本日も前回の続きです。順序に従い二つ目の詩に関する渡部氏の解説を紹介します。
2. 「 検非違使 (けびゐし)」
「神田明神の祭神は、大己貴神 ( おおなむちのかみ ) と少彦名神 ( すくなひこなのかみ ) とされるが、伝承的には平将門ということになっている。」
大手町には今でも「将門塚 ( まさかどづか ) 」があり、これを除けてビルを建てようとすると祟りがあると言われています。
「こういう形で今もなお東京都民に親しまれている ( ? ) 将門は、上総介 ( かずさのすけ ) 平高望 ( たいらのたかもち ) の孫で、父良将 ( よしまさ ) は鎮守府将軍であった。」
将門に関する話が最後まで続き、最初の説明とバランスがとれなくなった気がします。
「承平天慶の乱は、平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱と瀬戸内海での藤原純友の乱の総称である。」
この説明に従うと、一つ目の詩が朱雀天皇の話でしたから、二つ目は将門と純友に関するもので、将門と純友が同じ大きさで扱われると思いました。それなのに、純友はわずかな記述でした。私が勝手に省略しているのでないと分かったところで、氏の解説を項目で紹介します。
・関東の名門の三男坊として生まれた将門は、抜きん出た勇敢さと、馬術と弓術の巧みなことで有名だった
・将門は若い頃京都に出て、摂政・藤原忠平に仕えていた
・彼に推薦してもらい検非違使になりたいと思っていたが、忠平は将門の願いを無視した
・検非違使というのは、九世紀の初頭、嵯峨天皇の頃から始まった京都の治安維持の職務である
・令にない新しい官職なので、「令外 ( りょうげ ) の官」と呼ばれた
・形式的のものでなく、必要から生まれた職務なので実際の権力も大きかったようである
・盗賊を実力で捉えるのだから、腕っ節の強い者でなければならなかった
・将門は自分こそ適任と思ったらしいが、それも無理はない
検非違使という言葉を知っていますが、意味は知りませんでしたので一つ賢くなった気がします。こんな時には、やはり「学徒」の喜びがあります。
・もっとも検非違使と言っても、長官に当たる別当は中納言・参議という高官である。
・田舎武士の将門が望んだのは、検非違使の佐 ( すけ・次官 ) だったと思われる。
別当が長官を意味することも知りませんし、宮廷の高官から見れば将門がたんなる田舎武士に過ぎなかったという事実も初めて知りました。実力があっても、藤原一族の有力者が宮廷の高位・高官を独占していると、不平や不満のもととなる様子も伝わってきます。これらの解説は、学徒には有難い知識です。
・令外の官である検非違使は、同じく令外の官である蔵人所 ( くろうど どころ) と共に、今までの官制や法の拘束を受けないで、天皇の直接の指示で動ける高機能集団だった
・自分の希望を挫かれた将門は、不平満々であった
・権力を恣にしている藤原忠平と、その周辺の藤原一族を恨んだ
どのような経緯でそうなったのか、将門と純友の話が突然始まります。渡部氏自身も唐突さに説明がつかないらしく、言い訳をしています。
「確実な証拠のある話であるわけはなく、〈 講釈師、見てきたような嘘を言い 〉という川柳のようなものである。」
「ある時、将門が純友と共に比叡山に登った際、京都を見下ろしながらこう言ったという。」
「自分は桓武天皇五世の孫であるから、将来は天子になるつもりだ。君は藤原氏だから、将来は関白になれ。自分は関東に帰って兵を起こすから、君は瀬戸内海で海賊となって勢力を作れ。そして力を合わせて、新しい王朝を作ろう。」
このことを、頼山陽が書き出しの二行で言っていると説明します。
検非違使は獲る可からず
吾は天皇とならむ汝は関白たれ
こうして将門は東国へ下り、下総の国にいたが、そのうち一族の不和による争いが生じました。当時としてはよく有りがちなことでしたが、地方の乱れを許さない朝廷は将門を断罪しようとしました。召し出された彼は上京して弁明し、許されましたが、その後も私闘騒ぎが収まりませんでした。
朝廷の役人を捕まえて官の印鑰 ( いんやく・印鑑 ) を奪うような悪人も、彼の家来になっていました。どうやら彼には、親分肌のところがあったようです。
「幸田露伴に『平将門』というエッセイがあるが、その中で利根の川筋には侠客の多いことが書かれている。将門も、そういうタイプの人間の走りだったのかもしれない。」
役人の印鑑を奪うということはただごとで有りませんから、朝廷から強い叱責がありました。
「将門は、常陸 ( ひたち ) 、下総 ( しもふさ ) 、下野 ( しもつけ ) 、武蔵 ( むさし )、上総 ( かずさ ) に圧力をかけ、朝廷に反乱する意のないことを示す文書を取り弁明したため、朝廷はまたこれを信じて許した。」
氏はこの状況を指し、「大弦が緩んだ」ということでないかと言います。大弦が緩み大乱に繋がっていく様子が詳しく書かれていますが、スペースの都合で次回といたします。