ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

楽しい年末

2020-12-30 23:53:39 | 徒然の記

 12月30日、11時15分。「武漢コロナ」、相変わらず続く「反日左翼との戦い」、「年相応に不自由になる体」、「泥沼となった米国の大統領選挙」などなど、そんなことを全て帳消しにする、楽しい年末でした。

 息子が来て、家内とともに、酒を飲み、談笑し、言いたいことを言い、こんな楽しいことが他にあるでしょうか。

 「そうか、お父さんたちは、子供にとって、相談相手にはならなかったのか。」

「お父さんも、お母さんも、相談できる相手じゃなかったね。」

「子供はみんな、それぞれで生きてきたんだと思うよ。」

「だって、お父さんもお母さんも、間違っていても、子供に謝ったことがなかったもん。」

「そうかねえ。いろいろ考えて、育てたつもりだったけどねえ。申し訳ないことをしたねえ。」

「お母さん、後悔する必要はないよ。二十歳過ぎたら、みんな自分の責任だよ。謝る必要なんてないよ。」

 「武漢コロナ」が再度勢いを盛り返し、東京都の小池知事がテレビ訴えていました。

 「皆さん、今年の年末はどこへも行かず、ステイホームを守ってください。」「この年末が、正念場です。」

 私たち夫婦も、息子も、手洗いとうがいと身の回りの消毒を済ませ、ソーシャルディスタンスを守りながら、会話をしました。こんな緊張した、不自由な年末は、歴史に残る珍しいものですから、記念のためにブログに残します。

 酒の肴は、フグ刺しとふぐ鍋です。互いに離れていますから、大きな声で話をします。料理も酒も、こんなに楽しい子供との団欒なので、美味しさが倍化します。話題は堅苦しくても、ほろ酔い加減ですから、気になりません。

 息子が風呂に入り、床へ着いたあとで、私たち夫婦はそっと呟きました。

「いい親だと思ってきたが、子供には、そうでもなかったんだな。」

「でも、ああして言いたいことが言える仲だもん。いい家族なんじゃない。」

 家内の言葉に納得し、私はこれからベッドに入ります。心地良い眠りにつきます。

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石井準一参議院議員 - 5 ( 森元総理が介入 )

2020-12-29 13:33:41 | 徒然の記

 10月29日の一面トップは、6段組の千葉知事選の記事でした。特大の活字が、私の視線を釘付けにしました。

 「鈴木大地氏  擁立困難」「自民、森喜朗氏が反対」「国会議員あす協議、候補探す場に」

 どうして、この場面で、森元総理が出てくるのか。思ってもいない展開になりました。10月28日に、森氏は渡辺会長と都内で意見交換し、鈴木氏の出馬に反対する考えを伝えたと言います。何度記事を読んでも、森氏の考えが理解できませんでしたが、今でも不可解の一語です。

 森氏の動静になりますと、千葉日報社の手の届かない範疇です。共同通信社の記事であることが、ここで証明されます。

 「森氏は、スポーツ界に大きな影響力を持つ。」「氏の反対で、鈴木氏の擁立は困難な状況になった。」「森氏は会談で、スポーツ庁を重視する立場を表明し、」「長官を退任したばかりの鈴木氏が、保守分裂の可能性がある知事選に巻き込まれることに、」「懸念を示した。」

 この記事を読んだ時、公明党の影響力が自民党内に浸透している現実を知らされました。森氏はなぜ、スポーツ庁と千葉県知事を天秤にかけるような、おかしな理屈を言い出したのでしょうか。氏は千葉県知事の座を、立憲民主党と公明党に渡すつもりなのでしょうか。私が予想していたのは、正論を述べる千葉県連会長を支援し、「反党行為」を続ける石井氏を、党本部が除名処分にするのではないかという期待でした。もしそうでなければ、他党候補を公然と支援する石井氏は、自民党を離党し、公明党員となるのが、政治家の節操だと考えていました。

 しかるに森氏は、スポーツ庁が大切だから、鈴木氏を分裂選挙で傷つけたくないと、およそ元首相と思えない理由で、県連会長に反対します。このような重要問題に、菅総理に無断で、森氏が介入すると思えませんので、賛成か、やむなしの黙認か、そこは分からないとしましても、何かの話があったはずです。

 「関係者によると森氏は、鈴木氏が長官の時代から関係が深い。」「県連の一部国会議員らが、鈴木氏擁立に異論を唱える中、」「熊谷氏を推す動きも出て、事実上の分裂選挙になることを懸念したとみられる。」「県連の渡辺会長は、30日の国会議員団会議は予定通り開くと、述べるにとどめ、」「他の県連役員も、詳しいコメントを避けた。」

 森氏の横車と、渡辺会長の無念さが伝わる記事です。「公明党の協力無しで、自民党は選挙が戦えない」・・この現実の深刻さを知らされたのは、渡辺会長というより、私自身でした。しかし本当に、自民党は、公明党無しで政権の維持ができないのでしょうか。私は、「国を愛する人々」に問うてみたくなりました。

 私を無視するように、共同通信社の記事が続きます。

 「自民党内の動きを、注視する構えを取ってきた公明党の県関係者は、」「これまでの報道は、周辺の話ばかりで、」「鈴木氏から、出馬を明示する発言はなかった。」「最終的には、本人が決めることなので、」「本人の言葉を待たないといけないと、指摘した。」

 外交には、「他国への内政干渉」という言葉がありますが、公明党関係者の発言は、「他党への内部干渉」にあたります。しかし自民党の議員諸氏は、この点について誰も言及せず、反日左翼紙である共同通信社が、珍しく「両論併記」をしています。最後の文章がそれですが、同時に、自民党県連の最後の踏ん張り、しかも虚しい踏ん張りが伝わってきます。

 「自民県連は、『鈴木氏ありき』に、石井参議院議員が異論を出した、」「14日の国会議員団協議の後、22日に県議の議員総会を開き、」「鈴木氏擁立方針に、異論は出なかったとしていた。」

 6段組の大きな紙面より、以上要点のみを抜粋しました。翌日からの紙面は、二日続けて6段組のトップ記事で、以後の経過を報じています。記事の中身は転記せず、見出しの活字だけを紹介します。

 ・10月30日

 「鈴木大地氏  出馬断念」「自民、新規擁立は難航」「幹部きょう経緯説明」「森田氏『大変驚いた』」

 ・10月31日

 「候補者選び 仕切り直し」「自民県連、渡辺会長が謝罪」「擁立失敗 広がる波紋」「執行部に批判も『きちんと手続きを』」

 十日後の11月10日に、渡辺会長の記者会見談話が掲載されました。氏の話を、箇条書きでお伝えします。

  ・県連本部の幹部による「4者会議」で、独自候補を擁立する方針を再確認した。

  ・早期に候補者を選定したいが、現段階ではいない。

  ・熊谷市長については、党として支持することはない。

  ・県選出の国会議員に出馬意向を確認したが、手を挙げる議員はいなかった。

  ・基本的には、議員、首長など、政治家から選びたい。

  ・森田現知事については、現段階で進退の話はない。

 記事の見出しは、「独自候補擁立、再確認」「熊谷氏支持は全否定」となっています。この談話が、渡辺会長の最後の踏ん張りでした。「熊谷氏支持は全否定」・・当然の話です。ついでに、「森氏も、石井氏も全否定」と、氏が言えない言葉を、私が代わりに補足しましょう。

 森田知事の進退、新候補者の決定等、記事が続きますが、千葉県以外の方に、これ以上の報告をやめます。「他山の石」として頂きたいのは、公明党との関係です。腹立ち紛れに言って仕舞えば、「自民党は腐っている」と切り捨てたくなりますが、現実の政治は、妥協したり前進したりでしょうから、短気は禁物です。

 「猿は木から落ちても、猿だが、議員は選挙に落ちると、ただの人」

 こんな言葉がある通り、選挙に勝つため、議員は「なんでもやる」のだと思います。しかし私は、石井議員だけでなく、森氏にも、菅総理にも、問うてみたくてなります。

 「選挙に勝つためなんでもやると言っても、保守人の信念まで捨てて良いのですか。」「信念を捨てて得た勝利で、あなた方は愛国の庶民の支持が得られますか。」

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石井準一参議院議員 - 4 ( 自民党千葉県連の踏ん張り)

2020-12-28 21:55:08 | 徒然の記

 現知事の森田氏と、千葉市長の熊谷氏を政治家として比較しますと、確かに差があります。森田氏の実績と言えば、「アクアライン通行料の800円化」くらいです。国との交渉で低料金設定に成功したため、観光振興と観光客の誘致が実現しましたが、その他については、鳴かず飛ばずの知事でした。「なんでも国に反対し、人気取りだけするような反日知事に比べれば、実害が無いだけマシか。」と、私の評価はこんなものでした。

 森田氏に比較すると熊谷氏は、情報発信力が巧みなのか、何をやっても注目される市長でした。自民党からも公明党からも、「お花畑の住民」からも、喝采を得る政策を幾つも実行しています。その内の主なものだけを、列挙します。

 ・千葉市を、「近未来技術実証特区」として、「国家戦略特区」の指定獲得

 ・千葉市を、グローバルMICE強化都市として、外国人宿泊者数を3倍以上増加

 ・幕張新都心の活性化に取り組み、年間来訪者を2,200万人から4,820万人へ倍増

 ・保育所の入所児童数を増加させ、首都圏政令都市で初めての待機児童ゼロを達成

 ・年平均2件程度だった企業誘致を、大幅に増加させ、雇用と税収増を創出

 ・コンビニの店舗に陳列する成人向け雑誌に、カバーを掛けるよう要請

 ・国や県に働きかけても協力されなかったため、千葉市独自の受動喫煙防止条例を制定

 熊谷氏が、「反日左翼」の政治家でなければ、支援したくなるリーダーシップだと、これが私の正直な評価です。ではなぜ、自民党千葉県連の会長は、独自候補の擁立にこだわったのか、そして挫折したのか。ここに私は、自民党の病巣を再発見しました。

 県連会長の渡辺博道氏は、元復興大臣で今年70才、石井氏と同じ竹下派に属する先輩議員です。私の推測では、熊谷市長と公明党の親密な関係を知っていたから、氏は、独自候補者の選定にこだわったのではないか、と思います。もしも熊谷氏が当選すれば、立憲民主党の知事であり、公明党親派の知事です。渡辺氏の政治信条は、憲法改正、夫婦別姓反対、集団自衛権行使賛成ですから、反日左翼の熊谷氏と相いれません。二つの理由を考慮すれば、自民党の千葉県連会長として、熊谷氏を支援できる訳がありません。

 けれども氏の踏ん張りは、10月27日の千葉日報の記事で終わりました。この日千葉日報は二つの記事を掲載し、一つは熊谷氏に関するもので、今一つは鈴木氏の動静でした。熊谷氏の記事は、鈴木氏の記事の2倍以上のスペースで扱われ、しかも写真入りです。この日から、千葉日報が熊谷氏支持の立場を鮮明にし、そしてこれは、反日左翼共同通信社の意向でもありました。

 「熊谷千葉市長 出馬表明へ」「コロナ対策 重点訴え」「熊谷氏は 2日表明へ」

 大きな扱いの記事は、読むまでもないので省略し、千葉県連会長として頑張っていた渡辺氏の、小さな扱いの記事を紹介します。

 「鈴木氏 出馬意欲伝える」「自民県連会長に『まとまって』」・・というのが、記事の見出しです。

 「鈴木氏の擁立を進める、自民党県連の渡辺会長と、週末に会った鈴木氏が、」「出馬に意欲を示した上で、『自民がまとまって欲しい』と伝えたことが、」「26日、党関係者への取材で分かった。」

 「渡辺氏は、22日の党県議の議員総会で、鈴木氏擁立に異論が出ず、」「県所属国会議員団も、ほぼ全員纏まっているとし、」「30日の国会議員団再協議を経て、正式な出馬要請に進む方針を、強調した。」

 私はこの記事を読んだ時、鈴木氏の擁立が、ほとんど決まったのだと思いました。石井氏の名前が出ていても、千葉県選出の国会議員の意見が、ほぼまとまっているというのなら、心配はあるまいと、そんな気持ちでした。ところが翌日(10月28日)の新聞記事は、予想もしていない観点からの報道でした。

 「熊谷氏、鈴木氏一騎打ちなら」「市町村長の動向は」という見出しで、成田市の小泉市長と石井参議院議員の談話が紹介されていました。二人の話を、要点だけ転記します。

 1. 成田市の小泉市長

  ・同じ市長同士として、熊谷氏の実績を評価しており、知事として相応しいと思っている。

  ・市長同士として、熊谷氏の手腕、取り組み方、熱意を十分知っている。

  ・鈴木氏とは話したこともないので、どういう方か未知数。応援するしないはともかく、今は熊谷氏という気持ち。

  ・成田空港は、千葉の宝と言ってくれている熊谷さんは、県のトップになっても、県の発展のためしっかりやってもらえると思う。

 2. 石井参議院議員

  ・鈴木氏擁立が組織決定されても、自分の後援会や、連携する首長が、」「熊谷氏を応援することには、問題がない。」「30日の、県連所属国会議員の再協議での、途中退席も検討する。」

 成田市長の小泉氏が、自民党所属なのか、それは知りませんが、千葉県内の自民党員は、地域の利益、地域の金儲けを優先させ、「保守の信念」が希薄だと分かりました。石井議員の話は、とても自民党の幹部議員の意見ではありません。氏の当選に、いかに公明党が貢献しているのかを知る、重要な発言でしょう。

 私を驚愕させる新聞報道は、その翌日でした。これはまさに、息子たちだけでなく、「ねこ庭を」訪問される方々にも、「生きた勉強」となる格好の記事として、気持ちを静め、次回に報告いたします。

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石井準一参議院議員 - 3 ( 公明党の意向 )

2020-12-28 13:13:05 | 徒然の記

 来年4月の千葉知事選挙について、最初の報道がされたのは、9月19日でした。五段組の大きな記事で、見出しの活字も大きく、トップニュースの扱いでした。

 「鈴木大地氏の擁立検討」「来春知事選で自民県連」

 紙面には、鈴木氏と森田知事の顔写真が掲載されていました。書き出しの部分を一部転記します。

 「来年4月の任期満了に伴う知事選で、自民党県連がスポーツ庁長官 (53 ) の擁立を検討していることが、」「18日、関係者への取材で分かった。」「鈴木氏は、習志野市出身。」「過去2回の選挙で、自民党が支援した現職の森田健作知事 (70) は、」「4期目への出馬態度を、明らかにしていない。」

 今にして思えば、おかしな記事でした。70才といえば、政治家としてはまだ若く、もう一期やるとも言える年齢です。森田氏が、態度を明らかにしていないということは、納得していないという意味にも受け止められます。

 しかし驚かされたのは、翌日の新聞でした。六段組のさらに大きな記事になった、熊谷氏のニュースです。インタビューに答える氏の写真が掲載され、記事のスペースは、前日の2倍でした。

 「知事選  風雲急」「熊谷千葉市長が意欲」「思い固まりつつある」

 見出しの活字が躍り、新聞社にとっては、まさに特種記事です。参考のため、書き出し部分を転記します。

 「来年4月の任期満了に伴う知事選に、千葉市長の熊谷俊人氏 (42) が出馬する意向を固めたことが、」「19日、関係者への取材で分かった。」「氏は記者団に対し、自分の思いは固まりつつあると述べ、」「出馬への意欲をにじませた。」

 それから一月経った、10月18日に、私の目を引く記事が掲載されました。公明党の千葉県本部に関する報道で、内容は次の二つです。

 1. 県本部代表の交代  (  富田茂之衆議院議員から、平木大作参議院議員へ )

 2. 千葉知事選挙への対応方針

 自民党の選挙では、公明党の協力が不可欠で、公明党抜きで自民党は勝てないと、巷でよく聞きますが、千葉知事選挙の行方も、公明党次第であるということが、よく分かります。「媚中の公明党を切らなければ、自民党は保守政党になれない」と、多くの人間が言い、私もそう考えていますが、現実はそうなっていないことが表れている記事です。

 「信念のない保守」という修飾語を頭につけ、石井議員について語っていましたが、今こうして新聞記事を並べて検討していますと、別の事実が見えてきます。もしかすると、氏の行動の背後にあったのは、公明党への配慮ではないかと、そんな気がしてきました。記事の中から、二つの部分を抜き出して、転記します。

 《 1. 公明党の知事選への対応方針 》

 「平木新代表は、鈴木氏の擁立について、県連所属の一部国会議員が異論を唱え、熊谷氏を推す動きが出ていることを念頭に、」「自民党内で意見集約が終わっておらず、保守分裂となれば、」「推薦は出さないというのが、これまでのわが党のスタンスだと述べた。」

 《 2. 富田前代表の意見 》

 「富田氏は、知事選には、どちらも正式に立候補していない、」「次期衆議院選での選挙協力を、県連三役と9月初旬に協議したのに、」「鈴木氏の話は一切出なかったと、不信感をにじませた。」

 「氏自身や、公明党市議団との関係が良好な熊谷氏を、」「行政のトップとしては、すごい能力があると思う、」「個人的には、鈴木氏よりも熊谷氏。」「組織としてどうするかは、別の話だが、」「と述べた。」「鈴木氏擁立に異論を唱える、石井準一参議院議員とは、」「すでに意見交換しているという。」

 公明党の話を受けた、翌日の千葉日報は、早速大きく報道しました。見出しだけを転記しますが、記事は省略しても、これだけで十分通じます。

 「自民  候補者選考で内紛」「分裂か、熊谷氏を推す声も」「鈴木氏ありきに、異論」

 当初の考えでは、石井議員のおかしな言動を報告し、同時にその原因を調べるつもりでしたが、ここまで整理しますと、理解できました。選挙において、自民党がどれほど公明党に頼っているのか、媚中の二階氏を切れないだけでなく、媚中の公明党も切れない事情が読み取れます。まさに、生きた勉強です。

 「国を愛する国民」である私たちは、千葉の現状をしっかり観察し、選挙区の自民党議員諸氏への対応を、本気で考えなくてなりません。冠婚葬祭だけで繋がっている、魂の抜けた自民党議員のあり方を、選挙民として変えなければ、日本は崩壊します。

 公明党と繋がっている限り、自民党は保守党になれず、「自主憲法の制定」も「皇室護持」も、絵に描いた餅です。結論を先に述べてしまいましたが、それでも私は、構いません。以降のブログは、「信念のない自民党」と「媚中公明党」との、馴れ合いを証明する記録です。息子や「ねこ庭」を訪問される方々には、さらに有意義な報告となります。

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石井準一参議院議員 - 2 ( 信念のない保守)

2020-12-27 19:14:27 | 徒然の記

 石井準一氏について、略歴などをネットで調べました。

 「昭和32年、千葉県茂原市生まれ、今年63才。」「県立長生高校卒後、浜田幸一衆議院井議員の秘書となる。」「平成研究会、通称竹下派に所属」

 もう少し詳しく言いますと、氏は浜田幸一氏の自宅に11年間の間、住み込みで秘書を続けていた辛抱強い人物です。昭和62年に、29才で千葉県会議員に当選し、以後20年に渡り千葉県議を務め、平成16年から自民党の千葉県連総務会長となっています。

 平成19年に、引退する倉田参議院議長から後継指名を受け、第21回参議院選挙に自民党公認で出馬し、当選しています。以後の略歴は、文章をやめ箇条書きにします。

 ・平成24年 参議院国土交通委員長

 ・平成25年 第23回参議院選挙でトップ当選  ( 68万票 )

 ・平成28年 参議院予算委員長に就任

 ・平成30年     9月の自民党の総裁選挙では、安倍総裁を支持せず、石破氏を支持 

 ・平成31年      第25回参議院選挙で自民党公認で出馬し、3選

 政策に関する氏の主な主張は、次のように紹介されています。

 ・ 令和元年10月に予定されていた消費税の10%引き上げについては、賛成

 ・ 日本国憲法の改正に賛成。集団的自衛権に関する内閣法制局の、憲法解釈の見直しに賛成

 ・   一院制の導入に反対

 ・  日本の核武装について、「今後の国際情勢によっては検討すべし」

 ・   総理その他国務大臣の靖国参拝は、「問題なし」

 経歴から見ても、日頃の主張から見ても、氏は保守自民党の議員であり、私もまた、そのように見ていました。ところが、自民党の千葉県連が決めた鈴木大地氏の県知事推薦に、事前に相談がなかったと一人異論を唱え、旧民主党議員だった、現千葉市長の熊谷俊人氏を支援しています。有力議員である氏が反対するため、結局鈴木大地氏は出馬を辞退し、自民党県連は白紙の状態から、次期県知事候補を検討することになりました。

 いつもなら、県知事選挙にこれほど早くから注目しませんが、今回は、日が経つにつれ、自民党千葉県連の内輪争いが目についてきました。私の情報源は、千葉日報の記事と、ネットだけなので、なぜこのようになったのかは、推察するしかありません。

 前回のブログで述べました通り、現在の日本は、「国を愛する国民」と「反日左翼」の戦いの最中です。厳しい国際情勢を考えますと、個別の事情があるとしても、大局に立てば、旗色鮮明にする時です。私の思考は単純ですから、保守政治家である石井氏が、「反日左翼」側の熊谷氏を支援する心情が、理解できません。

 この問題を取り上げたのは、息子たちへ「生きた勉強」の一つとして、伝えたくなったためです。「ねこ庭」を訪問される方々には、問題提起をしていることになるのでしょうか。石井氏が、これほどまで肩入れをする熊谷氏とは、どんな人物なのか。自分も一緒に考えながら、ネットで検索してみます。

 「昭和53年、奈良県天理市生まれ、今年42才。」「早稲田大学卒後、NTTコミュニケーションズ(株)入社」」「民主党から、無所属へ変わる」「平成21年以来、千葉市長当選回数3回」

 氏の政界進出のきっかけは、平成18年に民主党議員田嶋要氏と出会い、翌年に予定されていた、千葉市議会議員選挙に向けた、民主党の候補者公募に応募した時からでした。これ以後は、石井氏と同様に文章をやめ、箇条書きにします。

 ・  平成19年の千葉市議会議員選挙に出馬し、トップ当選

 ・ 平成21年の千葉市長選で、民主党が熊谷氏擁立。広く市民の支持を得るため、民主党を離党し、無所属となる。

 ・  同年6年の市長選挙では、市長選挙の歴代最多数票で当選。31才市長就任は、現職最少記録

 ・   平成25年の千葉市長選で再選

 ・   平成29年の千葉市長選で三選 

 若くて有能な氏は、そつのない市政運営をし、市の借金を減らしたり、国の言いなりにならず、独自の条例で市民のために応えています。背の高い美丈夫なので、女性票も集まっていますが、基本的な政策では疑問符がつきます。一番大事な憲法については、左右のどちらからも票が得られるよう、曖昧な意見です。

 「改憲については、憲法9条に、自衛のための戦力の保持を明記した上で、」「集団的自衛権や、国際紛争解決のための武力行使は制限する。」
 

 「国際機関の要請に基づき、領土外において、武力行使を伴う派兵については、」「国民の同意を得るべき。」

 憲法9条に、自衛のための戦力の保持を明記するという部分を除けば、あとは全て反日左翼と同じ意見です。「国民の同意をうるべき」というのは、一見もっともらしく聞こえますが、現在の日本では、「不可能」を意味しています。つまり氏には、政治家としての歴史観が見えず、あるのはただ、いかにすれば多くの票が集められるか、という策術です。

 「夫婦別姓賛成」「同性愛者の結婚肯定」など、これもまた、反日左翼の主張通りです。慎重な氏は、皇室問題についてコメントしていませんが、この流れで行きますと「女系天皇賛成論者」だと思われます。

 最初の頃は「カジノ誘致」に賛成し、千葉市として検討していましたが、突然辞退しました。その時私は喝采を送りましたが、辞退した理由が、「住民の多くが反対しているから」というものでした。市長の姿勢としては評価するとしても、国を思う政治家なら、「ギャンブルを中心とした、いかがわしい歓楽街は、要らない。」という言葉を期待します。

 カジノ誘致に反対したという理由で、石井氏が熊谷氏を応援しているとは考えられません。どこに接点があるのか、不思議でなりませんので、次回は新聞記事をもとにして、時系列に検討したいと思います。退屈された方は、スルーしてください。

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石井準一参議院議員

2020-12-26 20:14:52 | 徒然の記

 千葉県以外の人には、関心のない話ですが、固有名詞を外し、日本の政治家と政党を考えますと、全国共通の問題が見えてきます。

 「悪法の憲法」、「反日左翼学者」、「反日左翼マスコミ」という、「トロイの木馬」に守られ、左翼政党と政治家は、相変わらず我が物顔で意気軒昂です。自民党の政治家は、「トロイの木馬」に逆らうと、テレビと新聞で叩かれ、次の選挙で落選します。戦後76年間、それが怖くて自民党の議員たちは「トロイの木馬」に忖度し、彼らの機嫌を損ねまいと、まるで腫れ物にでも触るように接してきました。

 「ねこ庭」を訪問された方々は、いったいこの話が、どこで石井議員と繋がるのかと、首を傾げられると思いますが、もう少し我慢してください。必ず繋がります。その前段として、「トロイの木馬」の説明が不可欠のため、敢えて続けています。

 言うまでもなく、「トロイの木馬」の後ろ盾は、米国政権内の強力な反日勢力でしたが、多くの日本人はこの事実を知りませんでした。戦後自民党の政治家は、世界一の強国アメリカとの関係を最重要視し、従属国の地位に甘んじ、「自主憲法制定」の旗を掲げながらも、「悪法の憲法」を放置してきました。そうなると必然的に、「トロイの木馬」たちが主張する、「東京裁判史観」も甘受することになります。

 しかし、度重なる韓国政府による「慰安婦問題」攻撃と、中国共産党政府による「南京問題」捏造と、「尖閣諸島・沖縄の自国領説」の吹聴に、国民の方が我慢できなくなりました。同盟国とは言いながら、「米国政権内の反日勢力」が、問題の背後には、依然として存在していることに、やっと気づきました。

 「日本の過去を取り戻す」という思いは、以前は一部の保守の人々の考えでしたが、隣国の執拗な日本憎悪と非難のため、多くの国民の気持ちと重なりました。反日一辺倒の韓国政府、日本憎悪に固まる中国共産党政府、これを容認する米国内の反日政治家たち、この三つが、国民の目を覚まさせました。偶然だったのか、本気だったのか、その時に現れたのが安倍総理でした。

 「美しい日本を取り戻す」「戦後レジームから脱却する」と公言し、「憲法改正」を明言した総理は、安倍氏が最初でした。GHQが残した「トロイの木馬」のうち、最強の木馬が「悪法の憲法」であり、東京裁判史観を発信し続ける「憲法」を改正しなければ、日本の再生が望めませんから、安倍総理の意見は、国を思う国民の心に共鳴したのです。

 思えば、安倍政権の発足以来、日本の国論が目に見える形で二分されました。マスコミは別の言葉を使いますが、私の表現で言いますと、「国を愛する国民」と「反日左翼」の対立です。「国を愛する国民」とは、これまで黙っていたけれど、ネットという武器を得て、自分の意見が発信できるようになった、今の私のような庶民のことです。

 「反日左翼」とは、いうまでもない「トロイの木馬」たちですが、もっと具体的には「反日左翼政治家」と「お花畑の住民」たちが加わります。現在の日本は、この二つの勢力に分かれていますが、優勢に見えるのは、「マスコミ」が味方している「反日左翼勢力」です。奇しくもその構図は、トランプ大統領対バイデン氏陣営の対立に似ています。

 米国の大手マスコミは、バイデン氏の味方で、トランプ氏については批判と中傷を年中報道しますが、バイデン氏の不正選挙や収賄事件については、報道しません。何をやっても貶されるトランプ氏と、悪事を働いても問題視されないバイデン氏が、米国民にどのような印象を持たれているのか。言うまでもない話です。

 米国民の多くは、最初は、バイデン氏の寛容さと粗野なトランプ氏の騒々しさを比較し、大統領選挙に臨んでいます。選挙戦の後半になり、マスコミの偏向報道の酷さに気づいた国民が、バイデン氏の当選に疑問を抱き始めています。

 石井議員の話と、どうつながるのかと、相変わらず疑問を抱かれたままだと思いますが、もう少し辛抱してください。みんな繋がる話なのです。米国大統領選挙を持ち出したのは、偏向したマスコミが、どれほど世論を歪め、事実を見えなくするのかという実例のためです。おかげで米国は、建国以来の国難に直面し、世界に醜聞を晒しました。「民主主義国家の雄」という、アメリカのイメージも崩壊してしまいました。

 すっかり同じことを、日本のマスコミがやっているのだと、私が言いたいのは、ここです。彼らは、私たちのような「国を愛する国民」を、まるで軍国主義者か好戦的な人間のように報道し、自分たち「反日左翼」は、平和と正義の人々であるように伝えてきました。この「反日左翼」勢力の、一番の間違いは、韓国政府と中国共産党政府に、なんの抗議もしないところです。それどころか、一緒になって自分の国の悪口を言います。彼らは、どこの国の人間なのだと、そんな疑問が湧いてきます。

 文在寅大統領にしても、習近平氏にしても、どんな政治をしているのか、安倍総理の独裁どころの話ではありません。マスコミは「安倍独裁」と、散々こき下ろしましたが、文氏や習氏の行動を見れば、何が「安倍独裁」かと冷笑させられます。

 「日本の過去を取り戻す」ために、今の私たちは、曖昧な立場では済まされなくなりました。「日本だけが間違っていた。」「日本だけが、ひどい戦争をした国だ。」という、東京裁判史観を消し、子供や孫たちに正しい国の歴史を伝えなくてなりません。「自主憲法の制定」が実現されるまでは、「国を愛する国民」と「反日左翼」の戦いが続くのです。この2分した思想の対立を乗り越え、ご先祖さまの築かれた「日本」を取り戻すまでは、どちらの立場に立つのか、旗色鮮明にしなければなりません。

 それが、今の時代に生きる私たちの責務ではないかと、考えています。しかるに、自民党議員の石井準一氏は、この大切な時に、幹部議員の一人であるに関わらず、旗色不鮮明な言動で終始し、千葉知事選挙の妨害をしました。

 ここでやっと、石井氏の話とつながりましたが、前置きが長くなり、ブログのスペースがなくなりました。次回は、石井氏の千葉知事選妨害行為について、詳しくご報告いたします。「石井準一」という固有名詞を外せば、似たように議員が、自民党の中に沢山います。「他山の石」の一つとして、読んでいただければと、幸いです。

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夫婦春秋

2020-12-24 22:57:39 | 徒然の記

 今晩は、クリスマスイブだそうです。家内も私も神道ですが、子供たちが小さい頃から、この日はご馳走を作り、形ばかりの贈り物をして、楽しんでいます。

 二人きりになり、共に後期高齢者になりましたが、今でもささやかな祝日です。村祭りの日に、みんなが楽しくお祝いをしたように、私たちには、家族の祝日の一つです。キリスト様にも、キリスト教にも関係なく、日本のお祭りの一つになっています。

 生協の配達で、家内が鳥のもも肉を二つ注文していましたから、今晩は、二人だけの日を祝いました。「武漢コロナ」の鬱陶しい日々を忘れ、私は赤ワイン、家内はビールを呑みました。なぜか今宵は、とりわけ楽しく酔い、二人はそれぞれの部屋で、くつろいでいます。

 ということで、今私は、心地よい酔いの境地にあります。これからのブログは、酒の上での「独り言」になります。馬鹿馬鹿しいと思われる方は、スルーしてください。私は今、強烈に、二つのことを考えています。一つは、今日の産経新聞のニュースです。

 「安倍晋三前首相は24日、自身の後援会が主催した「桜を見る会」前日の、夕食会の費用を補填した問題をめぐり、国会内で記者会見し、国会で事実と異なる説明をしてきたことについて、『当時の私の知る限りの答弁をしたが、結果として事実に反するものがあった。深くおわび申し上げる』と謝罪した。」

 日本が置かれた危機的状況を思えば、今はこんなことをしている時なのか、前任の為政者を犯罪人として断罪する韓国のような、情けない国に、日本は何時からなったのだと、怒りが込み上げてきます。私は以前から申し上げている通り、安倍前総理には是々非々で対応してきました。日本をダメにするようなおかしな法律を作った、許せない人物ではありますが、罪人のように、国会で言い訳をさせるなど、そんな仕打ちは見ておれません。

 要求した野党はもちろんのこと、それを許した自民党の議員諸氏、もっと言えば、菅氏には、日本人の魂があるのかと、問いたい。これ以上は、酔っ払いの「たわごと」になるのでやめますが、菅氏は情と礼節を知らない政治家です。

 今一つ考えたのは、村田英雄の歌、「夫婦春秋」です。ネットの動画を探し、つい今しがた聞いたばかりですが、涙が出ました。若者が貧乏で苦しいとは聞きますが、この歌にある情景を、思い描ける人間が何人いるのでしょう。

  ついて来いとは 言わぬのに
  だまってあとから ついて来た
  俺が二十で お前が十九
  さげた手鍋の その中にゃ
  明日のめしさえ
  なかったなァ お前

 昭和42年の歌でした。給料が、三万円になったら結婚してもいいと、明治生まれの大先輩に言われましたが、私は三万円になる前に、家内と結婚しました。月月火水木金金と、当時はやたら仕事が忙しく、日曜も祭日もなく、帰宅も夜になりました。新婚早々なのに、知らない土地で、家内は一人留守番をし、テレビが買えなかったので、小さなラジオがあるだけでした。一体、あの頃、家内は何を考え、何をしていたのかと、ふとそんなことを考え、「夫婦春秋」歌を思い出しました。

  ぐちも涙も こぼさずに
  貧乏おはこと 笑ってた
  そんな強気の お前がいちど
  やっと俺らに 陽がさした
  あの日なみだを
  こぼしたなァ お前

 こんな会話はしませんでしたが、もしかすると、あの日々は、家内にはそんな毎日だったのではないかと、思いました。それと同時に、父と母も、こんなふうにして私を育ててくれたのだと思いました。この歌の、この言葉の中にある人の情が分かるのは、日本人だけでないのかと、そんなことまで思いました。そうするとまた、人の情の無い、菅総理に、無性に腹が立ってきました。

 酔いの気持ちを辿りますと、なるほど支離滅裂です。息子たちがこのブログを読めば、軽蔑するのかもしれません。それでも頑固に、私は主張します。心地良いだけで、私は酔ってなどいません。

  九尺二間が 振り出しで
  胸つき八丁の 道ばかり
  それが夫婦と 軽くは言うが
  俺とお前で 苦労した
  花は大事に
  咲かそうなァ お前

 酔っていない証拠に、私は、歌詞の最後を、ちゃんと理解しています。

   俺とお前で 苦労した
   花は大事に
   咲かそうなァ お前

 私は人生に悔いがありません。家内と二人で育ててきた花を、これから、大事に咲かせるのです。

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『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 7 ( 元残留日本兵 )

2020-12-22 22:11:37 | 徒然の記

 今回のブログは、氏の著作を離れた、ネットの情報です。そのまま転記します。

 「第二次世界大戦中の1942 ( 昭和11 ) 年3月から、 1945 ( 昭和20 ) 9月の終戦時まで、「『蘭印』と称される、当時のオランダ領インド、」「現在のインドネシアの、日本統治について説明する。」

 まず、えっと驚きました。約4年もの間、日本がインドネシアを統治していたと知るのが、最初の驚きでした。

 「この時期は、インドネシア史における、最も重要な時代のひとつである。」「オランダ領東インドは、1819年以来オランダの植民地にされていた。」「しかし、ドイツによって、オランダ本国が1940 ( 昭和15 ) 年に占領されたため、」「オランダは大日本帝国軍に対抗し、同植民地を守る能力がほとんどなくなった。」

 「日本の陸海軍は、ボルネオへの最初の攻撃から、3か月も経たずに、」「オランダ軍および、連合軍を圧倒した。」「当初は、大部分のインドネシア人が喜び、オランダの植民支配からの解放者として、日本側を歓迎した。」「日本は、オランダが禁止していた、『インドネシア』という呼称を、」「公の場で使用することを、解禁した。」

 「しかしながら日本軍は、占領後しばらくすると、オランダ同様に、結社や集会、政治に関する言論、行動、」「および、民族旗使用の禁止を布告し、インドネシア民衆の期待を裏切ったこともあった。」

 「また戦争遂行にあたり、現地のインドネシア人に対し、厳しい規律の日本式の軍政や、」「皇民化が施され、飢饉を招いた籾の強制供出や、防衛強化のための過酷な重労働を課せられた者もあり、」「戦時下の艱難辛苦に耐えるよう期待されていることを、彼らが悟るにつれ、」「その感情が変化していった、『負』の側面もあった。」

 オランダの圧政から、インドネシアを解放したはずの日本軍が、今度は自分たちが、圧政者になったという説明になり、この記述は、私が知る事実と異なります。

 「こうした立ち位置の違いにより、功罪の両方の意見や、認識があるものの、」「厳しい教育により、優秀な人材が育成されたことや、」「英語やオランダ語ではなく、インドネシア語が公用語になったことなど、」「日本の軍政施策が、結果的にインドネシアや、インドネシア民衆のために役立った、」「『正』の面があることも、重要な事実である。」

 ネットの情報を書いた人物が、左翼系の人間であるのは、「民衆」という言葉を使っていることから、推察できます。私なら、「インドネシア国民」とか、「インドネシアの庶民」という言葉を使います。

 「1945 ( 昭和20 )年8月の、日本降伏時にも、」「インドネシアの大半が、依然として日本の占領下にあった。」「この占領は、オランダにとっての深刻な課題であり、オランダの植民地支配を終わらせるものとなった。」

 「また、その終結時までの変化は、非常に多彩かつ尋常ならざるもので、」「その後の経緯として、インドネシア革命が、」「ほんの3年前には、実現不可能な方法で可能になった。」「オランダは、この元植民地を奪還しようと画策し、外交的、軍事的、社会的な、」「厳しい戦いが、5年にわたって行われ、最終的には1949 ( 昭和24 )年12月に、」「オランダが、インドネシアの主権を認めることとなった。」

 最後の文章は、いったい何が書かれているのか、私には意味不明です。この説明では、どのようにインドネシアが独立をしたのか、読者には分かりません。私は憤りを抑えながら、ネットを検索し、私の知る別の情報を探し出しました。

 「第二次世界大戦終結後、スカルノが独立宣言をしたにも拘らず、」「オランダが、再び植民地化を試み、」「イギリスなどの支援を受けて、戦争が勃発した。」「日本軍解体後、現地に残っていた旧日本軍将兵が、多くの武器を独立軍の手に渡し、」「独立軍将兵の教育や、作戦指導をするとともに、自ら戦闘に加わるなどした。」

 息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々は、二つの説明を読み比べてください。左翼系の人物の叙述は、オランダが、インドネシアの独立を認めず、イギリスの支援を得て戦争を仕掛けたことを、語っていません。残留していた、旧日本軍将兵については、全く触れていません。私の知る、インドネシアの歴史を、もう少し転記します。

 「独立戦争の終結後、インドネシアでは、多くの元日本兵が、」「独立戦争への功績を讃えられ、叙勲されている。」「インドネシア残留日本兵は、記録の上では総勢で903人と言われている。」

 「インドネシア残留日本兵が作った互助組織、『福祉友の会』は、」「日本に留学する日系インドネシア人学生に、奨学金を与えるなど、」「日本とインドネシアの、架け橋としての役割も果たした。」「元残留日本兵は、毎年行われるインドネシアの独立式典にも呼ばれているが、」「死亡したり、高齢で体調が悪化したりなどで、参加者は減っていき、」「2014 ( 平成26 ) 年の式典には、1人も参加できなかった。」

 私の知る歴史には、事実だけが記されています。旧日本軍兵士が大活躍したとか、独立戦争に多大な貢献をしたとか、そういう宣伝はありません。

 「2014年8月25日、小野盛(インドネシア名:ラフマット)が、94歳で死去した。」「小野は、行方不明者を除くと、最後の残留日本兵とされ、」「これで、残留日本兵は、全員死亡したとされた。」「小野の葬儀は、インドネシア国軍が執り行い、」「棺には、インドネシアの国旗が被せられ、カリバタ英雄墓地に埋葬された。」

 ジャカルタ日本人学校の先生たちが、日本の統治を、生徒にどのように教えていたのか、私は知りません。しかし文脈からしますと、「東京裁判史観」そのものでした。「インドネシアに迷惑をかけた、申し訳なかった。」・・と、そんな響きでした。これでは、インドネシアの国旗で覆われ、カリバタ英雄墓地に埋葬された、日本軍兵士は浮かばれません。

 だから私は、反日左翼が好きになれず、本の書評を続ける気持ちがなくなりました。ご容赦ください。

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『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 6 ( 「国旗掲揚」 )

2020-12-22 09:38:49 | 徒然の記

 ウバチャラとは、インドネシア語で言うと儀式で、ブンデラは旗の意味だそうです。従って、ウバチャラ・ブンデラを直訳すると「旗の儀式」、正式な言葉で言いますと、「国旗掲揚」になります。

 日本とインドネシアの違いが、よく分かる話なので、紹介したくなりました。石井氏の説明を転記します。

 「筆者が、現地語習得をしている時に、日本の『朝会 ( 朝礼 )』を、」「現地語でどのようにいうのかを、通訳に問うたら、」「ウバチャラ・ブンデラだと、言う。」「日本人学校では、朝会の祈りに国旗掲揚は行っていないが、」「このような儀式の時、現地校では国旗掲揚が伴うものであるから、」「これが、当てはまる言葉とのことであった。」

 「確かに現地校においては、日本の朝会に該当する日に、」「まず、国旗掲揚から始められているので、現地の人にとっては、」「国旗掲揚式と表現することが、分かりやすいのであろう。」「またウバチャラ・ブンデラが、独立記念日の国家的な重要儀式になっているので、」「学校での扱いが、極めて重みのあることだと分かる。」

 国旗・国歌に反対する日教組を知っていますので、氏がどのような説明をするのか、自然と緊張しました。インドネシア社会との " 際(きわ) " に立ち、異文化体験を重ねている生徒と同じ立場に、氏がいるのだと感じました。

 「インドネシアが、独立国となる戦いの中で獲得した国旗・国歌は、」「歴史の遺産であると同時に、一つの文化として大切にされている。」「それは、形の上でも現れており、」「国歌の伴奏、旗の扱い、掲揚の仕方、注目の姿勢等、作法が決められているのである。」

 戦前の日本でも、同様の決まりがあったと聞いていますが、戦後生まれの私は知りません。学校で国旗が掲げられる時、私たちは姿勢を正していましたが、ほとんど無意識のままでした。

 「これが、日イ・キャンプで行われる、アルアズハール校の国旗掲揚である。」「見つめる日本人学校の生徒に、驚きと感動が走るのが分かる。」「自分の国の国旗・国歌に対して、ここまで、心と体を表することがなかったからである。」

 「1990 ( 平成2 ) 年に、自ら進んで、この行事の担当を引き継いだT教諭は、」「その理由の一つとして、国旗掲揚時の日本人学校の生徒の態度に、」「課題があるからだったと、述べている。」「つまり現地校が、国旗掲揚に対し、どのように望んでいるのかを、」「十分に理解していない態度が現れており、失礼なことになると感じたのである。」

 この叙述を読んだ時、氏もT教諭も、やはり日本の教師であったかと、失望を覚えました。国旗・国歌というものが、世界のどの国でも、敬意を払われ、大切にされていることを言わず、単に相手校に失礼になるという説明で終わらせています。また一方で、これが日本の教師の限界かもしれないと、理解もしました。

 「T教諭は、日本がインドネシアに軍政を敷いた、歴史的背景があることを学びとらせている一方で、」「国際社会のマナーを、身につけさせておく必要性を、」「肌で感じているのである。」「この反省は、こちらの国旗掲揚のあり方にも及び、」「掲揚係の生徒に、入念な指導をする教員の姿があった。」「それは両国の生徒が、対等な立場に立って交流をすることを、願うからである。」

 本を読む視線が止まったのは、「日本がインドネシアに軍政を敷いた、歴史的背景」という言葉でした。これ以上詳しいことは書かれていませんが、言葉の響きには、批判と反省があります。ここでもまた、自虐史観かと、身構えました。400年を超えるオランダの植民地だったこの国を、独立させたのは日本だったというのが、私の知る歴史だったからです。

 いまさらの感がありますが、早速ネットで調べますと、意外な事実が分かりました。同時に私の「温故知新」の読書も、まだ不十分であることを知らされました。次回は、ネットで調べた「日本統治下のインドネシア」について、ご報告します。

 氏の本には、まだ多くの知らない話がありますが、次回で書評を終わります。( ネットで調べた情報が、私をひどく疲れさせました。)  興味のある方は、図書館で借りてお読みください。

 

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『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 5 ( 「新しい日本人」 )

2020-12-21 14:19:42 | 徒然の記

 《 3. 「インドネシアの近代化の意味」   ・・中学部 3年生 

 「最近多くの人たちが、インドネシアは近代化した、」「ジャカルタは都会だと、口々に言っているのをよく耳にする。」「しかし本当に、インドネシアは近代化したのだろうか。」「それに、近代化とはなんであろうか。」

 中学の3年生ともなりますと、もう子供の文章ではありません。大人たちの言葉を鵜呑みにせず、自分で考えようとしています。

 「確かに、近頃のインドネシア、特にジャカルタは急激に成長している。」「ゴミだらけだったところも、だいぶ綺麗になり、」「道も舗装され、古い建物は新しく大きく改装され、」「至る所にビルが建ち、今もなお、あちこちでビルを建てている。」「しかし、これが近代化なのだろうか。」

 「僕たちが外へ出て見るものは、その綺麗でビルの立ち並ぶ街と、」「どぶの匂いのする、あばら家の入り混じった街である。」「ベンツなどの高級車と、 バジャイ ( 原動機付き三輪車 ) 、ビルと屋台、 」「スーツに身を固めた富豪と、裸足で街を歩き回る子供の物売り、」「なんという、アンバランスさだろう。」

 「いくら口で近代化を叫んでも、一眼見れば、」「それが、表面だけのものであることが分かるだろう。」「今のインドネシアに必要なのは、表面的な近代化ではなく、」「内面的、または精神的な近代化ではないかと思う。」「いつかこの不調和な光景が、この国から消えることを信じている。」

 こうした作文を読みますと、石井校長や他の教師たちが、「生きた子供たちの証」と考え、文集を守っている気持が分かります。氏の言葉は、日本の政府関係者だけでなく、日本に住む私たちにも伝えたくなります。

 「インドネシアに生活する本校の生徒たちは、自国の文化と、」「インドネシア文化との " 際(きわ) " に立ち、異文化体験を日々重ねています。」「この時、" 際 " はあっても、それを深く意識することなく、」「相手国の文化と、自国との相違を認めつつ、」「それを尊重させて生かせるような、そんな働きかけが大切であると思います。」

 この叙述を読んだ時、私はインドネシアの日本人学校から、「新しい日本人」が育てられているとの感を深くしました。ここには、反日左翼の日教組の活動がありません。同時に、対抗する頑迷な保守の主張もありません。インドネシア文化との " 際(きわ) " に立ち、異文化体験を日々重ねている生徒と、支援している教師たちの、生きた「教育の国際化」があるだけです。

 狭い日本の中で、不毛の戦いをしている私たちへの警鐘が、鳴らされている気がします。国の外で、こうした「新しい日本人」が生まれているという事実を、知らなければなりません。「新しい日本人」と言いますと、9月に読んだ佐藤真知子氏の、『新・海外定住時代』を思い出します。オーストラリアに住む、日本人移民について書かれた本でした。もう一度、氏の言葉を転記します。

 「日本よりも自由で、個人の権利が守られている社会、」「そう言う社会を求めて、彼らは国を出る。」「いわば精神移民なのである。」「この人たちは、新しいタイプの移住者であるだけでなく、」「経済大国となった日本社会の、一つの産物であると言えるだろう。」

 「彼らは、永住権ビザを持って生活しているが、」「その永住は、期限のある永住で、人生の一時期、」「海外生活を楽しむ経験ができれば良いと、やってくる。」「前に旅行で来たからとか、友達がいるからとか、」「気候が良さそうだからとか、単純な理由でオーストラリアを選んだ人が多い。」

 「日本を捨てるとか切るとか言う、思い詰めたものでなく、」「長めの旅行をしていると言って、いい。」「とはいえ、ホテル暮らしでは高くつくので、仕事を持ち、」「家を買えば、経済的に安く済む。」「長い旅行なのだから、日本へ帰ることは初めから予定に入っている。」

 「帰国の動機も、ごく単純である。」「自分自身が、ホームシックになってきた、」「親が年老いて、一人にさせられなくなった、」「こちらの生活に飽きてきた、と言う理由で家路に着く。」

 これが戦後の日本で生まれた、「精神移民」です。オーストラリアだけでなく、アメリカにもフランスにも、イタリアやドイツにも、世界のあちこちにいます。

 定住に成功した人たちは、単に外国語を喋るのでなく、現地人を相手に、「イエス・ノー」をハッキリさせた、自己主張ができています。日本にいる時のように、相手の気持ちを忖度し、婉曲に喋っていると暮らしていけません。自己主張するというのは、脱日本人となり、対等に議論できると言う意味です。自己中心的なわがままでなく、自分の考えを、正しく相手に伝えられる語学力を言います。

 個人の意思というより、これはきっと、日本に生まれている一つの流れです。「新しい日本人」が、日本を変えるのか。日本にいる私たちが、彼らと協力するのか。そこはまだ分かりませんが、希望の光を見る気がします。

 次回はもう一つ、石井氏がしてくれる興味深い話を、紹介いたします。

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