ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

蒼海に消ゆ

2014-07-27 22:33:17 | 徒然の記
 門田隆将著「蒼海に消ゆ」(平成23年 集英社刊)を読了。

 始めて手にする作者の本だ。昭和33年、高知県生まれの人物。勧めてくれる方があり、図書館で三冊借りたその内の一冊である。
「祖国アメリカへ特攻した、海軍少尉松藤大治の生涯」、これが本の内容だ。

 昭和20年4月、零戦の沖縄特攻によって、23才の若さで彼は生涯を終えた。文武両道に優れ、仲間の誰からも一目置かれていた彼は、周りの誰にも優しく温厚な人柄だった。アメリカ国籍を持つ彼は、軍隊に入らなくても良かったのに、志願して特攻隊員になった。

ほとんど何も語らなかったからこそ、作者は彼の心が探りたくなり、生き残った戦友や親族、知己の話を丹念に拾い、一冊の本にした。

 私は保守を任じているが、神州不滅とか万邦無比などという言葉は余り好きでないし、横柄で尊大な軍人というのにも、好感がもてない。松藤少尉は、淡々として生き、淡々として死んだ。特攻隊員として、実際はそうでなかったのだろうが、周りに与える印象は端然とした武士の姿だった。

 「多くの出陣学徒たちを取材させてもらう過程で、私が思ったのは、彼らは今の若者と何も変わらない、ということでした。酒を酌み交わし、議論好きで、しかも底抜けに明るい若者たちでした。」
「しかし彼らは自分の家族と、自分たちがいる国を強く愛していました。そのためには、いざとなったら男として潔く振る舞うことを肝に銘じた若者が多かったように思います。」

 本の終わりに、作者が綴っている言葉に私は心を動かされた。そして松藤少尉の戦友だった大之木氏の言葉に、感動した。
「私たちは、たまたま1945年のあの時に軍人であり、若者でした。私は、戦友たちの死を無意味だったとか、可哀相だったとか、そういうことは言って欲しくないんです。ただ、ご苦労さん、よくやったとだけ、言ってやって欲しいです。」

 祖国を捨てた反日の人間たちには分からなくていいとしても、国を大切に思う人びとには、作者と大之木氏の言葉が静かに伝わると信じたい。
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本多勝一 「中国の旅」

2014-07-20 16:07:52 | 徒然の記

 本多勝一著「中国の旅」(昭和56年刊 朝日新聞社発行)に、目を通した。

 図書館の廃棄図書の中に混じっていた。何時もなら、「読み終えた。」と書くが、この本は「目を通した。」としか書きようが無い。真偽のほどは知らないが、著者は別名崔泰英という在日朝鮮人という話もある。

昭和7年に長野県で生まれ、千葉大から京大(中退)へ行き、朝日新聞へ入社したと略歴に書いてある。今年82才で存命中と聞く。

 本人の説明によれば、昭和46年の6月から7月にかけての約40日間の取材旅行をもとに書いたのだということ。立ち寄った先ごとに聞き込みの記録が綴られ、後年話題となる「ねつ造の南京」は、この中の一編である。

 彼のスケジュールによると、南京滞在はたったの一泊二日、ヒヤリングも四人の現地人だけで、検証もされていない。彼の書に記録されている四人の概略を抜き出してみると、次のごとし。

   1. 姜根福 43才 (事件当時 11才)  南京港務局内海船員 

   2. 陳徳貴 53才 (事件当時 21才)  南京運輸公司勤務

   3. 梅福康 50才 (事件当時 18才)  南京人民公社梅山大隊所属

   4. 蔡周氏 60才 (事件当時 28才)  南京人民公社大隊の女性社員

 彼はこの取材旅行を中国政府の全面的支援のもとに行い、インタビューした相手は、すべて中国側が手配した人物だと、本の中で述べている。旅の途中、人民大会堂で彼は郭沫若にもインタビューしている。

 「中ソ論争の後に、一切の援助を切られた中国が、文化大革命の中ですべてを自力で建設していく過程は、実に興味深いが、その紹介は別の機会にゆずる。」
誇らしそうに書いているが、当時も今も、彼は中国共産主義の賛美者、というか信者なのだ。

「しあわせです。毛主席は私たちに第二の人生を開いてくれた。今の私たちがあるのも、全く毛主席と党のおかげです。この恩恵は、あの悲惨な旧社会に生きて来た私たちにとって、どんなに強調しても足りないくらいです。毛主席の恩は、天と地よりも大きく、党の恵みは川や海よりも深い。」

 インタビューの中で彼は、証言者たちに語らせているが、現在の北朝鮮の国民も同じ調子で、金将軍への賛辞を並べ立てているではないか。公安が目を光らせている監視社会で、外国人に国民が何を語るか。まして敵国の日本人に何を語らされているのか。

 本多記者はこんなことにも気づかないのかと、低レベルの偏向記者に幻滅を覚える。
「毛主席の教えに従って、私たちは現在も日本の人民と反動政府を見分けています。」人民公社の人間に言われ、得意になり、共に闘おうと日本の過去を暴き立てた彼と、朝日新聞の罪はなんと深いことだろう。

 虐殺された中国人のものとして掲載されている写真も、無関係なものだったり、誤用だったりしている。酷い写真になると、虐殺されているのは通州事件当時の日本人だったりしているのだから、瞬時に血圧が上るような怒りとなる。

 突き刺した、殴り殺した、引き裂いた、強姦した、なぶりものにしたと、最初から最後までこの調子だ。白髪三千丈の国で、しかも反日の国で、口から出任せを聞かされているのも構わず、無責任に、無謀に、無慈悲に、よくも自国のことを足蹴にできるものだと、その神経が疑われる。

 誕生の地は長野県かもしれないが、やはり彼は噂のとおり日本人であるはずが無いと思いたくなった。しかし、今の日本では反日の日本人があちこちで祖国を憎んでいるから、断定する自信は無い。

 だが本多さんよと、私は問うてみたい。あんたが辿ったインタビューの道は、戦争の最中の道で、平和な時代の話ではないんだよ。殺したり殺されたり、互いに命がけの戦いをしているわけで、日本人の側から見れば逆の話にもなるだろうにと、教えてやりたくなる。

 慰安婦をねつ造した朝日の植村記者も同じだが、日本の歴史や文化、そして日本人すべてを貶めるねつ造をよくもやってくれたなと言わずにおれない。当時この記事が衝撃をもって読まれ、たちまちベストセラーになったというのは、「朝日新聞」という看板がさせたことだ。忘れもしない、その頃は私だって朝日新聞の読者の一人だった。

 良心的で、弱者の味方で、未来を語る新聞だと・・・・・、信じられない話だが、私自身もそう思っていた。
何度でも言おう。本多記者の「南京ねつ造」、植村記者の「売春婦ねつ造」、これらが国内の反日政治屋、マスコミを通じて世界に喧伝され、わが国を貶めている。中国、韓国・朝鮮の、日本攻撃の武器となり、世界でなにも知らない人びとに信じられている。

 獅子身中の虫、駆除すべき害虫どもと、ここまでウソ八百を並べられたら、私だって乱暴な言葉で罵りたくなる。

 いつもなら、読後の本は有価物の回収日に出し、資源が無駄とならないよう心がけるが、この本に限っては、生ゴミと一緒にゴミステーションに打ち捨て、清掃工場で灰にしてしまう。たとえそうしても、私の怒りは治まらない。

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大宰相の虚像(温故知新)-その2

2014-07-15 10:11:03 | 徒然の記
 「これまで日本はアメリカの手を借りて泳いでいましたが、今日からは一人で泳ぎます。世界という水の中で、自分の力で泳ぐ。これが独立ということなのです。」

 昭和26年、私が小学校二年生の時。その日の天気がそうだったのか、記憶が薄れてそうなるのか定かでないが、薄暗い教室で日本の独立について先生から説明を受けた。サンフランシスコ講和条約締結につき目出たいと言われたのか、良かったという安堵だったのか詳細は忘れているけれど、水泳の話だけが心に残っている。

 敗戦後の日本を意のままにしたアメリカは、独立させても支配権が手放したくなかったのだろう。いろいろな理由を付けて自国の軍隊を残し、「日米安保条約」も締結させた。大森氏の説明では日本側からの要請となっているが、日本を自由にさせたくなかった米国が、阿吽の呼吸で言わせたのでないかと思えてならない。
 

 田中角栄が失脚したロッキード事件も大変な収賄事件だったが、吉田内閣時代の収賄事件は件数といい金額と言い、遥かに大掛かりなものだった。「造船疑獄」「保全経済会事件」「陸運疑獄」「日殖事件」など、悪辣な収賄事件でありながら関係者たちが刑を免れ、犬養法相の悪名高い「指揮権発動」もあった。すべて吉田総理の意向が裏にあったと大森氏は述べ、金権腐敗の政治家として厳しく見ている。
 
 事実は氏の主張どおりだったのだろうが、私は別の見方をしている。敗戦後の日本は国土や経済体制が荒廃していただけでなく、政治状況だって剣呑そのものだった。暴力も是とする共産党が激しい闘争で社会を混乱させ、マッカーサーの司令部がこれもまた謀略で対抗し、殺人のからむ松川事件、下山事件などが人心まで荒ませていた。米国が本気で共産主義者による政権奪取を心配せねばならないほど、マルクスの思想が浸透していた。

 こんな時代の政治家で多少とも気骨のある人間なら、反対者を押し切ってでも施策を実施するはずだし、吉田総理もそれをやった。議会が反対するのなら、コノヤロウと喧嘩を売り、何度でも解散をする。解散すれば、選挙に金がかかる。目的のためには手段を選ばずと、彼は言っていないが、数々の疑獄事件の金の大半が選挙対策に消えたのではなかろうか。大森氏は吉田総理を対米従属の政治家として評価を低くするが、敗戦後の日本にそれ以外の選択ができたのだろうか。
 

 吉田自民党は米国及びヨーロッパの諸国と組みし、野党は中国、インドと手を組もうと政界はまっ二つに割れていた。中国の毛沢東・周恩来、インドのネール首相の評判が、多くの若者を惹きつけてもいた。今でなら共産主義国家の独裁と弾圧と、国民無視の格差社会が衆目に曝されているが、当時は希望の星のように人の目をくらませていた紅い思想。
それだけでも、私は自由主義陣営に腰を据えた吉田氏の選択を是とし、敬服もする。

 憲法と吉田氏の矛盾に言及するのなら、その前にマッカーサーの施策の矛盾が追求されるべきでないかと、私は大森氏に言いたい。ウイロビー、ホイットニーという相反する将軍を使って日本を破壊し、再建を試みた矛盾をどうして看過するのだろう。GHQ内の共産主義者たちと悪名を馳せ、後には追放される彼らが、共産党の幹部を生き返らせ、政治の混乱を深めた事実を忘れてはならない。GHQは解放軍だなどと、共産党の幹部に感謝されるようなことをしたではないか。

 軍人の追放、軍国主義者の追放、財閥の解体と、有無を言わせず実行し、朝鮮戦争が始まると、今度はレッドパージ、軍人・軍国主義者追放の解除、財閥解体の解除をする。こんなマッカーサーの失政を当時誰も口に出来ず、黙って受け入れるしか無かった無念さを、少しでもいいから大森氏には語ってもらいたかった。

 だがもう、それは言うまい。氏は既に鬼籍にあり、私の言葉は届かない。昨今の左翼新聞の記者と異なり、激抗したり我田引水の論を並べたり、そんなことはせず、冷静に語る氏に好感を抱いた。過去の歴史を語る人は、こうあって欲しいではないか。習近平の中国も朴クネの韓国も、日本の左翼も、そして保守の人々も、大森氏みたいに語れないものか。さすれば、世界にはもっと冷静な議論が生まれ、不毛な屁理屈の応酬が減るだろうに・・・・・・と。

これが大森氏へ捧げる言葉だ。
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大宰相の虚像(温故知新)-その1

2014-07-13 19:12:04 | 徒然の記
 大森実著、戦後秘史「大宰相の虚像」(昭和56年刊 講談社文庫)を読み終えた。飼い猫の死など色々なことが重なり、文庫本なのにひと月以上かかった。

警察予備隊が作られたのが昭和25年だという。当時これに入隊した私の小学校の先生は、池田という名前だった。正門前の築山のあたりで同僚の教師に囲まれ、真剣な表情で話し込んでいた姿が今も心に残っている。計算してみると、小学校一年生の頃の話になる。

昭和28年の「バカヤロウ解散」や、29年の「乱闘国会」も記憶の隅にあるが、どうしてそんなことを覚えているのか不思議でならない。新聞しか無かった時代だし、小学生くらいで政治に関心がある訳もない。周りの大人たちの話を耳にして、それが残っているのだろうか。

 「米国は日本をデモクラシーの国にするため大改革を行いましたが、1952年以後は日本が独り立ちできるようになったので、独立させました。最近は日本に対し、米国は、ソ連や中国の侵略を防ぐため再軍備させました。いまのところ兵隊の数は少なくても、日本にはいつでも兵隊になれる人間が沢山います。」

昭和29年米国特派員になった彼が、全米の小中学校で教材に使われていたという、「ちびっ子雑誌」の記事に驚き引用しているが、私もびっくりした。
「米国は日本を独立させましたが、日本は米国から離れては生きていけません。日本は自由諸国から食料や原料を買いたがっていますが、おカネを持っていません。米国はこれまで日本に数十億ドルのお金を与えてきましたが、人口は年々増え、1970年代には一億になります。一つの解決策は、米国から離れて、アジアに方向変えをする道があります。中国は日本から工業品を買いたがり、その代わり日本は食料を貰えます。そこで日本は、中国のいいなりになりはしないでしょうか。これは中国が日本を支配する早道です。」


当時の米国の教科書の記述であるが、初めて読む日本人はどんな気持ちになるのか。事実なのだろうが、私は不快感を覚え、苦々しくさえなってきた。韓国・北朝鮮に対し、日本の統治を語る時の傲慢さに似ているのでないかと、一瞬そう感じた。優れた面が多々あった統治だとしても、わざわざ言われると好い気はしないという、自己反省だ。

 いまでこそ大森氏も当時の事実を率直に書いているが、特派員時代は「ちびっ子雑誌」のことなど記事にしなかったはずだ。「日本は再軍備しない。」「警察予備隊は軍隊ではない。」と、政府が懸命に国民を騙していた時代だったからアメリカでの常識を伝えず、氏も「報道をしない自由」を選んでいたに違いない。
こんなにも昔からアメリカは中国による日本の支配を警戒していたのだと、初めて知ったが、本の中身は驚くことばかりだった。

「日本の再軍備」と「憲法改正」が、常に米国から促され、日本の歴代政権は「米国が与えた憲法」だと言い訳をし、常にこの問題を曖昧にしてきたということ。大森氏自身もこの事実を記事にしていないのだから、情報操作のマスコミの一員だったのは間違いなしだ。アメリカが最も心配していたのは、ソ連や中国による侵略でなく、国内の共産主義者による政権奪取だったと知らされ、愕然とした。
現在の左右の対立、左翼と保守の抜きがたい不信と嫌悪がこの頃から始まっていたのだ。まさに「温故知新」、現在に投影する過去の影が見えてくるでないか。

 それだけではない。私たちは現在、朝日を反日・売国の新聞と罵っているが、当時の政府要人たちは朝日新聞を「われわれの新聞」と呼び、特別扱いをしていたのだという。持ちつ持たれつの深い絆を結んでいたのだから、私などが不買にしたって、朝日は痛くも痒くもない歴史の事実を有している。根は深く、大きく、太いということだ。安倍総理が「日本を取戻す」と言っているが、過去の歴代総理と強いパイプのあった朝日が簡単に妥協するとは思えなくなった。

傲慢とも言える安倍氏叩きの土台には、自民党政治家との今に続くもたれ合いが生きているのだろう。(われわれの目には、見えないが)


 こんなことを私は問題視しているが、大森氏の狙いは別のところにある。長くなりそうなので、今日はこれまでとしよう。時間は幾らでもあるが、年のせいか、

根気が続かない。たかだか七十代で、こんな有様では情けなくなるというものだが・・・・・。

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丹羽元大使の講演

2014-07-03 12:15:07 | 徒然の記
 平成24年12月、丹羽氏が日本記者クラブで行った講演の動画を偶然見た。

尖核問題がキッカケとなり、反日の暴動が起こったときの大使が、どんな思いで任に当たっていたのかに興味を抱いた。

穏やかな笑みを浮かべながら静かに語る姿は、聞く者の心を惹きつける魅力があった。どちらかといえば、感情を露に話す人物より気持ちを抑えて語る人の方に好感を持つので、私は氏の話に期待した。二年半の在任中に習近平、李克強など、中国の指導者たちと頻繁に会い、親しくさせてもらったと楽しそうに回想する彼を見ているうちに、かすかな失望が生まれた。話が進むにつれ、それは幻滅となっていった。

「国益とは、国民を幸せにすること」と彼は定義し、日中が仲良くすることが両国最大の利益であり、国民の幸せにつながると語る。中国の指導者たちは全員がそう思っており、争いを避けようとしていると続ける。彼の話を聞いていると、争いたくない中国を刺激し、怒らせているのは日本の政治家や国民の方だとそういうふうになってくる。

平穏な時の日中関係を語るのなら、彼の意見も一つの見方と取り上げもするだろうが、愛国無罪の暴動で日本を罵り、尖閣諸島への領海侵犯を繰り返している最中に、いったい丹羽氏は何者なのかと疑問が湧いて来た。日本は「同朋社会」であり「閉鎖社会」であると、彼は言い、これがかって米国での排日・反日へとつながり、今の中国でもそのように見られていると、次第にエスカレートする。ラテン系の人間に比べると、日本人は勤勉すぎる。貯金をしたり、外国で土地を買ったりして、不信感を抱かせ、しかも日本人だけで固まり、他民族との交流がない。


 もし中国でそう誤解されているのなら、彼が誤解を解く働きをすれば良いのに、一緒になって同意しているのだから話にならない。勤勉だったり貯金をしたり、それが悪いというのなら、浪費するラテン系の人々を誉めているのだろう。しかしどうだろう。中国人は世界のどこへ行っても中華街を作り、華僑社会を作り、外国の経済まで牛耳っているではないか。伊藤忠の会長までやった人物が何を言っているのだろうと耳を疑う。

「私はアメリカの大使に言ったんです。アメリカのデモクラシーが世界一ですか。中国の体制が駄目なんですか。」「夫々の国に夫々の体制があるのです。民族も違う、宗教も異なる13億人もの人間を統治するには、デモクラシーでは駄目なんですよ。」「中国は、政治的にも経済的にも、壮大な実験をしているのです。日本以上に問題を抱えながら、頑張っているんです。」


 こうなると、彼は中国政府の公報マンでしかなく、日本の国益を担う大使の姿はどこにもない。こんな人物が中国大使になったのかと不思議でならないが、民主党政権が任命した大使と知れば、納得する。間違いなく反日・売国の大使だった。別に日本人を賛美してくれとか、万邦無比の民族だとか、そんな話をしてくれとは言わない。外国が悪し様に言う時、そんなことはありませんよと、静かに説明をしてくれと注文しているだけのこと。


 それにしても、「日本記者クラブ」とは何なのだろう。これもまた日本の中にある反日の組織か、獅子身中の虫たちが集まる場所なのか。
そんなことも知らないのかと揶揄されるのかも知れないが、私はこんな組織のことなど知りたくもない。
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