ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

惑いつつ、ためらいつつ読む本、『流転の王妃』

2013-09-28 12:16:22 | 徒然の記

 愛新覚羅浩 ( ひろ ) 氏著『流転の王妃』( 昭和59年刊 主婦と生活社 ) を読了。

 著者は、満州国皇帝溥儀の弟溥傑氏と、関東軍によって政略結婚させられた人である。嵯峨公爵家の嵯峨実藤氏の長女として生まれ、数奇な運命を辿った日本人と私が知っているのはそれくらいだった。読み進むうちに、彼女はまさに歴史の生き証人であり、軽い気持ちで手にしてはならない本だと理解した。

 執筆当時70才だったので、既に故人となられているに違いないが、氏にとっては、日本と夫君の中国はいずれも大切な祖国であった。誠実な氏が日本と中国のあいだで、心を引き裂かれるようにして生きた事実が伝わって来た。そして私の前に、日本が又別の顔をして現れてくる。

 「満州国の建国そのものが、関東軍の策謀の下に行われたことは、いうまでもありません。清朝最後の皇帝宣統帝 ( 溥儀 ) を、満州国皇帝にかつぎあげたのも、この関東軍でした。」

 「溥儀皇帝は、三歳で清朝の帝位に就かれました。不幸なことに在位4年にして清朝は倒れますが、廃帝としてそのまま紫禁城で成長されます。」「後に城を追われて北府に逃れ、その後北京の日本公使館に避難されました。」

 「満州国建国の翌々年、宣統廃帝は二十八歳で満州国皇帝となります。しかし、当初の話とちがって、皇帝とは名ばかりで、関東軍によって行動の自由も無く、意思表示もできない、傀儡の生活に甘んじなければなりませんでした。」

 「関東軍のなかで宮廷に権勢をふるったのは、宮内府宮廷掛の吉岡安直大佐でした。大佐は、私たちが新京で生活するようになると、事ある毎に干渉するようになりました。」

 吉岡大佐は彼女たちの見合い時からの付き添いで、当時は中佐だったが、やがて大佐となり中将になった人物だ。他人を悪し様に言わない著者が、本の中で何度か彼の名前を出し、溥傑氏に無礼を働く様子を書いているところからすると、余程腹に据えかねていたのだと推測できる。

 「吉岡大佐に限らず、〈五族協和〉のスローガンを掲げながらも、満州では全て日本人優先でした。」

 「日本人の中でも関東軍は絶対の勢力を占め、関東軍でなければ人にあらず、という勢いでした。満州国皇弟と結婚した私など、そうした人たちの目から見れば虫けら同然の存在に映ったのかもしれません。」

 「日本の警察や兵隊が店で食事をしてもお金を払わず、威張って出て行くということ。そんな話に私は愕然としました。いずれも、それまでの私には想像もつかなかった話ばかりでしたが、そうした事実を知るにつれ、日・満・蒙・漢・朝の〈五族協和〉というスローガンが、このままではどうなることかと暗澹たる思いにかられるのでした。」

 「日本に対する不満は、一般民衆から満州国の要人にまで共通していました。私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。」

 本を読んでいるとていると、私の心も沈んでくる。氏の自伝であり、主として書かれているのは夫溥傑氏や、二人の娘のこと、家族のこと、生活習慣の違いのことなどで、軍や政治向きのことはそれほど述べられていない。私が、こうした箇所を書き抜いているのには訳がある。

 あの執拗な中国の反日と憎悪は、どこから生まれているのか。

 やはり私はそれが知りたい。満州の建国も、朝鮮の統合も、日本にはメリットが無く、相手にとって大きな益になっていたと、保守の人々が言うが合点が行かない。軍の横暴を反日の人間が話すのなら、またかと言って無視できるが、氏の言葉で語られると、やはり日本は酷いことをしていたと考え直さずにおれなくなる。

 満州族と漢族は違う民族なので、中国が日本を非難するのは的外れだと保守系の評論家が言うけれど、氏の話ではそうではない。満州族も漢族も同じ国の人間として、気持ちがひとつになるから、満州での日本人の横暴はそのまま中国人の怒りになると、こういう説明だった。

 私の皮膚に傷がつき、異物が当たってひりひりとする。そういう痛みが、この本の中にあった。憲法改正だけでなく、中国との感情の対立も、戦後はまだ終わっていないと知らされた。

 自分が目を閉じる日が来るまで、私は私なりに「みみずの戯言」と共に、心の整理をしてみよう。いつものことだが、今日も私は惑いつつためらいいつつ、本のページを閉じることとする。

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反日を言わなかった頃の中国

2013-09-25 19:14:34 | 徒然の記

 大島康正著『花に思想はあるか』( 昭和41年刊   東都書房 )、を読み終えた。

 日本への憎しみを剥き出しにする、今の中国からはとても考えられない内容だった。文化大革命が始まった頃の中国を、作者が個人旅行で、32日間かけ17都市を旅行した記録だ。

 到着する駅毎に、ビュィック、クライスラー、フォード、パッカードといった高級外車 (中古だけれど) が氏を待ち、ガイド兼通訳が、希望する場所に案内してくれる。ホテルは最高級で、夕食時には、必ずビールを用意する約束になっているという。

 昭和41年にどうして氏が、このような大名旅行をすることができたのか。

 有力政治家でもなく、中国関係の団体役員でもなく、氏は単なる教育大の教授で、文学博士、哲学者だ。もしかすると闇の世界に住む大物スパイなのかと、本を読み進むほどに疑問がふくらんだりした。

 氏は行く先々で遠慮なく質問し、相手を困らせ、中国政府や要人を平気で批評している。それでいて誰からも暴力を振るわれず、国外退去にもなっていない。そこには、私の想像もつかない中国があった。

 「毛主席の本を読み、毛主席の話を聞き、毛主席の指示に案じてことを行え。」「毛沢東思想を把えれば、真性の学が手に入る。」

「千難万難、毛沢東思想を持てば難はなくなる。毛沢東の著作は、中国人民を熱愛する。」

 「ともかく、いたるところ、毛思想万能のスローガンだらけである。まったく毛思想とは、素晴らしいものらしい。」「労働者のサナトリュームの、所長の説明によると、毛思想によって武装し、革命のために病気を治す信念に立てば、病気は必ず治るとのこと。」

 「しかし世界人類と同じく、中国人民もまた人間のはずであるから、癌や脳溢血などで、日々死んで行く人は絶えない。この人たちは、何故死ぬのか。おそらく、毛思想の学習が足りないためであろう。」

 氏は中国礼賛の左翼学者でないから、平気でこんなことを書いている。

 「危機を乗り越え、大躍進を続けるため一番大切なものは何か。いうまでもなく、人心を高揚させ、国民の緊張感を煽ることであろう。」「労働者や農民、兵士や学生たちをして、普段は地位が高く、優れた人間であると思わせていた著名共産党員や、大学教授を槍玉にあげて思い切り叩かせる。」

 「人民たちは、コンプレックスが一挙に解消して、胸がなんとスッキリすることであろう。これが毛思想というのなら、何と毛思想は有り難いことだろう。」「何しろ、精神的な下克上を、公然とやらせてくれるからである。これはおよそ、革命前の中国では、想像もつかなかった人間関係であろう。」

 これが文化大革命に関する、氏の感想である。

 自分の名前を書いた、大きな札を首から下げ、紅衛兵たちに引き立てられ、叩かれ糾弾される党の高官や大学教授たちの惨めな姿。当時の新聞で、毎日のように書き立てられた文化大革命の記事や、むごい写真を今でも覚えている。

 日本の新聞は、国づくりのための崇高な行為であるかのように報道していたが、実情は恐ろしい、権力闘争だったと氏の本が教える。新聞はこうした時でも、正しい事実を、日本に伝えてい中ったということか。

 当時の中国が敵視していたのは、帝国主義の米国と修正主義のソ連で、国民に対し反米反ソの教育が行われていて、日本のことは眼中になかった。たかだか、37年前の話だ。

 大島氏が本の最後で、旅行の仕組みを解説してくれたので、私は納得し安心した。氏の旅行は、中国政府が決めた「私費旅行プラン」に沿ったものだった。ランクには、デラックスA、デラックスB、上等、ツーリスト、ビジネスの5つがあり、外国人から、外貨を取れるだけふんだくろうという計画だった。

 デラックスAは、国賓級の人物のもので、民間人の最高がデラックスBなので、大島氏はこれを選んだのだと言う。

 下にも置かないもてなしの理由が、これで分かったが、世界第二の経済大国などともてはやされ、自分でもその気になり、傲慢になった今の中国ではこんな旅行はさせてくれない。

 まして日本人に、ここまで腰を低くしサービスするなどあり得ない話で、二度とできない旅だ。

 貧しかった当時の中国では、外貨が人民の血の一滴と言われ、国を挙げて獲得に取り組んでいた時の話だ。だからこれは、間違いなく歴史的な書籍だ。図書館で貰った本だからと、粗大ゴミには決して出さず大切にしまっておこう。

 こんな発見があるから、生きているのが面白い。愉快でならない。

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カレル・オルフレン - 3 ( 現行憲法が歪める、日本 )

2013-09-17 06:32:02 | 徒然の記

 カレル・オルフレンは日本の現状を打破するため、種々の提案と分析をしている。

 しかしそろそろ、彼に関するブログをお仕舞いにしようと思う。それで今回は、彼が述べる奇抜な提案、と言っても私には当然の意見なのだが、これを紹介して最後としたい。

 オランダ人からこんな助言をされるとは、夢にも思わなかったが、なんとそれは「憲法改正」である。以下は彼の意見だ。

 「憲法改正という表現は、適切ではない。〈改正〉でなく、〈創造〉というべきだという意見もありうる。」「日本の現行憲法は、言葉の普通の意味での憲法ではない。憲法の理論と政治の実践とのあいだに、信じられないほど大きなギャップがあるにもかかわらず、一度も改正されたことがないという事実からも、憲法が現実に合っていないと言うことは明らかだ。」

 「憲法は、生きた存在でなければならない。国の政治の究極的、かつ実際的な、指針でなければならない。」「達成できない高尚な理想のプログラムであっては、ならないのだ。」

 「護憲派と呼ばれている、知識人の一派がいる。彼らは一部のマスコミには、持ち上げられているが、アウトサイダーには、馬鹿げたとしか思えない活動に従事している。」

 「護憲派は、憲法問題について討議する用意をするだけで、負けへの第一歩と、考えているらしい。」「しかし皮肉なことに、どんな現実的な観点から見ても、日本の左翼は、その護憲運動全体を通じて、とっくに負けているのだ。」

 「もちろん、第九条には取り組まなければならない。」「多くの人に愛されると同時に、多くの人に忌み嫌われている、有名な条文である。この条文は、愛や憎しみを生んだだけでなく、現在の事態をジョークに近いものにするため、大きな役割を果たして来た。」

 「この条文は、軍隊を決して保持しないと決めている。ところが、軍隊はある。しかも、世界で、三番目に金をかけた軍隊なのだ。」

 「この条文は、責任あるメンバーの一人として、国際社会への参加を期待される国に対し、実現不可能なことを要求している。」「戦争を行う権利を放棄する国は、国としての主権を、みずから放棄しているということなのである。」「第九条は、おそらくアメリカ占領軍の最大のミスだろうと、考えるのを恐れないで頂きたい。」

 これまで私は、日本人の誰からもこの正論を聞いたことがない。

 「日本人の第九条支持の根底には、純粋に理想主義的な考えがあること、賞賛に値する思いから、生まれて来たものであることを私は信じる。」

「しかしそれはやがて人間の本質や、政治のリアリティーに関する歪んだ見方につながっていき、長期的には政治にダメージをもたらし、思いとは正反対の結果に至る恐れさえある。」

 「この平和憲法は、戦争にもいろいろな種類があるという事実を無視している。」「そのため日本人には、正当化できない戦争と正しい動機のある戦争とを区別する必要がなくなっており、このことが非現実的な世界観を生んでいる。」

 日本人の誰も言わない正論を、オランダ人から聞くと言うのは情けない話です。

 「力を合わせて、現実的な日本の憲法を作るという計画で、私を強く引き付けるのは、それが新しいチャンスを切り開くと言う点である。」「旧来の左翼の硬直化と、憂うべき行き止まり思考から、精神を解放するチャンスを与えられる。」

 「同様に自国への誇りを持ちたいがため、旧来の右翼がめざす方向に引きつけられてきた人びとも、真に愛国的であるとはどういうことかを、発見できるだろう。」「この計画は、現在の左翼と右翼のあいだに存在している、ばかばかしい時代錯誤のギャップを埋めるかも知れない。」

 「選挙で選ばれたわけでない役人をコントロールするには、政治家が唯一の頼みの綱である。」「そうはいっても、あなた方が、なかなか政治家を信頼する気になれないのはよく分かる。」

 「彼らのほとんどがかなり凡庸であり、役所を管理するためには何を知っておかねばならないかを、知らない。」「政治家自身が、官僚のコントロールを引き受け、貴方の名において本物の政府を作る知識と技能を磨き、自らの信頼性を証明すべきことを、政治家に伝える方法は沢山ある。」

 正論だが、こんなことまで他国の人間に教えられなくてならないのだろうか。

 「市民は信頼に値する政治家を、生み出して行くことができる。」

 疑問が次第に屈辱感となり、氏への感謝を消していく。

 「この国民的な計画では、新聞が極めて重要になる。」「日本の新聞は、これまでの官僚との近親相姦的な関係を断ち切り、これまでしてきたように官僚集団を守るのでなく、彼らを、厳しく突き放して眺めるようにしなくてはならない。」

 「つまり、日本の新聞の内容を決定している人びとこそが、真の愛国心とは何かを理解し、その理解を紙面に生かさなければならない。」

  これが本の最後で提案された、彼のメッセージだ。

 優秀な日本の官僚たちが、現状を変革する計画に強く反対し、無言の内に「護憲派」の左翼勢力に手を貸しているという。ここで彼は再び、官僚制度とマスコミに日本人が管理されているという自説を、展開する。

 実感として氏の意見におおむね賛同しているから、せめてこのブログを「貧者の一灯」にしたいと考える。もっと有効に発信するにはどうすれば良いのか、考えながら終わりとする。

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カレル・オルフレン - 2 ( 氏の正論 )

2013-09-15 15:17:00 | 徒然の記

 今日は、最初から氏の主張をそのまま紹介したい。左翼インテリについての解説である。

 「ここでしばらく、大江 ( 健三郎 ) に話を絞りたい。」「なぜなら彼は、日本の歴史において、実際は何があったのか明らかにする作業を怠りながら、自分は政治的美徳のかがり火を高く掲げていると錯覚して来た、日本の知識人の典型だからである。」

 「大江が1994年ノーべル賞授賞式で行った講演を、読んだ時、私は日本人でないのに、その講演に怒りを感じた。」

 「怒りの理由は、二つあった。一つは、当時は55年体制終了後の、政治的混乱のさなかで、日本政府の目的につき再検討する、またとない機会だったというのに、この幻滅した左翼であるところの作家は、日本の再軍備に反対する古びた言辞しか思いつかなかったことだ。」

 「第二に、大江が日本に対して示す不信感が、私にはとうてい受け入れがたいものだったことである。」「大江は自分自身を鞭打っていた訳でなく、自分の国に鞭を振るっていたのである。つまり大江は、日本の戦後に、軍隊(自衛隊)が存在していることを、許しがたい裏切りだと、考えているらしい。」

 「大江の言葉には、時代遅れの孤立主義がほのみえる。」「私としては、政治的にあまり重要でない、しかもかなりものを知らない、小説家一人だけを、不当に攻撃しているという印象を与えたくないが、ノーベル賞受賞講演をするということは、世界が注目する行為なのだ。」「言葉が、きわめて政治的な色彩を帯びていたら、それは他者から、政治的吟味を受けなければならない。」

 長くなるが、オランダ人の彼の主張を更に引用したい。それが世間で言われる、「日本人の常識は世界の非常識」の、典型例であるように思えるからだ。

 「大江の話は、日本の知識人に広く見られる、悲しい自己満足の一つの代表例だ。安易に義憤に駆られ、古びた左翼の常套句を吐き散らすことで、国に役立っていると錯覚しているだけで、ものごとを徹底的に考え抜くことを決してしない著述家や、評論家が日本には多すぎる。」

 「これが日本の真の改革を阻む、最大の障害の一つとなっている。」「平和、平和、平和。それが日本人の発明品であるかのごとく、平和を連呼することの何んとバカげたことか。」

 日本人の誰もが言わないことを、外国人の氏が語っている。大江氏への批判は、私の思いそのままだ。

 「毎年8月6日には、広島の児童・生徒は平和の祈りをささげる。」「平和を祈る作文を書きましょうと、呼びかけられる。」「こうしたことで平和な世界が生み出せるのなら、とっくの昔にそうなっている。」

 「この種の活動は本質的に偽善であることが、ほとんど気づかれていない。」「戦争は、どのようにして起こるのか。」「発生の可能性を最小限にするため、政治システムのなかでどのような措置をとるべきなのか、」「日本は、こうしたことについての研究が、最も遅れている国なのである。」

 その通りと思うので、反論のしようがない。自分の国を自分で守る普通の国にしたいから、憲法を変えようと言っても、軍国主義の復活、右傾化などと、非難の声ばかりがうずまく日本だ。「この不幸な国」と氏に言われても、耐えるしかない。

 ブログでは左翼に関する叙述だけを紹介したが、氏は右翼の神懸かりと頑迷さについても批評している。しかし今宵は敢えて割愛し、まずは朝日新聞に代表される左翼主張の蔓延を止めることを優先したい。

 ものごとには順番があるし、私はオランダ人でなく、オルフレン氏でないから、自分でそう決める。

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カレル・オルフレン ( 読後に、手放せなくなった本 )

2013-09-14 17:33:27 | 徒然の記

 カレル・オルフレン著『なぜ日本人は、日本を愛せないのか』( 平成10年刊 毎日新聞社 )、を読み終えた。

 図書館で貰って来た廃棄図書の一冊だが、有価物のゴミとしてなどとてもできない。むしろ本棚に納め、息子たち、欲を言えば成人した孫たちにも読んでもらいたい本だ。副題が「この不幸な国の行方」と付けられ癪に触ったが、読後は手放せない本となった。

 12ページほど読んだところで、ハタと思い出した。年寄りの仲間に加わりつつあるとしても、記憶力はまだシッカリしている。オランダ人の新聞記者である彼の本を読んだのは、確か去年の12月だった。題名は忘れたが、あの時も、彼の意見に驚かされ反感さえ覚えたのに、読むうちにうなづいてしまった。

 日本は自由義の国で、民主主義国家の一員であると疑問を抱かなかった私を、彼は頭から否定した。

 「日本は役人とマスコミに支配された、官僚社会主義国家だ。」

 そんなことは一度も考えていなかったので、衝撃だった。北朝鮮や韓国・中国ならまだしものこと、日本が「この不幸な国」だなど、とんでもない中傷と腹を立てながら読んだ。読んでいると、今度もまた洗脳された。北朝鮮や韓国・中国のことを冷笑する前に、自分の頭の上の蠅を追うのが先決と反省させられた。

 「愛国心に関する日本人の概念の混乱は、永遠に続くのかとも思える、」「時代遅れの政治的分裂が、この国にしょいこませてきたものだ。」「すなわち、政治上の右翼と左翼という区別のことである。」

 私は、氏の言葉に惹きつけられた。

 「この悲しい時代錯誤の状況が、政治制度の改革にとって大きな障害となっている。」「もっと日本を愛せと、右翼が大声を張り上げれば、そんな愛は極めて危険と左翼がやかましく騒ぎ立てる。」

 「互いの態度を非難し合うことで生じる、この騒々しい不毛な対立が、多くの真面目な議論の邪魔立てをしている。」「左右両派の相互不信が、諸問題の解決を阻む大きな障害となっている。」「これを完全な、知的麻痺状態と言えば言いすぎかもしれないが。」

 この状況を称して、彼が「日本を不幸な国」というのなら、一も二もなくうなづかされる。次の意見は、私の実感と悲しいまでに一致する。

 「知識人や新聞編集者は、全体としてあまりに怠惰で、こうした事実をまともに捉えようとしていない。」「知識人と新聞が、もっぱら現秩序を擁護している理由は、彼らが仕事をする環境の構造からきている。」

 「記者クラブ制度、ジャーナリストが別の新聞社へ移れない現実、出版界の序列と出身大学の序列、審議会委員になる特権など、その全てが、自由に考え自由に書く気風を抑制する効果がある。」「既成秩序を混乱させてしまうことへの恐怖心が、この抑制効果を、更に増幅させている。」

 だから日本のマスコミは、産經新聞という特殊な会社を別として、テレビも新聞も横並びの決まり文句しか並べない、ということなのだろうか。オルフレン氏に指摘されるまでもなく、無知な私でさえ感じていることを、わが国の知識人や新聞人が気づかない訳がない。

 知識人や新聞編集者たちが国民に伝えていない事例を示され、言葉を失うほどの衝撃を受けた。マスコミが何も語れない日本は、やはり「不幸な国」なのだろうか。

 「ここでもう一度、1995年初めの出来事に戻ってみよう。」「警察は何故、オウム真理教の犯罪活動をもっと早く発見できなかったのか。」「オウム教団と、オウムが製造した薬物の販売に手を貸した暴力団とは、どの程度のつながりがあったのか。そして、どのような形で警察は関与していたのか。」

 「警察庁長官を狙撃したのは、ほんとうは誰だったのか。多くの問いは、まだ答えられないままだ。」

 「地震に襲われた直後の神戸で、本当はなにがあったのか。たとえば、二つの街区を焼き尽くした、火事の背後にあつたカラクリとはなにか。」「どちらの街も、再開発計画の対象とされ、住民は頑強に抵抗していた。この地域で火の手が上がったのは、地震の5、6時間後、住民が避難したのちのことだった。消防署員が、消火活動をせずに車を磨いていたという複数の目撃証言がある。」

 「問題の地区から避難した人たちは、今でも疑いを捨て切れずにいる。」「こうした疑いについて、記事にすると約束して帰った記者たちは、編集長がこの話は扱いたがらないと通知してきたきりだった。」

 「市当局、暴力団、巨大な権力を持つ建設マフィアたち全員が、地震のずっと前より、都市計画担当者の机の引き出しにあった図面から、大きな利益を得ようと待ち構えていたのは秘密でもなんでもない。」

 こうした話を外国特派員たちが知っていても、私たち国民は蚊帳の外だった。まして神戸の不審な火災のことは、氏の本を読まなかったら永久に知ることはなかった。震災の悲惨さは沢山報道されたが、不可解な出来事はニュースになっていない。

 無責任な外国人記者のいい加減な話と、無視する者もいるだろうが、氏は単なる煽動家や、反日の暴露記者でない気がする。心を捉えて離さないものがあるから、明日も続きを書くことにする。

 彼の著作も、知識の空白を埋める一冊であることに間違いはない。

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オリンピック招致 ( 石原慎太郎氏の贈り物 )

2013-09-08 21:09:50 | 徒然の記

 イスタンブールとマドリードを押さえて、東京へのオリンピック招致が本日決定した。

 2020年、56年ぶりに二度目の東京開催となる。度重なるIOC委員への働きかけやPRなど、そんなお願いまでして開催する価値があるのかと、つい昨日まで冷めていたが、いざ決まったというニュースを聞くと感動した。いつものことながら、大した信念もなく、ムードに流される単純な自分である。

 それにしても安倍総理はツキのある政治家だと、そっちの方に関心が移る。公共施設が建設され、老朽化したインフラが改修され、色々な会社が元気になり、雇用が促進される。これで景気が期待値から実需へと加速され、デフレ脱却という大命題の解決が見えて来た。

 経済的な波及効果だけでなく、国民に希望と元気をもたらす点を考慮すると、やはり東京に決まって良かったと納得する。

 前のオリンピックの時、私は大学の三年生でトラックの助手のアルバイトをしていた。前夜まで降っていた雨がやみ、素晴らしい晴天の朝だった。自衛隊のアクロバット飛行隊ブルーインパルスが、青空に大きく五輪の模様を描いた。トラックの荷台で仕事の手を休め、仲間と共に壮大な眺めに見とれたことが思い出される。

 そうか、あれからもうそんなに時が経ったのかと、感慨に打たれる。批判ばかりしないで、祭典を誘致した人びとの労をねぎらい、素直に感謝しようとそんな気持ちになった。ニュースでは触れられないが、オリンピック招致の第一の功労者が前都知事の石原氏であることを忘れてはならない。

 高慢な政治家である氏に好感を持っていないが、氏がいなかったらオリンピックの東京開催はなかった。

 氏は尖閣の購入という強行手段で、中国との関係を一気に悪化させるという贈り物を、国民と政府に渡したが、一方でこんな素晴らしいプレゼントもくれた。安倍総理は勿論だろうが、私たちも、ありがとうと言うのが人情だろう。

 のちのちの記念のため、特別編としてこのブログを書いた。私が死んだ後で、もし可愛い孫たちがブログを読んでくれたらと、想像するだけで心が躍る。

  本日は「みみずの戯言」でなく、「歴史の証言」ということにしよう。

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正直なところ - 2 ( 浜田幸一氏 )

2013-09-07 22:47:33 | 徒然の記

 YOU TUBEを観ていたら、民放テレビの録画にぶつかった。

 政治家やタレントが出演し、面白可笑しく騒ぐいわゆるワイドショーだ。故人となった浜田幸一氏が出ていたので、つい観てしまった。演壇に立った彼が、力を込めて語っていた。

 「私は日本を独立国家とは思っていない。自分の国を自分で守れない国など、世界の何処にもない。憲法の9条なんて、とんでもないではありませんか。」

 大真面目に力説する彼を他の出演者たちが、迷惑そうに眺めていた。

 これまで浜田氏の言動には関心がなかったけれど、なんと、氏の主張は私とまったく同じだった。そういう意見の持ち主だったのか。粗野で乱暴で、ヤクザ者が政治家になったのではないかと、外見だけで氏を判断していた。

 申し訳ないけれど、私は生前の氏を尊敬していなかったし、むしろ軽蔑していたので、「正直なところ」落胆した。そんなことはあるはずがないのに、私の意見が世間に広く伝わらないのは、氏のせいでないかと思ったりした。

 正論は誰が言っても正論なので、むしろ氏を見直すべきだったのに、それができなかった。「正直なところ」、自分の人間としてのお粗末さを知らされた今宵だ。

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正直なところ ( 自己韜晦 )

2013-09-06 10:25:48 | 徒然の記
 定年退職し派遣の小父さんとなり、その後年齢制限のため職場がなくなり、本物の年金生活者となった。
 
 以来私は有り余る時間を、自分なりに有効活用しているつもりでいる。パソコンの動画や新聞・雑誌、果ては図書館から貰ってくる廃棄書籍まで、いくら消化にしても捌き切れない量である。
 
 捌き切れない金があれば言うことなしだが、そこは問屋が下ろさない。「正直なところ」と、わざわざ表題にしたのは、金の話がしたかったからではない。金はあるに越したことはないが欲に切りがないから、深入りしないがいいと決まっている。
 
 今日までいろいろ勉強をさせてもらったが、日本の思潮と言うのか、思想と言うのか、「正直なところ」、次第に分からなくなってきた。本日はそのことを、兼好法師を真似徒然なるままに述べてみたい。
 
 簡単に言えば、「戦後のわが国における、不毛な左右の対立」とでも表現すれば良いのか。反日民主党の政治に懲りてからと言うもの、私はますます左翼嫌いとなり,新聞でもテレビでも、本の著者に対しても、左がかった物言いに会うと反発せずにおれなくなっている。
 
 理由の第一は、アメリカに守られた平和の中で唱える、一国平和主義の非現実性だ。その主張は釈迦の手の中の孫悟空みたいなもので、アメリカの軍備があったから、他国からの侵害されななかっただけのことなのに、それに気づこうとしない左翼思想の無恥と言うのか、能天気というのか、我慢のならないものがある。
 
 外敵に備える自国の防衛を、「軍国主義」と混同し、時代に合わない憲法を正そうする常識を、「右傾化」としか言えないのだから到底彼らとは与しえない。
 
 一方の右翼サイドの人びとの主張はと、これが今回のメインテーマだ。戦闘服に身を包み、周囲の迷惑も顧みず、軍歌を派手に鳴らしたがる人間たちのことを、私は右翼とは呼ばずヤクザ者と軽蔑しているので、そこは区別しておきたい。
 
 新聞で言えば産経、動画の世界で言えば「チャンネル桜」。この周辺に集う人びとを、右翼サイドと私は呼ぶ。むやみと正義顔する、左翼活動家たちに比べたら、彼らの方に私は親しみを感じる。
 
 それでも彼らの愛国心や、天皇への思いは、私が漠然と抱いているものと違いがある。彼らの言う天皇や愛国心は、宗教みたいなもので、ある時点を過ぎると理屈を越えた思考となる。信じるか信じないか、という世界に突入して行く。
 
 こうなると、左翼の人間たちが攻撃する、軍国主義や右傾化の世界に近づいて行く気がする。愛国心も天皇への尊敬も、ほどほどであるから素晴らしいのであり、神がかった不可侵のものとなると話は違ってくる。
 
 もともと日本は八百万の神の国で、いろいろな思想や神様に寛容な国だから、右翼と左翼の不毛な二元論しかないという、戦後の状況が間違っているのでないかと思えてならない。もう少し勉強し、もう少し賢くなったら、改めて書いてみたいと思うのだが、今の私には右も左も、正直なところ、国の有りようを正しく捉えている思想とは思えない。双方ともに、常識という一線がどこかで消え、宗教に似た狂信分野に足を踏み入れていると思えるからだ。
 
 中途半端な意見で終わるけれど、たかが「みみずの戯言」と思えば、後で読み返しても我慢できるのではなかろうか。これこそまさに、自己韜晦。
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岩波新書  ( 一橋大学田中教授の、反日著書出版 )

2013-09-04 16:03:45 | 徒然の記

 田中宏著『在日外国人』(  平成7年刊 岩波新書  )、を読了。

 氏は昭和14年に東京で生まれ、私より5才年長の一橋大学教授である。
40年くらい前の話になるが、私が学生だった頃は、岩波新書を手にしていれば、洒落た進歩的な人間という風潮があった。

 ミレーの「種播く人」を挿絵にした岩波の本は、真実を追究し、知識を求める学生たちに、不思議な魅力を与えていた。

 けれども、こうして改めて新書を読んでみると、これもまた「反日」の書の一つでしかなかったという発見をする。時の流れと、変化の大きさを痛感する。

 年齢から考えると、田中氏も当時の若者らしく、希望の「社会主義思想」に傾倒した人物だったに違いない。いわゆる左翼系の学生は、貧しさの原因を作る資本主義を憎み、倒すべき敵として激しく攻撃していた。

 全学連も赤軍派もこうした時代の産物で、中国や北朝鮮・キューバなどに強い憧れを抱き、結果として日本を嫌悪し、否定する人間たちを産んだ。

 「アメリカ進駐軍の放出物資である、チュウイン・ガムを手にしても、」「感激したものだった。包んでいる銀紙はまぶしいほどに輝き、口にした時の、あのスーとした口触りは、民主主義の心地よさを、体にしみ込ませてくれるようだった。」

 「敵性語として排撃されていた、カタカナ語が復活し、カム・カム・エブリボディで、始まるNHKのラジオ英会話講座が一世を風靡した。」

 「学校で、初めて教えられたローマ字を使い、さっそく自分の名前をノートや教科書に、無心に書き込んだ往時の記憶もよみがえってくる。」「このように8・15の原体験は、みごとに、それ以前と以後とを截然と分かち、新鮮で、かつ革新に満ちたものとして、私の心に刻まれている。」と、これが敗戦直後の氏の感慨である。

 近所の子供たちと、私もアメリカ兵のジープを追いかけたが、ガムやキャラメルが貰えたのかどうか定かな記憶がない。

 戦前と戦後の比較を、新鮮にも、明確にも心に刻めなかったのは、氏より5才年下だったという事実が、もしかすると幸いしたのかもしれない。おかげで私は氏のように、日本の戦前をガムと比較し、簡単に捨てずに済んだのではなかろうか。

 幼い頃アメリカを礼賛し、日本を軽視していても、たいていの人間は大人になるにつれ、色々な知識を得て、思い込みや印象を変えて行くのに、氏は子供の心のまま大人になり、反日の教授として生きている。

 氏が述べている、「在日外国人」というのは、韓国・朝鮮人のことで、朝鮮を植民地支配した日本に、全ての責任があるという立場での主張だ。

 「今や日本は、外国人を排除することに、頭を使うのでなく、外国人と共に生きる社会を築くために、知恵を絞り発想を転換することが、求められているのではなかろうか。」、と力説している。

 在日朝鮮人たちは、日本の中で反日の教育をし、日本への憎しみを掻き立てている。近頃の韓国は、大統領以下多くの国民までが、「日本は歴史認識が足りない」「千年たっても消えない憎しみがある」と合唱している。

 氏は外国人の地方参政権や、教職員への採用、地方公務員への採用推進を訴え、全ては日本の責任で、朝鮮人は被害者だから、彼らのため何でもすべきと言うが、日本人の賛同が得られるのだろうか。

 「日本が全て悪い。」という結論を急がず、もっと周囲を見渡せば、違うの世界がて見えるはずなのにと思う。

 大学教授としての氏の良識だけでなく、氏の在籍している一橋大学、本を出した岩波書店まで疑いたくなる。連日のように繰り返される、中国、韓国・北朝鮮の悪口雑言に腹を立てる前に、日本の中にある反日の大学、教授、知識人、出版社への対策を考える方が先でないかのと、やはりそう思う。反日売国の朝日新聞も、岩波書店も、その一部に過ぎない。

 反日対策は、前途遼遠・・・、これはほんとうに長い道のりだ。

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