ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

左翼の荒れ野に咲いたあだ花

2014-09-30 12:48:24 | 徒然の記

 平成26年9月28日、土井たか子氏が亡くなった。

 忘れもしない、昭和61年に彼女は、社会党の委員長になった。三年後の参議院選挙では、彼女の魅力に惹かれた女性票を引き寄せ、多数の若手女性党員を当選させ、いわゆる「マドンナ旋風」で、マスコミの話題をさらった。

 当時の彼女は自信に満ち、満開の薔薇のように輝いていた。新聞やテレビが追いかけ、彼女の詰まらない言葉でも取り上げて称賛した。「駄目なものは、駄目。」「やるっきゃ、ない。」「山が動いた。」「ここで引いたら、女がすたる。」

 彼女の言葉は、即座にマスコミが取り上げ、流行語になった。女性で初めての衆議院議長にもなった。

 彼女には、左翼の人間特有の陰気さや、堅苦しさ、あるいはへんな理屈っぽさがなく、好感を抱かせられた。当時の私は、企業戦士の一人として、月月火水木金金の毎日だった。もちろん家族のためだが、仕事なら何でもやると、そんな意気に燃えていた。新聞は、一面の見出しくらいしか読まず、テレビはほとんど見なかったから、政治にも特に関心を払わなかった。

 だから、彼女に好感を覚えたりしたのだろうが、今の私の印象は、「左翼の荒れ野に咲いたあだ花」という処か。

 先日ブログに書いた武村正義氏と同様、政治に無関心だった頃の「好感」など、恥ずかしいほどの誤解と、無知の産物でしかない。今となっては、私が切実に願っている「憲法改正」や、「戦後体制」からの脱却の前に、度し難い壁として立ち塞がっていたのが、彼女だったと知る腹立たしさだ。

 「駄目なものは、駄目。」と言う言葉は、「憲法9条」を死守する彼女が、述べたものだ。いかにも彼女らしいフレーズで、理論など無く感情そのままの荒っぽさだ。短い言葉で思いを語り、劇場型政治家などと、小泉氏がもてはやされたが、今にして思えば、彼女の方が先駆者だった。

 今の私には、彼女が日本に残した功績は何も無く、社会の害となる、負の遺産を沢山残したという怒りの方が強い。反日と売国の言動を繰り返し、日本のことはお構いなしで中国や韓国・北朝鮮を大事にする、あの福島みずほや、辻元清美を育てたのは彼女だ。

 他人の意見に耳を貸さず、自己主張だけする醜い議員である、福島・辻元両名は、彼女の意思を守るため、政界で頑張っていると言う。何という恐ろしい話か。

 自虐史観を大事に抱え、日本の歴史を貶めて恥じない、左翼政党の人材を育てた罪は、どうしたって消せるものでない。北朝鮮を大切にし、拉致問題を認めず、たとえ拉致があったとしても、日本の戦前の償いの方が先だと、そういう意見を持っていた彼女だ。

 今朝のNHKの番組で、かって土井氏の番記者をしていた、という人物が出演し、無闇矢鱈と彼女を褒め、懐かしがっていた。

「こいつは、馬鹿か。」と、本当に軽蔑した。

 拉致問題で北朝鮮との交渉が難航していると、同じニュースで語られている時だと言うのに、拉致家族の気持ちなど、何も考えていない記者だった。というより、こうなるとやはり、朝日新聞と同様に、NHKの体質なのだ。(日本人の心を忘れた組織)

 死者に鞭打つ愚行をしてはならないが、必要以上の賞賛は止めるべしと私は思う。まして、NHKなら。

 千葉日報に登場する、彼女への賞賛者は、武村正義、村山富市、江田五月だ。こう言う人物が誉めるのなら、私はまだ納得する。反日・売国同士で、いくらでもそうすれば良い。森元総理の哀悼の言葉が、私にはスッキリする。

 「シャンソンとワインが好きな、とても明るい人で、人間的な魅力があった。」

 社会党の千葉県連、小宮律子氏の哀悼の言葉に比べると、「小市民的」土井氏を語る、森氏の方が、労働貴族の姿を彷彿とさせる言葉で、ずっとユーモアがある。小宮氏は、左翼らしく、紋切り型の追悼だ。

 「平和憲法を守ると言う、強い意志があり、弱い立場にある人々に対する、思いやりがあった方です。」

 ならば、拉致被害者の家族は、その弱い人々に含まれないのか・・。私は、すぐにも小宮氏に問い返したくなる。

  申し訳ないが、私には、NHKのような哀悼の意が、彼女に捧げられない。
「左翼の荒れ野に咲いた、あだ花」と、せめて花に喩えただけでも良しとし、これ以上の贈る言葉は思いつかない。

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アメリカ合州国

2014-09-28 22:32:32 | 徒然の記

 本多勝一著「アメリカ合州国」(昭和56年刊 朝日文庫)を、読み終えた。

 同じ年に出された、「中国の旅」に比べると、同じ人間が書いたとは、とても思えない中身だ。お粗末極まる「中国の旅」は、たった40日間の取材で、しかも中共が用意した人間からのヒヤリングを、内容も検討せず、書き散らした本だった。

 アメリカの旅は、昭和44年5月から、11月までの6ヶ月をかけた、かなり真面目なレポートだ。どんな本かと説明する前に、本の題名を注釈すれば一目瞭然だろう。普通なら「合衆国」と書くのに、彼は「合州国」とわざわざ表現している。

 「衆」は、「人々・民族」を意味する言葉だが、黒人差別のアメリカが、何で民族の融和した国であろうか。アメリカとは、単に複数の州が、連邦になっているに過ぎない。本来ならこの本は、「黒人の側から見た」アメリカと、副題をつけても良かったのだと、彼が言う。

 分かり易い彼の言葉を使えば、「白人対黒人」、つまり「殺す側と殺される側」の話だとのことだ。北部のニューヨークから、南部の州まで、黒人の友と一緒に、ハーレムからハーレムへと旅をした記録だ。この本で初めて知った得難い収穫は、ユダヤ人が、アメリカ社会では、低い階層に位置づけされているという事実だった。

 日本では、アメリカはおろか世界ですら、ユダヤ人が裏で牛耳っているように語られるため、ユダヤ人の地位は高いものとばかり思っていた。彼の説明によると、本来なら黒人と協力し、民族差別を闘っても良いくらいなのに、黒人からも嫌われているのだと言う。社会の最下層に位置し、貧乏に苦しんでいる黒人から、金儲けをし、搾り取っていると言うのが理由だ。

 彼は中国の旅で、酷い「ウソ八百」を並べていたが、この本で、悪意のねつ造は少ないと感じた。それもそのはずだ。「中国礼賛の左巻き」の彼は、「中国の旅」で共産党をべた褒めし、毛沢東を救世主のように崇めた。この空しいウソの重圧に耐えられず、必要以上の日本憎悪となった、気配があると、これは私の好意的解釈だ。

 しかしアメリカは、独占資本の悪の帝国だから、遠慮なく批判し悪口も書ける。彼の接する黒人の多数が、アメリカを憎み、敵視し、侮蔑の限りをぶつけているのだから、ねつ造する必要が何処にもないからだ。

 そういうことで、彼も、無理な努力をせず事実を綴ったのだろう、今回は最後まで読むことができた。

 白人は黒人をニガー、ニグロと呼び、黒人は白人を白ぶたと言って罵倒する。リンカーンと共に、黒人が闘った北部では、人種差別が表に出ないが、南部は今でも、奴隷制の昔と変わらないらしい。

黒人の居留域、黒人の教会、黒人の海岸(海水浴場)、黒人のレストラン、黒人のコンビニという具合に、今でも厳然とした暗黙の区分がある。これを破ると、黒人であれ白人であれ、それぞれの区域で、いつか殺される羽目になる。

 警官は全て白人の側に立ち、些細なことで黒人を捕まえ、殴る蹴るの暴行をし、逆らえば射殺だ。残酷な出来事を、なぜマスコミが伝えないかと言えば、日常的過ぎるので、ニュースにならないのだと言う。

 規制されていても、南部では銃が溢れ、銃はいつでも乱射される。
確かにこの旅で彼は、黒人の側に立つ日本人として、南部の白人から敵意の目で睨まれ、助手席の黒い友人が銃撃されている。ガラスが割れず命拾いをしているが、訴えた所で、警察は取り上げてくれない。スピードを上げて、その場を走り去るしかないのだ。

 キング牧師のような穏健な活動家もいるが、国の保護を期待できない黒人の下層階級は、自分で自分を守るしかない。戦闘的黒人解放運動が、持続するのは、当然の流れだと彼は断定する。ブラック・パンサーとか、ブラック・モスレムとか、日本では名前だけしか聞かないが、現地では緊迫した日常の象徴だった。南部には、こうした秘密結社が多数あるが、裏切り者も多くいるので、彼らは所属団体を隠し、白人への敵意に燃えている。

 KKK団は今も存続し、容赦なく黒人を襲撃したり、殺したりしているというのだから、日本人には、とうていアメリカの状況は理解できない。

 南部には、黒人と非黒人との結婚を法で禁じる州があり、黒人と結婚したある日本人女性が、今でも市民権を取っていない。話が偏っていると批判されるが、自分の記事は、最下層の黒人の側から見たアメリカなのだと、文中で彼が弁明している。

 日本でアメリカを語る日本人たちは、セレブの白人たちと交わり、彼らと共に見るアメリカを伝えている。彼らと一緒にいたら、人種差別は見えないし、目に触れないのだと言うのが、彼の言だ。この本を読む限り、私は、彼の主張の正しさを感じる。

 彼と一緒になり、アメリカを非難攻撃せよとは言わないが、こうしたアメリカの恥部を、私たちは知っておくべきだろう。
自由、平等、博愛、平和、人権尊重、民主主義と、胸を張るアメリカだって、そんな偉そうなことばかり言えないはずと、知っておくのは大事なことだ。日本の親米家たちのように、アメリカを賛美し、やたら日本を軽視する意見が、取るに足りないものか分かる。

 それは丁度、左巻きの本多氏が、中国を礼賛する姿と、そのまま逆になるのはでないか。碌でなしで、反日の本多氏だが、たまに有意義なことを教えてくれたので、今回は感謝する。

 しかし最後の処で、やはり感謝できない、何時もの彼に戻った。

 白人から国を奪われ、黒人同様に、下層の民として貶められているインディアンが、日本人をどう見ているのか。インディアンが、彼の質問に答えた。

 「あなたたちは、日本人自身の文化と、政府を持っていて、」「白人に、汚されていません。」「しかし私たちは、汚され、支配されています。この事実が、私の日本を見る目です。」

 こんな素晴らしい言葉に、彼は何の反応もしていない。なんのコメントも、発していない。結局彼は、日本人の心を失った、何時もの朝日新聞の記者だったと言うことだ。

 だからこの本も、何時ものように、有価物回収日のゴミとなる。

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沖縄の龍柱

2014-09-26 22:44:53 | 徒然の記

 龍柱について書く前に、那覇市長の翁長雄志氏について少し述べよう。

 県会議員時代の彼は、自民党に所属していた。市長になる前から無所属になり、自称「保守系」と称し、選挙では、自民党のみならず民主・共産・公明の支持を受け、連続4期の当選を果たしている。

 金城テルさんは、若い時から保守の市民活動家で、沖縄では、知る人ぞ知る人である。今はチャンネル桜の「沖縄支局」で、キャスターを務めておられる。私は高々70で年寄りじみたことを言っているが、テルさんはずっと年配なのに活発な方である。沖縄を誇りにし、日本人であることを誇りにし、戦後に移住して来た左翼活動家が大嫌いだ。

 中国に靡く沖縄県人にも、厳しい意見で、あんな国に飲み込まれたら大変なことになると、警鐘を鳴らし続けている。

 その彼女が大反対しているのが、この「龍柱」である。片や、誰が何を言おうと、計画を推進しているのが、自称「保守」の翁長市長だ。港から那覇市庁舎のある場所まで、立派な広い道路がまっすぐに延びている。

 道路は、那覇市の中心に向かう、メイン通りだ。港に面したこの道路の入口に、左右一本ずつ龍柱は建てられる。高さ15メートルという巨大な柱だ。那覇市の説明では、観光客を歓迎するモニュメントらしいが、テルさんの説明では、柱に彫られた龍の手の爪が問題であるらしい。

 4本の爪は沖縄が、中国の「属国」という意味を表しているのだという。

 道路脇の表示板を見ながら、テルさんの説明を聞いていると、次第に杞憂でないことが分かって来た。杞憂でないどころか、とんでもない計画であることが、判明して来た。県庁に至るメイン道路の途中には、立派な孔子廟があり、何とか言う公園があり、再現される久米村があり、これから整備される商店街や町並みがある。

 この宏大な土地は、やがてチャイナタウンとなり、中国人たちが多数移り住むようになるのだ。テルさんは、このキッカケとなるのが龍柱だと言い、何としても建設を阻止しなくてはと訴える。

 チベットやウイグルだって、あるいは台湾だって、中国は大量の漢民族を移住させ、住み着かせ、いつの間にか軍隊を派遣し、有無を言わせず国を奪って来た。似たようなことが行われつつある、と分かるので、私はテルさんと同じ危機感を抱く。

 龍柱二本の建設費として、翁長市長が計上したのは、約1億7000万円だ。なんとこれらは、すべて中国に発柱済みという。テルさんたちが調べた処では、中国での作成費は4000万円であり、あとの1億3000万円はどうなっているのか不明らしい。

 随分いい加減な工事の発注だと、呆れていたら、なんと、これには、国からの一括交付金が使われていると言う。つまり、私たちの税金である。

 先日テルさんたちは、東京に来て、自民党の議員に説明をしてきたと言う。「へえ、そんなことですかと、先生たちは驚いておられました。」
彼女の話を聞いていると、何も知らない、呑気な国会議員に、私の方が驚いた。危機感の欠如に、さぞテルさんは落胆したろうと同情した。

 沖縄では翁長氏ばかりでなく、県知事も各市長も、毎年中国を訪問している。個人旅行でなく公費で、言わば国から貰った税金で交流をし、親睦を深めている。これは私も以前から知っていたので、こうした流れの中でテルさんの話を聞き、肌寒いものを感じた。
このままでは、沖縄は危ない。

 中国は、軍隊や武器を使うまでもなく、既にこうして、沖縄の政治家たちを手のうちに入れている。今度の知事選に立候補している大西浩氏は、沖縄独立論者だ。

 「私が知事になったら、米軍を撤退させ、代わりに中国と韓国軍を駐留させます。」

 開いた口が塞がらないような公約を掲げ、彼が、市内をデモ行進する動画があるので、興味のある人は見ればいい。私は、二度と見たくない。

 沖縄の人口は、現在およそ130万人。敗戦直後の人口は60万人で、これが沖縄本来の人口だと言われる。後の70万人は、本土からの移住者で、これがいわゆる左翼活動家たちだ。日教組の定年退職者が多いと、沖縄の保守の人たちが説明してくれる。何でも反対と騒いでいるのは、こういう人間たちで、沖縄に住む本来の住民は、ほとんど黙っているとのこと。

 戦後の人口増のスピードは凄いもので、年々一万人以上の増加だったらしい。本当かウソか確かめていないが、そんなものだろうと思っている。こうした事実を知らないで、元外務官僚の佐藤優氏が語っていた。

 「右翼は、沖縄で騒いでいるのは、外部から来た人間だと言っていますが、」「とんでもないことです。ほとんどが、沖縄の人なのです。」「政府がこんなことをしていたら、沖縄独立論だって出てきますよ。」

 佐藤優氏を、もう少しましな人物と思っていたので、この話を聞いたとき、龍柱の税金浪費と同じくらいに驚いた。彼もまた、危機感のないというか、反日売国の官僚の一人だったのかも知れない。あっちもこっちも、日本には獅子身中の虫が蠢いている。

 だから私は、こうした虫どもを育成・保護した、朝日新聞とNHKが許せない。足が不自由でなかったら、チャンネル桜の朝日新聞を糺す会で、デモ行進の先頭を歩きたい。

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自民党議員は、地方議会で居眠りでもしているのだろうか

2014-09-23 17:36:32 | 徒然の記

 慰安婦問題で、朝日が記事のねつ造を白状したというのに、地方議会は何の対応をしているのだろう。

 日本と国民を貶める、韓国のウソ八百に呼応し、政府に誠実な対応をせよと議会決議をした、奇妙な地方自治体がある。その数なんと、41議会だ。村議会が2つ、町議会が4つ、残り35が市議会である。

 マスコミが報道しないので事実が判然としないが、この馬鹿げた議会決議を撤回した市や町があることを、なぜか聞かない。
アメリカでの日本非難の議会決議や、ウソだらけの慰安婦像に騒いでいるけれど、マスコミはなぜ、国内の出来事を報道しないのか。41もの議会が、慰安婦問題で、政府を糾弾する決議をしているという、この馬鹿げた話が、どうしてニュースにならないのか。

 何故か、なぜかと疑問に駆られ、調べてみて驚いた。
41件の内35件の決議が、民主党が政権を取った平成21年9月にから、国民に見放された平成24年の間に、なされているのだった。決議に至るパターンはどれも同じで、市民団体が騒ぎ、民主党と共産党がこれを取り上げ、公明党が賛成し、議会決議をしている。

 聞く所によると、決議書はどれも似ていて,ひな形をコピーしたような、内容であるらしい。当時は自民党も、地方議会で少数派に転落し、数の力で押し切られたのであろうと、想像がつく。国の歴史を貶められ、屈辱感にさいなまれつつ、耐えたのであろうと思っていたが、多数派になった今日でも、決議撤回の動きがないというのはどういうことか。

 「自民党議員は、地方議会で居眠りでもしているのだろうか。」と、ブログの表題にした理由がここにある。

 民主党、共産党、公明党が共同でやったことなら、反日・売国のマスコミが、報道しなくて当然だ。しかし、自民党の議員なら、そうはいかない。なぜ行動を起こさないのかと、疑問が湧く。国を大切にする議員が、地方にはいないのだろうか。議会では居眠りでもしていて、政治もそっちのけなのかと、変な邪推をしてしまう。

 そこで私は考えた。こんな性根の定まらない、地方議員の支援を受けたからと言って、石破氏が有頂天になるのはやはりおかしい。国難の政治を担う総裁候補になろうなど、おこがましいのでないかと、そんな気がして来た。

 長くなってもいいから、この愚かしい決議をした、市町村議会の名を、怒りとともに紹介する。

 ・平成20年 (兵庫県) 宝塚市、(東京都) 清瀬市、(北海道) 札幌市


 ・平成21年 (福岡県) 福岡市、田川市、(大阪府) 箕面市、泉南市、

       (東京都) 三鷹市、小金井市、国分寺市、国立市、(京都府) 長岡京市、
       (奈良県) 生駒市、(千葉県) 船橋市

 ・平成22年 (埼玉県) ふじみ野市、(千葉県) 我孫子市、(京都府) 向日市、八幡市、木津川市、

       (東京都) 西東京市、(岩手県) 一関市

       (沖縄県) 今帰仁町、南城市、豊見城市、読谷村、多良間町

       (大阪府) 吹田市、堺市、高槻市、大阪市 (鳥取県) 北栄町

       (北海道) 小樽市、士別市、函館市 (岡山県) 岡山市

 ・平成23年 (埼玉県) 宮代町

 ・平成24年 (京都府) 宇治市、(奈良県) 広陵町

 ・平成25年 (島根県) 島根市、(京都府) 城陽市・宮津市

  立派な議員もいて、頑張っているのかも知れないが、国民には分からない。結果を出さず、政治家の評価は決まらない。だから、遠慮なく言わせてもらうこととする。

 「地方自治などと言う前に、もっとまともな政治をしなかったら、それは痴呆自治になってしまうのでないか。」「魂の抜けた議員と、居眠りばかりしているような議員は、税金泥棒と言われても仕方あるまい。」

 「居眠り以外にすることがないなら、せめてチャンネル桜の「朝日新聞を糺す会」に、名前の登録でもしたらどうだろう。」「その方がよほど、日本の未来のためになるというものでないか。」

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外務省に日本人はいるのか

2014-09-19 13:21:23 | 徒然の記

 「拉致問題国民大集会」の動画を見た。

 日朝首脳会談以来、12年が経つ。昭和45年に最初の拉致が発生した時からは、44年と言う長い歳月が経過している。政府が認定した家族の方々も、認定されていない拉致被害者の家族の方たちも、すっかり年を取り、亡くなられた方もいる。

 総数は、200名とも400名とも言われるが、家族の方たちの悲しい訴えを聞きながら、何というむごい事件かと胸が痛む。

 「これだけ多くの人間が拉致されたのは、日本に協力者がいるからなのです。」「朝鮮総連がかかわっていることも、分かっています。」「よど号事件の犯人が、自分がやったと本にまで書いています。」

 「私は聞きたいのです。40年以上過ぎているのに、」「日本では、たった一人の協力者も逮捕されていません。」「今でも国内にいるのに、どうしてなのでしょうか。」

 被害者の家族の素朴な疑問は、私も同じだ。多くの日本人が、共有する思いでもあるだろう。当時の社会党の土井氏などは、「そんなことはあり得ない。」と、頭から信じなかった。だから左翼の議員は、何度も北朝鮮を訪れながら、一度も拉致について言及しなかった。

 金丸信氏だけでなく、自民党の議員たちも訪ねているが、彼らも同じ穴の狢だった。

 私には、今更ながら不思議でならないことがある。
言うまでもない話だが、日本の官僚機構の堅固さと、官僚の優秀さである。ことの善し悪しは別とし、官僚の優秀さは明白な事実だ。「官僚政治を打破。考え、判断し、決定するのは政治家である」。拍手喝采の中で大見得を切り、国民の期待を負って誕生した民主党政権が、立派な証明をしてくれた。

 民主党は、反日・売国の政治を、国民の目に曝しただけでなく、官僚たちの優秀さと議員のお粗末さを、連日テレビの国会中継で全国に報道した。
民主党の大臣たちは、官僚のメモなしでは、解答ができなかった。あれだけ官僚を悪し様に言いながら、官僚の台本なしには、簡単な答弁一つ出来なかった。

 その優秀な官僚たちが、かくも長い間なぜ拉致問題に一瞥もくれなかったのか。
領土を守り、国民の安全を守ることが第一の役所なのに、拉致問題を、どうしてこれほど無視して来たのか。手のひらの中にいる議員たちに、説明もせず、提案もせず、報告もせず、だんまりを通したのか。

 朝日が繰り出す「暴虐の日本軍」と、「無謀な侵略戦争」という、自虐の糾弾を、黙って見過ごすことで、これを暗に奨励し続けたのはなぜか。朝日が、国民から厳しく追及されている今、外務省の在り方についても、同様の検証がいるのではないか。

 拉致のみならず、韓国の慰安婦の問題についても、外務省は、いったい何をして来たのか。韓国のねつ造と大ウソについて、在外大使館の大使や、外交官たちは何をしてきたのか。日本の国益のためと、韓国のウソの打ち消しをしたのか。

 それもせず、卑屈な談話を出してごまかし、無関係な話でもあるかのように、距離を置いたり、国民を悲しませて来たのではなかったか。

 何故か、なぜか。私はここで、一つの事実に行き着いた。
昭和60年、衆議院の本会議で、土井氏の質問に答えた小和田恒次官の、答弁記録がある。東京裁判を受け入れたわが国は、侵略国としての反省をし、中国・韓国・朝鮮等に対し、謝り続けるしかないと、確かそんな内容だったと記憶する。

 つまりこれは、巷に言われる自虐史観であり、日本のみが悪だったと言う、東京裁判史観だ。

 「日本と言う調和的な社会で、できるだけ事を荒立ないで処理したい。」

 別の件での氏の談話だが、これが外務省の、事なかれ主義を如実に示している。
こういう基本認識に立つ限り、拉致は愚か、慰安婦の問題も、尖閣も、竹島も、北方領土も、日本外交は手足をもがれたままになる。

 だから私は、拉致家族の人に成り代わり、国民の一人として声をあげたい。

 「外務省に、日本人はいるのか」と・・・。

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武村正義氏の談話

2014-09-15 13:30:03 | 徒然の記
 8月19日付けの千葉日報で、何年ぶりかに氏の写真を見た。

 たしか、細川内閣で官房長官、村山内閣で大蔵大臣だった。当時私は金権腐敗の自民党に嫌気がさし、細川内閣に親しみを感じ、ついでに武村氏にも好感を覚えていた。あの頃中国は尖閣諸島で日本を攻撃していなかったし、韓国も今日ほど慰安婦問題で悪意の言いがかりをつけていなかったから、武村氏が何を考えているのか気にかけていなかった。

 久しぶりに新聞で彼の談話を読み、こういう人物だったのかと、認識を改めた。
ネットも知らなかった頃の自分だったとは言え、見当違いの好感や親しみをおぼえていたことに感銘すら覚える。今の私は氏には好感どころか、嫌悪と侮蔑の念しか持てない。村山内閣当時の大蔵大臣だったと知れば、当然の主張と納得するが、彼の話の結論はこうだ。

 「村山談話の見直しは無理」・・・・。表題にまでなっている。
理由は、「完璧な文章で直しようがない」ときた。おいおい、そんなことかねと、新聞なのに思わず問いかけたくなる。「過去の植民地支配や侵略という言葉を外すことはできない。」「中国との戦争は、どう考えても侵略としか言いようがない。」なるほどと、これにも納得する。

 会社勤めで忙しかった頃、私は氏と同じ考えをしていた。侵略軍として中国を荒らした日本を反省し、中国に同情した。しかし会社を退職し、無限の時間を持てるようになった時から、私は疑問だらけの日本史を勉強したくなった。右も左もお構いなしで、私の読書は乱読だった。専門書、ドキュメント、自伝、評論等々、雑学の積み重ねだ。それでも当時の国際状況を知るにつれ、氏のように「どう考えても侵略戦争だった。」とは、断定できなくなった。

 氏は今年79才になるらしいが、老後の時間を無駄に使ったのだなと可哀相になった。謙虚に近・現代史を学習すれば、日本だけが悪であると言う史観が歪んだ思想と分かったはずなのに。

 「首相や自民党に対する支持は、結構はかないものだ。一年後同じ状況が続くとは思えない。」短命内閣の大臣だった体験から出る言葉だろうが、国民の意思をこれほど掴めない政治家だったのかと失望する。安倍氏の意見に踊らされて彼を支持しているのでなく、積年の思いを語るから国民が支持しているのだと言うこと。朝日が切り捨てるように私の意見は一部の保守なのか、しかとは知らない。だが、そんな一過性のものではないという気がしてならない。

 はかなかったのは、武村氏のようなポピュリストの政治家が作った内閣の話で、国民に迎合するだけの政治だったのだ。

「離れられない隣国を敵にまわすことはできない。昨年12月も靖国神社に参拝しなければ良かった。」敵対してくる隣国に、そんなら武村クンはどう対処するのか。靖国参拝を我慢してごめんなさいと卑屈になっておれば良いのか。

 靖国問題もかの朝日の記事が中国を煽動しなければ無かったことと、そんな事実も知らないのか。
極め付きは、千葉日報の記者の愚かな質問だ。「総理は国民の反発を招く政策を、なぜ進めるのか。」最後を飾る彼の返事が面白い。国民不在の、反日政治家らしい戯言。
「国民の反対を押し切って、安保条約を改定した祖父、岸元総理を崇拝して育ったからかも知れない。外交と安全保障で、大きく影響を受けている。」

 まだ惚ける年ではあるまいに、わざわざこんなことを言うため新聞に顔を出し、恥をかく必要があったのかと、憐れまずにおれない氏だった。

 朝日を止め、毎日を止め、地産地消と千葉日報にしているが、この新聞もどうやら左に傾いた新聞らしい。それでも止めないのは、朝日毎日ほど狂いまくっていないためだ。
控えめながら、時には政府に賛成する記事を出したりするから、気も惹かされる。千葉県のことが沢山書かれており、知事や地方議員の動向など知りたい要求が満たされる。
 
 この程度の左巻きなら、まだ我慢できると、私は、こういう具合に寛容な人間なのだ。千葉日報から、感謝状が来てもおかしくない。
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カトリックの神父さんたち

2014-09-13 23:02:14 | 徒然の記

 キリスト様を拝むのがプロテスタントで、マリア様に祈るのがカトリックだと、中学時代に歴史で習った。

 キリスト教については今も無知だが、伝統と格式のある宗教だから相応の敬意を払い今日まで来た。まして少年時代は西洋崇拝の色濃い時だったから、荘厳な教会の建物や絵画に憧れの気持ちすら抱いていた。

 少年の心のままで70年を生き、敬虔なキリスト教徒への好意を保持してきた私。深く考えなくても、教会の屋根に立つ十字架は愛と正義を象徴する崇高な印だった。

 つい先日、新聞の隅に不思議な記事を発見した。「9条にノーベル賞を 考える市民の集い 来月6日 習志野で」という見出しだった。
習志野市と市教委が後援するもので、中身はカトリック教会の神父光延氏の講演と、オペラ歌手立川氏の公演である。憲法改正を願っている私だから、9条にノーベル賞をなんて首を傾げたくなる運動でしか無い。

 あろうことか神父さんが、「なぜ9条にノーベル賞をなのか キリスト教の立場から」という表題で語るのだと言う。
カトリック教会の中心は、言わずと知れたローマ法王だから、キリスト教の総本山まてが日本に干渉し出したのかと、とても不愉快になった。この時期に何のため、法王は日本を困らせるような運動に手を貸すのかと、長年抱いて来た教会への敬意が一瞬のうちに消えた。

 政界、財界、教育界、法曹界、マスコミと、日本の隅々にまで反日と亡国の虫たちが生息し、日々日本を貶める作業に勤しんでいると怒りを燃やして来たが、宗教界までそうだったとは考えもしないことだった。 (創価学会もあるでないかと言われるだろうが、私の中で学会は宗教法人でなく、政治活動をする団体という認識しかない。)

 私の疑問を解いてくれたのは、何気なく目にしたベッラさんのブログだった。
引用されていたのは、「クライン孝子」および「クライン孝子の日記」であり、まさに目から鱗とはこのことで、私は呆れ返ってしまった。

 今年の7月28日に、「日本カトリック司教協議会」会長の岡田武夫大司教さんと、副会長の高見三明大司教さんが、バチカンを訪問し、「法王様の訪日を要請する書簡」を手渡したと言うこと。以前に同じ書簡を出しているが、返事がもらえないため、二回目の要請だったらしい。

 驚かされたのはその中身だ。「原発即廃止、脱原発」、「憲法9条にノーベル賞を」・・・・。認めて下さいなのか、ご理解下さいなのか。そこは分からないが、この二人の大司教がやろうとしていることは、国内にいる左翼運動家たちと同じ、反日の政治活動だった。

 今法王様は安倍総理からの訪日要請を受けられ、これには返事をされているが、二人の大司教の要請には返事が出されていないと言うことだった。背景にあるのは、日本のカトリック教会と朝鮮総連が平成17年に相互乗り入れを行ったことにあるらしい。
相互乗り入れが何を意味するのか、私にはよく分からないが、相互に協力すると言うことなのだろうか。

 平成13 年1月に、かの悪名高い反日番組「女性戦犯国際法廷」という、ドキュメントをNHKが放映し、大問題になった。主催が朝鮮総連で、後援がカトリック中央協議会だったから、こんな昔から日本のカトリック教会は反日組織と深い関係を持っていたのだ。

 ついでにネットで調べてみると、この番組を作ったのは、これもまた悪名高き反日団体「バウネットジャパン」だった。
「慰安婦問題」のねつ造情報をアメリカや他の国々へ拡散し、韓国では反日感情を高めさせているとんでもない団体である。

 クラインさんの情報では、日本のカトリック教会のすべてがそうなっているのでなく、一部の話だと注釈はある。けれどもどうなのだろう。日本に何人いるのか知らないが、大司教がこんなことをしているのでは、一部だなんてどうして信じられるだろう。

 「驚くべきことは、「女性戦犯国際法廷」を主宰した“VAWW-Net”揺籃の地は、カトリック教会の中枢にあった、ということです。」
ブログには大きな文字でこう書かれているが、獅子身中の虫がこんな処にもいたという事実に怒りと失望とを同時に味わった。以前にも書いたけれど、シーザーのように、「ブルータス、お前もか。」と、再度詰問したい。

 それで先日の新聞記事とつながるのである。大司教様が狂えば、光延神父が狂ってもおかしくはない。
天下の朝日だってトップが狂えば、下っ端の記者は馬車馬のようになり反日記事を書きまくる。神様の世界はそうでないと信じて来たが、おなじ俗世の神職者どもであったか。

 ちなみにこの光延氏は、上智大学神学部長であるとのこと。いったいどんな授業をしているのやら、同情すべきは学生たちだろう。かくしてまた、バウネットにつながる反日の人間が作られていくという構図だ。平和憲法だ、人権だ、戦争放棄だと、心地よい言葉に踊らされながら、日本はここまで敵対国に浸食されている。

 経済政策に合点が行かなくても、反日・左翼勢力に敵視される我らが総理を、支えずにおれない理由がここにある。

 今日は疲れた。
知ることは喜びであるが、知ることが苦痛である時もある。分かっているが、疲れるでないか。でも待てと、私の中のもう一人が言う。ご先祖様は、こんな外国との争いごとに弱音を吐かれたか。国の誇りを捨てられたか。

 刻苦勉励、臥薪嘗胆し、今日の日本を築かれたではないのか。おお、そうだと、合点する自分・・・・・・。こうなると、もう中学生の児童劇だ。笑ってしまいたくなる青二才の言葉。

 しかし私は、こんな自分を肯定する。幾つになってもめげないですむのは、この青臭い言葉と心があるからだと、こぼれそうな涙を堪えつつ、胸を張りたい。

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朝日新聞社長の記者会見

2014-09-12 10:42:33 | 徒然の記

 さして期待していなかったが、予想以上のお粗末な会見だった。
今日はもう、長くは書かない。書くだけの価値もない。

 かってのクオリティーペーパーの社長だから、知識や能力など優れた人物ではあるのだろう。しかし、氏には常識が無い。会社では、管理者のはしくれで退職した私みたいな凡人でも、それでも常識は持っている。

 軍による強制が無いのなら、「慰安婦問題」は、ただの「売春婦問題」となる。世界中どこの国にでも抱えている、やっかいな問題。
これが凡人の常識だ。売春婦問題と言うのなら、69年前の日本のことだけでなく、朝鮮戦争時の韓国のこと、ベトナム戦争時の韓国兵の女性への暴行や虐殺について、なぜ語らないのか。スーパーの大安売りの広告みたいな見出しで、日本にしたように、なぜ記事を書かないのか。

 今のことより、遥か昔のねつ造話の方が重大なのか。馬鹿も休み休み言うがいい。どっちも重大さに変わりがあるものか。
会見して頭を下げたからと言って、慰安婦の像が米国から消えるのか。クマラスワミ報告が訂正されるのか。韓国でも国連でも、一度公式に発表してしまったら、関係者は訂正しないということ。大上段に振り上げたウソの否定をするなど、みっともなくて引っ込みがつかない。これも常識だ。

 何度も言いたくないが、私は50年以上朝日新聞の定期購読者だった。親の代からそうだった。今となれば、恥ずかしい話だ。大会社の社長ともなれば、本音で語れるほど単純な話でないのかもしれない。会見の場で建前しか語れないことも、理解する。

 だが理解することと、許すことは別物だ。国民の一人として、「社長の杜撰な会見でも許せる」という気持ちにはならない。矢張り朝日は倒産するしかなく、社長は国会喚問しかない。これが常識というものだろう。

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書き漏らしたこと

2014-09-10 13:19:11 | 徒然の記

 ここで止めようと、昨夜は思ったが、朝を迎えて元気になり、気が変わった。
清張氏の「昭和史発掘-2」の中の一編に関し、どうしても書き留めておきたいことがある。

 昭和4年3月の、共産党員検挙のドキュメントの中で、公開裁判にかけられた佐野学の言葉がそれだ。検挙時の最高幹部の一人である彼が、国民や同士に呼びかけたものだと言う。面倒なので多少省略し、書き写してみたい。

 1. 自分たちは、労働者・農民の前衛として闘っている。
 2. 共産党は国賊でなく、ブルジョア独裁を覆し、プロレタリア独裁を目的とする

   政党である。
 3. 労働者には祖国は無く、世界のプロレタリアが祖国で、その前衛はソビエト 

   ロシアにある。ロシアのコミンテルンこそ、世界労働者の幸福をもたらす、

   世界革命の最高司令部である。
 4. 他の社会主義政党は労働者の味方でなく、共産党のみが労働者の味方である。
 5. この裁判はブルジョアの利益を守るが、労働者の利益は決して擁護しない。

 共産党の定義として、佐野学の言は現在でも受け継がれているということらしい。
首を傾げたくなるような意見もあるが、私は無下に否定しない。佐野が裁判で主張を展開した当時は、政府が、平気で共産党員を刑務所へ送り、拷問もやり、死へ追いやることだってした時代だ。

 今なら彼の言葉を。笑止と無視することもできようが、命がけでだった佐野の思いを斟酌すると、歴史的主張として聞くだけの価値はある。

 その上で、2の項目を検証してみよう。ブルジョア独裁を覆し、プロレタリア独裁を可能にした国が、現在世界のどこがあるのか。共産党員たちにすれば、ソ連と中国、北朝鮮などを言うのであろうが、いったいこれらの国が、どのような幸福を国民に与えているというのか。

 ブルジョアであれプロレタリアであれ、政権を取ってしまえば、「権力は腐敗する」。このひと言である。だから私は、自民党にだって警戒を怠らない。

 私が、どうしても書き残したかったのは、3項目目の定義だ。
野坂参三の本だったと記憶するが、祖国を捨てた経緯が書いてあった。本人の話によると、主義に準ずるため、祖国日本を捨て、ソ連に行き、ソ連を捨て中国へ来たと、おぼろな記憶だが、そんな内容だった。

 つまり、共産主義者とは、祖国日本を捨てた人間たちなのだ。彼らはロシアのコミンテルンが、祖国だと言う。世界の労働者の幸福をもたらす、世界革命の最高司令部だと、筋金入りの共産党員は、かって信じていた。ソ連が崩壊した今、彼らの祖国は、レッドチャイナになったのだろうか。

 時代錯誤と笑っても、笑えない事実が今もある。有田ヨシフという人物がいるが、親がつけた日本名があるだろうに、わざわざこんな名前を、自分で付けた国会議員だ。ソ連の独裁者であり、暴虐の人である、ヨシフ・スターリンの名前を拝借して付けている、と言う。

 彼は今でも、国会で反日の演説をし、在日朝鮮人へのヘイトスピーチを止めろと、日本攻撃をしている。

 読後の感想として、どうしても書き留めておきたかったのは、ここである。松本清張氏の「昭和史発掘」は、死んだ歴史でなく、現在の日本で立派に息づいていると言うことだ。有田議員だけでなく、反日・売国の左翼主義者たちが、日本を貶め、攻撃している原因がここにあると、私が言いたいのはそれだ。

 朝日新聞の問題も、根っこにあるのは、祖国を捨てた主義者たちの妄想にすぎない。

 怒り狂って、アメリカのマッカーシーのような、魔女狩りをしてはならないが、松本清張の冷静さを見習い、国に害をなす獅子身中の虫たちを、放逐する工夫をすべきでなかろうか。

 数が少なければ、共産党だってヤクザと同様、「必要悪」として、社会に存在する価値がある。金権腐敗の政権与党を牽制する勢力として、存在する意味がある。しかし、如何せん、その数が多すぎる。

 マスコミは言うに及ばず、政界、官界、学界、法曹界と、切りがないほど、党員予備軍と親派がいて、どこに司令塔があるのか知らないが、声を限りに日本批判をしている。

 私たち国民が、反日マスコミにたぶらかされ、選挙で反日議員を選ぶからそうなるのである。私たちが賢くなり、国を大切にする気持ちを取戻せば、政治は変わる。だからそろそろ、目を覚ましましょうと言いたい。

 ああ、これでスッキリしました。

ここまで書かなくては、何のために松本氏の本を読んだのか、全く意味がないというものでしょう。

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昭和史発掘 - 2 ( 清張の俗世を生きる逞しさ )

2014-09-09 20:45:33 | 徒然の記

 猛暑が去り、涼風の秋がきた。
冷房の電気代に悩まされることが無くなり、年金生活者にはこの上なく有り難い季節の到来だ。

 松本清張著『昭和史発掘-2』を、心地良い涼しさの中で読み終えた。内容はNO.1と同様に、3編に別れている。

    1. 芥川龍之介の死 ( 昭和2年 )
    2.  北原二等兵卒の直訴 ( 昭和2年 )
    3. 3.15共産党検挙 ( 昭和4年 )

 芥川の自殺は太宰治の情死と共に有名でも、詳細は知らなかった。次の「北原二等兵卒の直訴」と「3.15共産党検挙」については、初めて聞くことばかりだった。だから、氏の作品も私の知識の空白を埋めてくれる貴重な本だった。

 共産党員の全国的検挙は昭和4年だが、共産党の活動が正式に開始されたのが昭和元年頃からなので、3編とも同じ時期の話である。
昭和2年は金融恐慌に端を発した大不況の最中で、巷に失業者があふれた暗い年だ。

 24才で華やかに文壇に登場し、36才という若さで命を絶った芥川は、「ぼんやりとした不安」という言葉を残して逝った。奇才、天才の名をほしいままにした彼の言葉だから、周囲の者は「ぼんやりとした不安」の中身を懸命に探った。

 発狂への恐怖だとか、多病による厭世からだろうとか、様々な分析が行われた。芸術至上主義の彼は、自然主義の作家のような作品が書けなかったという、文学上の行き詰まりという説、いやそうでなく勃興しつつあるプロレタリア文学への敗北感だろうとか、ある限りの主張を氏が紹介してくれる。

 で、氏は有力なこれらの説を取らず、人が重要視していないというか、故意に無視した説を、得意の客観的文体で淡々と展開する。つまり彼の死は「女性問題」と「家庭の桎梏」から来ると、分析してみせる。おそらく他の人々は、世間に広まっている芥川の芸術家としてのイメージを傷つけまいと、その配慮を優先させたのだと思う。

 門外漢の私にすれば、どの説も可能性があり、どれもが関連して彼を死に追いやったと思うのだが、氏は決して妥協しない。最後の作品となった「ある阿呆の一生」と「歯車」を参照しつつ、文壇での彼の交友関係、彼の行動、彼の言葉などを、積み上げていく。

 要するに氏は、一人の弱い人間としての芥川を読者の前に容赦なく曝し、特別な人間の死ではないことを証明して見せる。

 私は氏の作品を読んで、不愉快にもならず眉もしかめなかった。普通の人間がこの内容で書いたら、悪意の暴露か卑しい個人攻撃に堕しただろうに、彼の作品はそうなっていない。感情を抑えた文章というだけでなく、冷たいまでに落ち着いたリアリストの目がある。やはり彼はたいした作家だと脱帽する。

 自然主義やプロレタリア文学に負けるような芥川ではなく、本気で相手にしていなかったはずと氏は言い切る。芸術至上主義の彼は、俗世を渡る逞しさの不足から死を選んだと説明し、対極にいる菊池寛や谷崎の心身の頑健さについて語る。

 だが私は、俗世に負けず逞しく生きた松本氏自身の、本音を聞くような気がしてならない。学歴は高等小学校卒しかなくとも、貧乏の日々にもめげず、大家と呼ばれるまでにのしあがった彼の生活力。そんなことはどこにも書かれてていないが、言外の主張として感じ取った。

 笑ったり楽しんだり、彼の作品にそんな味はないが、読ませてくれる文の力がある。芸の無い話だが、面白かったと、そう言うしかない。

 さて、後の2編の感想を書くスペースが無くなってしまった・・。残念だが、ここでやめよう。

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