。戦後生まれの若者たちが、「目には目を」でやり返し、節度を忘れたテレビドラマの影響もあり、彼らの言動は、日を追う毎にエスカレートしている。

 短気で一本気な、どちらかといえば、オポチュニストでもある橋下氏が、「ヘイトスピーチは我慢ならない」と、条例を作りたくなった気持ちも分からぬではない。しかしここは、中国でもなければ、北朝鮮でもない。かつての赤いソ連でもない。

 ヘイトスピーチの定義の難しさと、その運用の困難さに、少しでも思いを致せば、まともな政治家ならこんな条例は作らない。

 面白い人物と眺めてきたが、ここまで来ると、橋下氏を批判せずにおれなくなる。
この法律は、運用する人間次第で、自由な言論の弾圧を可能にする。しかもこの法は、日本人だけを取り締まるもので、韓国・朝鮮人のヘイトスピーチはお咎めなしだ。こんな不公平で不完全な法律が、どうして大阪では議会を通過したのか。

 新聞記事を読む限りでは、自民党が反対しているだけで、維新、共産、民主等々野党の議員は、皆賛成に回ったという。沖縄ばかりが特殊な地域と思っていたら、もう一つ大阪が加わってしまった。

 いったい彼らは、「言論の自由」の大切さをなんと心得ているのだろう。下品で汚らしいからと、人間の言動が法で縛れるというのなら、慰安婦問題や南京事件に関し、反日売国の議員たちが、下品に汚ならしく日本を罵ることも、縛れるという話になる。

 大阪や沖縄の奇怪な出来事を、黙って見過ごしている議員たちに、これを機会に猛省を促したい。そしてここで、私の屁理屈が光る。

 「ヘイトスピーチを憎むのなら、テレビ局が垂れ流す、無数のドラマを攻撃しなさい。」「日本の歴史と文化を無視した言動を、日々流し、日本人の心を破壊している、テレビ局を問題にしなさい。」

 急がば回れと諺にもあるが、ヘイトスピーチを無くす確実な道の一つが、間違いなくここにある。だいたいヘイトスピーチをするデモ行進など、日本の歴史のどこにもない。悪口雑言をプラカードにし、集団で威嚇の行進をすると、こんなものは、左翼共産党が海の向こうから持ち込んだ、唾棄すべき行為だ。

 日本にあったのは、物言わぬ百姓たちが、命をかけて実行した「一揆」だけだ。
悪口雑言やプラカードで、お祭り騒ぎをするのでなく、死罪を覚悟で目的地に向かう行進は、形がデモ行進に似ていても中身が違う。

 一揆もデモも同じだと、そういう意見もあるだろうが、警官に守られ、反対者に邪魔されず、命の危険すらない左翼のデモなど、いったいどこに一揆の切実さがあるのか。外国が攻めてきたら、私が彼らと一杯飲んで語り合いますなどと、こんな痴れ者のやるデモなど、一揆の緊迫感に比べれば提灯に釣鐘だ。

 それでも政府は、こんな愚かしいデモを放任しているが、これこそが「言論の自由」を守る政府であり、民主主義の国家でないか。時にはまどろこしい警官の姿だが、獣のような他国の官憲に比べるとき、彼らの忍耐が輝いて見える。

 こうなると橋下氏は、残念ながら「やはり野におけレンゲ草」で、とても国政を担う政治家とは言えなくなる。

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インドの衝撃 - 2

2016-01-25 23:02:06 | 徒然の記
 どんな国でも、社会には三つの階層がある。
「高所得者層」と「中所得者層」と「低所得者層」だ。別の言い方をすれば、「富裕層」、「中間層」、「貧困層」という具合になる。厚生労働省が行った「国民生活基礎調査」によると、日本人の平均年収は400万円らしい。

 これを基準にして三つの階層が区分される。正確さを求めると話がややこしくなるから、大雑把に言うと、年収200万円以下の人は貧困層になる。難しいのは富裕層と中間層だが、この調査では200から500 万円までが中間層で、 500万円以上が富裕層となる。

 だが常識で考えてみたら、この区分の不合理さが一目利用然となる。今の日本で、年収が501万円だったり600万円だったりする人間が、果たして富裕層と言えるのか。最低でも1000万円以上年収が無ければ、富裕なんてとても言えない。貧困層と大差のない年収201万円とか、300万円とかで、果たして中間層と呼べるのかどうか。誰だって首をかしげる。

 だから私はくそ真面目な役人的思考を停止して、自分の常識で勝手に決定する。
貧困層は動かない定義だからこのままとし、中間層は年収600万円以上の人間で、富裕層は年収1000万円以上の者としよう。これが決まらないと話が進められない訳で、これだから経済の話はうんざりする。

 貧困層は物を買いたくても金がないから、経済社会では落ちこぼれに分類される。富裕層は自由になる金を沢山持っているため、重宝がられる。その上尊敬されたり、羨ましがられたり、憎まれたり、難しい立場にあるが、大きな顔をして一生が送られる。

 中間層はほどほどの金を持ち、少し我慢して貯金すれば、大抵の物が買える立場にある。頑張れば何とかなると楽天的になれるから、この層が多ければ多いほど、社会が活気に満ち、明るくなる。「お客様は、神様です。」と、商人たちに崇め立てられるのは、多数派であるこの中間層だ。

 さてここで、やっと本の話に戻る。インド経済の発展を説明するには、いかに中間層が増大しているかを語らなくては理解されない。優秀なNHKのスタッフも、さして賢くない私と同じくらい、苦労している。面倒くさいが、文章をそのまま引用する。
「難しいのは " 中間層 "を定義するため、収入レベルで線を引こうとしても、考え方がいろいろあるし、 」「インド経済の急発展を考えれば、そのラインも年々変化しているという点だ。」

 「国立応用経済研究所では、諸条件を考慮して、年収9万ルピー(約26万円)以下を貧困層、」「100万ルピー(約250万円)以上を、富裕層ということにしている。」「その間が中間層になる訳だが、その中でも10倍以上の開きがあるため、」「こういった線引きも目安にすぎないが、経年変化を見る上では役に立つだろう。」

 日本とインドの貨幣価値に差があるから、日本の貧困層が、インドでは立派に富裕層と位置付けられる不思議さだ。
私の説明とNHKのスタッフのそれと、どちらが分かりやすいのか知らないが、肝心なことは次の意見だ。
「この定義における中間層は、2001年から2005年までの間に、」「およそ二億二千万人(20%)から、三億七千万人(34%)へと大幅に増加している。」

 「インド全体としてみれば、貧困にあえぐ人がまだまだ多いのだが、」「巨大な人口規模から生まれつつある、中間層の市場は、すでに日本の総人口をはるかに上回っている。」
そして彼ら中間層の主張は、こうである。
「これまでインドでは、将来への不安というものが常にあり、多少の収入があってもそれを使い切ることは、怖くてできませんでした。」「しかし今、私たちは、国の将来になんの不安も抱いていません。」「だから、貯蓄をする意味はないのです。」「お金が入れば、あるだけ使って生活を豊かにしようと、私たちは決めました。」

 「インドの中間層は、経済的な条件に加え、心理的な側面、メディアからの情報環境など、様々な条件が一気に揃い、劇的にその生活態度を変えている。」「抑えられていたものが一気に噴き出している印象があり、」「それはもはや、後戻りのできないところにきているのである。」

 「巨大スーパー、ビッグバザール、ビッグモールなど、中間層の消費意欲をさらに掻き立てる、巨大ビジネスが誕生している。」「雨後のタケノコのような、大型店舗ブームが訪れているのだ。」「欧米で3、40年かかって起きた変化が、インドでは7、8年で起きようとしている。」

 おそるべし、インドの中間層の消費パワーである。
日本もかっては、中間層が経済発展のパワーだった。インドと比較するため、参考のため中間層の人口比率を示しておこう。
昭和60年は57.4%であり、平成24年は50.2%だ。年度が違うためインドとの単純比較はできないが、この数字を見れば、日本の中間層の厚さはインドに勝っている。つまり貧富の差が小さい、安定した社会なのだから、やたら悲観する必要はないと私は言いたい。

 しかし、中間層の人口比率が7.2%も減少しているところは、大問題である。その分だけ、貧困層が増加しているのだから、悲観論者に言わせれば、日本社会の豊かさは次第に縮小している・・と、こういうことになる。
若者の貧困を増大させ、希望を失わせているのは、これこそ政治の貧困である。軍国主義者だとか、ヒトラーだとか、反日野党は詰まらない主張で国会審議をダメにするのでなく、中間層を滅ぼしている政策にこそ反対すべきなのだ。

 本の話を飛び離れてしまったが、若者を軽視する企業家に傾く自民党の政治に、どうして野党は批判の矢を放たないのか。最近の国会審議なんか、バカバカしくて見ておれない。
野党がなぜそうしないのか、もちろん私には分かっている。簡単すぎて述べる気にもならないが、あえて言おう。

 「中国共産党政府は、若者はおろか、一般国民もないがしろにし、政府を挙げて金儲けに血道をあげている。」「労働者の政府だなどと戯言を言いながら、安い賃金で庶民を酷使し、儲けた金を世界にばらまき、」「中国共産党政府の偉大さやら素晴らしさやらを、派手に宣伝している。」

 「中国共産党政府のやっていることは、冷酷無情な米欧の資本家たちと同じ手口(搾取)だ。」
「反日野党は、だから自民党の若者窮乏政策が批判できない。」「竹中氏たちに囲まれた安部総理の金儲け政策を批判することは、中国や韓国を批判することにつながる。」

 右翼とか軍国主義とか、そんな寝言を言う前に、弱者のための政治を掲げる野党なら、まともな議論を国会でやるべきでないのか。それなのに、こんな野党の嘘八百に騙され、爪を隠した野獣のような共産党に票を入れる国民がいるのだから、それこそ「インド人もビックリ」だ。早晩インドに追い越されてしまう違いない。

 苦悩するインドの人々について、優秀なNHKのスタッフが、次のように伝えてくれている。
「見直される偉大な魂、マハトマ・ガンジーの思想」と題されたコラムだ
「かってガンジーが生きた時代からインドは大きく変容を遂げ、インド人の精神に刻まれてきた思想が、薄れているという指摘がなされている。」

 「都市部を中心に、物質的な豊かさを手にし、ちょっとした贅沢を楽しむようになった、中間層と呼ばれる人たちが、」「年間二千五百万人という勢いで増え続けている一方で、古き良きインドの心が失われ、虚しささえ覚えるという人たちが増えている。」

 「たとえ貧しくとも清く生きるという、" 清貧の思想 " を守ってきたインドは、急激な成長の過程で、 」「欧米的な価値観の波にさらわれ、大きく揺らごうとしている。」

 中国はインドの先を走る資本主義的社会主義国だが、こうした真面目な反省はカケラもしていない
政府の高級役人と軍人たちが私腹を肥やし、贅沢三昧をし、空母を建設し、軍備を拡大し、公海上に空港まで作り、周辺国を威嚇している。

 中国の腐敗を話半分とし、インドの真面目さを話半分としても、どうしたってインドの方が素晴らしく見える。前に読んだ本より、今回の本を高く評価しているのは、NHKスタッフたちが「インドの光と影」をきちんと伝えているからだ。

 有価物のゴミとして処分したため確かめようがないが、本を書いたスタッフは同じメンバーだという気がしてならない。ありのままの事実を偏らずに伝える、報道のお手本みたいな書物を出していながら、どうして続編があんなに詰まらない内容になったのか。不思議でならない。

 「インドや、インド人のことは、何でも素晴らしい。」「日本も日本人も、ダメだ。」と、初めから終わりまでこんなトーンに変わっていた。もしかして日本人がダメだと書けば、今の日本では本が売れるから、そんな商売っ気を出して、金儲けに走ったのだろうか。

 それとも、NHKにいる反日の管理職に威圧され、あっさりと初心を捨てたのか。
NHKの現状を思えば、どちらも私にはあり得ることと推測する。今晩はまだ10時だけれど、本の感想をこれ以上述べる気持ちが失せてしまった。興味深い内容が残っているが、どうせ「ミミズの戯言」だ。これで終わりとする。

 
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インドの衝撃

2016-01-24 00:38:30 | 徒然の記
 NHKスペシャル班編集「インドの衝撃」(平成19年刊 文芸春秋社)を、読了。
昨年の8月に、平成21年に出版された「続・インドの衝撃」を読んでいる。本の題名は放映した番組名から取り、取材時の裏話を30代から40代の6人のスタッフが手分けして書いたものだ。同じスタイルで編集されていながら、こんなにも読後感の違う本に初めて出会った。

 たいていの本は、最初に出版されたものより、後に出された方が内容が充実している場合が多い。しかしこの本は、2年前に出された本の方が、数倍も有意義だった。前回は読後に、有価物回収日のゴミとして迷わず処分したが、今度はそうすることがためらわれる。

 面倒だけれど、この興味深い比較のため、前回のブログを引用しておこう。

<<  どこへ行っても、どう転んでも生き残る力を蓄えた印僑たち。世界中が右往左往する、100年に一度の金融恐慌の荒波の中でも、新たなビジネスチャンスを探し出し、積極的に打って出ようとしている。」「その同じ荒波の中でたじろぎ、守りに入ってしまいがちなわれわれ日本人は、やはり、印僑たちの逞しさから学ばなければならないのではないか。 >>

<<  だが私にすれば、NHKのスタッフたちの世間知らずがおかしくてならない。
私たち日本人は敗戦後の荒廃の中から、日本を再建したのだ。印僑に学ぶまでもなく、日本中に企業戦士がいて、猛烈社員がいて、ガムシャラに働いていた。印僑よりも過去の日本人や過去の先輩たちに学ぶ方が先でないのかと言いたくなった。 >>

<<  最近のNHKは、朝日新聞と同様にスッカリ反日となり、日本を貶したり低く見たりする番組が多い。「インドは素晴らしいが日本はダメ」という思考が基調になっており、不愉快でならない。金持ちになって大きな邸宅に住んだり、高級な家具や衣服を購入したり、値段の張る車を何台も持ったり、そんな人間ばかり登場させ、誉めそやしている。 >>

<<  だから20ページも読むと詰まらなくなり、こんな社員たちが平均年収1000万円以上貰っているかと思うと、更に詰まらなくなった。国民から強制的に徴収する受信料によって、彼らの高給が支払われているのだから、放り出したい気持ちを抑えつつ、読むだけは読んだ。 >>

 しかし今回は、「こんな意見を述べる社員たちなら、年収が1000万円以上あったって不思議はない。」とまで思った。
中国の人口が13億人で、インドのそれは11億人だ。領土の広さからしても歴史の古さからしても、この二つの国はアジアの大国であることは間違いない。

 「それなのに、国際社会はわが国を大国として扱わず、むしろ軽視している。我慢がならない。」
中国だけだと思っていたら、なんとインドも同じ屈辱感を抱き、大国への意思表示の一つとして原爆を持つことにしたらしい。日本には沢山の平和主義者がいるし、原爆犠牲者の怒りもあるから、大国になるため原爆を持つという思考は生まれない。

 私が心を惹かれたのは、そんなインド人の現実的政治思考ではない。
インドにおける理工系大学の最高峰と言われる、I I T ( Indian Institutes Technology) のことだ。この工科大学は、応募五千人に対し、三十万人の受験者数と言われる難関大学だ。

 発展途上国の一つでしかなかったインドが、核実験で世界を驚かせ、アメリカと対等に渡り合っている姿が連日テレビで放映される。貧しかったはずのインド人が世界の長者番付に名を連ね、インドの情報通信産業は、もはや先進国のあらゆる産業分野で欠かせないものとなっている。インドのミッタル・スティール社は、世界で鉄鋼第二位のルクセンブルグのアルセロールを買収した。

 欧米の社会に移住しているインド人たちの活躍が、世界経済の躍進に寄与し、その中心となっているのが I I Tを卒業した技術者たちだった。今その彼らが、外国のためでなく自国の発展に貢献するため、インドへ戻りつつある。高額の給与を提示されても、数年で止めて帰国する者や、最初からインドの企業に就職する学生が急増し、20年前は、卒業した学生の80%が海外へ渡っていたのが、今ではわずか10%となっている。かっては流出する一方だった「インドの頭脳」が、「祖国に還流」している。

 ベンガル州のカラグプルにある I I T の歴史について、次のような説明がされている。
「1772年から140年の間、カルカッタはイギリス領インドの首都となった。」「20世紀になると、ベンガル地方を中心に、反英独立運動が活発化し、イギリス植民地政府は徹底的な弾圧を行った。」「1930年カルカッタに近いカラグプルに、政治犯を収容する刑務所が建設され、独立運動のため戦ったインドの知識人たちが入れられた。」

 「植民地政府は収容者を次々に処刑したが、それでも追いつかず、イギリス人統治者の瀟洒な邸宅すら刑務所として使わなくては、間に合わなかったという。」「インド独立後の首相となったネルーは、多くの知識人が独立のための犠牲となったこの地こそ、新生インドの発展を担う人材を生み出すにふさわしい場所だと考えた。」「かってのイギリス人統治者の住宅で、のちに刑務所として使われた建物を、あえてそのまま I I T の最初の校舎として用いることとしたのである。」

 「灰の中から立ち上がる不死鳥のように、インドのプライドの象徴たれ。」
「ネルーは、独立のため費やしてきた頭脳とエネルギーを、今後はインドの発展のために尽くしてもらいたいと願い、 I I T にインドの将来を託したのである。」
「学校の正面には、ネルーがこの大学のモットーとした言葉が掲げられている。" 国家のために身を捧げる " 」「大学設立から半世紀余り、ようやく " 頭脳立国 " という、ネルーの夢が現実のものになりつつあるようだ。 」

 それでなくても単純な私は、知らないことを教えてくれる書物には、無条件に敬意を表する癖がある。加えて国を大切にする人々の話となれば、感激してしまう。ネルーについて知識はあるが、 I I Tとのつながりは初めて聞いた。まして設立に託した彼の熱い想いなど、この本で教えられなければ知る由もなかった。

 先日読んだ「大韓民国の物語」の中で、李滎氏は、「今後はグローバルな時代が来て、民族とか、国とかは意味をなさなくなり、自立した個人が生きる社会になる。」と言っていたが、その反証としてのインドがここにある。

 北と南に分かれてしまった朝鮮で、「統一した朝鮮民族の国家」を望まない韓国民はいない。
狂おしいほどの夢であり、願望なのに、彼らの眼前には、左右の思想対立が巨大な岩盤となって立ちはだかっている。独裁的専制国家と自由な資本主義国家は、どちらかが滅びない限り、統一という事態は到来しない。同じ民族でありながら、戦争という手段でしか一つになれないという現実を前にすれば、国民としての苦悩を逃れるため、李滎氏のような「国や民族の否定論」が生まれてくる。

 氏がインドの現状を知れば、自国の悲しい現実と比較し、さらに絶望を深めるか、或いは故意に無視するか。そうでもせずにはおれないはずだ。だから私は氏の著作を、今でも「悲しみの詰まった本」と思い、その心中を察している。

 インド有数の I T 企業・インフォシスを 作ったムルティとニレカニも、 I I Tの出身者だ。
NHKのスタッフがムルティにインタビューし、彼の言葉を紹介している。私は敬意を表するだけだが、李滎氏なら羨ましさに身悶えするのかもしれない。

 「社員たちは冷房が利き、停電もない快適な空間で仕事を終え、一歩外へ出るとインドの厳しい現実に引き戻されます。」「自宅への道のりで、なかなか変わらないインドの現実を、毎日毎日、目にするわけです。」「そして現実を変えるために、自分たちができることをしなくてはと、毎日気持ちを新たにするのだと思います。」「私自身も、そうなのですけどね。」

 「第一線で活躍するエンジニアたちが、週末にはボランティアで貧しい農村へ出向き、子供達が数学や科学に触れる機会を作っている。」「インドではインフォシスに限らず、大手の I T 企業などが財団を設立し、貧困や教育問題に力を入れている。」「建物やお金を寄付して終わりでなく、日本よりもはるかに多くの社員が携わり、積極的に活動を支えているように見える。」

 同じようなアジアの大国でも、インドと中国は大きく違っている。相変わらず中国は圧政の全体主義で、国民を押さえつけたり弾圧したりだが、インドでは貧しい国民の未来を会社や庶民たちが考え、やれることから始めている。本に書かれたことが事実なら、きっとインドは中国を追い越し、アジアの大国は言うに及ばず、世界の大国となるに違いない。

 ここまで述べたところで、この本の三分の一の感想だ。
育ち始めたインドの中間層、貧困から抜け出せない農村の現実、少数政党が乱立する政界の有様など、記録しておきたいものが沢山残っている。

 寒い寒い夜だ。とうとう12時を過ぎてしまった。
 一区切り付けて、明日もインドと向き合ってみたい。「国を愛する人間が右翼だなんて。」「国を思う者が、軍国主義者だなんて。」そんになことがあるもんかと、やはり私は反日左翼の人間たちへの怒りがある。
インドや中国には何も言わず、ひたすら日本の政府を攻撃し、私みたいな常識人を危険な右翼と言う彼らは、やはりおかしい。

  I I Tを作ったネルーは社会主義者だったけれど、国を大切にする政治家だった。つまり愛国者だった。
反日と売国の左翼主義者たちは、なんど考えてもおかしな国民だ。獅子身中の虫であり、駆除すべき害虫であるとしか思えない。これを言い出すと、私は壊れたレコードみたいに繰り返すから、常識人らしく決断する。

 「今晩は、もう遅いから寝る。」
 


 
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黒ずきんちゃん

2016-01-18 16:53:53 | 徒然の記
 稗島千江氏著「黒ずきんちゃん」(H23年再刊 国土社)を読み終えた。
童話を本気で読んだのは、いったい何十年ぶりだろう。赤ずきんちゃんという話ならよく知っているが、黒ずきんちゃんなんて、どんな中身なのだろうと、好奇心に駆られた。

 本には意地悪な狼も出てこないし、人が食べられたり、お腹を割いて赤ずきんちゃんが助けられたり、そんな残酷な場面はどこにもない。主人公はたかしくんと、黒ずきんのナナ子ちゃんで、脇役としてたかしくんのお母さん、ナナ子ちゃんのおじさん、それとクラスの先生が出てくる。

 たかしくんの好きなものは、ひこうき、鳥、せみ、とんぼ、ちょうちょなど、飛んでいるもの全部だ。

<< とぶものだけが すきじゃなんて・・・・、
  それは あんたが じゆうになりたいからじゃわ  >>

 小学校の二年生なのに、そんなことをいう女の子であるナナ子ちゃんに、とても惹かされた。

 作者がなにを意図していたのか知らないけれど、私はこの本を、子供同士の淡い恋の思い出として読んだ。楽しいというより、子供時代の自分の気持と重なる描写に、ほのかな切なさと懐かしさを覚えた。

 事件は何もないのに、次々と読みたくなる文章の魅力があった。童話はたいてい平易な言葉で綴られているが、作者の文章の特徴は、文の区切りを句読点だけにせず、文節の間に、さらにワンスペース入れたところでないかという気がする。童話はどれもこういう書き方なのか、それとも氏だけの特徴なのか、とても読み易かった。

 作者独特の表現と、言葉遣いの新鮮さもあった。
「つりかばんが、たかしの おしりを パンパン たたいて よけいに スピードを だしてくれる。」
 肩掛けかばんが、走る時お尻のあたりで揺れる様子なのだが、簡潔で、うまい描写だと感心した。普通の人間なら、この状況を描くため、たくさん説明をするに違いないのに、氏は巧みな描写で読者を魅了する。

 「きんきらした 高い 声と いっしょに ゴムまりみたいに、なにかが とびだしてきた。 」
ナナ子ちゃんが初めて登場する場面だが、利かん気のやんちゃな少女が、颯爽と現れる様子が生き生きとしている。"きんきらした" という修飾語は、方言なのか、それとも作者の造語なのか、ピッタリの言葉で文字通り光っている。

 幼い頃熊本で育った私には、作者が子供達に喋らせる方言が懐かしかった。すっかり同じではないが、宮崎県と熊本県はどことなく似通った響きがある。方言が沢山使われると読者は難渋するが、この程度の量だと、いい味になる。氏は方言の量を計算して本を書いたのだろうか。だとすれば、大した作家だと感服する。

 たが、何よりも特筆すべきこの本の特徴は、描かれている色彩の鮮やかさと豊富さだ。
何気なく読まされてしまうのは、花や木や道や畑にあふれている豊かな色の力だと思う。作者には無断で、少しはしょって、その文章を引用してみよう。

 「みかん畑を すぎると、あのときは まんじゅしゃげが さいていたのに 」「赤い 花の かわりに クロッカスの 黄色い 花が いちめんに さいていた」「そのむこうに、クロッカスより せの 高い こぎくが さき」「そのむこうに、こぎくより せの 高い 青い はな、」

 花は階段のように咲き、花の間の砂利道を、たかしくんはナナ子ちゃんに会いたくて歩くのである。
子供たちは作者が語る花の美しさに惹かされながら、主人公と同じようにドキドキしながらナナ子ちゃんの畑を急ぐに違いない。

 黒い頭巾をかぶったナナ子ちゃんは、クラスの男子から奇異の目で見られ、からかわれたり意地悪をされたりするが、最後は小さなハッピーエンドで話が完了する。彼女は何かの病気で頭髪が無くなり、黒いずきんをかぶっているのだが、いつの間にか元のように黒い髪に戻る。
ある日悪ガキの男子に、無理やり黒頭巾を脱がされるが、そこで皆が見たものは、ナナ子ちゃんの黒い髪毛の上に止まっている羽の黒い大きな蝶だった。まるで彼女の頭の中からでも生まれたように、蝶は静かに羽を広げ、驚いているクラスの皆を尻目に、空へと舞い上がっていく。

 ただそれだけの話だった。
しかし毎日、心を傷めつけられるような書ばかり読んでいる私にとっては、優しい絵本だった。課題を解決したいと、知識を求めて読書する者には、物足りないのかもしれない。一回目に読んだとき、私もなんとなくそう思った。二回目に読んだとき、即座に別の思いがした。

 「知るために読む本もあるが、感じるために読む本もある。」
それが童話だと思うと、子供たちの大好きな童謡が思い出された。

 ぞうさん、ぞうさん。
 お鼻が 長いのね
 そうよ 母さんも長いのよ
 
 ぞうさん、ぞうさん。
 だれが好きなの
 あのね 母さんが好きなのよ
 
この童謡には、難しい理論も、ややこしい理屈もない。あるのは、母親への思いと、その限りない優しさへの賛歌だ。子供たちは、幾時代もこの歌を歌い継ぎ、この歌に惹かされる。私には象さんを歌うような、無邪気さはなくなっているが、無邪気さを懐かしむ心は残っていた。そうした発見をさせてくれた氏の本へ、謙虚に感謝したい。

 しばらく本棚に飾っておくけれど、時がきたら、この本は可愛い孫にプレゼントしよう。孫娘が二人いるから、喧嘩にならないよう、明日本屋でもう一冊注文するとしよう。 

 




 
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大韓民国の物語 -3

2016-01-13 21:39:33 | 徒然の記
 寒い朝だった。バードバスの水が硬く凍るほど、今年一番の冷え込みだった。
金槌で叩いて割ったが、縁周りの氷が割れずに残るくらい厚かった。それでも小鳥たちは、待っていたようにやって来て、元気に水浴びをした。ヒヨ、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロと、みんな常連たちで、ツガイでやって来て賑やかだ。

 ひまわりの種とピーナツを花壇に撒いているので、シジュウカラとヤマガラがそれを見つける。地面では食べず、必ず口にくわえ木の枝に止まってついばむ。枝の上で実を足で抑え、くちばしでつつきながら器用に食べている。ヒヨは細切りのリンゴやミカンを食いちぎって食べる。メジロはヒヨが食べ残したミカンを、周囲を気遣いながら忙しくついばむ。

 猫庭の愛らしい小鳥たちを眺め、気持ちを穏やかにし、昨日の続きである「大韓民国の物語」へ最後の挑戦だ。

 「帝国主義者たちの植民地支配が可能だったのは、彼らに友好的な多数の協力者が存在していたからです。」「植民地朝鮮に居住していた日本人は、最も多い時で七十五万名余りで、全人口の2.75%程度でした。」「彼らは主に都市と港湾の付近に居住し、内陸であっても、鉄道が通じている地域から遠く離れることはありませんでした。」

 「にもかかわらず、総督府の支配体制は極めて逞しく、効率的に機能しました。」「多数の自発的な協力者のお陰でした。」「韓国の歴史家たちは、民族の恥ずかしい面として、このことについてきちんと語って来なかったのですが、もうその必要はありません。」

 「李朝は平安道の人々を差別していました。彼らには、科挙に対応する機会が極めて制限されていました。」「そのように集団的差別を受けていた住民は、李朝を倒した日本に協力しました。」「慶尚道では、平民たちが解放されました。」「協力者たちは、李朝時代に身分が抑圧されていた階層から、多く輩出されました。」

 「親日派の代表ランナーとして知られる李光洙は、近代文学を開拓した先駆者であり、当代きっての人気を誇った作家です。」「彼が親日派になったのは、朝鮮が見習わなければならない先進的な文明として、日本を認めていたからです。」
「彼は朝鮮の不潔、無秩序、卑怯、無気力などに絶望します。」「そのように野蛮な朝鮮が、日本に積極的に協力し、日本人のように清潔で、秩序があり、勇敢で、共同する文明人として生まれ変わる道こそが、朝鮮民族が再生する道であると信じました。」

 「そのような李光洙は、" 親日ナショナリスト " と呼ばれます。 」「親日行為を行う民族主義者 ! なんという矛盾した表現でしょう。」「しかし私は、そのような矛盾した表現の中に、李光洙だけでなく、植民地時代を生きた多数の知識人の精神世界を見ることができると考えます。」

 「彼らにとって協力と抵抗は、新旧二つの文明が激烈に衝突する苦痛なのであり、文明人として蘇生するための実存的選択の身悶えでした。」

 氏の著作を、私が「悲しみの詰まった本」と呼ぶのは、韓国における親日派問題を語る時の痛ましいまでの苦しみを知るからだ。日本国内の反日日本人を、私は「獅子身中の虫・駆除すべき害虫」として嫌悪しているが、韓国における「親日派の問題」は、比べ物にならないほどの大きさと深刻さを持っていた。

 彼らが抱えている親日派問題は、今現在も将来にわたっても、国全体にのしかかる重大事だった。それを教えてもらっただけでも、感謝したい。氏の本に沢山の事実が述べられているが、私の独断で割愛・省略し、必要な箇所だけを抽出することにした。

 「初代大統領の李承晩を含む、大韓民国の建国史について国民の評価が否定的なものになっているのは、」「親日派を清算できないまま、親日派の主導で国が作られたという大衆的認識が、最も重大な原因だと思われます。」
「親日派問題は、60年前の当時であれ、現在であれ、何かのきっかけがあれば間違いなく火を噴き、わが建国史に痛烈な批判を加える傷跡として残っています。」

 「1948年(昭和23年)に、国会が " 反民族処罰法 " を制定しました。 」「特別委員会が組織され、559名が特別検察に送致されました。」「特別委員会と最も激しく対立した勢力は、警察でした。」「当時、警察の半分以上は、日本統治期から警察に勤務していた人でした。」
「特別委員会が警察の幹部3人を逮捕すると、ソウル市警局長の指揮下で警察部隊が特別委員会を襲撃し、委員会の要員を連行するという重大な事態が発生しました。」「李承晩大統領は、そのような不法行為を黙認しました。」

 「警察の立場からすると、特別委員会の活動は、少数の左翼たちが右翼陣営に圧迫を加える政治攻勢に他なりませんでした。」「スターリンの秘密指令にも明白に出ていますが、当時、左派勢力が大衆の政治的な支持を引き出すため、」「親日派の清算という民族主義的な感情に訴えた戦略は、まさに伝家の宝刀にも似た政治的な武器でした。」

 「親日派の清算は大義名分があるにもかかわらず、最初から左右両翼間の熾烈な対立軸を作り出すしかありませんでした。」「左右両派の間だけではありません。同じ右翼同士でも、この問題は分裂を引き起こす種でした。」「書物でこうした事実を知った私は、やりきれない気持ちになりました。」「このように、何もかもが分裂していたのです。」

 敗戦後の韓国のことは韓国自身の問題であり、現在の私たちがあれこれ言う話ではないが、日本の影がここまで大きなものとして残っていることを、今日まで知らなかった。 慰安婦問題のみならず、軍艦島の世界遺産登録への執拗な攻撃にしても、背後にあるのは親日派問題の影だった。彼らが攻撃しているのは日本だけでなく、今も未解決で残る親日派問題への怒りと苛立ちでもあったということ。悲痛とも言える氏の言葉の重さが、やっと理解できた。

 「わが民族は、アメリカが、日本帝国主義を強制的に解体したはずみで解放されたのです。」「自分の力で解放されたのではありません。」「自力で解放を迎えることができなかったという、厳然たる歴史の制約の前において、親日派の清算という大義名分は叶うことのない夢に過ぎませんでした。」

 だから氏は、こういって著作の終わりに韓国民へ提案する。
「韓国の政治は、過去の歴史の亡霊から解放される必要があるという思いを、強くします。」「過去をあげつらう行為ほど愚かなことはありません。」「もうこれ以上、死者が生者の足を引っ張ることができないようにしなければなりません。」
「歴史戦争がいつ果てるともなしに続いていますが、そんなことは歴史研究者に任せてもらって十分だと思うのです。」

 氏の気持ちは痛いほどわかるが、その意見が韓国で受け入れられることはないだろうと、私は予測する。残念ながら、韓国人はそういう割り切りのできない人間たちなのだ。しかも皆が唯我独尊で、他人の意見を聞かないのだから、議論は深まることなく平行線のみだ。
一見無節操と見えても、私たちのご先祖様は、他国の良きものを進んで取り入れ、いつの間にか自分たちの色に染めてきた。争いや対立が無数にあっても、必ず一つの和へと収斂させてきた。私は氏と違うから、八百万の神々が存在する日本の有難さを噛みしめ、歴史や文化や民族をいつまでも大切にしたいと、そう思う。

 氏は、まだ多くの問題提起をしているが、ここいらで止めるのが潮時だろう。
いよいよ明日は病院の検査だし、ややこしい話を忘れ、猫庭を訪れる小鳥たちのことでも思い出しながら眠るとしよう。
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大韓民国の物語 -2

2016-01-12 21:06:05 | 徒然の記

 目覚めて雨戸を繰ると、チラチラと舞う白いものが見えた。猫庭に降る初雪だった。
降り積もる過酷な雪でなく、地面に着けばたちまち溶ける柔らかな雪だ。眺めていると、人口に膾炙された名句が浮かんできた。

 降る雪や 明治は遠くなりにけり

 どういう思いで作られた句か正確には知らないが、懐旧の情とでも言えばよいのか、過ぎ去った昔への思いが心に響いてくる。奇しくも李滎薫氏の著作を読みつつ、日本の過去を考えている今なので、私も句を重ねたくなった。
 降る雪や 昭和は遠くなりにけり、と。

 滅びた国は王と両班の朝廷だと、氏のように薄情な割り切りをしない私は、昭和天皇を通じて激動の昔を回顧する。私の中にある陛下は、氏が悪し様に述べる横暴な独裁君主ではなく、国民とともに苦楽を分かち合った方としての姿である。

 しかし今日の目的は、このような自分の思いでなく、李氏が知日派として攻撃されている意見を、可能な限り綴るということだ。同時にそれは私が初めて知る韓国の実情であり、日韓の断層の悲しいまでの深さだ。長くなっても、かまわずに引用したい内容ばかりだ。

 「日本は正当な代価を支払うことなく、無慈悲に、わが民族の土地と食料と労働力を収奪した。」「だからわが民族は、草の根や木の皮でようやく命をつないだり、海外に放浪するしかなかった。」「過去60年間、国史教科書はこのように国民に教えてきました。ですから、大部分の韓国民がそのように信じています。」

 「2001年に発行された高等学校の国史教科書には、" 日本は世界史において、比類ないほど徹底的で悪辣な方法で、わが民族を抑圧し収奪した " と書かれています。 」「例えば総督府は、全国の農地の4割にも達する土地を国有地として奪い、移住してきた日本人農民や東拓のような国策会社へ廉価で払い下げた。」「また総督府は、生産された米の半分を奪い、日本へ積み出した。」「農作業がすべて終わると、警察と憲兵が銃剣を突きつけて収穫の半分を奪っていった。」「このように解釈できる文脈で、生徒たちを教えてきました。」

 「1940年代の戦時期に、約650万名の朝鮮人を、戦線へ、工場へ、炭鉱へ強制連行し、賃金も与えず、奴隷のように酷使した。」「挺身隊という名目で、朝鮮の娘たちを動員し、日本軍の慰安婦としたが、その数は数10万人に達した。」「教科書は、このように記述しています。」

 「高校の国史の時間にこのくだりが出てくると、教師は今にも泣きそうな顔になり、生徒も涙したといいます。」「このように悪辣な収奪を被った祖先たちが、あまりにも不憫で、これが泣かずにいられるでしょうか。」

 学校の教科書が60年間もこうして国民に教えてきたら、日本への憎悪が掻き立てられても不思議はない。
それでなくても悲憤慷慨する韓国人の激しさを思えば、マスコミを賑わせる隣国の人間の姿が理解できた。ああした人々は、韓国という国が作り育てた民だったという、不幸な現実だ。

 「しかし、私はあえていいます。このような教科書の内容は、事実ではありません。」
「びっくりされる方も多いと思いますが、単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語です。」

 「生産された米のほぼ半分が、日本へ渡っていたのは事実です。」「しかしながら米は奪われたのでなく、輸出という市場ルートを通じてでした。当時は輸出でなく、移出といいました。」「米が輸出されたのは、総督府が強制したからでなく、日本内地の米価が30%高かったからです。」「輸出を行えば、農民と地主はより多くの所得を得ることになります。」「その結果、朝鮮の総所得が増え、全体的な経済が成長しました。」
「それなのに、どうして韓国の教科書は、こうした経済学の常識を逆さまに書いているのでしょうか。」

 現在の韓国で、こうした意見を表明する氏の勇気に、私は敬意を表した。本人の身はもちろんのこと、家族ゃ親類縁者へ及ぶ危険を思わずにおれないからだ。

 「農地の4割に当たる大量の土地が収奪されたというのは、事実ではありません。」「日本が大量に土地を収奪したという神話が、初めて学術論文の形で示されたのは、1995年に、日本の東京大学に在学中の李在茂によってでした。」「土地調査事業の時、総督府が農民に農地を申告させた方式は、実は収奪のためだったと李は主張しました。」

 「当時の農民は土地所有に関する観念が希薄で、面倒な行政手続に慣れていなかった。」「総督府はこのような農民に土地の申告を強要し、大量の無届け土地が発生するように導いた。」「その後総督府は、無届けの土地を国有地として没収し、日本の農民と東拓という民間会社へ有利に払い下げた、というのです。」

 「李の主張には何ら実証的な根拠はなく、そうであるという個人的な信念に基づく、一方的な推論なのです。」「彼のこうした個人的信念は、今日の研究水準からすれば、ため息が出ることしきりです。」「李朝時代の人々は、土地を指して " 人之命脈 " と言いました。」「土地所有の観念が薄かったなど、とんでもありません。」「李朝時代のわが祖先は、500年間3年に一度ずつ、国家に戸籍の申告をしなければなりませんでした。」「届出の手続に慣れていなかったなんて、話にもなりません。」

 氏は「慰安婦問題」についても、多くのページを費やし、吉田証言が虚偽であったことも、慰安婦と挺身隊が別物であることも承知している。朝鮮戦争当時、米軍の慰安所が韓国内にあったことや、ベトナム等で韓国軍が行った婦女子への暴行や殺戮も知っている。それでもなお、氏は旧日本軍と日本政府への糾弾をやめようとしない。その理由の一つが、先に私の指摘した「日本人への感情的嫌悪」である。理論も理屈も無い、感情的嫌悪だ。

 「公式名称が同じだからと言って、米軍の慰安婦を、日本軍の慰安婦と同一視することはできないと思います。」「日本軍の慰安婦は、行動の自由が奪われた性奴隷でした。」「それに比べれば米軍の慰安婦は、自由な身分であり、あくまでも自発的な契約でした。」

 日本で明らかになっている資料では、韓国軍の管理下で作られた米軍慰安所が、過酷で厳しいものであったことが示されている。アメリカびいきの氏は、こうなってくると日本憎しの偏見で固まってしまう。学者としての冷静さを失い、感情的嫌悪からの主張と成り果てる。

 氏が日本への糾弾をやめない理由の二つ目は、日本人の中にいる「獅子身中の虫ども」と反日朝日の捏造報道だ。
「挺身隊と慰安婦を同一視する国民の集団記憶は、1990年代には、誰も手出しができないほど極めて強固に定着したと言えるでしょう。」「このような状況に至った背景には、マスコミの功績も大きかったと思われます。」「ある新聞は、日本が朝鮮半島において、組織的に慰安婦を徴発した確実な証拠をつかんだと、一面トップで特筆大書しました。」「またある新聞は、15才以上の未婚女性が従軍慰安婦として連行されたと書きました。」

 「日本軍慰安婦に関する研究の権威である、吉見義明教授は、日本の防衛庁図書館において、日本軍が慰安婦募集に関与していたことを立証する文書を探し出したことで、よく知られています。」「この証拠により、教授は、日本軍と日本国家が、国際法が禁じている非人道的な罪を犯していることを明らかにしました。」

 唾棄すべき反日の売国教授の発見した文書が、慰安婦の募集に関与するものでなく、悪質な業者が女性を騙しているから取り締まるようにと、部隊へ注意を喚起する書類だったことが今では明らかになっている。しかし一度発信された日本人による悪意の情報は、反日に燃える韓国では消せない炎となる。

 「慰安所の女性たちが性奴隷である点については、すでに指摘した通りです。」「そして慰安婦の中の相当数は、21才未満の未成年者でした。」「未成年者の強制労働は、国際法が禁じている犯罪行為であることは再言を要しません。」
こうして氏は、その主張の根拠ととして、吉見教授の本に言及している。「 吉見義明 " 従軍慰安婦問題で何が問われているか " " 1997年刊 筑摩書房 " 」

 「私は、以上のような吉見先生の主張に賛成です。いえ、むしろ多くのことを学びました。」「日本政府は、吉見先生の主張に耳を傾ける必要があります。」

 この章の締めくくりとして氏がこのように述べ、日本国内では捏造としか見られていない吉見氏の主張が、韓国へ渡ると、反日の火を煽り立てる役目を果たしていることを知る怒り。心ある日本人から見れば、度し難い反日の馬鹿者も、韓国では素晴らしい日本人として持てはやされる。これを喜劇と言わずして、なんと表現すべきか。

 せっかく冷静に接しようとしていたのに、ここへ来て、怒りが一気に込みあげた。氏へというより、日本国内にいて、怪しげな情報を提供し、隣国の反日を扇動する日本人への怒りだ。ブログに向かった時の懐旧の情が消え失せ、中村草田男の名句だって書き直さずにおれなくなった。

 降る雪や 昭和は今も身に迫る

 だが、どうしても記憶にとどめておきたいものが未だ残っている。面倒などと言っておれない大切なことだから、明日もう一日頑張ってみよう。韓国の知識層が置かれている状況、日本以上に複雑で悲しい事実を、自分の言葉で整理しておきたい。
はた迷惑でならない、氏の日本への誤解、あるいは理屈に合わない反日と偏見が、どこから生じているのか。自分なりにまとめたい。

 氏の著作は、私の怒りを掻き立てるけれど、それでも無視できない熱意がある。いつか時間が出来たら、もう一度読み返したい悲しみの詰まった本でもある。以前ゴミステーションに投げ捨てた書物と同じ扱いが出来ない、何かがある。不思議な気持ちのままで、今夜は終わりとしよう。明後日はまた、病院で終日検査があるから、これから風呂へ行き体を休めるとしよう。

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大韓民国の物語

2016-01-12 00:16:08 | 徒然の記

 李滎薫 (  イ・ヨンフン )氏著・永島広紀氏訳「大韓民国の物語」(平成21年刊 (株)文藝春秋)を読み終えた。

 知らないことを沢山教えてくれた、有意義な書だった。訳者の永島氏の説明によると、李氏は韓国の近代経済史におけるトップランナーであり、ニューライトと呼ばれる保守論客であるとのことだ。保守ではあるが、民族至上主義的でないから、ニューライトと言われているらしい。

 氏は韓国の教科書で教えられる「日本による韓国収奪論」を否定し、「根拠のない慰安婦問題」についても異議を唱えている。日本の統治の結果、むしろ韓国社会を蝕んでいた身分制が破壊され、経済も発達したのだと彼は言う。そこだけを読むと、なるほど訳者が言う「ニューライト」の論客であり、日本を正しく評価している韓国人のように見える。韓国内では、売国奴という言葉と同義の「知日派」のレッテルを貼られてたりしているらしいが、私から見れば、氏は新しい反日の韓国人でしかなかった。
 
 博学な氏は、沢山の知識を有し、客観的事実を積み上げて反対派の人間を論破していく。日本人の中には、氏が韓国における反日の常識論を否定するので、親日家でもあるように誤解している者もいる。しかし日本に関する限り、氏の根底にあるのは感情的嫌悪だと私は理解した。その意味では、学校の教科書で偏向した教育を受け、感情を露わにし日本攻撃をする他の韓国人となんら変わりがない。

 日本と韓国の間にある感情的対立の、かくも深い断層を見せつけられると、私も理性でなく感情で対応したくなる。結局韓国とは、今後も必要最小限度の付き合いにとどめるしかないと痛感した。

 五千年の歴史を有する韓国と誇りつつ、日本に統治された35年が恨むべき抑圧の期間だったと、氏は何度も語る。繰り返される主張なので、長くなっても引用してみる。

 「はたして五千年前から韓国人は一つの民族であり、一つの共同体だったのでしょうか。」「改めて問うとすれば、誰にも明確に応えることはできません。それでも皆が、そのように信じているのです。」「それがまさに、民族というものが帯びている神話としての力でしょう。」

 「とはいえ、私はそういうふうに考えません。」「結論を先に述べれば、今日における韓国の民族主義とは、20世紀に入り、日本の抑圧を受けた苦難の時代に産み落とされたものなのです。」
「日本の抑圧を受け、集団の消滅の危機に瀕した朝鮮人は、自分たちは、一つの政治的な運命共同体であるという、」「新たな発見に至り、民族という集団意識を共有するに至りました。」

 外敵に攻められたり戦ったり、領土を奪ったり奪われたりする中で、人間は民族意識に目覚め、国というものを形作る。世界の国々が生まれるのは、こうした歴史の積み重ねからだった。五千年もの歴史を有する朝鮮人が、20世紀に入り、たかだか35年の日本統治で、初めて民族意識に芽生えたのだと氏は主張する。それほど朝鮮人の意識が低かったと、言いいたいのだろうか。

 のちに詳しく述べるが、日本の統治は残虐でもなく非道でもなかったと語りながら、民族を抑圧したと言い張る氏には、慰安婦問題でわが国を攻め立てる韓国人の理不尽さと共通したものがある。

 しかも氏の意見は、これが本当に保守主義者なのかと首を傾げさせられる。

 「民族というものは、歴史上すべてのものがそうであるように、成立・発展・挫折・解体の過程を踏む、歴史的な現象の一つであるに過ぎません。」「それは20世紀に生まれ、発展し、いままさにその全盛期にあるようです。」「しかし今後は、誰がなんと言おうとも、民族主義は少しずつ衰えていくでしょう。」「資本と労働の国際移動が、どれほど激しくなっているでしょうか。」

 「すでに若者の十分の一、農村青年のほぼ三分の一が国際結婚をしているではないですか。」「いまや韓国も先進国並みに、徐々に多民族社会となる時期に差しかかっています。」「皮膚の色とは関係なしに、お互いに自由で平等な人間として共同する、」「こうした秩序でもって、社会と国家を統合していくしかない時代になったのです。」

 彼がいうように、民族主義が20世紀に生まれたものであるのなら、千年の単位で続く世界の民族紛争はなんと説明するのか。確立した個人さえいれば、国も民族も必要でないという意見を、世界でどれだけの人間が受け入れるのだろう。歴史も伝統も祖先も無視するような思考が、どうして保守と呼べるのか。

 「民族主義は1945年以前の、帝国主義時代という暗い精神史に属するものです。」「民族主義を掲げた天皇制の日本と、ナチスのドイツが、周辺の民族にどれほど大きな傷を与えたでしょうか。」
「その民族主義の弊害を、今日の我々は、天皇制やナチズムよりはるかに酷い、北朝鮮の首領体制を通じて追体験しています。」

 ここでもまた、天皇制がナチズムと同列に並べられ、北朝鮮の独裁制度と同じ調子で語られる。日本人でないから仕方がないと思いつつも、韓国のトップランナーもこの程度の認識かと失望した。
「李氏朝鮮王朝はなぜ滅んだのかと、この問題が出てくるだけで韓国人は過敏になってしまいます。」「歴史学者は、李朝が滅んだ原因について、きちんと話をしないままでいるようです。」「教科書の文脈のまま読めば、日本が闖入したせいで李朝は滅んだということになります。」

 「 "善良な主人" 」と「 "凶暴な盗賊" 」という比喩がそれです。」「それは紛れもない事実ですが、そんなやりかたは、歴史から何も学ぶつもりがないという無責任な姿勢にすぎません。」
つまり氏は、李朝は日本のせいで滅亡したのでなく、内在していた矛盾により解体したのだと結論づける。要するに、日本などそんなものは何でもないと言わんばかりだ。

 李朝は自国の伝統的文明に拘泥するあまり、文明の大転換が出来なかったため必然として崩壊したと説明する。
「文明史の大転換を直接に強要した勢力が、もともと同じ文明圏に属していた日本だったため、気づくのが容易でなかったからでしょうか。」「島国の夷狄と軽んじていた日本から受けた、プライドへの傷があまりに深かったからなのでしょうか。」

 こうした氏の執筆姿勢から、逆に私は、「日本の存在」がどれほど大きく韓国人にのしかかっていたのかを初めて実感した。次に氏は、まるで共産主義者のように自国の歴史を切り刻む。

 「滅んだのは、王と両班たちの、朝廷としての国であり、民たちの国ではありませんでした。」

 民たちの国が本当の国だというのなら、いったい朝鮮は何時になったら国ができるのか。思わず問いかけたくなったら、簡単明瞭な答えが用意されていた。ここでもまた、日本が悪役の最たるものだ。

 「1945年8月15日、ついに日本帝国は滅びました。」「ご存知の通り、大韓民国の最も大きな休日は、8月15日の " 光復節 " です。 」

 氏は自由と民主主義に立脚した李承晩が作った、大韓民国が本物の国家の始まりだと言う。そして米国は、朝鮮の国家建設を支援し、共産国からの侵略を防ぎ、国防を担ってくれる素晴らしい国だと語る。

 どこまでも自国に都合の良い理屈をつなぎ合わせた氏の主張は、本気であるらしいだけに哀れさを誘う。

 氏は氏なりに国民に誇りと自信を持たせたいと、努力しているのだろうが、私にはそれが、戦前の日本の指導者たちの姿と重なる。大戦の末期、戦況が逆転し負け戦が続いているのに、勝った勝ったと国民を叱咤激励した軍人や政治家たちに似た、どこか悲しい、強がりの匂いがするからだ。

 さて、今日も夜が更けた。底冷えのする、寒い夜だ。
とても終わりそうにないので、続きは明日にしよう。韓国の常識を否定する氏の意見を、貴重な読書の記録として残したい。腹立たしいけれど、なぜか憎めない氏がここにいる。氏の語る韓国の実情を聞けば、支離滅裂な主張にもうなづけるものがある。私が初めて知った不思議な韓国人なので、努めて冷静になり意見を拝聴したい。

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中坊公平の人間力

2016-01-06 18:06:27 | 徒然の記

 中坊公平・佐高信氏共著「中坊公平の人間力」(平成10年刊 (株)徳間書店)、を読み終えた。

 二人の対談をまとめたもので、普通の本とは違っていた。聞き手が佐高氏で、中坊氏が答え、メインは中坊氏の談話ということになる。

 中坊氏は、昭和4年生まれ、京大卒業後に弁護士となり、平成25年に83才で逝去している。戦後の日本を代表する弁護士として名高く、日弁連の会長も務めていた。

 氏を有名にしたのは、森永ヒ素ミルク事件での、被災者救済の弁護団長としての活動だ。次は、住専(住宅専門金融会社)7社の不良債権を回収する国策会社の、「債権管理機構」での、社長としての活躍である。森永ヒ素ミルク事件で、人権派弁護士としてマスコミにもてはやされ、債権管理機構の社長としては、平成の鬼平などと呼ばれるくらい幅を利かせた。

 対談は、氏が社長在任中に行われたもので、やる気満々得意の絶頂にいた時のものだ。この5年後の平成15年に、債権回収に辣腕を振るいすぎ、回収相手の会社から訴えられ、裁判では不起訴となるが、責任をとる形で、氏は弁護士廃業宣言をする破目になる。

 華やかな舞台から突然姿を消し、不遇な晩年を送った氏もまた、波乱万丈の人生だったと言える。だが最近の私は、左翼とか、共産党とか、社会党とか、そんな党名を聞くだけで虫唾が走るようになっている。

 長男から、お父さんは偏っていると注意されるくらい、極端な左翼嫌いになり果てている。それもこれも、きっかけは、韓国の慰安婦問題と、中国による尖閣への領海侵犯や南京問題だった。

 朝日新聞を止めたのも、反日野党を憎むようになったのも、ここ二、三年の話だ。右でも左でも良いではないか。多様な意見があってこそ、社会が成り立つ。人間の歴史は昨日より今日、今日より明日と前進している・・。などと、こんな楽天思考に支えられ、日々を送っていた自分である。これを「お花畑」というのなら、まさしく私はそうだった。

 けれども今は違う。隣国からの、理不尽な攻撃にさらされる日本を知り、国際社会の非情さを知り、国内に生息する「獅子身中の虫」を知った今は、何でもかんでも許容はしない。

 前置きが長くなったが、中坊・佐高両氏は、私の嫌悪する左翼思想の持ち主なので、最初からこの本に、フランクな気持ちで接していないということが、言いたかった。

 日弁連といえば、反日弁護士の巣窟みたいな組織だ。そこの会長経験者と思えば、どうしても素直に話が聞けなくなる。まして佐高氏は、かっての社会党の熱烈な支持者だ。社民党と名を変え、細々と存在しているとしても、売国・左翼の見本みたいな、福島瑞穂氏が息巻いている。そんな政党を支持しているのだから、顔も見たくない佐高氏である。

 自分がいかにグズで劣等生だったか、中坊氏が思い出を語るが、それだって逆説の自慢話だ。だいたいそんな劣等生が、京大へ入学したり、弁護士になったりできるわけがない。片や慶大卒の佐高氏は、法学部だったが法律が嫌いで、畑違いの哲学をやったと、これもまた劣等生自慢だ。

 悪名の方が高いとしても、マスコミで騒がれる評論家に、どうして劣等生がなれるのか。

 互いに誉め合い、会話を楽しんでいるとしか思えない本でもある。殊に違和感を覚えたのは、中坊氏が使う「上げ底」という言葉だった。どういう意味で使っているのか、本物の劣等生だった私には、最後まで不明だった。記念のために、この部分を、本から抜き書きしておこう。

 「世の中では、違法行為があれば早く糺す、ということが、」「人間としても、人類としても当たり前のことですね。」「ところがある会社の責任者は、" 上げ底 " の 社長たる地位としての、立場からしか判断していません。 」

 「当たり前のことをしないで、" 上げ底 " の上で、表ざたにしないのは会社のためだ、そのうちなんとかなるだろうと、判断したところに、問題があるんでしょうね。 」

 「つまり、私に背いてこそ 、公である、ということなのですが、」「私は "無私" とは、反対の " 私" の意味で、"上げ底" という言葉を使っています。」

 無私の反対の意味なら、エゴイズムのエゴとか、利己主義の利己とか言えば済むものを、上げ底などというから、分かりにくくなってしまう。ひねくれ者の左巻きめと、私の印象は、どこまでも偏見が先行する。これに対する佐高氏の相槌が、これまた気に入らない。毒舌評論家の面影は、微塵もない。

 「私は、中坊さんのやっていらっしゃる困難さは、日本の会社の、困難さに挑戦しているように感ずるのです。」「特に私は、日本の銀行は、民間企業だとは思っていません。」「大蔵省統制経済下の、お役所企業であって、銀行経営者の上に、大蔵省があるわけですね。」

「前にも言いましたが、これだけの住専問題を起こしながら、ボーナスを堂々と取っている、銀行経営者の感覚が分からない。」

 バブル経済が崩壊した時、膨大な借金の山が築かれ、その穴埋めのため、国民の税金がつぎ込まれた話は、あまりにも有名で思い出すさえ忌々しい。あのとき以来、日本経済は冬の時代に突入した。

 腹立ち紛れに調べてみたら、そのバブルは、個人に向け住宅ローンを専門とするノンバンクが設立された時から出発していた。好景気に湧く日本では、巷に金があふれ、住宅貸付市場も活況を呈した。それを見た、住専の親会社だった銀行が、自ら続々と参入して、住専の市場を食い荒らした。

 資金と信用力で親会社に太刀打ちできない住専は、融資先を変更し、貸しビル、ゴルフ場、リゾート開発、さらには地上げや土地転がしの資金まで貸し付けるようになり、怪しげな企業や個人へと範囲を広げていった。この間に銀行は、膨大なダーテイーマネーを住専経由で貸し付け、荒稼ぎをした。

 土地が騰貴し、金まみれの土地に社会が浮かれ騒ぎ、ついには日銀がバブル潰しにかかった。不動産向けの銀行への貸付枠を絞ったのは、これもまた「平成の鬼平」と呼ばれた三重野総裁だった。利に聡い銀行は、住専へ貸し付けていた資金を一斉に引き上げ、赤字転落への対抗策を取った。

 バブル崩壊の直前なのに、銀行からの資金引き上げ分を、肩代わりする形で、住専に食い込んできたのが、巨大農協マネーを運用している農林中金だった。バブルが崩壊した時、住専各社の不良債権の総額は、大蔵省の公表値で9兆5626億円だった。このうちの5兆5000億円が、農林中金の貸し込み額だったと言われている。

 倒産寸前の銀行救済のために、「公的資金」が投入され、ほとんどの銀行が国の管理下に入った。しかし農林中金だけは、農民を救済するという名目で、「住専処理法」が国会で成立し、全額が税金で穴埋めされた。

 住専についての記述は、別の資料を引用したのだが、中坊・佐高両氏が語っているのはこの話である。

 湯水のように金が融資され、この金に群がった、怪しげな起業家や政治家やヤクザが、みんなで甘い汁を吸ったのだ。濡れ手に泡のあぶく銭から、銀行や住専の経営者たちは、高額な報酬を受け取り、贅沢三昧をした。二人は、あたかも全ての責任が、銀行の経営者にあるという口ぶりだが、私の調べた事実は異なっている。

 もっと重い責任があるのは、住専と銀行の背後にいた、大蔵省と農林省の高級官僚と、その天下り役人たちだった。私が調べたところでは、そうなっている。

 「特に私は、日本の銀行は、民間企業だとは思っていません。」「大蔵省統制経済下の、お役所企業であって、銀行経営者の上に、大蔵省があるわけですね。」

 佐高氏は、そんなまともな指摘をしていながら、官僚への批判はほとんどしない。

 大蔵省の役人から任命され、社長になった中坊氏もそうだが、私は左翼の限界をここに見た。彼らは企業とか、経営者とかには滅法強いが、官僚には歯が立たないらしい。知っていながら攻撃を控える狡さがあると、どうしても彼らには厳しくなる。

 考えて見れば、バブル経済の出発点になった、国策ノンバンクを最初に作ったのは、大蔵省だった。その後に次々と誕生した、ノンバンク住専を認可したのも、銀行が住宅ローン市場へ参入するのを、黙認したのも、全て監督官庁の大蔵省だった。銀行経営者の上に大蔵省がいると、正論を言うのなら、なぜ佐高氏は、大蔵省の責任を追及しないのか。

 バブル崩壊と囁かれるている時だったのに、無謀な住専貸付に走ったの張本人は、個人名まで判明している。

 当時の農水省経済局長だった堤氏と、全中金理事長だった森本氏だ。銀行経営者たちは、乱脈融資の責任を問われ、辞任・退任、あるいは減俸、退職金の不払いなど、相応の責めを受けたが、農水省の高級官僚と天下り役人には、なんのお咎めもなしだった。

 それどころか、彼らの乱脈経営と無駄遣いが、「税金の全面穴埋め」で救済されている。

 だから私は、二人の対談を評価しない。本当に社会の闇を照らし、悪を究明し、歯に絹着せぬ意見を述べる二人だと言われるのなら、こんな素人の私が、調べた事実すら語らないでどうするのだろう。

 「我が国の社会を、法的に眺めたときに、国民一人ひとりは、」「考えられないほど不利益な立場に置かれている、というのが現状なのです。」

 具体的な話をせず、このように抽象論さえ語れば、中坊氏もなかなかいいことを言う。次の言葉などは額にでも入れて飾っておきたいくらいで、左サイドに立たせたままにしておくのは、勿体ない氏ではなかったろうか。

 「我々は過酷な戦争を体験し、敗戦を迎えたことにより、」「国家というものに、大変な反発を抱くようになったと、感じています。」「個人が中心になって、物事を考えなくてはならないという気風が、生まれてきました。」「そのこと自体は正しかったと思いますが、それが行き過ぎて、」「日本は、各人のエゴを追及する集団となってしまったのでは、ないでしょうか。」

 「民族というものは、決して外敵の侵略によって、滅びるのでなく、」「むしろ内部的な、倫理の崩壊によって滅びていくものだと、私は思います。」「その意味で、現在のわが国・我が民族は、滅びゆく過程を辿ってているのではないか、という危惧をもっています。」

 日本が滅びゆく過程を、手助けしているのが、「獅子身中の虫」、「駆除すべき害虫」たちである。つまり、反日・左翼の人間たちだ。もっとわかりやすく言えば、この本で対談している、中坊公平・佐高信氏の二人が、間違いなくその仲間だ。

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