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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

鄧小平のいない中国

2015-09-30 08:11:40 | 徒然の記

  小島朋之氏著「鄧小平のいない中国」(平成7年刊 日本経済新聞社)を、読了。

 氏は、昭和18年大分県に生まれ、現在慶應大学の教授である。平泉渉氏の動画を見た時と、同じくらいの衝撃を受けた。日本の生存を脅かす大国が、隣にいるというのに、日本は、中国を知らなさすぎる。危機意識が無いと、平泉氏が鳴らした警鐘を改めて思い出した。

 毛沢東は「民族の解放」で中国のカリスマとなり、鄧小平は「経済の解放」でカリスマとなった。次にカリスマとなる者がやることは、「政治の解放」だと、小島氏が中国人の言葉を引用しているが、江沢民も胡錦濤も、そして習近平にも、とうとうそれがやれなかった。

 「政治の解放」こそが中国のアキレス腱であり、国を混乱させている根本原因だ。それはちょうど、矛盾に満ちた日本の憲法が、国内の混乱の火種となっている現状に良く似ている。

 中国では、建前としている社会主義が、日本では建前の平和憲法が、現実と乖離してしまい、どんな工夫をこらしても矛盾が生じ、互いの国民を右往左往させている。本当は、同病あい憐れむという状況にある、隣国同士なのだ。

 横暴な中国だと嫌悪したり、憎しみで反撃したりと、どうやら、もうそんなことで済まされない時が来ていると、本気で思わされる本だった。

 何十年前だったか忘れたが、鄧小平が訪日したおり、の熱狂的な歓迎ぶりと、マスコミの熱い報道を、私は昨日のことのように思い出す。そこから始まった日中の蜜月時代を、1995年に出版された氏の本から引用してみたい。

 「経済関係も順調で、今後も、対中経済協力は拡大しそうである。」「1993年以後、日本は、香港を追い抜いて、中国にとって最大の貿易相手国になっている。」「直接投資も、94年末の累積で、契約ベースでは、香港、台湾、アメリカについで第4位であるが、実施ベースでは第2位である。」

 「政府の経済協力についても、これまで三回にわたり、円借款130億ドルを、中国に供与してきた。」「内訳は第一次(1979~1983)が、3309億円。第ニ次(1984~1989)が、4700億円。第三次(1990~1995)が、8100億円である。」「さらに三次にわたる、輸銀の資源開発ローン、輸出基地開発計画などが、別途供与された。」「日本の対中政府資金供与は、いまや世界一であり、中国が得た公的な対外借款の、40%近くを占める。」

 こうした具体的な数字を、初めて知った。驚いている私に構わず、氏はさらに続ける。

 「日本はこうしたかたちで、中国の経済の発展と、開放化に大きく貢献してきた。」「日本は今後もなお、こうした役割を果たすつもりである。」「1996年から始まる、第四次円借款の供与は、その決意の表れである。」「中国側からはこの5年間に、上海・北京間の新幹線建設、上海国際空港の建設など、」「社会資本整備を中心に、1兆5000億円を、非公式に要請していたらしい。」

 中国は、こうした日本からの援助について、国民には何も知らせていない。中国の国民に報道されていれば、現在行われているような、ひどい日本批判を彼らは出来たのだろうか。

 だが、一方日本国民にも、このような事実が知らされていない。いくら戦争で荒らした国だったとはいえ、日本政府は、どうして堂々と国内外に事実を発信しなかったのか。政府には、それができない事情があったのだろうか。

 借款をめぐる交渉で、日本が問題にすべきは、借款供与と軍事力の関係であった、と氏が述べる。中国は、当時6年続きで、軍事費を増加させており、軍事力の増強を図っていた。しかるに1990年に訪中した海部首相は、「ODAの原則を理解してほしい。」と述べただけで、軍事費の抑制には言及しなかった。東南アジア諸国の懸念も踏まえ、軍拡への注意を喚起すべきだったのに、懸念を言及するに留まったらしい。

 「1994年には、日本政府の抗議にもかかわらず、中国は2度にわたって、核実験を強行した。」「ところが、第四次円借款の交渉は、第三次に比較して、年間43%の増額になった。」「こうして中国は、ついにインドネシアを抜いて、日本の最大の援助対象国になった。」「1995年1月に訪中した武村蔵相は、さらに20億ドルの、輸銀ローンの実施も約束したのである。」

 氏の説明によると、中国との蜜月関係をダメにしたのは、李登輝総統の訪日問題であったとのことだ。広島で主催されるアジア競技大会に、政府が来賓として李登輝氏を招待したことに、中国が激しい反発をした。二つの中国を認める結果になるので、江沢民が辛辣に批判した。

 「台湾の、政治的な独立は認めない。」「中国と国交のある国々が、台湾のハイレベルの指導者を受け入れることは、歓迎しない。」

 そして江沢民は、「日本はかって、中国に大きな災難をもたらした。」と述べ、日本の負い目を確認した上で、「歴史に対する反省を踏まえて、中国との友好関係を、発展させなければならない。」と結んだ。

 そういうことだったのかと、理解した。お人好しの日本の政治家たちが、「歴史認識」と言われるだけで、萎縮してしまうから、中国を慢心させたのだ。20年も前から、水戸黄門がかざす印籠のように、「歴史認識」のフレーズに震え上がっていた政治家たちだった。

 金だけむしり取られ、礼も言われず、何の友好も育てられず、政治家は、いったい何をしていたのかと、聞いてみたくなる。自民党だけでなく、細川内閣も、村山内閣も、首を揃えて、平身低頭だったのだから、今日の中国の横暴があると分かった。

 鄧小平のいなくなった中国を、何のカリスマ性もない江沢民が、果たして統治できるのかと危惧されていたが、なんと日本がバックアップしていたのだ。日本から大金を引き出す力と、日本を震え上がらせる力を国民に見せつけ、江沢民は政治的基盤を強固なものにした。

 氏の本には、具体的に書かれていないが、現在の中国と日本の状況を見ていれば、それくらいの推測は、私にもつく。

 経済発展するまでは、日本を重要視していた江沢民だが、今となっては、従属国くらいにしか見ていない。東西冷戦の時には大切にしたが、それ以後は、かって日本を統治した支配者に、本家返りしている厄介なアメリカと、どうやら似た姿をしてきた中国でないか。

 香港の中国返還に際し、江沢民の中国とバッテン総統の交渉が、どんなものであったかも、この本で初めて知った。イギリス側の主導で、交渉がされたとばかり思っていたが、事実は逆だった。イギリスの意向も提案も無視し、中国は強引に自己主張をし、自国の利益を前面に出し、何も妥協しなかった。

 かっての大英帝国ですら、鼻先であしらうように対応した中国は、こうして過去の歴史の報復と、清算をしたのだ。日本の政治家が手玉に取られても、不思議はない。


 だからここでも、私は平泉氏の言葉を、何度でも、反芻する。

 「アメリカも中国も、国益のためならなんでもやる国です。」「いい時はいいでしようが、いったん対立すると怖い国ですし、危険な国です。」「大国の意思一つで、小国がどうにでもなる。これが国際社会ですね。」

 「だからヨーロッパでも、アジアでも、大国に挟まれた小さな国は、必死なんです。」
「国の生存がかかっているという、危機意識が、戦後の日本人には、無くなってしまいましたね。」「アメリカと中国という、巨大な覇権国の間に挟まって、日本はどうすればいいのか、こんな危機意識が、政治家にも国民にも欠けています。」

 日本が、こんな状況にあるというのに、国の守りさえ考えない、お花畑の人々がいる。中国とアメリカの姿を知ろうともせず、憲法さえ守れば、外国は何もしないと、能天気な戯言を言う人間がいる。こんな人間と一緒になり、騒ぐ「腐れマスコミ」がいる。反日・売国の、野党の政治家がいる。自民党にも、獅子身中の虫がいる。

 こうした日本で、平泉氏の言葉を伝えていくには、どうすれば良いのだろう。ミミズの思案には、余ることか。

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私の提案「青年の日」

2015-09-26 19:17:53 | 徒然の記

 今年、自治会の役員になった。

 32名の班長の中から、くじ引きで会長と副会長といった役員が選ばれる。宝くじは当たらないのに、役員のくじ引きは当たり、副会長になった。

 昔は町内会と言っていたが、現在では自治会という。道路が傷んでいる、ゴミ置場のネットが破れている、近所の庭木が通行の邪魔をしているなど、班長を通じていろいろな要望が寄せられてくる。

 会長と手分けし処理するのだが、処理しても、ありがとうと言われたことがない。私も同じような礼儀知らずだったので、当番制だから、こんなものだろうと割り切っている。しかし、だんだんと割り切れないものが生じてきた。

 きっと良いことなのだとは、思うけれど、日本が世界の長寿国となり、女性は連続3年間で世界一、男は世界第3位だ。

 世界でもそうなのか、知らないが、日本では、毎年「敬老の日」のがくる。当たり前の話なので、これまで特に、何も考えず過ごしてきた。

 やることと言えば、郷里に住む母に、感謝の気持ちとして、多少のお金を送ってくらいのことだった。94歳の母は、どこにも出かけないし、欲しい物もないし、使うことがないから、送らないでと結構と言ってくる。けれども、長年の習慣なので、やめるわけにいかない。感謝の気持ちもあるが、私の場合は、親不孝にふさわしくない惰性でもある。

 72才の息子が、94才の母親の「敬老の日」を祝う ・・? 苦笑しながら、お祝いをしてきたが、副会長になった今年、は当たり前の「敬老の日」が、「これで良いのかと考える日」になった。

 毎年、地区の社会福祉協議会が中心となり、小学校の講堂で、盛大な「敬老の日のお祝い」が行われる。自治会が協力し、案内状の配布や前日の会場作りや、当日の受付、案内などを担当する。

 飾り付けられた会場では、市長や各種団体の会長や、学校長などが入れ替わり挨拶し、とても退屈な時間が空費される。退屈な各種団体の長の話が終わると、小学生の合唱や演技が行われ、食事の時間となる。

 決まり切った、例年の式次第だ。7、8年前までは70才以上が、招待される老人だったが、さすが世界の長寿国になった現在は、72才以上でないと、老人に入れてもらえなくなった。

 私は72才と自称しているが、数え年の勘定なので、法に厳しい市役所は、私を71才と区分している。・・、こんなことは、つまらない余計な話なので、本題に戻ろう。

 さて、私が自治会の役員となり、ボランティアの世話役として式場に臨み、退屈な挨拶の間に考えたこと。これこそが本題なのだ。

 市長の挨拶も、参考になるので、紹介したい。
「本日は、お元気な皆様のお姿を拝見し、ますますのご健勝を喜び、」「心からお祝いを申し上げます。」「わが市では、100才以上の方が、75名もいらっしゃいます。」「目出度いことです」「これからも皆様が、いつまでも、健康で過ごされますことを、お祈り申し上げます。」

 長寿社会を祝いつつ、将来への心がけを述べる、市長の話を聞きながら、受付のテーブルに置かれた、一覧表を眺めた。正確な数を知らないが、「敬老の日」の祝賀行事は、私の自治会を含め、複数の地区が共同で開催している。

 表を見ると、72才以上の住民が576名で、出席者が186名となっていた。さして広くもない地域に、これだけの老人がいるのだから、確かに高齢化社会になっていると、実感した。

 改めて周囲を見回すと、会場の世話をしている、私たちのようなボランティアも、挨拶をしている来賓者たちも、みんな年寄りばかりだ。祝辞を述べている来賓者の方が、招待された老人より、年配だったりしている。杖をついたり、車椅子に座ったりしている老人もいるが、概して皆、健康で明るく談笑している。

 足腰が少し弱ったとはいえ、私だって、精神年齢は40代だ。老人だなんて、自分では思っていないし、来年招待状が来ても、無意味な行事に参加するものかと、粋がっている。

 つまり私の提案は、時代がここまで変わった今、「敬老の日」の行事は、見直されるべきでないのか、ということだ。若者を凌駕する数の老人が増え、しかも元気で朗らかなのだとしたら、大事にすべき対象は変わるのではないか。

 むしろ、不安定なパートやアルバイトをし、ブラック企業に、低賃金で酷使されている若者こそが、大切にされるべきでないのかと、しみじみ考えた。

 年金暮らしのやりくりだとか、倹しい暮らしだとか、贅沢な苦情をもらしているが、満足に結婚もできず、子供だって作れない若者を、大切にする日こそが、明日の日本のために必要でないのか。

 人生が50年だった昔なら、70才まで生きれば長寿だったろうし、希少価値もあっただろうが、ここまで老人があふれ、祝っている方も、祝われる方も老人ばかりとなってしまった今、このままの「敬老の日」では、申し訳ない気がする。

 日本中が大真面目に、建て前の喜劇を演じていると、思えてならない。「元気な老人が、介護の必要な老人に、手を貸す日」とか、「みんなで生き生き、介護の日」とか、老人同士が、相互扶助する仕組みを考える時が、来ていると思えてならない。

 いっそのこと、元気な老人が集まり、世知辛い世を生きる若者を励ます、「青年の日」を作ったらどうなのだろう。

 年寄りの冷や水ではないが、老人だって、こうなればもっと元気が出てくるし、社会への参画意識が生まれ、更に若返るはずだ。地区の若者が集まり、地区の老人たちと語り合い、食事をし、その中から新しい何かが生まれる・・・と、そんな楽しい夢もふくらむ。

 新しい長寿社会を迎えるのだから、新しい試みが生まれて、なんの不思議があろう。世界に先駆けて日本がやれば、すぐそこで、老人大国になろうとしている、中国や韓国だって、見習わずにおれないだろう。

 と、まあ、こんなことを考えた。自分では、素晴らしい着想と思っているが、一晩たったら気が変わるのかもしれない。気が変わらぬうちに、楽しい気持ちでおられるうちに、ブログにしてしまおう。

 これぞ本当に、「みみずの戯言」だ。笑わば笑え。


 

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ライシャワーの日本史 - 3

2015-09-24 14:59:44 | 徒然の記

 昨日と打って変わった、曇天の日和だ。一面の薄雲が日の光を遮り、私の気持ちまで暗くする。

しかし、昨夜決めたのだから、気分をかき立て、ライシャワー氏の叙述を追うとしよう。

 「新憲法の中で、最も注目すべきものは、第九条が掲げる、戦争の放棄、という規定である。 」「この規定は、日本を永久的に武装解除しようという、アメリカの狙いとも、」「また、かって国中にはびこった、軍国主義に対する日本人の反感とも、合致するものであった。」

 昔なら同意して読んだであろうが、今は、氏の説明を鵜呑みにできない自分がいる。
氏の著書は、最初からそうだが、半分の事実と半分の虚構がある。軍国主義に対する国民の反感と合致したと、説明しているが、後段で氏が述べる、次のような事実が背景に隠れている。

 「軍国主義者と、天皇中心論の保守主義者が、不名誉な敗北を喫した時、」「一般の日本国民は、社会主義者や、共産主義者の批判が正しかったのだと考えた。」「アメリカの占領は、思想界を、社会主義者と共産主義者の牛耳るままに任せ、」「その左翼思想が雑誌、新聞、大学教員、学生団体を席巻した。」「小中学校の強力な教職員組合は、おおむね極左勢力が、支配するようになった。」

 現在保守の人々が嫌悪して止まない、反日・売国の人間は、この時から力をつけていたのだ。GHQがした強力な報道規制のため、軍事にからむ言動が禁止され、代わりに左翼的主張が放任され、「腐れマスコミ」の横行が、ここから始まっている。

 いわばこれらの人間たちの存在は、占領軍の置き土産なのだ。人殺しは嫌だ、戦争はもう沢山、平和こそが素晴らしい、人間の命は尊いなどと、美しい反戦の言葉が、国民に浸透して行ったのは、GHQの力があったからだ。こんな歴史の事実を、国防意識を失ったお花畑の人々に、知ってもらいたいものだ。

 「日本を、軍事的に弱体化するには、政治制度の民主化が必要だという認識は、」「アメリカ人にとって、自明のことであろう。」「だがそれよりも、アメリカ人が、民主的改革の基盤づくりのため、」「日本の経済と社会を、徹底的に変質させようと考えたことは、むしろ驚きに値する。」

 「アメリカ人が、およそアメリカ人らしからぬ、革命的情熱を日本で燃やしたのは、なぜだろう。」「よく聞かされる説明は、日本社会は極めて悪質だから、荒療治で臨まなければ矯正できない、という説であった。」

 「この弁明は、ある点では、無知がもたらした結果であり、ある点では、マルクス主義的な解釈によるものであった。」

 こうして、米国の事情を率直に批判するから、多くの日本人が、氏を「親日派」などと誤解したのだ。後に続く氏の主張を知ったら、それでも親日派だと信じる人間は、果たして何人になるのか。

 「しかし診断がいかに間違っていようとも、この薬は結果的にな、かなかの効き目を見せた。」「マッカーサーは、アメリカが生んだ、最も過激な、社会主義的と呼んでもいいくらいの指導者と化し、」「目覚ましい成功者の一人となった。」

 「革命的変革というものは、どこかよその国が、有無を言わせぬ軍事力を背景とした方が、実現はたやすいのである。」

 この高慢な意見に対して、私は、新聞記者ゲインに抱いたのと同じ怒りを覚える。しかも、氏はまたしても、重要な事実を故意に語っていない。

 アメリカ人が、なぜ日本で革命的情熱を燃やしたのかと、不思議そうに語るが、不思議でも何でもない。当時マッカーサーの側近の中には、多くの共産主義者たちがいて、民主化という名の下に、日本を共産化の実験場にしていたからだ。

 今では多くの日本人が知っているのに、反日・売国のマスコミと、学者や政治家たちが国民への説明を拒んでいる。

 1950年代に、アメリカで、マッカーシー旋風が吹き荒れたことを思い出してみよう。レイモンド・マッカーシー議員が、「国務省には250人の共産党員がいる。」と主張し、アメリカ国内が激しく揺れた。

 政府職員やマスコミ関係者や、著名な映画人など、アメリカ社会の全般にわたって赤狩りの嵐が吹き、自殺者や追放者や密告者などが、ニュースを賑わせ、国家反逆罪やスパイ容疑で徹底的に糾弾された。

 マッカーサーの配下にいて、日本への荒療治を断行したのは、こうした共産主義者たちだった。自国では、非情なまでに共産主義者の追放をしていながら、日本ではそのまましていたアメリカ・・と、これが氏の語らなかった重要な事実だ。私が、氏の著作を評価しない理由が、ここにある。

 おかげで反日・売国の勢力は、現在も日本の隅々にはびこり、社会に騒擾の種を蒔き続けている。いわゆる「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」である。


 だがもう、こんなことはいくら述べてもキリがない。それより昨日発見した「平泉氏との共通点」について語りろう。そっちの方が、少しは前向きな話だ。

 忘れもしない、これが亡くなられた平泉氏の切実な主張だった。
「今の日本は、時代の流れとして、国民が英語をやらねばならなくなっています。」「書物を理解するための英語でなく、日本人の意見を、世界に発信するための道具としての英語なんです。」

 ライシャワー氏の叙述の中に、この事実が証明されている。
「当時の日本政府の最大の仕事と言えば、アメリカ側と折衝し、」「占領政策に影響を与えるよう、努めることであった。」「この任務を遂行するうえで、堪能な英語力がものをいったから、占領下の首相のうち一人を除いて、」「幣原、吉田、芦田と三人までが、外務省出身者であったのも、偶然でない。」

 当時から、意思を発する道具としての英語力無しでは、政治家が務まらなかったという事実だ。( 余計なことだが、除かれた一人とは、英語の喋れなかった鳩山氏であり、ルーピー鳩山元総理の、祖父である。)

 本の最後に書かれた氏の意見を引用し、そろそろ終わりとしたい。

 長い文章なので、省略し、割愛し、自分に都合の良い部分だけを書き抜くこととする。創作だと氏に抗議される可能性もあるが、虚実をない交ぜにした、この著作の全体を思えば、これくらいのことは許されていいような気がする。

「日本人が、みごとな組織化能力を発揮してきたことを思えば、」「日本が、世界の中で、重要な役割を果たす可能性は、大きかった。」「しかし日本人は、際立った独自性を持つ言語と、日本人独特の控えめな態度、」「あるいは対人関係にみせる、特有の流儀に阻まれて、他国民と打ち解けた交際をするのが、概して下手であった。」

 「日本が、指導的な役割を果たすうえでは、もちろんのこと、世界のもろもろの問題解決に参画し、役立っていくためには、」「これまで以上に、意思疎通に熟達し、他国民との共同体意識を持つことが、求められている。」

 私はラ、イシャワー氏の言葉の向こう側に、平泉氏からの熱い訴えを聞いた。


 「今の日本は、時代の流れとして、国民が英語をやらねばならなくなっています。」「書物を理解するための英語でなく、日本人の意見を、世界に発信するための、道具としての英語です。」

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ライシャワーの日本史 - 2

2015-09-23 23:03:05 | 徒然の記

 秋の日暮れはつるべ落としと言われるが、巡る季節の速さを実感する。

 酷暑だった夏の日を思えば、ほっと一息つく朝夕の涼しさだ。涼しくても、鳥は水浴が好きなのか、気持ちよさそうに、バードバスで羽を打ち振るわせている。毎日のように来ていたヒヨが姿を見せなくなり、シジュウカラとヤマガラが来ている。赤みを帯びた茶色の胸に、黒っぽい羽のヤマガラは、地味な猫庭ではとても目立つ。鈴なりに成ったエゴの実を求め、毎日つがいで訪れる可愛い鳥だ。

 さてライシャワー氏の本に戻ろう。「敗戦後の日本」の章を読んでいる。氏の目から見た当時の日本人が、遠慮なく描写されている。

 「日本の指導者が、国民を、悲惨な袋小路に引っ張り込んでしまったことは、」「疑問の余地がなかった。」「国民感情の振り子は、伝統的な日本的価値の思考から一転し、」「正反対の西欧の影響を、熱心に受け入れる方向に変わった。」「国粋主義と愛国主義という言葉は、タブー同然となった。」

 「軍部の対外政策が、完全な失敗に終わり、戦争に明け暮れた、恐ろしい苦難を体験した結果、」「日本人のほとんどは、手のひらを返すように、軍部の指導体制に背を向けた。」「日本人はアジアの解放者として歓迎されるどころか、中国、朝鮮、フィリピンのいたるところで、激しく憎悪され、」「他のアジア諸国でも、徹底的に忌み嫌われたことを知って、今更ながら愕然とした。」

 「かつて、歓呼の声に送られて出征した将兵であったが、外地から、悄然と引き上げてきたときには、」「恨みを抱く都会の群衆から、つばを吐きかけるような仕打ちで、迎えられた。」

 マーク・ゲインの「日本日記」を読んだのは、中学生の時だった。

 占領軍と共にやってきた新聞記者が、敗戦後の日本の姿を描いたものだ。ライシャワー氏の著書は、中学生だった自分が感じたと同じ思いを、させてくれた。戦勝者として敗戦国の日本へ来て、日本の歴史や過去を糾弾する心ない仕打ち・・。私はゲインの本を、悔しさを堪えて読み、深く傷つけられた。

 あの頃は何も知らない子供だったので、異を唱える知識すらなかった。しかし今は、ライシャワー氏に反論できる。軍国主義という言葉をおぞましく宣伝し、愛国心を塵芥のように捨てさせたのは、アメリカではなかったのか。情報のない国民を手玉に取り、過去の全てを悪業として否定させ、憎むように仕向けたのは、占領軍の政策ではなかったか。

 日本中の反日分子や、左翼思想に傾いた人間を手なづけ、戦前の日本を悪として攻撃させ、支援し続けたのは、GHQ内部にいた共産主義者たちでなかったのか。敵の敵は味方と言わんばかりに、危険思想の人間たちを釈放し、やりたい放題をさせたのは誰だったか。だからこそ共産党の徳田委員長は、「マッカーサーは解放者だ。」と称賛したのではなかったのか。

 私は幼い頃、外地から引き上げる兵士たちを、町の人々がどのように丁重に迎えていたかを記憶している。悄然として帰ってきたのかもしれないが、つばを吐き掛けるような仕打ちで迎えられた兵など、あるはずもなかった。

 アジア諸国で徹底的に忌み嫌われ、愕然とした日本人が居たことなど、反日の本で最近知ったくらいだ。私はライシャワー氏による、意図的なプロパガンダを読んでいるような、苦々しさを覚える。

 この本の前書きで、氏は日本人のためでなく、欧州とアメリカの読者へ向けて書いたと述べているが、こんな内容なら、現在中国や韓国がやっている、反日のプロパガンダと同じでだった。一部の事実を拡大し、あたかもそれが、全てでもあるように主張する氏が、どうして親日家であろうか。

 愚かしい護憲派の政治家や学者が、まるで神のごとくに信仰する憲法につき、氏は赤裸な事実を述べる。

 「GHQの政治改革の努力は、もっぱら新憲法の起草問題に集中した。」「1946年2月になって、日本政府の用意した憲法改正草案が、マッカーサーの意に満たないことがはっきりすると、」「マッカーサーは、急遽自らの幕僚に命じ、まったく新しい英文の憲法草案を起草させた。」

 中身に関する叙述が、また酷いものだ。

 「新憲法は、二つの点で、日本の政治機構に、根本的な変革をもたらした。」「つまり第1条の天皇と、9条の戦争放棄である。」

「天皇の取り扱いは、占領軍の日本改革の中で、最も議論を呼んだテーマであった。」「とりわけ海外では、天皇を裁判にかけて処罰すべきだと、いう意見が多く、議論は厳しかった。」

 「もしそのような措置が取られたら、天皇が現実には、実質的な権力を持っていなかったことや、個人的には、戦争に反対する思想の持ち主であったことに照らして、」「極めて不当な扱いになったことであろう。」「そうなれば遅かれ早かれ、日本国内にて、憂慮すべき反発を招いたことと思われる。」

 手のひらを返したように、軍部への批判をする国民が現れていたとしても、もし天皇が処罰されていたら、当時の日本は内乱となっていたに違いない。

 マッカーサーは、それを恐れていた。

 「1946年の元日、天皇は自分が神でないことを、国民に宣言し、」「自ら、新憲法への下準備を整えた。 」「もっとも天皇は、それまでももちろん、西欧人の意識するような、神格の持ち主とみなされてきたわけではない。」

 つまり、マッカーサーは、天皇が絶対君主でもなく、独裁者でもないことを知っていた。それなのに、わざわざ天皇に、「人間宣言」をするように強要した。彼らは、天皇を国民の象徴として位置づけ、一切の政治的権能を持たない存在であることを明文化した。

 しかし、もともと天皇は、日本人にとって、国の真ん中にある尊崇の対象であり、そのような存在だったのだから、明文化する必要があったと私は思わない。

 と、ここまで書いて一息つく。これ以上続けたら、今晩中に終わらない。

 九条の戦争放棄は、現在の日本で最大の問題であるから、ゆっくりと明日考えたい。今日は昼間、家内と図書館へ行き、そこで「ライシャワーの日本史」を読み終えた。最後まで読むと、氏の意見は概ね客観的であり、今後の参考になるところが沢山あった。

 一番肝心なのは、平泉氏の主張と同じ意見を、発見したことだ。図らずも平泉氏の卓見を再確認し、それを記録しておきたいから、あと一回、ライシャワー氏とお付き合いすることとした。

 今晩は、これでお終い・・・・・。やや疲れた。

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ライシャワーの日本史

2015-09-18 23:56:15 | 徒然の記

 エドウィン・ライシャワー氏著「ライシャワーの日本史」(昭和61年刊 株式会社文芸春秋)、を読んでいる。

 平泉氏の対談と合わせ読むと、結構面白いという発見をした。
私の記憶にあるライシャワー氏は、日本大使をしていた壮年の頃の、精悍な姿だ。動画の平泉氏氏が81歳なので、ついライシャワー氏の方が若いような、錯覚をしてしまう。

 パソコンで調べてみると、ライシャワー氏は明治45年生まれなので、平泉氏より14才も年長だった。日本女性と結婚していると聞いていたが、宣教師だった父君が、たまたま日本に住んでいたため、生まれも東京だとは知らなかった。

 何回目かの対談で、平泉氏が語っていた。

 「戦前の日本が間違ったのは、中国に対するアメリカの強い思い、」「執念とも言える思い込み。それに気づかなかったところですね。」「あるいは気づいていても、軽く考えていたのか。」「遅れて台頭した列強でしたから、アメリカは中国に対して、野心を燃やしていました。」

 「宗教的情熱の国でもありますから、自分の国のミッションは、神の国を地上に作ることだとも信じています。」「当時の列強が、中国を勝手に分割していた時、国務長官名でアメリカが門戸開放宣言をしましたね。」「これは、どこの国にも、中国をこれ以上勝手にさせないぞという、強い意思表示でした。」

 「今でこそ共産化していますが、当時の中国は、アメリカにとって花園のような認識でした。」「キリスト教を伝えるために渡っている、宣教師の数は、アメリカが一番でしたし、」「彼らは中国を理解し、中国のために献身していました。」「宣教師たちのもたらす情報によって、アメリカの中国認識が、ますます深まっていきました。」

 そんなに強い思い入れがあるとも知らず、満州を侵略した日本は、アメリカの虎の尾を踏んでしまった。

 「アメリカのという国の性格を、簡単に言って仕舞えば、」「中国への野心と、人種偏見なんです。」

 白人でもない日本人が、どこまでいい気になるのかと、だから敗戦後は、徹底的にやられたのだと言うのが、平泉氏の説明だった。

 ライシャワー氏の著作を読んでいると、意識の底を流れる、米国人の思考の糸が見えてきた。平泉氏の言に、符合するものがある。学識豊かなライシャワー氏の語り口が、偏見を感じさせないから、深く考えず読んでいると素通りしてしまう。

 氏は冒頭に、日本人の気質の素晴らしさや勤勉さを語り、縄文時代から弥生、飛鳥と、並みの日本人が知らない歴史を詳述する。しかし、日本史の区切り方は、私たちが学校で習った区分ではない。

 古墳時代、飛鳥、奈良、平安と教わったが、氏は、これを 

 1.国土と民族、   2.中国の模倣時代、

 3.国風文化の発展  4.封建社会の発展、と区分する。

 本の表題が「ライシャワーの日本史」だから、氏が好きにして良いという理屈もあるが、私には違和感があった。そして、この記述だ。

 「文化的には、日本は中国文明の娘の一人である。」

 遣隋使、遣唐使の頃から、日本は多量の文明、文物を中国から受け入れ、国づくりの根幹にした。だからといって、「娘の一人」であるというこの表現 ?

 平泉氏の言葉が、私の中で重みをもって蘇る。

 「宣教師たちは中国を理解し、中国のために献身していました。」「彼らのもたらす情報によって、アメリカの中国認識が、ますます深まっていきました。」

 氏の父君がそうした宣教師の一人であったこと、氏が父君を通じ、中国や中国人に親しみを覚え、深く理解をしていることが伺えた。日本の歴史という本だから、多くは語られていないが、素晴らしい文明国としての中国が、常に背景に置かれている。

 以前の自分なら、感心しながらぺージを追ったのだろうが、愛国の意識に目覚めた今は、なぜか素直に読めなくなった。戦国時代、鎌倉、江戸、明治維新と、日本人の学者かと思うほど、詳しく歴史を語っていた氏が、今大戦前の頃から、米国人らしい意見を見せ始める。

 「日本の全体主義には、ヒトラーの " わが闘争 " に匹敵するものが、なかった。」「それに代わる、国家哲学を作り出そうとした結果生まれたのが、」「" 国体の本義 " という、書物である。」「古代神話を強調し、万世一系の天皇家のユニークさゆえに、」「日本は、他の国家より優れているという思想である。」

 「天皇に関する記述も、むろん多いが、儒教思想や、武士道についての言及も、少なくない。」「だがこれは、時代遅れな思想の、奇妙きわまりない混合でしかなかった。」
「知的内容はなく、提唱されている思想でさえ、曖昧模糊として、中身がなかった。」

 「中には、八紘一宇という意味の、古代中国の哲学思想からの、借用まであった。」「善意に解釈すれば、世界の全民族が、一つに連帯することを表す言葉とも取れるが、」「悪意に解釈すれば、世界中に、日本の支配が行き渡ることを表したとも取れる。」

 完膚無きまでの悪評である。「国体の本義」は、本の名前だけしか知らないので、果たしてそんなものなのか、いつか自分で確かめてみようと思う。

 こうして氏は、一気に、第二次世界大戦での日本の敗北へと進む。これまでの冷静な文章が影を潜め、日本の指導層、特に軍部へ、憎しみに近い思いが滲んでくる。氏は、軍部の暴走を強調するが、今日では、ルーズべルトやスターリンが、日本を戦争に追い込んだという記録も、明らかになりつつある。

 要するに氏の意見は、「日本軍部の暴走」、「日本軍の邪悪な侵略」、「天皇制の間違い」、「日本の過ち」といった、いわゆる東京裁判史観の展開だった。知日派の政治家として、日本では、親しみをもって語られているが、事実はそうだったのだろうか。

 「日本軍部の対外政策には、根本的に間違っていた、一つの思い込みがあった。」「日本軍部は、みずからが、盲目的愛国心に身を委ねる一方で、」「近隣諸国からは、欧米の圧政からの解放者として、歓迎されるばかりか、」「彼らが、日本を盟主とする東アジア支配におとなしく盲従して、何も不満を持たぬはずと、思い込んでいたのである。」

 「しかしナショナリズムの波は、急速に広がっていた。」「特に中国では、その勢いが激しく、朝鮮半島や満州での植民地支配の現実は、」「もはや日本人を、ヨーロッパ人やアメリカ人よりも、魅力ある主人とは思わせなくなっていた。」

 「日本帝国が、大きくなっていくに従って、中国人の抵抗も激しいものとなっていった。」「東アジアに侵略し、一大帝国を築きあげようと、野心にかられた日本は、歴史的にいささか遅きに失していた。」

 現在のアジア諸国では、戦前の日本について、氏と異なる主張もあり、こうした断定が正しいのかどうか。自分でもっと確かめてみたい。

 ハッキリしているのは、氏が述べている通り、日本を憎み、嫌悪しているのは、今でも中国と韓国で、侵略侵略と騒いでいるのも、この二国である。むしろ、こうした氏の著作が、中国や韓国に日本攻撃の口実を与え、アメリカが理解していると、強気にさせたのではなかろうか。

 本当に彼は知日派なのだろうかと、次第に疑問が生じてくる。

 明日から、本の後半に入るが、忙しいことになった。平泉氏とライシャワー氏の二人を同時に、相手にするなど、こんなことが、何時まで続けられるのだろう。気力体力、そしてもちろん知力だって、私にはもうない。

 あるとしたら、自分の国を思う心、それだけだ。

 不安もあるが、ええままよ、どうせ「みみずの戯言」でないか。なるようになれ
・・・・ということで、今晩はここで終わり。

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シアターテレビー4

2015-09-17 14:57:54 | 徒然の記

 九月の中旬だというのに、今朝はぐっと冷え込んだ。

 先ほどチリで大地震があったらしく、日本の太平洋岸に津波が押し寄せる可能性大とNHKが報道していた。桜島、箱根、阿蘇と各地で噴火があり、住民が避難している。自然が怒っているのか、警鐘を鳴らしているのか、自分には分からないが、異常現象が続いているということだけは確かだ。

 それでも今日は、平泉氏の対談について述べたい。自然界の異変と同様、このところ中国経済の動きが、世界を戸惑わせている。こんな状況を見ていると、確かに氏が言われたように「中国は大国になった」と思う。

 この国の政府発表に、世界が一喜一憂している。だが私は、氏の話に、今でも素朴な疑問を抱いている。

 「こんなに人権を無視する国が、果たして、世界の大国になれるのだろうか。」「国民を、虫けらのように蹴散らし、平然としている国が、どうして大国と呼べるのか。」

 当分の間私の疑問は消えないだろうし、平泉氏の思考との溝も残るに違いない。だとしても、今後の日本の英語教育に関する、氏の意見には、感心させられるものがあった。
文部省が、小学校の低学年から英語教育を導入するという話に、どうでも良いと無関心だったが、目から鱗の衝撃を受けた。

 「先日、久しぶりに、東大の入学式に行って来ました。」「そこで、小林教授の話を聞きまして、なるほどと思いました。」「日本の国際的地位が落ちた、大きな原因の一つが、英語力の欠如にあるというのですね。」「日本のリーダーたちが、誰も英語が分からない。」「通訳を介してやればいいのだと言う、政治家もいますが、今はもう、そんな時代ではない。」

 「大事な国際会議の場では、当意即妙の対話が重要なのに、」「会話もできないリーダーが、国際人と言えるのだろうか。」「そんな話でしたが、とても大事な意見ですね。」「今の日本は、時代の流れとして、国民が英語をやらねばならなくなっています。」

 「書物を理解するための英語でなく、日本人の意見を、世界に発信するための、道具としての英語なんです。」

 「TPPの場にしたって、日本人の発言が出ないから、」「日本の意見というものが、世界に伝わらない。」「中国や韓国は、世界から学ぶために英語をやっているのでなく、自分たちの考えを、世界に伝えるためやっています。」「だから日本人は、世界で、中国人や韓国人に、やられてしまうのです。」

 「日本語に安住するのでなく、世界の共通語を、予備として持つことの重要性に、気づかなくてはなりません。」

 ここまで説明されると、私にも分かる。まして、中国と韓国を引き合いに出されると、即座に納得した。国際会議の様子をテレビで見たが、他国の首脳は、気楽に談笑しているのに、日本の総理だけが孤立していた。

 そんなものだろうと思ってきたが、とんでもない間違いだった。国内では、官僚を怒鳴り散らし、威張っていた菅総理も、国際会議では、仲間はずれの悪ガキみたいに小さくなっていた。話しかけられても、照れ隠しの笑いでしか応じられなかった、菅首相だった。

 菅氏に限らず、麻生元総理だって、沢山英語を喋っていたが、ほとんど相手に通じない日本語英語だったと、意地悪な話もある。偉そうに言っている私にしても、しどろもどろの英語しか話せず、外国旅行をした時は、ほとんど通じなかった。

 面倒臭いから、居直って日本語で喋ったが、今にして思えば、恥を撒き散らしたようなものだった。イギリス、スペイン、オランダ、イタリア、ベトナム、台湾と、私の英語は、まったくと言って良いほど通じなかった。

 だから、他人事でなくなった私は、真剣に氏の話を聴いた。

 「英語が重要だというのは、喋っている国の多さと、」「人口の多さなんです。」「欧米は、もちろん英語が通じますね。」「ASEAN諸国だって、ほとんど英語圏ですよ。」

 「インドネシアが人口2億人、インドが13億人、中国が15億人、韓国が5000万人。」「ざっと数えても、これだけの人口が、英語の習得に向かっています。」「韓国などは、防衛のための英語習得を、国を挙げて目指しているのです。」

 どうも氏の話は、人口がからむと大雑把になる嫌いがある。だとしても、肝心なところには、納得させられる。

 「日本人は、英語を使って国を守る、という気概を持たなくてはなりませんね。」「もっと言葉の大切さを、認識すべきなのです。」

 このシリーズの対談では、日本人が認識すべき、大切なことが沢山語られるので、書き留めておかないと、とても覚えきれない。

 「学校の先生には、申し訳ないんですが、英語の教育を、日本人が教えるなんてところから、間違っているんです。」「英語の授業は、英語を喋る人間から教わらないと、無意味です。」「ジスイズ ア ペン。アイアム ア ボーイなんて、カタカナ英語を何年やったって、外では通じませんよ。」

 まったくその通り、おっしゃる通りですと、反論の一つもできない私だった。
中学校の3年、高校の3年、大学の2年間、会社員になってから3年間、通算10年間英語に接してきたというのに、かくも無残な自分の足跡だ。

 私が受けた英語教育は、目的もなく、漫然としたものだったから、役に立たないままに終わった。政府に苦情を言うのでなく、己の不甲斐なさを恥じなくてならない。政府が何を言おうと、自分が目覚めていたら違っていたはずだ。
しかし、氏は凄い人物だ。私みたいに身勝手で、偏狭な人間を、たった20分そこいらの動画で覚醒させるなんど、驚きと言うしかない。

 こういう観点から、英語教育が国民に説明され、生徒に教えられるなら、社会そのものが変化していくはずだ。さすがに政府は、かくも赤裸に、中国や韓国の方針を語れないのだから、代弁者として、平泉氏の存在は大きかったはずだ。


 どうにもならないことだが、惜しい方が亡くなられてしまった。改めて、氏のご冥福を祈り、感謝の念を捧げたい。

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シアターテレビ - 3

2015-09-16 21:15:28 | 徒然の記

 平泉氏の話は、やはり面白い。政治、経済、文化、外交、民族、語学、選挙制度等々、独特の観点から私の知らない事柄を教えてくれる。

 その中でやはり一番気になったのが、中国問題だ。

 「考えてもごらんなさい。中国の面積は日本の20倍、」「人口は10倍です。」「経済規模は、やがて日本の7、8倍になると言われています。」「昔は、国の大きさがそのまま国力とは、なりませんでしたが、」「今はインターネットの時代ですから、瞬時に情報が伝わります。交通手段も、国土の広さを感じさせないほど、発達しました。」

 「だからこれからの世界は、大国の時代なんですね。」「広い国土と、沢山の人口を持った大国が、覇権を持つのです。」

 「そういう意味では、アメリカだって、国力は日本の三倍しかありません。」「人口が日本の10倍で、経済力が7、8倍になるというのですから、」「中国は、今後とてつもない大国になりますね。」「ロシアも、国土は広大ですが、人口が一億ですから、逆に中国を恐れています。」「シベリアの方では、中国人が何千万人も移住しているでしょう。」

 私は今までも、今も、人口の多寡が国力に比例するとは、考えたことがなく、多すぎる人口は、国の発展を阻害すると思っている。そんな私にお構いなく、氏が語る。

 「世界一貧しい国の一つだった中国が、たった30年で強大な国家になった。」「1000年ぶりに、大国が突然日本の前に、姿を現したのです。」「唐以来の出来ごとです。」
「中国のエリートは、もう日本を、重要視していないと思います。」

 「国民は、テレビと映画で、日本の軍人が悪だというものばかり、見せられていますから、」「今でも、これからも、日本人を恐れています。」「エリートは寛大でも、民衆は日本を許さない、という構図ができています。」

 中国を礼賛しているようにも聞こえるので、嫌な気もしたが、氏は語り続ける。

 「最近の日本には、骨が無くなりましたね。」「国際社会で、独立国として生きていけないような、状態になっています。」「中国は、世界の覇権国になるという、気概が満ちています。大変な国になりましたね。」

 「もし中国が、危険な国であるとしたら、どう対処すれば良いのか。世界中の国が研究しています。」「本当は、日本こそが国を挙げて、中国の研究や分析をしなければいけません。」「危機意識も、国防意識も無かったから、防衛省は、あってなきがごとしの状態でしょう。」

 「外務省だって、在るような、無いようなもので、隣国の情報収集に、国の存亡がかかっているという意識が、全然ありません。」「軍や警察の情報力強化とか、外務省の情報とか、そんなレベルのものではありません。」「経済、軍備、政治などの一般情報でなく、もっと高度な情報です。」

 「中国と争うためでなく、衝突を回避するための情報、とでも言えばいいのでしょうか。」「政治家や軍隊の人脈や、個人的な様々の情報、外務省や軍が動いて取れるもので無く、取ってはならない情報といいますか・・。」

 氏は明確に述べなかったが、米国のCIAや、ロシアのKGBあるいは英国の諜報機関のような、非合法な活動をする機関を指していると推察した。私は、氏の言葉に感銘を覚えた。

 「国は、常に最悪の事態を、想定しなければなりません。」「大事なことは、誰も助けてくれない場合に、どうするかなのです。」

 安保条約で、アメリカが助けてくれるという思考も、氏から見れば、甘すぎる認識であるらしい。氏の提案は単純だが、とても難しいものだった。

 「ありとあらゆる手を使って、敵対関係を作らなくするための情報。」「政界や経済界だけでなく、中国社会のあらゆる階層に、友人を沢山作ること。」「一般市民の中にもです。」

 「どうも日本の情報対応は、相手国内部への浸透が、他国に比べると格段に弱い。」「国の生存がかかっているという、危機意識がないのですね。」

 「日本人の勤勉さと、たゆみない献身で、戦後の経済成長がなされました。」「しかし、軍事費を使わなくて済んだから出来たんだという、そんな見方も大切なのです。」「今世紀の日本がやるべきことは、二つですね。」「国際情勢の情報を本気で取る努力をすること。真剣に国の防衛を考えること。」

 氏の言葉を反芻しつつ、参議院での質疑を思いだした。民主党の小川議員が、総理に質問していた。

 「大切な隣国である韓国が、北朝鮮に攻め込まれたら、自衛隊を派遣するのか。」

 総理はもちろん否定していたが、今もなお慰安婦問題で日本を苦しめ、世界遺産の登録では、露骨な嫌がらせをし、そんな韓国がなんで大切な隣国であろうか。反日の議員が、得意そうに質問できる議会の状況を、氏が存命なら何と考えただろう。

 氏の意見のすべてに、賛成していないが、それでも、この唾棄すべき反日の議員に比べれば天と地の開きがある。彼らは、国防意識が欠如しているのではなく、敵国を利する国亡意識しかない愚か者たちだ。シールズの奥田氏が、国会で意見陳述をしているのも聞いたが、法案の中身への反論でなく、民意のデモを無視した国会審議だという、感情論に終始していた。内容の無い、子供じみた彼の主張を、取り上げる野党もマスコミも、心ある国民には嫌悪しか感じさせないはずだ。

 亡くなられた氏を偲び、残りの対談を聴き、ブログに記録しておく方が、余程日本のためになる。57回シリーズの、やっと36回目を見終えたところだが、根気よくブログに残したい。

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シアターテレビー2

2015-09-10 20:17:59 | 徒然の記

 平泉氏はハト派だと言うのが、ネットの情報だったが、シアターテレビを観ていると違っていた。

 マスコミが使うハトやリベラルなどという言葉は、本来の意味を失い、単なる平和憲法信者を指している。あるいは加害者の人権ばかりを守ろうとする、似権主義者だ。マスコミがいかに間違った使い方をしているのかが、よく分かる動画でもあった。

 マスコミがハト派と呼ぶ政治家は、河野洋平氏とか鳩山由紀夫氏とか、どこか魂の抜けた人間が多いが、いったい平泉氏のどこが、ハト派なのだろう。
「終戦の時、アメリカはあまりにも日本を叩き潰しましたね。」「軍隊は持たせない。憲法は自由にさせない。三分の二の賛成がないと改訂出来ないなんて。暴論ですよ。」「民主主義の国で三分の二なんて、できっこない。これは日本には改正させないという、アメリカの強い意思です。」

 「軍と憲法は国の根幹ですよ。」「それをアメリカは、日本には未来永劫手出しをさせないと決めました。」「自衛隊を日陰者みたいにしてしまったから、これでは志のある軍人は育ちません。」「独立国には根っこに防衛と安全保障があるべきなのに、戦後の日本は防衛意識も防衛力も無くしてしまいましたね。」

 「占領下では仕方がなかったんですが、これをそのまま放置したのは日本人の責任ですよ。」「基地問題だってそうです。」「沖縄だけでなく、日本全国に米軍基地が有ります。こんなことは、日本の歴史始まって以来のことですね。」「しかし米軍がいなくなって、無力な日本だけになったら、中国が出てきますよ。」

 「基地が要らないとアメリカにいうのなら、憲法を改正し、自国を守れる軍隊を持ってからのことです。」「一旦ことがあれば、アメリカと一緒に行動する。そうでなかったら、アメリカはいうことなんか聞きませんよ。」「アメリカは第二次大戦後から、もっと言えばペリーの時代から、中国を重要視しています。」「今は共産化し、アメリカに対抗しているのですから、尚更のことです。」

 「アメリカも中国も、国益のためならなんでもやる国です。いい時はいいでしようが、いったん対立すると怖い国ですし、危険な国です。」「大国の意思一つで小国がどうにでもなる。これが国際社会ですね。」「だからヨーロッパでも、アジアでも、大国に挟まれた小さな国は、必死なんです。」

 「国の生存がかかっているという危機意識が、戦後の日本人には無くなってしまいましたね。」「アメリカと中国という巨大な覇権国の間に挟まって、日本はどうすればいいのか、こんな危機意識が政治家にも国民にも欠けています。」


 57回シリーズの21回目を見終わったところだが、一言も聞き逃すまいと真剣に見ている。だからここに記している氏の言葉も、そっくりそのままだと自分では思っている。こんなにも立派な意見を持っていて、閣僚にまでなった氏でも、現役時代にはこうした考えを喋っていないはずだ。
現役時代だったら、マスコミと野党はおろか、自民党の中からだって、軍国主義者とか右翼だとか言われ攻撃され、潰されていたに違いない。

 氏の正論が今になってからしか聞けないというこの事実、ここにこそ敗戦後の日本の問題が横たわっている。
憲法と防衛を自分たちで作ってから、やっと戦後が終わるのだと私は信じている。その日がくるまで日本はアメリカの属国であり、敗戦国のままだ。まだ21回目だから断定できないが、聡明で博学な氏なのに、「敗戦国の認識」においては私と異なっているような気がする。

 現在「ライシャワーの日本史」を4分の1ばかり読んだところだが、動画をみていたら、それどころでなくなった。
ブログにも、シアターテレビの続きを書かずにおれなくなるだろうし、気持ちが一気に引き締まってきた。世の中には知識と経験と才能とに秀でた人物がいるのだという事実を、再認識した。


  少しくらい本を読んだからといって、分かったような口をきいてはならないと、これはもう、心からの自戒だ。

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シアターテレビ

2015-09-08 18:14:18 | 徒然の記

 偶然だが、面白い動画を見た。

 どうやらここが作った番組らしいが、鹿島平和研究所という名前を初めて知った。相変わらず、何もかも知らない尽くしの自分だが、知っていたのは、皇国史観の歴史学者だった平泉澄氏の名前だけだった。

 戦前の日本でもてはやされた学者が、どのような人物だったのか、好奇心からパソコンで調べていたら、ご子息の、渉氏の動画に行き当たったという次第だ。

 タイトルは「世界のダイナミズム」といい、57回のシリーズになっている。一回の対談が20分から30分に纏められ、見始めると止められない動画だった。現在は18回のところだが、忘れる前に書き残しておきたいという衝動が、抑えられなくなった。渉氏をパソコンで調べると、改めて己の世間知らずを再認識した。

 昭和4年生まれの氏は、元外務省官僚、元科学技術庁長官、元経済企画庁長官、という経歴の持ち主で、結構有名な自民党議員だった。氏はまた、鹿島の副社長でもあった。だから、鹿島平和研究所の会長として、シアターテレビなど作ったのだと理解した。

 父君は、勤皇の学者だったというのに、氏は、私の嫌いなハト派であるらしい。しかし、氏の談話は傾聴に値するものが多く、中国に関して、ここまで率直な意見に接するのは初めてだった。

 博学の氏は、世界の文明から談話を始め、アジアから欧州、ロシア、アメリカへと言及し、世界の覇権国の推移を説明する。古くはスペイン、オランダ、イギリス、そして第二次世界対戦後はダントツのアメリカと、終始穏やかな話ぶりで進める。

 貧しさを友として育った自分には、とてもできない語り口で、それだけでも、惹かされる上品さが漂う。まさかとは思っていたのに、氏は、次に世界の覇権国となるのは、中国であろうと予測し、日本人へ警鐘を鳴らす。今後の世界は、よくも悪くも、「中国問題」を抜きには考えられなくなっている、と断定する。

 人口の差、国力の差、経済力の差と、どれをとっても日本を凌駕する大国だ。そうなる可能性のある中国を、日本人は、初心に返り勉強し直すべきだ。日中の立場はこのままいくと、やがて、アメリカとカナダのようなものになる。国力からいっても、経済力からいっても、カナダはアメリカなしで生きられず、まるで属国みたいなものとなっている。だからアメリカは、口では言わないがカナダを頭から無視している。

 突然、世界の覇権国として眼前に現れた中国に対し、日本は狼狽し、平常心を失っているが、大事なのは、中国を攻撃的にさせてはならないことだ、と氏が言う

 聞くに堪えない話だが、しかし彼はこうも言う。

 「でも、卑屈にならず、断固として対応しなくてはなりません。」「この国は、相手が弱いとなると、容赦せずに攻撃してきますからね。」

 「現実問題として、今は日本と中国の差は、歴然としています。」「彼らから見ると、日本はもう、小さな存在なのです。」「国際社会もそうした目で、中国を見ています」「中国の動向に世界が注目し、世界が無視できない。」「冷戦時代でも、アメリカはソ連を恐れていませんでした。」「ところがどうでしょう。中国が、アメリカを打ち負かす国として、現れてきたのです。」

 「オバマのアメリカにとっては、手強い相手です。」「こうした米中の間にいて、日本がどうするのか。今世紀の大きな課題です。」

 私はこれまで、威勢の良い、右側の人々の論調に賛同してきたが、現実の中国は、こんなに大きく、やっかいもので、世界中が戸惑っているのだと、やっと理解した。昇り竜の勢いだった、ひところの日本同様、何をしでかすか分からない危険な国だ、という認識をもっと持たなくてはならない。

 暴れ者を怒らせてはいけないし、卑屈に引き下がってもダメと、氏の注文は難しいが、確かに現実はそうなのだろう。

 面白かったのは、氏の意見が、自分のものと重なったところだ。

 「考えてもご覧なさい。清朝の末期から、中国が、欧米に味わわされた大きな屈辱。」「あれから100年間我慢して、今がその自尊心の、我慢の限界だったのです。」「あの広大な国の、人間の心を一つにまとめたこと。」「中国の歴史で、そんなことをした者は、誰もいませんよ。」

 「だから毛沢東は、偉大なのです。」「つまりナショナリズムを、目覚めさせたこと。毛沢東だけが、成功したのです。」

 列強に切り取られ、為されるがままに、国を蹂躙された屈辱感を、私は理解する。欧米よりはるか昔から、世界の文明国だった中国なら、それこそ臥薪嘗胆の100年だったであろう。

 しかしそれなら、彼らの矛先は真っ先に、イギリス、オランダ、ドイツ、フランス、そしてアメリカへと向かうのが、自然でないか。よりにもよって、最後の列強だった日本を狙い撃ちにし、やくざまがいの横車で、今頃なぜ攻撃するのか。順番が違うでないかと、そこだけが氏の意見と違っていた。

 「それはそうでしょう。日本史の中で中国から得たものは、」「政治、経済、文字、建築物、仏像、絵画、詩歌・・・・、中国からのものばかりですよ。」「外務省なんかが、経済のことで、大国意識をもって、中国に対応していますが、どうでしょうかねえ。」

 「だから中国からすると、一番の敵は日本、ソ連、そしてイギリス、アメリカとなるのでしょうね。」

 中国は、そんなことを思ってもいないのに、日本人の多くは、「一衣帯水」と親近感を持っている。ここ数年の中国の振る舞いを思えば、とても氏のような寛大な気持ちにはなれないが、冷静に検討すれば、確かに「恩義深き」隣国ではある。親中派の政治家や、経済人や文化人たちを、私は「獅子身中の虫」と切り捨てているが、そうばかりとは言えない面があるのかもしれない。

 忌々しいことながら、そんな思考を持つ必要を感じさせられた。

 氏の話が、猪突猛進する自分の鼻面を抑え、少し落ち着いて周りを見なさいと言ってくれた。これには感謝したい。

 「韓国は、日本と中国と、どちらを取るのでしょうか。」司会者の問いかけに対する、単純明快な答えだった。

「強い者につく、小さな国が生き延びるには、これしかありません。」「もともと朝鮮は中国の範囲ですし、中国人は、自分のものと思っていますよ。」

 元自民党の政治家でも、隠居の身となれば、ここまで赤裸に言えるのかと驚かされた。
興味深いのは、次の意見だった。

 「一党独裁の共産主義も、正しいとは思いませんが、」「数さえ集めれば民意だという、民主主義も、考え直すべきではないのでしょうか。」「たった一票の差でも、議員が決まる。」

 「国民が、みんな同じなんてことは、ありませんよ。」「随分馬鹿な人もいるし、無知な人もいるし。」「国会も、県会も、市会も、町会も、なんでもかんでも多数決なんて、変ですよ。」

 「アメリカが手本だというし、年数が経てば、良識のある選挙が育ち、望ましい民主主義が生まれると思っていましたが、」「どうですか、昨今のアメリカの選挙。票を集めるために、どれだけの金を使っていますか。」

 「テレビを時間で買い取るなんて、想像もつかない金を使っていますよ。」「あれではもう、金を持った人間しか、政治家になれないということです。」「票集めに金のかかる選挙・・。日本だって、そうなっていますね。」

 「これまで見てきましたが、選挙民に人気があって、当選した政治家に、大した人はいませんでしたね。」

 中国への対応についてと同様に、多数決の民主主義制度に関しても、氏の意見にうなづきはするものの、即座に賛同できない私だった。今まで、愚かな害務省と簡単にののしってきたが、氏のような人物もいたと知れば、これまた即座に批判しづらくなった。私もまた、初心に返り、学びの日々を今日から歩くとしよう。


 本日パソコンで検索したら、今年の7月に氏が逝去されたとのこと。享年85才だった。心からご冥福をお祈りしたい。

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資源小国ニッポンの挑戦

2015-09-02 21:58:39 | 徒然の記
 朝方の雨が止み、珍しく青空が広がった。心地よい涼風が、例年より早い秋の気配を運んできている。
今日はこれから、玄関の植木を手入れしようと思う。ちいさな緑色の実をつけ木が、程よく入り口を飾っている。どんぐりの仲間だと思うが、名前は知らない。大木になると手に負えないはずだが、今はほっそりとした姿で目を楽しませてくれる。昨年冬の寒さで鉢がひび割れたのを、細縄で縛り、洒落た飾りのつもりでいたが、木の成長で割れが広がり、水をやっても漏れてしまうようになった。

 それで大蔵大臣の家内と相談し、昨日奮発して植木鉢を買ってきた。朝から本を読んでいる間に天気が回復したので、植え替え作業にかかろう。
うまい具合に本も読み終えた。産経新聞東京経済部編「資源小国ニッポンの挑戦」(平成19年刊 産経新聞社)だ。新聞に一年間連載した記事を、一冊にしたものだという。

 風力発電、太陽光発電、地熱発電、燃料電池、バイオエタノール等々、未来のエネルギーが紹介されている。いかにも有望なものとして語られているが、採算面から不可能な話も混じっているらしく、素人の自分にはどれも夢の話でしかない。資源小国の日本は、原油の90%以上を中東に依存している。オイルロードと呼ばれるシーレーンに、日本の原油使用量の半日分に相当する30万キロリットルを積む巨大タンカーが航行し、1日1500万バレルを運んでいるとのこと。産経新聞の不親切さなのだろうか、それなら1日に何隻のタンカーが走っているのか、石油の単位を統一つしてくれないので、すぐに計算できない。

 どっちにしてもシーレーンは、私が思っている以上に日本経済の支えであり、重要なオイルロードだと分かった。民主党など野党が、シーレーンの防衛に自衛隊を派遣するのはおかしいと言っているが、果たしてそうなのだろうか。
LNGガスにしても、石炭にしても、日本が世界一の輸入国だと初めて知ったが、自慢でもなんでもなく、それだけ我が国には資源がないということだ。面白くもなんともない本だが、いろいろ教えてもらったので感謝はしている。

 きっとこれは、恥ずべき無知ということになるのだろうが、原子力発電を続けることが核兵器の開発につながっているとこの本で初めて知った。ぼんやりとそんな予想はしていたが、日本には大量のプルトニュームがあり、平和利用だと宣言し世界の監視を受け入れているから特別に認められている。社員も監視カメラでチェックされ、誰でも簡単に入れない体制になっている。だからこそ電力会社は、国家機密の深いベールに包まれ、国と一体になって運営されている。

 東日本の事故が起こった時、現場の状況を掴もうとしても、彼らが民主党政権の首相や官房長官に情報を出さない訳がわかった。
中断したままになっている、プルサーマル計画の重要性も理解できた。この本は東日本大震災の前に出版されているから、東電の勝俣社長も胸を張って語っている。

「07年から、日本でも再処理が始まるが、プルトニュームを余分に持たないということは、日本の国際公約だ。プルサーマルで消費することが、日本が核拡散を防ぐ最高の道だ。エネルギーの利用効率を高める意味も大きい。」

 原発の利用が核兵器の開発につながっていることを、東電の社長が言うのだから、電力会社のトップたちにとってこんなことは常識なのだろう。知らないのは、私のような無知な国民ということになる。そしてこれもまた、不思議なマスコミの姿勢だ。「知っていても、報道しない自由。」「国民にシッカリと情報を伝えない自由」か・・・・。

 東京理科大学の森教授も語っている。
「例えば、30年40年後にも、原子力なしで電力が賄えるかと言うと、やはりそこまではなかなかいかない。原子力発電は、将来もっと大きな必要性が出てくるのではないでしょうか。」

氏の話を受けて、衆議院議員の近藤三津枝氏(自民党)が答えている。
「原油が高騰している厳しい時代だからこそ、太陽光や風力など、自然エネルギーの低コスト化に向けた技術開発を進めていかなければなりません。」「そうした中で、一般の生活者に、原子力について必ずしも十分な理解が得られていない点には、供給サイドも政府も今以上に情報提供をしていく工夫が必要です。生活者に、より理解を深めてもらう努力が必要でないかと思います。」

 東電の原発事故という悲劇的な大惨事があったが、冷静に考えていけば、これらの諸氏の話は資源小国の日本として常識的なものだ。
安全神話に浸かりきった電力会社や政府、官僚たちに遠因があったとしても、これからこそが日本の正念場なのだ。

 当時は参議院自民党の議員だった舛添氏が、次のように述べている。
「地熱や風力や太陽光などの自然エネルギーは、風が吹かなかったり、日が陰ったりすると、電力を安定的に供給できません。」「そういう中で原子力というのは、克服しなければならない問題はいろいろとありますが、クリーンなエネルギーとして電力供給量の3割から4割を占めている。」「この水準を今後とも保っていきながら、新しいエネルギーの開発を進めていくべきです」

 右往左往する国民が騒いでも、国の未来を考える議員はこうでなくてはならないと思う。
しかし舛添氏はこの後自民党を離脱し、原発について語らなくなり、今では都知事をしている。日本より韓国を重要視しているのか、韓国の大統領に近づいている。この本の中身だけでなく、舛添氏も、たった8年前なのにこんなに変貌した。だから私は、舛添氏を信頼していない。彼もまた、国を考える政治家というより、政局の海を泳ぐ政治屋でないかという気がしている。

 面白い本ではなかったが、たくさん教えてもらったし、考える材料も提供されたので、有意義な本だったと感謝している。
短期間のものだが、これだって日本の歴史の一部を構成する立派な資料だ。果たして再読するときがあるのか、確信は無いが、書棚に並べてみるとしよう。そのときの日本がどうなっているか。この本の中身が再評価されているのか。夢のプロジェクトが叶えられているのか。考えだすと、退屈な本なのに、まるでタイムカプセルみたいに思えてきだした。

 こんな戯言を書いていたら、いつの間にか夜になった。とうとう、植木の入れ替えができなかった。明日も明後日も、いくらでも時間があるのだから、今日できなくてもそれが何だろう。私を待っている者はどこにもいないし、急ぐ仕事だってありはしない。
自分を待っていると確信できるのは、万人の友達である「死」くらいのものだ。時折思考の海に浮かんでくるが、実感としてはまだ遠い。

 こんなことまで考えさせてくれるのだから、この本は有意義だった。面白くはないが、有意義だった。
コメント (1)
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