ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『金◯成』 - 10 ( 38度線について )

2022-06-30 17:48:46 | 徒然の記

   「初めに」    「金◯成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

       第一部 証言   「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ ソンチョル  )

     第二部 手記   「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

  「38度戦」「朝鮮人民共和国」「信託統治問題」について氏が説明しています。知っているようで、案外知らなかったことなので、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にも、紹介します。

 〈 38度戦 〉

 「1945 ( 昭和20  ) 年8月15日は、朝鮮半島の人々にとっては、祖国光復 ( 民族解放  )  の日だったが、この日に朝鮮民族の運命は、ソ連とアメリカの手に委ねられていた。」

 「同年8月9日、ソ連は日本に宣戦を布告し、満州、北朝鮮地域に進出したが、その頃アメリカは沖縄に上陸し、日本本土の攻略を準備していた。米ソはヤルタ秘密会談で、朝鮮半島を共同管理することを約束していたが、アメリカ側からすれば、ソ連の動きはあまりにも予想を超えて早く、動きにブレーキをかける必要があった。」

 この辺りの歴史は、日本ではほとんど教えませんので、子供たちは知らないのではないかと思います。私も知らなかったので、参考になりました。

 「そこでアメリカは急遽、朝鮮半島に境界線を引き、ソ連の占領範囲を決めようとしたのである。」

 「元々は日本軍の、18、19師団の管轄境界線だったものを、米ソが分割占領する境界線として設定したのが、38度線だった。」「要するに、朝鮮民族の全くあずかり知らぬところで、北緯38度線による分断が決められたのだ。」

 「日本軍のせいで、朝鮮は二つの国に分断された。」

 こう言って日本を責める朝鮮の人々がいます。何の話か分からなかったのですが、このことを言っていたのかもしれません。日本軍の18、19師団の管轄境界線だったものを、そのまま米ソが利用したのですから、日本軍も全く無縁ではありません。

 しかし戦勝国だった米ソが勝手に決めたことなのに、どうして日本が原因と批判されるのでしょう。強い相手を責められないので、朝鮮政府は弱くなった日本を叩き、鬱憤を晴らしていたのでしょうか。

 「この便宜的なラインが、朝鮮戦争の休戦ラインとなり、国土分断の象徴となった。江原道の山岳地帯からソウルの北方40キロの地点を通り、延白平野を横断して西海岸へ抜け、朝鮮半島を南北へ分断する250キロのラインである。」

 東西ドイツを分断した「ベルリンの壁」は、155キロでしたから、さらに長いラインです。「38度線」の撤廃が朝鮮人の悲願となっていることは、多くの人間が知っています。せめて日本人は、これが「日本軍のせい」でないことを知っておきたいものです。反日左翼の活動家が言っていたら、間違いを正そうと思います。

 説明している黄氏自身が、日本のせいにしていません。次回は、「朝鮮人民共和国」に関する氏の意見を紹介します。

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『金◯成』 - 9 ( 「粛清」の背景 )

2022-06-29 08:05:29 | 徒然の記

   「初めに」    「金◯成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

       第一部 証言   「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ ソンチョル  )

     第二部 手記   「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

 今回は、金◯成が行った「粛清」に関する黄氏の意見を紹介します。氏の説明によると金○成が行った「粛清」は次の5段階だそうです。

   第一段階    朝鮮戦争前

   ・「北朝鮮国内派」粛清。玄俊赫ら古参共産主義者が暗殺される

   第二段階 1953 ( 昭和28 ) 年

   ・「南労党系」粛清。李承焃司法省ら処刑。朴憲永副首相処刑。

   第三段階 53~56 年

   ・「ソ連派」粛清。許哥而副首相が謎の拳銃自殺。

   第四段階    56~68 年

   ・「延安派」粛清。朴一禹内務相、金科奉人民委員会委員長ら数十名の党幹部、政府閣僚、軍幹部が虐殺、投獄、「延安派」壊滅。

   第五段階     69~ 年

   ・パルチザン派 ( 金◯成派  ) 粛清。

  五段階の粛清の事実を示した後、黄氏はここでも金◯成を弁明するような説明をします。複雑な気持ちなのかと推察できます。

 「もちろん、粛清に走ったのは何も金◯成に限った話ではない。マルクス・レーニン主義を掲げてきた現代の共産主義者たちは、多かれ少なかれ粛清に手を染めてきたし、これからもその危険性を持っているだろう。」

 「ただ金◯成の粛清の背後には、大国の間で翻弄され続けた朝鮮共産主義者たちが、最後の拠り所とした母国で、最大の不幸に見舞われたと言う事情を踏まえておかねばならないだろう。」

 〈在ソ・韓人共産主義者〉

  ・日本の植民地支配と、スターリン体制下での強制移住政策で翻弄

  ・コミンテルンの「一国一党」の原則で、朝鮮共産党の資格取り消し

  (・中国在住の朝鮮人共産主義者たちも、似たような苦悩を味わう。)

 スターリンは解放後も朝鮮を一国として認めず、自国の自治州としか見なしていませんでした。氏の説明から、私たちは当時のコミンテルンとスターリンの強大な力を教えられます。

 「こうした状況下で、北朝鮮に帰国した共産主義者たちは、解放後も翻弄され続けただろう。金○成もそうした朝鮮共産主義者の一人であったことは、事実なのだ。」

 「金○成は多分、それら諸々の経験から密かに、国際共産主義者とは相容れない人間となっていったのかもしれない。」

 異論を許さないマルクス主義というだけでなく、朝鮮の特殊な事情が重なり、金○成の「粛清」が必然として生じたと氏が語ります。

 「スターリンの死後、金◯成は自立し、皮肉なことに自立の意思を同胞・同志への粛清で示すということに結果していくのである。例えばソ連派、延安派への粛清は、両派がそれぞれソ連と中国に縁が深かったというところに、伏線があったかもしれず、両派は国際主義という共産主義者の矜持と理念を保持し続けていた。」

 だから金◯成は、粛清をせざるを得なかったと説明します。同時に黄氏は、粛清された者たちへの理解も示します。

 「しかし何派であれ、朝鮮共産主義者たちはいずれも、大国に翻弄される中で民族独自の党建設を熱望し、住み慣れたソ連や中国、南朝鮮から北朝鮮に馳せ参じた人々だった。」

 「そんな彼らが、朝鮮労働党の名の下に〈反党・反革命罪〉で粛清され、虐殺されていった。金○成の粛清の背景には、他国で起きた粛清とは質をことにする残酷さと、朝鮮共産主義者たちの悲しみが横たわっているのである。」

 「経歴改竄」の説明の時と同様、氏は自分の複雑な気持ちも語っています。しかし私は日本人ですから、拉致被害者を返さない金○成を許しません。異質なものを排除するだけでなく、虐殺したり粛清したりする共産主義も認めません。そんな党が政権をとっても、国民を幸福にする訳がありませんから、理解や同情は禁物です。その証拠が現在の北朝鮮であり、中国政府です。

 彼らが国民を幸福にする党であると、そんなことを思っている日本人はほんの少数です。「平和と人権を守る共産党です。」と、昨日も郵便受けに同党のチラシが入りましたが、私は参院選でもこの党に投票しません。

 次回は、「38度戦」「朝鮮人民共和国」「信託統治問題」など、私たちに馴染み深いけれど、内容の曖昧な言葉を氏が説明してくれます。なぜ北朝鮮が核保有国となり、他国を脅すようになったのかを知るには参考になります。

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『金◯成』 - 8 ( 「経歴改竄」の背景 )

2022-06-28 16:23:48 | 徒然の記

   「初めに」    「金◯成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

       第一部 証言   「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ ソンチョル  )

     第二部 手記   「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

  金◯成が独裁体制を確立する過程で、「経歴の改竄」と「粛清」をしたことを黄氏は批判していますが、一方では金◯生がそうせざるを得なかった国内状況を説明し、弁護にも似た意見を述べています。

 「北朝鮮住民が金◯成を絶対的に支持しているのは、彼の抗日パルチザン闘争の経歴に対し、尊敬の念を寄せているからであり、彼が〈自主・自律・自衛〉の主体思想で国家を建設してきたということに、矜持を持っているからである。そして世界最強の米帝国主義者を退けたということに、自負心を感じてきたからである。」

 氏は理由として、次の3点を上げます。

   1. 北朝鮮住民自身の中に、作られた金◯成像を受け入れるだけの「情緒」があった。

   2. 金◯成自身が、それに類する「情緒」を有していたのかもしれない。

   3. 民族の英雄が他国の共産党員だったということは、あってはならないとする配慮から行われた「隠蔽作業」だったのかもしれない。

 コミンテルンが「一国一党」の原則によって、分断された朝鮮の共産党を相手にせず、中国共産党しか認めていなかったため、ここへ入党するしかなかったのだと説明し、「金◯成の悔しさが読み取れなくもない」と語ります。だから北朝鮮の公式記録が、金◯成の入党事実を伏せているのではないかと述べます。

 「つまり、何が本当で何が本当でないか、一言で言い表せないほどの複雑で困難な歴史が、北朝鮮の北部地域には確かにあったのだ。」

 説明している氏の気持ちも複雑だと分かりますが、次の説明が、今度は私の気持ちを複雑にさせます。

 「日本の植民地政策においては、北朝鮮は凄まじい搾取と武力弾圧を受けたし、人々はソ連、中国へと移住を余儀なくされた。」

 果たして日本は凄まじい搾取と武力弾圧をしたのか、在日コリアンの黄氏が説明する日本統治は、氏が受けた反日教育そのものではないかと考えます。先に紹介した李栄薫元ソウル大学教授の意見と異なりますし、私が調べた事実とも違っています。

  李栄薫元教授の意見は、簡単に言いますと次のようになります。

 「韓国政府の言うの慰安婦問題は、全て嘘である。」「日本統治が、韓国収奪の時代だったというのも嘘で、実際は韓国繁栄の時代だった。」「韓国の教科書は、あり得ない嘘を国民に教えている。」

 氏は日本を嫌悪する反日韓国人なのに、なぜこのようなことを言うのか。それは氏が韓国政府の歴代にわたる嘘を恥じ、事実に基づいた意見を言わないと、日本人だけでなく世界からも相手にされなくなると言う危機感と、氏なりの愛国心からの意見です。

 「日本の植民地政策においては、北朝鮮は凄まじい搾取と武力弾圧を受けたし、人々はソ連、中国へと移住を余儀なくされた。」

 黄氏のこの説明が、戦後の韓国による反日教育の結果と言うことが、次の叙述で分かりました。

 「1945 ( 昭和20 ) 年当時の全朝鮮の人口は、2300万人ほどだったが、そのうち500万人近くが土地を失ったり亡命したりして、中国東北地域やソ連沿海州あたりに移住していった。」

 「1945年8月15日の解放で、彼らは続々と帰り始めた。もちろん民族主義者や共産主義者の活動家たちである。」

 500万人と言う数は多過ぎますが、彼らが民族主義者と共産主義の活動家だったと言うのなら、日本の弾圧を受けていたと言うのは事実です。国体を破壊する共産党は日本国内でも、非合法団体として弾圧されていましたから、過激な彼らが敵視されたのは当然と言う気がします。

 こうなりますと、氏の著書を読む私の気持ちも氏と似てきます。

 「つまり、何が本当で何が本当でないか、一言で言い表せないほどの複雑で困難な歴史が、北朝鮮の北部地域には確かにあったのだ。」

 この叙述を訂正するとすれば、「北朝鮮の北部地域」でなく、「朝鮮全地域」と言うべきと考えます。

 今回は、金◯成が独裁体制を確立する過程でした「経歴の改竄」と「粛清」のうち、「経歴の改竄」について紹介しました。

 次回は、「粛清」に関する氏の意見を紹介します。

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近況のご報告 ( 令和4年6月27日 )

2022-06-27 20:48:05 | 徒然の記
 最近私のブログに、goo事務局からの「警鐘」が頻繁に入るようになりました。息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、記録として残せるものなら残したいと思います。
 
 私は自分のブログが、goo blogサービス利用規約に大きく反していると考えていませんが、頻繁に表示されることについて、危惧の念を抱いています。
 
 私はブログを辞める気持ちはありませんが、「goo事務局の判断によって、ブログの中断があるのかもしれない。」ということです。もし私のブログが、ある日突然更新されなくなったり、消えてしまったりしたら、それは私の意思でなく、「goo事務局の判断」だと思っていただきたいと思います。
 
 参考のために、goo事務局からの「警鐘」を紹介いたします。
 
 
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goo blogサービス利用規約に定める事項のうち、サービスご利用時の重要事項を皆様に周知しております。
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(4)他の会員又は第三者の財産、信用、名誉、プライバシー、肖像権、パブリシティ権を侵害する行為
(7)他の会員又は第三者に対する誹謗中傷、脅迫、嫌がらせを行う行為
(8)他の会員又は第三者を差別又は差別を助長する行為

 
 自民党議員の方で、ネット関係に詳しい方がおられましたら、助言を頂きたいと思います。goo事務局の方々の対応は正しく、私のブログは間違っているのでしょうか。
 
 不安な気持ちを抱えながら、私はこれから黄氏の『金日成』のブログの続きに取り掛かります。
 
 〈  追  記  〉
 
  私のブログの元資料は、下記の公開資料です。
 
 1.  千葉日報の記事 ( 共同通信社の配信記事を含む  )
 
 2.  図書館でもらった廃棄図書
 
 3.  ネットの検索記事
 
  いずれの場合も、引用・紹介するときは元データを明記しています。こうした公開資料をブログに使った場合、著作権の問題が生じるのでしょうか。 
 
 また私が批判している人々は、公開情報に対する批判ですが、下記に違反するのでしょうか。私の批判する人々は、自民党の政治家や保守系の人物を激しい言葉で批判しています。それが新聞やテレビや書籍の場合は許され、私のブログでは不可となるのでしょうか。私のブログ程度のことで、たびたび警告がされるというのなら、「言論の自由」とは一体何なのでしょう。
 
(4)他の会員又は第三者の財産、信用、名誉、プライバシー、肖像権、パブリシティ権を侵害する行為

(7)他の会員又は第三者に対する誹謗中傷、脅迫、嫌がらせを行う行為
(8)他の会員又は第三者を差別又は差別を助長する行為

 
 他のブログには、私のもの以上の辛辣な内容の批判がありますが、こういう方のブログにも同様の「警告」が発信されているのでしょうか。不思議な気がします。
 
 「個別の質問には、お答えいたしません。」
 
 goo事務局の回答ですが、膨大なネットですから当然の処置だとは思いますが、ネット社会の維持のためには、致し方なしの処置なのでしようか。割り切れないものを感じます。
 
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『金○成』 - 7 ( 黄氏と私の一致点 )

2022-06-27 12:24:31 | 徒然の記

   「初めに」    「金日成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

       第一部 証言   「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ ソンチョル  )

     第二部 手記   「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

 黄氏は韓国日報と東亜日報の巻頭言を紹介し、次に自分の著書の説明をしています。巻頭言のつもりではないかと推察します。

 「本書は〈金日成論〉を展開しているわけでなく、謎の解明に力を入れているわけでもない。謎は謎として、兪成哲と呂政が体験した限りの、見た限りの金日成が語られているだけである。

 「だがこれは、初めての第一次体験者の証言になるだろうし、彼らの過去の経歴から言っても、歴史の第一級資料となるに違いない。」

 「読んでおわかりいただけると思うが、兪成哲と呂政の二つの証言は同じ時代を語りながらも、その地位と立場の違いから、互いの証言を補完しうる内容となっている。

 長い「初めに」と、最初は敬遠気味でしたが、説明を読むほどに黄氏の考えが明らかになります。冗長な繰り返しでなく、新しい事実を教えてくれます。

 「兪成哲は在ソ韓人の立場でソ連派の状況に詳しいし、呂政は中国八路軍傘下の朝鮮義勇軍出身という経歴から、延安派の人々について詳しい。」「朝鮮戦争では、作戦指導本部の苦悩を兪成哲が語り、前線兵士達の悲惨な状況は呂政がつぶさに目撃している。」

 「同じく粛清された立場であっても、前者は亡命の道を歩み、後者は獄に囚われ、中国へ決死の脱出を試みねばならない境遇にさらされたのである。つまり双方とも、第一級の証言でありながら、互いの証言を裏付け合うという形となっているのである。」「これは編集段階において、全く偶然の発見だった。

 ここでは、氏の著書『金日成』誕生時の状況が説明されています。韓国日報と朝鮮日報の二つの証言を検討しながら、これを一冊の本としてまとめる価値を、氏が発見したのではないでしょうか。韓国語でなく日本語の本にしたことの意味を、もう一度考えてみました。

 氏はこの本を、韓国人のためでなく、日本人読者のために出版したのです。シリーズ第1回目での、氏の言葉を思い出してください。

 「日本でも北朝鮮は隣国であるだけに、韓国に次いで金日成に対する関心は強いと言えるだろう。しかしその割には金日成の実像が、日本の中で不明瞭なまま認識されてきたとは言えないだろうか。」

 こう言って氏は、その原因を「根強い民族的偏見」と「日本の知識人が持つ、贖罪意識」の二つと分析しました。賞賛されても批判されても、的外れな日本の金日成論に我慢がならなくなり、この本の出版をしたと、私は解釈しました。日本人の中にある間違った「金日成論」や「北朝鮮論」を修正するという点において、私は氏の本に注目し、協力しています。

 過去のブログから、間違った日本人の意見を探しましたので、順不同で紹介します。

 1.   立命館大学名誉総長 末川博氏
 
 「人類のながい歴史のなかでそれぞれの民族や国家は、波瀾興亡をくりかえして きたが、現代における奇跡といってもよいほどに、驚異的な発展をとげて、栄光と勝利に輝いているのは、朝鮮民主主義人民共和国である。朝鮮民主主義人民共和国こそ、立命館大学が理想とする国家である。」

 「かって幾世紀かの間、内憂と外患のために苦しんできた朝鮮民族は、いま金日成首相を天日と仰いで、社会主義国家としての基本路線をまっしぐらにつきすすみ、ゆるぎない基盤を築きあげている。」

  「まさに金日成首相は、百戦錬磨の偉大な政治家であるとともに、国際共産主義運動と労働運動の、卓越したリーダーである。この伝記は、ありきたりの記録ではない。世界史上にもまれな、民族解放闘争を勝利へと導いた人間金日成将軍の、感動あふれる一大叙事詩であり、輝かしい朝鮮 近代史であり、人類の良心とも希望ともいえる不滅の人間ドラマである。」 

 2.   「九条の会」発起人の一人 平和運動活動家 小田実氏

 「北朝鮮の社会を見ていると、それはあたかも働き者の一家で、みんなが懸命に働いていて、一家の頂に〈 アポジ  ( おやじ  ) 〉として、金日成さんがいる感じだ。」

 「北朝鮮は、ものすごい管理体制の中で蓄積しているから、去年くらいから、もの凄く豊かになった。」「これから韓国との差が、もの凄く出てくる。」
 
 3.   朝日新聞特派員 入江記者
 
 「北朝鮮の経済建設のテンポは、もの凄く早い。鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の、一人当たり生産高は日本を凌ぐと政府は言っている。」「深夜の街で、酔っ払いなど一人も見かけない。深夜の街を歩いているのは、夜勤へと急ぐ労働者だけだ。」
 
 4. NHKの解説委員   寺尾五郎氏   ( 共産党幹部 宮本委員長側近の一人 )
 
 「昭和61年になれば、一人当たり生産額で北朝鮮が日本を抜く。日本が東洋一の工業国だと自負していられるのは、せいぜい今年か、来年のうちだけである。」
 
 5. 社会党 土井委員長
     
 「北朝鮮が、そんなことをするはずがない。」「悪意のでっち上げだ。」「拉致の十人より、北朝鮮との国交回復が先だ。」
 
  拉致被害者の救済をないがしろにし、北朝鮮の嘘を信じたのは土井委員長だけでなく、自民党の野中広務、加藤紘一氏も同類でした。
 
 彼らを支えているのは共産党、朝日新聞、NHKでしたから、私は黄氏に協力しています。意図は違っていても、目的が重なっていて、どちらも日本のためになります。
 
 今回は話が横道へ逸れましたが、次回は「初めに」へ戻ります。
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『金○成』 - 6 ( 朝鮮日報の巻頭言 )

2022-06-26 23:51:46 | 徒然の記

   「初めに」    「金日成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

       第一部 証言   「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ ソンチョル  )

     第二部 手記   「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

   今回は、呂 政氏の証言を出版した朝鮮日報の巻頭言を、紹介します。呂氏の著書名は、『赤く染まった大同江』です。韓国と北朝鮮の国民が、互いにどのような関係にあるのか、興味深い事実が語られています。

 「北朝鮮政権の閉鎖政策は、北朝鮮住民を〈井の中の蛙〉にしてしまっており、外部の人々の北朝鮮に対する理解を遮断してきた。」「あまつさえ韓国人は、北朝鮮の実像について、外国人よりもっと暗いのが実情だ。それは韓国政府の、北朝鮮情報に対する統制政策のためでもある。」

 韓国人は米国に作られた南の政府より、抗日戦争で独立を通した北朝鮮の方が正統性のある政権だと考え、引け目を感じていると日本のマスコミは説明していました。だから金大中大統領も盧武鉉大統領も文在寅大統領も、一歩下がったような形で金日成、金正日、金正恩氏らと対面していると思って来ました。

 しかし朝鮮日報の説明を読むと、そうではなさそうです。朝鮮日報は「北朝鮮政府」と呼ばず、「北朝鮮政権」と書いていますし、「北朝鮮住民」と言う言い方をやめません。つまり、正統の政府は韓国であり、北朝鮮はまだ国ではないと言外に意思表示していると言う気がします。

 北朝鮮が閉鎖政策を取るのは理解できますが、韓国政府がなぜ北朝鮮情報に関し統制政策を取るのか、私には分かりません。北の全体主義や国民弾圧の実態を知らせた方が、韓国政府には都合が良いと思うのは、私が第三者だからなのでしょうか。

 「だが冷戦体制の終息と共に、朝鮮半島に新たな和解ムードが形成される中で、南北間の情報交流が次第に活発化している。」「南北対話の進展と民間交流の拡大に伴い、双方の実情に対する報道も増えている。」

 「こうした報道と出版物を通じて、少なくとも韓国人たちは今や北朝鮮の実像について、ある程度は目を開くことができるようになった。」

 「本書は、元北朝鮮人民軍師団政治委員・呂政 の回顧録である。彼はこの中で、一人の金日成主義者が自分を取り戻すまでの過程を描き出すと共に、さまざまな資料と、彼が出会った関係者たちの証言を元に、北朝鮮初期の歴史を、ある程度客観的に明らかにしている。

 「著者は1959 ( 昭和34 ) 年に粛清され、10年の間獄中生活を強いられたが、69年に釈放された直後中国に脱出。現在は、牡丹江市で暮らしている。彼は金日成の罪悪を暴露せねばならないという一念で、20年の歳月をかけてこの記録を綴ったという。」

 韓国政府による北朝鮮情報の統制政策が緩んだとは言え、このような際どい本がどうして出版できたのか、理解を超えるものがあります。同社の説明を続けます。

 「本書では、本来の北朝鮮地域の言葉を、あえてそのまま生かした。韓国で使われておらず、常用されていない言葉については、括弧の中に説明を付け加えた。そしてここに出てくる〈わが祖国〉というのは、北朝鮮を指すものである。」

 「著者は、今でもなお、北朝鮮政権に対する恐怖心を拭いきれずにいる。身辺の安全を配慮した彼の要請に従い、〈呂政〉という仮名を使用している点をあらかじめお断りしておく。

 ここまで読みますと、黄氏が『金日成』の著作を書いたのは、韓国日報の連載記事と東亜日報の出版した本が元になっていると分りました。在日コリアンで、ノンフィクションライター、翻訳者だった氏が、よくこのような資料を手に入れたものです。

 次回は、金日成関係の資料に関する説明です。ここまでで「初めに」の半分を紹介しました。

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『金○成』 - 5 ( 韓国日報の巻頭言 )

2022-06-25 14:41:54 | 徒然の記

  「初めに」  「金日成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

      第一部 証言 「隠された真実」  北朝鮮人民軍作戦局長   兪  成哲 ( ユ ソンチョル  )

    第二部 手記 「暴かれた歴史」 元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

 今回は、兪 成哲氏の証言を連載した韓国日報の巻頭言を、氏の著書からそのまま転記します。

 「民族分断の重いくびきを、半世紀近く負って生きてきたわれわれは、今日の急変する国際情勢の中で、分断の歴史を締めくくりうる重大な転機を迎えている。」

「共産圏を覆う改革の波とドイツ統一、そして米ソの協力関係に要約される新たな国際秩序は、冷戦時代の最後の象徴とされる朝鮮半島にも、変化と和解の風を吹き込んでいる。」

 ベルリンの壁が壊された時、二つのドイツが一つになりました。壁を越えて歓声をあげる若者たちの姿を見ていると、不思議な感動を覚えました。在日コリアンである黄氏は、もっと切実な思いで眺めていたことが分かりました。おそらく、韓国日報が述べているような、南北朝鮮統一への希望ではなかったかと思います。

 「韓国の積極的な北方政策は、韓・ソ国交樹立を成し遂げたことに続いて、韓・中国国交回復を目標にするようになり、南北間の対話努力は首相会談、南北朝鮮統一チームの構成、直接交易のような形態で実を結びつつある。」

 しかし韓国日報は、夢を述べる一方で現実も語ります。

 「けれども、こうした国内的な条件変化にもかかわらず、統一の道は未だ遼遠であり、われわれはその遠く険しい道に向かって、第一歩を踏み出しているという事実を忘れてはならないだろう。」

 朝日新聞やNHKと違い、一方的な主張だけを報道するのでなく、韓国日報は両論併記です。

 「この重大な時期に、われわれに要求されているものは、統一に対する漠然とした熱情よりも、統一の道に塞がっている諸々の障害がなんであるのかを推し量る聡明さと、これを丹念に除去していく粘り強い努力だろう。」

 韓国のマスコミについて、私は偏見を改めようと思います。すぐに熱くなり、見境もなく日本を攻撃する韓国人や政府を見ているので、「火病」の韓国と軽蔑していましたが、そんな決めつけができなくなりそうです。両論併記ができる新聞を持つ韓国を、少し見直さなくてなりません。

 続く黄氏の意見も、軽視できなくなります。

 「こうした脈絡で、北朝鮮の実態を正確に理解しようとする仕事は、統一のために真っ先に実行せねばならない仕事の一つだと言えよう。」

 「韓国日報はこうした趣旨から、北朝鮮の実態と、金日成の実像を正確に伝えるべく努力を重ねてきたが、その努力の一つがこの証言である。」

 氏の説明によりますと、韓国日報が朝鮮戦争勃発40年の節目の特集として、兪氏の証言を19回のシリーズで掲載したのだそうです。

 「韓国日報社はこの連載を行なった後、多くの読者から読めなかった部分 ( 未掲載部分 ) に対する問い合わせと、総合的に理解しやすいよう一冊の本にして欲しいという要請を受けてきた。」「この回顧と証言が、それだけ価値のある資料として、これまで提起されてきた様々な疑問への回答となったからであろう。」

 ここまで説明されると、韓国の国民に対しても偏見を修正する必要を感じます。韓国人は誰も彼も、口から出まかせの嘘を言い、横車を押すような暴言を言う・・どうやらこれは、日本に対する時だけのもので、一般的な場合にはそうでないと分かりました。

 「だがこの一冊の本が、北朝鮮政権と6・25南侵の全てを明らかにするだろうと、期待することはできない。兪成哲の体験に限っての話だからである。」

 黄氏自身も、興奮して勧めるのでなく慎重な姿勢です。

 「しかしこの証言が、今後多くの学者たちの研究に、新たな光を投げかけるであろうことは間違いなく、われわれとしても、新たな研究の基礎資料として活用していただければ、幸いである。」

 最後まで本を読んだら変わるのかもしれませんが、これまでのところで黄氏の印象は、私の中で李栄薫氏と重なります。氏は、韓国人の日本への知識が事実を逸脱していることを指摘し、反日教育の過ちを批判します。

 日本人の中には、氏を親日の韓国人学者と誤解して褒める人々がいますが、氏は反日の気持ちが捨てられない愛国者です。黄氏と同じく、「過激論の中間に事実がある」と信じる人間です。韓国人の中にある、「理屈を超えた日本への嫌悪感」は、すっかり同じ形で、私たち日本人の中にも「理屈を超えた韓国人への嫌悪感」として存在しています。

 もしかするとこの偏見は、両国の間にある「ベルリンの壁」みたいなものではないのでしょうか。崩壊する時が来るのだとしても、それまでの間は、自分の国を愛する者同志として、通じる部分があるだけだという気もして来ました。それなら通じる部分だけで協力すれば良いと思い、次回も氏の「前書き」の紹介を続けます。

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『金○成』 - 4 ( 通じあう愛国心 ? )

2022-06-24 18:08:36 | 徒然の記

   「初めに」   「金日成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

      第一部 証言 「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ・ソンチョル  )

     第二部 手記  「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ・ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

  極論に走る日本人に対し、氏は金日成の実像を語る一つの事例を紹介します。平成元年に東亜日報に掲載された、元朝鮮人民軍副参謀総長李相朝 ( リ・ヨンジョ ) 氏の証言です。彼は朝鮮戦争の停戦会談において、北側軍事調停委主席代表を務めた人物で、金日成の粛清の嵐が吹き荒れた時ソ連に亡命しました。

 「1940 ( 昭和15 )年から1945 ( 昭和20 )年まで、金日成はソ連にいた。」「当時中国共産党指導部が私 ( 李 ) を満州へ送り、〈群衆を組織し、可能ならば軍隊を作って抗日闘争をせよ〉と、命令しました。私は満州に拠点を設けたのち、村民らの信用を得て、本格的抗日パルチザン活動を展開することができたのです。」

 「しかしこの時、どの場所でも金日成の姿はありませんでした。私が金日成を批判するのは、まさにこのことです。当時の満州は、抗日パルチザン運動ができないほど厳しい状況でもなかった。」

 「金日成がソ連のハバロフスクに逃亡したのは、全く彼が、革命家としての能力がなかったからだと私は思います。彼は戦略上後退したのではなく、逃走したのです。」

 「従って金日成が朝鮮解放の英雄であり、百万の関東軍が彼を捕まえるために派遣されたという北朝鮮側の宣伝は、真っ赤な嘘です。」

 平成元年はすでに、金日成の統治体制が確立していた時ですから、当時の日本人、ことに親北の彼らは、この証言を頭から信じなかったのだと思います。極論と極論の間に実像があると考える氏は、こうした日本人に我慢がならなかったのでしょう。次のように述べています。

 「金日成の実像について、最も多く、最も正確に知りうる人々は、金日成と共に独立運動を闘い、共に朝鮮戦争に参加し、そして、金日成によって粛清された人々を置いて、他にいないだろう。」

 「彼らの証言が現れたとき、それまで私たちが日本の中で伝え聞いていた〈金日成の実像〉が大きく色褪せてしまったのである。」

 在日コリアンである氏は、日本の新聞を読みテレビの報道を見てもどかしさと腹立たしさを覚え、3年後の平成4年にこの本を出版したのかもしれません。日本人が金日成を褒めすぎても、否定しすぎても、どちらにも賛成できない氏の気持ちが分かる気がします。

 日本の敗戦後に、ソ連とアメリカに分割されるまでは、朝鮮は大韓民国という一つの国でしたから、金日成は同じ民族のリーダーの一人です。個人的には批判や反論があるとしても、他国の人間に勝手な評価をされるのは許せないのではないでしょうか。

 「東欧社会主義国とソ連が、よもやこれほどまでドラスティックな転換を迎えるとは、金日成も予想だにしなかっただろう。」

 「歴史の奔流は、金日成に祖国を追われ、亡命したかっての同志たち、命からがら〈金日成の国〉を脱出した、かっての熱狂的な〈金日成崇拝者〉たちの口を開かせ始めたのである。」

 「本書で語る兪 成哲 ( ユ・ソンチョル  ) と呂 政 ( ヨ・ジョン  ) が、まさにそれらの人々だ。金日成を間近で見続け、直接粛清された体験を持っている彼らの話は、おそらくその最たる証言となるだろう。

 「彼らの証言を聞き出すのに成功した、韓国日報と東亜日報の説明に耳を傾けてみよう。」

 私はまだ、この本の中身を読んでいません。氏の「前書き」を読み、その報告を息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々にしているだけです。ここまで本の中身に踏み込んでいると、後で報告することがなくなり困るのでないかと、そんな気もしますが、氏の言葉には、私を惹きつけて離さないものがあります。おそらくそれは、「引き裂かれた祖国への愛」・・ではないのでしょうか。

 自分の国を愛する人間の気持ちには、通じるものがあるのかもしれません。たとえ氏が、日本を嫌っている在日コリアンであるとしても。

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『金○成』 - 3 ( テレビ・新聞や学者の影響力 )

2022-06-24 14:22:12 | 徒然の記

   「初めに」 「金○成をどう見るか」          黄 民基

      第一部 証言 「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲

     第二部 手記 「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政

  「初めに」・・黄 民基

 〈 日本の知識人が持つ、贖罪意識 〉に関する説明を紹介します。

  「金○成の実像を不明瞭にさせてきたもう一つの状況は、少なからずの日本の知識人の中に、植民地時代への贖罪感が作用してきたことだ。」

 「この贖罪感は民族的偏見を取り除こうとするあまり、金○成に対する否定的な事実に出会っても、それに目を向けまいとするほとんど条件反射的な心理と、無意識のうちに、北朝鮮側の資料を理解しようとする心理を、生み出させてきた。」

 この例として、昭和46年に作られた日本映画について説明しています。映画の中では、抗日パルチザン時代の金○成が語られていました。

 「日本が中国を侵略して行った時代の満州と、日本を舞台にしたこの映画は、いろんな意味で物議を醸したが、朝鮮人パルチザン役を準主演級で登場させ、わずかな語り口であったにせよ、金○成将軍を正当に取り扱ったということから、少なからずの人々が、このシーンだけは高く評価していた。」

 「北朝鮮当局のプロパガンダよりも、山本監督の用いた二言三言の台詞の方が、はるかに説得力を持っていたという話である。」

 「事実、北朝鮮当局の宣伝に懐疑的であった人の中からも、今の金○成は少しおかしいが、彼が日本軍と戦い独立に貢献したことはやはり事実であったし、偉大なことだったと、金○成を再評価する声が上がったくらいである。」

 昭和46年といえば日本が高度成長時代で、私は会社の若手社員の一人でした。週休二日制のない時で、月月火水木金金と皆んながむしゃらに働いていました。だから私は、この映画について何も知りません。氏の説明によりますと、次のような概要です。

  題名・・「戦争と人間」  映画会社・・日活   原作・・五味川純平  監督・・山本薩夫 

  中国共産党員役・・山本学  朝鮮人遊撃隊リーダー・・地井武男 

 映画の持つ力の大きさを教えられましたが、同時に私は、テレビ・新聞や学者の影響力の大きさも考えました。昭和30年代から40年代は、反日左翼の学者たちの意見がマスコミで大きく伝えられ、岩波書店などが反日左翼の本を洪水のように出版していました。

 金日成を称賛した末川博氏や、小田実氏がいましたし、北朝鮮の素晴らしい建国ぶりを伝える朝日新聞記者の特集記事もありました。かってシリーズで取り上げた、「変節した学者」たちの顔が浮かびます。こうした全体として考えますと、氏の分析は間違っていませんが、むしろ答えはこちらの方にある気がします。

  「極論から極論へ走る日本人の思考」

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『金○成』 - 2 ( 極論から極論へ走る日本人の思考 )

2022-06-23 23:39:50 | 徒然の記

 分厚いだけでなく、内容も知らないことが多いので、書評は長くかかりそうです。自分がどの位置にいるのかを忘れないため、今回も目次を最初に置くこととしました。

     「初めに」 「金○成をどう見るか」          黄 民基

      第一部 証言 「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲

     第二部 手記 「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政

  「初めに」・・黄 民基

  「金○成の実像が、日本の中ではなぜ不明瞭なまま認識されてきたのか。」について、黄氏の分析を紹介します。氏は原因として、日本人が持っている二つの思考を上げます。「根強い民族的偏見」と「日本の知識人が持つ、贖罪意識」です。

  〈 根強い民族的偏見 〉に関する説明です。

  「それは第一に、金○成に対する根強い民族的偏見が介在してきたからだと、指摘することができるであろう。」「この偏見は一部の人々に、金○成が抗日運動に身を投じた人物であるという事実や、北朝鮮住民から支持されているという事実から目を逸らせ、彼の業績は全てでたらめで、北朝鮮住民は彼の恐怖政治に服従させられているという情報のみを、信じさせる土壌を作ってきた。」

 「金○成が抗日運動を志したのも、抗日武装闘争に参加したことがあったのも、事実である。圧倒的多数の北朝鮮住民が、金○成を絶対的に支持しているのも、事実である。」

 「そのことが明らかになるや、今度は、いかに信憑性のある資料が現れたにせよ、それが金○成に対する否定的なものであれば、〈反共宣伝〉として片付けてしまう反作用が起こったのである。」

 この分析は、何度読んでも意味がよく分かりません。日本人は「民族的偏見」から、金○成の抗日武装闘争と朝鮮国民からの圧倒的支持を頭から信じていなかったけれど、それが事実だと分かると、今度は氏の全てを事実と信じる。正しい事実が出てきても、金○成を否定する事実であれば、今度は「反共宣伝」だと言って受け付けない、と説明しています。

 日本人は極論から極論へ走るから、金○成の実像が掴めないのだと、そう言っているのでしょうか。

 「金○成が抗日運動を志したのも、抗日武装闘争に参加したことがあったのも、事実である。」

 この文章をよく読むと、金○成は生まれた時から抗日パルチザンの闘士ではなかったが、志を持ち、参加したこともあったと述べています。だから全てを否定する日本人の意見は間違いだと、どうもそのように受け取れます。

 「圧倒的多数の北朝鮮住民が、金○成を絶対的に支持しているのも、事実である。」

 この文章も、よく読むと「北朝鮮の全国民」から支持されていると言っているのでなく、「圧倒的多数の北朝鮮住民」と書いています。全国民でなくても住民の多数からは支持されていたのだから、全てを否定する日本人の意見は間違いだと、同様の理屈を述べているのでしょうか。

 金○成を全否定していた日本人が、事実の一部が正しいと分かった途端、今度は金○成の全てを信じてしまうと、どうもそう言っている気がします。つまり氏が説明しようとしているのは、金○成の実像は「全否定」と「全肯定」の中間にあるということのようです。

 なぜなら著書全体の目的が、「金○成の衝撃の実像」を伝えるところにあるから、こういう解釈をしない限り論理の一貫性がなくなります。

 「多くの日本人は極論に走るから、物事の実態が掴めない。」

 もしも氏が、率直にこう説明すれば、私にはその方がずっと分かりやすいし、多くの日本人にも伝わると思います。戦前の日本人と、敗戦後と日本人の考え方の違いを見れば氏に説明されなくても、日本人自身が自覚しています。

 戦前は、日本は無敗の神国で世界の一等国だと得意になり、敗戦後は、日本は悪い国で、他国を侵略した野蛮な国だとひたすら反省しています。極論から極論に走った自分達の間違いを、現在の私たちが見直そうと苦労しています。

 今回「憲法改正」をするとしても、私たち国民が同じ間違いをしないようにと、私は祈るような気持ちでいます。 

 ですからこの分析は、残念ながら的を外れています。「根強い民族的偏見」は関係のない言葉で、なんのためにこんな重い言葉を持ち出したのか、せっかくの氏への信頼が薄れます。

 二番目に氏が挙げた理由・・〈 日本の知識人が持つ、贖罪意識 〉の分析には納得させられるものがありますので次回に紹介します。

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