平成26年9月28日、土井たか子氏が亡くなった。
忘れもしない、昭和61年に彼女は、社会党の委員長になった。三年後の参議院選挙では、彼女の魅力に惹かれた女性票を引き寄せ、多数の若手女性党員を当選させ、いわゆる「マドンナ旋風」で、マスコミの話題をさらった。
当時の彼女は自信に満ち、満開の薔薇のように輝いていた。新聞やテレビが追いかけ、彼女の詰まらない言葉でも取り上げて称賛した。「駄目なものは、駄目。」「やるっきゃ、ない。」「山が動いた。」「ここで引いたら、女がすたる。」
彼女の言葉は、即座にマスコミが取り上げ、流行語になった。女性で初めての衆議院議長にもなった。
彼女には、左翼の人間特有の陰気さや、堅苦しさ、あるいはへんな理屈っぽさがなく、好感を抱かせられた。当時の私は、企業戦士の一人として、月月火水木金金の毎日だった。もちろん家族のためだが、仕事なら何でもやると、そんな意気に燃えていた。新聞は、一面の見出しくらいしか読まず、テレビはほとんど見なかったから、政治にも特に関心を払わなかった。
だから、彼女に好感を覚えたりしたのだろうが、今の私の印象は、「左翼の荒れ野に咲いたあだ花」という処か。
先日ブログに書いた武村正義氏と同様、政治に無関心だった頃の「好感」など、恥ずかしいほどの誤解と、無知の産物でしかない。今となっては、私が切実に願っている「憲法改正」や、「戦後体制」からの脱却の前に、度し難い壁として立ち塞がっていたのが、彼女だったと知る腹立たしさだ。
「駄目なものは、駄目。」と言う言葉は、「憲法9条」を死守する彼女が、述べたものだ。いかにも彼女らしいフレーズで、理論など無く感情そのままの荒っぽさだ。短い言葉で思いを語り、劇場型政治家などと、小泉氏がもてはやされたが、今にして思えば、彼女の方が先駆者だった。
今の私には、彼女が日本に残した功績は何も無く、社会の害となる、負の遺産を沢山残したという怒りの方が強い。反日と売国の言動を繰り返し、日本のことはお構いなしで中国や韓国・北朝鮮を大事にする、あの福島みずほや、辻元清美を育てたのは彼女だ。
他人の意見に耳を貸さず、自己主張だけする醜い議員である、福島・辻元両名は、彼女の意思を守るため、政界で頑張っていると言う。何という恐ろしい話か。
自虐史観を大事に抱え、日本の歴史を貶めて恥じない、左翼政党の人材を育てた罪は、どうしたって消せるものでない。北朝鮮を大切にし、拉致問題を認めず、たとえ拉致があったとしても、日本の戦前の償いの方が先だと、そういう意見を持っていた彼女だ。
今朝のNHKの番組で、かって土井氏の番記者をしていた、という人物が出演し、無闇矢鱈と彼女を褒め、懐かしがっていた。
「こいつは、馬鹿か。」と、本当に軽蔑した。
拉致問題で北朝鮮との交渉が難航していると、同じニュースで語られている時だと言うのに、拉致家族の気持ちなど、何も考えていない記者だった。というより、こうなるとやはり、朝日新聞と同様に、NHKの体質なのだ。(日本人の心を忘れた組織)
死者に鞭打つ愚行をしてはならないが、必要以上の賞賛は止めるべしと私は思う。まして、NHKなら。
千葉日報に登場する、彼女への賞賛者は、武村正義、村山富市、江田五月だ。こう言う人物が誉めるのなら、私はまだ納得する。反日・売国同士で、いくらでもそうすれば良い。森元総理の哀悼の言葉が、私にはスッキリする。
「シャンソンとワインが好きな、とても明るい人で、人間的な魅力があった。」
社会党の千葉県連、小宮律子氏の哀悼の言葉に比べると、「小市民的」土井氏を語る、森氏の方が、労働貴族の姿を彷彿とさせる言葉で、ずっとユーモアがある。小宮氏は、左翼らしく、紋切り型の追悼だ。
「平和憲法を守ると言う、強い意志があり、弱い立場にある人々に対する、思いやりがあった方です。」
ならば、拉致被害者の家族は、その弱い人々に含まれないのか・・。私は、すぐにも小宮氏に問い返したくなる。
申し訳ないが、私には、NHKのような哀悼の意が、彼女に捧げられない。
「左翼の荒れ野に咲いた、あだ花」と、せめて花に喩えただけでも良しとし、これ以上の贈る言葉は思いつかない。