ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

戦没学生の遺書にみる15年戦争

2017-07-30 20:09:21 | 徒然の記

 わだつみ会編「戦没学生の遺書にみる15年戦争」(昭和38年刊 光文社)を、読了しました。

 私は以前に、昭和24年出版の「きけわだつみのこえ」を読んでいましたので、頭を整理するため、戦没学生の手記を集めた本が、これまでどのように出版されてきたのかを、調べてみました。

 1.  「はるかなる山河に」 昭和22年 東京大学協同組合出版部 東大生のみの遺書

 2.  「きけわだつみのこえ」 昭和24年 東京大学協同組合出版部

 3.  「戦没学生の手記に見る15年戦争」昭和38年  光文社 

   この本は、後に「第2集きけわだつみのこえ」と改題されました。

 今私は、3の「戦没学生の手記に見る15年戦争」を読み終えた訳ですが、調べてみますと、興味深い事実が分かりました。1の「はるかなる山河に」は非常な反響を呼び、当時のベストセラーになっています。昭和22年に初版本が出ますが、昭和24年には第5版が印刷されています。

 しかしこの本に対し、東大だけが大学ではあるまいとの批判が巷からあったため、東大協同組合出版部は、全国の大学生を対象として遺書を広く募集し、昭和24年の「きけわだつみのこえ」として編纂しました。書名の由来につきましては、ネットの説明をそのままに転記します。

「学徒兵の遺稿を出版する際に、全国から書名も公募し、」「応募のあった約2千通の中から、京都府在住の藤谷多喜雄のものが採用された。」「藤谷応募作は、 " はてしなきわだつみ" であったが、」「それに添えた応募用紙に、」「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」という短歌を添付した。」

 ということで、短歌から、「わだつみのこえ」が取られたと言います。「 わだつみ 」が、今では戦没学生をあらわす言葉のように使われていますけれど、元々の意味は海神を意味する日本の古語だとのことです。

 こうした学徒の遺書を扱った本の過去を、わざわざ調べる気になりましたのは、上記2.と3.の内容が、微妙に違っていると感じたためです。簡単に述べますと、2の「わだつみのこえ」には、日本精神主義的な学生の遺書や、戦争謳歌に近いような遺書がほとんどなかったのに、3の「戦没学生の手記に見る15年戦争」には、日本賛美や肯定の遺書が混じっていたからです。

 ネットの情報によりますと、東大協同組合出版部は、戦没者遺族が編集に携わっていたこともあり、昭和24年の編集方針として「平和への訴え」を掲げ、遺書の言葉が、戦後の反戦平和運動のスローガンに利用されたと、述べています。

 日本がサンフランシスコ条約に調印し、独立するのが昭和26年ですから、「きけわだつみのこえ」が出版された昭和24年当時は、GHQが日本を統治していた時です。出版物には当然GHQの検閲が入り、戦争を肯定する言葉や米軍の批判は削除されました。従って、すべての遺書が「反戦、平和」「軍国主義の否定」で編集されても、致し方なかった事情があります。

 けれども、昭和38年「戦没学生の手記に見る15年戦争」の編集に際しては、右翼的表現や日本主義的言辞が含まれた手記も、事実として採録されることとなりました。つまりマスコミの良心であるべき、両論併記です。死を前にして、学生たちがどのように考え、何をしていたのか。右も左も区別せずそのまま掲載し、考え判断するのは読者だとしました。

 平和への訴えを編集方針とした「きけわだつみのこえ」は、軍国主義的潮流のあった当時、戦陣訓世代と呼ばれていた人々に大きな衝撃を与え、世代の評価を覆すという働きをしました。

テレビでも新聞でも、出版でも同じですが、一方に偏した方針で情報が発信されると、どれだけ世間を惑わせるのか、昨今の森友・加計問題ばかりでないことを再認識させられます。

 これは私が直近のネット情報で拾った、「きけわだつみのこえ」だけを読んだ、読者の感想文です。参考のため、なるべく省略せずに転記します。

 「最近は、想像力の乏しい若者が多い。」「戦争がいかなる悲劇かをよく考えないで、」「日本に集団的自衛権の行使を認めるべきだとか、交戦権を認めるべきだとか、」「核武装するべきだとか、、好戦的な主張をする人がいる」「それ自体は、今の日本では思想の自由を侵してはならないから、」「許されることなのだ。残念ながら。」

 「日本を戦争が出来る国に逆戻りさせたいと考える、思想の自由は認める。」「しかし、そう主張する前に、" きけわだつみのこえ " は読むべきである。」「故・上原良司氏の文章を読めば、戦争になると、国家は個人に対して、」「どんなにやりたいことがあっても、どんなに大切な家族がいても、」「死ぬことを強要する、と言うことが分かる筈である。」

 「22歳にしてこれほど、思想を錬磨した優秀な人材が、」「何千人も無駄に死なされたのである。」「それが戦争である。かかる悲惨が繰り返されて良いとは私には思えない。」「上原氏の文章を読んで、なお、「戦争をしたい」という人は、」「気の毒だが知能が低いか、」「人間の悲しみを理解する感受性が。欠落しているのではないかと思う。」

 「上原氏の遺書は、何百ページにもわたる「きけわだつみのこえ」の、」「最初のたった一文だけである。」「このあと、延々と、涙なくしては読めない文章が続く。」「それでも、戦争をしたいのなら、」「戦争になったら、まず自分から志願して下さい。と申し上げる。」 

  この意見をネットに載せた人が、どのような人物なのか、年令も職業も知りません。「きけわだつみのこえ」を学生時代に読んだ私は、反戦・平和を願う気持ちに駆られ、亡くなった学生に深く同情いたしました。確かに、涙無くしては読めない遺書でした。

 この人が、両論併記の「戦没学生の手記に見る15年戦争」を読んでも、なおこうした意見を述べられるのかどうか。この人が「お花畑の住民」の一人なら、変わらない主張だと思いますが、もしも自分の国を大切にする人間なら、こんな一面的主張はしないはずです。どうもこの人は、戦前までの日本の歴史を、あまり知らない人物のようです。安全保障の重要性が理解できない己の無知に気づこうともせず、保守の人々を「戦争をしたがる者」と決めつけ、低脳とまで断定するのですから、その粗末な脳を憐れみます。

 歴史の知識がないため、偏向した書に心を奪われ、恥ずかしい意見とも知らず述べています。マスコミの捏造情報の恐ろしさが、こんな人物の書評でも証明されているということでしょうか。

 蛇足ながら付け加えますと、岩波書店は「わだつみのこえ」を文庫本等で、何度も自社出版していますが、両論併記の「戦没学生の手記に見る15年戦争」の出版は断りました。良心的左翼、人道的平和主義を標榜する岩波は、一度決めたら、反日・亡国の主張を捨てません。朝日新聞と同じ体質なのです。結局、光文社のカッパブックが引き受けました。

 当初の出版では、GHQの検閲が厳しかったため、戦没学徒の遺書も米国非難や、日本賛美の言葉が削除されたり、書き改めたりされました。日本が独立した後、戦没学生の遺族が、遺書を修復し、原文に直して欲しいと岩波に訴え、裁判まで起こしました。このような事実は、ほとんど報道されませんでしたから、国民の多くは知りません。「報道しない自由」を含め、戦後の腐れマスコミの歴史が、どんなに長く続いているかが分かります。

 今回のブログは、中身に言及せず、出版された時代と背景について述べ、書評としては例外になりました。両論併記の「戦没学生の手記に見る15年戦争」に興味のある方は、図書館でお借り下さい。

 そろそろ庭の水撒きの時間です。飽きもせず、暑い日が続きます。マスコミの捏造の歴史の長さが、私をいっそう暑苦しくいたします。

 

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加計学園に関する閉会中審査

2017-07-25 18:16:30 | 徒然の記

 正しくはなんと呼ぶのか知りませんが、国会閉会中の特別審査の動画を観ています。

率直な感想を述べれば、与党も野党も、報道するマスコミも、政治をおもちゃにするのは、もういい加減にして欲しいという気持です。国会は国の抱える重要な諸課題を、与党と野党が真剣に討議する場所のはずなのに、犯罪者を詰問し、追求する刑事部屋のようなやり取りが、いつ果てるともなく続いています。

 野党は国民のためと称し、「説明責任を果たせ。」「疑惑を払拭せよ。」と、政府を追求しています。相手を怒らせて失言を誘い、辻褄の合わない言質を取ろうと、民進党の議員の浅ましい質問には、聞いているだけで嫌悪を覚えます。いつから国会は、犯罪者を詰問する警察署に成り下がったのか、私は国民の一人として、議員諸氏に猛省を促したいと思います。

 安倍政権を倒したいという、ただそれだけの理由で、国の未来への政策も掲げず、国を憂えている国民には目を向けず、パフォーマンスだけの野党は、恥を知れと言いたい。こんなことで倒れるような安倍政権なら、倒れてしまっても構いませんが、野党が倒閣のため掲げている看板は、焦点がずれているということだけ指摘しておきます。

 森友であれ、加計問題であれ、そんなものの追求では、真面目な国民の賛同は得られません。先日ブログで語ったので、繰り返しになりますが、そこにあるのは「政治家の道義的責任」だけで、違法行為はありません。これで総理を辞職させたいとするのなら、現在の野党がやっていますように、「印象操作で、世論を騒がせる。」ということしかできません。卑怯とか、ずる賢いとか、傲慢だとか、そうした人間性に関する、負の印象を世間に広め、総理の心を追い詰めていく。そういう攻撃方法しかありません。

 私が安倍総理を支持しているのは、「憲法改正」と「女系天皇反対」の、この二つです。これこそが、現在の日本が直面している最大の問題です。本当に安倍内閣が倒したいのであれば、野党はこの問題で政府を追求し、国民に訴えるべきです。来る7月の27日には、また北朝鮮がミサイルの実験をするという噂も流れています。北のミサイルは、実験のたびに精度を上げ、日本のどこへでも打ち込めるようになっています。

 また中国は尖閣の領海のみならず、長崎の対馬、福岡の沖ノ島の領海へも公船で侵犯しています。北朝鮮に対しても、中国に対しても、有効な防衛手段が取れないのは、「現行憲法」の不備のためです。国の安全保障のための「憲法改正」が必要と考えるからこそ、多くの国民が安倍政権に多数を与えています。その安倍政権が倒したいのなら、そして腐れ野党の議員諸氏が、「国民の気持ちに添いたい。」というのなら、この問題で国会論戦をすべきです。

 国会の場で堂々と、正論で議論することをせず、論戦の相手の持ち物や、服装や、友人関係といった、およそ関係のないことで難癖をつけているのが、現在の野党です。卑劣な手段で国民を惑わせる野党は、卑怯者の集まりだと私は考えます。

 人権、平和、国民主権と大口を叩くのなら、野党は安倍政権の種子法の改悪や、水道事業の民営化が、どれだけ国民に災いと危険をもたらすかを追求すべきです。あるいは、中国で弾圧された民主活動家の劉氏が、病気であっても治療のための米国行きを認められず、亡くなったこと。残された夫人が、今も不当に監視状態に置かれていることなど、どうして真正面から中国へ抗議しないのでしょう。安倍政権がだんまりを決め込んでいる卑怯さを、人権の野党はなぜ追求しないのでしょう。

 こういう重要な問題を置き忘れ、どうでもよい瑣末なゴシップで国会を利用する心根の卑しさが、野党への支持を集まらせない原因です。これらを無視して野党が何を言おうと、何を国会で騒ごうと、心ある国民は相手にしません。聞く耳も持ちません。

 私は安倍政権を支持していますが、総理に対しては、こんな腐れ野党より、もっと厳しい見方をしています。総理の一番の失敗は、国民から託された多数に奢り、謙虚さを忘れたことです。国民への説明を省略し、とんでもない政策を推し進めている傲慢さです。種子法の改悪や、水道事業の民営化だけではありません。TPPについても、カジノ法案についても、大量の移民受け入れ政策についても、野党が日本を大切にする政党というのなら、攻めるべき安倍政権の愚策はいくらでもあります。

「外国人土地法」だってそうです。田嶋要氏は民主党議員ですが、衆議院の経産委員会で、山林を外国人が購入する事例が相次ぎ、地域住民の不安が高まっているので、法規制ができないかと質問しました。

 これに対する自民党の井野俊朗法務副大臣の答えは、「規制は難しい。」でした。氏は大正14年に制定された「外国人土地法」で、「政令により外国人や外国法人による土地取得が制限されている。」ことを紹介しましたが、「現憲法下では、政令が一度も制定されたことがない。」と述べました。

 しかも同法には制限規定がなく、国会の審議なしに、政令が作れるかについては、疑問であると答えました。また外務省も田嶋氏に、「自由貿易の観点から、」「土地取引も、差別的待遇は認められない。」と答えました。

 北海道や新潟や沖縄で、水源地の山林や、市街地の土地を買い進める中国や、対馬で盛んに土地を購入する韓国など、国防的観点から疑問を抱く私は、田嶋氏の国会質問に強く心を動かされました。氏は民主党が政権にいた時、経済産業大臣政務官をしていたのですから、事情を知った上での質問のはずです。

 昔ならいざ知らず、現在の国民の多くは、隣国である中国や韓国に対し、敵対心と猜疑心、嫌悪感を抱いています。国土法の不備を放置し、国の安全保障を軽視する安倍政権の杜撰さを、あの時の田嶋氏のように、なぜ追求しないのでしょう。森友や加計問題より、数倍も重要な問題なのに、ここを触らないのですから、私は言わずにおれなくなります。

 昔社会党と自民党が、表向きには対立と見せながら、裏では手を結び、利権を分け合った時期がありました。55年体制と呼ばれていますが、要は国民を欺く政治劇でした。肝心なことを追求せず、どうでもよいことで国会を紛糾させ、自民党の長期支配に手を貸したのが当時の社会党でした。二度あることは三度あると言いますから、自民と民進はトップ同士で手を結び、かっての茶番劇をしているのではないか。これだけ無様な国会審議を見せつけられますと、そんな疑念が湧いて参ります。

 安倍総理の欠点を、キチンと忠告できないというのなら、自民党の幹部も、腰抜けが多いのでしょう。最大の欠点は、自分の細君が抑えられないというところです。昭恵夫人に役人の秘書をつけ、国会内に部屋を与え、ネットでは余計なことを発信させ、勝手気儘を放任した総理の奢りが、どれだけ国民の批判と失望を招いたことか。そんな夫人を、まるで何でもないように外国訪問へ同伴し、手をつないで政府専用機に乗り込むなど、「おやめなさい。」となぜ言わないのか。 道義的責任しかない上、野党にも脛に傷があるため追求をやめましたが、森友問題の最大のガンは昭恵夫人でした。これが今も尾を引く、総理への国民の不信感です。

 国民の最大の関心事である国防組織、自衛隊の大臣に、節度のない稲田氏を任命し、不適格と判明しても庇い続ける不見識を、直言できる側近がいない。これでは総理が裸の王様だと、野党に揶揄されても致し方なしです。無能な議員を大臣として送り込む派閥も、これを受け入れた総理も、すべてが数に「奢り」ました。国民が何のため、総理に多数を付託したのか、慢心がそれを見えなくしました。

 マスコミ界の雄として、国内だけでなく、海外でも評判の高かった朝日新聞は、敗戦後の70余年の「奢り」のため、国民から厳しい審判を受けています。発行部数が激減し、社員の離職者が増え、大卒者も敬遠する会社となっています。

 早晩朝日は倒産するか、自己破産するしかないのでしょうが、安倍政権も、国民の願いを忘れ「奢り」のままでいれば、同じ道を歩むことになりかねません。ただ、反日と亡国の朝日と違い、保守自民党は「国を愛する」政党ですから、反省しない安倍政権が倒れても、次の保守が政権を守ります。と言いましても、総理の後ろから矢を射るような、卑怯者の石破氏ではないでしょう。かと言って、中国にも韓国にも、卑屈に腰をかがめる岸田氏でもないはずです。

 安倍総理はまだ若いので、猛省さえすれば、長期政権になる可能性があります。だから私は、目の前の政治ショウに、一喜一憂しないように努めたいと思います。祖国の独立を手にするまで、500年をかけたノルウエーの辛苦を思えば、焦ることはありません。私が自身に望むのは、沢山の事実を自らで求め、賢い国民の一人になりたいという、ただそれだけです。

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マスコミが画策する次期総裁候補

2017-07-21 16:40:18 | 徒然の記

 平成24年石破氏は自民党総裁選に出馬し、立候補した五人の中でトップの得票を得ました。

過半数の得票にいたらなかったため、国会議員のみによる二回目の投票が行われ、地方票ではダントツの165票を獲得していましたが、国会議員票では89票となり、108を獲得した安倍氏に敗れました。

 この実績を思いますと、安倍政権打倒を目指すマスコミが、石破氏を担ぎ出そうとしている意図も、まんざら絵空ごとと言えなくなります。当時地方での石破氏への支持は、安倍総理をはるかに上回っていたのですから、可能性が無しとも断定できません。マスコミが誉めそやせば、疑いもせず乗ってしまう衆愚が沢山いますから、とんでもない総理が誕生する恐れがあります。

 いつものようにネットの情報で、石破氏の経歴を再確認しました。

 石破茂 昭和32年生まれ、自民党衆議院議員を10期つとめ、現在石破派の水月会会長。防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、自民党政務調査会長、自民党幹事長、国家戦略特別区担当大臣、兼地方創生担当大臣。
 
   [ 石破 派 19人 (衆院 18、参院 1 )   ]

 山本有二 鴨下一郎 伊藤達也 田村憲久 後藤田正純 古川禎久 平将明 赤沢亮正
 
 斎藤健  冨樫博之 田所嘉徳 神山佐市 石崎徹   山下貴司 福山守 門山宏哲
 

  自民党議員としての経歴は、立派です。けれども私は、氏が現実に総裁となった後の日本を、大いに憂えます。氏が防衛大臣であったとき、中国紙のインタビューに応えてなんと語っていたか。私は今回初めて知りました。

1. 第二次世界大戦は、日本の指導者たちが、何も知らない国民を騙して行った、間違った戦争でした。だから、私は、A級戦犯の祀られた靖国神社には参拝しません。

2. 南京事件については、否定する日本人もいますが、30万人とか、何人とか言うことは別の問題で、虐殺があったということは否定できません。

3. 慰安婦問題につきましては、いろいろな見解がありますが、日本軍の関与は間違いありません。

4. 戦前の日本の指導者たちが、大東亜戦争と主張したのは、侵略戦争に対する一種の詭弁です。日本は、中国に謝罪すべきです。

 亡くなられた渡部昇一氏は、この記事を読み、これが、日本の立場を護るべき政治家の言葉なのか。現役の防衛大臣の談話なのか、反日のプロパガンダに利用される危険性にも気づかないのかと、石破氏を批判しました。こうして渡部氏は、当時の石破防衛大臣を「国賊」と断じました。

 ところがつい先日、氏は韓国紙のインタビューに応じて、次のように語っています。

「慰安婦問題に関する日韓合意については、日本は、韓国が納得するまで努力しなければならない。」

 反日の韓国が、またも言いがかりをつけ、問題を蒸し返しているというのに、石破氏は韓国に迎合しています。新政権になった韓国の大統領は、どれだけ石破氏の言葉に勇気づけられることでしょう。

 ネットの情報でこれらの事実を知ったとき、石破氏は、共産党か、民進党の議員だったのかと首を傾げてしまいました。自民党の中で獅子身中の虫として、生息し、子分を増やし、日本の崩壊を企んでいるのは、まさに石破氏であったかと、驚いてしまいました。

 戦後の呪縛から脱し、日本を取り戻したいと願う私たちの前で、あろうことか自民党の幹部議員が、東京裁判史観を押し頂き、靖国神社を否定し、中国や韓国の仕掛ける情報戦に加担しているとは、信じられない話ではありませんか。

 こんな魂の腐った議員だからこそ、反日のマスコミが目をつけ、利用しようとしているのです。私たち国民は、彼らに、油断も隙も見せられません。

 政界には風見鶏が沢山いますが、氏もまた信念の定まらない政治屋の仲間でした。平成5年、細川政権の時に自民党を離党し、「改革の会」に参加しています。その後「自由改革連合」を経て、「新進党」に加わり、平成8年に小沢一郎党首に失望し、また離党しています。氏がいつの時点で自民党に復党したのか、興味もないので知りませんが、政党をうろつく人間にロクな政治家はいません。

 偏見と言われようと、私はこの考えを捨てません。自民党を飛び出して、また帰ってきたあの河野洋平氏が、どれだけ日本を貶め、日本人の心を傷つけたか。忘れることができません。まして皇位継承問題につきまして、氏は、保守政治家らしくない粗雑な意見の持ち主です。

「将来的に皇族は、悠仁親王ただ一人になってしまう可能性が否定できず、」「男系男子のみで皇位を継承し続けることは不可能に近い。」「皇室の安定的な継続を考える上で、このことに関する議論を避ける訳にはいかない。」

「旧宮家の復活案もあるが、一般国民として長く人生を送ってきた人物を、皇位継承者とすることは妥当性に疑問がある。」

「皇室が途絶えることは、日本の国体そのものの滅失を意味するものであり、男系男子の皇位継承を基本としつつ、女系天皇の可能性も敢えて追求するべき。」

 日本古来の歴史と伝統を踏みにじる、亡国政治家独特の意見であり、反日のマススこみが喜びそうな主張です。次期総裁戦を見据えながら、安倍総理の背後から、反撃の矢を放っています。最近の氏は、武士道精神の片鱗もない、祖国に害をなす言動ばかりです。私には、渡部氏が氏を国賊と切り捨てた気持ちが分かります。

 保守を自認しつつ、安倍政権を攻撃する人々に問うてみたくなります。

 「安倍総理を引きずり倒した後、」「石破氏みたいな後継者でいいんですか。」「それで日本の何が守れますか。」

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国家の品格 - 2

2017-07-21 00:34:35 | 徒然の記

 藤原氏の「国家の品格」の続きです。

 氏の著作の一番の特色は、「武士道精神の復活」という所にあります。敗戦後の日本が失ったのは、武士道精神であり、これを復活させれば日本は再生する。そればかりか、世界に範を示す最高の国になると、簡単に言えばこれが氏の考えです。

 武士道の復活につきましては、一も二もなく賛成します。氏はこれで日本が世界に範を示す国となり、人類に貢献すると言いますが、私はそこまでは風呂敷を広げません。しかし元気いっぱいで、なんとも興味深い主張です。

「武士道はもともと、」「鎌倉武士の "戦いの掟" でした。」「いわば戦闘の場における、フェアプレイ精神をうたったものと言えます。」「鎌倉時代以降、二百六十年続いた平和な江戸時代において、」「武士道は、武士道精神へと洗練され、」「物語、浄瑠璃、歌舞伎、講談などを通して、」「町人や農民にまで、行き渡ります。」

「武士階級の行動規範だった武士道は、」「日本人全体の行動規範となっていきました。」「この中には、慈愛、誠実、忍耐、」「正義、勇気、惻隠などが盛り込まれています。」「惻隠とは、他人の不幸を感じ取る敏感さです。」「それに加えて、名誉と恥の意識もあります。」「名誉は、命よりも尊い。」「実に立派な考え方です。」「この武士道精神が、長年、日本の道徳の中核をなしてきました。」

  二年前に私は、岬龍氏の著「武士道」を読みました。明治時代に出版された、新渡戸稲造氏の英語版著作を翻訳したものです。新渡戸氏の英文が素晴らしかったのか、岬龍氏の翻訳が優れていたのか、私には分かりませんが、あの時の感動を今も忘れていません。二年前のブログですが、そのまま引用してみます。

 「 武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。」
書き出しの言葉が、胸に心地よく響き、こうした語り口で始められるとは、予想だにしていなかった私は、知らずに襟を正させられました。

 あの時の私は、新渡戸氏の言葉をそのまま、身を引き締めてブログに転記しました。
「それは我が国の歴史の標本室に保存されているような、古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。たとえ具体的な形はとらなくとも、道徳的な香りを周りに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれる。」

 「武士道を生み、そして育てた、社会的状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かって存在し、いまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らし続けているのだ。」 

 同じく武士道を語っても、藤原氏とは違った格調が感じられます。しかし武士道を語る熱意と、真剣さは同じですから、私は藤原氏の本を真面目に読みました。恥ずかしいことに、政治家も教育者も、マスコミ関係者も、ついでに言えば、こうしてブログを書いている私自身にしましても、現在の日本人には「武士道精神」のカケラもありません。

 今上陛下を頂点とし、平成の日本人は、日本の固有の伝統を軽視し、我欲を主張し、ひどい世の中となっております。だから私は、愚直に、懸命に、私たちに訴える藤原氏の言葉にいっそう惹かされます。たとえその叙述に、新渡戸氏ほどの格調がなくとも、気になりません。博学な氏が、武士道について、別の角度から教えてくれます。

「美的感受性や、日本的情緒を育むとともに、」「人間には一定の、精神の形が必要です。」「論理というのは、数学でいうと、ベクトルのようなものですから、」「座標軸がないと、」「どこにいるのか、わからなくなります。」

「人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる、」「精神の形、すなわち道徳です。」「私は、こうした情緒を含む、精神の形として、」「武士道精神を復活すべしと、」「二十年以上前から考えています。」

 「武士道に、明確な定義はありません。」「新渡戸稲造は、武士道を書いていますが、」「それは外国人に、日本人の根底にある形を解説するため、」「新渡戸の解釈した武士道です。」

「武士道は死ぬことなりと見つけたり、という、」「有名な葉隠は、山本常朝という人が口述した、」「佐賀鍋島藩の、武士道に過ぎません。」

  武士道には沢山の解釈があるけれど、氏は、新渡戸氏の「武士道」が一番好きだと言います。新渡戸氏の武士道には、キリスト教的な考え方も入っており、元々の武士道とは異なっているという意見もあるそうです。氏は、「近代的武士道」は、新渡戸氏が打ち立てたものだという解釈をしています。

 武士道に流れ込んでいる様々な精神についても、氏がつまびらかにしてくれます。

「まず仏教。」「特に禅から、運命を引き受ける平静な感覚と、」「生を賎しみ、死に親しむ心を貰いました。」「儒教からは、」「君臣、父子、夫婦、長幼、朋友間の、五倫の道や、」「為政者の、民に対する仁慈を取り入れました。」

「神道からは、主君に対する忠誠、」「祖先に対する尊敬、」「親に対する孝行などの美徳を、取り入れました。」「もっとも中心にあるのは、日本に昔からあった、」「土着の考え方です。」「日本人は万葉の時代どころか、縄文の時代ですら、」「卑怯なことはいけない、」「大きな者は、小さな者をやっつけてはいけないといった、」「皮膚感覚の道徳観と、行動基準を持っていたのではないかと、」「思います。」

 私が新渡戸氏の「武士道」の本を読んだのは、たかだか二年前です。二十年以上前から考えていた氏には及びませんし、万葉や縄文の時代まで出されますと、耳を傾けるしかありません。

「禅や儒教は舶来のものではないかと、言う人がいるかも知れません。」「禅はもちろん中国で生まれたものですが、」「中国にはまったく根つかなかった。」「禅は、中国人の考え方と相容れないもので、」「日本の土着の考え方と、非常に適合性が高かったということです。」

「鈴木大拙氏の言葉によると、日本的霊性に合致していたのです。」「禅と儒教は日本人の間に、古くからあった価値観です。」「理論化したのは、中国人ということです。」

 こうした論理があの中国で通じるかにつき、私は疑問でなりません。禅も儒教も、日本で昇華させたと言いたい気持ちは分かりますが、世界の中心が中国で、周辺は野蛮国だとする隣国が黙っていると思えません。もともとは中国から伝来したものですから、感謝しますと、そういえば良いだけの話と、私は素直に考えます。

「私は、祖国を深く愛しておりますので、」「愛する日本の素晴らしさを伝えようとすると、」「どうしても、熱がこもってしまいます。」

 氏は正直に告白していますが、ほどほどが良いと思えてなりません。庭園の技が世界一、茶道も、花道も、書道も、香道も、日本に特有の素晴らしい文化だ、日本の四季は世界一だと、確かに氏は、熱を込めて語ります。個別の事例を挙げていけば、どこの国にもお国自慢があるのですから、しまいには子供の喧嘩みたいになってしまいます。ひいきの引き倒しと、私が言うのは、氏のこうした熱心さです。

 武士道を復活すれば、日本が世界の範となる国になるというのは、次のような論理です。同じ日本人なので、氏の気持ちは理解できます。しかし、氏の意見を発展させていけば、「お花畑の思想」と同様になってしまうのでないかと、一抹の不安を覚えます。いったい、、私の息子や孫たちは、どのような受け止め方をするのでしょうか。一つの、貴重な意見として、ブログに残すことと致しました。

「欧米人の精神構造は、" 対立 "  に基づいています。」「彼らにとって自然は、人間の幸福のため征服すべき対象であり、」「他の宗教や、異質な価値観は排除すべきものです。」「これに反し日本人には、自然は神であり、」「人間はその一部として一体化しています。」「この自然観の違いが、欧米人との間に、」「本質的差を作っています。」

「精神に " 対立 " が宿る限り、 」「戦争を始めとする争いは、絶え間なく続きます。」「日本人の美しい情緒の源にある、」「自然との調和は、戦争廃絶という人類の悲願への鍵となるものです。」「日本は、これらを世界に発信しなければなりません。」「欧米をはじめとした、まだひらかれていない人々に、」「本質とは何かを、教えなければなりません。」「それこそが、日本の神聖なる使命なのです。」

 

 私は氏の高揚した意見より、新渡戸稲造氏の謙虚さに惹かされています。参考のために、引用しておきます。

「武士道は、一つの独立せる倫理の掟としては、消ゆるかもしれない。」「しかしその力は、象徴とする花のごとく、」「四方の風に散りたる後も、なおその香気をもって人生を豊富にし、」「人類を祝福するであろう。」

 

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国籍法と蓮舫氏

2017-07-19 21:04:53 | 徒然の記

 本日(7月21日)、二重国籍問題に関する、蓮舫氏の記者会見の動画を見ました。

 安倍総理への説明責任を追求する、野党第1党の党首であるから、国民の一部にある、自分への不信感をなくしたいと考え、国籍問題を証明する資料を提供することとしました。眉間にしわを寄せ、白い歯をむき出しにし、もったいぶって釈明する蓮舫氏を、私は冷静に眺めました。

 冷静になり、この問題を考えますと、現在の国内法では、「蓮舫氏は法に反することはしていない。」というのが結論です。私は反日の民進党は勿論のこと、党首である蓮舫氏も、嫌悪していますが、彼女の二重国籍問題は彼女を辞任させるだけの要件が整っていません。

 現行の法体系下で、もしあるとすれば、政治家としての道義的責任が問われるだけです。それは丁度、この腐れ野党である民進党が安倍総理を攻撃している、森友や家計学園問題と同様、中身は当事者の道義的責任だけです。

 私が怒りを覚えますのは、同じレベルの問題でも総理のこととなりますと、マスコミが大騒ぎし針小棒大な攻撃をするのに、蓮舫氏については控えめに報道するという、このダブルスタンダードです。

 蓮舫氏が法律違反をしていないというのは、国籍法が不備な法律であるというところに起因しています。大事なことですから、この際、国籍法の該当する条文を転記します。

(国籍の選択)
 第十四条
  ・外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。
 
  ・日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法 の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。
 
 要するに、法律では二重国籍を20から22才までの間に、日本国民は、国籍選択をしなければならないと規定していますが、罰則は何もありません。早くしなさいと役所から督促されますが、何もしなかったらどうなるのか、日本国籍を喪失するのか、国外退去となるのか、そうしたことは何も規定されていません。

 ですから、蓮舫氏が故意に何もせず放置していても、何も罰則がないのです。私が彼女に違法行為が無いというのは、こう言う意味です。彼女についている優秀な弁護士とやらも、私と似た意見らしいのですが、こんなことは優秀な弁護士でなくても、法律を読めば誰にでも分かるのです。

  7月19日のネットの情報で、オーストラリアの上院議員二名が、二重国籍と判明したため、いずれも議員を辞職したという事実が分かりました。オーストラリアでは、二重国籍者の議員就任を憲法で禁じています。この件に関して、会見場で記者から蓮舫氏に、どう思うかという質問がありました。

「日本とあちらでは、状況が違っていますから。」

 この割り切った、素っ気ない言葉が彼女の返事です。彼女が言いたかったのは、オーストラリアは憲法で禁じているが、日本ではどの法律も禁じていない、だから自分は、法律違反をしていないということです。したがって私は、国籍法と戸籍法が欠陥法であると指摘し、法治国家である日本では、違反の無い彼女は無罪という結論に立たざるを得ないと言います。

 二重国籍とは、文字通り、二つの国の国籍を所有するという事で、現在二つ以上の国籍所有を認めている国は、WIKIによりますと、次の通りです。

 アメリカ合衆国、ロシア、カナダ、メキシコ、 コロンビア、ブラジル、ペルー、パラグアイ、 ウルグアイ、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、ポルトガル、フィンランド、オーストリア、スロバキア、オランダ、スペイン、デンマーク、チェコ、ギリシャ、イスラエル、トルコ、ナイジェリア、モロッコ、南アフリカ共和国、コートジボアール、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィリピン・・・殆どの西欧諸国が、多重国籍を認めています。

 国民の多様性を認める、自由な国が多いのに日本は偏狭な国だと、民進党の議員たちが貶しますが、騙されてはいけません。一般国民に二重国籍を認めていても、議員、あるいは公務員、あるいは報道、電気、ガス、水道等の重要企業には、それを認め無い国は沢山あります。いわゆる「国籍条項」ですが、日常生活に関係が薄いので、多くの人は知りません。

 知らないのをこれ幸いと、あれこれ屁理屈をつけるのが、反日野党であり、民進党であり、蓮舫氏です。私たちは、今回の問題について、戸籍を公開すべしと、最初から要求したのではありません。説明があやふやで、二転三転するから、彼女自身が資料を出さずにおれなくなっただけの話です。ネットで批判する私たち国民のことを、彼女は会見で何と呼んだか。

「差別を続けている、マイノリティーたち。」「排外主義者」と、レッテルを貼り、こうした人間の誤解を解くため、今日の記者会見をしたのだと、おおよそ見当のはずれた、高慢ちきな責任転嫁の弁明をしました。

 今日は藤原氏の、書評の続きを書く予定でしたが、つい蓮舫氏の愚劣な「会見動画」を見て、たちまち怒りが燃えました。戦後のどさくさにまぎれ、不法滞在したり、密航したり、そんな中国や韓国や朝鮮人たちに、たとえ差別主義者と言われても、私は、自分の国を引っ掻き回されるのは御免です。

 73年間生きてきました過程では、共に語り合い、共に汗を流し、親しくした在日の友が私にはいます。日本人の中にだって、碌でもない犯罪者や、悪い奴がいますし、在日の全てが、ひどい人間だとは言いません。

 しかし蓮法氏はもちろんのこと、民進党にいる多数の二重国籍の議員たちは、区別して当然なのです。反日の蓮舫氏の言葉で言えば、「差別」なのでしょうが、国を愛する保守にすれば、「区別」でしか在りません。日本の国で、各種の行政サービスを享受し、社会の恩恵を受けながら、彼らがする手前勝手な日本批判を、これ以上許すことはできません。

 一時も早く、国籍法の不備を解消し、二重国籍者への罰則を明確化し、合わせて現行法の厳守をと、政府に要請しましょう。多様性社会だとか、自由な共生社会だとか、蓮舫氏の寝言を黙認してはなりません。反日の彼女たちに言われるまでもなく、私たちの国は、ずっと昔から寛容な社会でした。他教を拒まず、共生してきたからこそ、私たちの国には、八百万の神々がいます。

 日本の歴史も伝統も知らない、二重国籍の蓮舫氏ごときに、勝手な真似をさせるのは、この辺りで止めにしましょう。彼女のように歯をむき出し、空っぽのバケツを叩くようにまくし立てずとも、私たちはネットの情報を活用し、静かに歩を進めましょう。

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国家の品格

2017-07-18 18:40:30 | 徒然の記

 藤原正彦氏著「国家の品格」(平成17年刊 新潮新書)を、読みました。

 久しぶりに面白くて、楽しめる本に出会いました。氏は昭和18年に満州で生まれ、東大理学部数学科卒を卒業後、御茶ノ水女子大学の教授となっています。略歴には、新田次郎、藤原てい氏の次男だと書いてあります。新田次郎氏の著作は読んだ記憶がありませんが、名前は知っています。不勉強な私は、藤原てい氏に関して何も知りません。

 藤原正彦氏につきましても、今回初めて著作を読みました。親近感を覚えましたのは、氏が私と同年代で、しかも満州生まれだというところです。親近感を覚えないのは、私の大嫌いな数学を、こともあろうに大学まで専門にして学び、数学者だというところです。無味乾燥、杓子定規、砂漠を思わせるような数字の大洪水と、私には、反日左翼と数字は、文句無しの偏見の対象です。

 それなのに氏の著作は、共感するところがあちこちにあり、何度か手を打って同意しました。反対に、「そこまで言うのは、言い過ぎでしょう。」と、打ち消したくなる意見もありました。これ以上抽象的な話をするのは止めにし、具体的な氏の意見を紹介しましょう。「はじめに」の部分から、引用します。

 「戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、」「すっかり足腰の弱っていた日本人は、」「世界に誇るべき我が国古来の、" 情緒と形 " をあっさり忘れ、 」「市場経済に代表される、欧米の " 論理と合理"  に、」「身を売ってしまったのです。」「日本は、こうして国柄を失いました。」「国家の品格を、なくしてしまったのです。」

" 情緒と形 " については、少し説明が必要ですが、それ以外は概ね私の思いと一致しています。無味乾燥なはずの数学者が、これほど熱い心で日本を語ると、想像もしていませんでした。

 「現在進行中のグローバル化とは、世界を均質にするものです。」「日本人は、この世界の趨勢に、」「敢然と戦いを挑むべきです。」「普通の国となってはいけないのです。」「欧米支配下の野卑な世界にあって、」「孤高の国でなければなりません。」「日本の孤高を取り戻し、世界に範を垂れることこそが、」「日本の果たしうる、」「人類への世界貢献と、思うのです。」

 グローバル化を推し進めたのは、あの小泉首相と竹中平蔵氏のコンビでした。アメリカの言うなりに、グローバル化を実行し、金融改革という名の日本破壊を進めました。祖国への愛を持つ野党があれば、ここで政府に反対をしたはずなのに、不幸にも、あの時も今も、敗戦後の日本の野党には、反日左翼しか存在しません。

 氏の意見の前半には強く賛同しましたが、後半になりますと、疑問符が生じました。「日本の孤高を取り戻し、世界に範を垂れることこそが、」「人類への世界貢献だ。」と、迷わず言い切る勇気と言うか、そこまでの大胆さが私にはありません。「ひいきの引き倒し」でなかろうかと、むしろ、私の中でブレーキをかけるものが生まれました。でも次になりますと、又うなづかされてしまう不思議さです。

「論理を徹底すれば、問題が解決されるという考え方は、」「間違いです。」「論理を徹底したことが、今日の様々な破綻を生んでしまったと、」「言えるのです。」「なぜなら、論理それ自体に内在する問題があり、」「これは永久に乗り越えられないからです。」

 具体例として、氏は資本主義の論理を追求した果てが、物質主義、金銭至上主義となり、資本主義自身が潰れかねない状況になっていると説明します。自由経済の果てにあるのは、弱肉強食の世界であり、強いものだけが生き延びる社会だと言います。私なら、もう一つ社会主義の理論を追求した果てのソ連の破綻と、中国の無残な独裁政府を加えます。マルクス主義者たちは、「人間平等の理念」を徹底して追いかけ、徹底するために反対者を皆殺しにし、国民を弾圧し、人間平等はどこへ行ったのかと、ついにはそんな国を作ってしまいました。

 さらに私は、次の氏の意見にも大賛成です。当たり前の話ですが、論理には、出発点というものがあります。氏は、論理というものを単純化して教えてくれます。

「まずAがあって、AならばB、」「BならばC、」「CならばD・・・・・」「という形で、最終的にZという結論にたどり着く。」「出発点がAで、結論がZ。」「そしてこの場合、Aならばという」「時の " ならば " が論理です。 」

「出発点のAからBに向かって、Zに至るまで、」「論理の矢印が出ていますが、」「Aに向かう矢印は、一つもありません。」「出発点だから、当たり前です。」

この辺りは、いかにも数学者らしい整然とした説明ですから、数字嫌いの私にだって容易に理解できます。しかし驚かされたのは、次に来た意見です。これはもう、敬服するしかない、卓見と私には思えました。

「すなわちこのAは、論理的帰結でなく、常に仮説なのです。」「この仮説を選ぶのは、論理でなく、」「主にそれを選ぶ人の、情緒なのです。」「宗教的情緒を含めた、広い意味の情緒です。」「情緒とは、論理以前の、その人の総合力と言えます。」

「その人がどういう親に育てられたか、」「どのような師や友人に出会ってきたか、」「どのような小説や詩歌を詠み、涙を流してきたか、」「こういう諸々のこと、全てが合わさって、」「その人の情緒力を形成し、」「論理の出発点を選ばせているのです。」

「出発点を決める上で、」「宗教や慣習からくる形や、伝統も無視できません。」「例えば武士道精神には、」「卑怯を憎む心とか、名誉や誠や正義を重んじる心だとか、」「精神の形がいろいろあります。」「キリスト教やイスラム教にも、それぞれに固有の形がある。」

「そうした文化に由来する形から、」「論理の出発点が決められる場合もある。」「いずれにせよ、論理の出発点を選ぶのは、」「論理でなく、情緒や形なのです。」

 ここで私はやっと、氏が言わんとした" 情緒と形 "の意味を理解いたしました。産業革命以降、目覚ましい文明の発展を遂げた欧米が、近代的合理精神や論理を過信した間違いを、氏が次々と指摘します。欧米諸国が、論理の出発点とした、「自由」と「平等」と「民主主義」について、疑問を呈し、その虚構を明らかにします。

  自由も平等も民主主義も、論理の赴くままにしていたら、内在する矛盾のため破綻してしまうという意見です。人々は自由を高く評価しますが、本来の自由とは、「人が自己生存のため、なんでもする自由」を指します。これをそのまま認めたら、万人の万人に対する闘争が始まり、無秩序と野蛮と混沌の世界となります。それを防止しているのが、国家であり、法の統治ですから、自由とは虚構の上にあるのだと氏が語ります。

 平等という理念の破綻につきましては、社会主義国家や資本主義国家の行き着く先ということで、述べましたので省略しますが、民主主義の虚構に関する氏の意見を引用します。

「民主主義の根幹は、もちろん国民主権です。」「主権在民です。」「最初に民主主義を実践したのはアメリカで、建国の時からそうです。」「主権在民には、国民が成熟した判断ができる、」「という大前提があります。」

「しかし国民とは、成熟した判断ができるものでしょうか。」「第一次大戦時に、サラエボ事件が起きた時点で、」「ヨーロッパの主要国には、領土問題もイデオロギー問題もなかった。」「君主や首脳で、大戦争をしようと思っていた者は、」「一人もいなかった。」「ところが国民が大騒ぎした結果、」「外交で収まりがつかなくなり、民主主義国家であるが故に、」「戦争が始まり、その結果850 万人が犠牲となったのです。」

「現在のアメリカや日本は、いずれも主権在民の民主国家です。」「国民が政治を決定する。」「それは無条件に良いことなのでしょうか。」「主権在民とは、世論が全てということです。」「国民の判断材料は、ほぼマスコミだけですから、」「事実上、世論とはマスコミです。」「言い方を変えると、日本やアメリカにおいては、」「マスコミが第一権力となっているということです。」

「ロックやモンテスキューが言い始めた、三権分立は、」「近代民主制の基本となっていますが、」「この三権すら、」「今では第一権力となったマスコミの下位にある。」「民主国家でこれだけマスコミが発達すれば、」「行政がポピュリズムに流れるのは、ほぼ当然でしょう。」

 ここまで読み、私は世の数学者に対する偏見を捨てました。無機質な数字を相手にしているから、感情の無い人間と見ていたのは大間違いでした。氏の著作を手にし、心を躍らせたことはもっと別にありますため、これで書評を終わりとする訳にいかなくなりました。不本意ながら、本日はここで一区切りとし、続きを明日といたします。

 とうとう今日も天気予報が外れ、雨の降らない一日でした。そろそろ水やりをしないと、ねこ庭の花木が私を待っているはずです。報道がないので分からないのですが、水不足だから節水しましょうと、その内マスコミが騒ぎ出すのかもしれません。まあ、その時はその時と、覚悟します。ブログで偉そうに言っていても、私の生き方は結構いい加減で、行き当たりバッタリです。

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反日朝日の凋落

2017-07-16 00:42:51 | 徒然の記

 慰安婦の「大ウソ」が発覚し、平成26年の12月に、木村社長が引責辞任しました。

 この記事のせいで、韓国が世界中に「慰安婦問題」を拡散し、日本軍の非道を宣伝しました。実態は職業売春婦でしたのに、日本軍が拉致したと騒ぎ立て、存在してもいない少女像を建てました。韓国の日本大使館前だけでも、我慢ならないのに、アメリカ、カナダ、フランスやオーストラリアなど、誹謗中傷のプレートまで付け、建てています。

 どれだけの日本人が心を傷つけられ、怒りを燃やしたと言えば良いのでしょう。全ては、反日朝日の捏造記事が始まりでした。トラックで村々へ行き、泣き叫ぶ少女たちを暴力で拉致し、慰安婦にしたと、稀代のペテン師吉田の、口からのでまかせを鵜呑みにし、戦前の日本の悪業として報道しました。

 説明するまでもないことなので、新聞の記事の経緯につきましては、省略いたします。あれ以来、朝日新聞の経営がどうなったか、今晩は中間報告をいたします。発行部数の推移を見れば、一目瞭然なので、先ずは、数字を示します。

 その前に、私の偏見についても、説明しておきます。

 ネットの情報で調べましたが、調査機関の違いにより、多くの数字がありました。どれが正確なのか、私には分かりません。マスコミの世論調査でも、朝日、毎日、産経、読売、NHKと、各社が少しずつ違った数字を平気で報道します。だから私も、異なる数字の中から、自分に一番都合の良いデータを使いました。

 どっちにしても、朝日の凋落は事実ですから、細かな数字にこだわらないこととしました。敗戦以来今日まで、朝日新聞が社会に垂れ流した「うそ報道」に比べれば、私の偏見など、取るに足りないものです。納得できない人は、自分で、ネットの情報を検索されることをお勧めします。

      [ 朝日新聞の発行部数推移  ]

            実際の部数     公称の部数

  平成26年 9月    280万部      760万部

  平成27年 8月     190万部      680万部

  平成29年 7月     100万部      630万部
 

  平成26年の9月は、木村社長が辞任した年の数字です。あれ以来、国民がどれだけ厳しい目で朝日新聞を見たか・・、この数字が物語っています。


 「遅々とした歩みだとしましても、私たちの武器は、選挙の一票です。」「共産党や民進党など、反日の議員には票を入れないことです。」

「いまひとつ付け加えますと、何度も言いますが、」「朝日新聞の購読を止めることです。」「親類縁者・友人知人に、朝日の " 反省なき暴走 " を伝えることです。」

  ブログの中で、折に触れ、私は訴えましたが、事実はそのように推移していました。「雨だれも、石を穿つ。」と言いますが、国民の一人一人が正しい選択をすれば、驕り高ぶっていた朝日だって凋落させられるという、一つの証明です。

 今年朝日新聞は、社員の年間給与を、平均で160万円カットしました。平均ですから、年代別にバラツキがありますので、働き盛りの30代の社員の例を見ます。30代の社員は、年間88万円のカットで、年収が786万円にダウンします。退職したOB社員に、今まで新聞を無料配達していましたが、これも止めました。

 赤字になったため、朝日新聞は経費の削減をやりだし、人件費にまで手をつけずにおれなくなりました。「新聞の購読中止」という、読者の厳しい処置は、間違いなく経営を直撃しています。それなのに朝日新聞の経営陣は、反省もせず、相変わらず、ご覧の通りの偏向記事を読者に届けています。

 「国民の声に耳を傾けない安倍政権は、反省が足りない。」などと、記事を書く暇があったら、自分の会社の反省から始めなさいと、言いたくなります。どこまで厚顔な新聞社なのでしょう。

 更にネットの情報で、押し紙ということも知りました。新聞社が、新聞販売店へ、無理やり押し付ける新聞紙のことです。実際の発行部数の30パーセントが、押し紙だと言われています。偉そうに沢山の正論を記事にしていながら、新聞社がやっているのは、弱い者いじめの、押し売り商売です。新聞販売店へ届けられた押し紙は、タダでなく有料ですから、「店の責任」で、処置しなくてはなりません。販売先を増やすか、増やせなければ廃棄するか、どちらにしても、代金は新聞社に納めさせられます。

 どうでしょう、これが「弱者の味方」と大きな口を叩く、新聞社がやっていることです。これだけではありません。新聞社の広告料は、発行部数をもとに決められます。同じサイズの広告を掲載しても、発行部数の大きな新聞社は、高い広告料を手にします。つまり朝日新聞社は、二重の意味でスポンサー企業を騙しているのです。

 実際の部数と、公称の部数がそれです。広告料金は「公称の部数」で決まりますから、朝日新聞の例で言いますと、実際の部数の約三倍の広告料金を得ています。ここに、更に押し紙の30%が加わります。

 つまり、新聞販売店が廃棄処分にしている「押し紙」は、誰にも読まれない「紙くず」です。良心的な商売をする会社なら、押し紙の30%は、本来値引きするのが正しいのです。朝日がやっていますのは、正真正銘の「詐欺商売」です。他社もやっているから、何が悪いと、居直っているのでしょうが、日本のクオリティーペーパーと自負する新聞社が、なんと「悪どい」商法をしているのでしょう。

 おそらくスポンサー企業は、こうした事実を知っているはずです。「社会の公器」だとか、「社会の木鐸」であるとか、「より良い社会を作る」とか、新聞社が高尚な演説ばかりします。、政治家にでも、政府にでも楯つくので、「触らぬ神に祟りなし。」と、スポンサーも諦め、これまで黙認していたのです。

 公称部数や押し紙は、新聞業界の公然たる闇でしたが、朝日の凋落が進めば、目ざといスポンサー企業が、このまま黙っているでしょうか。

 どうなりましても、国民の「不買運動」は、朝日新聞に限って言いますと、成功しつつあるということです。この会社が「倒閣」を社是としているのなら、「朝日の倒産」も、このまま国民運動にして続けましょう。

 私のブログを訪れる皆さんには、朗報でないかと思いますが、しぶとい朝日新聞は、国を大切にする保守を、ネトウヨとか、右翼とか、レッテルを貼り、攻撃しますので、気を緩めてはなりません。

 朝日が倒産したら、次はもっと大きな反日の伏魔殿、NHKです。見ても見なくても、国民から受信料をむしり取り、社員に高給をばら撒き、定年後の就職先として多くの子会社を持ち、やりたい放題しているNHKを、何とかしなくてはなりません。でも、今日はここまでとします。

 とうとう今晩も、12時を過ぎてしまいました。水不足の庭に、明日は早起きして、水撒きをしなくてなりません。急いでベッドに転がるといたします。お休みなさい。

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太平洋戦争99の謎

2017-07-13 13:46:42 | 徒然の記

 出口宗和氏著「太平洋戦争99の謎」(平成7年刊 二見書房)

 氏は昭和20年に大阪生でまれ、立命館大学で中国思想を専攻していましたが、学園闘争で同大学を中退し、出版社に勤務します。その後博覧会のプロデュース活動をおこない、横浜博、花の万博、韓国国際博などを手がけています。

 博覧会のプロデュースという職業について、そんな仕事があるのか、私は知りませんので、略歴から氏の人物像を得るのは困難でした。しかし、学園紛争で大学を中退するというのですから、学生運動家だったという推測はできます。氏の人物像に拘っていますのは、読後の感想がとても不愉快だったからです。先に読んだ福田、野原両氏も反日の左傾思想を持っていましたが、玉音放送を聞いた愛国少年だった両氏には、戦前の政府や軍部を憎む理由がありました。

 しかし出口氏は、私より1才年下ですから、戦前の記憶は皆無でしょう。反日になる動機といえば、日教組の教師による日本否定の授業を受けたか、朝日新聞の平和・人権の記事を読んで影響されたか、せいぜいそんなものでしょう。同じ本を読み、他人の話を聞いても、一旦強い思い込みをすると、全部曲がって受け止めてしまうという、その最も良い例がこの本です。

 大東亜戦争につきましては、その始まりからして複雑な要因が絡み合い、入り組んだ事件が錯綜しています。敗戦後の日本を、「間違っていた軍」「間違っていた政府」「悪意の軍人」という結論から眺め、そうした事実ばかりをつなげていけば、氏のような意見が導き出されます。沢山ある事実の中から、自分に都合の良い話だけを並べるのですから、「間違った戦争」でも、「悪意の軍人」でも、思うままに描き出せます。

「太平洋戦争99の謎」という項目の中には、私が始めて知る事実もありましたが、多くは既知の話を反対側から眺めているような、故意の悪意が目立ちました。例えば、日中戦争についての次の記述です。

「昭和12年に、日華事変が勃発したが、これは事変だった。」「事変というのは、正式な国家間の戦争ではない。」「帝国日本から言えば、膺懲なのだ。」「つまり、懲らしめることなのである。」「支那を膺懲する、何とも身勝手で、思い上がった理由だ。」

「蒋介石政権が、日本が勝手に作った満州国を認めない。」「だから膺懲する、理由はそれだけだ。」「そして、中国のあらゆる利権を食い物にしようとした。」「これが日本と中国の戦争である。」「これを支援したのが、米英蘭。」「太平洋戦争は中国問題で始まるが、」「陸軍の中国侵略が全ての発端だったと言える。」 

「太平洋戦争99の謎」の中の、76の部分ですが、氏がいかに無知であるかを示す叙述です。先日私は、臼井勝美氏の書かれた「満州事変」の書評を、ブログにしました。氏は大正13年に栃木県で生まれ、京都大学を卒業後、最後は筑波大学名誉教授となっています。大正・昭和初期の日中関係史の重鎮であり、外務省で外交文書の編纂にも従事したと言われています。

 ここで、臼井氏の説明を再度転記します。

「宣戦布告し、戦争だとハッキリさせると、米国が中立法に従い、」「石油の輸出を禁止するので、これを恐れ、政府は事変という言葉を使った。」「日中とも同じ事情で、米国の輸出禁止を警戒していたため、双方が戦争と認めるのを嫌った。」

 事実はこうだったのです。ついでにその時の私の意見を、これも再度転記します。

「 実態は戦争なのに、当時は何故か「事変」と呼んでいました。」「戦争を事変などと言っているのは、」「日本軍が、いかに中国を蔑視していたかという事実の現れであると、」「昔読んだ本では説明されていました。」「日本の軍人や政治家たちが、あっと言う間に中国を破るという力のおごりが、」「こうした言葉を使わせたと書いてありました。」

「今日までそれを信じてきたのですが、臼井氏の著作を読み、あれが偏見に満ちた本だったと分かりました。」

 そして再び、本日私は、出口氏の偏見に満ちた本を手にしたという話です。まして満州国の進出につきましては、出口氏のような、単純化した説明は間違いです。満州国成立の前段階で、孫文は、日本が共産党を倒し、中華民国の設立に手を貸してくれるなら、満州は譲渡するという口約束をしています。

 中国の国父と言われる孫文は、蒋介石の先達であり、中華民国の初代総統でもあります。当時の満州は、果てしなく広がる荒野で、治安も悪く、ほとんど人が住めない土地でした。欧米諸国は、むしろ日本の進出を歓迎し、黙認していました。彼らもまた、植民地における中国人の暴動に悩まされていましたし、なによりも、日本が満州でソ連と対峙してくれることを歓迎していました。

 そうしたことを何も知らないのか、故意に省略しているのか、日本への悪意と、偏見の悪臭が立ち昇るので、忍耐を要する読書でした。過ぎ去った昔を、後から批判するのは簡単です。いろいろな事実が分かった現在の目で、過去の事象をあれこれ語るのは、無責任な素人談義に過ぎません。デマやゴシップを売り物にする、三流週刊誌の記事みたいな本で、売れれば儲けものだという作者の意図だったのかも知れませんが、こんな悪書が流通しているのですから、酷い話です。

  99の馬鹿話を紹介する愚行は致しませんが、「まえがき」に書かれた、出口氏の主張だけを紹介しておきます。何を根拠にこんな断定をしていますのやら、恥知らずな氏です。福田・野原氏と同じ左傾思想の持ち主と言いましても、出口氏には国を大切にする心が、カケラもありません。

「太平洋戦争における戦闘・作戦は数百を超える。」「だがそれらのいずれもが、戦闘に対する危機管理は微塵もみられず、」「ひたすらエンドレスの破滅への道を選択するしかなかった。」「典型的な危機管理の欠如、これが太平洋戦争の教訓であった。」

「歴史のイフは、許されない。」「しかし、歴史の教訓は常に學ばなければならない。」「人命尊重が先行させられていたら、太平洋戦争の膨大な犠牲はなかったし、」「あるいは、戦争そのものも、なかったのかもしれない。」「今日も阪神大震災の惨禍を見るにつけ、」「太平洋戦争における、歴史の教訓を改めて知らされる思いがした。」

 22年前の阪神大震災の時、出版されたのだと分かりますが、その後でさらに大きな、東日本大震災が起きています。氏の理屈でいきますと、太平洋戦争での歴史の教訓を學ばないから、危機対応ができていないという話なのでしょう。

しかし私の耳には、別の意見も届きます。阪神淡路大震災の時の総理は、社会党党首の村山富市氏であり、東日本大震災時の総理は民主党の菅直人氏でした。どちらも反日政党だったから、自衛隊を敵視し、出動要請が遅れたため、被害をさらに大きくした・・・・、というものです。

 何も、大東亜戦争まで話を持っていかなくとも、災害の被害を大きくした原因は、氏のような反日思想にあると、そんな簡単な話ではありませんか。こんな胸糞の悪い本は、資源ゴミとして再生する価値はありません、本多勝一の「南京の旅」と同じ扱いにし、野菜くずや、その他の生ゴミと一緒にして、ゴミステーションに打ち捨てます。

 

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戦後教育五十年

2017-07-09 19:29:03 | 徒然の記

 野原明氏著「戦後教育五十年」(平成7年刊 丸善ライブラリー)を、読了。

 偶然本棚から取り出した本が、続けて、戦後教育に関する書でした。福田氏の本と同様、文庫本で、180ページしかありませんので、一気に読みました。普段は著者の略歴に目を通し、それから読むのですが、今回は先に本を読みました。

 福田氏より6才年下の野原氏は、福田氏と同じ大阪で生まれ、同じ京都大学へ進んでいます。昭和33年、大学卒業後に朝日放送の記者となり、その後なぜかNHKへ移り、解説委員となっています。退職後は、文化女子大学教授、帝塚山学院大学客員教授などを、歴任しています。

  氏の本は、昭和天皇の玉音放送で始まります。

  「50年前の8月15日、当時国民学校4年生で、」「田舎の寺に集団疎開していた筆者は、」「村の有力者である農家の庭に整列して、」「ラジオから聞こえてくる、昭和天皇の玉音放送を聞いた。」「雑音が多く、聞き難い放送だったが、どうやら、」「戦争が終わるらしいことは、感じられた。」

 「昨日まで、日本は神の国であり、」「鬼畜米英と教えられていたが、今日は、」「日本は間違った戦争をしていた、」「アメリカやイギリスの民主主義に、学ぼうというのだから、」「子供心にも、矛盾を感じるのは当然だった。」

 「教科書の軍国主義的な文章に、墨を塗り、伏字だらけなものにし、」「それまで、絶対に誤りがないと、信じていた教科書までが、」「信じられないものになってしまった。」

 福田氏が高校教諭として、現場での実践から本を書いているのに対し、野原氏は、ジャーナリストの立場から、日教組と文部省の闘争史を中心に、著作をまとめています。

 両氏の共通点は、戦前の日本を間違ったものとして否定する、思考です。高い価値を置くのは、アメリカがもたらした「平和」「人権」「自由」と、「戦争放棄」の理念です。

 本が出版された平成7年(1995年)は、氏の説明によりますと、画期的な年です。

 「今年日教組が、自由民主党との和解に続き、」「文部省との間で、協調路線をとるということを、」「運動方針の中で、明らかにするに至った。」「これまでの反対、阻止、粉砕の路線から、」「参加、提言、改革の路線に、名実ともに転換しようというのである。」

 平成7年に、こんな大転換がされたことを、私は知りませんでした。この本は、日教組の歴史的転換を節目として、出版されたのです。

 今にして思えば、日本国憲法も、日教組も、戦後のあの時代、敗戦の衝撃で挫折した国民に、明日への希望を示唆し、自己主張することの大切さを教えました。多くの流行が、時代とともに変化しますが、日本国憲法と日教組も、日本という土台に接ぎ木された、あだ花でしかなかったのでないかと、私は思います。

 年月が経過し、日本の土壌に、本来の花木が再生しますと、接ぎ木はもう要らなくなります。役割を終えた接ぎ木は、余計なものとなった。というより、日本古来のものの生育を阻害する、やっかいな外来思考として、なってしまいました。

 福田氏にしても、野原氏にしても、正直で、一途な人間だったため、敗戦後の衝撃から、抜け出すことができなかったのでしょうか。勝った勝ったという大本営の発表や、神国日本の聖戦だと国民を鼓舞した政府が、間違っていたと否定されたのですから、怒りや憎しみが生じるのも、理解できます。

 敗戦後40年が経過し、多くの情報が公開されるようになっても、それでも、玉音放送の呪縛から逃れられない両氏に、私は同情します。

 「日本だけが間違っていた。」「日本だけが、悪の戦争をした。」・・このレッテルは、連合国が日本を裁くために作った、プロパガンダでしたのに、両氏は気づきませんでした。あの戦争は、互いが権謀術数を巡らせ、相手も負けずに悪かったと、その常識にまでも、戻れませんでした。

 こう言う私も、中学生だった頃から、朝日新聞の、恵まれない人々への思いやりや、虐げられた者への愛など、数え切れないほどの記事を読みました。こんな立派な新聞社があると、誇りにさえ思っていました。

 行方不明だった共産党の伊藤律氏と、会ってもいないのに、会見記事を大スクープにしたり、サンゴ礁に自分が傷をつけていながら、環境破壊と捏造の写真を掲載するとか、それでも私は、定期購読を続けていました。

 朝日を止めたのは、あの慰安婦報道の捏造があったからです。嘘の記事を韓国が真に受け、日本への悪口雑言を繰り返したので、やっと目が覚めました。定期購読者だった、あの40数年間を振り返ると、両氏ばかりを責められない自分がいます。

 しかし両氏には、日教組につき、いろいろ教えてもらいました。

 「日教組は、総評とともに、ストライキ権の奪還を目標に、」「実力行使を拡大していくが、組合幹部への処分が増え、」「救援のための組合費負担が大きくなり、」「無関心層の増加も手伝い、組織率が大きく低下していく。」「昭和30年代に約90パーセントだった加入率が、60年代には50パーセントを切るに至る。」

 こういう話は、初めて知りました。しかし、最も大きな変動があったのは、昭和57年に行われた、労働戦線の統一問題でした。

 要約しますと、「連合」に加盟するか否かで、日教組の執行部が割れてしまったのです。賛成する社会党系の組合と、反対する共産党系組合の対立が、激しい抗争となります。

 同じ左翼といっても、路線の対立は深刻で、原水爆反対運動ですら、今では、社会党系と共産系の二つの団体が、いがみ合いつつ運動しています。平和や人権と口で言いながら、殺人も辞さない内部抗争をするのが、左翼団体の特徴です。

 日教組内での対立は、400日にも及び、「400日抗争」と呼ばれています。結果として、日教組は二つに割れ、主流派の社会党系の組合が「連合」に加盟し、反主流派の共産党系組合が「全日本教職員組合協議会(全教)」という、おそろしく長い名前の組織を立ち上げます。

 日教組は、全教に加盟した組合を、除名処分で対抗し、ここでやっと、日教組の路線変更の話につながります。

 「反対、阻止、粉砕の路線から、」「参加、提言、改革の路線に転換した。」背景には、過激な共産党が抜けたという事実がありました。社会党だって、当時は何でも反対の党でしたが、共産党はもっと過激で、破壊、粉砕の政党でした。

 社会党でも共産党でも、マルクス主義を信奉する限り、私には、同じ反日・亡国の党ですが、野原氏の考えは違います。戦いを放棄するのは正しいのかと、むしろ協調路線に疑問を呈しています。

 ここで参考資料として、「日教組の組合綱領」と、「教師の倫理綱領」を、転記致しましょう。こういう時でないと、わざわざ目にする機会がありません。

   [  日教組の組合綱領  ]

 1. われらは、重大なる職責を完うするため経済的、社会的、政治的地位を確立する。

 2. われらは、教育の民主化と研究の自由の獲得に邁進する。

 3. われらは、平和と自由とを愛する民主国家の建設のため団結する。

 

    [  教師の倫理綱領  ]

 1. 教師は日本社会の課題に答えて青少年とともに生きる。

 2. 教師は教育の機会均等のためにたたかう。

 3. 教師は平和を守る。

 4. 教師は科学的真理に立って行動する。

 5. 教師は教育の自由の侵害を許さない。

 6. 教師は正しい政治を求める。

 7. 教師は親たちとともに社会の退廃とたたかい、新しい文化をつくる。

 8. 教師は労働者である。

 9. 教師は生活権を守る。

10. 教師は団結する。

  左翼系の政党が目標としたのは、ソ連と中国・北朝鮮でした。社会主義の本山だったソ連が崩壊し、後には、国民を弾圧する独裁国家の中国と北朝鮮が残りました。このまま推移すれば、日教組は、獅子身中の虫を育てる、「お花畑」でしかなくなります。

 長くなりましたが、結論は、この本も「日本に害をなす悪書」だ、ということです。資源ゴミとして、迷わず金曜日に処分いたします。

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おやじの国史とむすこの日本史

2017-07-08 08:40:14 | 徒然の記

 福田紀一氏著「おやじの国史とむすこの日本史」(昭和52年刊 中央公論社)、を読了。

 氏は昭和5年に大阪で生まれ、昭和28年に京都大学を卒業後、大阪明星学園の教諭となっています。私より14才年長で、存命なら87才です。この本は、高校の教師をしていた現役時代に書かれたものですが、私の期待が外れました。

 日本史の教師として、とても真面目な内容ですが、200ページの著作の半分の100ページは、大学受験のためのハウツウ本でした。一生の大事である受験を前にした高校生に、日本史の勉強方法は、どうすれば良いのか。どのように整理すれば、効率良い勉強ができるかなど、現場の教師らしく、丁寧な説明が書かれていました。

  敗戦になった時、氏は17才ですから、現在で言えば高校の二年生です。当時の私は数えの3才で、母の背に負われ、満州から引き揚げている頃です。大勢の人と貨車に乗っていたことや、雨が降ると大人たちが荷物の陰に押し込んでくれたことなど、ほんの断片しか覚えていません。しかし氏は、天皇陛下の玉音放送を聞き、おぼろげながら、日本が戦争に負けたらしいことを理解した、と書いています。当時の事情が具体的に、沢山語られているのだと期待しました。

 「僕は君たちに、意地悪な試験問題を押し付けて、」「できない、できないと、責め立てているけれど、」「問題が出来なかったから、自分はダメだと、思ってもらいたくない。」「また問題が出来たからといって、」「自分はエライと思ってもらいたくないんだ。」

 「僕自身、クラスの50人が束になってかかってきても、」「撫で斬りにできる自信はある。」「だから、こうやって、教壇で日本史を教えている。」

 「今の高校の授業内容は、難しすぎる。」「それは大学入試が難しいからであり、」「大学入試こそ、高校教育を歪める諸悪の根源である。」「その事実は肯定せざるを得ないけれど、」「多くの現場の、高校の日本史教師たちは、そんな状況の中で、」「歴史を正しく教えようとする立場を、」「崩していないのではなかろうか。」

 と、これはごく一部の引用ですが、真摯だとしても、私には陳腐な意見にしか受け取れませんでした。真剣な内容でも、心に響かないのは、氏の言葉に、何かが欠けているのではないかと、そんな気持ちになりました。

 「戦前の国史の授業では、国民は常に天皇に忠誠であって、」「逆賊は、必ず何らかの形で倒される。」「国外にあっては、日本軍は、必ず不利を克服して勝利を収め、」「外国の民衆は、天皇の軍隊である日本軍を敬愛すると、」「教えられねばならなかった。」

 「昭和17年の頃なら、教師がもしそのような授業をしなければ、」「国の法律で、命を奪われることも覚悟しなければならなかった。」「命より前に、ひどい拷問や、」「社会的制裁が加えられるはずであった。」

 「日本が敗戦し、連合国に支配され、」「天皇が、マッカーサー司令官を訪問し、」「二人で並んで写真を撮った事件は、」「日本の国史教育を、根底から覆すものであったと言って良い。」「私自身、日本の国史教育に愛想を尽かし、」「そのような教育をさせた国家にも、愛想を尽かした。」「同じ経験を持つ人は、きっと私以外にも、沢山いるに違いない。」

 「戦争中に、小学校から旧制高校の生活を送った人なら、」「敗戦により、大なり小なり、」「挫折した体験を持っているはずである。」「一切が敗戦とともに断ち切られ、」「今まで自分が築いてきたものが、全て失われたと感じた人がほとんどだったのではないか。」

 「それまで正しいとされていたものが、突然間違いであったとされ、」「悪であったものが、善に変わった。」「転換できないで滅んでいく友人たちを、僕は数多く見た。」「あのような転換の中での苦悩こそが、」「ほんとうの戦争体験であったという、気がしてならない。」「世の親父さんたちが、戦争体験を息子に語ろうとするなら、」「自分の敗戦体験と、」「その後に続く、自己の再発見の道をこそ語るべきだと、」「私は考える。」

 敗戦国となった時、日本人が、どれだけの衝撃を受けたか、体験はありませんが、想像はできます。同様の苦悩を書き記した、本や雑誌や新聞記事を、沢山読みました。私のような幼児には無関係でしたが、当時の青少年の多くは、挫折や失意に打ちひしがれたのだと理解できます。

 政治家も学者も文化人たちも、新聞もラジオも、「日本が間違っていた。」「日本が悪かった。」「一億総懺悔だ。」と、声を揃えるのですから、国民の多くがそうなっても不思議はありません。氏の意見も、嘘ではなく、偽りのない実感だと思います。

 幼児だった私と、青年だった氏との、年齢差がそうさせるのか。あるいは、持って生まれた人間性が違っているのか。本も読まず、歴史の知識も乏しい生徒でしたが、中学生になった私は、戦前の日本を否定する授業に疑問を抱きました。日本を悪として否定する教師にも、反発いたしました。日本の軍隊がやったことは、教師が語るような酷いものだったかもしれませんが、戦争ならばお互い様でないかと、出発点は単純な反応でした。

 「日本の先生が、日本の中で、国をけなすような授業を、堂々としている。」「日本て、いったいどういう国なんだろう。」「世界に、こんな国があるのだろうか。」

 私の中で疑問が膨らみ、やがて、そんな授業ばかりをする、日本史の教師と、社会科の教師を、軽蔑し、憎むようになりました。

 「そんなに日本が嫌なら、」「先生は、アメリカでも、ソ連でも、中国にでも、」「どこにでも行って、住めばいいんだ。」

 口に出しませんでしたが、内心ではそう思っていました。別に得た知識からくる反発でなく、日本人としての気持ちでした。私は中学校と高校を、そんな思いで過ごしました。だから私は、著者と同じ日本人ですが、戦後というものについて、違った受け止めをし、異なる意見を持っています。

 それより私は、こうした意見を持ち続ける氏に対し、違和感を覚えます。私の両親が、あるいは多くの大人たちが、高等小学校しか出ていなかった時代に、京都大学を卒業したと言うのですから、氏は相当なインテリの一人です。敗戦時の衝撃が強かったとしても、以後30年経ってもなお、このような意見しか持ち得なかったのか、という違和感です。

 日本を否定する言葉の過激さに、眉をひそめ、踏みにじられる日本に無念も覚えないまま、氏は教師の仕事を続けたのでしょうか。中学生の私ですら感じた疑問を、一生抱かずに終えた氏に対し、私は首をかしげます。

 会社の仕事を辞め、年金生活者となり、本を読みだして、まだ五、六年しか経過していません。確かに、氏のように敗戦をとらえ、日本を憎むようになった人間が沢山いました。しかし、占領統治に疑問を持ち、変節した指導者に、怒りを燃やした人物も多くいたという事実も、同時に知りました。

 GHQの管理下では、日本を肯定する意見が、全て抹殺されました。これまで私が、国を愛する本に出会わなかったことは、GHQの統治の目的が、徹底した日本精神の抹殺だったと、今は理解しています。多くの庶民は、廃墟となった国で、暮らしを守るだけで精一杯でしたから、GHQのことは知らず、気づきもしなかったのだろうと、私は考えます。

 だが氏は、こうした著作まで出版しているのですから、単なる庶民ではありません。むしろ氏は、敗戦後に無数に生まれた「お花畑の住民」の一人でなかったかと、これが私の理解です。いつものように厳しく反論せず、批判しないのは、氏の人柄にあります。

 反日・左翼系の人物の本は、紋切り型の日本攻撃文が際限なく続きます。上から目線の日本断罪が行われ、書いている人物は、本当に日本人なのかと不愉快になる程、一方的な話で終始します。そうした本に比べますと、迷いつつ、ためらいつつ、真摯に言葉を綴る氏に、敬意の念さえ覚えました。

 己の無知に気づかない氏だとしても、そこにはまだ、納得できる真剣さがありました。いわば氏は、覚醒することを忘れた、勘違いの善人です。それだけに、厄介で、有害な「獅子身中の虫」の仲間であり、「駆除すべき害虫」の一人だとも言えます。

 氏のような人物が、国の安全保障をないがしろにし、共産党や民進党の反日に賛成し、政府攻撃のデモ行進に参加します。勘違いしているだけに、手に負えない、「えせ平和主義者」にも変貌します。

 やはりこの本は、資源回収日のゴミとして、迷わずに処分できそうです。

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