ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

教師 - 5 ( 仮名・神山公一氏 )

2021-01-30 13:02:06 | 徒然の記

 「性非行と薬物中毒」というタイトルで、仮名・神山公一氏が語っています。氏は45才の商業高校教師で、生徒の9割が女子、3年間で生徒の2~3割が退学するという学校に勤務しています。

 「高校生の非行が、新聞やテレビで報道されていますが、」「現実は、もっと凄まじい。」「新聞に出ない、警察が発表しない、警察沙汰になっていないことは、」「いっぱいあるでしょう。」「その中で教師が知りうるのは、ごく一部です。」

 「警察は事件があっても、基本的には学校には連絡しませんし、」「最近の親は学校に隠します。」「例えば、青少年健全育成機関に行っていたとしても、」「長期欠席の扱いになっていて、」「担任以外は知らない、ということもあるわけです。」

 警察が学校へ連絡しないのが基本だと、私は今まで知りませんでした。警察が隠し、親が隠し、学校も担任も隠しという実情を、氏が教えてくれました。

 「ただし非行をする子は、昔も今も数的には多くないのです。」「いつの時代でも、する子はする。」「最近低年齢化し、高三でしたことを、今は高一や中学生がやっている状況がありますが、」「大方の子は影響されない。」「例えば援助交際、セックスが介在しないとしても、8~9割の子は否定的です。」

 「性非行に関しては、もう概念自体がなくなりつつある、」「と言っていいですね。」「昔なら、ボーイフレンドとセックスして、」「妊娠したかもしれないと、本人が悩むわけです。」「擁護の先生に本人が相談し、学校に分かり、相談や指導ができました。」「今の子は、そんなことに悩みもしないし、相談もしないし、」「学校が手を出そうとしたら、たぶん、」「親も子も、拒否するでしょう。」

 こうなりますと、息子三人の親だった私には、別世界の話になります。また自分の学校時代には、経験したことのない話です。本当の話なのかと、疑ってしまいます。

 「彼女たちにとって、セックスは隠すものでなく、自慢したいこと、」「教員にも、ボーイフレンドと肩を組んでいる旅行先の写真を見せてくれるし、」「それを親は、どう思っているのか ? 」「心配しているのか、いないのか、私にも分かりません。」「でも、娘が外泊して、親がおろおろして、」「学校に連絡することは、まずないと言っていい。」

 原田瑠美子氏のように、教室で性教育をする教師がいるから、そういう生徒が育つのか。それともこんな時代になったから、性教育が大切なのか。私の経験からでは、判断が難しくなります。

 「性非行でも薬物問題でも、今は退学処分というのは、極めて稀で、」「話し合いのもとで、退学届を出し、」「自主退学してもらいます。」「こうすれば、本人にその気があれば、」「一年遅れになるけど、別の学校へ編入することができます。」「退学理由は公表しないし、問い合わせがあっても、言いません。」「学校が合わなくて、やめて行った子と同じ扱いです。」

 沢山こういう生徒を扱っている経験がそうさせるのか、氏の説明には、感情のたかぶりがありません。それでも私の心に響くものがあります。

 「自主退学させるのは、教員としては寂しいものです。」「退学してしまえば、教員として関わることはもうありません。」「でも、退学という歯止めをなくし、」「生徒が何をやってもいられるようでは、他の子たちへの抑止力になりません。」「公立の学校としては、けじめをつけないといけないのです。」

 私は自分でも時々思いますが、単純な人間です。氏の話を読んでいますと、編者である森口氏への印象が変わります。こんな教師の話なら、多くの人に伝えて欲しいと、感謝の気持ちが湧いてきます。私は、謙虚になり、氏の話を転記します。

 「事件が起きた時、警察への届けは保護者次第で、」「未成年の人権問題なので、学校からは届けられません。」「しかし保護者には、是非届けて欲しいと思います。」「なぜなら警察の関連機関は、色々有効なアドバイスをしてくれるし、」「対処マニュアルも、持っているからです。」

 「私は、警察も、青少年の非行を扱う専門機関の一つだ、と思っています。」「さらに医療機関、行政や民間の機関、」「学校同士との協力と連携は、これから是非とも必要です。」「今起きている問題は、登校拒否でも非行でも、」「社会的な広がりを持っていますから、」「個々の学校、教師のわずかな経験と知識で対応するのでは、」「限界があります。」

 氏の意見には、心から賛成します。私は小学生の登下校の見守りをする、ボランティア活動に参加していますが、たったこれだけの経験からでも、関係する組織の連携の重要性を感じています。3年生以下の低学年の児童が、交通事故に遭わないよう、不審者に襲われないよう、黄色い旗を持って誘導する活動です。

 孫と同じ年代の子供たちは、みんな可愛い生徒ばかりですが、注意しても道いっぱいに広がり、私たちの言うことをなかなか聞きません。挨拶をする子がいたり、憎まれ口を叩く子がいたりで、先生や親たちはどんな教育をしているのかと、話し合ってみたくなる時があります。

 小さな小学校のスクールガードですが、関係する組織は色々あります。学校の先生だけでなく、社会福祉協議会、町内会、父母会、町づくり有志会などです。年に何回かでも、関係者が一緒に話ができたら、もっと子供たちのためにできることがあると、私は考えています。しかし、それぞれの人々は、それぞれに忙しく、自分の役目が終わると解散です。この本でも分かりましたが、先生たちには、さらに時間がありません。

 それだけに、私は氏の最後の言葉を、息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々にも、日本中の方々にも、伝えたくなりました。

 「問題を表沙汰にしないことで、子供を守り、平穏無事に過ごせる。」「しかし、平穏に済ませられないと分かっていながら抱え込むのは、」「返って、子供ためにならないのではないでしょうか。」「確かに学校は、教育の専門機関ですが、」「全てを担う必要はない。」

 「子供は国の宝」ですから、学校や先生にばかり頼らず、協力する気持ちを持たなくてなりません。私たち親も、変わらなくてなりません。

 「できないと突き放すのではなく、学校が問題点を明らかにして、」「解決への、問いかけをしてもいいと思います。」

 学校から、こんな問いかけがあれば、親として、あるいはかっての親として、私は協力しようと思います。

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教師 - 4 ( 仮名・水原裕美氏 )

2021-01-29 14:21:00 | 徒然の記

 109ページです。今回は30代の女性教師水原裕美氏(仮名)の、談話を紹介します。

 「私が教師になろうと思ったのは、生徒たちに、男女差別や、」「戦争と平和、障害者の問題といった人権に関することを、」「考えてもらいたかったから。」「自分が考えてきたことを、少しでも社会に反映させたい。」「それを実現させるためには、教員という仕事は、」「魅力があると思ったのです。」

 こんな単純な動機で、教職を選ぶ人物が実際にいるという驚きの方が、嫌悪感より勝りました。

 「大学に入るまで、男女差別とは何か、そう深く考えていませんでした。」「一年生の時、社会科学系の研究会に入って、」「野外活動の計画を立てていた時、一年生の女子学生が相談して、」「みんなのお弁当を作ろうと、話が盛り上がったのです。」

 「そういうところが、自分の首を絞めてるんじゃないの ? 」

  話を聞いていた先輩の男子学生が言い、以後ことあるごとに、男女差別の歴史や、ジェンダーについて教えてくれたと言います。

 「最初は意味が分からなかったんですが、そういえばそうだなあと、」「思い当たる節がたくさんありました。」「そういうところで、4年間教育を受け、」「世の中に男女差別があるのはおかしいって、」「大きな声で言えるようになったんです。」

 重ねた思考の結果でなく、先輩に言われたことを信じているだけの氏です。「お花畑の住民」と、私は反日左翼の人々を批判しますが、氏がまさに、その一人でした。

 「学校でも、男女差別は良くないと、」「いじめをなくそうと、日々いろいろやっています。」「でも、信じられないかもしれないけれど、」「教師の世界にだって、男女差別やいじめがあったのです。」

 談話のタイトルは、「教師のいじめ」ですから、こちらの方が主題です。

 「最初に勤務した学校では、女の先生だけに朝の掃除当番と、」「会議の後の片付けが、課せられていました。」「しかもそれは、長年勤めてきた女性の先生が、」「私たちもこうしてきたから、貴方たちもやりなさいと、押し付けているのです。」

 「心の中で思うところはありましたが、新卒の私が嫌だと言ったら、」「他の先生との間に亀裂が入ることは、目に見えていました。」「そうして一年目は、何事もなく過ぎたのです。」

 「ところが2年目に、それまで優しくしてくれた先生が、手のひらを返すように変わったのです。」「その人は今まで、何人もの教員を辞めさせてきたような人です。」「お互いに違う学校に移って、会うこともないのですが、」「今でも恐ろしい。」「何があったか・・、話したく無いです。」「話すことによって、それをもう一度体験しなくてならないから。」

 この文を読んでいますと、共鳴する部分がなく、次第に冷淡な気持ちになります。教師というより、女生徒の話を聞かされているような錯覚に陥ります。

 「もちろん、命の危険があるようなことをされたわけではないし、」「客観的に見たら、大したことではなかったのかもしれません。「ごく、一般的なことだったのかもしれません。」「でも自分のこととなると、やっぱり別です。」

 「私が生徒で、嫌なことをされたというのなら、」「学校へ行かないという選択がありますが、」「職場は簡単に休めません。」

 生徒だって、学校を休むのは簡単なことではありません。自分との比較で生徒を引き合いに出すという、思考回路に違和感を覚えます。自分のことしか考えていない、自己中心的な意見と聞こえてきます。先輩の教師から、なぜいじめられるようになったのか、私には分かるような気がしました。

 「周りの人は、いじめられている私を、」「本気になって助けようとしているかっていうと、そうじゃない。」「自分に火の粉が降りかかるのを、恐れている。」「子供のいじめの場合、信頼できる教師がいて、」「一生懸命に動いてくれれば、収まることがあるわけです。」

 「でも先生の場合は、その役割をする人はいない。」「校長先生は、何もしてくれなかったのかって ? 」「これ以上は、言わせないでください。」

 ここでもまた、生徒の話を引き合いに出します。いじめられている人間には、教師も生徒も同じ深刻さがあると、そうは考えていないようです。薄っぺらな動機で教師になった人間は、経験を重ねて思考が深まるのでなく、自己中心的になっていくだけなのでしょうか。

 「それでもなんとかやってこられたのは、学校と違う家庭という世界があって、」「それが、自分を支えてくれたからですね。」

 小学校、中学校、高校と、私は、自分を育ててくれた先生の姿と顔を、思い出しました。どの先生にも、感謝の気持ちや懐かしさがあり、氏のような先生は、いなかった気がします。

 「いじめを受けた生徒から、本当に何があったのか、」「なかなか聞き出せないんですよ。」「その子の傷がちゃんと癒えるまで、本人が絶対安全だと思えるまで、」「辛い経験は言えないの。」「私もかなり立ち直っているけれど、もう少し年齢がいって、」「強くなれば、言えるかもしれない。」

 氏のような考え方をしますと、いじめを受けている子は、卒業してしまいます。現在のいじめを聞き出し、生徒を救う熱意がない教師が、人権や平和を教えるのかと、疑問が湧いてきます。

 「そう、私が定年になって、学校から完全に離れられた時には、お話しできるかもしれませんね。」

 これが最後の言葉ですが、編者の森口氏は、どういう考えで、談話を本に入れたのでしょう。性教育をする原田氏と言い、水原氏と言い、これが日本の教師の姿だと、訴える何かがあるのでしょうか。私は、自分を育ててくれた先生たちのためにも、反論します。

 「こんな先生が日本の実態だなど、そんなことはありません。」「森口氏は、教職者を傷つけるため、本を出したのでしょうか。」

 半分も読んでいませんので、書評の結論は早過ぎます。「武漢コロナ」で、外出自粛の日々ですから、焦らず読みます。「ねこ庭」を訪問される方々が、すっかり減りましたので、いかに『教師』の書評がつまらないのかを、教えられます。

 本だけでなく、書評をする私についても、関心をなくされているのだろうと、反省しております。

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教師 - 3 ( 編集者と出版社 )

2021-01-28 20:34:09 | 徒然の記

 森口秀志氏は、有限会社 「結(ゆい)プランニング」の代表取締役で、さらには、運営会社として設立した、「ジョイカレッジ結(ゆい)」の校長も、兼務しています。いずれも平成10年の設立ですから、『教師』出版の1年前の会社です。

 ここには森口氏の略歴が、もう少し書かれていますので、会社概要と共に紹介します。

 《 有限会社 「結(ゆい)プランニング」の概要 》

  資本金 300万円   従業員 2名    本社 世田谷区

  事業内容  福祉・介護に関する教育・訓練・コンサルティング業務
        人材の教育訓練、指導及び育成事業
        編集制作物の企画・編集・執筆。イベント制作など

  補足説明  運営施設としての、「ジョイカレッジ結(ゆい)」が横浜市にある。

  【学  歴】   明治大学政治経済学部中退
  【職歴・経歴】・ 教育・音楽・若者風俗・在日外国人などをテーマに新聞・雑誌にルポ を発表。
         ・ 文化批評誌『HOLIC』編集長などを経て、平成10年に
                         企画・編集制作会社(有)結プランニング設立。
         ・平成17年から21年まで、国会議員秘書を務める。

 「ジョイカレッジ結(ゆい)」と言うのは、介護福祉士を育成する学校で、通信教育をメインとしています。森口氏の人物像は、知るほどに明確になると言うより、知るほどに分からなくなります。  

 今読んでいる『教師』と言う本が、信頼に足る書物なのかどうか、それが知りたいだけなのに、目的が達成されません。氏は本当に日本の教育を考え、この本を出版したのだろうかと、疑問の方が大きくなります。

 それならばと、出版社である晶文社を調べてみると、ネットでは、次のように説明されていました。

 「晶文社は、日本の出版社」「昭和35年、中村勝哉と小野二郎が設立」「資本金は1000万円」「代表者は太田泰弘、トレードマークは、動物のサイである」「人文社会科学書・実用書・ルポルタージュ・」「文芸・サブカルチャーなど、多彩なジャンルの書籍を出版している」

 これではサッパリ分かりませんので、中村勝哉、小野二郎、太田泰弘各氏について、ネット検索しました。

  《 1. 中村勝哉氏 》

  「晶文社の創業者。60年に晶文社を創業、46年にわたり社長を務めた。」
 「小野二郎と東大駒場の同期であり、学力増進会の経営をしつつ、メセナ活動として行っていたのが晶文社だった。」 
  「小野二郎や木島始に、筆者の選択から全てをまかせ、金は出すが口は一切出さない、パトロンとしての社長であった。」

  《 2. 小野二郎氏 》 

  「昭和4年、東京生まれ」「昭和57年没、53才」「日本の英文学者、思想家」「昭和33年、東京大学大学院卒業後、出版社弘文堂に勤務」

 《 3. 太田泰弘氏 》

  「小野二郎、中村勝哉と晶文社を設立し、のち編集顧問」「弘文堂を退職し、東海大学専任講師」「昭和38年、明治大学専任講師となり、昭和46年文学部教授」「ウイリアム・モリスなど、イギリスの思想家たちに学びながら、」「大衆芸術運動の実践を通じた、社会変革の実現を構想した。」

 メセナ活動とは、企業が資金を提供し、文化・芸術活動を支援することですから、慈善活動の一環です。私の考えでは、晶文社の設立者たちを調べれば、偏った反日左翼主義者が出てくる予想でしたが、当てが外れました。

 しかしウイリアム・モリスについて調べると、次のような説明を見つけました

 「彼は、プロレタリアートを解放し、生活を芸術化するために、」「根本的に社会を変えることが、不可欠だと考えた。」「マルクス主義を熱烈に信奉し、E.Bバックスや、」「エリノア・マルクス ( カール・マルクスの娘  ) らと、行動をともにした。」

 ここでやっと、晶文社の代表者だった太田氏が、左系の人物だと分かりました。『教師』と言う本が、左に傾いている事実も、納得できます。左系の教師の話が集められていると分かれば、信じるか信じないかは、読者の問題になります。本人たちは本気で喋っているのですから、全否定しますと、トランプ氏を否定したアメリカのメディアのレベルに落ちます。いくらなんでも、そこまでは落ちられません。

 全てを参考情報として、次回から紹介していこうと思います。息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々も、そのつもりで読んでくださるようお願いします。 

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教師 - 2 ( 教師と教授の区別 )

2021-01-28 09:48:54 | 徒然の記

 『教師』の第二回目になります。教師と、簡単に言っていますが、「大学教授」と「教師」は、同じ先生ですが、なぜ呼び方が違うのか。区別するのは間違いで、どちらも同じ先生でないのかと、そんな疑問が湧いてきました。

 出版社や編集者を調べるのなら、いっそのこと、初歩的な疑問から片付けたくなります。不可解な本のせいか、思ってもいない疑問が生じますが、何事も勉強ですから、ありがたいことです。

 ネットで調べますと、「教授」と「教師の」違いが、ちゃんとありました。別にあるのかもしれませんが、手っ取り早いので、最初に見つけた説明を紹介します。

 1. 幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校で教える先生は、それぞれの校種ごとの教諭の免許状を持っている。

 2. 教員免許を持っていなければ、先生になることはできない。

 3. なぜなら先生は、生徒たちが正しい知識を身につけ、心と体が成長していけるように教育していくことが、仕事であり、役割だから。

 4. 大学には授業はあるが、「教師」はいない。

 5. 大学は教育の場ではなく「研究機関」であり、学生も教授も、自分が興味を持ったことについて、研究を行う場所である。

 6. 指導を行う人は、教師ではなく「教授」と呼ばれる。

 7. 教授は授業は行っても、教えることが本職ではなく、あくまでも目的は研究。

 8. 教育者ではないので、教員免許のような、教育のためのライセンスは不要。

 9. 学生たちの研究の参考になるよう、自分の研究を説明したり、研究のやり方や発表方法を教えたりするのが主な仕事。「教えるプロ」ではないため、優秀なのに、授業を聞いても内容がさっぱり理解できない教授も、たまにいる。


 9番目の説明には、笑ってしまいますが、学生時代を思い出すと、そんな教授もいたような気がします。大学教授に教員免許が不要だったとは、目から鱗の話です。誰でも簡単になれると言うことでなく、学問の世界で認められる研究者ですから、教員免許よりハードルが高いのだと思います。

 一番分かるのは、やはり数字での比較です。日本の「教師の人数」と「教授の人数」を、文部科学省のデータで調べてみました。

 《 平成21年 教授の人数  18万人 》

   内訳 ( 教授  7万人 准教授  4万人 講師  2万人 助教授  4万人 助手  1万人 )

 《 平成17年 教師の人数  109万人 》

         内訳 ( 幼稚園  11万人 小学  42万人 中学  25万人 高校 25万人 その他校  6万人 )

 調査年は違いますが、傾向を掴むだけですから、私にはこれで十分です。そうなりますと今度は、この数字を使い、編者の森口氏に異論が述べたくなります。息子たちと、「ねこ庭」を訪問された方々は、この本の宣伝文句 ( キャッチフレーズ ) を思い出してください。

 「今学校で、何が起こっているか ?」「87人の教師たちが語る、ニッポンの学校・教育・子供」

 「北海道から沖縄まで、最前線に立つ教師は、何を考え、何をしているのか ?」

 「日本の学校、今の子供達の姿が見えてくる。」

 分厚い本に、87人の教師の言葉を集めたと得意になっていますが、109万人の中の87名ではありませんか。北海道から沖縄まで、満遍なくインタビューしても、左翼系の人間や、極端な少数意見を取り上げていたら、それで日本の教師像が掴めるのでしょうか。

 例えば、前回取り上げた、性教育をする原田瑠美子氏は、教師の一般像なのでしょうか。性教育の体験談で著作を出し、有名になり、性教育団体の幹部をしているのですから、氏は既に一般の教師というより、二足のわらじを履いた活動家です。教室での生徒の会話などを利用し、世間で名を売った人物が、氏の前に何人かいます。無着成恭氏もその一人でした。

 またインタビューを受けた教師の中に、平成11年出版の『学校崩壊』の著者、 川上亮一氏の名前を発見しました。氏は反日左翼と言うより、教師の立場に立ち、マスコミや子供の親たちを厳しく批判する人物でした。教師を批判する評論家や学者にも、反論していました。

 著作が話題作となって、テレビのワイドショーに出演するようになり、平成12年には、「教育改革国民会議」の委員も務めています。当時の小渕総理の私的諮問機関で、荒れる学校教育を改革するため、有識者を集めたものですが、次の森内閣まで、積極的に開催されたと言われています。

 氏はその後平成18年には、日本教育大学院大学の教授となり、平成24年には、埼玉県鶴ヶ丘市の教育委員会・教育長に就任しています。現場一筋の高校教師として終わったのでなく、多面的な活動をしているところが、性教育の原田氏と似ています。

 こういう野心家たちは、「自己実現」が生きる目的で、それ以外のものは、目的のためのツールでしかない、という面が多々あります。売れる本にふさわしい教師が集められていると、私が思うのは偏見なのでしょうか。

 編集者と出版社について調べる予定が、すっかり狂ってしまいました。次回こそ、日本の教育より、売れる本を作ろうとする彼らの意図を、明らかにできればと思います。予定変更に我慢していただける、寛容の方だけ、「ねこ庭」へお越しください。

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教師

2021-01-27 19:45:28 | 徒然の記

 森口秀志氏編 『教師』( 平成11年刊 (株)晶文社 )を、読みつつあります。475ページの厚ぼったい本で、手に持って読むと、重くて長続きしません。本の表紙にも、裏表紙にも、扉にも、宣伝文句がいっぱいに印刷されています。

 「今学校で、何が起こっているか ?」「87人の教師たちが語る、ニッポンの学校・教育・子供」

 「北海道から沖縄まで、最前線に立つ教師は、何を考え、何をしているのか ?」

 「日本の学校、今の子供達の姿が見えてくる。」

 黒、赤、グリーン、茶色の活字が、賑やかに飾っています。私はこういう仰々しい装いの書には、なんとなく馴染めませんが、12章に分けられた内容は、読まないわけにいきません。( 87人の教師の内訳は、幼稚園、小学校、中学校、高校、その他の特殊学校となっています。)

  1. 教師の仕事

    2. 授業

  3. 学校という別世界

  4. 問題続出

  5. いじめ

  6. ひとはこうして教師になる

  7. 親とつきあう    ・・・・・以下省略

 この本の特徴を挙げますと、3つあります。

  1. 全てインタビューによる、回答であること。

  2. インタービューされた87人の教師の、61人が仮名で答えていること

  3. 8名のインタビアーと、本の編者の履歴がほとんど書かれていないこと

 編者である森口氏については、次の記述だけです。

 「昭和35年、東京生まれ」「フリーライター、エディター」「教育・音楽・若者文化・在日外国人などをテーマに、取材・執筆・編集活動を続けている」

 もっと知りたいと、ネット検索していましたら、「ジョイカレッジ結・校長」「有限会社 結プランニング・代表取締役」という、二つの肩書きを見つけました。

 一体誰が、国民に本当のことを伝えているのだろう ? ・・・

 前回のブログで、疑問を述べたばかりなので、匿名が多く、インタビアーの経歴もハッキリしない本は、果たして信頼できるのかと、つい考えてしまいます。匿名だから本音が語れるのか、責任逃れの匿名なのか、103ページまで読みましたが、私には分りませんでした。

 大切な子供たちに残すブログですから、訳の分からないままでは、自分の気持ちが収まりません。ここまでこだわるのは、現在読んでいる部分に原因があります。この人は匿名でなく、学校名も隠していません。原田瑠美子氏、51才、世田谷区私立東横学園女子中・高校で、理科の教諭をしています。

 教え子の妊娠・退学をきっかけに、性教育に取り組み始め、体験をもとに著書も何冊か出版し、現在は、「人間と性・研究教育協議会」の本部幹事もしているといいます。インタビューのタイトルは、「性教育」で、高校2年生の担任だった時の話です。生徒から妊娠したと打ち明けられ、「退学届」の書き方を教えて欲しいと言われた時の、氏の言葉から、転記します。

 「でもその時私は、退学することに同意しないと、言ったの。」「だって、妊娠したからといって、なんで退学しなくちゃいけないわけ ? 」「確かに年齢はまだ16才だけど、愛する人と出会って、」「本当にこの人と、将来一緒に行こうと思って、」「その人の子供を産みたいと思うことが、なんで非行扱いされて、」「退学にならなきゃいけないのか、私には分からなかったのね。」

 この時氏が、生徒に与えた助言です。

 1. 日本の社会では、高校くらいは卒業していないと、将来ハンディーになる

 2. 休学し、子供を保育園へ預けるとか、育児の目処が立った時、復学すれば良い

 しかし生徒は、次の理由で退学します。 

 1. 今の社会では、そんな生き方は許されていない

 2. 体が丈夫でないため、勉強と育児の両立はできない。

 女生徒への助言として、そんな意見もないではないでしょうが、現実問題として可能なのか、そこまで単純化して良いのか、という疑問があります。休学した女生徒を、周囲の人間がどういう目で見るのか。彼女の親だけでなく、男子生徒の親の同意や理解は、どうなっているのか。

 そこまで考えると、普通の教師なら単純な助言が言えなくなり、一緒に悩むのでないかと思います。ところが氏は、とんでもない方向へ考えを進めます。

 「やっぱりそのことで、性教育の必要性を痛感したんですね。」「生徒たちに、女性の自立を説いてきたけど、」「そのためには、性の自立が大事じゃないかって。」「女性として生まれたことに誇りを持ち、自分の夢を実現させていく生き方。」「それが性教育によって、裏打ちされないといけないんじゃないかって、」「そう思うようになったんですね。」

 驚いたことに、氏は「性教育」授業を、ホームルームの中で実現していきます。

 「交際しているボーイフレンドから、ホテルへ行こうと誘われた時、どう答えるか、」「生徒たちに、それぞれ演じてもらうのね。」「嫌だという子もいるし、いいわという生徒も、いるわけ。」

 「今はちょうど妊娠する時だからダメ、とかいうと、」「男役の生徒が、ちゃんと避妊するから大丈夫。」「僕に任せて欲しい、とか言って、」「もう、キャアキャアいいながら。」

 果たしてこれが、教育なのでしょうか。性教育がなければ、女性の自立ができないというのなら、日本だけでなく、世界中の自立した女性は、こんな性教育を受けたのでしょうか。もし孫娘が、東横女子学園へ行きたいと言ったら、私は迷わず止めなさいと言います。

 こうなりますと私は、こんな本を出した編集者や出版社や、インタビアーたちのことが知りたくなります。8人のインタビアーの内の5人がフリーライター、2人が新聞記者で、残る一人が沖縄の市議会議員、と言うところまでは書いてあります。

 同じ反日左翼でも、岩波書店や中央公論社は由緒正しい左翼書店ですから、匿名の意見がなく、著者の経歴も明確にし、頑迷さの中に律儀さが見えます。フリーライターは、売れるものなら何でも書き、売るためなら何でもする人間たちです。問題点を真剣に取り上げると言うより、売るための工夫を真剣にします。残る二人の新聞記者ですが、今の日本では、最低ランクに見られつつある職業です。

 次回は、編集者と出版社について、もう少し調べたいと思います。興味のある方だけ、「ねこ庭」へお越しください。

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教育関係の書を読んで ( 中間報告 )

2021-01-25 17:00:44 | 徒然の記

 一体誰が、国民に本当のことを伝えているのだろう ?

 「武漢コロナ」が発生して以来、私たちはマスコミの報道はもちろん、政府や政治家や評論家の話にも、不信感を抱くようになりました。追い討ちをかけるように、アメリカの大統領選挙の報道が、さらに不信感を高めました。

 正確な原因は知りませんが、トランプ大統領に対するアメリカのマスコミの、徹底した敵対報道が、最後には情報統制にまで及んだ事実を、目の当たりにしました。自由と民主主義のリーダーだったアメリカが、共産党支配の中国や北朝鮮同様の情報統制をするのを見て、アメリカの崩壊を実感させられました。

 同時にそれはまた、日本のマスコミへの失望でもありました。日本のテレビと新聞は、偏向したアメリカのマスコミ情報だけを伝え、対立している側の情報を取り上げませんでした。私たちが目にしたのは、アメリカのマスメディアに支配されている、日本のマスコミの悲しいまでに卑屈な姿でした。

 ここまで、アメリカのマスメディアに追随しているのならば、他の国際関係ニュースも、アメリカの意向に反する記事を書かないはずと、疑念が広がりました。安倍政権に関する記事も、菅政権についての報道も、アメリカの影がつきまといます。

 だからと言って、テレビも新聞も、月刊誌も読まず、ネットの情報だけでは、やはり不十分です。マスコミの情報は、地球規模の広さで、タイムリーですから、個人では掴めません。反日左翼のマスコミの報道であっても、それを基準に、ネットの情報の客観性が判断できます。

 「一体誰が、国民に本当のことを伝えているのだろう ? 」

 常に問いかけながら、どんな情報も簡単に信じないようにし、時間をかけ、自分で検討した後で受け入れる。もしかすると、これが世界では当たり前なのでしょうか。

 本棚に並ぶ、11冊の教育関係の未読書を、やっと7冊読みましたが、これについても、検討の時なのかもしれません。

 「一体誰が、国民に本当のことを伝えているのだろう ? 」7冊の本についても、同じ問いかけができます。著者と、出版年を追加し、再度本を一覧にしました。

    1. 『教育への告発』0     編集委員6名   (  平成10年 )

      2. 『いま教育を問う』1   編集委員6名   (  平成10年 )

    3. 『いじめと不登校』4     編集委員6名   (  平成10年 ) 

    4. 『教師』                        森口秀志   (  平成11年 )

    5. 『昭和教育史の証言  教育証言の会  ( 昭和51年 )

    6. 『学校は変われるか』      菱村幸彦  (  平成8年 )

    7. 『教なき国民は滅ぶ』  鷲野一之   (  平成9年 )

    8. 『教育問答』 なだいなだ  (  昭和52年 )   

      9. 『ジャカルタ日本人学校の日々』 石井光信   (  平成7年 )

     10. 『日本の教師に伝えたいこと』 大村はま   (  平成7年 )

   11. 『学校崩壊』 川上亮一   (  平成11年 )

 並べてみると、新しい発見があります。11冊のうち、保守系の著者は菱村、鷲野2氏だけで、後の9人は左翼系の人物です。保守系の人間が教育問題を重視せず、左系の人間が、重要性を理解しているからなのか。本当の原因は知りませんが、興味深い事実です。

 昭和時代の本と、平成時代の本を比較すると、ここにも新しい発見がありました。昭和時代の本は2冊、平成時時代の本は9冊ですが、意見を述べている人数を比較しますと、データの数としては十分です。既に述べていますが、おさらいのため、その発見を転記します。

  1. 昭和時代の本から見えたもの

   ( 1 ) 東京裁判史観

   ( 2 ) 白樺派的人道主義

   ( 3 ) 社会改革思想としての、マルクス主義

  2. 平成時代の本から見えたもの

   ( 1 ) 東京裁判史観

   ( 2 ) 日本国憲法

   ( 3 ) 社会主義 ( マルクス主義 ) 思想

 教育を語るとき、いずれの側の人物も、根拠にしているのが上記の3点でした。意識している人もいるし、無意識のうちに言及している人もいます。昭和と平成の本を区別する特色は、「白樺派的人道主義」が、平成時代に無くなったことです。平成の著者たちは、曖昧な博愛主義をやめ、科学的社会主義に基づき、少数者 (弱者)の権利を主張するようになりました。しかもその根拠は、全て日本国憲法です。

 これからの日本の教育を真剣に考えるのなら、上記の3点を、国会の委員会で取り上げるべきです。選挙の票に繋がりませんが、国を愛する政治家には、右左を超えて取り組んでもらいたいと思います。

 残る4冊も、こういう視点で読み続け、もしも「ねこ庭」を訪れる方が減っても、我慢しようと思います。なんだ、そんなことかと思われるのかもしれませんが、これが「中間報告」です。息子たちのためというより、自分自身への「中間報告」です。こうするとまた、元気が出ますから・・

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『昭和教育史の証言』 - 22 ( 続々・村田栄一氏と大江健三郎氏 )

2021-01-24 20:15:56 | 徒然の記

  《   8.  村田栄一氏・・ 「 戦後民主主義における欠落 」》

 村田氏は更に、大江氏を評価する横浜国大教授宮島肇氏の意見を紹介します。宮島氏は大江氏を一つの世代の典型とみなし、「新憲法世代」となづけ、その独自性を下記のように好意的に説明します。

  ・それは端的に言うと、新憲法の精神と原理を、戦後日本の唯一最高の価値体系とみなし、

  ・政府も国も、教師も指導者も、国民大衆も生徒たちも一丸となって、純粋な気持ちで新憲法と民主主義の学習へと向かった時代に、

  ・その教育を受けて、世の中へ出ていった戦後世代のことです。

 村田氏が、宮島教授について紹介しています。

  ・宮島氏はかって、横浜国大哲学科の主任教授であり、僕はその不肖の弟子である。

  ・氏は飛鳥田市政のブレインとして、また長洲一二神奈川県知事擁立の立役者として活動されている方でもある。

  ・ちなみに記せば、僕は学年において大江氏の一つ下に当たり、彼が四国、僕が長野県の疎開先という違いはあるが、農村で民主主義を迎えたと言う事情についてはほぼ似通っている。

 ここで氏は、大江氏の話も宮島氏の話の中にも間違いがあると指摘します。「戦後民主主義における欠陥」と、氏の証言のタイトルにになっている  " 欠陥 " というのがそれです。次の二つの観点から、説明しています。

  ( 1 ) 大江氏への反証・・・詩人北川透氏の意見の紹介

  ( 2 ) 宮島氏への反証・・・文部省編教科書『民主主義』の内容検討

 右左に関係なく大事なことなので、なるべく省略せずに紹介したいと思います。

《 ( 1 ) 大江氏への反証・・詩人北川透氏の意見の紹介 》

  ・若い教師たちは戦いから帰っても、必ずしも敬虔に教えなかった。

  ・彼らは時にニヒルであり、時にアナーキーであり、そしてやがて体制に順応していった。

  ・『民主主義』はまともに教えられなかったし、教えられても反抗的な生徒は疎外されていった。

  ・わずか4、5年の間に「君が代」や「日の丸」 は否定され、また肯定され、そして再び強制されるようになった。

 つまり北川氏は、大江氏の語る教室とは異なる殺伐とした教室を語っています。同じ時期に同じように田舎で『民主主義』の教科書に接しても、別の事実があると読者に伝えています。

  ・「主権在民」や「戦争放棄」は、知識としては教えられたが、生徒会活動は弾圧される方向へ進んだ。

  ・軍国主義教育の信奉者だった教師が、民主主義教育のピエロを演じ信奉者に変じていった。

  ・そこには教師個人の人格問題を超えた、戦後思想、戦後民主主義そのものがあると考えるべきである。

 大江氏が素晴らしいと語った民主主義の授業の、対局にある意見です。トランプ氏とバイデン氏のどちらが正しいかと、異なる意見を聞いている時に似た気持です。

  ・理念の中では反抗的であったかもしれないが、生活に恵まれ、知識に恵まれていた大江たちエリートは、生活秩序の中では順応的であった。

  ・教師や生徒の心情の底にある大きな断層が、なし崩しに埋められるために戦後があったのではないか。

  ・その時「戦後思想」は何をし、「戦後民主主義」は何をすることができたのか。

  ・大江や「戦後民主主義」の守護者たちは、戦後批判を成り立たせなければならないところに、擁護を行おうとするのだ。

  ・そこで彼らに守られているものは、空疎な「理念 」に過ぎない。 」

 ここでやっと、私は北川氏の言わんとすることを理解しました。かって私が多くの学者たちが戦後にした「変節」批判と同じことを、大江氏に対し述べているのです。

 反日左翼とは言え、本気で信じたものを批判・検討もせずに捨てるのかと、そう言っている気がします。肝心の村田氏の意見がここで出てきます。

  ・展開された北川氏の大江批判は、氏を代表選手とする戦後民主主義擁護者へ、刺さる言葉だと僕は考える。

 続けて氏は、政府に妥協した日教組と社会党、日高六郎氏や丸山真男氏まで、反日左翼勢力のほとんどを批判します。ここまできますと、氏は反日左翼勢力の少数派となるのではないかと思います。次の宮島氏への反証も、この流れです。

《 ( 2 ) 宮島氏への反証・・文部省編教科書『民主主義』の内容検討 》

 スペース節約のため文章をやめ、箇条書きにしていきます。

  1. 共産主義は、ナチズムやファシズムと並ぶ全体主義である。

  2. 共産主義と対立するのが、民主主義である。

  3. 民主政治は、多数決主義と選良主義の長所を取りそれを組み合わせている。

  4. 進んだ資本主義の国では、私企業の活動をイタズラに押さえず、過度の自由経済の弊害を是正している。

  5. 進んだ資本主義の国では、政治を民主的に運用し、経済生活での民主主義を実現している。

  6. アメリカ合衆国のこれまでの道は、だいたいこの方向であったと言えよう。

  7. 労使協調による、産業平和の実現が大事である。

 こうして列挙してみますと、宮島氏による文部省編の教科書『民主主義』説明は、マルキストには簡単に受け入れられない内容です。

  ・大江氏に対する違和感を表明したいと思うのは、記憶の彼方から氏がたぐり寄せる民主主義にいささか糖衣が付着し、思い入れが過ぎる点がありはしないかということなのだ。

 前回の斎藤氏は無着氏を遠慮なく批判しましたが、村田氏は二人に対し抑制して語っています。それほど当時の大江氏と宮島氏が、時代の寵児であったということなのでしょうか。マスコミのもてはやす時代の寵児は無着氏も同じですが、歴史が必ずメッキを剥がします。

 紹介できない証人が残りましたが、予定通り本日で『昭和教育史の証言』の書評を終わり、「ねこ庭」を訪問された方々には感謝を申し上げます。

 次回からは、森口秀志氏編『教師』です。

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『昭和教育史の証言』 - 21 ( 続・村田栄一氏と大江健三郎氏 )

2021-01-24 12:47:53 | 徒然の記

    《   8.  村田栄一氏・・ 「 戦後民主主義における欠落 」》

 村田氏は斎藤たちき氏同様、全国的な著名人でないらしく、ネットで検索しても、詳しいデータが見つかりませんでした。

 「昭和10年、横浜市生まれ、平成24年76才で没」

 「昭和33年、横浜国立大学卒業後、川崎市の小学校勤務」

 「村田学級の名で知られる、独自の教育活動をおこなう」

 「昭和55年退職し、スペインに遊学」

 「セレスタン・フレネの自由教育運動に共鳴し、教師を対象とする教育工房を主宰」

 参考までに、「フレネ教育」についてネットで調べました。

  ・フランスの教師であったセレスタン・フレネが、自身の勤める公立学校で始めた教育である。

  ・現在では『現代学校運動』と呼ばれ発展を続け、スペイン、ドイツ、ブラジルなど世界38か国に広がっている。

  ・子どもたちの生活や興味から出発した、自由な表現による学習を重視しており、自由作文、学校印刷所、学校間通信などの、実践が行われている。

  ・学習は個別化されており、子供たちが自分で計画を立て、協働しながら学習を進めるという方法を取っている。

  ・また学年ごとのクラス分けでなく、子どもたちが異なる年令集団の中で、助け合ったり教え合うことを学ぶ。

 『日本の教師に伝えたいこと』の著者、大村はま氏の単元学習、戸塚廉氏らの『児童の村小学校』、あるいは無着成恭氏の『やまびこ学校』も、フレネ理論の影響下にあることが分かりました。
 
 従って反日左翼系の彼らは、多かれ少なかれ戦前の日本の教育について、下記共通の認識を持っています。
 
  ・これまでの教育は、生徒の人権を無視した、知識詰め込み教育だった。
 
  ・頭ごなしの教え方は軍国主義的であり、教える内容は全体主義だった。
 
  ・民主主義の教育は、教えるのでなく生徒自身に考えさせるのだ。
 
 戦前教育への反論の根拠として、フレネ理論が取り入れられていたのです。理論を全否定しませんが極論に走るのが間違いのもとで、ややもするとこうした人々は生徒を甘やかすことと人権尊重を混同します。
 
 横道へ逸れそうなので、余計なお喋りを止め、村田氏の証言に戻ります。
 
  ・戦後教育について語る人の多くが言及する書物に、文部省編教科書『民主主義』(上下)、がある。
 
 こう言って氏は、大江氏の意見を紹介します。後の説明が分かりやすくなるので、長くなりますがそのまま紹介します。結論の一部を先に言いますと、同じ反日左翼同士でも、いい加減な捏造は許されないという実例です。いい加減な捏造をしているのが、下記ノーベル賞の大江氏です。
 
  ・僕は、上下二冊の『民主主義』というタイトルの教科書が、僕に植え付けた熱い感情を思い出す。
 
  ・『民主主義』を使う新しい憲法の時間は、僕らに、何か特別のものだった。
 
  ・そしてまた、修身の時間の代わりの新しい憲法の時間、その実感の通りに、戦争から帰ってきたばかりの若い教師たちは、いわば敬虔にそれを教え、僕ら生徒は緊張してそれを学んだ。
 
  ・僕は今、《主権在民》という思想や、《戦争放棄》という約束が、自分の生活のもっとも基本的なモラルであることを感じるが、そもそもの発端は、新制中学の新しい憲法の時間にあったのだ。
 
 感動的な文章なので、そうだったのかとうなづきましたが、村田氏は納得しませんでした。氏はもう一人の捏造人間を例示し、大江氏と一緒に批判します。スペースがなくなりましたので、続きは次回とし即座に始めます。
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『昭和教育史の証言 』- 20 ( 村田栄一氏と大江健三郎氏 )

2021-01-23 16:08:38 | 徒然の記

 『昭和教育史の証言』の書評も、今回で20回目になります。元々は去年の11月に、本棚に残っていた教育関係の書を、読むことから始まりました。下記の11冊がそれで、青字で表示した本が、読み終えたものです。

  1. 『教育への告発』    2. 『いま教育を問う』

  3. 『いじめと不登校』   4. 『教師』

  5. 『昭和教育史の証言』  6. 『学校は変われるか』

  7. 『教なき国民は滅ぶ』  8. 『学校崩壊』 

  9. 『教育問答』      10. 『ジャカルタ日本人学校の日々』

  11. 『日本の教師に伝えたいこと』

 『昭和教育史の証言』の最終の「戦後編」となり、あと一人紹介したら、この書評が終わりです。教育書シリーズがあまりに長いため、最初の目的を忘れてしまいました。

 ブログは息子たちに贈る遺言でもありますから、漫然と続け、無意味なものに変じさせてはなりません。一度初心に戻り、ブログの「目的の再確認」をいたします。

 きっかけは、政界を騒がせている「日本学術会議」でした。一握りの反日・左翼学者の団体が、予想以上に学校教育を歪めている事実を知りました。

 戦後の教育が、日教組と文部省の対立で動いていたことは知っていましたが、ここまで侵食されていたとは考えませんでした。ナチズムと「東京裁判史観」は別物なのに、反日左翼学者は、これを同列に並べ日本を批判攻撃します。

 敗戦後の日本では、一流の学者と新聞がこぞって日本批判をし、国の歴史や文化まで否定しました。そして学校では教師たちが、「東京裁判史観」を教えていたのです。

 真理を追求するのが学者だと、世間ではそう信じている人が沢山います。一流と呼ばれ尊敬される学者の中にも、自己保身のために意見を言う人間がいることを、「学術会議」のおかげで知りました。

 「私は今日から、未読のままにしていた教育関係の本を集中して読みます。」

 これが昨年11月の決意で、現在に至る・・・と再確認しましたので、『昭和教育史の証言』へ戻ります。今回は、「戦後編」の最後の証人の紹介です。

   《   8.  村田栄一氏・・ 「 戦後民主主義における欠落 」》

 村田氏を取り上げたのは、大江健三郎氏について語っているからです。前回、斎藤氏が無着成恭氏を批評していたように、村田氏も大江氏に言及しています。

 大江氏は自らを「戦後民主主義者」と称し、国家主義と天皇制を一貫して否定しています。「護憲」という立場から憲法九条を高く評価し、自衛隊を嫌悪する人物でもあります。

 氏は、文化勲章が天皇から授与されるという理由で拒否しましたが、ノーベル賞は喜んで受けました。氏の中では、ノーベル賞は学術賞だが文化勲章は国家勲章だという区別があるのだと聞きます。ノーベル賞の中には学術賞でなく、平和賞のように、国際政局がらみの政治賞もあります。

 いずれの賞も国の権威である、皇室と王室が授与します。権威を否定するというのなら、ノーベル賞も拒否するのが筋というものでしょう。氏の行為は、単なる「天皇嫌い」、「日本嫌い」でしかありません。

 尖閣諸島も竹島も、過去に日本が侵略したのだと氏は主張し、日本政府を批判しています。平成18年に中国に招かれ訪中した時は、「南京(虐殺)記念館」で日本批判をし、小泉首相の靖国参拝は「日本の若い世代の将来を損ねる」と述べ、中国政府を喜ばせています。

 小説の世界でなら、世迷いごとを作品にしても問題になりませんが、政治の世界で「たわごと」を言われると、厄介なことが生じます。ノーベル賞と聞けば、理屈抜きで有り難がる人間が日本には山のようにといますから、受賞者の氏が言うのなら間違いあるまいと、尖閣、竹島、靖国、憲法、ついには天皇陛下まで、全て日本が悪いと信じる愚か者を増やす結果になります。

 いったい氏は本当に知識人なのか。日本の歴史や文化について何を知っているのか。手のつけようもない日本憎悪と、他を圧倒する偏見は、いったいどこから生まれたのか。そもそも氏は日本人なのか。

 今でも疑問だらけの氏を村田氏が批判していますので、取り上げたくなりました。村田氏の略歴と証言につきましては、次回からといたします。

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『昭和教育史の証言 』- 19 ( 続・斎藤たきち氏と無着成恭氏 ) 

2021-01-22 17:01:42 | 徒然の記

  《   7.  斎藤たちき氏・・ 「 無着成恭とやまびこ学校 」》

 斎藤氏は、なぜ無着氏を呼び捨てにするようになったのか・・これがテーマです。再度氏の証言に戻り、肝心な部分を紹介します。

  ・無着の生まれた村と、私の村は隣同士であると、先にも書いた。

  ・私の村は、いわば政治家が書ききれないように多く生まれた村として有名であり、一方無着の生まれた山元村は、いわゆる文化人が多く輩出した村として有名である。

  ・これらのほとんどの人々が村で生活し、骨を埋めていると言う点で、土着的な政治・文化的風土を形成し、その伝統を伝えている。

  ・名を上げたからと言って村から逃げ出したのは、無着一人ではあるまいか。

 氏は無着氏と出会い、初めて百姓としての自分を自覚し、村で生きる決意を固めました。素晴らしい先生に出会ったと感激していただけに、無着氏の東京移住が衝撃だったのでしょう。おそらくそれは、斎藤氏個人にだけでなく、村への裏切りに見えたのだと思います。

  ・私たち百姓が都会に出るのは、裏口からの『夜逃げ』という闇に向かっての歩みだが、指導者やインテリゲンチャには、表口からの『錦の御旗を求める、栄光の旅立ち』という違いがあるような気がする。

  ・無着は先に、都会に住むのも農村に住むも変わりはないと強弁した。

  ・しかし村に住む人間の目から見れば、都会生活者となることは、村と対立する存在になったとさえ思える。

  ・土に汗して働き、村で生きる者との対立は、生活していることは同じでも、生きていくということで異質であるとそう思う私には、無着の思想の転向を見るのである。

 斎藤氏が、なぜここまで都会と農村の暮らしの違いを強調するのかは、当時の社会状況を理解する必要があります。

 昭和25年以降およそ20年にわたって、日本の経済は高い伸び率で上昇し続けました。いわゆる「高度経済成長」です。工場が次々と施設を拡張し、大都市には近代的なビルが競うように建てられました。

 厳しい農作業を捨て、便利で華やかな都会暮らしを求め、村を捨てる若者が増えていた頃です。

  ・もう一つ忘れてならないのは、卒業したばかりの青年教師無着が、むちゃくちゃ教育を実践できたのは、禅寺の坊主だったからではないかという一面である。

  ・坊主の存在は、学校の教師、村の駐在を超えて、村ボスの下に位置する力を持っていて、よっぽどのことでない限り批判されたりしないのである。

 氏の意見は無着氏を理解するための、一つの材料となります。こういう事実があったのかと、長年の疑問を解く鍵になります。それ以上に驚きだったのは、氏の話が「ねこ庭」には全て新鮮だったことです。東北と九州の違いがあるのか、同じ田舎育ちでも、私は農村と都会の人間をこのように語る人物に出会ったことがありません。

 土着という観念からして、満州生まれの自分にはありません。日本に帰国してからも、出雲から熊本の田舎町、温泉町、北九州の街へと職を求めて転々とした親に従い、移り住んできました。斎藤氏が語るような土着への矜持とこだわりが、日本の全国にあるとするなら、私はそんな日本を知らない日本人ということになります。

 それだけに、一層氏の話に引かされます。

  ・おそらく、寺出身以外の新卒がそんな実践をしていたら、1、2年で村追放になっていたであろうことは事実であったろう。

 氏が強調しているのは、無着氏が『やまびこ学校』の実験で有名になったのは、村の風土があったからだということです。あからさまに述べていませんが、村と生徒たちを踏み台にして、彼は有名になり村を捨てたとそう聞こえます。

  ・無着が村の坊主出身であることは、村の指導層でインテリ層の一人として君臨することであったが、同時に逃げ場と逃げる準備を、絶えず内包していることではなかったか。

  ・そのインテリたちが、内灘、砂川、水俣、三里塚などで、困難な戦いの中からいかにして逃亡したかを見るとき、

  ・または日本の教師のほとんどの者が、辺地や辺境と呼ばれる村で教えながら、いつも逃げ出す準備でいるのを知る時、

  ・無着でさえ逃げ出したのだからなあと、許したい気持ちになってしまうのである。

  ・ともあれ『やまびこ学校』が、無着成恭であるのか、無着成恭であったのか、洗い出される歴史の時を迎えたと言えそうである。

  ・その中で、逆に無着の思想と実践が確かめられていくのではあるまいか。

 無着氏と『やまびこ学校』を知らない人には、何でもない叙述でしょうが、知っている人間にとって、斎藤氏の言葉は強烈な批判です。こうなりますと、最初に紹介した氏の略歴が重みを増します。

 「山形の農民詩人、齋藤たきちさん ( 昭和10年生まれ ) が亡くなった。」

 「彼は、野の思想家の流れをくむ百姓であり、」「詩を書き、ものを書き、」

 「地域に根差した平和運動や、文化運動、有機農業運動を作り上げてきた。」

 マスコミの虚名に心を奪われず、金にも執着せず、言葉通り村を大切にし、村に生きた氏には無着氏を批評する資格があります。部外者の「ねこ庭」には資格がありませんので、感心して読むだけです。

 斎藤氏は、私の嫌悪する反日左翼活動家ですが、愛する村を捨てなかったという一点に、共感できるものがあります。愛する村と国を捨てさえしなければ、左翼活動家でも理解できる私です。

 「戦後編」15名の内、3名の証言を紹介しました。息子たちだけでなく、「ねこ庭」を訪問される方々も、退屈されただろうと思います。私は退屈しませんので、あと一人紹介してこのシリーズを終わります。

 誰にするかは、少し考えさせてください。

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