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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

わだつみ会編『戦没学生の遺書にみる15年戦争』

2017-07-30 20:09:21 | 徒然の記

 わだつみ会編『戦没学生の遺書にみる15年戦争』( 昭和38年刊 光文社 ) を、読了しました。

  私は以前に、昭和24年出版の『きけわだつみのこえ』を読んでいましたので、頭を整理するため、戦没学生の手記を集めた本が、これまでどのように出版されてきたのかを調べてみました。

  1.  『はるかなる山河に』       昭和22年 東京大学協同組合出版部 東大生のみの遺書

  2.  『きけわだつみのこえ』      昭和24年 東京大学協同組合出版部

  3.  『戦没学生の手記に見る15年戦争』 昭和38年  光文社 

   この本は、後に『第2集きけわだつみのこえ』と改題されました。

  今私は、3の『戦没学生の手記に見る15年戦争』を読み終えた訳ですが、調べてみますと、興味深い事実が分かりました。1の『はるかなる山河に』は非常な反響を呼び、当時のベストセラーになっています。昭和22年に初版本が出ますが、昭和24年には第5版が印刷されています。

 しかしこの本に対し、東大だけが大学ではあるまいとの批判が巷からあったため、東大協同組合出版部は、全国の大学生を対象として遺書を広く募集し、昭和24年の『きけわだつみのこえ』として編纂しました。書名の由来につきましては、ネットの説明をそのままに転記します。

  ・学徒兵の遺稿を出版する際に、全国から書名も公募し、応募のあった約2千通の中から、京都府在住の藤谷多喜雄のものが採用された。

  ・藤谷応募作は、 「はてしなきわだつみ」であったが、それに添えた応募用紙に、

   なげけるか いかれるか はたもだせるか 

    きけ はてしなきわだつみのこえ    という短歌を添付した。 

 ということで、短歌から、『わだつみのこえ』が取られたと言います。「 わだつみ 」が、今では戦没学生をあらわす言葉のように使われていますけれど、元々の意味は「海神」を意味する古語でした。「海神」の読み方は、「わだつみ」「わたつみ」「うながみ」があります。

 こうした学徒の遺書を扱った本の過去を、わざわざ調べる気になりましたのは、上記2.と3.の内容が、微妙に違っていると感じたためです。

 簡単に述べますと、2の「わだつみのこえ」には、日本精神主義的な学生の遺書や、戦争肯定に近いような遺書がほとんどなかったのに、3の「戦没学生の手記に見る15年戦争」には、日本賛美や肯定の遺書が混じっていたからです。

 ネットの情報によりますと、「東大協同組合出版部」は、戦没者遺族が編集に携わっていたこともあり、昭和24年の編集方針として「平和への訴え」を掲げ、遺書の言葉が、戦後の反戦平和運動のスローガンに利用されたと、書かれています。

 日本が「サンフランシスコ条約」に調印し、独立するのが昭和26年ですから、『きけわだつみのこえ』が出版された昭和24年当時は、GHQが日本を統治していた時です。

 出版物にはGHQの検閲が入り、戦争を肯定する言葉や米軍の批判は削除されました。従って、すべての遺書が「反戦、平和」「軍国主義の否定」で編集されても、致し方なかった事情があります。

 けれども、昭和38年『戦没学生の手記に見る15年戦争』の編集に際しては、右翼的表現や日本主義的言辞が含まれた手記も、事実として採録されることとなりました。つまりマスコミの良心であるべき、両論併記です。

 死を前にして、学生たちがどのように考え、何をしていたのか。右も左も区別せずそのまま掲載し、判断するのは読者だとしました。

  平和への訴えを編集方針とした『きけわだつみのこえ』は、軍国主義的潮流のあった当時、戦陣訓世代と呼ばれていた人々に大きな衝撃を与え、世代の評価を覆すという働きをしました。

 テレビでも新聞でも出版でも同じですが、一方に偏した方針で情報が発信されると、どれほど世間を惑わせるのか、昨今の「森友・加計問題」ばかりでないことを再認識させられます。

 次は私が直近のネット情報で拾った、『きけわだつみのこえ』だけを読んだ読者の感想文です。参考のため、なるべく省略せずに紹介します。

  ・最近は、想像力の乏しい若者が多い。

  ・戦争がいかなる悲劇かをよく考えないで、日本に集団的自衛権の行使を認めるべきだとか、交戦権を認めるべきだとか、核武装するべきだとか、好戦的な主張をする人がいる。

  ・それ自体は、今の日本では思想の自由を侵してはならないから、許されることなのだ。残念ながら。

  ・日本を戦争が出来る国に逆戻りさせたいと考える、思想の自由は認める。しかし、そう主張する前に、「きけわだつみのこえ 」 は読むべきである。

  ・故・上原良司氏の文章を読めば、戦争になると、国家は個人に対して、どんなにやりたいことがあっても、どんなに大切な家族がいても、死ぬことを強要する、と言うことが分かる筈である。

  ・22歳にしてこれほど、思想を錬磨した優秀な人材が、何千人も無駄に死なされたのである。

  ・それが戦争である。かかる悲惨が繰り返されて良いとは私には思えない。

  ・上原氏の文章を読んで、なお、「戦争をしたい」という人は、気の毒だが知能が低いか、人間の悲しみを理解する感受性が。欠落しているのではないかと思う。

  ・上原氏の遺書は、何百ページにもわたる『きけわだつみのこえ』の、最初のたった一文だけである。

  ・このあと、延々と、涙なくしては読めない文章が続く。それでも、戦争をしたいのなら、戦争になったら、まず自分から志願して下さい。と申し上げる。 

  この意見をネットに載せた人物が、どのような人なのか、年令も職業も知りません。『きけわだつみのこえ』を学生時代に読んだ私は、反戦・平和を願う気持ちに駆られ、亡くなった学生に深く同情いたしました。

  確かに、涙無くしては読めない遺書でした。

 この人が、両論併記の『戦没学生の手記に見る15年戦争』を読んでも、なおこうした意見を述べられるのかどうか。

 この人が「お花畑の住民」の一人なら、変わらない主張だと思いますが、もしも自分の国を大切にする人間なら、こんな一面的主張はしないはずです。どうやらこの人は、戦前の日本の歴史を、あまり知らない人物のようです。

 過酷な国際社会と、安全保障の重要性が理解できない無知に気づこうとせず、保守の人々を「戦争をしたがる者」と決めつけ、低脳とまで断定するのですから、その粗末な知能を憐れみます。

 歴史の知識がないため、偏向した書に心を奪われ、恥ずかしい意見とも知らずに述べています。マスコミの情報操作の恐ろしさが、こんな書評でも証明されているということでしょうか。

 蛇足ながら付け加えますと、岩波書店は『わだつみのこえ』を文庫本等で、何度も自社出版していますが、両論併記の『戦没学生の手記に見る15年戦争』の出版は断りました。

 良心的左翼、人道的平和主義を標榜する岩波書店は、一度決めたら、反日・亡国の主張を捨てません。朝日新聞と同じ体質なのです。結局、光文社のカッパブックが引き受けて出版しています。

 当初の出版では、GHQの検閲が厳しかったため、戦没学徒の遺書も米国非難や、日本賛美の言葉が削除されたり、書き改めたりされました。

 日本が独立した後、戦没学生の遺族が、遺書を修復し、原文に直して欲しいと岩波書店に訴え、裁判まで起こしました。このような事実は、ほとんど報道されませんでしたから、国民は知りません。「報道しない自由」を含め、戦後の腐れマスコミの歴史が、どんなに長く続いているかが分かります。

 今回のブログは中身に言及せず、出版された時代と背景について述べ、書評としては例外になりました。両論併記の『戦没学生の手記に見る15年戦争』に興味のある方は、図書館でお借り下さい。

 そろそろ庭の水撒きの時間です。暑い日が続きます。マスコミの捏造の歴史の長さが、私をいっそう暑苦しくいたします。

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加計学園に関する閉会中審査

2017-07-25 18:16:30 | 徒然の記

 正しくはなんと呼ぶのか知りませんが、国会閉会中の特別審査の動画を観ています。率直な意見を言えば、与党も野党もマスコミも、政治をおもちゃにするのは、もういい加減にして欲しいという気持です。

 国会は国の重要な諸課題を、与党と野党が真剣に討議する場所のはずなのに、犯罪者を詰問し、追求する刑事部屋のようなやり取りが、いつ果てるともなく続いています。

 野党は国民のためと称し、

 「説明責任を果たせ。」

 「疑惑を払拭せよ。」

 と、政府を追求しています。相手を怒らせて失言を誘い、辻褄の合わない言質を取ろうと、民進党の議員の見え透いた質問に、聞いているだけで嫌悪を覚えます。

 いつから国会は、犯罪者を詰問する警察署になったのか、私は国民の一人として、議員諸氏に猛省を促したいと思います。

 安倍政権を倒したいというそれだけの理由で、国の未来への政策も掲げず、国を憂える国民に目を向けず、パフォーマンスだけの野党は、恥を知れと言いたい。こんなことで倒れるような安倍政権なら、倒れても構いませんが、野党が倒閣のため掲げている看板は、焦点がずれていることだけは指摘しておきます。

 森友問題、加計問題、そんなものの追求では、国民の賛同は得られません。

 先日ブログで取り上げたので、繰り返しになりますが、そこにあるのは「政治家の道義的責任」だけで、違法行為はありません。

 これで総理を辞職させたいのなら、現在の野党がしていることは「印象操作で、世論を騒がせる。」だけの「政争」です。

 私が安倍総理を支持しているのは、「憲法改正」と「女系天皇反対」の二つです。これが、日本が直面している最大の問題です。本当に安倍内閣が倒したいのであれば、野党はこの問題で追求し、国民に訴えるべきです。

 来る7月の27日には、また北朝鮮がミサイルの実験をするという噂が流れています。また中国は尖閣の領海だけでなく、長崎の対馬、福岡の沖ノ島の領海へも公船で侵犯しています。

 北朝鮮にも中国に対しても、有効な防衛手段が取れないのは、「日本国憲法」の不備のせいです。国の安全保障のため「憲法改正」が必要だから、国民が安倍政権に多数を与えています。その安倍政権が倒したいのなら、「国民の気持ちに添いたい。」というのなら、この問題で国会論戦をすべきです。

 国会の場で議論をせず、論戦の相手の持ち物や、服装や、友人関係といった、およそ関係のないことで難癖をつけているのが、現在の野党です。国民を惑わせる野党は、卑怯者の集まりと私は考えます。

 人権、平和、国民主権と大口を叩くのなら、野党は安倍政権の「種子法」の改悪や、「水道事業の民営化」が、どれだけ国民に災いと危険をもたらすかを追求すべきです。

 あるいは、中国で弾圧された民主活動家の劉氏が、病気であっても治療のための米国行きを認められず、亡くなったこと。残された夫人が、今も不当に監視状態に置かれていることなど、どうして中国へ抗議をしないのでしょう。

 安倍政権が黙っている卑怯さを、人権派の野党はなぜ追求しないのでしょう。

 こういう重要な問題を置き忘れ、どうでもよい瑣末なゴシップで国会を利用する信条の卑しさが、野党への支持を集まらせない原因です。これらをせず野党が何を言おうと、心ある国民は相手にしません。

 私は安倍政権を支持していますが、総理に対しては、腐れ野党より厳しい見方をしています。

 総理の一番の失敗は、国民から託された多数に奢り、謙虚さを忘れたことです。国民への説明を省略し、政策を推し進めている傲慢さです。「種子法」の改悪や、「水道事業の民営化」だけではありません。「TPP」についても、「カジノ法案」についても、「大量の移民受け入れ政策」についても、野党が日本を大切にする政党というのなら、攻めるべき愚策はいくらでもあります。

 「外国人土地法」もそうです。田嶋要氏は民主党議員ですが、衆議院の経産委員会で、法規制ができないかと質問しました。

 北海道や新潟や沖縄で、水源地の山林や、市街地の土地を買い進める中国や、対馬で盛んに土地を購入する韓国など、国防的観点から疑問を抱く私は、田嶋氏の国会質問に強く心を動かされました。

 現在国民の多くは、隣国である中国と韓国に対し、敵対心と猜疑心、嫌悪感を抱いています。国土法の不備を放置し、国の安全保障を軽視する安倍政権を、あの時の田嶋氏のように、なぜ追求しないのでしょう。

 昔社会党と自民党が、表向きには対立と見せながら、裏で手を結び利権を分け合った時期がありました。「55年体制」と呼ばれていますが、国民を欺く政治劇でした。肝心なことを追求せず、どうでもよいことで国会を紛糾させ、自民党の長期支配に手を貸したのが社会党でした。

 二度あることは三度あると言いますから、自民と民進はトップ同士で手を結び、かっての茶番劇をしているのではないか。これだけ不毛な国会審議を見せられますと、そんな疑念が湧いて参ります。

 安倍総理の間違いを忠告できないというのなら、自民党の幹部も、腰抜けが多いのでしょう。

 氏の最大の間違いは、細君が抑えられないというところです。

 昭恵夫人に役人の秘書をつけ、国会内に部屋を与え、ネットでは余計なことを発信させていました。、勝手気儘を放任した総理の奢りが、どれだけ国民の批判と失望を招いたことでしょう。これが今も尾を引く、総理への国民の不信感です。

 国の最大の重要事である国防組織、自衛隊の大臣に、節度のない稲田氏を任命し、不適格と判明しても庇い続ける総理に直言できる側近がいない。これでは、総理が裸の王様と野党に揶揄されても致し方なしです。無能な議員を大臣として送り込む派閥も、受け入れた総理もすべてが数に「奢り」ました。

 国民が何のため総理に多数を付託したのか、慢心がそれを見えなくしました。

 安倍政権も国民の願いを忘れ「奢り」のままでいれば、朝日新聞と同じ道を歩むことになりかねません。反日と亡国の朝日と違い、保守自民党は「国を愛する」政党ですから、反省しない安倍政権が倒れても、次の保守が政権を守ります。

 と言いましても後継者は、総理の後ろから矢を射るような、卑怯者の石破氏ではないでしょう。かと言って、中国にも韓国にも、卑屈に腰をかがめる岸田氏でもないはずです。

 安倍総理はまだ若いので、猛省すれば、長期政権になる可能性があります。私は、目の前の政治ショウに、一喜一憂しないように努めたいと思います。祖国の独立を手にするまで、500年をかけたノルウエーの辛苦を思えば、焦ることはありません。

 私が自身に望むのは、歴史の事実を自らで求め、賢い国民の一人になりたいという、ただそれだけです。

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マスコミが画策する次期総裁候補石破氏

2017-07-21 16:40:18 | 徒然の記

 平成24年石破氏は、自民党総裁選に出馬し、立候補した五人の中でトップの得票を得ました。

 過半数の得票にいたらなかったため、国会議員のみによる二回目の投票が行われました。地方票ではダントツの165票を獲得していましたが、国会議員票では89票となり、108を獲得した安倍氏に敗れました。

 この実績を思いますと、安倍政権打倒を目指すマスコミが、石破氏を担ぎ出そうとしている意図も、根拠がないと言えません。地方での石破氏への支持は、安倍総理を上回っていたのですから、可能性が無しと断定できません。

 マスコミが誉めると、疑わず乗ってしまう国民も沢山いますから、とんでもない総理が誕生する恐れがあります。

 別途調べた、石破氏の経歴を紹介します。

     ・昭和32年生まれ、自民党衆議院議員を10期
 
  ・現在石破派の「水月会」会長
 
  ・防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、自民党政務調査会長、自民党幹事長
 
  ・国家戦略特別区担当大臣、兼地方創生担当大臣。
 
   〈 石破 派 19人   〉・・衆院 18、参院 1 
 
    山本有二   鴨下一郎   伊藤達也   田村憲久   後藤田正純 
 
    古川禎久   平将明    赤沢亮正   斎藤健    冨樫博之 
 
    田所嘉徳   神山佐市   石崎徹    山下貴司    福山守   門山宏哲
 

  自民党議員としての経歴は立派ですが、私は、氏が現実に総裁となった後の日本を憂えます。氏が防衛大臣であったとき、隣国中国紙のインタビューに応えてなんと語っていたか。

  1.  第二次世界大戦は、日本の指導者たちが、何も知らない国民を騙して行った間違った戦争でした。だから私は、A級戦犯の祀られた靖国神社には参拝しません。

  2.  南京事件については、否定する日本人もいますが、30万人とか何人とか言うことは別の問題で、虐殺があったということは否定できません。

  3.  慰安婦問題につきましてはいろいろな見解がありますが、日本軍の関与は間違いありません。

  4.  戦前の日本の指導者たちが、大東亜戦争と主張したのは、侵略戦争に対する一種の詭弁です。日本は、中国に謝罪すべきです。

 渡部昇一氏が、生前この記事を読み、次の付ように語っていました。

  ・これが、日本の立場を護るべき政治家の言葉なのか。

  ・現役の防衛大臣の談話なのか、

  ・反日のプロパガンダに利用される危険性に、気づかないのか

 こうして渡部氏は当時の石破防衛大臣を、「国賊」と断じました。

 ところがつい先日、氏は韓国紙のインタビューに応じて、次のように語っています。

  ・慰安婦問題に関する日韓合意については、日本は、韓国が納得するまで努力しなければならない。

 反日の韓国がまた言いがかりをつけ、問題を蒸し返しているというのに、石破氏は韓国に迎合しています。新政権になった韓国の大統領は、石破氏の言葉に勇気づけられるます。

 この事実を知ったとき、石破氏は、共産党か民進党の議員だったのかと首を傾げました。自民党の中で「獅子身中の虫」として生息し、子分を増やし、日本の崩壊を企んでいるのは、石破氏でもあったかと驚きました。

 日本を取り戻したいと願う国民の前で、「東京裁判史観」を肯定し、「靖国神社」を否定し、中国と韓国の新聞の情報戦に協力するとは、とんでもない防衛大臣です。

 こんな石破氏だから反日のマスコミが目をつけ、利用しようとしています。

 政界には風見鶏が沢山いますが、氏も信念の定まらない政治屋の仲間です。

  ・平成5年、細川政権の時に自民党を離党し、「改革の会」に参加

  ・その後「自由改革連合」に参加し、「新進党」に加わり、

  ・平成8年、小沢一郎党首に失望し、また離党しています

 氏がいつ自民党に復党したのか、興味もないので知りませんが、政党をうろつく人間にロクな政治家はいません。自民党を飛び出して、また帰ってきた河野洋平氏が、どれだけ日本人の心を傷つけたか。忘れることができません。

 まして皇位継承問題につきまして、石破氏は、保守政治家らしくない意見の持ち主です。

  ・将来的に皇族は、悠仁親王ただ一人になってしまう可能性が否定できず、男系男子のみで皇位を継承し続けることは不可能に近い。

  ・皇室の安定的な継続を考える上で、このことに関する議論を避ける訳にはいかない。

  ・旧宮家の復活案もあるが、一般国民として長く人生を送ってきた人物を、皇位継承者とすることは妥当性に疑問がある。

  ・皇室が途絶えることは、日本の国体そのものの滅失を意味するものであり、男系男子の皇位継承を基本としつつ、女系天皇の可能性も敢えて追求するべきだ。

 亡国政治家独特の意見で、反日のマススこみが喜びそうな主張です。氏は次期総裁戦を見据え、安倍総理の背後から反撃の矢を放っています。最近の氏は、武士道精神の片鱗もない、祖国に害をなす言動ばかりです。私には、渡部氏が氏を国賊と切り捨てた気持ちが分かります。

 自民党内で安倍政権を攻撃する人々に、問うてみたくなります。

  ・安倍総理を引きずり倒した後、石破氏みたいな後継者でいいんですか。それで日本の何が守れますか。

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藤原正彦氏著『国家の品格』 - 2

2017-07-21 00:34:35 | 徒然の記

  藤原氏の「国家の品格」の続きです。

 氏の著作の一番の特色は、「武士道精神の復活」という所にあります。敗戦後の日本が失ったのは、武士道精神であり、これを復活させれば日本は再生する。そればかりか、世界に範を示す最高の国になると、簡単に言えばこれが氏の考えです。

 武士道の復活につきましては、賛成します。氏はこれで日本が世界に範を示す国となり、人類に貢献すると言いますが、私はそこまでは風呂敷を広げません。しかし元気いっぱいで、興味深い主張です。

  ・武士道はもともと、鎌倉武士の 「戦いの掟」 でした。いわば戦闘の場における、フェアプレイ精神をうたったものと言えます。

  ・鎌倉時代以降、260年続いた平和な江戸時代において、武士道は武士道精神へと洗練され、物語、浄瑠璃、歌舞伎、講談などを通して、町人や農民にまで、行き渡ります。

   ・武士階級の行動規範だった武士道は、日本人全体の行動規範となっていきました。この中には、慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが盛り込まれています。

  ・惻隠とは、他人の不幸を感じ取る敏感さです。それに加えて、名誉と恥の意識もあります。名誉は、命よりも尊い。実に立派な考え方です。この武士道精神が、長年、日本の道徳の中核をなしてきました。

  二年前に私は、岬龍氏の著「武士道」を読みました。

 明治時代に出版された、新渡戸稲造氏の英語版著作を翻訳したものです。新渡戸氏の英文が素晴らしかったのか、岬龍氏の翻訳が優れていたのか、私には分かりませんが、あの時の感動を忘れていません。

 2 年前のブログですが、紹介してみます。

  ・武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。 

 書き出しの言葉が心地よく響き、こうした語り口で始められるとは、予想していませんでした。

  ・それは我が国の歴史の標本室に保存されているような、古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。

  ・たとえ具体的な形はとらなくとも、道徳的な香りを周りに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれる。

 同じく武士道を語っても、藤原氏とは違った格調が感じられます。武士道を語る熱意と真剣さは同じですから、私は氏の本を真剣に読みました。

 その説明に新渡戸氏ほどの格調がなくても、気にしません。氏が武士道について、別の角度から語っています。

 ・美的感受性や、日本的情緒を育むとともに、人間には一定の精神の形が必要です。論理というのは、数学でいうとベクトルのようなものですから、座標軸がないとどこにいるのか、わからなくなります。」

  ・人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。

  ・私は、こうした情緒を含む精神の形として、武士道精神を復活すべしと、20年以上前から考えています。

  ・武士道に、明確な定義はありません。

  ・新渡戸稲造は武士道を書いていますが、それは外国人に、日本人の根底にある形を解説するため、新渡戸の解釈した武士道です。

  ・武士道は死ぬことなりと見つけたり、という、有名な『葉隠』は、山本常朝という人が口述した、佐賀鍋島藩の武士道に過ぎません。

  武士道には沢山の解釈があるけれど、氏は、新渡戸氏の「武士道」が一番好きだと言います。新渡戸氏の武士道には、キリスト教的な考え方も入っており、元々の武士道とは異なっているという意見もあるそうです。氏は、「近代的武士道」は、新渡戸氏が打ち立てたという解釈をしています。

 武士道に流れ込んでいる様々な精神について、氏が説明します。

  ・まず仏教。特に禅から運命を引き受ける平静な感覚と、生を賎しみ、死に親しむ心を貰いました。

  ・儒教からは、君臣、父子、夫婦、長幼、朋友間の、五倫の道や、為政者の民に対する仁慈を取り入れました。

  ・神道からは主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行などの美徳を、取り入れました。

  ・もっとも中心にあるのは、日本に昔からあった土着の考え方です。

  ・日本人は万葉の時代どころか、縄文の時代ですら、卑怯なことはいけない、大きな者は、小さな者をやっつけてはいけないといった、皮膚感覚の道徳観と、行動基準を持っていたのではないかと思います。

 私が新渡戸氏の『武士道』を読んだのは、2年前です。20年以上前から考えていた氏には及びません。

  ・禅や儒教は舶来のものではないかと、言う人がいるかも知れません。

  ・禅はもちろん中国で生まれたものですが、中国にはまったく根つかなかった。禅は、中国人の考え方と相容れないもので、日本の土着の考え方と非常に適合性が高かったということです。

  ・鈴木大拙氏の言葉によると、日本的霊性に合致していたのです。

  ・禅と儒教は日本人の間に、古くからあった価値観です。理論化したのは、中国人ということです。

 こうした説明が中国で通じるのか、疑問が生じます。禅も儒教も、日本で昇華させたと言いたい気持ちは分かりますが、中国が黙っていると思えません。もとは中国から伝来したものですから、感謝しますと、そういえば良いだけの話と私は考えます。

  ・私は祖国を深く愛しておりますので、愛する日本の素晴らしさを伝えようとすると、どうしても、熱がこもってしまいます。

 氏は正直に述べていますが、ほどほどが良いと思えてなりません。庭園の技が世界一、茶道も、花道も、書道も、香道も、日本特有の素晴らしい文化だ、日本の四季は世界一だと、確かに氏は熱を込めて語ります。

 個別の事例を挙げていけば、どこの国にもお国自慢があるのですから、しまいには子供の喧嘩みたいになってしまいます。

 武士道を復活すれば、日本が世界の範となる国になれるという説明は、気持として理解できます。しかし氏の意見を発展させていくと、「お花畑の思想」と同様になるのでないかと考えます。

 息子や孫たちは、氏の意見のどこを残してやればいいのか、取捨選択の必要が出てきました。検討した結果、次の言葉をブログに残すことと致しました。

  ・欧米人の精神構造は、「対立 」に基づいています。

  ・彼らにとって自然は、人間の幸福のため征服すべき対象であり、他の宗教や、異質な価値観は排除すべきものです。

  ・これに反し日本人には、自然は神であり、人間はその一部として一体化しています。この自然観の違いが、欧米人との間に、本質的差を作っています。

  ・精神に「対立 」 が宿る限り、 戦争を始めとする争いは、絶え間なく続きます。日本人の美しい情緒の源にある自然との調和は、戦争廃絶という人類の悲願への鍵となるものです。

  ・日本は、これらを世界に発信しなければなりません。欧米をはじめとした、まだひらかれていない人々に、本質とは何かを、教えなければなりません。それこそが、日本の神聖なる使命なのです。

 しかし私は氏の高揚した後半部分の意見より、新渡戸氏の謙虚さに惹かされます。

 ・論理を徹底すれば、問題が解決されるという考え方は間違いです。論理を徹底したことが、今日の様々な破綻を生んでしまったと、言えるのです。

 藤原氏は著書の初めで、このように述べていました。「武士道」も同じで、論理を徹底し過ぎると間違った意見になります。だから私は息子たちに言います。

  ・新戸部氏の「武士道」から、私は「節度」の大切さを学びました。

  ・藤原氏の「武士道」からは、「論理を徹底し過ぎる間違い」を学びました。

  ・「節度」と「極論」の違いのわかる人間に、なってほしいと思います。

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藤原正彦氏著『国家の品格』

2017-07-18 18:40:30 | 徒然の記

 藤原正彦氏著『国家の品格』( 平成17年刊 新潮新書 )を、読みました。

 久しぶりに面白くて、楽しめる本に出会いました。氏は昭和18年に満州で生まれ、東大理学部数学科卒を卒業後、御茶ノ水女子大学の教授となっています。略歴には、新田次郎、藤原てい氏の次男だと書いてあります。新田次郎氏の著作は読んだ記憶がありませんが、名前は知っています。不勉強な私は、藤原てい氏に関して何も知りません。

 藤原正彦氏につきましても、今回初めて著作を読みました。親近感を覚えましたのは、氏が私と同年代で、しかも満州生まれだというところです。親近感を覚えないのは、私の大嫌いな数学を、こともあろうに大学まで専門にして学び、数学者だというところです。無味乾燥、杓子定規、砂漠を思わせるような数字の大洪水と、私には、反日左翼と数字は、文句無しの偏見の対象です。

 それなのに氏の著作は、共感するところがあちこちにあり、何度か手を打って同意しました。反対に、「そこまで言うのは、言い過ぎでしょう。」と、打ち消したくなる意見もありました。これ以上抽象的な話をするのは止めにし、具体的な氏の意見を紹介しましょう。「はじめに」の部分からです。

   ・戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形 」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の 「論理と合理」 に身を売ってしまったのです。

  ・日本は、こうして国柄を失いました。国家の品格を、なくしてしまったのです。

 「情緒と形 」 については、少し説明が必要ですが、それ以外は概ね私の思いと一致しています。無味乾燥なはずの数学者が、これほど熱い心で日本を語ると、想像もしていませんでした。

  ・現在進行中のグローバル化とは、世界を均質にするものです。

  ・日本人は、この世界の趨勢に敢然と戦いを挑むべきです。普通の国となってはいけないのです。

  ・欧米支配下の野卑な世界にあって、孤高の国でなければなりません。日本の孤高を取り戻し世界に範を垂れることこそが、日本の果たしうる人類への世界貢献と、思うのです。

 グローバル化を推し進めたのは、あの小泉首相と竹中平蔵氏のコンビでした。

 アメリカの言うなりにグローバル化を実行し、金融改革という名の日本破壊を進めました。祖国への愛を持つ野党があれば、ここで政府に反対をしたはずなのに、不幸にもあの時も今も、敗戦後の日本の野党には反日左翼しか存在しません。

 氏の意見の前半には強く賛同しましたが、後半になりますと、疑問符が生じました。

  「日本の孤高を取り戻し、世界に範を垂れることこそが、人類への世界貢献だ。」

 と、迷わず言い切る勇気と言うか、そこまでの大胆さが私にはありません。

「ひいきの引き倒し」でなかろうかと、むしろ、私の中でブレーキをかけるものが生まれました。でも次になりますと、又うなづかされてしまう不思議さです。

  ・論理を徹底すれば、問題が解決されるという考え方は間違いです。論理を徹底したことが、今日の様々な破綻を生んでしまったと、言えるのです。

  ・なぜなら、論理それ自体に内在する問題があり、これは永久に乗り越えられないからです。

 具体例として、氏は資本主義の論理を追求した果てが、物質主義、金銭至上主義となり、資本主義自身が潰れかねない状況になっていると説明します。

 自由経済の果てにあるのは、弱肉強食の世界であり、強いものだけが生き延びる社会だと言います。私なら、もう一つ社会主義の理論を追求した果てのソ連の破綻と、中国の残酷な独裁政府を加えます。

 マルクス主義者たちは、「人間平等の理念」を徹底して追いかけ、徹底するために反対者を皆殺しにしました。国民を弾圧し、人間平等はどこへ行ったのかと、ついにはそんな国を作ってしまいました。

 さらに私は、次の氏の意見にも大賛成です。当たり前の話ですが、論理には、出発点というものがあります。氏は、論理というものを単純化して教えてくれます。

 「まずAがあって、AならばB、BならばC、CならばD・・という形で、最終的にZという結論にたどり着く。」

 「出発点がAで、結論がZ。そしてこの場合、Aならばという時の 「 ならば 」 が論理です。 」

 「出発点のAからBに向かって、Zに至るまで、論理の矢印が出ていますが、Aに向かう矢印は、一つもありません。出発点だから、当たり前です。」

 この辺りは、いかにも数学者らしい整然とした説明ですから、数字嫌いの私にも理解できます。しかし驚かされたのは、次に来た意見です。これはもう、敬服するしかない、卓見と私には思えました。

 「すなわちこのAは、論理的帰結でなく、常に仮説なのです。」

 「この仮説を選ぶのは論理でなく、主にそれを選ぶ人の、情緒なのです。」

 「宗教的情緒を含めた、広い意味の情緒です。」

 「情緒とは論理以前の、その人の総合力と言えます。」

 「その人がどういう親に育てられたか、」

 「どのような師や友人に出会ってきたか、」

 「どのような小説や詩歌を詠み、涙を流してきたか、」

 「こういう諸々のこと、全てが合わさって、その人の情緒力を形成し、論理の出発点を選ばせているのです。」

 「出発点を決める上で、宗教や慣習からくる形や、伝統も無視できません。」

 「例えば武士道精神には、卑怯を憎む心とか、名誉や誠や正義を重んじる心だとか、精神の形がいろいろあります。」

 「キリスト教やイスラム教にも、それぞれに固有の形がある。」

 「そうした文化に由来する形から、論理の出発点が決められる場合もある。」

 「いずれにせよ、論理の出発点を選ぶのは、論理でなく、情緒や形なのです。」

  ここで私はやっと、氏が言わんとした「情緒と形 」の意味を理解いたしました。産業革命以降、目覚ましい文明の発展を遂げた欧米が、近代的合理精神や論理を過信した間違いを、氏が指摘します。欧米諸国が、論理の出発点とした、「自由」と「平等」と「民主主義」について、疑問を呈し、その虚構を明らかにします。

  「自由」も「平等」も「民主主義」も、論理の赴くままにしていたら、内在する矛盾のため破綻してしまうという意見です。

 人々は「自由」を高く評価しますが、本来の「自由」とは、「人が自己生存のため、なんでもする自由」を指します。これをそのまま認めたら、万人の万人に対する闘争が始まり、無秩序と野蛮と混沌の世界となります。それを防止しているのが、国家であり、法の統治ですから、「自由」とは虚構の上にあるのだと氏が語ります。

 「平等」という理念の破綻につきましては、社会主義国家や資本主義国家の行き着く先ということで、述べましたので省略しますが、「民主主義」の虚構に関する氏の意見を引用します。

 「民主主義の根幹は、もちろん国民主権です。主権在民です。」

 「最初に民主主義を実践したのはアメリカで、建国の時からそうです。」

 「主権在民には、国民が成熟した判断ができる、という大前提があります。」

 「しかし国民とは、成熟した判断ができるものでしょうか。第一次大戦時に、サラエボ事件が起きた時点で、ヨーロッパの主要国には、領土問題もイデオロギー問題もなかった。」

 「君主や首脳で大戦争をしようと思っていた者は、一人もいなかった。ところが国民が大騒ぎした結果、外交で収まりがつかなくなり、民主主義国家であるが故に、戦争が始まり、その結果850 万人が犠牲となったのです。」

 「現在のアメリカや日本は、いずれも主権在民の民主国家です。国民が政治を決定する。それは無条件に良いことなのでしょうか。」

 「主権在民とは、世論が全てということです。国民の判断材料は、ほぼマスコミだけですから、事実上、世論とはマスコミです。言い方を変えると、日本やアメリカにおいては、マスコミが第一権力となっているということです。」

 「ロックやモンテスキューが言い始めた三権分立は、近代民主制の基本となっていますが、」「この三権すら、」「今では第一権力となったマスコミの下位にある。」「民主国家でこれだけマスコミが発達すれば、」「行政がポピュリズムに流れるのは、ほぼ当然でしょう。」

 ここまで読み、私は世の数学者に対する偏見を捨てました。無機質な数字を相手にしているから、感情の無い人間と見ていたのは間違いでした。氏の著作を手にし、心を躍らせたことはもっと別にありますため、これで書評を終わりとする訳にいかなくなりました。不本意ながら、本日はここで一区切りとし、続きを明日といたします。

 とうとう今日も天気予報が外れ、雨の降らない一日でした。そろそろ水やりをしないと、ねこ庭の花木が私を待っているはずです。報道がないので分からないのですが、水不足だから節水しましょうと、その内マスコミが騒ぎ出すのかもしれません。まあ、その時はその時と覚悟します。ブログで偉そうに言っていても、私の生き方は結構いい加減で、行き当たりバッタリです。

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反日朝日の凋落 ( 慰安婦の「大ウソ」が発覚 )

2017-07-16 00:42:51 | 徒然の記

  平成26年の12月に、慰安婦の「大ウソ」が発覚し、木村社長が引責辞任しました。

 朝日新聞の記事のせいで、韓国が世界中に「慰安婦問題」を拡散し、日本軍の非道を宣伝しました。

 実態は職業売春婦でしたのに、日本軍が拉致したと騒ぎ存在していない少女像を建てました。韓国の日本大使館前だけでも我慢ならないのに、アメリカ、カナダ、フランスやオーストラリアなど、誹謗中傷のプレートまで付け建てています。

 どれだけの日本人が心を傷つけられ、怒りを燃やしたと言えば良いのでしょう。全ては、反日朝日の捏造記事が始まりでした。トラックで村々へ行き、泣き叫ぶ少女たちを暴力で拉致し、慰安婦にしたと、稀代のペテン師吉田の、口からのでまかせを鵜呑みにし、戦前の日本の悪業として朝日新聞が報道しました。

 説明するまでもないことなので、新聞の記事の経緯につきましては、省略いたします。あれ以来、朝日新聞の経営がどうなったか、今晩は中間報告をいたします。発行部数の推移を見れば、一目瞭然なので、先ずは、数字を示します。

 その前に、私の偏見についても、説明しておきます。

 ネットの情報で調べましたが、調査機関の違いにより、多くの数字がありました。どれが正確なのか、私には分かりません。マスコミの世論調査でも、朝日、毎日、産経、読売、NHKと、各社が少しずつ違った数字を平気で報道します。だから私も、異なる数字の中から、自分に一番都合の良いデータを使いました。

 どの数字を使っても、朝日の凋落は事実ですから、細部にこだわらないことにしました。敗戦以来今日まで、朝日新聞が社会に垂れ流した「うそ報道」に比べれば、私の偏見など、取るに足りないものです。納得できない人は、自分で、ネットの情報を検索されることをお勧めします。

     〈 朝日新聞の発行部数推移  〉

            実際の部数     公称の部数

  平成26年 9月    280万部      760万部

  平成27年 8月     190万部      680万部

  平成29年 7月     100万部      630万部
 

  平成26年の9月は、木村社長が辞任した年の数字です。あれ以来、国民がどれだけ厳しい目で朝日新聞を見たか。この数字が物語っています。


 「遅々とした歩みだとしましても、私たちの武器は、選挙の一票です。」「共産党や民進党など、反日の議員には票を入れないことです。」

「いまひとつ付け加えますと、何度も言いますが、」「朝日新聞の購読を止めることです。」「親類縁者・友人知人に、朝日の " 反省なき暴走 " を伝えることです。」

  ブログの中で、折に触れ、私は訴えましたが、事実はそのように推移していました。「雨だれも、石を穿つ。」と言いますが、国民の一人一人が正しい選択をすれば、驕り高ぶっていた朝日新聞も凋落させられるという、一つの事例です。

 今年朝日新聞は、社員の年間給与を平均で160万円カットしました。平均ですから、年代別にバラツキがありますので、働き盛りの30代の社員の例を見ます。30代の社員は、年間88万円のカットで、年収が786万円にダウンします。退職したOB社員に、今まで新聞を無料配達していましたがこれも止めました。

 赤字になったため、朝日新聞は経費の削減を始め、人件費にまで手をつけずにおれなくなりました。「新聞の購読中止」という、読者の厳しい処置は、間違いなく経営を直撃しています。それなのに朝日新聞の経営陣は、反省もせず、相変わらず、ご覧の通りの偏向記事を読者に届けています。

  ・国民の声に耳を傾けない安倍政権は、反省が足りない。

 などと、記事を書く暇があったら、自分の会社の反省から始めなさいと、言いたくなります。どこまで厚顔な新聞社なのでしょう。

 更にネットの情報で、押し紙という言葉も知りました。新聞社が、新聞販売店へ、無理やり押し付ける新聞紙のことです。実際の発行部数の30パーセントが、押し紙だと言われています。

 偉そうに沢山の正論を記事にしていながら、新聞社がやっているのは、弱い者いじめの押し売り商売です。新聞販売店へ届けられた押し紙は、タダでなく有料ですから、「店の責任」で処置しなくてはなりません。販売先を増やすか、増やせなければ廃棄するか、どちらにしても代金は新聞社に納めさせられます。

 どうでしょう、これが「弱者の味方」と大きな口を叩く、新聞社がやっていることです。これだけではありません。新聞社の広告料は、発行部数をもとに決められます。同じサイズの広告を掲載しても、発行部数の大きな新聞社は、高い広告料を手にします。つまり朝日新聞社は、二重の意味でスポンサー企業を騙しているのです。

 実際の部数と、公称の部数の数字がそれです。広告料金は「公称の部数」で決まりますから、朝日新聞の例で言いますと、実際の部数の約三倍の広告料金を得ています。ここに、更に押し紙の30%が加わります。

 つまり、新聞販売店が廃棄処分にしている「押し紙」は、誰にも読まれない「紙くず」です。良心的な商売をする会社なら、押し紙の30%は、本来値引きするのが正しいのです。朝日がやっているのは、正真正銘の「詐欺商売」です。他社もやっているから、何が悪いと、居直っているのでしょうが、日本のクオリティーペーパーと自負する新聞社が、「悪どい」商法をしているものです。

 おそらくスポンサー企業は、こうした事実を知っているはずです。「社会の公器」とか、「社会の木鐸」であるとか、「より良い社会を作る」とか、新聞社が高尚な演説ばかりします。、政治家にでも政府にでも楯つくので、「触らぬ神に祟りなし」とスポンサーも諦め黙認していたのでしょう。

 公称部数や押し紙は、新聞業界の公然たる闇でしたが、朝日の凋落が進めば、目ざといスポンサー企業がこのまま黙っているでしょうか。

 どうなりましても国民の「不買運動」は、朝日新聞に限って言いますと、成功しつつあるということです。この会社が「倒閣」を社是としているのなら、「朝日の倒産」も、国民運動にしてこのまま続けましょう。

 私のブログを訪れる皆さんには、朗報でないかと思いますが、しぶとい朝日新聞は、国を大切にする保守を、ネトウヨ、右翼とレッテルを貼り、攻撃しますので、気を緩めてはなりません。

 朝日が倒産したら、次はもっと大きな反日の伏魔殿、NHKです。見ても見なくても、国民から受信料をむしり取り、社員に高給を支給し、定年後の就職先として多くの子会社を持ち、やりたい放題しているNHKを何とかしなくてはなりません。でも、今日はここまでとします。

 とうとう今晩も、12時を過ぎてしまいました。水不足の庭に、明日は早起きして、水撒きをしなくてなりません。急いでベッドに転がるといたします。お休みなさい。

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出口宗和氏著『太平洋戦争99の謎』

2017-07-13 13:46:42 | 徒然の記

 出口宗和氏著『太平洋戦争99の謎』( 平成7年刊 二見書房 )

 氏は昭和20年に大阪生でまれ、立命館大学で中国思想を専攻していましたが、学園闘争で同大学を中退し、出版社に勤務します。その後博覧会のプロデュース活動をおこない、横浜博、花の万博、韓国国際博などを手がけています。

 博覧会のプロデュースという職業について、そんな仕事があるのか、私は知りませんので、略歴から氏の人物像を得るのは困難でした。しかし、学園紛争で大学を中退するというのですから、学生運動家だったという推測はできます。

 氏の人物像に拘っていますのは、読後の感想がとても不愉快だったからです。先に読んだ福田、野原両氏も反日の左傾思想を持っていましたが、玉音放送を聞いた愛国少年だった両氏には、戦前の政府や軍部を憎む理由がありました。

 しかし出口氏は、私より1才年下ですから、戦前の記憶は皆無でしょう。反日になる動機といえば、日教組の教師による日本否定の授業を受けたか、朝日新聞の平和・人権の記事を読んで影響されたか、せいぜいそんなものでしょう。同じ本を読み、他人の話を聞いても、一旦強い思い込みをすると、全部曲がって受け止めてしまうという、最も良い例がこの本です。

 大東亜戦争につきましては、その始まりからして複雑な要因が絡み合い、入り組んだ事件が錯綜しています。敗戦後の日本を、「間違っていた軍」「間違っていた政府」「悪意の軍人」という結論から眺め、そうした事実ばかりをつなげていけば、氏のような意見が導き出されます。沢山ある事実の中から、自分に都合の良い話だけを並べるのですから、「間違った戦争」でも、「悪意の軍人」でも、思うままに描き出せます。

 『太平洋戦争99の謎』という99項目の中には、私が始めて知る事実もありましたが、多くは既知の話を反対側から眺めているような、故意の悪意が目立ちました。

 例えば、日中戦争についての次の記述です。

  ・昭和12年に、日華事変が勃発したが、これは事変だった。事変というのは、正式な国家間の戦争ではない。帝国日本から言えば、膺懲なのだ。つまり、懲らしめることなのである。支那を膺懲する、何とも身勝手で、思い上がった理由だ。

  ・蒋介石政権が、日本が勝手に作った満州国を認めない。だから膺懲する、理由はそれだけだ。そして、中国のあらゆる利権を食い物にしようとした。これが日本と中国の戦争である。

  ・これを支援したのが、米英蘭。太平洋戦争は中国問題で始まるが、陸軍の中国侵略が全ての発端だったと言える。 

 「太平洋戦争99の謎」の中の、76の部分ですが、氏の無知を示す文章です。先日私は、臼井勝美氏の著書『満州事変』をブログで紹介しました。

 臼井氏は、「事変」という言葉がなぜ使われたかについて解説していました。 出口氏の意見との比較のため、再度紹介します。

  ・宣戦布告し、戦争だとハッキリさせると、米国が中立法に従い石油の輸出を禁止するので、これを恐れ政府は事変という言葉を使った。

  ・日中とも同じ事情で、米国の輸出禁止を警戒していたため、双方が戦争と認めるのを嫌った。

  満州国への進出につきましては、出口氏の単純化した説明は間違いです。満州国成立の前段階で、孫文は、日本が共産党を倒し、中華民国の設立に手を貸してくれるなら、満州は譲渡するという口約束をしています。

 中国の国父と言われる孫文は、蒋介石の先達であり、中華民国の初代総統でもあります。口約束で終わったとしても、この知識があれば氏の意見は出てきません。欧米諸国は、むしろ日本の進出を歓迎し黙認していました。彼らもまた、植民地における中国人の暴動に悩まされていました。なによりも、日本が満州でソ連と対峙してくれることを歓迎する向きもありました。

 そうしたことを何も知らないのか、省略しているのか、日本への悪意と偏見の著作は忍耐を要する読書でした。過ぎ去った昔を、後から批判するのは簡単です。現在の目で、過去の事象を無責任に語るのは、デマやゴシップを売り物にする三流週刊誌の記事です。売れれば儲けものだという作者の意図だったのかも知れませんが、こんな悪書が流通するのは看過できません。

  「99の馬鹿話」を紹介する愚行は致しませんが、「まえがき」に書かれた、出口氏の主張だけを紹介しておきます。何を根拠にこんな断定をしているのか、恥をかくために本を出したのでしょうか。

  ・太平洋戦争における戦闘・作戦は数百を超える。

  ・だがそれらのいずれもが、戦闘に対する危機管理は微塵もみられず、ひたすらエンドレスの破滅への道を選択するしかなかった。

  ・典型的な危機管理の欠如、これが太平洋戦争の教訓であった。」

  ・歴史のイフは、許されない。しかし、歴史の教訓は常に學ばなければならない。

  ・人命尊重が先行させられていたら、太平洋戦争の膨大な犠牲はなかったし、あるいは、戦争そのものも、なかったのかもしれない。今日も阪神大震災の惨禍を見るにつけ、太平洋戦争における歴史の教訓を、改めて知らされる思いがした。

 22年前の阪神大震災の時、出版されたのだと分かりますが、氏の理屈でいきますと、太平洋戦争での歴史の教訓を學ばないから、震災の危機対応ができていないという話なのでしょうか。

 こんな胸糞の悪い本は、資源ゴミとして再生する価値はありません、本多勝一の『南京の旅』と同じ扱いにし、野菜くずやその他の生ゴミと一緒にして、ゴミステーションに打ち捨てます。

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野原明氏著『戦後教育五十年』

2017-07-09 19:29:03 | 徒然の記

 野原明氏著『戦後教育五十年』( 平成7年刊 丸善ライブラリー )を、読了。

 偶然本棚から取り出した本が、続けて、戦後教育に関する書でした。福田氏の本と同様、文庫本で、180ページしかありませんので、一気に読みました。普段は著者の略歴に目を通し、それから読むのですが、今回は先に本を読みました。

 福田氏より6才年下の野原氏は、福田氏と同じ大阪で生まれ、同じ京都大学へ進んでいます。昭和33年、大学卒業後に朝日放送の記者となり、その後なぜかNHKへ移り、解説委員となっています。退職後は、文化女子大学教授、帝塚山学院大学客員教授などを歴任しています。

  氏の本は、昭和天皇の玉音放送で始まります。

    ・50年前の8月15日、当時国民学校4年生で、田舎の寺に集団疎開していた筆者は、村の有力者である農家の庭に整列して、ラジオから聞こえてくる昭和天皇の玉音放送を聞いた。

  ・雑音が多く、聞き難い放送だったが、どうやら戦争が終わるらしいことは、感じられた。

  ・昨日まで日本は神の国であり、鬼畜米英と教えられていたが、今日は、日本は間違った戦争をしていた、アメリカやイギリスの民主主義に、学ぼうというのだから、子供心にも、矛盾を感じるのは当然だった。

  ・教科書の軍国主義的な文章に、墨を塗り、伏字だらけなものにし、それまで、絶対に誤りがないと信じていた教科書までが、信じられないものになってしまった。

 福田氏が高校教諭として、現場での実践から本を書いているのに対し、野原氏は、ジャーナリストの立場から、「日教組」と文部省の闘争史を中心に著作をまとめています。

 両氏の共通点は、戦前の日本を間違ったものとして否定する思考です。高い価値を置くのは、アメリカがもたらした「平和」「人権」「自由」と、「戦争放棄」の理念です。

 本が出版された平成7年 ( 1995年 ) は、氏の説明によりますと画期的な年です。

  ・今年「日教組」が、自由民主党との和解に続き、文部省との間で協調路線をとるということを、運動方針の中で明らかにするに至った。

  ・これまでの反対、阻止、粉砕の路線から、参加、提言、改革の路線に、名実ともに転換しようというのである。

 平成7年に、こんな大転換がされたことを、私は知りませんでした。この本は、「日教組」の歴史的転換を節目として出版されたのです。

 今から思えば、「日本国憲法」も、「日教組」も、戦後のあの時代、敗戦の衝撃で挫折した国民に、明日への希望を示唆し自己主張することの大切さを教えました。多くの流行が、時代とともに変化しますが、「日本国憲法」と「日教組」も、日本という土台に接ぎ木された、あだ花でしかなかったのでないかと私は思います。

 年月が経過し、日本の土壌に本来の花木が再生しますと、接ぎ木はもう要らなくなります。役割を終えた接ぎ木は、余計なものとなった。というより、日本古来のものの生育を阻害する、やっかいな外来思考になってしまいました。

 福田氏にしても、野原氏にしても、正直で、一途な人間だったため、敗戦後の衝撃から、抜け出すことができなかったのでしょうか。勝った勝ったという大本営の発表で、神国日本の聖戦を国民を鼓舞した政府が、間違っていたと否定されたのですから、怒りや憎しみが生じるのも理解できます。

 敗戦後40年が経過し、多くの情報が公開されるようになっても、それでも、玉音放送の呪縛から逃れられない両氏に、私は同情します。

 「日本だけが間違っていた。」「日本だけが、悪の戦争をした。」・・このレッテルは、連合国が日本を裁くために作った、プロパガンダでしたが、両氏は気づきませんでした。戦争では互いが権謀術数を巡らせ、相手も負けずに悪かったと、その常識に戻れませんでした。

 私も中学生だった頃から、朝日新聞の「恵まれない人々への思いやり」や、「虐げられた者への愛」など、数え切れないほどの記事を読みました。こんな立派な新聞社があると、誇りにさえ思っていました。

 行方不明だった共産党の伊藤律氏と、会ってもいないのに、会見記事を大スクープにしたり、サンゴ礁に自分が傷をつけていながら、環境破壊と捏造の写真を掲載する記事があっても、私は定期購読を続けていました。

 朝日を止めたのは、「慰安婦報道」の捏造があったからです。嘘の記事を韓国が真に受け、日本への悪口雑言を繰り返したので、目が覚めました。定期購読者だった40数年間を振り返ると、両氏を責められない自分がいます。

 両氏には「日教組」について、貴重な事実を教えてもらいました。

  ・「日教組」は総評とともに、ストライキ権の奪還を目標に、実力行使を拡大していくが、組合幹部への処分が増え、救援のための組合費負担が大きくなり、無関心層の増加も手伝い、組織率が大きく低下していく。

  ・昭和30年代に約90パーセントだった加入率が、60年代には50パーセントを切るに至る。

 こういう話は参考になりますが、最も大きな変動があったのは、昭和57年に行われた、労働戦線の統一問題でした。

 「連合」に加盟するか否かで、「日教組」の執行部が割れてしまったのです。賛成する社会党系の組合と、反対する共産党系組合の対立が、激しい抗争となります。

 同じ左翼といっても路線の対立は深刻で、原水爆反対運動でさえ、社会党系と共産系の二つの団体が、いがみ合いつつ運動しています。平和や人権と口で言いながら、殺人も辞さない内部抗争をするのが、左翼団体の特徴です。

 「日教組」内での対立は400日にも及び、「400日抗争」と呼ばれています。結果として、「日教組」は二つに割れ、主流派の社会党系の組合が「連合」に加盟し、反主流派の共産党系組合が「全日本教職員組合協議会 ( 全教 )」という、長い名前の組織を立ち上げます。

 「日教組」は、「全教」に加盟した組合を除名処分で対抗し、ここでやっと、「日教組」の路線変更の話につながります。

 「反対、阻止、粉砕の路線から、」「参加、提言、改革の路線」に転換した背景には、過激な共産党が抜けたという事実がありました。社会党も当時は何でも反対の党でしたが、共産党はもっと過激で、破壊、粉砕の政党でした。

 社会党も共産党もマルクス主義を信奉する限り、私には、同じ反日・亡国の党ですが、野原氏の考えは違います。

 戦いを放棄するのは正しいのかと、むしろ協調路線に疑問を呈しています。ここで参考資料として、「日教組の組合綱領」と、「教師の倫理綱領」を紹介します。こういう時でないと、わざわざ目にする機会がありません。

 〈  日教組の組合綱領   〉

   1. われらは、重大なる職責を完うするため経済的、社会的、政治的地位を確立する。

   2. われらは、教育の民主化と研究の自由の獲得に邁進する。

   3. われらは、平和と自由とを愛する民主国家の建設のため団結する。

 〈  教師の倫理綱領   〉

   1. 教師は日本社会の課題に答えて青少年とともに生きる。

   2. 教師は教育の機会均等のためにたたかう。

   3. 教師は平和を守る。

   4. 教師は科学的真理に立って行動する。

   5. 教師は教育の自由の侵害を許さない。

   6. 教師は正しい政治を求める。

   7. 教師は親たちとともに社会の退廃とたたかい、新しい文化をつくる。

   8. 教師は労働者である。

   9. 教師は生活権を守る。

    10. 教師は団結する。

  左翼系の政党が目標としたのは、ソ連と中国・北朝鮮でした。社会主義の本山だったソ連が崩壊し、後には国民を弾圧する独裁国家の中国と北朝鮮が残りました。このままの方針で活動すれば、「日教組」は、獅子身中の虫を育てる「お花畑」でしかなくなります。

 長くなりましたが、結論はこの本も「日本に害をなす悪書」だということです。資源ゴミとして、迷わず金曜日に処分いたします。

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福田紀一氏著『おやじの国史とむすこの日本史』

2017-07-08 08:40:14 | 徒然の記

 福田紀一氏著『おやじの国史とむすこの日本史』( 昭和52年刊 中央公論社 )、を読了。

 氏は昭和5年に大阪で生まれ、昭和28年に京都大学を卒業後、大阪明星学園の教諭となっています。私より14才年長で、存命なら87才です。この本は、高校の教師をしていた現役時代に書かれたものですが、私の期待が外れました。

 日本史の教師として、真面目な内容ですが、200ページの著作の半分の100ページは、大学受験のためのハウツウ本でした。一生の大事である受験を前にした高校生に、日本史の勉強方法はどうすれば良いのか。どのように整理すれば効率良い勉強ができるかなど、現場の教師らしく、丁寧な説明が書かれていました。

  敗戦になった時、氏は17才ですから、現在で言えば高校の二年生です。当時の私は数えの3才で、母の背に負われ、満州から引き揚げている頃です。大勢の人と貨車に乗っていたことや、雨が降ると大人たちが荷物の陰に押し込んでくれたことなど、ほんの断片しか覚えていません。

 しかし氏は、天皇陛下の玉音放送を聞き、おぼろげながら、日本が戦争に負けたらしいことを理解したと書いています。当時の事情が具体的に、沢山語られているのだと期待しました。

  ・今の高校の授業内容は、難しすぎる。それは大学入試が難しいからであり、大学入試こそ、高校教育を歪める諸悪の根源である。

  ・その事実は肯定せざるを得ないけれど、多くの現場の高校の日本史教師たちは、そんな状況の中で、歴史を正しく教えようとする立場を崩していないのではなかろうか。

 と、これはごく一部の紹介ですが、真剣な内容でも心に響かないのは、氏の言葉に何かが欠けているのではないかと、そんな気持ちになりました。

 氏の意見を紹介します。

  ・戦前の国史の授業では、国民は常に天皇に忠誠であって、逆賊は必ず何らかの形で倒される。

  ・国外にあっては、日本軍は必ず不利を克服して勝利を収め、外国の民衆は、天皇の軍隊である日本軍を敬愛すると、教えられねばならなかった。

  ・昭和17年の頃なら、教師がもしそのような授業をしなければ、国の法律で、命を奪われることも覚悟しなければならなかった。

  ・命より前に、ひどい拷問や、社会的制裁が加えられるはずであった。

  ・日本が敗戦し連合国に支配され、天皇が、マッカーサー司令官を訪問し、二人で並んで写真を撮った事件は、日本の国史教育を、根底から覆すものであったと言って良い。

  ・私自身、日本の国史教育に愛想を尽かし、そのような教育をさせた国家にも、愛想を尽かした。同じ経験を持つ人は、きっと私以外にも、沢山いるに違いない。

  ・戦争中に、小学校から旧制高校の生活を送った人なら、敗戦により大なり小なり、挫折した体験を持っているはずである。

  ・一切が敗戦とともに断ち切られ、今まで自分が築いてきたものが、全て失われたと感じた人がほとんどだったのではないか。

  ・それまで正しいとされていたものが、突然間違いであったとされ、悪であったものが、善に変わった。

  ・意識の転換できないで、滅んでいく友人たちを、僕は数多く見た。あのような転換の中での苦悩こそが、ほんとうの戦争体験であったという、気がしてならない。

  ・世の親父さんたちが、戦争体験を息子に語ろうとするなら、自分の敗戦体験と、その後に続く自己の再発見の道をこそ語るべきだと、私は考える。

 敗戦国となった時、日本人がどれだけの衝撃を受けたか、私に体験はありませんが、想像はできます。私のように幼児だった者には無関係でしたが、当時の青少年の多くは、挫折や失意に打ちひしがれたのだと理解できます。

 政治家も学者も新聞もラジオも、

 「日本が間違っていた。」

 「日本が悪かった。」

 「一億総懺悔だ。」

 と、声を揃えるのですから、氏の意見は嘘ではなく、偽りのない実感だと思います。幼児だった私と、青年だった氏との、年齢差がそうさせるのか。あるいは、持って生まれた人間性が違っているのか。

 私は歴史の知識のない生徒でしたが、中学生になった私は、戦前の日本を否定する授業と、日本を悪として否定する教師に反発いたしました。日本の軍隊がやったことは酷いものだったかもしれませんが、戦争ならばお互い様でないかと、私の出発点は単純な反応でした。

 私の中で疑問が膨らみ、やがて、そんな授業ばかりをする、日本史の教師と、社会科の教師を、軽蔑し憎むようになりました。

 「そんなに日本が嫌なら、先生はアメリカでも、ソ連でも、中国にでも、どこにでも行って、住めばいいんだ。」

 口に出しませんでしたが、内心ではそう思っていました。日本人としての自然な気持だと考う、私は中学校と高校をそんな思いで過ごしました。だから私は、氏と同じ日本人ですが、戦後について違った受け止め方をし、異なる意見を持っています。

 多くの大人たちが、高等小学校しか出ていなかった時代に、京都大学を卒業したと言うのですから、氏は相当なインテリの一人です。敗戦時の衝撃が強かったとしても、以後30年経ってもなお、このような意見しか持ち得なかったのかと違和感があります。

 会社の仕事を辞め、年金生活者となり、本を読みだして、私はまだ五、六年しか経っていません。氏のように敗戦をとらえ、日本を憎むようになった人間が沢山いました。しかし占領統治に疑問を持ち、変節した指導者に、怒りを燃やした人間も多くいました。

 多くの庶民は廃墟となった国で、暮らしを守るだけで精一杯でしたから、GHQのことは知らず、気づきもしなかったのだろうと私は考えます。

 だが氏は著作まで出版しているのですから、単なる庶民ではありません。むしろ氏は、敗戦後に無数に生まれた「お花畑の住民」の一人でなかったかと、これが私の理解です。

 私が厳しく反論しないのは、氏の人柄にあります。

 反日・左翼系の人物の本は、紋切り型の日本攻撃文が際限なく続きます。上から目線の日本断罪が行われ、著者は本当に日本人なのかと不愉快になる程、一方的な話で終始します。そうした本に比べますと、迷いつつためらいつつ、真摯に言葉を綴る氏に、敬意の念を覚えました。

 無知に気づかない氏だとしても、そこには真剣さがありました。いわば氏は、覚醒することを忘れた、勘違いの善人です。それだけに厄介で、有害な「獅子身中の虫」の仲間で、「駆除すべき害虫」の一人だとも言えます。

 氏のような人物が、国の安全保障をないがしろにし、共産党や民進党の反日に賛成し、政府攻撃のデモ行進に参加します。勘違いしているだけに、手に負えない、「えせ平和主義者」にも変貌します。

 やはりこの本は、資源回収日のゴミとして迷わずに処分します。

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『岡田啓介回顧録』 - 5 ( 職に準じた3人の警官 )

2017-07-06 15:51:15 | 徒然の記

 『岡田啓介回顧録』を、読み終えました。注意して扱ったのに本は表紙が外れ、中身も二分割となってしまいました。断捨離を実行中のため、資源ごみとして処分するのですが、手元に残しておきたいという気持ちが残ります。

 息子たちに伝えたい部分を、割愛し紹介してきましたが、今日もその作業を続けたいと思います。先ずはなんといっても、本の中心となる「2・26事件」です。息詰まるような回顧が続きます。

  ・時刻は、午前五時ごろだったか。つまり、昭和11年の2月26日の朝だ。

  ・非常ベルが邸内に鳴り響いて、その音で、私は目を覚ましたと思うが、間髪を入れず、松尾が私の部屋に飛び込んできた。

 松尾と言っているのは、義弟の松尾傳藏陸軍大佐のことです。氏が首相になって以来、身辺警護の役を買って出て、無給で仕えていたと言います。部屋に飛び込んで来たのは、松尾大佐の他に、警護役の土井清松巡査と村上嘉茂右衛門巡査部長の二人でした。

  ・「とうとう来ました」

    と言う。

  ・何が、どれくらい来たんだ」

    と聞くと、

  ・「兵隊です。三百人くらいも押し寄せてきました。」

  ・「そんなに来られては、どうしようもないじゃないか」

    と言えば、そんなこと言ってる場合じゃありません。

  ・「すぐ避難してくださいと、手を引っ張る。」

 寝室の前の非常用の潜り戸を開け、松尾大佐が飛び出すと、銃声が起こりました。雪明りの中で見ると、既に兵たちが散兵線を布いていました。戸口で待機していた、警護役の清水巡査がこの射撃で撃ち殺されています。

  ・護衛の警官は二十名ほどで、最初の十五分は、この者たちで防ぐ。

  ・そのうち警視庁の応援が駆けつけ、さらに三十分後には麻布の連隊から、軍隊が出動するという段取りであったが、なんぞはからん。その軍隊が襲撃して来たわけだ。

  ・警視庁の援隊は、予定通り駆けつけたものの、正門で兵隊たちに機関銃を突きつけられ、そのまま引き上げたそうだ。

 邸内には、岡田氏と警護の三人だけとなり、押し寄せてくる兵たちとの応戦になります。兵は目的の岡田氏を探すため、広い邸内で小集団となり行動し、戸を破り、荒々しい靴音が響きます。

  ・ぐるりと廊下を回って、また風呂場のところへ来た時、土井は私を風呂場へ押し込んで、ガラス戸を締めるや、向こうから、五六人の部下を連れた将校の一隊に出会ったらしい。

  ・村上は風呂場の外の廊下で、洗面所の脇から大きな椅子を持ち出し、これを盾に頑張り、近づく連中にピストルで応射したが、たちまち撃ち殺されてしまった。

  ・この時土井は、たぶんピストルの弾も、撃ち尽くしたのだろう。隊長らしい将校に飛びかかり、組討ちになった。激しい物音が、風呂場の中で聞こえてくる。

   ・土井は柔道四段、剣道二段という剛の者で、手も無く、その将校を組み伏せたが、後ろから銃剣で刺されて、不憫な始末となった。

  ・やがて、物音が途絶えた。倒れた土井は、まだ息があるようで、うめき声がかすかに聞こえる。風呂場の中で私が動こうとすると、周りにあるものが音を立てる。

  ・すると土井が苦しい息の下から、まだ出てきては、いけませんぞと、うめくように言うんだ。

    ・二、三度、そんな注意をしてくれたと覚えている。新婚早々の男だったが、もうこと切れたらしい。

   ・松尾はどうしたのだろう。私のいる風呂場から、洗面所をへだてて中庭があり、その向こうが、私の寝室だ。ガラス戸越しに風呂場から、寝室の中まで見通せるようになっている。

  ・庭に誰かいるぞ、という声がした。寝室と中庭との間の廊下に、部下を五、六人ひきつれた下士官が現れた。

  ・ふと中庭を見ると、戸袋の脇に立っている人影がある。松尾であることが、すぐに分かった。「撃て」と、下士官が怒鳴っている。しかし兵たちは、みんな黙って、つった立ったままでいる。

  ・貴様らは、やがて満州へ行かねばならないんだぞ、満州へ行けば、朝から晩まで戦をやるんだ。今頃、こんな者が、一人や二人撃ち殺せんでどうするか。

  ・地壇だ踏んで、励ましている。それでも兵は、引き金を引かない。しかし相手はやはり上官だ。ためらっていた兵隊たちも、ついに廊下の窓から、中庭に向かって発砲した。松尾はこうして死んだ。

 兵たちの襲撃の様子はまだ続き、岡田首相が救出されるまで、多くのことが語られていますが、敢えて警護の三人の部分を抜き書きしました。

 日本をゆるがした大事件なのに、岡田首相は、昨今の国会で見る、反日の議員諸氏のような大げさな物言いをしていません。冷静に、まるで薄情者のように事実を語っています。

 首相の身代わりとなり撃たれた松尾大佐や、風呂場の前で応戦し、撃ち殺された村上巡査部長や、最後まで首相を気遣った土井巡査の姿に、私は頭が下がりました。職に殉じた彼らの尊い姿に、一筋の涙を捧げました。

 岡田首相が『回想録』で残してくれず、もし岡田首相も犠牲になっていたら、誰にも知られないままだった三人の最後です。喚いたり騒いだり、逃げまどったりせず、覚悟して死んだ三人に、私は日本の武士の姿を見ました。

  岡田首相が、他人事のように三人の最後を語っていましたが、氏もまた武士のように、気持ちを抑制していました。巻末の「あとがき」に書かれた、毎日新聞出版局長の森正蔵氏の言葉が、それを教えてくれます。

  ・岡田元首相の、「2・26事件」の犠牲者対する気持は、家族でも、胸を打たれるものがあるという。

  ・松尾氏や、殉職した警官たちの位牌は家の中に祀ってあり、毎年の命日には墓参を欠かさない。これだけは、うるさいくらいに気を使っているというのが、家族の話だった。

 このあと岡田首相が、東条内閣を倒すため、どのような働きをしたのか、敗戦後の日本を見てどのような思いを抱いたかなど、書き残しておきたいことは、まだ幾らでもありますが、ブログはここでお終いとします。

 資源ごみとして処分するのを止め、座右の書にすると決めたので、書き写す必要がなくなりました。私がこの世とお別れするとき、私と共に灰にします。

 最後に付言しておきたいのは、このような本を出版した毎日新聞が、今では朝日に負けない反日・亡国の新聞となっていることへの怒りです。朝日新聞にも毎日新聞にも、経営陣の中に武士がいなくなり、時代遅れのマルクス主義者と反日の帰化人が跋扈しているのでしょうか。

 武士の魂が残っていた頃の毎日新聞を記念する意味でも、この本は捨てられなくなりました。

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