ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『世紀末の幸福論』 - 6 ( 日本の課題が語られていない「幸福論」 )

2022-10-30 08:28:48 | 徒然の記

  47ページ「序章」の最後、「5. ゆるがない信仰」です。このような大仰なタイトルをつけなければ、恥をかくのも半分で済むのに、氏はいかめしい言葉しか使えない人のようです。

 一番心配だった〇〇○さんと〇〇〇〇さんが、「ねこ庭」に足跡を残しておられるのを見て、気が沈みました。( 今回限りなので、目を瞑ってください。)

 「もともと宗教というものは、理性を超越した教えに関わるものですから、どこか普通の人に誤解をされたり、毛嫌いされたりする要素は避けられないものです。」

 「もしこのまま宗教が滅べば、国家も人間も滅ぶことになるでしょう。本当の意味での信仰のリバイバル、ルネッサンスは今こそ必要です。」

 世間を騒がせている統一教会が喜びそうな意見ですが、次に続く言葉が、時折私がする「ねこ庭」での呟きに似ているので、げんなりしました。

 「地道に本気で考えながら生きている人は、いまこそ、静かでもいいから、どこかで声をあげて欲しいものです。」

 宗教についてはあまり話ませんが、日本の世相については、そっくりそのままです。日本を愛する保守の方たちに、静かな声をあげて欲しいといつも願いました。穴があったら、入りたくなります。

 「宗教的に熱心だからと言って、人前でマイクでがなり立てるとか、お祈りをさせてくださいと安易に迫るのが、信仰者の生き方だとは思いません。例えば伝導とか忠告の仕方が、いかにもわざとらしくなるやり方を、内村鑑三は好みませんでした。あえて自分の宗教に勧誘することはしない、とさえ彼は言っています。」

 氏は時に常識的なことを言いますので、なるほどと思わされます。けれどもそれは束の間の話で、次には大きく飛躍します。

 「世界のあちこちに残された、いろいろな遺跡を見ていると、人間は昔からすばらしかったのだと、驚嘆させられることがあります。中国にも、エジプトにも、マヤ、インカ、アステカにも、わが日本にも、たとえば縄文時代の素晴らしい遺跡があります。」

 「われわれ日本人には、あの戦争をした4年間の前の時期に、何もしなかったのでは決してありません。これまでの歴史には、いろいろ幸せな時期もあったのです。」

 言われるまでもなく当たり前の話なので、何を言っているのだろうと、逆に驚きます。どうやら氏も、先の大戦については連合国の「東京裁判」の結論を信じているようです。先程まで、扉の向こうにあたらしい世界が開けると感動していたのに、今度は一気に暗くなります。

 「国連が行き詰まり、アメリカもロシアも、軒並みダメになりつつある今、人類の歴史は、ふたたび戦争史や不幸史に移行するかのような、暗い印象を与えつつあることは否めません。もしかしたら20世紀は、暗さの中で沈んでしまうのでしょうか。」

 『世紀末の幸福論』らしい暗さになりますが、私は「世紀末」という言葉そのものに違和感を覚えています。キリスト教が使う「世紀末」は、仏教の言う「末世」です。つまり「この世の終わり」。仏教の計算はどうなっているのか知りませんが、キリスト教の時代区切りは1世紀を100年で区切っていますから、100年ごとに「世紀末」が訪れます。

  氏がつい先程述べていた縄文時代は、紀元前1万4千年から3千年前の時代と言われています。この間に「世紀末」は何回訪れているのか、それ以降現在まで「世紀末」が何回あったと言えば良いのか。本を読んでいる現在は2022年で、21世紀が始まったばかりです。氏のあげた問題が何も解決されていませんから、今も「世紀末」なのでしょうか。私は『世紀末の幸福論』という書名からして、無意味に感じています。

 「もしこのまま宗教が滅べば、国家も人間も滅ぶことになるでしょう。」

 氏がこう言う時、宗教の中心にはキリスト教があるはずです。キリスト教の無かった紀元前1万4千年から3千年前の縄文時代には、国家も人間も滅んでいたことになります。屁理屈と言われる人がいるのかもしれませんが、常識の話をしています。

 「しかしわれわれ日本人は少なくとも、戦後50年の間、平和であり安全であることを楽しむことができた、幸せな国民であったのです。」

 そっくり同じ意見を言うのが共産党の政治家と学者、弁護士です。なぜそうなるのかといえば、彼らは「東京裁判史観」と「日本国憲法」を信仰しているからです。敬意をもって読みたいと考えていましたが、息子や孫たちのために賛成できなくなります。

 「われわれ日本人には不幸史ばかりでなく、幸福史もあったことを、感謝を持って覚えておきたいと思います。ただその幸せが、はたして本当の幸せであったかどうかを、もう一度考え直す必要はあるのです。」

 残念ながら、ここまでくると「幸福論」の範囲を外れ、「寝言」か「たわ言」の範疇になります。

 「誰かに何かをしてもらわなくても、そういうことが他ならぬ自分のこととして、大切に認められ尊重される社会を、形成していこうとする傾向が、少しばかり予見できるだけでも、われわれが幸せな社会に少しずつ近づいていることの証拠です。」

 氏の問題意識には、国を愛する多くの国民が一番願っていることが含まれていません。

  「自主憲法の制定」と「皇室護持」の二つです。

 ケジメをつけるため、最後の文章を転記します。

 「そう考え勇気を出して生きていけば、新しい道が少しずつ開かれていく、と考えるのは、ある種の希望であり信仰であるかもしれません。」

 この説明を「5. ゆるがない信仰」と、読者は読むのでしょうか。私は、予定通り最後まで読みますが、これ以上氏の言葉を紹介しても、息子たちの役に立ちませんので今回でシリーズを終わります。 

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『世紀末の幸福論』 - 5 ( 医者の不養生・紺屋の白袴 )

2022-10-29 17:12:35 | 徒然の記

  50ページまで読み、「 序章・煉瓦の幻想 」の残り3章を終えました。

   1. ふり出しにもどる  2. 審きの剣 ( つるぎ )  3. 仕事算のあやまり

   4. むなしくない人生  5. ゆるがない信仰

 今回は「4. むなしくない人生」の書き出しから、紹介します。

 「小さな街の一つに、ある日突然やってきた地震が、われわれにこれほど大きな衝撃を与えたのです。地域全体の大きさから考えますと、神戸という街は小さな街ですが、それが今回与えた衝撃とその意味は大変大きいものがあります。」

 相変わらず氏は、神戸の震災について述べます。

 「もしこれと同じ地震が関東を襲ったら、一体どうなるのだろうか、と言うことも、われわれは今からよく考えておかなければなりません。」

 「あれもこれも私のものだ、あれもこれも残しておけると考えていたものの大半が、無くなるか潰れるかしてしまったと嘆きたい人は、いまも心を痛めておられるにちがいありません。」

 心を痛めている人の気持ちが分からない氏は、震災の話をやめれば良いのに続けます。

 「私の大学時代の教師の一人が、韓国の京城 ( 今のソウル  ) から引き上げて来られる時、帝国大学教授時代に苦労して収集された蔵書類をすべて強制的に没収され、身一つになって帰って来られたことを嘆いておられたお気持ちが、ようやく今分かるようになった気がしています。」

 神戸の大震災で被災した人は、「あれもこれも私のものだ、あれもこれも残しておける」と考えていた人たちだったのでしょうか。蔵書を収集した大学教授の話と、氏はどこに繋がりを見ているのでしょう。

 昭和20年の敗戦時に10才だった少年が、ソウルから引き揚げてきた大学時代の教師といつ話をしたのでしょうか。時代の曖昧さを我慢するとして、氏の話はここでいつものように、突然別の話になります。

 「人と人とが自由に、その人らしく互いにつきあえるような生活が欲しい、という人は、人間としてごく自然な願いでしょう。しかし、人と人とが自由につき合うために必要な〈出会い〉と言うのは、そう容易に見つかるものではありません。」

 自分の半生を振り返ってみますと、私は氏の言うような「人間としてのごく普通な願い」に無縁でした。というより、ほとんど意識せず生きてきました。

 「最近ではシングル・ルーム化した若者が、傷つけることも傷つけられることも牽制しあっているからか、激しい恋をすることが少なくなっているようです。」

 こういう話をするのなら、 『世紀末の幸福論』 という書名でなく、『シングル・ルーム化した若者の幸福論』にすれば良かったのかもしれません。

 「若い人にこだわりの持ち物があるとか、こだわりのおしゃれがあると言うのはわかります。しかしそういうこだわりが、もっぱら持ち物に向けられるばかりで、それで幸せを感じられると言っていた人が、たとえばこの度の震災で、物を持つこと、土地を持つことの虚しさなどが、少しでも分かるようになったとすれば、失った代償は決して高くないと、思っていいのではないでしょうか。」

 いったい氏は、何を言っているのか自分で分かっているのでしょうか。国民の誰に向かって話しかけているのでしょう。〇〇○さんや〇〇〇〇さんが「ねこ庭」へ来て、この文章を目にしないでくれれば良いと思いますが、無自覚・無神経の氏はびっくりするような意見を述べます。

 「われわれは今、滅びる世にあって、滅びない古い教えに帰る必要があります。古来いろいろな宗教や哲学は、古典として、また経典として、われわれにいろいろなメッセージを残してくれました。」

 「しかしそれにしても、既存の宗教家たち、僧侶も神主も牧師も神父も、なんという怠慢か無口であって、彼らの声が必要な時に必要に人たちにほとんど聞こえて来ない、というのが現代の日本の特徴ではないでしょうか。」

 小原先生、貴方がそれを言いますか ? と、つい問いかけたくなります。氏は私が言ったように、「あくまでも善意の人」です。「小さな親切、大きなお世話」と言う言葉を、紙に書いて渡したくなります。

 「しかし現代という社会は、たとえ最悪に近くても、これが今は最上の時代だと信じて生きたい、と私は考えています。今目の前に立ちはだかっている扉を開けると、その向こうには、これまで見ることのできなかった新しい世界との出会いが、待ち構えているのです。それを確信できるというのは、何という喜びでしょう。」

 氏はおそらく感動に包まれているのでしょうが、私の心は冷え切っています。

 「大震災でどれほど辛かったか、どれほど悲しい思いをしたのかは、おそらくその人の秘密でしょう。もしかしたら、うまく不幸を忘れることが幸せかもしれないのにと、言われたところで、そううかつにあの惨事、正視しかねるあの惨事を忘却できるものではないはずです。」

 言葉だけで理解した気になっているから、いつまでも震災と「幸福論」を並べて語ります。

 「しかし、たとえささやかでも、共に今を充実させて生きようとする時、男女、老若を超えて、共に新しい「われわれ」という視点から、真に私たちの時代の出来事として、あの大震災の惨事を生かしていくことができるのではないでしょうか。またそういうやり方によってしか、新しく出直す道はないと思います。」

 これが結びの言葉です。そして私は氏に言います。

 「私の知人は、貴方のいう方法でなく出直しています。たくさんの言葉を並べず、黙って、しかも笑顔で暮らしていますよ。」

 ここで書評を終えてもいいのですが、「5. ゆるがない信仰 」について述べると「序章」が終わります。これほど厚顔で無恥な教授がいるのかと息子たちが驚かないようにするためにも、あと一回続けます。息子たちに言いたいのは、

 「小原教授の話に驚いてはいけません。大学の先生には、こういう人がたくさんいますよ。」、ということです。

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『世紀末の幸福論』 - 4 ( 神の審き論 ? )

2022-10-28 11:48:46 | 徒然の記

    序章   煉瓦の幻想

     I   過去を消す文明

     II  幸福論の視点

       III  朝(あした)のうちに種をまけ

    終章   世紀末の幸福論

   あとがき

 ブログが長くなりそうな時は、適度なタイミングで目次が必要になります。氏の著作は話が長いだけでなく、焦点が定まらないので何度も確かめることになりそうです。「序章 煉瓦の幻想」の中身は、5つに分かれています。

  1. ふり出しにもどる  2. 審きの剣 ( つるぎ )  3. 仕事算のあやまり

  4. むなしくない人生  5. ゆるがない信仰

 38ページの「 3. 仕事算のあやまり」まで読み進みましたが、やはり文字を追うしかできません。「2. 審きの剣」の内容は、阪神淡路大震災の話です。神戸出身の氏が震災直後の神戸の街を何度か訪れ、その時の思いが書かれています。「3. 仕事算のあやまり」は、震災後の神戸の話の続きとオーム真理教に関する話です。

 「それにしても、いきなりの大地震で、何もかも失うということは、一体どう考えればいいのでしょう。朝早く、誰もが寝静まっていた時だけに、一家が離散し家族を探しまわると言う悲劇だけは避けられたものの、予告など何もなく、誰もが備えらしい備えなどしていられない、一瞬に起きた出来事であったのです。」

 これが「2. 審きの剣」の書き出しの文章で、氏が体験を語ります。

 「数え年10才の少年の私は、昭和20年の敗戦の時、神戸が空襲を受けたとき、街が全て真っ平らになったところを見ております。誰も住めない、誰もいない廃墟と言うのを、少年の私は目撃し、言葉を失ったままそこに立ち尽くしたものでした。」

 空襲体験の悲惨さを語っているのは分かりますが、氏が何を言いたいのかがつかめません。

 「敗戦から半世紀が経ち、日本は驚異的な発展を遂げ、高度経済成長を成し遂げた経済大国と呼ばれる国にまで発展したのです。敗戦からもう50年が過ぎていることを、私は改めて思い出しながら、神戸の街はまたやられてしまったのだ、という思いを深くしております。」

 少しずつ違った言葉で、似たような思いが繰り返されますので、割愛して先へ進みます。激しい地震で倒壊したビル、崩れた人家、道路をふさぐ家具、家電、机、本棚、衣類などの描写が続き、氏の思いが述べられます。

 「電車から降りた人のほとんどが何も喋らず、誰もが重い荷物を両手と背中に持ったまま、黙々と目的地へ進んでいくのです。それはかっての〈買い出し〉の姿を、思い出させるものでした。とにかく私は、みんなが声をなくして、黙って歩いていたと言うことに衝撃を受けたのです。」

 『世紀末の幸福論』 にどこがつながっているのだろうと、焦らされているような気持ちになったところで、訓話らしいものが書かれます。

 「不思議に思ったのは、どの家の庭にも、樹木がしっかり立っていてどこも倒れていないことでした。立派な日本家屋とか土塀が無惨に倒れているのに、庭の木だけは微動だにしていないのです。」

 「考えてみると、木だけは、いずれも大地にしっかりと根をおろしているからでしょうか。大地に根を下ろすことの意味を、私は改めて考えさせられたような気がします。」

 神戸を愛すると言う著者が、大震災後の街を訪ねた時の感想です。2ページ半飛ばしますと、やっとキリスト教信者らしい意見が出てきます。

 「内村鑑三は関東大震災の前日、神の使いが、首都を審きの剣 ( つるぎ ) をひっさげて通過したとするなら、彼はこの家こそ、神の国建設のために必要欠くべからざるものだと認める家を発見しただろうかと、問いかけています。」

 「神の使いが、審きの剣 ( つるぎ ) をひっさげて全東京をさまよったのち、審きを下したように感じられた、というのです。」

 内村鑑三の言葉も氏の説明も、私には分かったような分からないような話です。これを受けた次の説明は、やはり聖書に戻っていきます。

 「わずかなものを分け合い、それだけで十分に幸せを味わうことができた時代もあった。そういうことを夢のように遠い過去にして、文明社会では、そう言うことがまるで存在しなかったかのように、振る舞おうとしているのです。」

 「しかし今では色々なものが氾濫するにつけ、いつの間にか新しいタイプの〈貧しさ〉が誕生するようになってしまったのです。名門校、教祖、エステ、テレビのスクープなど、色々な欲望にかられて貪欲に取り込んでいるわりに、今も〈飢えて〉いるように感じるのは何故でしょう。」

 氏はここで使い捨て時代といわれる、大量消費生活を強く批判しています。「消費は美徳」「消費者は王様」と、マスコミが宣伝した時代でした。

 「私は時折、旧約聖書の初めにある、創世記の中のあの話を思い出します。それはわれわれ人間の作る文明は、いつまでたっても、結局はせいぜい 〈煉瓦の幻想〉のようなものだという箇所が、いかにもその通りだと言う気がするからです。」

 驕り高ぶった人間への神の審きが、関東大震災であり阪神淡路大震災だったと言う意見です。多様な意見があるのが自由社会ですから、反対せず、疑問点だけを述べます。

 1.  世界各地で発生する大災害が、すべて神の審きというのならその神はキリスト教の神様だけなのでしょうか。

 2. イスラム教、ヒンズー教、仏教の国も、キリスト教の神様の審きで災害が起こるのでしょうか。

 3.  日本には 八百万の神様がおられるのに、なんであまり縁のないキリスト教の神様が審きをするのでしょうか。

 「驕れる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」

 平家物語の一節は仏教の教えから来ていると言われていますが、人間の栄枯盛衰をかたるのなら、むしろこちらの方が当たっている気がします。大学の教授ですから、間違った意見を言われていると思いませんが、やはりそれは、キリスト教宗派100分の1の「幸福論」で、私のような日本人には馴染まないようです。

 著者である氏が「ねこ庭」を知られることはないとしても、批判ばかりするのは愉快でありません。この不毛な書評をこのまま続けて良いものかと、再読して、決断を迫られています。批判ばかりして相手を不愉快にし、実りのない議論をするのは反日左翼の人々が得意とするところですから、真似をする気になれません。

 氏に敬意を表し最後まで読むとしても、「ねこ庭」での書評はやめた方が良いような気がしてきました。次回に決めようと思いますので、息子たち以外の方はどうかスルーしてください。

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『世紀末の幸福論』 - 3 ( 新しい発見 )

2022-10-27 07:44:06 | 徒然の記

 素直な気持ちで再読しても、引っ掛かるのは変わらないようです。

 「いつの間にか人間は自然の上に立ち、自然を利用し自然を克服するものとして、自然を己の視野に収め、まったく無遠慮にそのありようを操作できるものと思い始めている、というのが実態だったというべきでしょう。」

 こういう見方も意見も間違いではありませんが、言い古された言葉なので心に響きません。

 「そうして人間としての可能性が最終的に到達したもの、それが産業革命の結果であり、人類の文明の進展であり、世俗化としての都市化現象の徹底でありますが、いつのまにか人々の心は、ひたすらわがままと貪欲の方に目が向けられてきたのです。」

 産業革命については学校の世界史で教わったので、なんとなく覚えています。18世紀から19世紀にかけて、イギリスで起こったエネルギー革命で産業構造が大きく変化しました。当時の日本を調べてみますと、ちょうど10代将軍家治の頃で、有名な田沼意次が権勢を誇った時でもあります。

 氏の言うような世俗化の都市化現象が、その頃の日本にあったのでしょうか。確かに江戸や京都、大阪などの大都市が栄えていましたが、産業革命時のイギリス社会と共通点があったのでしょうか。

 次の行では、話が突然現在へ飛びます。

 「今では身綺麗にして街を歩く人、綺麗な人は多いのですが、社会人のマナーなどでは身勝手な人が少なくないようです。あきらかに、自分のことしか考えなくなっている人が少なくないようです。」

 「しかしお金をかけて、珍しいものを身にまとえば、それが一種の自己主張になるという考え方は、さすがに少しは見直されてきたようです。」

 イギリスの産業革命の説明が、どうして現在の日本人の話になり、社会人のマナーに欠けた人間が増えた話に繋がるのか、理解に苦しみます。社会人のマナーがなく身勝手な人間が増えたのは、敗戦後の日本を占領軍が支配し、日本人の精神構造を変革すると意気込んだからだと、同じ使い古された言葉を使っても私の方が常識的な気がします。
 
 占領軍は、封建制度に縛られた日本人が支配階級に盲従し、個人としての生き方を知らないと誤解し、「個人の権利」「自由」「平等」を教えようと、善意と哀れみと悪意を混じえて頑張りました。結果として彼らは、自然を大切にし祖先を敬い、亡くなった人の魂を尊ぶ日本の文化や伝統を破壊してしまいました。何もかも素晴らしかったと言うつもりはありませんが、以前の日本人は国の一員として生きていました。
 
 連合軍の支配者たちは、死を恐れない「神風特攻」をする日本人には、「個人の権利」「自由」「平等」の考えが欠けているのだと考えていました。死を恐れない戦いができるのは日本人が持っている愛国心の発露であると、彼らには理解できませんでした。
 
 彼らは日本人を救うためにも、二度と戦争をさせてはならないと考え、日本の伝統も文化も変革しようとし、実現するための「憲法」まで作ってしまいました。この政策を進める中心にいたのが、マルキスト集団と言われたホイットニー准将以下のスタッフでしたから、容赦ない手段で強行しました。
 
 善意と無知の彼らがどのようにして日本人を困らせ、感動させたかについて、吉田総理が回想録の中で語っています。
 
 敗戦後の日本に、社会人のマナーに欠けた人間が増えたのは、イギリスの産業革命でなく、占領軍による日本改造に原因があります。自由と放縦の違いを知らないままに育ち、権利ばかり主張する人間が増えたのは、彼らの作った憲法で教育された人間が増えたからだと、私ならこう言いますし、イギリスの産業革命を持ち出すより、もう少しまともな意見と思います。
 
 列強に侵略されるアジア諸国の情勢を、織田信長と豊臣秀吉は知っていました。キリスト教の宣教師が尖兵の役割をし、日本人を奴隷として売買している事実を知った秀吉は、「バテレン追放例」を出しました。家康は、列強の侵略を防ぐため「鎖国政策」を取り、長崎の出島だけを外国への窓口にしました。
 
 まるで日本史の復習になりますが、立派な経歴を持つ氏のような学者が、なぜこうした普通の説明を省略し、西欧人の自然破壊思想やイギリスの産業革命の話を持ち出すのでしょう。再読して分かりましたが、なるほどこれでは真面目に本を読む気にならなかったはずです。言葉として読まず、単に文字を読み飛ばしていたから、何も心に残らなかったということになります。
 
 314ページの著作の、序章の10ページでこの有様です。国難を前にした国会で、反日左翼の野党が日本の国民と領土を守るための議論をせず、相変わらず「統一協会」と「国葬」問題ばかりで政府を追及しています。焦点のズレた氏の意見を読んでいますと、反日弱小野党の姿と重なってきます。
 
 氏が教える大学の学生でなかったことを、幸せに感じる私です。読んで不幸になる『幸福論』があるのだと、新しい発見をしました。
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『世紀末の幸福論』 - 2 ( アダムとイブが日本人の出発点 ? )

2022-10-26 15:50:02 | 徒然の記

 『世紀末の幸福論』 を初心に戻り再読するため、ページに付けていた付箋を取りました。なるほどと思った意見、ちょっと違うなと感じた主張、初耳だったと新鮮な思いで読んだページに付箋をつけながら読むのが私のやり方です。

 疑問についてはネットで検索し、「Wikipedia」「ロイターニュース」、「注目トピックス・経済総合」、「FISCO」「ANNニュース」などの説明を参照します。時には「あかはた」だったり、「朝鮮〇〇」の広報記事だったりします。

 goo事務局の警告にあったのは、私のブログがこうした検索記事を紹介することにあると思われます。

 「会員自らが作成した記事その他会員が作成した会員ページ上のコンテンツ(以下「ブログコンテンツ」といいます)にかかる著作権は、当該ブログコンテンツを作成した会員に帰属するものとします。」

 g00事務局の言う「ブログコンテンツ」に、検索情報のどれが該当するのか良く分かりませんんが、どれかが引っかかっているようです。そう言う情報には、「記事の転用を禁止します」と注記されていますから、その場合は「ねこ庭」で紹介しないように気を付けていますが、それでも引っ掛かっています。

 注記されていない公開情報を、「ねこ庭」で紹介できないのだとしたら、私のブログが続けられなくなります。幸いなことにgoo事務局の警告が曖昧であるため、いつまで続けられるかを気遣いながら、注意して作業を進めています。

 いまひとつgoo事務局が警告しているのが、次の項目です。

  (7)他の会員又は第三者に対する誹謗中傷、脅迫、嫌がらせを行う行為
  (8)他の会員又は第三者を差別又は差別を助長する行為

 これになりますと、対応のすべがありません。私のブログの目的は、日本を憎み、否定する反日左翼勢力の間違った出版物、報道、政党、学者などの意見が、息子や孫たちの世代を汚染しないようにすることです。

 戦後に突然発生した過激な反日左翼勢力が、過激な言葉で日本の歴史や文化を攻撃しているのですから、対応する私の言葉も激しくなります。相手が誹謗中傷、脅迫、嫌がらせをしている時、我慢することが正しいと思いませんが、goo事務局は規定に従い警告を発します。無料のツールを使わせてもらっているのですから、私も強いことは言えません。goo事務局を困らせないように注意しつつ、「ねこ庭の独り言」綴っています。

 こう言う状況を息子や孫たちに説明しつつ、本題に戻ります。まず本の目次を紹介します。

  序章 煉瓦の幻想

   I  過去を消す文明

   II  幸福論の視点

     III  朝(あした)のうちに種をまけ

  終章   世紀末の幸福論

  あとがき

 再読すれば印象が変わるのかもしれませんが、氏の幸福論が『旧約聖書』を元に書かれているため、日本の歴史に関する叙述に違和感を覚えます。

 「アダムとエバの末裔は、シナルの地に平野を得て、そこに住んだと言われております。」「人々はやがて土から煉瓦を焼くことを覚え、しっくいの代わりにアスファルトを使うことを知るようになります。」

 「そうして地球上の人類はいつの間にか、文明という都市化の道をひたすら爆進してきたのです。」「今様々な欲望の追求に明け暮れる人間という存在は、いわば尻尾をくわえた蛇のような、こじつけめいた感じを与える姿のまま、自分でもよくわからないハイテク技術の脅威的な進展ぶりに、振り回されているのが現状ではないでしょうか。」

 「 序章 煉瓦の幻想 」の書き出しの言葉ですが、果たしてこれは日本の歴史、日本人の現在を説明しているのでしょうか。goo事務局の警告に戸惑っている私は、たしかにハイテク技術に振り回されていますから、全部が間違った意見とは言いません。

 しかし日本の歴史は、アダムとエバが出発点ではありません。土から煉瓦を焼き、漆喰の代わりにアスファルトで家を建てた先祖もいません。長い神話の時代を経てこれもまた何万年という縄文時代があり、弥生時代へと続きますが、こうした日本の歴史はどこへ消えたのでしょう。

 なぜ氏の著書が印象に残っていないのか、再読して分かったことは、そもそも日本人を語る出発点から噛み合っていなかったのです。

 「細かいところにこだわるな。氏はキリスト教徒だから、いいではないか。」「幸福論そのものが、間違っていなければ良いではないか。」

 もしかすると大らかな心の日本人が、氏を弁護するのかもしれません。ということで、今回は素直な気持ちで書評を続けますので、関心のある方、時間のある方だけ「ねこ庭」へ足をお運びください。

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『世紀末の幸福論』 ( 前置きの説明 )

2022-10-25 16:45:46 | 徒然の記

 小原信氏著『世紀末の幸福論』( 平成7年刊 PHP研究所  ) を半分ほど読んで、机の片隅に置いたままです。平成7年は西暦で言いますと1995年なので20世紀末ということになり、本の題名はここから来ています。

 『「 6つの談話 」 検証 』、『渡辺恒雄氏と読売新聞』  、『共同通信社の情報操作』と、安倍総理への「鎮魂歌」が途中で3つ入ったため、中断していました。今日から続けようと思いますが、中身をすっかり忘れているので、もう一度最初から読みます。

 題名に惹かれて手にしたのでなく、市の図書館の廃棄処分本の一冊です。免許を返上し車が無くなったので、今後は貰いに行けなくなりました。本棚に30冊ほど残りがありますので、当分は大丈夫です。自分の本は、200冊あります。断捨離をしていますから、読んだ本は都度小学校の有価物回収の日に出しています。

 話がそれましたので、『世紀末の幸福論』に戻ります。今の私は「〇〇幸福論」という名前の本に、あまり関心がありません。昔『アランの幸福論』という本を読みましが、何も覚えていません。そもそも幸福論という本に、私は惹かされません。幸福に影響をもたらすのは、自分の心の持ち方と社会のあり方の2つがありますが、大抵の本はいずれか一方を説いています。

 小原氏の略歴が巻末にありますので、紹介します。

 「1936 ( 昭和11 ) 年、神戸生まれ。国際基督教大学、東京大学大学院を経て、エール大学留学。」「現在青山学院大学文学部教授、専攻 : 倫理学、現代思想」

 学歴から見ますとキリスト教系の、立派な学者です。半分まで本を読んでいるのにほとんど内容を忘れているということは、立派な先生の話に自分が何も共鳴していなかったことになります。「温故知新」の読書を続けたせいで、たくさん得た雑学が邪魔をするのか、最近はあまり心を打たれる本に出会わなくなりました。

 ことに宗教家と言われる人の著書には、心を打たれるより首を傾げる方が多く、もしかするとその分幸福から遠のいているのかもしれません。と言いましても、私は格別不幸でなく幸福でもなく、普段通りの自分です。

 氏はキリスト教にのっとって意見を述べていますが、一口にキリスト教と言っても沢山の宗派があり、それぞれの宗派ごとに違った幸福論があります。キリスト教の宗派を大別すると、カトリック、プロテスタント、正教会と3つに分かれますが、内部ではさらに枝分かれし、最後は100以上の宗派になります。そんな宗派の一つを信じる先生の話ですから、100分の1の幸福論です。まずもって本気になれません。

 偏らないために言いますと、他の宗教の幸福論についても同じです。多くの宗派がありますので、どの本にも本気になれせん。

 イスラム教はスンニ派とシーア派に大別されますが、内部でまた分かれています。仏教は「十三宗五十六派」という言葉がある通り、これも複雑です。代表的な「十三宗」の中の6つを上げますと、次のようになります。

  奈良仏教系    密教系    密教系+法華系  

  法華系      浄土系    禅宗

 系という文字が書かれているのは、内部でさらに枝分かれしていることを示しています。それぞれの宗教を信じる学者や宗教人が著書を出していますが、わざわざ買って読む気になりません。図書館の廃棄本だから本棚に並べているだけで、未読書の中にイスラム教と仏教に関する本もあります。私が元気であれば、いずれ「ねこ庭」で紹介する日が来ると思います。

 聞くところによりますと、今話題の「統一教会」も枝分かれしたキリスト教系の一つなのだそうです。雑学に邪魔されている私なら、「統一教会」の教えに騙されることがなかったかもしれません。そもそも、何千万円も寄付をするお金からしてありません。

 世界の主な宗教として、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教が挙げられていますが、私はこれにあと二つを加えています。もしかするとその一つは戦後日本に限られるのかしれませんが、「マルクス教」と「日本国憲法平和教」です。現在「世界統一教会」と並ぶ、歪んだ教えとして世間に流布しています。

 日本の神道は経典もなく、開祖もなく、土着の神々を祭る宗教です。日本のことになると何でも貶さずにおれない反日左系の学者は、「未開のアニミズム信仰」などと説明しています。

 田中英道教授によりますと、由緒正しい神道の要素は3つになります。

  1. 自然信仰  

    山や木や岩など、自然そのものの中に神を見、人間もその一部であると考える。

  2. 御霊(みたま)信仰 

    優れた人や地域に貢献した人など、個人の魂を信仰の対象とする。

  3. 祖霊(それい)信仰 

    自分の祖先を神として大切にし、これが国の祖先である天皇と、無意識のうちにつながる。

 他の神々を排斥せず、何もかも包み込んでしまう大らかな宗教です。自分以外は何もかも排斥する、日本に特有の「マルクス教」と「日本国憲法平和教」に関し、私は寛容になれませんが、自分では神道を信じています。今回は『世紀末の幸福論』の書評になりませんでしたが、次回から述べたいと思います。

 ここまで説明すれば、おおよその検討がつくと思いますので、興味のない方は訪問されないで頂ければ幸いです。たった82人の方を相手に綴っているマイナーなブログですから、邪魔をせず、無視していただければ有難いと思います。

 

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故安倍総理に関する意見

2022-10-23 00:13:56 | 徒然の記

 元総理へ贈る「鎮魂歌」は終わりましたが、同じ保守でも安倍氏を酷評する人がいます。

 理由は統一教会に対し、祖父以来三代にわたり深い関係があったことです。その人は「死者に鞭打つ」と言う私の言葉に反応し、「言論封殺」と言われます。

 当然国葬にも反対の意見です。保守だから意見が同じで無くてならないと、そう言うことは言いません。色々な意見や考えがあって当然ですが、私は二つのことを感じます。

  1.  政治家にはカードの裏表があります。国民のために良い政策と、国民のためにならない間違った政策です。政治家を語る場合、間違った政策面だけで酷評するので無く、両方を考えて意見を言うことが大切と思います。

 2.  この人は過去において、一度も安倍氏を評価したことがなく、全てのことに対し批判しています。

 金権腐敗の「旧統一教会」に関する意見は、私も同じです。安倍氏の派閥だけを狙い撃ちにするので無く、すべての議員に対する調査をすべきです。自民党の議員だけで無く、逃げ回っている野党議員も調査して初めて公平な批判になります。

 安倍家の過去3代がどのように関わってきたのかも、調べるべきでしょう。岸田総理も調べた事実を国民に公表し、その上で党が国民の審判を受けるようにすべきだと思います。

 恐らく安部派は草刈り場となり、消滅するのかもしれませんが、これで反日左翼勢力に政権が移ることはないはずです。選挙で一時期票を減らしても、保守自民党は「安倍氏憎し」の反日野党と違った姿勢で、統一教会問題に臨むべきと思います。

 「安倍氏憎し」という感情的な面から、この問題を追求する人は間違っています。しかし私はこうした意見を排除しません。自由な意見を持つ人がいるのが自民党でしょうから、それはそれです。

 書く必要のないブログだったのかもしれませんが、息子たちのためには、伝えておきたいと思います。

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共同通信社の情報操作 - 19 ( 加藤紘一氏と青木理氏 )

2022-10-22 08:10:31 | 徒然の記

 「福田氏の大ウソ記事」の紹介を続けます。長い記事のため必要な箇所だけを取り上げますので、正確に知りたい方は9月18日の千葉日報新聞を確認されることをお勧めします。

 「当時の安倍氏を巡っては、5人の〈一時帰国〉に固執する融和派の福田氏と対立し、最終的に〈永住〉へ舵を切らせたとする受けとめがあった。」

 つまり事実があったと言うことになりますが、福田氏が否定します。

 「一時帰国の是非で、政権内の意見が割れたと報じられたが、5人を北朝鮮に返すなと私に訴えた官邸幹部は、安倍氏を含め誰もいなかった、と述べた。」

 〈一時帰国〉というのは田中均氏が北朝鮮とした約束であり、反古にできない外交の言葉ですから、大いに揉めたはずなのに福田氏が否定します。氏の記憶が正しいとするのなら、今後色々問題が生じる意見です。

 「福田氏は、五人を日本に止めるべきだとする一部の世論に、違和感を覚えたと指摘。家族を北朝鮮に残した5人の意向を考えず、一時的な思いに任せて日本に縛りつけるなど、人道的にありえないと語った。」

 「5人の意思確認は、福田氏が安倍氏に指示したと言う。」

 話が逆になっていますが、氏の話を正しいと証言する外務省の幹部がいました。

 「外務省アジア大洋州局参事官だった・斉木昭隆元外務事務次官も、17日までのインタビューで、当時の中山恭子内閣官房参与に5人の永住意思を伝えた、蓮池さんの電話が決め手になったと証言。政治家でも官僚でもなく、蓮池さんたちの決断だったと明かしている。」

 福田氏の話も斉木の証言も記事を読む限りでは、辻褄が合っています。しかしこれでは私が10月13日にシリーズの4回目で紹介した、田中均氏の言葉と整合性が取れません。

 「北朝鮮が日朝正常化交渉で失敗したのは、政治家に頼んだからである。日本では官僚が力を持っている。私のような力のある官僚に頼まないと日朝正常化の問題は解決しない。小泉首相も私が動かしている。」

 北朝鮮との融和策を基本とし自信満々だった氏は、安倍氏の強硬な反対で描いていたシナリオを崩され、激しい怒りを抱いていました。いわば外務省全体が、安倍氏の強い意思表示でコケにされたことになります。「国益無くして省益あり」とも言われる官僚の世界ですから、安倍氏が存命しない今となり、斉木氏が福田氏に話を合わせても不思議はありません。昔からの言い古された言葉でいえば、「江戸の仇は長崎で」・・です。

 私はここで息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、福田氏の話の反証となる二人の人物を紹介します。一人目は、加藤紘一氏です。誰もが知る自民党の有力者ですが、念の為略歴を紹介します。

 「〈宏池会のプリンス〉と呼ばれ、山崎拓、小泉純一郎と結成したYKKの代表格。衆議院議員13期、防衛庁長官、内閣官房長官、自民党政務会長、幹事長を歴任。」 

 「〈総理に一番近い男〉とも呼ばれたが、〈加藤の乱〉や〈秘書の脱税疑惑〉で総理候補から脱落した。」

 氏は政治家になる前、外務省の官僚でしたから、終始安倍氏に批判的でした。北朝鮮が一時帰国させた5人の拉致被害者を、当時の安倍氏が、北との約束を破り帰国させなかったと、激しく非難した人物です。

 平成20年7月7日の「日本BS放送」で、氏が語っていた言葉を今でも忘れていません。面白い偶然があるものですが、この放送の内容を伝えているネットの情報が見つかりました。10月21日、つまり本日発信のJCASTニュースが、当時の内容を伝えています。

 被害者を戻した方がよかったのかと聞かれた氏が、次のように答えていました。

 「当然です。国家と国家の約束ですから」

 「あんな北朝鮮みたいな国に、日本は政府と政府の約束さえ守らない国だと言われるのは、片腹痛い。」「安倍晋三官房副長官が〈 戻すべきでない 〉と主張したのが通り、北朝鮮との約束を全部忘れてしまった。」

 「私は、そのへんがね、実は今、日朝の間で打開できない理由だと思います。」

   「そのときに、1回帰しますから、じゃあ、また来て下さい、と言ったら、何度も何度も交流したと思いますよ。あのね、一回帰すと平壌は殺しちゃうんじゃないかとか考えた、そこが外交感覚の差ですね。そんなことできるわけがない。」

 「福田康夫首相は、安倍前首相とは違ってこうした点を理解し、拉致と核問題の話し合いを同時に進めている。」

 話している場所が日本だったのか、北朝鮮だったのか忘れましたが、どこかの庭園での対話でした。もう一人の証人は、元共同通信社記者青木氏です。

 「だいたい、小泉さんが訪朝した最初の頃、安倍さんは外されていたんです。交渉のラインは、小泉 ー 福田 ー 田中均で、安倍さんは蚊帳の外でした。」

 「私は外務省の田中均さんと、個人的には親しくしていませんが、何度かお話ししたことはあります。安倍さんみたいな強硬論でなく、現実的に、拉致問題の解決に取り組んでいた方です。」

 「結局田中さんは、安倍さんに反対され、交渉担当を外され、自宅を右翼に放火されましたね。石原慎太郎さんが、国賊だからやられて当然みたいなことを言ってましたが、酷い話です。」

 田中氏から安倍氏批判を聞かされていたので、青木氏はこんな話ができます。北朝鮮との折衝責任者である田中氏が外されても、「政府内での対立はなかった」と福田氏は言うのでしょうか。

 どうやら福田氏も共同通信社も、時代認識を間違っているようです。マスコミが報道すればなんでも国民が信じた時代は、とっくに終わっています。多くの国民はネットという文明の利器を使い、自分の意見を発信するだけでなく、マスコミや政府や政治家や学者たちの意見が信頼できるのか、検証することもできます。マスコミが何も知らない国民を、情報操作でごまかせた時代は過去となっています。

 あと2件残っていますが、同社も重要視していない小さな記事ですから、訪問いただいた方々に感謝しつつ、本日をもって、安倍元総理へ贈る「鎮魂歌」3つの完成といたします。辛抱強いおつき合いに、感謝します。

 しかし「憲法改正」と「皇室護持」について、反日左翼勢力との戦いは終わりません。安倍総理の意思を継ぎ、これからも頑張りたいと思います。

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共同通信社の情報操作 - 18 ( 福田氏の「大ウソ」 )

2022-10-21 13:05:27 | 徒然の記

 今日で18回目になります。ブログのテーマは「共同通信社の情報操作」ですが、そろそろ自分の位置を確認しないと、どこにいるのかを忘れそうです。同社の下記11件の記事を検討し、巧妙な情報操作を紹介することが目的でした。

 ・ 9月16日 ・・・3段組の小さな記事 横田早紀江さん

 ・ 9月17日 ・・・3段組のやや大きな記事 横田早紀江さん

 ・ 9月17日 ・・・一面トップ 5段組 竹下珠路さん

 ・ 9月17日 ・・・社会面トップ 5段組 竹下珠路さん・古川了子さん

 ・ 9月17日 ・・・16面トップ 5段組 田中実さん・金田龍光さん

 ・ 9月17日 ・・・政治面・シリーズ記事 5段組 『表層  深層』

 ・ 9月17日 ・・・全ページ使用の特集記事 7段組 蓮池薫氏・田中均氏

 ・ 9月17日 ・・・5段組の大きな記事  小泉総理・金正日総書記 

 9月18日 ・・・5段組の大きな記事 福田康夫元首相・小泉総理・金正日総書記 

 9月18日 ・・・2段組の小さな記事 岸田首相

 9月18日 ・・・1段組の小さな記事 立民、和泉代表

 予定では既に終わっている時ですが、「朝鮮〇〇」と「日朝国交正常化推進議員連盟」に関する情報を追加したため、遅くなりました。

 本日は 9月18日の5段組の大きな記事、 福田康夫元首相の談話を紹介します。いよいよシリーズの終わりが見えてきましたが、最後を飾るにふさわしい「大ウソ」 の記事です。福田氏が老化して記憶が不確かになっているのか、間違いを知りながら共同通信社が氏に忖度し、確認せず発信したのか。どちらにしても、安倍元総理の印象を損なう情報操作記事です。

 「小泉訪朝20年」「安倍氏反対しなかった」「拉致被害者の北朝鮮行き」「福田氏政府内の対立否定」

 これが記事の見出しで、福田元総理の顔写真があります。書き出しの部分を、そのまま紹介します。

 「福田康夫元首相は、17日までの共同通信インタビューで、2002年2月に北朝鮮から一時帰国した蓮池薫さんら拉致被害者5人について、当時の小泉政権が、(5人の)日本永住を決定するまでの経緯を振り返った。」

 この次以降が、「大ウソ」の記事になります。

 「福田氏は当時の官房長官。5人を北朝鮮に戻すべきかどうかを巡り、政府内で意見が対立していたとの見方を否定した。対北朝鮮強硬派と言われた安倍晋三官房副長官が、福田氏に被害者を北朝鮮に返すことへの反対意見を伝えた事実もないと、強調した。」

 多くの国民が知っているのは、蓮池氏ら5人とその家族が帰国できたのは、安倍氏が強く反対したからだという事実です。氏の反対がなければ5人とその家族の帰国は叶わなかったので、氏の功績として語られています。「死人に口無し」とでもいうのでしょうか、福田氏はこれを否定しています。

 既に故人となり葬儀も国葬も済んでいるのに、今も国会では「安倍氏叩き」を目的とした「統一教会問題」「国葬問題」を反日左翼野党が追及しています。安倍家のご遺族にすれば、福田氏の「拉致被害者問題」に関する「大ウソ」を耳にしても反対する気になれないでしょう。何を言ってもマスコミが叩き、野党が叩くのですから、打つ手がありません。

 従って私が代わりに、事実を息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介しています。私にしても安倍元総理には反対する政策がありましたが、今は言うべき時ではありません。それは国難に殉じた元総理への、国民としての礼儀だろうと思います。反日左翼政党と、反日マスコミと、自民党内のリベラル議員たちは、いつまで「死者を鞭打つ」のでしょうか。

 疑問を持たれている方は、次回も「ねこ庭」へ足をお運びください。

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共同通信社の情報操作 - 17 ( 日朝国交正常化推進議員連盟 )

2022-10-20 21:00:27 | 徒然の記

 今回は、「日朝国交正常化推進議員連盟」に関する「ウィキペディア」の情報を紹介します。

 「2011 ( 平成23  ) 年から活動が停止されていたが、2018 ( 平成30  ) 年6月、議員会館で総会を開き、約40名の与野党議員が集まり活動を再開した。」

 「拉致問題」が北朝鮮の犯罪だと判明して以来、世論の批判が「日朝国交正常化推進議員連盟」に対して高まりました。参加する議員が減り休眠状態が続きましたので、当時の状況を説明しています。

 「この時の講師役は、平成14年9月の小泉首相の初訪朝時の交渉役だった、田中均元外務審議官と、朝鮮〇〇の機関紙『朝鮮日報』の金志永・平壌支局長であった。」

 この時のメンバーが以下の議員ですが、おそらく今は同じでないと思います。もしそうだとしても反安倍勢力の組織ですから、歴史を確認する意味でも参考になります。なるほどと納得する名前がありますが、意外な議員の名前も沢山あります。これでは「国葬反対」の議論も盛んになるでしょうし、「統一教会問題」についても収束しないはずです。

 会  長  衛藤征士郎(自民党)

 会長代行  額賀福志郎(自民党)

 幹事長   中谷 元 (自民党)

 幹事長代理 平沢勝栄 (自民党)

 顧 問   二階俊博 (自民党)   岸田文雄(自民党)

       菅 直人 (立憲民主党) 福島瑞穂(社会民主党)

 副会長   塩谷 立 (自民党)   増子輝彦(自民党会派)?

                       北側一雄 (公明党)   中川正春(立憲民主党)

       笠井 亮 (日本共産党)

事務局長次長 務台俊介 (自民党)

 役  員  石田真敏 (自民党)

 委  員  石破 茂 (自民党)   坂本哲志 (自民党)  武田良太(自民党)

       林 幹雄 (自民党)   船田 元 (自民党)  茂木敏充(自民党)

       中村裕之 (自民党)   森山 裕 (自民党)  石井正弘(自民党)

       藤末健三(自民党会派)  浜田昌良 (公明党)  鉢呂吉雄(立憲民主党)

       近藤和也(立憲民主党)  井上哲士(日本共産党) 赤嶺政賢(日本共産党)

 〈 以前所属していた議員 〉

   自民党  石原伸晃  岩國哲人  大野功統  川上義博  加藤紘一 河村建夫

        佐藤章   木村義雄  小杉隆   平将明   田野瀬良太郎

        竹下亘   富岡勉   保岡興治  安次富修  山崎拓

        渡辺具能  馳浩   野田毅

   公明党  遠藤乙彦  東順治   山下栄一

 立憲民主党  生方幸夫  神本美恵子  平岡秀夫  山下八洲夫

 社会民主党  重野安正  菅野哲雄   日森文尋  又市征治  山内徳信

   民主党  加賀谷健  谷博之  藤谷光信  松岡徹  峰崎直樹

   共産党  山下芳生  

   民進党  城島光力  

 日本維新の会 谷畑孝 

   無所属  大前繁雄  亀井静香  自見庄三郎  下地幹郎  遠山清彦

         土肥隆一  並木正芳  吉村剛太郎
            今回はコメントの必要を感じませんので、参加議員の名前の紹介で終わります。無惨にも凶弾に倒れた安倍元総理は、反日マスコミによって「一強」「独裁者」と言われながら、党内外で反対勢力と戦っていました。「国葬の違憲問題」「統一教会の真相究明」と、相変わらず国会審議は目前に迫るロシア、北朝鮮、中国による核使用の危機について議論せず、「安倍氏攻撃」を続けています。

 やはりこれは、安倍元総理へ贈る「鎮魂歌」の完成には欠かせない一節となりました。死ねばお終い、「政界は一寸先は闇」です。

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