ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

初心を捨てた安部総理 - 3 ( 北海道で、李克強氏を歓待する総理 )

2020-05-30 06:25:54 | 徒然の記

 2年前の平成30年5月、中国の李克強首相が訪日しました。ネットの情報から、5月15日の週刊現代の記事を見つけました。同社編集委員の近藤大介氏によるものですが、李首相のスケジュールを知るにはちょうど良い内容です。一部割愛しつつ、転記します。

 「先週5月8日から11日まで、李克強首相(62歳)が来日。」「日中韓サミットに参加し、合わせて、公賓として東京と北海道を訪問した。」「李克強首相の滞日スケジュールは、以下の通りだった。」

「 1. 5月8日の夜7時過ぎに、中国首相専用機で羽田空港に到着。」

「 2. 5月9日、午前10時から、迎賓館で日中韓サミットに参加。昼は経団連会館で、日中韓ビジネスサミットに参加。」

  「4時15分から6時5分まで、安倍首相と日中首脳会談。夜は、7時5分から8時半すぎまで、首相主催の歓迎晩餐会。」

「 3. 5月10日、朝から衆議院で大島理森衆議院議長と会見、続いて参議院で伊達忠一参議院議長と会見。その後、皇居に移って天皇にご引見。」

  「ホテル・ニューオータニに移動し、日中平和友好条約締結40周年記念パーティー出席。午後は、与野党の幹部たちとの個別の会見。」

  「夕刻には、首相専用機で北海道へ移動。札幌パークホテルで、高橋はるみ北海道知事と会談。夜は、高橋知事主催の歓迎晩餐会。」

「 4. 5月11日、午前9時半から、日中・知事省長フォーラムに参加。その後、苫小牧のトヨタの工場を視察。」

  「最後は、恵庭市のテーマパーク「えこりん村」で、安倍首相主催のランチ。その後、札幌から帰国。」

 偏見の強い私は、恨日の韓国と、共産党の中国が嫌いです。文在寅氏と同様、習近平氏も李克強氏も、顔も見たくないというほど嫌悪しています。ですから、李氏の日本訪問について、関心がなく、新聞もテレビも見ていませんでした。偶然北海道の土地の話を動画で知り、危機感を覚えたため、李氏訪日をブログにしようと思い立ちました。

 改めて李氏の日本訪問につき、調べてみますと、北海道の土地問題は、このままでは解決不可能と思えてきました。アメリカと中国という、両大国に挟まれ、翻弄されている日本がありました。

 先日ブログで取り上げた、青山繁晴氏の言葉を思い出します。

 「第一次安倍内閣が倒されたのは、日本に潜り込んだ北朝鮮の工作員のためです。」「もっとはっきり言えば、自民党内にいる、「親北朝鮮、親中国、親韓国の議員たちが、第一次安倍内閣を倒したのです。」「これらは、自民党内にいる安倍総理の敵です。」

 「多くの人は、北朝鮮の工作員は、野党にいると思っているのでしょうが、」「ハッキリ言って、北は、野党なんか相手にしていませんよ。」「攻勢をかけているのは、自民党の議員だけです。」「しかも、それは日朝議員連盟にいる議員たちです。」

 北朝鮮の背後にいて、北朝鮮を利用しているのは、アメリカと中国です。つまり自民党の議員たちは、本人が意識しているか否かを別にし、いわばアメリカと中国に利用されているのです。「安倍一強」と言われながら、現実の総理は党内基盤が弱く、妥協の中で政策を進めています。それを知りながら、私は総理批判のブログを書いています。

 その上で、もう少し、李首相の訪日に関する報道を続けます。コメントなしで、産経ニュースを2件紹介します。

 1. 《 産経ニュース 平成30年5月10日 》

  「中国の李克強首相が、就任後初の日本訪問で、北海道を視察先に選んだ目的については、日本の代表的な農産地を訪れることで、貿易摩擦が激化する米国を牽制する狙いがある、と指摘される。」

   「  巨額の貿易赤字削減を求め、制裁措置を連発する米国に対し、中国は牛肉や大豆などの米農産物に、高関税を課して対抗。こうした措置には、食糧安全保障上のリスクも存在するが、指導者が“代替地”を訪れることで、「輸入先を失う危険性については、懸念していないとの政治的シグナルを、発することができる」(中国筋)というわけだ。」 

 2. 《 産経ニュース 平成30年5月11日 》

  「安倍晋三首相は11日、訪問先の北海道で、来日中の中国の李克強首相の、自動車工場視察に同行し、昼には食事会を開いて李首相をもてなした。安倍首相は、同日午後、特別機で帰国する李首相を、新千歳空港(千歳市)で見送った。」

    「両首脳は11日午前、苫小牧市内のトヨタ自動車北海道の工場を訪問し、トヨタ自動車の豊田章男社長から、次世代電気自動車(EV)や、燃料電池自動車について説明を受けた。李首相は、EVの走行距離やコストなどに関して、熱心に質問し、自動運転技術に関する同社と、中国側の共同研究の成果に期待を示した。」

 期待する勇気と決断力は、見せてもらえませんでしたが、総理は総理なりに頑張ったのだと、敬意を表します。昭恵夫人を守ろうとするあまり、総理は官僚にも、閣内の大臣にも、議員にも、大きな借りを作ってしまいました。人心が離れているのが、第三者には見えます。後はもう無理をせず、後任を育て、国益のため政界で頑張られることを期待します。

 国民のため、何の役にも立たない野党と、扇情的報道をするだけのマスコミに、総理を批判する資格はありません。これだけはキチンと述べ、このブログを終わりといたします。

 安倍総理の後がどうなろうと、「皇室の護持」と「憲法改正」のための、私たち国民の戦いは終わりません。

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初心を捨てた安部総理 - 2 ( 亡国の、観光立国政策 )

2020-05-29 17:34:53 | 徒然の記

 2、3年前、中国人による北海道の土地購入について、ブログに書いたことを思い出し、探してみました。平成29年11月16日のネットの情報で、産経新聞の宮本雅史氏によるレポートでした。

 私が氏のレポートを知ったのは、平成30年の12月でしたが、驚いて、ブログにしていました。今回のように、現地の様子を動画で見ていないため、まだ切迫感がなく、問題提起に止まっています。昨日は帯広市でしたが、本日は札幌市の話です。3年前の報告ですから、現在は、さらに進んでいるのだと思います。宮本氏のレポートを、再度紹介いたします。

 「今北海道で、中国系資本による日本領土の爆買いが進む。」「ゴルフ場や広大な農地、自衛隊基地近くの森林などが、次々と買収されている。」「複数の専門家の意見をまとめると、」「これまで北海道で、中国資本に買収された森林や農地などは、推定7万へクタールに達し、」「山手線の内側の、11倍以上の広さになる。」

 7万へクタールと言われても、ピンときませんが、山手線の内側の、11倍以上の広さだと言われると、その途方もない広大さが分かります。

 「札幌市内から車でおよそ1時間、名山・羊蹄山の麓にある喜茂別町だ。」「奥深い山中を進み、」「これより先、私有地につき関係者以外立ち入り禁止、という看板を越えた先に、」「美しい緑のフェアウェイが広がる。」

 「約210ヘクタール(東京ドーム45個分)の広大な敷地には、」「豪華なクラブハウスが、併設されている。」「ゴルファーには楽園のような環境だが、コースで交わされるのは中国語ばかりだ。」

 「ここは、“中国人による中国人のための、プライベートゴルフ場”だ。」「運営会社が破綻して、塩漬け状態のゴルフ場を、」「2011年に、中国の投資会社が買収したもので、」「ある中国人オーナーのプライベートゴルフ場と、聞く。」

 と、これが3年前の、宮本氏のレポートです。昨日の動画で見た (有) 十勝幌尻農場は、170ヘクタールだと言いますから、東京ドーム36個分の広さになります。親中派の二階、岸田、福田各氏が、中国に便宜を図っていると、噂で聞いてはいましたが、ここまで酷いとは思っていませんでした。

 3年前の私は、安部総理の関与には思いが及ばず、外国人の土地所有について、中国と日本の制度的比較をするにとどめていました。その部分を転記いたします。

 「中国では、土地は全て国の所有で、」「進出した日本企業は、土地の使用権を限られた期間内だけ、取得できるに過ぎません。」「外国企業が、中国で土地の使用権を取得するには、2つの方法があります。」

 「 1.  企業が工場建設のための、土地使用権取得  ・・最長使用年限は50年 」

 「   2. 企業が商業施設建設のための、土地使用権取得  ・・最長使用年限は40年」

   「期限が来れば、 延長手続きを再度し直し、常に政府の管理下に置かれていますが、」「どうやら日本では、中国人による土地買収が、放任されています。」

 ずいぶん前なので、詳しいことを忘れていますが、民主党の田嶋要氏が、国会で、質問したことがありました。答弁したのは自民党の議員で、法務副大臣でした。田嶋氏が国防上問題でないのかと、問うたのに対し、現在の法制下ではどうにもならないと、答弁していました。

 GATの規定だとか、国際的に難しいなどと説明していましたが、要するに国防意識ゼロ、危機感なしの答弁でした。中国が外国企業に、期限付きの使用権しか与えていないのなら、日本も同じことをして、どこがおかしいのでしょう。

 自民党議員は、法の前の平等とかGATとか、寝言を言う前に、「相互主義」という国際常識を忘れていたのでしょうか。国際法や、GATの話でなく、日中の問題です。国内法が不備ならば、田島氏の指摘するように、安全保障上の観点から、議員立法で法整備すれば良いのです。

 法務副大臣の名前を忘れましたが、官僚の書いたメモを見ながらの答弁ですから、かっての民主党議員と同じです。無能な大臣が、官僚の作文を読んでいるだけで、自分の頭の中は空っぽです。法務省がこの有様で、中国に何も言わないのなら、帯広市や札幌市に苦情を言うのは、所詮無駄なことです。観光立国政策のため、帯広市も札幌市も、外国人誘致と外国人の移住に力を入れ、その外国人は、中国人がメインなのです。まさに、亡国の「観光立国政策」ではないでしょうか。

 「北海道の人も、そろそろ目を覚ました方がいいんじゃないですか。」

 昨日の動画で、本間奈々氏が警告を発していましたが、ここまできますと、北海道民の話でなく、日本国民の話になります。「北海道の人も」でなく、「日本国民も」というべきです。自民党の政治家が頼りにならないのなら、国民が目を覚ますしかありません。

 現在の中国は、日本には「敵対国であり、しかもそれは、日本が仕掛けたのでなく、中国が挑発し難癖をつけてきたものです。尖閣諸島への領海侵犯や、沖縄独立論など、国民を憤慨させることばかりしているというのに、野党はもちろん、自民党の議員ですら、卑屈な追蹤しかしていません。その表れの一つが、北海道における中国人の土地取得でしょう。

 総理は党内で孤立しているとはいえ、親中派の議員たちと、ここまで妥協して良いのでしょうか。「日本を取り戻す」という公約は、どこへ行ってしまったのか。どこが、「日本を取り戻す」公約とつながっているのか、検察官の定年延長法案より、北海道の土地問題を、国民に分かるよう、丁寧に説明する方が先ではありませんか。

 是々非々とはいえ、長く支援してきた安倍総理を、厳しく批判するブログですから、楽しいはずがありません。総理を批判するのは、自分自身を批判することと同じですから、言葉の一つ一つが、胸に刺さります。それでも息子たちに伝えるため、続けなくてはなるまい、と言い聞かせています。

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初心を捨てた安部総理 ( 北海道の土地問題 )

2020-05-28 14:02:19 | 徒然の記

 5月26日、ベッラさんのブロクで、久しぶりにチャンネル桜の動画を見ました。小野寺まさる氏と本間奈々氏が伝える、帯広市における中国企業の、土地買収のレポートでした。

 広大な国有林を買収した中国企業が、森林を伐採し、ブルドーザーやショベルカーで山を崩し、農場と天然水の加工工場を建設していました。開かれた土地の中には、沢山の住宅が並んでおり、建設中の郊外建売住宅地という外観です。今はまだ無人ですが、一軒には二、三十人が暮らせするスペースがあると言います。ここに人が住めば、一大住宅地となり、一つの街が形成されます。

 切り開かれ、平地となった山は畑に変わり、ここでは漢方薬の材料となる薬草が、大々的に栽培される計画だそうです。水源地を切り開いた土地ですから、彼らはここに、「水屋」と称する「天然水製造工場」を建てています。漢方薬も天然水も、全て中国への輸出品となります。水源地の水を独占的に利用していますが、下流域には、この川の水を利用する日本人が住んでいます。本格稼働していないため、問題は生じていませんが、中国人の工場と、下流の日本人の争う日が、やがてくるはずです。

 幅1メートルほどだった林道が、幅10メートルの道路に変わり、開発地内を貫いています。両氏の解説によりますと、いつでも飛行場になる道路幅だと言います。点在する工場へ通じる道は、頑丈な鉄筋コンクリートで固められ、戦車でも通れる強度だそうです。つまりいつでも、軍事基地に転用可能な、土地開発がなされているのです。

 「どうして、こんなことが許されるんでしょう。」「いくら私有地だからといって、こんな環境破壊を平気でするなんて、中国人の常識を疑います。」

 本間氏が怒りの声を上げていましたが、全くその通りでした。この動画を見れば、本間氏や私だけでなく、多くの国民は、帯広の惨状に声を無くしてしまうことでしょう。本当に、日本でこんなことが起こっているのかと、愕然とする光景です。

 広大な土地を、最初は日本人の会社が買い取り、中国の会社へ転売し、その積み重ねが現在の状況になっていると聞きました。日本人の会社名は「森トラスト」、中国の会社名は「アリババ」だそうです。森トラストは、東京の一等地でビルの開発・賃貸業をする「森ビル」の関連会社です。私の記憶が正しければ、あの売国学者政治家、竹中平蔵氏の関係する会社です。経済特区の開発検討委員として、氏は総理がいまだに、政府役員として重用しています。

 開発を許可し、黙認している帯広市の、市長以下市議会は何をしているのかと、怒鳴りつけたくなります。帯広市民もそうです。反日・左翼に騙される「お花畑の住民」より、もっと能天気な市民かもしれません。国難とも言える開発が進み、いつなんどき中国軍が占領した土地で暴れ出し、モンゴルやチベットのようにするかもしれないのに、何の声もあげません。

 中国は何年もかけ、中国人の移住者を増やし、家族を住まわせ、じわじわと他国を侵略するのです。住民が気がついた時はもう遅く、残虐非道な彼らは強大な武力でねじ伏せてきます。平和な田園風景と、閑静な住宅地、小綺麗な工場は、束の間の平和でしかありません。私は多くの人、特に息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々には、この動画を見てほしいと、切望いたします。

 さてここで、一番肝心な本題に戻ります。

 「こんな途方もない開発は、帯広市の一存でできるはずがない。」「開発する中国人が非常識で、ひどいのでなく、」「これを許している日本人が、ひどいのです。」

 賢明な方には、私の予測が見えてきたと思いますが、この日本崩壊の大元にいるのは、日本政府です。もっと率直に言えば、「安部総理」その人です。いつの新聞だった忘れましたが、来日した李克強首相が北海道を視察した時、一緒になり案内したのが総理でした。帯広だったのかどうか、調べればすぐ分かりますが、今は場所などどうでも良く、私が言いたいのは、北海道の中国進出に深く関わっているのが、わが国の総理「安倍氏」であるという事実です。

 「戦後レジュームからの脱却をする。」「美しい瑞穂の国を取り戻す。」そう言って安部氏は、颯爽と登場しました。三年余に及ぶ、反日・左翼の民主党政権の、悪夢のような政治を止め、国民に夢と希望を与えました。

 「憲法改正」「女性宮家反対 ( 皇室護持 ) 」という、二つの公約は、多くの国民の支持を集めました。私もその国民の一人として、総理を心から応援してきました。

 しかし今では、考えもしなかったことですが、「総理への絶縁状」を書く自分となりました。帯広の惨状と、日本崩壊の予兆を見て、今日からしばらくの間、「安部総理の裏切り」につき、怒りのブログを綴る決意をいたしました。

「初心を忘れた安倍氏」、最初のタイトルはそうでしたが、「初心を捨てた総理」と書き換えました。「忘れた」などという穏やかな行為でなく、「捨てた」という確信犯的行為ですから、本当は「裏切った」という言葉でも良いくらいです。「安倍氏」という言葉も、個人を表しているだけなので、これでは意を尽くしていません。「ラーメン屋の安部さんが、初心を捨てた」という、個人の話ではありません。

 国民の信頼と委託を受け、選挙の一票をかき集めていながら、しかも9年という長きに渡り、庶民の希いを託された政治家なのですから、責任の重みが違います。最も率直な表現は、「国民を裏切った総理」なのでしょうが、武士の情けで、少しだけ控えめにしました。

 ガウディや、「武漢コロナ」の話どころでなく、本当の国難は「安部総理」だったかと、・・・無念のブログを、明日から綴ります。息子と孫たちへ遺す、歴史的な「父のブログ」となるのでしょうか。

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ガウディの奇跡 - 5 ( 書評の難しい本 )

2020-05-26 07:59:57 | 徒然の記

  4. 朝日新聞と本書の関係 (   雑学・朝日新聞の歴史  )

  5. ガウディの生涯

 書評の最後になりました。4. は、大そうなタイトルですが。中身はありません。274ページに、こんな記述がありました。「この著書を、亡き妻に捧げる」とか、「本書は、献身的協力をしてくれた出版社の、〇〇氏と〇〇氏に捧げる」とか、そんな献辞に似ています。

 「本書は、1993年朝日新聞社刊朝日文庫として、出版された、『ガウディの生涯 -  バルセロナに響く音』に、加筆修正したものである。」

 これで私は、著者の思想的立場を理解しました。朝日新聞は、戦前は「大東亜戦争を賛美し、国民を煽動し、」戦後は「GHQに言われるまま、日本が悪かった、日本だけが間違っていた」と報道する、変節の過去を持つ恥ずべき新聞社です。

 そこから出版されていた文庫本が、加筆修正されたものというのなら、著者も反日・左翼の仲間だということです。

 「抵抗空しくスペインは、フランコの独裁政治という、暗黒時代に突入する。」

 こういう文章で、フランコ将軍を悪人に仕立てるはずです。朝日新聞が得意とする、人道主義、平和主義的美辞麗句の匂いを、感知したのでしょうか。最初から氏の文章に馴染めず、違和感を覚えた訳です。わざわざ書くほどの内容でありませんが、私の朝日嫌いが、ここまで徹底していることを、息子たちに伝えたかったのです。

 「父の偏見は、見習う必要がありません。」

 過激な偏見や思い込みは、物事を解決するには、障害になることが多いので、息子たちに伝えたい言葉です。

 《 4. 朝日新聞と本書の関係 ( 雑学・ 朝日新聞の歴史  ) 》の項目は、これだけの内容です。まさに「雑学」です。しかし5. には、中身があります。

 《 5. ガウディの生涯 》

 「ガウディが、ワーグナーに魅せられた理由は、他にもあった。」「それはワーグナーが題材とするものが、」「常にゲルマン民族を称える、ドイツの民族伝説であることと、」「キリスト教や仏教、東洋哲学までも含むものであったことである。」「ガウディは、ワーグナーの、祖国ドイツに対する愛と、」「広い宗教観に、深く感動したのであった。」

 174ページの叙述です。ヒトラーもそうでしたが、ガウディも、ワーグナーの音楽に心酔していました。荘重な旋律に込められた、祖国愛の強さと気高さに魅せられたのです。

 ガウディは祖国愛に燃える建築家で、ワーグナーのように、愛と哲学と宗教観の満ちた建築を目指していました。彼はそれを、「総合芸術」と名付け、サグラダファミリア教会は、彼の建築物の集大成でした。こんな知識もないまま、私は教会の前に立ち、感動していたのです。

 北川氏のおかげで、ガウディが熱烈な愛国者だったことを知りました。彼の場合は、ゲルマン民族のドイツというより、ドイツの中のカタルーニアという土地への愛です。日本の中で、会津の人が会津を愛し、鹿児島人が鹿児島を愛してやまないのと、同じことです。

 たくさん教えられたので、感謝していますが、引っかかるものがあり、素直に感謝できないのが残念なところです。ガウディの祖国愛を、本の至る所で賞賛しているのに、氏は、日本を愛する日本人への理解がありません。朝日新聞的と言えば、そうなのでしょうが、矛盾の塊としか見えません。

 今一つ引っかかるのは、氏が外尾逸郎氏について、一言も触れていない点です。ここまでガゥディに魅かされ、サグラダファミリア聖堂の素晴らしさについて述べるのなら、聖堂の建設に参加している、唯一の日本人である外尾氏に、一言も触れない不自然さに、疑問を抱きます。建築家同士ですから、知らないはずはありません。

 「もしかしたら、ライバル心があったのだろうか。」

 だとすれば氏の心は、私の狭い心と大して変わらない気がいたします。安心して良いのか、悲しむべきことか、最後まで、書評の難しい著作でした。とは言え、「温故知新」の読書ですから、感謝して、終わりとします。

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ガウディの奇跡 - 4 ( 知るべきは、大国の身勝手 )

2020-05-25 17:55:22 | 徒然の記

 『ガウディの奇跡』書評の、続番外編です。

 「フランコは、第二次世界大戦を次のように見ていた。」「世界では、全く別の二つの戦争が戦われている。」「第一にヨーロッパでは、ソ連に対する戦争であり、第二に太平洋では日本に対する戦争であるとし、」「独米英を含む、全キリスト教世界は、」「野蛮で東洋的・共産主義的なロシアを、共通の敵として戦うべきであるとした。」「彼はこの考えに沿って、連合国とドイツの講和調停を行った。」

 共産主義国ソ連は、資本主義国共通の敵でありながら、米英仏の連合国軍に組み込まれ、利用したりされたり、しています。フランコ将軍にとって日本は、ソ連を敵として戦っている限り、仲間でした。現在のスペインで、将軍がどのように評されているのか、知りませんが、一連の情報を読み印象が変わりました。

 「フランコ氏は、言われているほど、悪人ではなかったので無いか。」

 国民弾圧政党である共産党の支配から、スペインを守ったので、案外感謝されているのかもしれません。将軍のイメージを、悪人として定着させた一つの要因に、『誰がために鐘はなる』という有名な小説があります。米国の誇るべき作家と言われる、ヘミングウェーの作品です。

 独裁者フランコと戦う、義勇軍兵士の物語で、世界のベストセラーになり、ハリウッドでも映画化されました。『ガウディの奇跡』の著者である北川氏も、フランコ将軍悪人説に立っています。

 「抵抗空しくスペインは、フランコの独裁政治という、暗黒時代に突入する。」

 という叙述が、証明しています。フランコは悪人なのか、そうで無いのか、内戦当時のスペインは、国論が二分していたのではないかと、そう思えてきました。今の日本に当てはめてみれば、国民を裏切る安倍政権か、国を憎む反日の野党かと、国民の迷う姿と似ています。国民弾圧の独裁政治をする、共産党政権に比べれば、安倍氏の方がマシかと、こんなふうに、スペイン国民も二つに分かれ戦ったと、そんな気がします。

 フランコ将軍は、スペインにとって、案外まともな人物でなかったかと、思えてきました。彼を悪人に仕立てたヘミングウェイについて、興味深い意見を見つけました。岩手県立大学看護学部専任講師である、高野泰志氏の論文です。

 『アーネスト・ヘミングウェイ 伝記の空白』( FBI 調査報告と地下室のキャビネット)という、長い表題の論文です。

 「近年、情報公開法に従って公開された、FBI の調査報告書には、」「膨大な数の、ヘミングウェイに関する情報が記されている。」「これらのファイルから,我々は、FBI がいかに長期にわたって、」「ヘミングウェイを監視し,付け狙っていたかを、窺い知ることができる。」

 「表向きは、民主主義国家アメリカを代表する、」「文化的作家として捉えられてきた、ヘミングウェイではあるが、」「スペイン市民戦争に参加し,カストロの革命後も、キューバにとどまり続けた彼は、」「東西冷戦構造の中で、共産主義シンパサイザーとして、」「 FBI に、マークされてもいたのである。」

 つまり彼は、共産主義勢力のスパイではなかったかと、あまりに著名な人物なので、結論をぼかしていますが、言外に臭わせています。そうであれば、ヘミングウェイが、フランコ将軍を悪人として描く理由が、うなづけます。その後国際社会が、フランコ将軍をどのように扱ったのか調べてみますと、予測も的外れでありません。

 「大戦後に成立した国際連合は、1946 ( 昭和21 ) 年12月の国連総会で、」「ファシズムの影響下にあるスペインを、国連から排除する決議を採択した。」

 「しかし、戦後の東西冷戦の激化により、」「イギリスやアメリカをはじめとする、西側諸国は、」「反共主義という政治的共通点と、地中海の入り口という、」「地政学的・戦略的に重要な位置にあって、イギリス領ジブラルタルの地位を、」「尊重しているという理由で、スペインとの関係修復を模索し始めた。」

 ヒトラーが亡くなり、気に入らない日本の政治家・軍人を処刑したので、後は彼らの国益が優先します。フランコ将軍は、欧米諸国に認知され、悪人のレッテルを剥がされました。

 何度でも、くどいほど言いますが、息子たちは、国際社会での大国の横暴について、肝に命じなさい。「日本だけが悪かった」「日本だけが間違った戦争をした」と、こんな話を本気にしてはいけません。本気の振りをし、日本をダメにしている反日・左翼にも、騙されてはいけません。国を愛することを知らない彼らこそが、「悪人」なのです。

 ここまで来れば、先が見えてきました。残る2項目を、次回で報告します。

  4. 朝日新聞と本書の関係 (   朝日新聞の歴史・雑学  )

  5. ガウディの生涯

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ガウディの奇跡 - 3 ( フランコ将軍と日本 )

2020-05-25 12:57:42 | 徒然の記

  2. 戦前戦後における、日本とスぺインの関係 (  日本の歴史   )

  3. 独裁者と言われた、フランコ将軍のこと (  スペインの歴史   )

 ガウディの伝記から、どうしてこんな話になるのかと、息子たちが面食らわないように、少し説明が必要です。270ページの叙述を、紹介します。

 「ガウディの死の10年後、1936 ( 昭和11 ) 年、」「バルセロナは、突如、砲撃の嵐に襲われた。」「将軍フランコの、クーデターである。」「フランコ側と、抵抗する市民との間に、悲惨な内戦が勃発し、」「バルセロナは、その拠点となった。」「自由と自治を主張する、カタルーニア人の尊い血が、」「大量に流された。」

 「この4年間の内戦の際、聖堂に眠るガウディの地下墓室も、」「暴徒に荒らされ、多くの貴重な、」「ガウディに関する資料が、灰になった。」「抵抗空しくスペインは、フランコの独裁政治という、暗黒時代に突入する。」

 ガウディが亡くなった後も、彼の意思を継ぎ、図面も何も無い中で、作業が続けられていたのは奇跡ですが、内戦にかかわらず続行された建設作業も奇跡であると、氏が言っています。「スペインの内乱」「独裁者フランコ将軍」と、言葉だけ知っていますが、中身について何も知りません。

 内乱とは、どういう状況を言っていたのか、フランコ将軍はどんな人物だったのか。知りたくなり、調べているうちに、ガウディを離れ、上記 2. と3. について、意外な事実を知りました。歴史の中でスペインと日本は、互いに無縁だと思っていたのに、事実は違っていました。

 「1936 ( 昭和11 ) 年2月の地方選挙で、スペインに、左派勢力の連合した人民戦線内閣が誕生した。」「内閣が誕生すると、右派のフランコは、」「参謀総長を解任され、左遷された。」

 ついでなので、当時日本の周りでは、どのようなことが起こっていたのか調べてみました。

  • 1月15日 日本がロンドン軍縮会議から脱退

  • 2月 1 日 天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃され負傷

  • 2月26日 二・二六事件勃発  岡田内閣総辞職

  • 3月 7日 ドイツが、非武装地帯であるラインラントに進駐

  • 9月26日 スターリンの大粛清が始まる (  秘密警察長官任命 )

  •    11月 3日 大統領選挙で、フランクリン・ルーズベルトが再選

  • 11月18日 独、伊が、フランコ政権を承認

  • 11月25日 日独伊防共協定締結

 有名な 2.26事件も、この年にあったのです。一つ一つの出来事を追っていきますと、「武漢コロナ」の騒ぎどころでありません。ヒトラーの台頭、スターリンの恐怖政治と、騒然とした、世界の状況が浮かんできました。

 「1931 ( 昭和6 ) 年、スペインではブルボン王朝が倒され、第二共和制が成立し、王族は国外へ追放された。」「フランコは、共和政府から軍政官に任じられ、その間に陸軍少将に昇進した。」

 そこへ人民戦線側が選挙で勝利を得て、政権の座についたのです。

 「人民戦線政府は、社会主義的理念に基づく改革を実行、」「教会財産を没収し、ブルジョアを弾圧した。」「これは農民や労働者層に支持されたが、地主や資本家、カトリック教会などの、保守勢力や知識層とは対立した。」

 つまりフランコ将軍は、保守勢力の代表として、共産主義者たちと戦っていたということです。このあたりまでは、なんとなく知っていましたが、知らなかったのは、次の事実です。

 「その後フランコは、ドイツやイタリアの支援を受けて、人民戦線政府と戦った。」「フランコの反乱は陸軍主体で行なわれ、空・海軍の大部分が、人民戦線政府側についたため、」「モロッコにいた、陸軍主力を本土に送れず、ドイツの輸送機が支援した。」「また日本は、ドイツとイタリアに次いで、フランコ政権を承認した列強であり、」「フランコ政権が、満洲国を承認したのは、その見返りであるとされている。」

 戦後の学校では、「戦前は全て間違っていた。」「日本だけが、悪かった。」と教えていますので、同じように間違っていたドイツや、イタリアのことはほとんど教えません。「独裁者ヒトラー」「独裁者ムッソリーニ」「独裁者東條英機」と、切り捨てていますから、「フランコ将軍」やスペインなど、生徒に教えるはずがありません。

 「独裁者スターリン」も斬って捨てれば良いのに、勝利した連合国側のため、日本の学者というのか、文部省というのか、今でもそうしません。

 「なお、フランコに敵対する人民戦線政府は、内部に共和主義者、」「共産主義者、無政府主義者を抱えていたため、統一性に欠けていた。」「当初フランスが、人民戦線側を支援したが、」「国内世論の反発で、即座に中止した。」「人民戦線側は、ソ連や国際旅団(イギリスやアメリカなど各国の義勇兵)の支援を受けたが、」「独伊軍からの、強力な支援を受けるフランコ反乱軍に対する劣勢は、覆せなかった。」

 この時すでに、日・独・伊の枢軸国と、他の諸国との世界大戦が、開始されていた訳です。

 ( 中途半端ですが、ブログのスペースがオーバーしました。ガウディを置き去りにしますが、続きは次回といたします。)

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ガウディの奇跡 - 2 ( 百聞は一見にしかず )

2020-05-23 20:21:51 | 徒然の記

  1. 自分の勤めていた会社への感謝 ( 私個人の歴史 )

 スペインで、サグラダファミリア教会を眺めたのは、平成11年の9月でした。氏の本が出版される4年前です。当時の日本の会社は、日頃は従業員を酷使しましたが、一方では大事にしていました。勤続10年、20年、30年、40年と、10年区切りで、永年勤続を祝ってくれました。

 10年、20年は、支店や支社で、支店長や支社長が、社長名の「永年勤続表彰状」を全員の前で渡し、上司たちが、祝いの会食をしてくれました。30年になりますと、全国の該当者が本社へ呼ばれ、社長から感謝状をもらい、晴れやかに懇親会をしてもらえました。

 長く勤めることは本人の誇りであると同時に、会社から感謝される、勲章みたいなものでした。「石の上にも三年」という言葉がありますが、仕事を覚え、お客に頭を下げ、人間関係に苦労しと、一つの会社で「自分磨き」をする苦労を、誰もが知っていたから、そういう表彰が行われていたのだと思います。

 今から考えますと、嘘のような話です。小泉首相とあの竹中平蔵氏が、正社員はろくに仕事もしないのに、身分を守られすぎていると難癖をつけ、安い賃金の派遣社員を増やしました。長く勤めるのは立派なことでなく、本人の無能とやる気のなさの証明だと、いつの間にか、そんな風潮に変えてしまいました。

 「終身雇用」と「年功序列賃金」が、日本の後進性のシンボルだと酷評し、会社の風土を作り変え、挙げ句の果ては、平蔵氏が人材派遣会社の役員になっています。息子たちは、平蔵氏が破壊した「株主利益優先会社」しか知らない息子たちには、このような話が、信じられないはずです。

 前置きが長くなりましたが、スペイン旅行をしたのは、永年勤続表彰の副賞として、夫婦の「海外旅行券」をもらったからです。現金だったのか、往復の航空券とホテル代だったのか忘れましたが、円高の時代でしたので、楽しい旅でした。

 書評の第一番目に、「会社への感謝」を上げたのは、こういう思いがあるからです。私の年代の人間なら、人使いが荒くても、真面目に勤めた社員を、会社が大事にしていた事実を、懐かしむのかもしれません。安倍総理が、経団連に言われるまま、安い労働力を求め、「移民法」を作る現在ですから、「永年勤続表彰」は、昔々の話になりました。再び来ない、「私個人の歴史」とタイトルをつけたのは、こんな理由です。

 その代わり当時は、有給休暇を冠婚葬祭以外に使わず、週休二日制も人手不足で有名無実でした。遠距離通勤のため、暗いうちに家を出て、残業後の退社でしたから、暗くなっての家路でした。たまの休日は、子供たちとの時間がこの上ない生き甲斐でした。

 肝心のサグラダファミリア聖堂の、感想です。大だ建築といえば、直線の組み合わせと無意識の内に思っていましたから、建設中の教会を見て、驚きました。火山から流出した溶岩が、自然のままに固まったような、未完成のというより、失敗した建物にしか見えませんでした。

 仰ぎ見る尖塔は、どれも溶岩の塊が滴っているように、荒々しく、異様でした。ゆっくりと動くクレーンが、何本も稼働し、建築現場そのものでした。しかし見ているうちに、いつしかこの巨大な教会に圧倒され、心を奪われていました。「百聞は一見に如かず」の言葉通り、多くの人々が魅せられる事実を、目で確かめました。

 絵でも彫刻でも焼き物でも、特に関心がなく、「牛に惹かれて善光寺まいり」よろしく、家内に誘われて出かけています。行けば自分なりに、納得したり感じ入ったりしますが、感動することはほとんどありません。ガウディの名前も教会の名前も、家内に言われ覚えていたに過ぎません。芸術に縁なき衆生とは、私のことですが、サグラダファミリアには、感動しました。

 「さらにその奥には、人間ガウディの喜びと苦悩、」「そして、切ない恋が眠っている。」「ガウディに惹かれた人は、意識せずに、」「この奥のものを、感じ取っているのだと思う。」

 北川氏が説明していますが、私には当てはまりません。作者の生い立ちを知ったり、思索の過去を調べなくても、向き合って感じとるものが全てです。と、氏に言いたくなります。

 「本物の芸術が、人を感動させるのは、知識ではありません。」「普遍の美が、心を動かすのです。」「縁なき衆生も、虜にする力、それが美です。」

 こんなことを理屈を言うから、人に好かれのないのだと思いますが、氏は大学の先生なので、これ以上は言いません。

 サグラダ・ファミリア教会に行った、もう一つの目的は、建設現場で働いている日本人に会うことでした。たった一人の日本人として仕事をしている、外尾逸郎氏です。現在は芸術工房監督になっているようですが、あの時は一般の作業者の一人だったと思います。

 生誕の門にある15体の天使像は、外尾氏の代表作で、「天使が西洋人という決まりはない」と考え、東洋人の顔をした天使像を盛り込んだ、と言われています。外尾氏の彫刻を含む生誕の門は、2005 ( 平成17 ) 年、世界文化遺産に登録され、最も観光客が詰めかける場所となっていると、これはつい先日知った話です。

 次回は、《 2. 戦前戦後における、日本とスぺインの関係 (  日本の歴史   )  》です。

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ガウディの奇跡 ( 退屈でも、有意義な本 )

2020-05-23 15:52:58 | 徒然の記

 北川圭子氏著『ガウディの奇跡』( 平成15年刊 (株)アートダイジェスト) を、読了。久しぶりの書評ですが、本題に入る前に、最終ページに書かれている、著者の略歴を紹介します。

 「昭和27年札幌市生まれ。」「昭和51年、北海道工業大学建築工学科卒業。」「平成14年、札幌理工学院建築学部教授。」「一級建築士、インテリアプランナーとしても活躍。」

 サグラダファミリア教会について、特別の思い出がありますので、作者には申し訳ない話ながら、本は退屈でしたが、有意義な読書になりました。わずか277ページの書ですが、私の知らない歴史を教えてくれた、宝物のような一冊となりました。

 宝物の一部を、息子たちのため、書き残しておきたい気持ちになりました。本を読みながら、頭に浮かんだのは次の五つでした。

  1. 自分の勤めていた会社への感謝 ( 私個人の歴史 )

  2. 戦前戦後における、日本とスぺインの関係 (  日本の歴史   )

  3. 独裁者と言われた、フランコ将軍のこと (  スペインの歴史   )

  4. 朝日新聞と本書の関係 (   朝日新聞の歴史・雑学  )

  5. ガウディの生涯

 上記 5項目の中で、書評は最後の 5. だけですから、果たして書評と言えるのか、自分でも首を傾げます。私の読書方法が間違っているのかもしれませんが、気にしないことにします。34ページの、前書きの文章を紹介します。

 「最近よく、ガウディはなぜ日本人に人気があるのか、」「と問われる。」「日本の著名な建築家の名前は知らなくても、」「ガウディと、サグラダファミリア聖堂を知っている日本人は、」「少なくないらしい。」

 「私はまず、ガウディ建築の形態と色彩が、」「日本人に絶対作れないものだからでしょう、と答える。」「質問者は、ちょっと怪訝な表情をしつつも、うなづいてくれる。」「そこで私はもう一つ、」「サグラダファミリア聖堂の完成が、百年後あるいは二百年後という遠い未来であり、」「そこに時空を超えたロマンと、日本人が求める、癒しがあるのでしょう、」「と付け加える。」「質問者は、今度は素直に納得してくれる。」「恐らく、期待通りの答えなのだろう。」

 上手な文章ですし、大学の教授ですから、無知な内容ではありません。それなのになぜか、最初から退屈してしまいました。

 「しかし私は、本当のところ、日本人を少し揶揄したような、」「この答え方が好きでない。」「本当は、こう言いたい。」「日本人は、もともと美に対する、優れた感性を持っている。」「それが、ガウディの芸術に触れて、ちょっとムズムズするのでしょう。」「と、なぜこう答えないかは、」「建築を、芸術として捉えている日本人が少ないため、」「説明が長くなるからである。」

 氏の文章を紹介しながら、改めて発見したのは、氏の独善的な思い込みが、不愉快だという理由なのでしょうか。建築を、美として捉えている日本人が少ないと、どうして氏は決めたのでしょう。まして説明が長くなるからというのでは、日本人を揶揄するどころか、馬鹿にした意見です。

 学生時代に、ブルーの・タウトの『日本美の再発見』を読んだことがあります。建築家タウトは、日本の武家屋敷や庭園、神社仏閣などを、賞賛の目で眺め、私の目を開かせてくれました。謙虚で、丁寧な説明に、魅かされたことを忘れていません。

 「ガウディは、音楽家ワーグナーの影響を受けて、」「あらゆる芸術、すなわち彫刻や絵画、」「音楽、宗教という普遍性、」「カタルーニャ主義という地方性など、」「多くのものを包含した、総合芸術を目指した。」「あの不可思議な造形の新奥には、そんな多くの芸術が潜んでいる。」

 「さらにその奥には、人間ガウディの喜びと苦悩、」「そして、切ない恋が眠っている。」「ガウディに惹かれた人は、意識せずに、」「この奥のものを、感じ取っているのだと思う。」

 「本書は、ガウディの一生を追いながら、」「その建築の根底にあるものを、解き明かそうとしたものである。」「ガウディ芸術を理解するための、一助となれば幸いである。」

 退屈な文章を、全部転記しました。こうしたありきたりの解説は誰もがしますから、氏独特の意見でありません。ガウディの何も知らず、サグラダ教会の知識もなくスペインを訪れ、建設中の教会を見て感動しました。今でもあの感動は、氏の説明と何の関係もなかったと、そう思っています。

 有意義な読書だったと言いながら、批判しているのですから、これでは私も人に好かれないはずです。なるべくなら、嫌われるより、好かれたいのですが、そうはならない性  (さが ) の悲しさです。

 次回からは、有意義だった読書の思い出を、番号順に述べていきます。「武漢コロナ」で、「外出自粛」「自宅待機」の方々は、気が向いたらお越しください。息子たちのように、明日の仕事がある方々は、無理をして「ねこ庭」を訪ねないでください。時間の無駄になります。

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青山繁晴氏の再発見 - 8 ( 拉致問題を邪魔する日朝議員連盟 )

2020-05-21 21:14:37 | 徒然の記

 古い話で、一度「ねこ庭」で取り上げていますが、再度引用すると決めました。2年前の平成30年8月千葉日報に、共同通信社の記事が掲載され、大きな活字が見出しを飾っていました。

 「拉致交渉で新方針案浮上」

 「政府、経済前面に信頼醸成」「対北朝鮮、反対論も」「問題解決、行き詰まり背景」

 「日本と北朝鮮の交渉をめぐり、圧力を背景に、」「拉致問題の解決なくして、国交正常化なしと迫る、」「現在の方針から、軌道修正を求める意見が、」「日本政府内で、浮上していることが分かった。」

 「北朝鮮が、拉致問題は解決済み、と立場を崩さない中、」「経済協力や、支援に関する協力を前面に出して、」「信頼醸成を図り、」「拉致問題の進展につなげる、シナリオとみられる。」「複数の政府関係者が、17日明らかにした。」「ただ政府内にも、反対論が強い上、」「新方針で、日朝間の停滞状況を打開できるか、見通せない。」

 この記事について、青山氏が、「虎ノ門ニュース」というネット番組で、強い批判をしていました。

 「共同通信は嘘をつくな。」「この記事を読めば、拉致被害者が帰らなくても、国交正常化をさせる、」「と、こうなります。寝言を言ってはダメだ。」「かって僕がいた、共同通信社の記事ですが、黙っておれません。」

 氏は古巣の共同通信社を強く非難し、記事の背景を明らかにしました。

 「政府関係者なんて書いていますが、これは、ただの外務省の役人の話です。」「誰が話したのか、個人名も分かっています。」「複数の関係者は、官邸にいません。」「政府内に反対論が強い、と書いていますが、」「官邸での反対者は、安倍総理一人です。」

 「彼らは、取材もせず、自分たちの憶測で、」「政府の重大な政策について、勝手な記事を書いているのです。」「こんな記事を書かせたのは、自民党の一部議員と、」「親北の外務省役人と、反日のメディアなんです。」

 今回の動画では、共同通信社を弁護する口調でしたが、氏は私情に負ける議員でなく、公私の別をつける人物だと、息子たちに伝えたくなり、2年前のブログを探し、転記しています。

 「第一次安倍内閣が倒されたのは、日本に潜り込んだ北朝鮮の工作員のためです。」「もっとはっきり言えば、自民党内にいる、「親北朝鮮、親中国、親韓国の議員たちが、第一次安倍内閣を倒したのです。」「これらは、自民党内にいる安倍総理の敵です。」

 地上波の放送でなく、ネットの番組とは言え、多くの視聴者がいます。総理とは了解の上で語っていたのでしょうが、ここまで公言する氏に、驚きました。

 「多くの人は、北朝鮮の工作員は、野党にいると思っているのでしょうが、」「ハッキリ言って、北は、野党なんか相手にしていませんよ。」「攻勢をかけているのは、自民党の議員だけです。」「しかも、それは日朝議員連盟にいる議員たちです。」「ここまで言うと、私は明日から、党内にも敵を作ることになりますが、」「もう黙っておれません。」

 議員になる以前から、氏はこのようにして、民放テレビで、自分の得た情報を公にしていました。議員になっても、変わらずに、国民の知らない事実を伝えるというのは、勇気のいる行為です。

 あの時、私が共鳴したのは、氏が番組の最後で述べた言葉でした。

 「現在朝日新聞の定期購読者は、約400万人、」「読売新聞が、約800 万人です。」「しかるに、共同通信が配信している地方紙の読者は、」「1000万人を超えます。」「それだけの、情報発信力を持っているのです。」「その共同通信社が、こんな嘘記事を全国に配信して、どうするのですか。」

 私のように、ネットの情報を検索し、推測しながら綴っている言葉ではありません。元共同通信社の社員としての体験にたち、語っているのですから、言葉の重みが違います。共同通信社の批判をしていても、野党議員がするような、憎しみの批判でないところが、重要な点です。氏は元の職場である共同通信社を誇りに思い、愛しているため、苦言を呈しています。

 それが分かるから、かっての同僚や、諸先輩も、黙認しているのだろうと、そんな気がしています。安倍総理へ絶縁状を書き、心に空いた穴を、もしかすると氏が埋めてくれるのかと、そんな気もしてきました。息子たちのためだけでなく、自分自身のため、もう一度「護る会」に関する情報を転記いたします。

 

  《 「 護 る 会 」  》

 1.  名称 「日本の国益と尊厳を護る会」

 2.  略称 「護る会」「JDI

 3.  設立年月日  令和元年6月12日

 4.  政策  「男系皇位継承」「外国資本よる土地買収の拡大防止」「スパイ防止法制定」

 5.  所属議員(令和元年)7月10日19時現在

  代表幹事  青山繁晴  幹事長 山田宏   

  副代表幹事 鬼木誠 長尾敬 

  事務局長  高木啓

  幹  事  大西宏幸  加藤寛治  杉田水脈  谷川とむ  長坂康正

        三谷英弘  務台俊介  山田賢司  有村治子  磯崎仁彦

        小川克巳  小野田紀美 小鑓 隆史(こやり たかし)

                    山谷えり子

  会  員  青山周平  石川昭政  上野賢一郎  上野宏  神谷昇

        木村弥生  高村正大  原田義昭  石田昌宏  宇都隆史

        大野泰正  北村経夫  鶴保庸介  和田政宗

  元会員   塚田一郎 ( 平成31年落選 )   中野正志 ( 平成31年不出馬 )  

 令和2年2月現在、名簿は35名ですが、所属議員数は衆参両院を合わせ52人ということです。

   1.   習近平氏を国賓として迎えることに反対する「緊急アピール文」を、官房副長官に手渡す。( 令和元年年11月13日 )

  2.   習近平氏を国賓として迎えることに反対する「決議文」を、官房副長官に手渡す。( 令和2年年2月10日 )

  先日まで、上記 1.  2. の活動をしていましたが、今は「女性宮家反対」の活動をしています。「護る会」の議員諸氏がさらに活躍できるように、私は支持していくつもりです。国民の支援と支持が、保守議員諸氏には、何より大きな励みとなるはずです。会の活動が大きなうねりとなり、政界を動かす日が来れば、日本が変わります。私たちにできることは、「批判するばかりでなく、自分が変わることです。」

 息子たちにも、伝えたい、氏の言葉でした。「武漢コロナ」の収束を祈りつつ、長いブログを、本日で終わります。

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青山繁晴氏の再発見 - 7 ( 我那覇真子さんも再発見 )

2020-05-21 13:37:32 | 徒然の記

 「メディアを変えるためには、あの戦争は何だったのかと、」「政府が検証し、見直しをしなければ、できません。」

 青山氏の言葉に、私がなぜためらったかにつき、その理由を述べます。

  1. ドイツと異なり、もともと日本には独裁者がいない。東条氏にしても、戦争末期に首相となっただけで、全権を掌握し、最初から指揮命令していたわけではない。海軍は、海軍独自の戦略で行動し、首相への報告も相談もしていない。

  2. 最初から軍のトップにおられたのは、昭和天皇だが、陛下は「君臨すれども統治せず」と、立憲君主の立場を守られ、政務・軍務に直接携わっておられなかった。

  3. 戦前の見直しで、昭和天皇の話になると、反日・左翼議員とマスコミが、ここぞとばかりに捏造報道を始め、日本が騒々しくなる。それは社会騒乱を求める、左翼勢力の思う壺だ。

 マスコミの報道が昭和天皇への批判と中傷に傾くことに、嫌悪感を覚えました。私が青山氏に提案したいのは、むしろ次の作業です。

  1. 戦争の見直しは、東京裁判の実態を、資料に基づき明らかにすることをメインとする。勝者が行った復讐裁判だった事実を、国民に公表する。

  2. 同時に敗戦直後、戦前の主義主張を捨て、戦後利得者として「変節した指導者たち」を、国民の前に明らかにする。

 マスコミ報道の偏向を正すには、この二点が為されるべきと思いますが、「変節した指導者たち」は、反日・左翼勢力の中だけでなく、自民党の中にもいます。これらの人々は、政界のみならず、官界、学界、法曹界、経済界、マスコミ界にいて、リーダー的地位を占めていましたし、現在も占めています。

 見直し作業に、果たして誰が、協力するのか。誰が中心となって、作業をするのか・・と、考えていきますと、不可能の文字が立ち塞がります。かって安倍総理が、「河野談話」の見直しをすると言った時、「歴史を逆行させる」とマスコミが大反対し、結局は骨抜き談話になってしまいました。

 氏の言う「先の大戦」の見直しが、いかに難しい仕事であるか、だから私は、氏の提案を聞き、ためらいました。また、そうであるだけに、氏の提案に惹かれもしました。今の日本で、戦前と敗戦直後の見直し作業が、本当に政府の手で実行されたら、マスコミだけでなく、日本人が変わるはずです。

 「オールドメディアの報道が偏っていることは、事実です。」「しかしだからと言って、ネットの情報がすべてOKでしょうか。」「 " 武漢コロナ " についてだけでも、とんでもない情報が溢れています。」「ネットの情報の欠点は、チェック機能がないと言うことです。」

 「私がいた、共同通信社の例で言えば、」「記者である私が上げた原稿は、キャップからデスク、政治部長、整理部デスク、整理部長と、」「5段階のチェックを受けました。」「この原稿は、信ずるに足るのかと、その後さらに5段階のチェックを受け、」「初めて記事になるのです。」

 反対のための反対でない限り、私は相手の話に耳を傾けます。まして氏の説明は、私の知らない世界の話であり、学徒の気持ちになりました。

 「情報の真偽は、受け取る側の人間が、まず意識することから出発すべきです。」「誰の責任なのか、追求することはやめるべきです。」「他人の責任ばかり言っていたら、話はそこでお終いになります。」

 共同通信社のため言い訳をしていると、私はそんな気持ちにならず、氏の言葉に耳を集中させました。

 「受け取った情報は、自分の胸に問うてみることです。」「そして、胸に問う仲間たちと、物事を変えていくのです。」「だから私は、安倍政権が悪い、自民党が悪いと、」「他人の責任にせず、自分たちのものとして受け止め、」「内部から、変えていこうとしているのです。」「 " 護る会  " の設立は、そう言う意味でした。」

 私が単純な人間なのか、氏の熱意がそうさせるのか、思っていた以上に、氏は大きな人物であったと、恥ずかしくなりました。

 沖縄は、琉球新報、沖縄タイムズと言う二つの新聞社が、報道を独占しています。二紙ともに、朝日新聞を凌ぐ、反日・左翼記事で、沖縄県民を支配しています。掲載される記事は、報道というより、記者たちの意見発表紙で、政府のやることには何でも反対です。

 定年退職して、ブログの世界に向かうようになり、初めて沖縄の実態を知りました。その時のショックは、私が朝日新聞の定期購読を止めようと決断した時と、同じくらいの衝撃でした。「琉球新報と沖縄タイムズを糾す会」という、活動組織を立ち上げ、我那覇真子さんが戦っていることを知ったのは、2年前のことでした。

 彼女は、父親や妹と共に活動し、「小集団対面活動」という名前で活躍しています。大きな会場に聴衆を集め、講演会をするのでなく、小さな場所を借り、少人数の聴衆と対話をしています。「偏向した二紙」のため、異常空間となっている沖縄の現状を、共に考えようとする運動です。

 「小集団対面活動」と称する集会を、沖縄の各地で、何度でも、何年でも行い、県民の気持ちを変えていくという、遠大な計画でした。話がすっかり横道へそれましたが、氏の言葉を聞き、私が思い出したのは、我那覇さんの姿でした。「他人の責任ばかり言わず、まず自分を変えていく。」と、彼女もそう述べていました。

 「自分の家族に伝わらないものは、」「どんなにマイクで、大声でしゃべっても、」「他人には伝わりません。」
 
 「家族の絆を取り戻してこそ、」「社会が良くなっていきます。」「保守運動は、自分の家族の立て直しからです。」

 「敵は、左翼ではありません。」「変えなければいけないのは、日本人の精神なのです。」「日本人精神の復活です。」

 マイクを片手に、我那覇さんが語る時、静かな口調ですが、強い響きとなり胸に伝わりました。私が「ねこ庭の独り言」を、息子たちへの遺言と決めたのは、これ以来だったのかもしれません。氏の説明と、我那覇さんの主張に共通するものを発見し、私は帽子を脱ぎ、頭を下げずにおれなくなりました。

 長いブログになりましたが、総まとめとして、後もう一度綴ります。息子たちだけでなく、「ねこ庭」を訪問される方々も、よろしければ、足をお運びください。

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