ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

若槻泰雄氏の著作

2011-10-11 22:06:38 | 徒然の記

 上下二册を一気に読んだが、これほど引き込まれるとは予想しなかった。

 上巻は、戦争をした軍人への悪口雑言、政治家への侮蔑と不信。下巻では、変節した学者、教授、宗教家、そして一般国民への軽蔑。氏は口を極めてこきおろす。

 「いったいなぜ、本来は優秀な頭脳を持っているはずの彼ら軍人が、こうなってしまったのであろうか。」「彼らは日夜 、" おそれ多くも畏くも、万邦無比のわが国体 " 、」「 " 八紘一宇の肇国の精神 " " 畏れ多き現人神 " 、といったことを、」「繰り返し教え込まれ、」

 「年中そういう言葉を発し、そういう訓示を聞き、」「批判や、疑問の言葉さえ聞いたことも無く、」「何十年かを過ごしているうちに、ほんとうにそういう気持ち、」「要するに無知、無教養、偏見の固まりになったのであろう。」と、こういう調子である。

 そうなってくると、さきに覚えた、東條首相への敬意の念や同情が、どうしたって薄れて来る。渡部氏の本を読んだばかりだというのに、早速逆の考えに傾くのだから、己の愚かさを、これでもかと知らされる辛さがある。

 「先進国との文明の差は、日露戦争当時も同じだが、」「この時代は、日本自らが、西欧諸国より野蛮な国であることを、自認しており、」「それが今次大戦では、わが国は万邦無比、すなわち、世界一優れた民族だと狂信していたところが、決定的に異なっている。」

 かって司馬遼太郎は、何かの本の対談の中で、「日本の歴史は、ずっと一つの流れがあり、強い興味を覚えるが、 」「" 戦前の昭和 " という時代だけは、訳が分からない。」「突然生じた、特異な現象としか言いようがない。」

 正確ではないが、そんな意味のことを述べていたような気がする。つまり、若槻氏の言う「狂信」の昭和だ。さらに氏は言う。

 「元首相若槻礼次郎は、終戦の頃陸軍は半狂乱だったと書いているが、」「終戦時に限らず、陸軍は、そして海軍も、半狂乱どころか、」「いつも全狂乱、すなわち、正気ではなかったのである。」「そう認めるよりほか、この貧弱な工業国が、世界を相手に戦争をしかけるなどという、」「ありうべからざる現象を、説明しようがないと思われる。」

 「そして正気でない内容は、 天皇は神であり、日本は神国である。」「普通の国とは、訳が違うのであって、負けるなどということはあり得ない、」「という信念、信仰、 要するに迷信である。」

 私などと比べようも無いほど、博識な氏は、使う言葉も遥かに辛辣で、さすがの私も及ばない。これ以上氏の書を引用していると、自分のブログでなくるので止めるが、歯に衣着せぬ、激しい言葉の中にある煌めきが私を虜にする。

 右左の極論を述べる書と異なり、手前勝手なこじつけがなく、常識家の熱い思いが、伝わって来るような不思議さがある。亡くなった父は、シベリアで捕虜になり、戦後に帰還して来たが、戦争についても軍隊についても、何も語らなかった。思い出を辿り、探し出してみると、何かの拍子に、ポツンとつぶやいた言葉があった。

 「日本は、戦争に負けて良かったんだ。」「勝ったりしていたら、今頃はもっと大変だっただろ。」

 中学生の頃に聞かされたもので、当時は何のことか、サッパリ分からなかったが、今は何となく分かる。確かめるすべはないが、冗談が好きだった父は、おそらく「狂信の昭和」に辟易していたに違いない。冗談ならまだしも、生きている人間が神だなんて、父はきっと納得できなかったのだと思う。

 自衛隊員と呼ばれ、今はなりを潜めている軍人たちが、再び天皇を利用しようとする時が来ないようにと、そこだけは細心の注意が必要だ。現在のような「象徴天皇」であれば、存続してもいいと私は思っているが、若槻氏の結論は天皇制の廃止である。戦後の教育を受けて育った私は、力点を置かないけれど、氏は諸悪の根源を天皇制の中に見ているから、私のブログなど目にしたら、罵詈罵倒の集中砲火だろう。

 どうかこのブログが、彼の目に留まりませんようにと願いつつ、今日を終えるとしよう。

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冬になったら

2011-10-06 09:24:39 | 徒然の記

 冬になったら、ジューンベリーをぶどう棚の横に移し替える予定だ。

 鉢植えのまま庭の真ん中に置き、居間から見えない死角にあるため、傍若無人な鳥どもに実を食べられてしまうので、目の届くところに移し、来年こそ鳥を追っ払ってやろうとケチくさいことを考えている。

  次に垣根の脇にある、ビックリグミを抜いてしまう。ビックリするほど大きな実が、ビックリするくらい実るから、この名がついたと聞き、すぐさま買った。あれから4年経つというのに、大きくなるのは木ばかりでサッパリ実をつけない。毎年沢山の花(おそらく200くらい)をつけるのに結実せず、十粒ほどの成果で終わる。

 いくら見事な紅い実がなっても、この乏しい収穫では、そちらの方にビックリさせられる。加えて春にはアブラ虫の巣窟となり、どの葉の裏にもビッシリと、まるで虫の養殖場みたいになってしまう。虫の嫌いな家内と相談したら、一も二もなく賛成したので晩秋には即実行だ。

 最初に計画しているのは、和室の前のグレープフルーツを抜き、甘夏と入れ替えること。グレープフルーツは植えて五年になるが、葉ばかり茂らせ、花をつけない。これもまた毎年青虫やアブラ虫、なめくじ、果てはテントウ虫の幼虫までがはびこり、ほとんどの葉が、若葉のうちに痛めつけられてしまう。

 鉢植えの甘夏が玄関横にあるので、これを代わりに植えようというものだ。甘夏も似たような状態だが、まだ元気そうなので、植え替えたら、勢いづいて花をつけ、実を結ぶのでないかと、捕らぬ狸の皮算用をしている。

 庭木の育たない原因は、手入れの悪さも一つだが、それ以前に土壌にあると信じている。庭全体が粘土なので、何か植える時は必ず穴を掘り、買って来た土を入れなくてならない。越して来た当初は、庭木の知識がないため、いい加減に穴を掘り、適当に土を入れていたが、そんなことでは育たないということが、最近になり分かって来た。

 雨の度に、水はけの悪い庭が、まるでプールのようになってしまう。、小さな浅い穴に植えられた花木は、粘土の中で、根を十分に張れず元気を失う。猫の額みたいな狭い庭を、木の緑で一杯にしたいと、とんでもない夢を抱く家内が、他にも木を植えているため、穴堀りには、それらの根を傷めないの余計な注意がいる。

 だから、冬に予定している諸作業は、口で言うほど簡単なものではない。頑固でやっかいな粘土を掘り返し、大きな穴を作り土を入れるのだから、一日で終わらない力仕事になる。

 掘り起こした粘土の始末にしても、やたら捨てられないので、これがまたひと苦労だ。今年もまた短気な私が、家内といたわり合いつつ、喧嘩をしながら、汗を流すことになるのだろう。それでも、計画が完了した時の喜びの方が大きいので、今は楽しみと期待と緊張が入り混じる。

 こんな重労働がやれるのだから、どうしてどうして、私はまだ十分に若い。市役所がくれた「高齢者用の保険証」を返上したいと思うくらいだ。

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