ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

講和の代償

2014-06-29 18:09:30 | 徒然の記

 大森実著『講和の代償』( 昭和56年 講談社文庫 )を、読み終えた。

 知らない事実を沢山教えられ、感謝せずにおれない本だった。マッカーサーにしろ、吉田茂にしろ、学校ではおそわらなかったが、当時の新聞やラジオなどで、無意識のうちの記憶がある。

 敗戦後の日本を作った、この二人については、良い面が強調され、偉人のような扱いをされて、今もその印象が生きている。学生時代に深い意味も無く、『マッカーサー回想記』( ダグラス・マッカーサー著) と、『日本を決定した百年』(吉田茂著)を読んだせいもあり、敬意に近い思いを二人に抱いてきた。

 本の中身は忘れているが、当人たちが書いたものなので、自分に都合の悪いことが省略されていたのだろうと、今は推察できる。本人の回想だから、自慢や誇張があって当然のことで、私はそれを非難する気はない。

 しかし一人の国民としては、多面的な事実を知っておくことや、たとえマスコミが偏った報道をしても、一緒にその気にならないなど、常識を大切にしたいと願っている。大森氏は日本の戦後史に残る、大きな存在である二人を、貶めたり貶したりと、そのようなことはしていないのが、冷静な叙述が示唆している。

 現在では、毎日新聞の記者も狂った朝日と同様、目を覆いたくなる反日売国の記事を書いているが、氏の著作を読んでいると、以前は違った状況だったのだと教えられる。
 
 先ずマッカーサーは優れた軍人というより、むしろ、大きな善と悪を包含する、政治家だっということだった。共産主義の台頭に備え、軍備を含め、日本を再興すべしとするウイロビー少将は、いわば右翼の軍人である。一方のホイットニーは、財閥、軍閥、右翼政治家のすべてを放逐し、人権尊重の平和国家にすべしと言う、過激な左翼の将軍である。

 水と油の彼らが、それぞれ情報局(G2)、民政局(GS)のトップとして君臨し、マッカーサーの下で、「G2・GS戦争」と呼ばれるほどの争いをしていたということ。このため、日本の政治がいかに翻弄されたか。いうまでもないことだが、ホイットニーにつながるのは、共産党を筆頭とした左翼の政治家たちで、ウイロビーに近づくのは、吉田茂以下の保守政治家たちだ。

 マッカーサーは、戦勝気分に満ちた激しく対立する、二人の将軍を使い、敗戦後の日本を打ち壊し、再建するという、矛盾した政策を使い分けた人物だった。戦争放棄という、世界に例のない憲法をおしつけた一方で、無防備となった日本を、共産国家から守るために、米国軍隊の駐留か、あるいは日本の再軍備が不可欠という、危機感を同時に持っていた。

 朝鮮戦争が勃発した時、彼は、日本に平和憲法を与えたことを後悔したに違いない。強引に警察予備隊を作らせ、国防の一端を担わせようとした事実が、現実となった矛盾の始まりであり、現在にまで尾を引く「憲法問題」となっている。

 保守と言われる吉田茂は、マッカーサーの再軍備要請に即答せず、言を左右にして態度を明確にしない。彼は共産主義を嫌悪していたが、同じくらい、日本の軍隊も嫌悪していた。彼もマッカーサーも、朝鮮戦争直後から、日本国憲法の軍備放棄と平和主義が、大ウソの始まりとなったことを誰よりも理解していた。

 こうして大森氏は、当時の日本と、アジアの状況の複雑さを描き出す。

 不勉強な私は「日本国憲法」の矛盾や、中国、韓国、北朝鮮との軋轢などが、戦後の今になり露見したのだとばかり思っていたが、敗戦直後から日本は難しい立場に位置していたのだ。現在の不毛な左右の対立も、執拗な隣国の責めや攻撃も、今に始まったことでなく、当時から鳴りをひそめていたのだと分かった。

 そうしてみると、原因の多くは左翼政治家よりも、保守自民党の方にあると思えて来た。経済成長を優先し、豊かさの日々に首までつかり、日本の独立を蔑ろにしてきた彼らに、腹立たしさすら覚えてくる。

 普通の政治家なら、大森氏が著書で語っている事実くらいは常識だろうし、日本に欠けているものが、何であるかも理解しているはずだ。国政にたずさわる政治家なら、定年退職後に俄勉強をし、生半可な知識をかき集めている私などと、同じであるはずがない。過去から引きずっている重要問題を、彼らは、なぜ国民に語らなかったのか。反日・売国の左翼を放し飼いにし、八方美人よろしく、その場しのぎの弁明に終始したのはなぜか。保守の政治家たちに、猛省を促したくなった。

 安倍氏ひとりを、諸外国に右翼にとよばせ、軍国主義者となじられるに任せ、いったい保守自民党の政治家たちは、何を考えているのかと、問いたくなる。安倍氏が退陣したら、後に続く保守政治家がいないなどと、そんな寂しい有様で、日本という国が守れるのだろうか。

 政治家を責めるばかりでなく、もちろん私も国民の一人として、自分の責任は果たして行く。愚かしい反日マスコミへの、実行行為がその一つだ。朝日新聞の購読を止めたように、反日のマスコミの不買行為だ。今ひとつは、国を売る政治家へ投票をしないこと。大切な一票を、大切に使い、立派な保守政治家に入れることだ。保守と名のつく自民党にも、国を売る議員たちが混在しているから、騙されては行けない。

 あるいはこうしたブログを活用し、か細い声でも上げ続けて行くことだろう。声は小さくても根気よく重ねた努力は、何時か実を結ぶはずだ。

 [ 追 記  ] 

 日本の再軍備に強く反対する国が、中国・韓国だけでなかったことも、大森氏の本で知った。オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンがそれである。これらの国が反対する理由は、再軍備した日本への恐怖心だという。

 警察予備隊の創設に際し、ダレスが、これらの国々の説得に力を尽くしたたことなど、私は知らなかったが、どれほどの数の国民が知っているのだろう。

 氏の本は、肝に銘ずべき沢山のことを教えてくれた。感謝せずにおれない。

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飼い猫の死

2014-06-27 20:14:23 | 徒然の記

 平成26年6月26日23時30分、6という字を沢山並べ、わが家の猫は死んだ。

 さきほど、家内と二人で車でペット霊園へ行き、火葬にしてきた。係の若い男性が、白い骨となった猫を見せ、説明しながら、小さな骨壺に入れてくれた。家内は涙を流していたが、男である私は、我慢してうなづいていた。男女同権の世になって久しいのだし、今更、男だからと涙をこらえる必要もないのに、やはり私はそうした。

 しかし白い袋に入れられた骨壺を受け取り、その軽さを手にした時、不覚にも涙がこぼれた。礼を言う声が掠れていたから、もしかすると若い彼は、私のやせ我慢を見破っていたのかもしれない。

 家に帰って、机にあったメモを手にした。6月1日から昨日亡くなるまでの、乱雑な記録だ。はじめて失禁した日からのものだ。餌を食べた回数、水を飲んだ回数、ウンチとオシッコの回数などを、時間とともに書いてある。

 書いたからといって、病気が回復するはずはあるまいと、笑う人がいたら、私は説明してやりたい。

 「そんな気休めで、詰まらないメモなど取りません。」「病院で先生に経過報告をするための、メモなんです。」と・・

 年のせいなのか、物覚えが悪くなり、メモなしでは、病院の先生に説明ができなくなった。自分が食事をしたのかも、時々忘れるくらいだから、いくら飼い猫とは言え、細かなことを覚えておれる訳が無い。

 骨壺は、猫が何時も背を丸め庭を眺めていた、藤のテーブルに載せ、花と写真を一緒に飾った。

 どこの家でもそうなのだろうが、猫は我が物顔で、家中を占領していたから、二階へ行っても、洗面所に行っても、至る所に気配がある。するともう、すっかりもろくなった涙腺が、傍目を気にする必要がなくなった自宅では、緩みっぱなしになった。

 家内の部屋でも、私の部屋でも、庭でも、台所でも、玄関でも、寝そべったり、座ったりしている姿が浮かんでくる。猫のざぶとん、クッション、トイレ、餌入れなど、穏やかには眺められない。だから明日には、家内と相談しながら、品物を処分しなくてはならない。

 おとなしく、行儀良く、我慢強かった猫なのに、亡くなる前日の晩は、苦しみ悶えた。絶叫に近い声で苦しみ、動けない体を動かそうとした。「もういいよ、もう頑張らなくていいのよ。」家内が苦しむ猫を抱きしめたが、穏やかさが信じられないほどの煩悶だった。

 そうして、11時30分。わが猫は静かになり、呼吸の間隔が長くなり、細くなり、ついに聞こえなくなった。眠るような死を願っていたのだが、苦しみの果てにしか、静謐は訪れなかった。夕方の六時から五時間あまり、よく頑張り、よく耐えたと、猫は勿論のこと、家内にも、自分自身にもそう言った。


  私たちを励まし、勇気づけて下さったブログのお仲間に、心からのお礼と感謝を捧げます。ほんとうに、有り難うございました。

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内橋克人氏の主張

2014-06-19 20:30:11 | 徒然の記
 経済評論家として著名な人で、端正な風貌をした彼は、穏やかな語り口でマスコミによく登場する。
経済について門外漢なので、私は何となく氏の説に今日までうなづいてきた。しかし、5月24日の千葉日報に掲載された氏の主張を読んで失望した。
 
「政治の向こうに見える荒野」「今再びの暗い時代へ」と、記事のタイトルが掲げられ、戦争の恐ろしさを知らず、命を失うことのこわさを知らない政治家たちの、勇ましい言動に怒りが抑えられないという。氏はこうした政治家を、「戦争を知らない軍国少年」と蔑称する。具体的に名前は挙げていないが、安倍総理を筆頭に憲法改正を言う保守政治家をさしているのは言うまでもない。氏は「急旋回する政治状況への無念が胸にうずく」、と語る。

 氏はこれまで、「協同、参加、共生」を原理とした共生社会を提唱して来た人である。市場原理絶対主義に対する概念として賛同して来たけれど、今日の記事を読んで、私とまったく違う歴史観というか、国への思いと言うのか、彼の原理にも疑問が湧いて来た。彼の意見に従えば、秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使に賛成する私は、日本の暗い未来を招く者ということになる。

 けれども私は、氏に問いたい。貴方は昨今の中国の動きを、何と捉えておられるのかと。「丸裸の国を攻めてくる者はいない」と、貴方も村山氏のような見解を持っているのだろうか。軍備費を大きく膨らませ、日本ばかりでなくベトナムやフィリピンと力ずくで争っている無謀な中国については、何も言わない。あたかも安倍総理が自ら中国を挑発し、争いの元を作っていると、中国の主張そっくりの意見に私は疑問を抱く。総理のやることに何でも賛成していないが、少なくとも国際状況については譲れないものがある。どうやら氏の主張の根底には、「誤った戦争をした軍国主義の日本」「侵略戦争をした憎むべき日本」という基本があるらしい。要するに氏もまた「世界で間違っていたのは日本だけであるから、日本だけが悪い。」という思考の人物なのだと理解した。

 日本の首都を焼き尽くしてみせるとか、戦争になったら二三日で降伏させるとか、そんなことを言う中国の将軍には「軍国少年」と言わないのか。氏に限らず日本を悪し様に語る人々の中には、ダブルスタンダードがあるらしく、中国と日本の理解に激しい差別がある。戦争を恐れ、戦争を避けたいから、国の防衛をしようというのが私の主張だ。氏が心配する秘密保護法、集団的自衛権はおろか、他国を攻撃する軍隊だって、世界中の国が持っているのに、なぜ日本が普通の国になるのだけを嫌悪し憎悪するのか。

 「平和憲法のためなら、国民は殺戮されても仕方が無い」という意見を、私は決して受け入れない。直接語っていないが、氏はあの大江健三郎氏に似た危険なものを感じさせる。自分の国の歴史も文化も全てを否定する意見など、そんな愛の無い主張に賛成しないからと言って、「危険な右翼」だの「戦争をやりたがる」だの、よくもそんな短絡的なレッテルが貼れるものだと怒らずにおれない。

 わが家の猫のことだけでも胸が痛む日々なのに、それでも生きている限り新聞も読むし本も読むから、どうしたって黙っておれなくなる。
「無念が胸に疼く」のは、貴方だけでなく、私だって同じなのです。なんでこんなインテリたちが、なんでこんなに沢山日本にはいるのだろう。言論の自由な国とは言え、そっちの方が不思議でならない。
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わが家の猫

2014-06-17 13:05:45 | 徒然の記

 餌を食べ、水を飲む。オシッコをし、うんちをする。過去13年間、当たり前のこととして、わが猫は繰り返してきた。

 そしてここ数日、餌を食べず水も飲まなくなった。それどころか、オシッコもせずうんちもしない。繰り返されてきた日常の行為が、突然停止し、暮らしの歯車がきしみ出した。うつむいてじっとしていることが多くなり、鳴いたり、ひっかいたりする元気が無くなった。

 今まで行ったことも無い、部屋の隅や、狭苦しいタンスの奥の隙間で、うづくまるようになった。小さく声をかけると、丸い目でじっと見返してくる。

 亡くなる前になると、猫は飼い主の前から姿を消すと聞いていたが、これがそうなのだろうかと思ったりする。痛みも苦しみも我慢する猫は、終日横になったまま、静かに目を閉じている。

 病院へ連れて行ったら、女医さんに言われた。

 「腎臓の機能が、半分以下に落ちています。」「回復はしませんが、現状をどこまで維持できるかでしよう。」「食べるものは、何でもたべさせてください。」

 悲観的な説明ばかりされ、気が動転したらしい家内は「もう諦めています。」なとど口走っていた。「諦めていますじゃなくて、覚悟していますだろ。あんな言い方はまずいよ。」

 帰りの車の中で抗議したが、帰宅してぐったりした猫を膝に抱き、涙ぐむ妻を見ていたら、言葉の違いなど、どうでもよくなった。当分は点滴のため通院することとなったが、苦しまずに、最後を迎えるようにしてやろうと、私たちが考えるのはそれだけだ。
 
 浣腸もしてやった。スポイドで水も飲ませてやった。刺身も買ってきて食べさせたし、お尻も洗ってやった。何も苦にならないし、汚くもない。しかし、驚きの発見もある。いざとなると、胆力が無くなるという、自分の発見だ。

 ブログにだけでなく、家内や子供たちにだって、日頃偉そうなことを言っているのに、こんなことでうろたえている。災害や戦火になど遭遇したら、果たして自分は何が出来るのだろうと、疑問さえわいてきた。

 猫のことだけ考えていれば良いのに、こんな処が駄目なんだ。災害だの戦火だの、余計なことまで発展させるから、ますます手におえなくしてしまう。政(まつりごと)の難しさを知りもせず、いっぱし理屈を並べるこんな私を、ニャンコ姫殿は笑っているのだろうか。

 飼い猫が終わろうとする時に、ニャンコなどというプログ主と出会うのは、何かの引き合わせなのだろうか・・・・・・。もう止めにしないと、冷静さを失った心は、どこまで羽を広げようとするのか、先が見えなくなる。

 久しぶりの晴天で、心地よい風がレースのカーテンをゆらしている。

猫 ( 猫にはちゃんと名前があるのだが、敢えて私は省略している。)は、今、風呂場の床に隅に身を横たえ、静かに眠っている。昨日から何も食べず、普段は欲しがる水も飲まない。

 午後になったら、点滴のため病院へ行く。そうするとお苗は、弱々しい声で、「病院はイヤだ」と鳴くのだろう。だが猫よ、私だって病院は嫌いだ。ひどいことをするし、お金だって高い。しかし、点滴をしなかったら、お前は、どこから生きる力が出るというのだ。そうするしかないだろ・・・。


 猫に言っているのか、自分に言い聞かせているのか、分からなくなってきたから、本日はこれまでだ。終わり、終わり。

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チャンネル桜・沖縄の声-2

2014-06-15 07:47:10 | 徒然の記

 四ヶ月ぶりに、見た。江崎師匠と我那覇さんの動画だ。

曜日毎にコメンテーターがおられるけれど、私はこの二人のファンである。なにしろ、その明るさととぼけた味が、いい。偏向沖縄の度し難い現実を話題にしているのだが、話を聞かされる方は爽やかに引込まれて行く。善男善女が知らぬうちに二人の話を聞き、知らぬうちに偏向マスコミの恐ろしさに気づかされ、いつの間にか過激なプロ市民に疑問を抱き、自分たちの日々を見直すようになる。
 結果として、琉球新報や沖縄タイムズの読者が減り、愚かな左翼の政治屋どもが落選し、普通の県に戻っている・・・・・と、こんな素晴らしい変化を二人のコメンテーターがもたらしてくれる。

 いつもそんな思いで見ていたが、今回ますます期待が持てるようになった。時間配分にも慣れ、トークの中身も充実し、笑いと涙がちりばめられていた。「沖縄から、日本が変わる。きっと・・・・。」
そんな希望さえ抱かせてもらった。

 さて、そうなると、水島社長も見直さなくてならない。時として退屈な繰り返しがあり、動画を見る者を退屈させるとしても、そんなことがなんだろう。氏の功績の大きさを思えば、多少の欠陥は「愛嬌、愛嬌。ドンマイン」だ。「日本を取戻そうとしている」安倍総理を、私は応援しているが、水島氏ほどには熱心でなく、TPPや移民計画など苦々しくてならないが、それでも、「チャンネル桜」の功績の大きさは賞賛せずにおれない。

 「みみずの戯言」程度の発信で氏を批評するのは、とてもおこがましいけれど、「頑張れ頑張れ」と手を叩かずにおれない。
金まみれのタレントと成り果てた田原総一朗ごときに、右翼の「さくらチャンネル」と小馬鹿にされても、無視してやればいいのだ。(どうしたことか、今日は朝からトーンが上がっている。)

 ええい、ままよ。言ってしまえ。「水島社長は健康に留意され、これからも日本のため力を尽くして頂きたい。」(そうだ、忘れてはならない。「さくらのスタッフの方々も、勿論です。」「江崎師匠と我那覇さんも。」)

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騙される人々

2014-06-13 11:23:46 | 徒然の記

 息子の名を騙る「おれおれ詐欺」や、怪しげな投資話にだまされる、高齢者のニュースが、世間を騒がせるようになったのは、何時頃からだろう。

 最近ではテレビだけでなく、警察や市の広報などが回覧で回され、月に何度かは、市役所のマイクが近隣に呼びかけるようになった。

 「被害が増えています。お金を渡す前に、家族や警察に相談して下さい。」
手取り足取り、これだけ注意を喚起されても、それでも被害を被る高齢者たちのニュースが、あとを断たないのはどうしたことか。

 最初の頃は、人をたぶらかす犯人どもに怒ったが、この頃はだまされる高齢者にも、怒りを覚えるようになった。彼らは新聞もテレビも、自治会の回覧板も見ないのだろうか。分かり切った手口が、繰り返されているというのに、疑問すら抱かないのだろうか。騙される方だって悪いんだと、今はもうこんな風に思うようになった。

 500万、600万、1000万円と、一体どれほど金を持っているのか、被害額の大きさにいつも呆れさせられる。もし詐欺師の電話がかかってきても、わが家には対応すべき貯金がない。逆さに振っても出ない財布同様のわが家は、年金以外の収入の無いことを、息子たちがシッカリ知っているので、「おれおれの電話」などかかってくるはずがない。私も高齢者のはしくれだが、決して騙されない自信があるというのは、こんな訳だ。

 子供は三人いるが、親に金をせびるような子は一人もいない、と胸を張れるのは、自慢すべきことなのか、それとも、貧乏暮らしを残念に思うべきか、判断に迷うところがある。

 ようするに、騙される人々は、それだけの余裕があるということであり、金のない自分が同情することはどこにもないと、こんな結論に達した。大金をだまし取られた日本人旅行者に対して、イタリア人だったと思うが、「騙される方が悪いんです」と切り捨てていた。

 この時以来、お人好しは生きて行けないと言うのが、世界の常識と知らされたのだが、「おれおれ詐欺」なんて、きっと日本だけの珍現象に違いあるまい。

 だからこそ、自民党の政治家たちに言わずにおれない。「移民年間20万人計画」など実行したら、国ごと「おれおれ詐欺」でひったくられるぞと・・・・・。

 「諸国民の公正と信義」を疑わなくなった、戦後の私たちは、平和ぼけばかりでなく、賢く生きる知恵さえ失っているのだ。分別豊かな高齢者であるべき人々が、かくも無惨な愚か者として、多数生きている現実を正しく把握せずにおれない。

 そこで、我田引水、牽強付会を承知の上で、私は断言する。「憲法を改正しなくては、愚かな民が粗製濫造される。」
 
  この結論は、賛成してくれる人がいることを、期待していない。自分だけが納得する理屈で、これこそ「みみずの戯言」だから。

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声を上げて欲しい保守知識層の人々

2014-06-10 17:05:42 | 徒然の記
 5月18日の千葉日報の「忙人寸語」に、総理への批判が書かれている。
安倍政権の誕生は、震災復興と経済再生への期待感だけで、集団的自衛権の話では無かった。行使容認の解釈変更をするのなら、民意を問うべしと言う意見だ。朝日や毎日ほど悪辣でないが、千葉日報のスタンスも反安倍・反日の流れの中にある。

 一見最もらしい意見だが、安倍政権の誕生に国民が期待した大切なものを、マスコミは常に、意識的に無視してみせる。震災からの復興と経済再生も勿論安倍政権への期待だったが、もっと大切なことは「反日・売国・亡国」の左翼民主党がいかに国を貶めたか、どれほど抜き差しなら無い状況にわが国を追い込んだかを国民が気づいたことが肝心なのだ。民主党の政治に危機感を抱き、国の歴史や防衛について、これではならないと目覚めたからこそ安倍氏への票を増やした。

 「憲法改正」をし、「日本を取戻す」という彼の意見に私たちは期待し、日本の再生を願った。それゆえ民主党は惨敗し、他の左翼政党も消滅寸前となり、自民党の圧倒的多数が実現した。ここにある民意の重さを無視する、腐ったマスコミどもの情報操作をこれ以上放置して良いものだろうか。

 そしてまた、今日の10時のNHK「くらしの解説」における、集団的自衛権の容認に関するアンケート調査の結果説明。自民党支持率、安倍政権の支持率など、他にもいろいろな数字が出てきた。反対多数となるのか、賛成多数となるのか、解説者の説明次第でどちらにもなる微妙な数字なのに、反安倍の解説者の話だから当然安倍総理が悪役となる。国民に反対されながら、無理にも戦争への道を開こうとしていると、そういう調子になる。腐っても鯛のNHKが、こう言う論調で報道すれば、大抵の人間は安倍氏への印象を損ない、反自民の感情を植え付けられる。


 何度も言ってきたが、これが戦後日本のマスコミの実態である。だが、だがと、私は考える。網の目のように張り巡らされた偏向マスコミの報道に対して、保守系の知識人たちは何故声を上げないのだろう。私みたいな一庶民ですら、「みみずの戯言」で小さな抗議をしているというのに、なぜ保守のインテリ層は鳴りを潜めているのだろう。たしかに左翼の知識層は、国立大学の学長職を占有し、教育界・学会の有名人で、マスコミへの露出度も高く、その意見を国民の多くが傾聴する。偏向を気づかせないほど穏やかで紳士的な彼らは、静かな口調で優しく反日の思想を語るから、いやでもその気にさせられる。自分がたぶらかされていることを、疑いもしない。

 しかし、そんな時代がまさに終わろうとしている。覚醒と言うべきなのか、無法な中国や韓国、あるいは居丈高なアメリカのお陰で、ここ一二年私たちは国際政治の非情さや無謀さを学ばされた。
今までは偏向マスコミや左翼インテリの話を素直に聞いてきたが、どうもそうではないようだと、自分で考えようとし始めたのだ。戦後70年目にしてやっと訪れてきた、日本再考の好機。保守系知識人の方々よ。高邁なる精神と豊富な知識をおのれ一人のものとせず、国民の多くに語ってもらいたい。なぜ日本人は国を愛せなくなったのか。父や母や子や孫の住むこの国を、どうして蔑んだまま生きなくてならないのか。それでよいのか。本当にそうなのかと、静かな語り口で伝えて欲しい。

 かって森鴎外が九州へ赴任した折、富豪と呼ばれる人の多さに比較し、教育・文化への関心のお粗末さを慨嘆し、「もし、我九州の富豪なりせば。」という表題で著述したところ、賛同した富豪たちが資金を拠出し「九州工業大学」が生まれたのだと、そんな話を聞いたことがある。

 保守系の知識層だって、鴎外に負けていることはない。「我、もし日本の富豪なりせば。」と、心情を吐露したら、意気に感じた財界人が新聞社とテレビ局の一つや二つ提供してくれないとも限らない。利益のために国を売るような人間ばかりでなく、国を大切にする企業人だっているに決まっている。反日左翼の考えが蔓延しているからと言っても、ここは同じ日本であり、同じ日本人が住んでいる。明治時代に鴎外がやれたことを、平成になったから知識人の誰にもやれないなど、私にはとうてい信じられない。



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もしかして、わが宰相は精神分裂症か

2014-06-09 12:34:16 | 徒然の記

 憲法改正を旗印にする限り、他人が何を言おうと、私は総理を支持して行く。

 現憲法が見直されない限り、(アメリカを含め)近隣諸国からの、不当な干渉が後をたたず、国民の自虐史観も払拭されない。武田邦彦氏が語るように、反日日本人の、発生源ともなっている現憲法は、見直しの時期が到来している。ようするにこれが、総理の言葉で言えば「戦後レジュームからの脱却」であり、「日本を取戻す」ことである。

 先日総理は否定したが、「20万人移民計画」が、まだ政府のどこかでくすぶっているようだ。日本の人口減少を補完し、経済成長を維持するためには、移民が必要だという話だ。昨日NHKを見ていたら、若いアナウンサーが「外国人研修制度」と、「移民計画」の何れを視聴者は、選択しますかと、何か朗らかな話題でもあるかのごとく、語りかけていた。
 

 低賃金労働を強いる「外国人研修制度」が、どんなに悪辣な状況にあるのか、私は先日ブログで内容の一端を語った。いかにも優れた制度ででもあるらしく語る、この若いアナウンサーは、制度についての調査を、幾らかでもしたのだろうか。

 まして「移民計画」などは、少しまともな日本人なら、これが国を破壊する危険なものであり、決して実行してはならない企てだと、即座に理解できる。「移民計画」ともっともらしい名前がついているが、これは「国の制度を破壊する兵器」なのだ。


 なだれ込む外国人が、日本の「文化、習慣、思想、生活」のすべてを混乱させ、やがて対立と争乱と、遂には殺人の応酬へと繋がって行くのだと、世界での事例が示している。外来種のブラックバスが、わが国の河沼の魚を食いつくし、絶滅させているように、人間の世界でも、同様の現象が生じる。これは偏見や差別などという、低次元の感情論でなく、客観的事実だ。

 移民計画と外国人研修制度については、専門家といわれるらしい大学の教授か、助教授かが、それぞれ推進の立場に立ち、問題提起や説明をしていたが、私はNHKが反日・亡国の報道機関に間違いないことを、再認識した。


 「国家百年の大計」などと、偉そうなことを言っているが、NHKは「国家を百年で破滅」させようとしている。移民計画推進者の教授はまずは「10万人でも20万人でもいいから、始めて見ること」が大切などと寝言を言っている。そのうちこれが100万、200万人と増えたら、いったいどうなるのかと、そこには一切触れようとしない。

 もしこれが中国人だったら、やがて彼らは、自治を要求して暴れ出し、ついにはその保護のためと称して、中国の軍隊が大挙してくる。チベットもウイグルも、こうして植民地化されていったというのに、愚かなNHKは、国民をたぶらかすことしか考えていない。

 さて、いくら書いても切りがないから、NHKについてはこれで止めにしよう。本論はタイトルの通り、安倍総理への不信感だ。こんなにも矛盾した政策を、平然として押し進めるのだとしたら、結論は一つしか無い。

 「もしかして、わが宰相は精神分裂者なのか。」と、・・。

 飼い猫の老いにも悲しませられるが、宰相の乱心にも悲しませられる、この日々を、何としよう。

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老境の飼い猫

2014-06-06 20:27:26 | 徒然の記

 息子が、職場の知人に頼まれ、猫を貰ってきたのは、14年前だった。

 生まれたばかりのメス猫は、体中を細かく振るわせ、不安そうに頼りない声で、泣いてばかりいた。片方の手のひらに乗るほどの小ささで、階段などは高すぎて上がれず、狭いわが家なのに、子猫にはとてつもなく宏大な場所になっていた。

 成長するにつれ活発になり、戸棚の上、タンスの上、本棚の上と、高い所ならどこへでも軽々と飛び上がり、そこから人間を見下ろすようになった。窓辺に飾り棚や台を置き、花や皿など、気に入りのアンティークを飾っていたが、そうした場所を、いつの間にか猫がすべて占領してしまった。

 頼まれて、仕方なく飼ってやっていると、その頃私は考えていたが、妻は最初から「猫可愛がり」で、何をするにも飼い猫が優先だった。私はもともと、犬や猫に靴を履かせたり、チョッキを着せたりする人々の愚かしさを、鼻先で笑う人間で、裸暮らしの生き物に余計なことをし、犬や猫こそ、迷惑しているはずと軽蔑していた。

 仕事一途だった当時の私は、冷淡ではないが、さほど猫に夢中にならず、日々を過ごしていた。「珍しい猫ですねえ。そんじょそこらには、いませんよ。」近所の犬好きの主人に言われ、改めて飼い猫の姿を見直した。

 普段は挨拶もしない近所の住人が、わざわざ声をかけてくるほどの猫だったか、と驚いた。家内に聞くと、雑種のメインクーンだという。長毛で大柄な猫は、フサフサとした尻尾を持ち、背筋を伸ばし、庭を睥睨する姿が堂々としていた。そう言われると、なるほど立派に見えてくるから、不思議だった。

 近所とのトラブルを避けるため、室内で飼うことに決め、庭に出す時は綱をつけ、遠くへ行けないようにしていた。それでも猫は、他所の猫が侵入してくると、綱を引きずったまま追いかける元気の良さで、油断していると、ガラス戸の隙間から逃げ出し、近所中を探しまわることが何度もあった。

 蝉が鳴くと、庭木の間にもぐって捕まえ、虫の嫌いな家内に、得意そうに見せにきた。トカゲやバッタもそうだった。動くものなら、何でも気になるらしく、素早い動作で捕獲してきた。飼い主に、獲物を見せずにおれないというのが習性なのか、夏になると、家内は悲鳴をあげる日が多くなったものだ。

 息子たちが家を離れ、夫婦二人の暮らしになると、飼い猫は単なる猫というより、いつしか、家族の一員としての位置を占めるようになった。今ではもう、家内より、私の方が猫を可愛がっている時がある。親ばかならぬ、飼い主バカと成り果てている不思議さだ。

 その猫が、ここ数ヶ月めっきりと衰え、棚に上がろうとして足を滑らせたり、飛び上がるタイミングを失って、断念したり、かっての活発さが影をひそめてしまった。食が細くなり、子猫だった昔に返ったような、弱々しい声で鳴くようにもなった。一番のショックは、失禁だった。決められたトイレを、キチンと使う行儀の良さだったのに、時おり自覚を失い、垂れ流している。

 「もうお婆ちゃんだから、仕方がないのよ。」と、妻は覚悟をしているが、元気で雄々しかった猫が、かくも無惨に老いていく姿が信じられない私だ。飼い猫の急変に、自分の気持ちがついて行けない。

 失禁用のシートや、流動食などを、家内と二人で買ってきた日から、私にも覚悟ができつつある。死というものに向かう準備とでも言うのか、喜びを共にした、家族の一員への感謝とでも言うのか。静かに看取ろうという強い思いがある一方で、近づいている最後の日を心に描くと、たまらないものがある。

 しかもこれは他人ごとでなく、自分たち夫婦の、近い将来の姿でもある。延命治療をせず、自然のままに逝きたいと願っている、私たち自身のお手本でもある。
冗談混じりに過ごしてきた、いい加減な日が沢山あるが、現在の私は、厳かな気持ちで、飼い猫の老いを見つめている。

 「割れ鍋にとじ蓋」、似た者夫婦なので、妻もおそらく、同じ思いなのだろうと推察する。

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