ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

リブラ 時の秤 - 4 ( ソ連と取引した大統領 ? )

2019-07-31 11:40:06 | 徒然の記
 ケネディー暗殺の背景を理解するには、キューバ革命に関する知識が必要です。
 
 「キューバ革命は、フィデル・カストロとチェ・ゲバラらが中心となり、アメリカ合衆国の影響が強かった、バティスタ政権を打倒した武装解放闘争のことを指す。」
 
 「米国からの支援、庇護をうけた軍事政権への反発は、既に1950 ( 昭和25 ) 年代前半よりみられており、1953年にもカストロらは蜂起していたが、この頃は革命勢力の結束が弱く失敗に終わった。」
 
 「1958 ( 昭和33 ) 年になると、反政府各派の共同戦線が結束され、1959年1月1日にハバナ占領を果たし、革命政権が成立した。」「キューバ革命は、当初より社会主義革命を志向したわけではなく、政権獲得直後には、アメリカ合衆国との関係継続を目論んだ交渉も模索していた。」
 
 「しかしアイゼンハワー大統領と、その後を継いだケネディ大統領は、カストロらの新政府を容共であるとみなし、政権を打倒すべくピッグス湾事件を起こした。」「これにより、アメリカとの関係回復が不可能であると判断し、カストロはソ連への接近を鮮明にし、1961 ( 昭和36 ) 年に、社会主義宣言をし、キューバ革命を社会主義革命として位置づけた。」
 
 ピッグス湾事件というのは、アイゼンハワーの時代から、CIAが主導していたカストロ政権打倒計画です。米国は表に出ず、キューバから脱出してきた市民による、反共・反革命を支援するという形で行われていました。
 
 就任間もないケネディーは、計画の詳細を知らず、最初はCIAに言われるまま容認しますが、途中から明確に反対します。このため計画が尻すぼみとなり、上陸していたキューバ人たちが捕虜となります。米国人なら、誰でも知っている事件なのでしょうが、私は初めて聞く詳細なので、もう少し自分なりに調べてみました。
 
 「ケネディは記者会見を行い、失敗の全ての責任が、実行を命じた自分にあることを認めた。」「しかし同時にCIAに対しては、軍事行動失敗の責任を追及し、ダレスCIA長官と、チャールズ・カベル副長官を更迭した。」
 
 「後任にはジョン・マコーンを就任させ、長い交渉の末、1962 ( 昭和37 ) 年暮れまでに、捕虜の大半をカストロが釈放し、身柄をアメリカに送った。」「代わりとして医薬品と食糧合計5300万ドルが、アメリカからキューバ政府に支払われた。」
 
 「その後ケネディは、軍部とCIAを全く信用しなくなった。」「軍事・情報分野の助言に対しても懐疑的になり、軍部やCIAとの関係は冷え込んでいった。」「翌年のキューバ危機では、空爆を強く主張する軍部の意見を抑え、海上封鎖にもっていくという決断をした。」「米国の世論は、ケネディの手腕を高く評価した。」
 
 「ケネディーが、キューバ危機の解決策として、フルシチョフに以降キューバに武力侵攻しない約束をしたことが、亡命キューバ人たちを怒らせた。」「翌1963年3月になると、ケネディは公然と、亡命キューバ人の軍事行動にブレーキをかけ始め、彼らの部隊を使わせないようにし、余計に怒らせた。」
 
 つい先日まで本棚のファイルケースに、キューバ危機に関するスクラップが残っていました。ケネディーとフルシチョフが会談している有名な写真もありましたが、断捨離の一環で処分しました。当時の朝日新聞がどこまで報道していたのか、確認する方法がありませんが、ここまでのことは書いていなかったような気がします。
 
 米国人は事情を知っていたはずですから、オズワルドの単独犯でなく、背後にCIAや亡米キューバ人組織があると、感じていたと思います。私でもこうした話を知っていたら、オズワルドの単独犯説を信じなかったと思います。そうしたモヤモヤを明確にする形で、デリーロ氏の小説が出たので、ベストセラーになったのかも知れません。
 
 95ページで氏はガイ・バニスターに、ケネディーについて語らせています。バニスターは、FBIに20年間勤務後、ニューオルリンズの警察副所長を務め、反共極右団体ジョン・バーチ協会の会員でもありました。
 
 「問題は、人々がケネディーの中に見ているものさ。われわれ国民が絶えず抱いている、あの輝やかしいイメージだ。」「彼は実際、たいていの写真で輝いているよ。われわれは彼を、当代の英雄と信じてるってことになっている。あんなに急いで、偉大になろうとしている人間を、見たことがあるかね。」
 
 「彼は自分の手で、この国を違った種類の社会にできる気でいる。」「われわれ国民は、賢さという点で、彼にすりゃ物足りないんだな。」「われわれは成熟していないし、ハーバード出でもなく、金持ちでもなく、好男子でもなく、幸運に恵まれてもいなけりゃ、機知に富んでもいないってわけだ。」「俺は彼を見るだけで、やたら癪に触る。」
 
 「俺にとってカリスマというのが、何を意味するか分かるか。」「彼が、秘密を握っているということさ。」「危険な秘密は、かって政府の外で握られていたもんだ。陰謀だの、共謀だの、今や重要な秘密を、しまいこんでいるのは政府の方だ。」
 
 「危険は全て、ホワイトハウスの中にある。彼はカストロと、何を企んでいるんだ。ソ連と、どういう闇ルートをこさえてるんだ。」「政府の行政部門に、共産主義の理想を推進することに、もっぱら奉仕している動きがあるって点じゃ、俺はいささかの疑問も抱いてないね。」
 
 ここまで聞かされると、読者は、オズワルドの単独犯行をなのなります。ケネディーに恨みを抱くのは、CIAだけでなく、軍、FBI、警察組織、亡命キューバ人組織もあったと分かります。
 
 上巻の239ベージのところを読んでいます。しばらく、読書に専念しようと思いますので、その間ブログも休みです。訪問される方がめっきり減りましたので、ちょうど良いタイミングです。
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リブラ 時の秤 - 3 ( 米ソのスパイ活動 )

2019-07-29 20:23:12 | 徒然の記
 「ミツコは、ちゃんと見つかった。」「童顔でかなり不格好な女で、スカートに白いブラウス、顔にはネッカチーフをかぶって、安っぽいアーケード付きの通りにある、〈軍人立ち入り可 〉 と書いた看板のそばで待っていた。」
 
 当時の東京に、そんな看板があったとは知りませんでしたが、いかにも占領下のうらぶれた街という感じがします。オズワルドはミツコと親しくなり、非番になると東京へ出てくるようになります。ミツコはパチンコきちがいですが、性悪の女でなく、パチンコ代さえ与えると、あとは何も要求しませんでした。そこで彼は、一人の若い男と出会います。
 
 「その男とミツコのつながりが、彼にはどうにも分からなかった。」「弟か、従兄弟か、愛人か、それともある種のマネージャーなのか、保護者なのか、二、三週間の間に数回会った。」
 
 「男は波打つ髪に、黒眼鏡の面白いやつで、コンノという名字だった。」「服や靴はみすぼらしく、外でも室内でもいつでも、黒いスカーフをしていた。」「コンノの英語はまずまずで、初歩の段階は超えていた。」
 
 どんな本を読んでも、私の中にあるのはまず日本です。彼らとつながっている日本であり、日本人です。氏の小説は、特に筋書きがありませんから、どう読んでも自由なのですが、それでも私の読み方は、作者が予想していないものだったのではないでしょうか。
 
 「コンノは、暴動を良しとしていた。」「合衆国は朝鮮で細菌兵器を使ったし、」この日本では、幻覚剤LSDの合成に用いられる、リセルギン酸という物質の実験をしているとコンノは信じていた。」「人生というのは、戦いだと彼は信じた。」「闘争とは自分の人生を、歴史というより大きな潮流に合体させることだという。」
 
「真の社会主義を手に入れるために、我々はまず資本主義を、全面的かつ冷酷に確立し、しかる後にそれを次第に打ちこわし、海に沈めてしまうのだとコンノは言った。」
 
 「コンノは、日ソ友好協会、日本平和会議、日中文化交流会の会員だった。」「外国の軍隊、外国の資本が現代日本を支配しているとコンノは言った。」「外国の軍隊とは、すべてアメリカ軍だ。」「日本で西洋人といえば、ことごとくアメリカ人だ。アメリカ人はどいつもこいつも、独占資本のため奉仕していると言う。」
 
 こう言う話をする若者がいるのだとすれば、反日左翼・過激派学生の仲間です。オズワルドは海兵隊に勤務していますが、共産主義の信奉者で、いつかアメリカを捨てソ連へ行って働きたいと考えています。密かにロシア語を勉強しているのも、そのためですが、愛国者の集団と言われる海兵隊の仲間から、どうしてコンノにつながる道ができたのか。・・この辺りが、氏の小説の複雑さになります。
 
 オズワルドにとって、コンノとの出会いは偶然ですが、米国の諜報部からすれば周到に練られた筋書き通りなのです。CIAに限らず、ソ連のKGBも、あるいはどこの国の諜報機関にとっても、すべて「敵の敵は味方」で、目的のためならなんでも利用し、不要になれば捨てると言う非情さが共通しています。
 
 コンノは、ソ連と中共のために働く工作員の一人で、オズワルドは米ソの諜報部から目をつけられている、スパイ候補者です。オズワルドはこれについて何も知らず、コンノも米国の動きについては知りません。
 
 「オズワルド一等兵のことを知っていて、彼の政治的成長ぶりに感心している人たちが、他にもいると、コンノはほのめかした。」「世界情勢について同じ考えを持ち、それぞれ一定のところにいて、互いに連絡の取りやすい人々によって、成し遂げられることが、いろいろあると彼は言った。」「小型の銀メッキした、デリンジャー式の二連発銃を、コンノは贈り物としてオズワルドに渡した。」
 
 氏の叙述が、どこまで事実に基づいているのかと、詮索したくなる理由がここにあります。諜報機関が軍隊とともに、連合軍の手によって壊滅させられた戦後の日本は、他国のスパイが跋扈する国となりました。コンノのような他国に取り込まれた手先が、何人も生まれたと推察します。一度絡め取られてしまいますと、抜け出す方法はありません。服従していれば、生涯報酬が払われますが、まかり間違って、愛国心を取り戻したとしても、組織からの脱出はできません。
 
 組織からの解放は、役目を終えたオズワルドがされたように、別のスパイから殺される方法しかありません。コンノのようなスパイが実在の日本人でなく、小説中で作られた架空の人物であってくれたらと、祈る気持ちで読んでいます。
 
 次回は、氏が語るケネディー大統領のもう一つの顔について述べます。これにつきましては、事実かどうかについて迷わず、事実だろうと思えます。安倍総理に限らず政治家たちが、虚実の中で生きている厳しさを少し理解しました。政界というのは、単細胞の人間には住めない別世界です。
 
「息子たちがいて家内がいて、これ以上の幸せはない。自分の人生には、何の後悔もない。」
 
 もしかすると政治家には、このような言葉が言えないのかもしれません。現状に甘んじ、何もしない弱気に言葉でなく、大事な家族を守るため、人は戦わなくてならないと言う意味が隠されています。コンノのように、何処かの国の手先になるのでなく、自分の国のため、それぞれの置かれた位置で戦わなくてなりません。
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リブラ 時の秤 - 2 ( 東京にいたオズワルド )

2019-07-29 13:32:54 | 徒然の記
 昭和32(1957)年、18歳のオズワルドは海兵隊員として、日本の厚木基地にいました。114ページの記述を、そのまま転記いたします。
 
 「彼は外出許可証を持ち、派手なアロハシャツ姿で、東京行きの電車の窓側の席に掛けていた。」「デートのお膳立てをしたのは、ライトマイアで、お前は決めた通りの時間に、決められた場所に現れさえすりゃいいんだと、彼は聞かされていた。」「日本へようこそ、引戸と吊り目の娼婦の国へ。」
 
 最後の文章に、私は引っかかりました。吊り目の娼婦といえば、韓国人の容貌でないかと思ったからです。引戸は日本の建物を表していますし、目の大きな米国人から見れば、日本人も韓国人も吊り目に見えるのかと思ったりしました。しかし昭和32年の日本で、まだ米兵相手の娼婦がいたのでしょうか。
 
 昭和32年の出来事から、いくつか拾い出してみました。
 
 1月  ・- 日本の南極越冬隊が南極大陸初上陸。
      ・ - 群馬県相馬ヶ原射撃場で、薬莢拾いの女性が米兵に射殺(ジラード事件)。
 2月  ・- 石橋湛山首相が病気のため、辞意表明。 岸信介内閣成立。 
 
 3月  ・- 欧州経済共同体設立条約、欧州原子力共同体設立条約が、ローマの美術館において調印。
 4月    ・- 東京通信工業(SONY)が、世界最小のトランジスタラジオを発売。
        ・- 売春防止法施行。
 
     5月    ・- コカ・コーラ、日本での販売を開始。
         ・- イギリス、キリスィマスィ島で初の水爆実験を行う。
     7月    ・- 砂川事件が発生。
         ・- 東京都の人口が、ロンドンを抜き世界一と新聞が報道。
 
     8月    ・- 茨城県東海村の原子力研究所で、「原子の火」がともる。
               ・- マレーシアがイギリスから独立。
     9月    ・- 4日 - 米公民権運動: リトルロック高校事件。州兵100人が出動し、黒人9人の高校通学を阻む。
               ・-  糸川英夫東京大学教授らが、国産ロケット「カッパー4C型」の発射に成功。
 
    10月   ・-  初の五千円紙幣(聖徳太子の肖像)発行。
                ・-  ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。
 
 立ち入り禁止の米軍演習場で、薬莢を拾っていたのは、貧しい日本の女性でした。ジラードは、オズワルドと同じくらいの若い兵士で、遊び半分に女性を撃ち殺しました。日本に裁判権がないため、彼は罪に問われることなく米国へ帰国したと覚えています。アメリカに苦情も言えない日本の弱い立場をあの時知らされました。
 
 日本の南極隊のことや、ソニーのトランジスタラジオや、糸川博士のペンシルロケット発射実験など明るいニュースもあります。4月に売春防止法が施行されたという、一行を見て、デニーロ氏の小説に間違いがないことを確認しました。四月に施行されたばかりだとすれば、すっかり無くなるまで、何年かかかるだろうと思うからです。もう少し、日本を描写した文章を転記します。
 
 「彼は幾重もの混沌、黄昏の東京の中を人目を避けて歩き回った。」「都電の架橋の下を通り、蕎麦屋や酒屋を尻目に一時間ほど歩いた。」「竜の刺繍をしたジャンバーを着て、見たところめかし込んだ炊事兵といった感じのアメリカ兵六人と、手をつないで歩く日本娘たちを見かけた。」「時は1957年だが、彼からすればこの兵士たちは肩で風を切る戦士、舞い込んでくるものは片っ端からものにする、歴戦の勇士だった。」
 
 オズワルドもまた、紙に書かれたミツコという名前の娼婦を求め、約束の場所を探し続けます。今回はここで終わりますが、当時の東京を知る懐かしさと、屈辱感を感じながら、もう少し氏の描写につき合ってみたいと思います。
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リブラ 時の秤 ( ケネディー大統領の暗殺 )

2019-07-29 07:16:18 | 徒然の記
 何時だったか忘れましたが、フレデリック・フォーサイス氏の 『ジャッカルの日』を、息もつかずに読んだことがあります。昭和46年の出版でした。
 
 ド・ゴール大統領の暗殺を企てる武装組織(OAS)が雇ったプロの暗殺者と、暗殺を阻止しようとするフランス警察の、息詰まる追跡を描いた小説でした。何年振りかで同じような本を手にしていますが、こちらは、ケネディー大統領の暗殺を企てた者たちの、大掛かりな小説です。
 
 ドン・デリーロ氏著『リブラ  時の秤』は、書評に入る前に本の題名から調べなくてなりませんでした。普通、本の題名は、本の内容をそのまま教えてくれるものですが、この本は違います。著者がそうしたのか、翻訳者が日本語訳でそうしたのか、原題は『リブラ』だそうです。リブラという言葉には、2つの意味があります。
 
 1.  星座の天秤座
    2.  古代ローマ発祥の質量・通貨の単位。 もとはラテン語で天秤を意味する語である
 
 『リブラ  時の秤』という本の題名には、同じ意味の言葉が並んでいることになります。紛らわしいので、『リブラ 、 時の秤』と、真ん中に区切り点を入れたくなりますが、それでも本の内容を表す表題にはなりません。ここでは疑問を述べるだけにし、先へ進みます。
 
 この本は平成3年に文藝春秋社が出版し、翻訳者は真野明裕氏です。先日読んだ、大同生命国際文化基金が紹介した、東アジア文学の翻訳者とは、レベルがだいぶ違うようです。真野氏はプロの翻訳者で、読者を魅了する文章力があるということなのでしょうか。外務省に勤めながらの、片手間の翻訳者たちと、真野氏のようなプロは小説に向き合う気迫からして、異なっているような気がしました。
 
 著者のドン・デリーロ氏は、昭和11 ( 1936 ) 年、ニューヨーク生まれの小説家、劇作家です。両親はイタリア系で、インテリ層でなく労働者の出身だそうです。昭和33 ( 1958 ) 年、フォーダム大学を卒業し作家としてデビューしますが、一般には知られていませんでした。
 
 昭和63 ( 1988 ) 年に、ケネディ暗殺犯オズワルドを主人公にした、『リブラ  時の秤』がベストセラーとなり、名実共に現代アメリカを代表する作家となりました。日本での知名度は今ひとつですが、現代米国を代表する小説家で、近年はノーベル文学賞の常連候補として名前が挙がっているとのことです。
 
 ケネディー大統領暗殺の犯人は、オズワルドだとされていますが、真犯人が別にいることは周知の事実で、いまだに真相は謎のままです。どこまで事実に即して書かれているのか知りませんが、迫力のある小説です。『ジャッカルの日』は、一人の暗殺者が主人公で、彼の行動を追いながら話が展開しますが、『リブラ  時の秤』は、オズワルドだけでなく、事件に関与した複数の人物が描かれます。
 
 元CIAの上級情報分析官だったニコラス・ブランチ、これもまたCIAの職員で精神疲労のため退官し、女子大で職を得ているウィンなど、記憶するのも疲れるくらい多様な人物が登場します。
 
 海兵隊の指導教官だったり、爆発物の専門家や兵器調達の専門家はもちろん、殺人の天才までいます。彼らは全員が互いに知り合いでなく、特定の人物を通じて連携し、電話や書類を通じるだけで、顔を知らない者もいます。
 
 正確に数えていませんが、10名以上の登場人物がいて、彼らの話が前後の関係なく綴られ、過去にさかのぼったり、現在へ戻ったり、脈絡なく話が進みます。それでいて退屈せず、癇癪も起こさず読めているのですから不思議です。どこまでが虚構なのか、事実なのか、詮索したくなる好奇心と、面白さが持続するのはひとえに作家の才能なのでしょう。
 
 ケネディー大統領が暗殺されたのは、私が大学一年生の時でした。昭和38 ( 1963 ) 年11月12日です。本棚に新聞のスクラップ帳が見つかったたので、机に広げています。正確な日付が書けるのは、スクラップのおかげです。
 
 「ケネディー暗殺、世界に衝撃」「背筋の凍る思い」「一つの殺人の影響力に、市民もボウ然」「ダラスで」「 " オー、ノー " 悲痛な叫び」「車中  夫人  大統領を抱える」
 
 3枚の写真に説明がつき、AP通信の写真でこれこそ歴史的映像でしょう。
 
 1.   「撃たれた大統領を抱えようとする大統領夫人と、飛び乗った護衛」 
 
 2.  「暗殺される直前の大統領と、同乗の夫人。」「右端は負傷したコナリー・テキサス州知事。」「オープンカーで、飛行場から市街地をパレード中だった。」
 
 3.  「22日、アンドルース空軍基地から、海軍の救急車へ移される、ケネディー大統領の棺。」「後ろにジャクリーン夫人、ロバート・ケネディー司法長官。」
 
 何時だったのかこれも忘れましたが、ロバート・ケネディー司法長官も狙撃され、暗殺されました。アメリカという国の恐ろしさを肌で感じていただけに、デニーロ氏の小説に惹かされたのかもしれません。本筋とは関係ありませんが、暗殺者たちを通じて描かれる日本のことや、マスコミが伝えなかった、ケネディー大統領の別の側面などに強い関心を覚えました。
 
 氏の作品と同様、私の書評も脈絡がありません。今回はここまでとし、アメリカという国と、政治の世界がつくづく怖いものと、息子たちに伝われば良いと思います。氏の本を読めば、名もない庶民であることは、貧しくて退屈かもしれませんが、平穏な有難い暮らしと、そう思えなくもありません。
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ドイツ魂 - 3 ( ドイツ魂と大和魂 )

2019-07-26 15:38:42 | 徒然の記
 「エピローグ - 〈 ドイツ魂 〉というもの」と題された、最終章です。桝谷氏が経験した30年前の話で、現在の時点から計算すると43年前のことになります。
 
 ドイツ語教員の国際セミナーに参加した氏が、帰国間際にライン川下りを楽しみました。船の待ち時間があるため、ホテルのバーカウンターでビールを飲んでいると、一人の紳士に声をかけられます。
 
 「失礼だが、日本の方ですかな。」
 
 白髪で長身の彼が、片手にワイングラスを持ち、隣に座って良いかと尋ねてきました。退屈していた氏が、うなづきます。
 
「私は若い頃、シベリアに何年かいたのですよ。ソ連軍の捕虜になってね。」
「それは、大変なご苦労をされたのですね。」
「よく生きて帰ることができたと、神に感謝しています。」
 
 彼の話によると捕虜収容所には、ドイツ人だけでなく日本人も沢山いたとそうです。極寒の地で、原生林から木を切り出す重労働のため、仲間が次々と倒れ、戦後の帰国時には人数が半分以下に減っていたと、紳士が話します。
 
 シベリアの捕虜の話となりますと、私は他人事でなく受け止めてしまいます。父は原生林での伐採作業でなく、炭鉱で働かされていたのですが、同じ過酷な労働だったはずです。
 
「しかし日本人は偉かった。」
 
紳士が思いがけない言葉を口にし、桝谷氏の顔を覗き込んできます。
 
 「われわれドイツ人の将校や兵士たちは、自分の利害のみで行動していたが、日本人の将校は、まず部下のことを第一に考えていました。」
 
「例えばソ連側が、ノルマが果たせなかった部隊の、兵士たちの食事を減らそうとした時、日本の将校は激しく抗議し、部下を必死にかばった。」
 
 「そのため将校は、不服従ということで営倉に連行され、三日間監禁されたのです。」「零下何十度にもなるシベリアで、暖房もない、小さな部屋に閉じ込められるということは、どうなるか分かりますか。」「やっと解放された時、その将校は虫の息だったそうです。」
 
 「戦争が、ドイツ人をすっかり駄目にしてしまった。」「それにひきかえ日本人は、今も昔も武士の心を失っていない。」「確か、ヤマトダマシイと言いましたね。シベリアで、日本人から教わりました。」
 
 「でも貴方達ドイツ人は、素晴らしい復興を遂げて、僕たち日本人は、いつもお手本にしてきました。」「ドイツの製品は、日本でも憧れの的です。」
 
 「そう、ドイツの魂が生きているのは、今ではそうした仕事をしている、マイスターたちの中だけにあるのでしょうね。」
 
 二人は船の時間が来たため、別れます。私が氏を立派だと思うのは、紳士の話で有頂天にならず、真面目に考え続けたところです。ここにはあの軽薄な氏がいなくなり、ドイツ贔屓の一人の日本人がいます。
 
 「でも僕は、ドイツのあちこちの街を旅したり、住んでみたりして思うのだ。」「やっぱり、あの 〈 ドイツ魂 〉 は、」「ドイツのいたるところに、普通のドイツ人の心の中に生きているように見える。」
 
 「彼らの理想とする頑固と丈夫は、ドイツ製品の中だけでなく、ドイツ人の精神の中に、今でも、息づいているのではないか。」
 
 私は、次の氏の言葉を、息子たちに伝えたくなりました。
 
 「日本人も、あのシベリアの指揮官だけでなく、一般の人々でさえ、昔はやっぱり、ドイツ人たちと同様に、いや、それ以上に頑固に、自説を主張し、義務や仕事は責任をもって実行し、木造の家を作っても、何百年も持ちこたえる丈夫なものを、当たり前としてこしらえたのだ。」
 
 「それがなんだか、おかしくなり始めたのは、あの老紳士が、ドイツ人を叱ったように、戦争が、僕たち日本人を駄目にしたのかもしれない。」
 
 「すっかり自信をなくした国民ほど、惨めなものはないのだ。」「どう考えても、僕たち日本人の方が、もっと 〈大和魂 〉 を失っているのではなかろうか。 」
 
 「21世紀が目前に迫った今、次の世紀には、僕たちはもう一度、僕たちの先人が、19世紀までに築いてきたものを再発見して、本来の日本を回復することが必要だと思う。」
 
 もう少し長いのですが、私にも息子たちにも、これで十分です。
私と氏の思いが、最後に来て重なりました。戦争に負け自信をなくしましたが、日本人は駄目になったのではありません。今も日本人の魂が生き続けているはずと、氏が述べますがその通りです。
 
 シベリアから戻ってきた父も、意気阻喪していませんでした。捕虜生活について話さなかっただけで、貧乏に負けず愚痴も言わず、陽気に私を育て大学へ行かせてくれました。
 
 昭和19年生まれの氏は、私と同じ年です。酷評しましたが、ブログの1回目で述べたとおり似たものがあり、親しみを覚えています。私はまだ75才なので、きっと氏も存命のはずです。元気で頑張って欲しいと思います。
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ドイツ魂 - 2 ( 世界を知らずに本を書く、大胆さ )

2019-07-26 05:13:21 | 徒然の記
 ドイツが、アメリカに匹敵する訴訟社会であることを、氏の本を読むまで知りませんでした。ドイツには弁護士保険というものがあるらしく、交通事故だけでなく、日常生活で面倒に巻き込まれた時、この保険に入っていれば便利なのだそうです。
 
 ドイツ行きが決まった時、氏はそんなものは関係ないと、最初は高をくくっていましたが、周囲に勧められしぶしぶ保険に加入します。ところがいざ、アパートに引っ越してみると、借りた部屋の地下倉庫に鍵がかかっていて使えません。世話をした不動産屋に掛け合ってみても、「そのうち」「近いうちに」と言うだけで、二ヶ月が経ってしまいます。やむなく氏は弁護士保険を使い、知り合いの紹介で弁護士に依頼します。
 
 「弁護士に電話をすると、一週間もしないうちに物置はすっかり片付けられ、無事我が家の荷物が収められた。」「あの弁護士がどう言う書面で、不動産屋を脅したのか知らないが、あのタヌキ親父が、あっという間に行動したところを見ると、やっぱり専門家に任せるのが正しかったわけだ。」
 
 謹厳実直なのがドイツ人だ、聞いていますから、意外な思いがしました。氏のドイツ人論を聞かされますと、さらに驚かされます。
 
 「だいたいドイツ人は、自分が間違っていても、あるいは、交通事故の加害者であろうと、自分が悪いとは絶対言わない連中だ。」「だから彼らとやり合うには、忍耐強く、長期戦を覚悟しなくてならない。」
 
 「どうりで街を歩いていると、やたらあちこちのビルの看板に、〈なんとか弁護士事務所 〉 と書かれたものが、目につくが、それだけ弁護士の需要が多いと言うことらしい。」
 
 37ページの叙述です。ドイツが、アメリカに負けない訴訟社会と知り、呆れましたが、それ以上に呆れたのは、氏の文章です。ドイツびいきで、ドイツを知ると言う人物が、ドイツ人のことを、果たして「連中」などと言うでしょうか。
 
 私がドイツ人なら、無礼な氏を、許さないだろうと思います。文章も軽薄ですし、これでは、慶応大学の教授にはなれないだろうと、納得しました。
 
 53ページには、さらに詳しくドイツ人気質が語られています。
 
 「ドイツの街で、お上りさんよろしく、地図を広げて、立ってみるといい。」「すみませんがなどと、こっちが言おうものなら、待ってましたとばかり近づいてくる。」「その目的とするところを、知らなかったとしても、決して彼らは知らないとは言わないだろう。」「そこは何度も行ったこととがある、と言う顔つきで、自信を持って教えてくれるのだ。」
 
 「そう彼らは、たぶん人にものを教えることが、いや、自分を他人に強く印象づけることが、好きなのではなかろうか。」「だから、曖昧なものの言い方を嫌い、はっきりと、歯切れの良い調子で、断言するのだ。」「その内容が正しいのか、あるいは単に憶測であるのか、それは彼らにとって、大したことではないのだ。」
 
 「大事なことは断言し、断固として主張することにある。」「つまりドイツ人は、自己陶酔型の人々なのかもしれない。」
 
 得意そうに書いていますが、これを読んだ時、氏はドイツはおろか、あまり世界を知らない人物だと感じました。かって私が勤務していた会社は、国内だけでなく、海外にも子会社を持ち、現地法人としていました。鄧小平氏が初めて日本を訪れ、日中双方が「熱列歓迎」で盛り上がっていた頃です。
 
 中国、香港、上海、タイ、マレーシア、インドネシア、シンガポール、フイリピンなど、正確な数は忘れましたが、当時私は、国内・海外の子会社を統括する部署にいました。現地法人の社員の世話をしたり、訪問してくるネイティブ社員の面倒を見たりしていました。ドイツ人に限った話でなく、アジア諸国のネイティブ社員はみんなホラ吹きでした。
 
 朗らかで明るいのですが、経験したことのない仕事でも、第一人者のように自己PRをします。過ちを認めず謝罪せず、言い訳の天才ばかりです。約束しても時間は守らないし、黙って聞いていると、自己主張を何時間でも続けます。
 
 民族が対立し混じり合い、興亡したりを繰り返す歴史を持つ彼らは、自己主張することが生存の基本です。過ちを認めることは敗北で、死を意味する場合もあります。大陸国家に生きる人間の、自己防衛本能と私は理解しています。
 
 「日本の常識は、世界の非常識。」と言うのが、私たちの部の共通認識でしたから、この経験からしますと、氏の意見は珍しくありません。むしろドイツ人の方が一般的で、律儀でお人好しの日本人の方が、世界では異端なのかもしれません。ヘンテコな理屈で、私たちを悩ませていてる韓国をみてください。あるいは横車押し、日本を手玉に取っている中国をみてください。基本的にはドイツ人と、同じです。
 
 氏のような知識人でありませんが、会社の仕事を通じて、世界を多少知っていたのかと改めて知りました。少しばかりの知識と経験で本を書くと言う大胆な氏に、や泥きながら、残りの部分を読みました。
 
 つまらない本であることが、息子たちに伝わったと思いますので、長い書評はやりません。あと一回、氏の著書で感心した部分を紹介し、それで終わりにします。
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ドイツ魂  ( 中身が乏しくても、真面目な本 )

2019-07-25 07:24:21 | 徒然の記
 参議院選挙について考えると、明るい展望が遠のいて行きます。
 
 忙しい合間を縫い、桝谷邦彦氏著『ドイツ魂』 ( 平成12年刊   講談社 )を、読み終えました。こう言う時に良い本を読めば、心が洗われ元気を取り戻せるのですが、なかなか望み通りにいきません。「あとがき」を先に読み期待したのに、意外と中身の乏しい本でした。期待を抱かされた「あとがき」の、文章の一部を紹介いたします。
 
 「僕たちが外国について考えたり、書いたりしたものは、外国と日本の比較という角度で、ものを見たり、書いたりしがちだ。」「しかしややもするとその国を礼賛するあまり、自分の出身の国、つまり日本を、しようもない国、情けない国、不合理な国として見てしまうことが、多いのではないだろうか。」
 
 「お互いに歴史や文化の違いにこだわって、いたずらに自国や他国を、褒めすぎたり貶めたりする時代は、もう過去のものにすべきだろう。」
 
 「是々非々と言う言葉のように、いいところはいい、悪いところは悪いと言う価値感を、自分にであれ、他人対してであれ、同じように当てはめていくことが、」「21世紀を迎えようとしている日本とこれからの若い人たちにとって、ごく自然で当たり前になるように、この本を読んでもらえれば幸いである。」
 
 本人の言では、ドイツ贔屓だそうですが、巻末の略歴を見れば納得させられます。
 
 「昭和19年、山口県生まれ。」「慶応大学文学部、および同大学院でドイツ文学専攻。」「昭和42年から、慶應義塾女子高等学校、慶應大学で、ドイツ語とドイツ文学を教え、現在は慶應義塾高等学校で、ドイツ語教員を務める。」
 
 「昭和45年より、留学や海外出張など、十数回のドイツ旅行や滞在を経て、平成8年から二年間を、家族と共にミュンヘンで暮らす。」
 
 長く慶應大学に勤務していますが、「ドイツ語教員」と書かれ、教授でも講師でもないようです。この世には、頑張っているが成果を上げられないという、恵まれない人間がいます。学問でも芸術でも会社の仕事でも、努力だけではダメで、何らかの才能が必要です。これだけ長期間ドイツ文学に取り組んでいて、教授になれないというのですから、才能がないのかもしれません。
 
 著作に失望し、意地悪く批判しているのでなく、若い頃の自分と重なって見えるため、親しみを感じています。昇進すれば給料が増え、家族を楽にさせてやれので、かっての私はがむしゃらに働きました。「努力は必ず、報われる。」「頑張れば、自ずと結果がついてくる。」と、楽観的に考え続け何事もなく定年退職しました。
 
 世間を渡る知恵もなく、妥協の1つもするでなく、こんな自分を会社はよく使ってくれたと感謝ばかりです。見当違いの努力と、独りよがりの頑張りが多すぎたのだと、懐かしい思い出となっています。書評と無関係な、余計な話ですが、息子たちには、聞かせてやりたい親の気持ちです。
 
 「お父さんは、自分の人生に何の後悔もしていない。」「お前たちがいて、お母さんがいて、こんな幸せなことがあるか。」
 
 亡くなった父は、私が高校生の時か、中学生だった時か、晩酌で酔った時そんなことを言っていました。当時は上の空で聞き、そんなことがあるものかと内心で笑っていました。しかし自分が親と同じ年になると、本気だったのかと分かりました。
 
 こんな話がどうして書評になるのかと、疑問を持つ人があるのかもしれませんが、関連しています。平凡な庶民の一人として、父は一生を終えました。私の知らないシベリアでソ連の捕虜となり、炭鉱で働いた経験を持つ父は、家族と共に暮らす日々を、本当に幸せだと思っていたのかもしれません。
 
 戦争を呪い政府を憎み、恨みばかりを募らせる人々が日本には沢山います。想い出の中にいる父は、陽気で呑気な日本の庶民でした。
 
 「お前たちがいて、お母さんがいて、こんな幸せなことがあるか。」
 
 時々その言葉を思い出し、胸がジンとすることがあります。苦労しても、過去を笑いに変える性格が、自分に受け継がれていることを発見し、喜んでもいます。私もまた、家内がいて子供たちがいて、こんな幸せがあるかと思っています。国や政府やご先祖を恨んだり、苦情を言ったりなどしません。日本人は、そんな逆恨みをいつまでもしないのです。
 
 自分の親のように、この世に感謝しているから、私は息子や孫たちのため、飽きもせずブログに言葉を遺しています。いつ読んでくれるのか、果たして理解してくれるのやら分からないのに、それでも止めないのは、感謝の気持ちがさせます。
 
 桝谷氏の「ドイツ魂」を、そんな気持ちで読みました。つまらない本でも、氏は本気で書き、卑屈になっていません。文章は下手でも日本を愛し、ドイツも相応に評価し、堂々としています。教授になれない自分の経歴に後悔せず、誇ってさえいます。自分と似た氏の著作について、次回から語ろうと思います。
 
 私のブログと同じで、あまり内容はありません。興味のない方は、スルーしてください。
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今日からが、本番です。 - 3 ( マスコミの情報を並べて見る )

2019-07-24 14:21:57 | 徒然の記
 梅雨が明けたのでしょうか。今朝はカラリと晴れjした。気分が爽快になったところで、参院選の総括を続けます。
 
 マスコミ各社の情報を、並べてみました。
 
  1.  NHKウエブニュース
  2.  朝日新聞
  3.  共同通信社 北京支局
  4.  朝鮮日報
 
 選挙では自民党も野党も触れなかった、憲法改正でしたが、隠れた争点としては、どれほどの重要案件だったかを示す実例です。各社の記事を並べてみると、マスコミが国民に対し、いかに「報道しない自由」を行使していたかが明らかになります。彼らが憲法改正が可能となる、保守側の3分の2の獲得を、どれほど恐れていたかを証明する記事です。
 
 〈 1.  NHKウエブニュース 〉
 
 「与党71議席勝利、 改憲勢力3分の2割り込む 」「野党  一本化成果 」

 〈 2.  朝日新聞 〉 「改憲勢力」3分の2維持できず、改憲論議に影響も」
 
  「自民、公明の与党と、安倍政権での憲法改正に前向きな、日本維新の会に、与党系無所属を合わせた改憲勢力は、憲法改正の国会発議に必要な、3分の2の議席を維持できなかった。」「安倍政権は、早期の憲法改正を目指しているが、今後の改憲論議に影を落としそうだ。」
 
 〈 3.  共同通信社 北京支局 〉 「中国、改憲3分の2届かず歓迎。」「対日改善も、安倍首相に根強い不信。」
 
 「中国は参院選で、自民党など憲法改正に前向きな勢力が全議席の3分の2に届かなかったことを、歓迎している。」「米国と、貿易や安全保障を巡り対立する中、日本とは関係改善を推し進めるが、安倍晋三首相に対する不信感も根強いからだ。」
 
 「安倍首相が在任中の2013年に、靖国神社を参拝したこともあり、中国は改憲議論の行方を、用心深く見守ってきた。」「国営通信新華社は5日の評論で、安倍は平和憲法、特にその核心である9条の改正を一貫して追い求めている、と指摘した。」
 
 〈 4.  朝鮮日報 〉 「首相の夢 〈戦争ができる日本〉にまた一歩」 
 「3分の2以上賛成なら改憲発議可能。」「NHKは今回の選挙の結果、改憲勢力が参議院の改憲ラインを確保する可能性もある、と報じた。」
 
 息子たちに言います。一部のマスコミだけを見ていると、掴めませんが、並べると発見できます。NHK、朝日、中国、韓国が、緊密な連携を取りながら動いている事実が、こうすると分かります。時間があれば、米英の報道も探せたのですが、これだけで十分もです。
 
 日本の選挙は日本だけの選挙でなく、中国や韓国・北朝鮮、あるいは米国が注視しているのだと、知る必要があります。
 
 「憲法も大事だが、それより大事なのは生活の防衛だ。」「働いても、一向に楽にならない国民の、暮らしを守ることだ。」
 
 選挙期間中、枝野氏は各地で演説しましたが、中国や韓国の意を汲み、「憲法改正反対論」行動をしていたのだと、誰も気づきません。それどころか、「立憲民主党は平和の党だ。」「庶民の味方をする党だ。」と、勘違いする国民がいます。
 
 どうしてそうなるかと言えば、答えは簡単です。マスコミのほとんどが反日左翼で、中国や韓国と結びついているからです。
 
 今回は、NHKと朝日の報道を取り上げましたが、日本には他にもメディアがあります。反日マスコミが全国一斉に、野党と同じ意見を発信し、自民党を批判すれば、国民は影響されます。彼らが中国や韓国に同調し、反日野党応援記事を書くと、国民は騙されます。これがずっと続いているのが、戦後の日本です。
 
 「首相の夢  〈戦争ができる日本〉 にまた一歩」
 
 朝鮮日報の、この見出しを見てください。反日野党のスローガンそのままではありませんか。「日本を、戦争のできる国にするな。」と、プラカードを掲げ、反日の人間たちがデモ行進していますが、韓国政府や韓国の反日団体に教えられた言葉を、日本人が使っているのです。
 
 ついででなので、同じ日の朝鮮日報の記事を紹介します。
 
 「今年11月に、日本の歴史上最長寿首相の記録を打ち立てると見られる、安倍首相は、自衛隊の存在と役割を明記する改憲を成功させ、 〈日本の偉人〉 になるのが夢だ。」
 
 「安倍首相は今年下半期に、自身の夢を実現させるため、全力投球するものと見られるため、これに伴うきしみ音も、日本列島から出てくるものと予想される。」
 
 記事には、朝鮮日報に協力する東京大学の内山融教授の名前も出てきますが、面倒なので内容は省略します。相変わらず東大には害虫教授がいて、反日の韓国で活躍している事実だけを報告します。
 
 こうなれば反日のマスコミに負けないよう、10年でも30年でも、同じ言葉を繰り返します。昨日と同じですから、そのままコピーします。
 
 「反日マスコミと野党に苦しめられた、保守自民党の議員は選挙後の安定多数内閣で、私の提案を即実行すべきです。」
 
 「  1. 国会議員の二重国籍を禁止す法を、成立させる。
         該当する議員には帰化を促し、応じない者は国外退去とする。 」
 
 「  2. 公共放送法を制定し、NHKの公共放送としての役割を明確にする。
    役員の二重国籍禁止し、該当する者には帰化を促し、応じない者は退職させる。 」
 
 
 「今日からが、本番です。」を、本日で終わります。
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今日からが本番です - 2 ( 「同じことを、たゆまず主張し続ける」 )

2019-07-22 21:20:00 | 徒然の記
 安倍自民党は勝利したのか、反日野党は健闘したのか。マスコミは相変わらず、勝手な主張を述べていますが、日本を大切にする私から見れば、保守自民党は勝利していません。
 
 選挙が終わりましたので、安倍氏の批判も遠慮せずできます。自民党が勝利したのではなく、自民党の中の獅子身中の虫たちが得票した・・というのが、現実です。
 
 反日左翼の野党に入れるくらいなら、まだ自民党が増しと、そんなに票が集まったと分析する評論家がいません。だから私は、「今日からが本番です。」と、息子たちに語りかけます。ご先祖様から譲り受けた日本を守る努力を、本日から再開です。
 
 田渕氏の意見を、紹介します。
 
 「社会に何か問題があると分かっても、すぐには解決できません。」「その問題がどれだけ重要で深刻か、優先して取り組むべきことなのか、多くの人が理解し、納得して初めて、対策が進むのです。」
 
 その通りで、歴史も証明しています。民主主義の国なら一層そうなります。
 
 「多くの人が課題を認識し、問題意識を共有することで、少しずつ世論が形成されていきます。」「そして政治家や政策立案者に、世論が響くようになると、その課題に対する社会のルール、つまり政策や法律ができることになります。」「社会を変えるには、それなりの時間がかかるのです。」
 
 日本でこれを実践しているのが、沖縄の我那覇真子氏でないかと、常々思っています。「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」の代表を務め、「 世直し、自分直し、沖縄庶民の会」をスローガンに、沖縄県内でキャンペーンを展開しています。
 
 世の中を直すには、まず自分から変わらなくてならないと、家族と共に、地域の小集団活動をするという地道な努力を続けています。沖縄の偏向マスコミが敵であると、狙いを定めています。
 
 チャンネル桜が支援していますが、沖縄の自民党や東京の自民党本部は、なぜか手を差し伸べません。中国の尖閣領海侵犯を糾弾し、国防のための辺野古への基地移転に賛成しているのに、協力していません。党内の親中派か親中の公明党へか、どこに遠慮をしているのか、こういうところに安倍政権の不透明さを感じます。
 
 我那覇氏のことはメインでありませんから、田渕氏の意見に戻ります。
 
 「恩師の言葉に倣って、時間がかかっても社会を良くするため、人を大切にする社会を実現できるよう、これから10年と言わず、30年くらいは努力していかなければと、決意を新たにしています。」
 
 締めくくりの言葉ですが、私も寿命さえあれば、30年でも続けたいと思います。しかし最後に来て、氏は左系の人間でないのかと思えてきました。間違っていたら謝らなくてなりませんが、これまでの経験からすると、「人を大切にする社会を実現する」と、主張する人物にロクな人間がいませんでした。
 
 「同じことを、たゆまず主張し続ける」ことの大切さを、田渕氏と恩師から教えられたのは事実です。余計な詮索をやめ。先へ進みます。ここからが、一番のポイントです。
 
 この重要な役目を担っているのが、マスコミです。全国津々浦々に情報を発信し、10年でも100年でも、「同じことをたゆまず主張し続ける」機能を持っているのはマスコミです。
 
 マスコミは、洪水のような情報発信力を武器に、政治家や役人を何人葬り去ったことでしょう。彼らは「第四の権力」と恐れられ、傲慢な議員の鼻面を引き回します。権力者はマスコミを危険視し、支配しようとします。独裁国家の中国や北朝鮮のマスコミが、何の自主性もないことは周知の事実です。
 
 マスコミは「諸刃のやいば」です。正しく働けば社会の木鐸となり、国民に貢献する公器になります。少し間違うと凶器となり、社会に悪病を広めます。2年前の衆議院選挙の時に書いたブログを見つけましたが、今でも通用します。
 
 「反日マスコミと野党に苦しめられた、保守自民党の議員は、選挙後の安定多数内閣で、私の提案を即実行すべきです。」
 
「  1. 国会議員の二重国籍を禁止する法を制定する。
      該当する議員には帰化を促し、応じない者は国外退去とする。 」
 
「  2. 公共放送法を制定し、NHK役員の二重国籍を禁止する。
  該当する役員には帰化を促し、応じない者は退職させる。 」
 
 安倍総理が本物の保守政治家なら、参院選後に取り組むべきものは、変わらず上記2点です。「憲法改正」に反対し、「皇室の安定」に反対し、捏造記事を全国に発信しているのは彼らです。国を大切にする私たちは、総理の行動をしっかりと見ていきましょう。
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今日からが、本番です。 ( 「社会を変える処方箋」 )

2019-07-22 18:51:08 | 徒然の記
 今回の参院選の投票率について産経新聞は、「できれば行く」と答えた人と、「期日前投票を済ませた」人を合わせると、計85.8%になると予想しました。
 
 本日、読売新聞が、総務省による発表として、次の数字を記事にしました。
 
  1.   参院選の投票率(選挙区選)は、48.8%
  2.  前回平成28年参院選の54.7%から、5.9ポイント低下
 
  3.   衆院選を含め、全国規模の国政選として過去最低だった、平成7年の参院選( 44.52% )以来、24年ぶりに50%を割り、同年に次ぐ低投票率
  4.   男性の投票率49.42% ・・  平成28年参院選より、5.71ポイント低下
  5.   女性の投票率48.22% ・・  平成28年参院選より、6.08ポイント低下
 
 保守系の新聞と言われる産経を、反日の朝日と同列に論じる気はありませんが、85.8%と48.8%と大きく違う数字を並べますと、ここにマスコミの捏造報道の「原点」を見る気がします。
 
  1.  総務省の数字には、期日前投票者数が加味されていない。
        2.  産経の予想には、「できれば行く」と答えた不特定多数が、加味されている。
 
 1、2を考慮し、産経の記事を読んでいけば、「大ウソ」と断定できなくなりますが、私の実感は「大ウソ」です。投票率の予想は、社会を混乱させる大問題でないと、忘れられていくと思いますが、読者を誘導するというマスコミの意図は残ります。
 
 反日マスコミの「改憲反対論」や、「女性宮家賛成論」の報道にも、読者誘導の意図が隠されています。指摘されても言い訳ができるように、産経の予測記事同様、巧みな逃げ道が用意されています。右も左も、マスコミのやることは同じです。
 
 これに関連した面白い記事を、偶然思い出しました。7月14日の、千葉日報のシリーズ記事に、「社会を変える処方箋」というのがありました。
 
 執筆者は、大阪国際がんセンター・がん対策センター・疫学統計部副部長という、長い肩書きの人物でした。記事のタイトルが、「社会医学の心得」「繰り返し伝え、変えていく。」でした。氏が本気で、社会医学の道に進むようになったのは、恩師の言葉がきっかけだったと言います。恩師の名前は、田淵貴大という学者でした。
 
 「世の中の理不尽な現実に、怒っていただけの、若かりし頃の私に向けられた、恩師の言葉が胸に突き刺さりました。」「残念ながら、社会は正しくはできていません。悪の組織をやっつける戦隊ヒーローのように、必ず正義が勝つわけでないのが、現実社会です。」
 
 「正義を振りかざしても、ダメだよ。」 ・・  これが恩師の戒めだったそうです。
 
 「恩師は、正義を大義名分のように振りかざすのでなく、現実と折り合いをつけて、とはいえ、しっかりと戦う作戦の立て方を、教えてくれました。」
 
 「田淵くん、10年間言い続けるんだよ。」
 
 「恩師は、1つの問題に、長期間関わり続けることを、教えました。」「社会を変えるため、人々に自分の考えを知ってもらうためには、10年間は同じことを繰り返し繰り返し、主張していかなければならないという教えでした。」
 
 思い返せば大東亜戦争に敗れて以来、日本がアメリカや中国、韓国・北朝鮮からさられてきたのが、これでした。聞き慣れた別の言葉で言いますと、「嘘も100回いえば、本当になる。」という作戦です。
 
 「日本は中国と韓国を侵略した。」「極悪非道な軍隊がアジアの国を踏み荒らした。」「日本こそが、世界の悪の原因だった。」
 
 別名、「自虐史観」とも言います。事実が明らかになるにつれ、今はこの考えが間違いだと気づいていますが、戦後73年間言い続けられたせいで、まだ信じている国民がいます。
 
 共産党や立憲民主党を、熱心に支持する人間がいる事実がこの証明です。安倍総理が保守政権と思えない、日本破壊の政策を実行するため、左翼と区別がつかなくなりました。腹立ち紛れに反日野党に投票した人間が、いるのかもしれません。
 
 10年間主張し続ければ人を変えられると、恩師が教えています。7倍の73年間も、自民党と反日野党が、国民に事実を言わなかったのですから、混乱して当然でしょう。
 
 マキアベリや孫氏や家康を持ち出すまでもなく、古来から政治家たちは、庶民の心を束ねる策を研究しています。レベルが低下したと言っても、政治家と名がつけば、自民党も反日野党も、「たゆまず主張し続ける」ことの重要性を知っています。氏の恩師の言葉に、私がうなづき、参院選の反省材料としたのはこのためです。
 
 田渕氏はひねくれた人物でありませんから、率直な意見を述べています。息子たちに聞かせたい言葉なので、次回も続けます。
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