ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

オリンピックの開幕報道

2021-07-31 13:11:55 | 徒然の記

 令和3年7月23日の千葉日報の記事を、歴史の記録として残したいと思います。祝福の気分のない、暗い記事が、世相を表している気がいたします。二つに分けて、見出しを抜書きしてみました。

  1.  千葉日報社の記事 

   ・「混乱の五輪 きょう開幕」「コロナ禍、祝祭ムードなし」「県内は4競技」

   ・「県内コロナ343人感染」「連日300人超」

   ・「心配」「生命が大切」「元気くれる」「歓迎の声も」「県民に賛否」

  2.  共同通信社の全国配信記事

   ・ 「平和の祭典」「落ちた看板」「東京五輪をめぐる主なトラブル」

      ・ 「陛下、バッハ会長と面会」「五輪運営 容易ではない」 

   ・ 「流転の祭典」「開催ありきの政権運営」「景気も政局も視界不良」

   ・  「首相五輪外交スタート」「バイデン夫人らと面会」「首脳級来日15人程度に」

   ・「米韓見送り、華々しさ欠く」 ( 2012年ロンドン五輪には、約80ヶ国の首脳級が出席 )

 夕方から開会式が始まるという日の、朝刊の見出しです。他の新聞がどのような紙面作りをしていたのか、調べていませんが、横並びのマスコミですから、似たようなものだと思います。

 開会以前から、WEB署名で中止を求めていた宇都宮健児氏や上野千鶴子氏もいましたし、中止や延期を主張する共産党や立憲民主党のプロパガンダもありました。今日は7月31日で、開幕から1週間が過ぎました。予想以上の日本人選手の活躍があり、国民はテレビの前で熱くなり、声援を送っています。

 「オリンピックをやって良かった。」「このまま無事、終わってくれることを祈る。」と多くの国民が思い、中止や延期については、おそらく誰も考えていません。万一のことを考え、警鐘を鳴らすのがマスコミの役目ですから、悲観的な記事を発信しても責められないのかもしれません。

 しかし全国一斉に、暗い、後ろ向きの記事ばかりだというのは、どう考えても異常ではないでしょうか。テレビで実況放送をするアナウンサーが盛り上がり、感激していますから、この落差が、東京オリンピックの特異性をよく表しています。

 息子や孫たちも、テレビや新聞で、私と同じ状況を経験しているはずですが、熱狂と混乱の渦中にある時は、案外ものが見えなくなります。私もきっと例外でないだろうと思い、後日のため、千葉日報の「記事の見出し」を、書き残すことにしました。

 何年かして「見出し」を見たら、きっと新しい発見があるだろうと思います。世論は、マスコミによって作られるものなのか。国民が作り出すものなのか。その答えが見つかるような気がします。

 マスコミや反日政治家が否定したり、批判したりしても、事実を受け止める多くの国民が肯定し、受け入れたら、それが世論になります。あまり飛躍すると、息子たちに首を捻られる気もしますが、「自主憲法制定」と「皇室護持」についても、同じ結果になるような気がしてなりません、

 歴史の転換点にいる自分を感じるとともに、答えを知りたいという思いが膨らみます。答えを見届けたいので、長生きをしたくなりました。この気持ちも、付録として追加します。

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消えたヒロイン

2021-07-29 19:50:54 | 徒然の記

 「是非ともブログにしておきたい」のは、我那覇真子さんのことです。この数日、オリンピックの報道を横目にしつつ、ほとんどの時間を我那覇さん関連の動画に費やしました。

 昨年、依田氏との公開討論の後、すっかり我那覇さんの姿が見えなくなりましたので、どうなっているのかと、ネットで検索しました。

「チャンネル桜沖縄支局の醜い争い、依田啓示vs我那覇真子」

 こんな見出しが見つかると、次々に関連の動画が探せましたので、それを一つずつ見ました。依田氏と我那覇さんの対立でなく、現在では我那覇さんと水島社長の争いとなり、第三者から見れば、「不毛な醜い争い」となっていました。

 オリンピックの報道だけでなく、この争いも、私の気持ちを暗くします。昨年5月に行われた、「公開討論」の感想をブログにしていましたので、一部を転記します。

 「私は、公開討論の動画を見る前から、依田氏がどんな人間であるのか、知っていました。」「彼女が、氏のような邪悪な人間と、本気で論争する気になったのが、間違いでした。」「言葉尻を捉え、奇妙な理屈で押し返されると、彼女の人格は崩れてしまいます。」

 「良心に訴えようと、哀願しても、氏には通じません。」「すくんだ蛙を、料理する蛇のように、邪悪な喜びを与えるだけでした。」「立会人として司会を務めたのは、チャンネル桜の水島社長でしたが、」「果たしてこの人が、適任者だったのかも、疑問があります。」

 この時私はすでに、水島氏への疑問を述べていました。

 「水島氏は、依田氏の身辺に警察の捜査が及んでいることを、知っていたと聞きます。逮捕されるかもしれない人物と、どうして公開討論をさせたのでしょう。」

 氏は傷害事件を起こし、警察から事情聴取を受けている被疑者でした。警察にシラを切り続ける氏の不誠実さを知りながら、水島氏は、犯罪が確定していない段階なので討論させたと言いますが、私ならこんな人物との討論はさせません。

 「我那覇さんも依田氏も、" チャンネル桜・沖縄の声 " に出演していた仲間です。」「水島氏と彼らの関係を、上司と部下というのか、社長と契約社員と言うのか知りませんが、私なら公開討論をさせません。」「正義一筋で、猪突猛進する彼女と、天才詐欺師のような氏に、」「中身のある議論ができるのかどうか、水島氏には分かっていたと思います。」

 この時の私の思いは、今でも変わりません。

 「関連する6本の動画で知ったのですが、水島氏と我那覇さんの間には、引き返せない溝ができていました。」「我那覇さんと依田氏の意見が噛み合わず、彼女が錯乱状態になっても、水島氏は仲介しませんでした。」「おそらく彼女は今回の討論で、依田氏だけでなく、水島氏についても失望しただろうと思います。」

 これが昨年の、私の感想ですが、どう見ても公平な司会者とは思えない水島氏でした。この時はまだ、水島氏と我那覇さんの感情的なもつれでしたが、今回は、水島氏に対する、那覇さん親子と江崎氏の憎み合いに発展していました。

 水島氏が我那覇さんを、沖縄で戦うヒロインとして育てたのは事実です。沖縄を支配しているマスコミは、「琉球新報」と「沖縄タイムス」の二紙で、反日左翼思想を発信し、国益を損なっています。こんな厄介な沖縄に、「チャンネル桜・沖縄の声」を開設したのは、水島氏の力でした。

 中国が土地を買い占めている北海道に、「チャンネル桜・北海道の声」を開設したのも、水島氏です。土地の爆買いを許している自民党政権と、中国の密接な関係を国民に知らせたのも、水島氏の活動があったからです。氏を「保守活動家」というのか、「戦う保守」と呼ぶのか、いずれにしましても日本とって重要な人物の一人です。

 そこを評価した上で、私は氏の我那覇さんに対する姿勢に、疑問を持ちます。水島氏が彼女をヒロインとして育て、活躍の場を提供したのは認めますが、一途な彼女を、沖縄の拠点作りに利用したのも事実です。動画の中で彼らは、沖縄の保守活動に貢献したのは自分たちだと言い争っていますが、これは私に、というより多くの国民には、醜い争いでしかありません。

 水島氏の怒りは、我那覇真子さんでなく父親の隆裕氏と、フリージャーナリストの江崎孝氏に向けられるべきと思います。彼らもまた、ヒロインとなった真子さんを利用し、水島氏に対抗する保守活動を沖縄で展開している、と自負しています。そんな隆裕氏と江崎氏が、私には水島氏への恩義を忘れた礼儀知らずに見えます。

 水島氏の「チャンネル桜・沖縄の声」があったから、二人の活動が全国的に有名になったのです。「琉球新報、沖縄タイムスをただす県民・国民の会」を作り、草の根の保守活動を展開しているのは、隆裕氏です。会長は娘の真子さんですが、主体は隆裕氏です。元々、草の根の保守活動を提唱しているのは水島氏なのに、おそらく隆裕氏は、何も相談せず、独自に活動を展開しているのではないでしょうか。

 「琉球新報、沖縄タイムス」という厄介な新聞を相手にするのなら、水島氏と協力する姿勢が必要なはずですが、そんな配慮をしていないのだろうと思います。またフリージャーナリストの江崎氏も、「チャンネル桜・沖縄の声」のキャスターとして有名になったおかげで、自身の「狼魔人日記」というブログにも、箔がついたのではないでしょうか。

 江崎氏も一家言持つ、一徹な老人ですが、隆裕氏同様、お世話になった水島氏への礼儀はなさそうです。水島氏が「我那覇グルーブ」と言って、自分の番組の中で強く批判しているのは、ここに原因があると思います。

 一連の動画を見て、私が感じるのは、沖縄で保守が分裂するという無念さだけです。言い分は、どっちもどっちだとしか判断できません。

 同じ保守なのに、私を批判し責める人がいて、不愉快になる経験をしていますから、互いに感情的になっている時、無理に仲良くとは提言しません。感情が先に立っている時は、妥協も理解もありません。日本のためにならず、「反日左翼勢力が喜ぶ」・・という事実だけが残ります。

 水島氏も、私から見れば、懐の小さな保守人です。隆裕氏や江崎氏は、礼儀知らずの保守です。家族を大切にする真子さんは、「我那覇グループ」が離れられませんから、私にとっては「消えたヒロイン」です。

 立憲民主党と国民民主党は、感情でなく政治理念で対立していますから、水島氏と「我那覇グループ」の争いに比べますと、レベルが上に見えます。情けない姿を晒すのは、私だけでないと分かり少し安心しましたが、水島氏も我那覇真子さんも、「ねこ庭」の私ごときと同列に並べられ、誇りを傷つけられないのでしょうか。

 日本は、「和をもって尊しとなす」国ですから、時間はまだ十分にありますので、各位の奮起を祈念します。

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陛下の 「オリンピック開会宣言」 について

2021-07-29 14:11:45 | 徒然の記

 7月21日に「国難の美智子様」を書いて以来、ブログの更新が滞っています。「武漢コロナ」による外出自粛が続くなかで、オリンピックが始まりました。

 前回の東京大会で、昭和天皇は次のように開会宣言をされました。

「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します。」

 今回は、

「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」

 と述べられ、「祝い」という言葉がありませんでした。「武漢コロナ」が終息せず、世界的大流行と、不要不急の外出自粛要請が続く中での開催ですから、曖昧な「お言葉」になるのも無理はありません。陛下が開会宣言をされている時、椅子に座ったままの小池都知事と菅総理の姿がありました。

 「起立」のアナウンスが流れなかったため、途中から気づいて席を立つ小池氏と菅総理の曖昧な姿が放映されました。原因となったのは、バッハ会長の予定時間オーバーの長い挨拶と、会長による陛下のご紹介があったため、アナウンスのタイミングを失したというものでした。大会委員会が予定した挨拶の時間は、バッハ・橋本両氏で9分だったそうですが、二人が19分間喋ったと言います。橋本氏が6分、バッハ氏が13分でしたから、彼らは陛下の時間も気にせず、喋っていたことになります。

 今にして思えば、陛下を軽視する姿勢は、この二人から始まっていました。開会式をテレビで見ていた私は、長い挨拶とは感じましたが、感極まった二人が自分の気持ちを述べているのだと、軽い気持ちで聞いて言いましたが、大会の顔とも言える橋本・バッハ両氏なら、文刻みのスケジュールのタイトさを熟知し、陛下の「お言葉」の重要性も理解しているはずです。10分も予定時間を超過し、陛下をお待たせする非礼に気づかないとしたら、やはり問題視されて当然でしょう。

 私の心が沈むのは、開会式を含め、自分の受けている印象と、マスコミやネットで語られている意見との落差にあります。

 この困難な時期に、世界の祭典を決断した政府と大会関係者のご苦労に、私は率直な敬意を表しています。やるのかやらないのか、曖昧な世論の中で、ひたすら練習を積み重ねた選手たちに対しても、拍手を送っています。それだけでなく、選手たちの活躍する姿に我を忘れ、声援を送り、涙を流しています。

 「やはり、オリンピックはやって良かった。」と思っているのに、マスコミやネットの批判が、私の気持ちに影を作ります。「他人がどうであれ、自分は自分だ。」と言い聞かせても、批判を知れば気持ちが沈みます。

 簡単なことを言えば、開会式の陛下の「お言葉」についても、橋本氏やバッハ会長の予定無視の事実を知らなければ、彼らの非礼にも気づきませんでした。もうここまで来れば、国民の心を一つにし、無事大会が終わるようにするのが、私たちの勤めだと思うのに、相変わらず「オリンピック反対」を主張する政党や活動家たちがいます。

 マスコミは、国民全員で応援しましょうと盛り上げる一方で、オリンピックの不祥事や不始末や不手際を報道します。コロナ感染者の増加と、飲食街の人出に警戒せよと言います。いちいち聞いていたら、何もできなくなりますし、無視していたら、大変なことにもなりかねません。

 自分の信ずるものに従い、いたずらに動揺せず、淡々と生きることの難しさを、日々痛感させられています。息子たちの手本になりたいと思いながら、迷ったりためらったり、情けない自分を知る日々です。

 『近代の戦争( 日清戦争 )』は、机の片隅に置かれたままです。その前に、是非ともブログにしておきたいことが生じましたので、書評が何時になるのか、自分でも分かりません。

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青山繁晴氏

2021-07-26 13:35:36 | 徒然の記

 【ぼくらの国会・第185回】「議員!!来年どうする?」

  久しぶりに、青山氏の動画を見ました。「議員 ! !  来年どうする。」というタイトルは、次回の参議院選挙に対する氏の姿勢を述べたものでした。「議員を一期で辞める。」というのが氏の公約で、来年限りで、任期6年の参議院議員生活が終わります。

 「議員を一期で辞める。」という公約が、私はずっと気に入りませんでした。日本を変えるためと言って議員になりながら、なぜ一期しかやらないのか。日本の抱えている課題が、そんな簡単なものとでも考えているのかと、反発が消せなかったからです。

 「なんでも正直に隠さず話す。」というのが、青山氏のモットーですが、なんでも喋る氏が、私には返って軽薄に思え、「信頼できない人物」に見えていました。『僕らの国会』にしましても、会議でのやりとりは、私には貴重な情報ですが、実名を上げられた政治家や官僚には、腹に据えかねる動画です。だからこれが、私の疑念を生じさせました。

 「ここまで話すのなら、党内での打ち合わせが済んでいるのではないか。」「そうでなければ、こんな際どい説明がどうしてやれるのか。」

 今回の動画で、私の推測が半分しか当たっていないことが分かりました。当たっていたのは、「青山氏の発言が、議員や官僚たちに嫌われていた。」という点です。隠れた非難や中傷だけでなく、正面からの風当たりがあり、動画は厄介なものとして扱われていました。

 一期で辞めるという氏の言葉を、待ち望んでいる議員たちが、自民党の中にいることも、明らかにしていました。反中国を鮮明にしていますから、二階派はもちろんのこと、公明党の議員も、反青山です。現在の自民党には、媚中、親中の議員の方が多数派ですから、日々が彼らとの戦いであったことが分かりました。

 共同通信社の記者をしていた氏に、参議院議員への立候補を勧めたのは、安倍政権時代の官房副長官だった世耕氏だったそうです。議員になる気のなかった氏が何度も断っていると、安倍総理から電話があったそうです。

 「青山氏が議員になったら、外務省が変わる。」(拉致問題への障害)

 「青山氏が議員になったら、経産省が変わる。」(エネルギー利権の打破)

 「青山氏が議員になったら、自民党の議員が変わる。」

 安倍氏の言葉は、おそらくそのままなのだろうと思いますが、私が氏の軽さを感じるのはこういうところです。安倍氏が何を考えていたのかを知る貴重な話ですが、公表して得をするのは、青山氏だけです。いかに八方美人の総理だったかが国民に分かり、安倍氏には迷惑なはずです。

 出馬を固辞する氏に、議員になる決心をさせたのは三浦秘書と夫人の言葉だったようです。

  「社長、国益のためです。」(三浦秘書)

  「(引き受けないと)、後悔しますよ。」(青山夫人) (拉致問題が解決されない)

 こうして氏は出馬を決め、自民党の選挙対策本部への要望を出しました。

   1. 支援団体はいらない。

   2. 団体の寄付もいらない。

   3. 選挙のプロの指導もいらない。

   4. 自分の思うことを喋り、自分の思う通りの選挙活動をする。

 氏の選挙活動を伝えたのは、マスコミの報道だとばかり思っていましたが、多くは支援者たちが、動画で全国に発信していたのだそうです。青山氏の頑固さと変人ぶりは当初からのもので、安倍総理を除けば、周囲の議員からは歓迎されていなかったのです。

 「青山くんは、一期で辞めると公言していたから、次の選挙に出たら有権者への裏切りなる。」

 多くの議員に言われたことも手伝い、へそ曲がりの氏は、次回の参議院選挙への出馬を決めました。そうではないかと予想していましたが、視聴者に気を持たせ、ヤキモキさせ、動画の最後になり、氏が明言しました。

 「議員が出馬されると知り、安心しました。」「この5年間、議員になっても自由に思っていることを喋られ、自民党を変えてこられたと私は思います。」

 司会進行役の三浦秘書が、動画の締めくくりとして語り始めました。

 「私のところに、多くの支援者の方から、どうして一期で辞めるのか。」「もっと続けて欲しいと電話があり、どう答えていいのか、困っていました。」「議員の決意を聞いて、きっと多くの方が安心され、喜ばれていることと思います。」

 三浦氏の言葉を聞きながら青山氏は、気持ちが抑えられなくなったのか、涙をこぼしていました。今もなお、氏は私とって不可解な人物ですが、この動画には心を動かされました。

 阿部詩(うた)選手が柔道で優勝した瞬間、私の頬を濡らした涙と、同じ涙が流れました。思いがけなく心を動かされるというのは、なかなか無いことだけに、貴重な経験でした。

 明日からも、氏との距離は是々非々ですが、「護る会」については期待しています。国民の期待を背負い、頑張って欲しいと心から願っています。一期で辞めるなどとんでもない話です。

 「護る会」とともに、「命の最後の雫まで・・」です。

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国難の美智子様

2021-07-21 12:19:43 | 徒然の記

  『最後の殿様』の書評を綴っている間にも、「中国船による尖閣の領海侵犯」、「中国魚船による大和堆の密猟」、「武漢コロナ対策」などなど、相変わらず難題が続いていました。

   6月26日に、「陛下を政治に巻き込んではならない。」という表題でブログでを書き、共同通信社のネットニュースを転記しました。

〈  6月24日 共同通信ニュース 〉

 「宮内庁の西村泰彦長官は、24日の定例記者会見で、東京五輪・パラリンピックへの天皇陛下の受け止めについて、「陛下は、現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を、大変心配されている。」「国民に不安の声がある中で、開催が感染拡大につながらないか、懸念されていると拝察している」と述べた。」

 この件は終わったものと考えていましたので、篠原常一郎氏の7月17日の通信ライブのタイトルが、「西村長官  " 拝察発言 "  騒動の裏側」とあるのを見て、意外感を覚えました。

 「陛下のお言葉を聞いた西村長官は、杉田和博官房副長官と相談の上で、発言をしていました。」「騒ぎが大きくなったため、杉田官房副長官へ問題が波及しないよう、」「西村長官の個人的見解として、落着させたのです。」

 篠原氏の説明で私が驚いたのは、次の部分でした。

 ・ 西村氏が聞いた陛下のお言葉とは、「高輪のご意向」だった。「高輪のご意向」とは、上皇陛下と美智子様のご意向をさす。

 ・ この情報は、宮内庁関係ジャーナリストの情報から得た。

 「陛下の発言」を、天皇陛下のご発言と思い込み、6月26日のブログを書きましたが、確かに、「陛下」と言えば上皇陛下や美智子様のことも含みます。篠原氏の説明によりますと、「高輪のご意向」を聞いた上は、そのままにすることもできず、西村氏が杉田氏に相談したのだと言います。

 上皇陛下は天皇ご在位の時も、美智子様のご意向を第一とされ、ことを決めておられました。お二人が「開かれた皇室」を望まれていましたので、女性週刊誌やネットなどを読めば、大抵のことは知ることができました。

 「災害被災地へのご訪問」と「戦地への慰霊とご訪問」は、美智子様の発案だったと言いますし、ほかにも次のようなご意向が漏れ伝わっています。

 ・皇太子殿下を皇位へつけるための、陛下のご譲位 (政府無視・憲法逸脱行為)

 ・NHKを通じての、ご譲位説明のための「お言葉」報道 (政府無視・憲法逸脱行為)

 ・愛子天皇実現へのご意向 皇室典範改正時の付帯事項 (政府無視・憲法逸脱行為)

 これは皇室の安泰を揺るがせ、皇室崩壊につながる美智子様の「ご意向」ですが、今回の「拝察発言」の情報が事実なら、美智子様は私とっては「国難のお方」となります。

 「天皇陛下を超えて、"高輪のご意向" が宮内庁や政府を動かすとしたら、」「日本の中心が、二つあることになるのでしょうか。」・・正確な言葉を忘れましたが、篠原氏がそんな意味のことを述べていました。

 美智子様がご意志を公にされれば、天皇陛下は従うしかなくなります。天皇陛下と上皇陛下はどちらが上なのかと、やがてそんなつまらない議論がまた国民の間に生じてきますが、これは反日左翼勢力が望んでいる「皇室の乱れ」と、「権威の失墜」に繋がります。

 杉田副官房長官は、「女系天皇」「女性宮家」に関する強い反対論者であるため、西村長官は記者会見での発言が、杉田氏に及ばないよう庇ったのだと言います。しかしここまで情報がリークされれば、杉田氏の責任問題が生じます。美智子様は、邪魔な杉田氏を辞任させることを狙い、裏話をリークさせたのかと、本意がそこになくても、結果としてそうなります。

 「この皇室ジャーナリストという人は、本当に皇室を大切に考えている人なのでしょうか。」「宮内庁関係者しか知り得ない情報を、なんのために拡散するのでしょう。」

 「開かれた皇室」を作るため、このジャーナリストが協力しているつもりだとしたら、「とんでもない害虫」です。必要もない皇室動画がネットに溢れていますが、行き過ぎた情報発信は、日本の根幹を腐らせます。美智子様も第一線を退かれたのですから、そろそろ天皇陛下の足を引っ張ることを、お辞めになってはいかがなのでしょうか。

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『近代の戦争』 ( 事前の準備 )

2021-07-20 17:13:06 | 徒然の記

 前回まで、義親侯の自伝『最後の殿様』の書評を綴りました。教えられることが沢山ありましたが、それはやはり侯から見た日本史に過ぎませんでした。薩長閥軽視という偏見のない、もっと客観的な事実が知りたいと、そんな気持ちにさせられました。

 本棚には、会社勤めをしていた頃に買い、そのままにしている本があります。『近代の戦争』〈全8 巻〉です。明治時代から、大東亜戦争が敗戦となった昭和時代までの、戦争ばかりをまとめた本です。本棚を見ると、題名だけで気が重くなり、今日まで放置してきました。

 人物往来社が昭和41年に、シリーズものとして出した本で、侯の著作の7年前です。参考のため、書名・著者名を紹介しますと、下記の通りです。

   1.  『日清戦争』   工学院大学教授 松下芳雄

   2.  『日露戦争』   東京大学教授 下村冨士夫

   3.  『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄

   4.  『満州事変』   武蔵大学教授 島田俊彦

   5.  『中国との戦い』  評論家 今井武夫

   6.  『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   7.   『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   8.   『年表・地図編 』

 著者の中で私が名前を知っているのは、洞富雄教授だけです。氏は捏造の南京事件に対し、「20万人以上の虐殺があった」と主張する人物です。ネットで調べますと、次のように紹介されていました。

 「日本の歴史学者として、最初に南京事件の研究をすすめ、その数を20万人以上とする立場を取る。」「『近代戦史の謎』(人物往来社、昭和41年)の「南京アトロシティー」の章に、」「大幅に加筆して、単行本としてまとめたのが『南京事件』(新人物往来社、昭和47年)であり、」「これは日本において、南京事件について書かれた最初の歴史書である。」

 私は平成31年に、田中正明氏が書いた『南京事件の総括』(平成19年刊)を読み、この中で洞教授の名前を知りました。著者の田中氏は、松井石根大将の秘書を務め、松井大将と蒋介石の会談にも同席したという、経歴の持ち主です。

 松井大将は、南京事件の責任を問われ、東京裁判 ( 極東国際軍事裁判 )で死刑判決を受け、処刑されました。氏の怒りは私憤というより、公憤とも言えるもので、松井大将の名誉を回復することに絞られ、GHQの統治下で、秘密裏に執筆作業を進めていました。氏は入手し得る限りのデータを集め、東京裁判での「南京事件」が、GHQによる捏造であることを証明しました。

 その本が、平成19年刊の『南京事件の総括』でした。その中で氏は、昭和41、47年に出版された洞教授の意見も紹介していました。私は今でも教授は、その名の通り「ほら」を吹く人物だと信じています。昭和の後半時代は、反日左翼教授や学者が、嘘もホントもつき混ぜて、日本批判と攻撃をしていた時ですから、今回の『近代の戦争』 シリーズを読むにあたり、洞教授の名前を発見してもそれほど驚きません。

 令和の今もそうですが、昭和時代の後半から平成にかけては、特に反日・左翼の天下でした。出版社だけでなく、新聞もテレビも、学術会議や東大社会科学研究所に巣食う、反日・左翼教授と協力し、国民を騙してきました。叩いても顔を出す「モグラ叩き」のゲームが、国を愛する国民との間で行われてきたのが、戦後の日本です。

 ということで、心の準備をして、読書にかかります。8冊の書評を終える頃には、オリンピックが終わり、「武漢コロナ」も収まり、二階氏も自民党からいなくなり、少しはマシな党になっているのでしょうか。

 仄聞するところによりますと、二階氏は、党内の二階下ろしに対抗し、小池氏や小沢一郎氏と手を結び、「自民党の分裂」を画策しているようです。一時的に自民党の議席が減ったとしても、長い目で見れば、二階氏につながる「獅子身中の虫」が出て行くのなら、日本にとっては良い方向へ行くはずです。

 「温故知新」の読書をしつつ、明日からも、忙しい政界を観察していこうと思います。

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『最後の殿様』 -19 ( 侯の戦争観 )

2021-07-18 05:49:14 | 徒然の記

 侯の「戦争観」を別の言葉で言いますと、「日本人観」です。これをまとめとして、ブログを終わりたいと考えております。

 「日本は、" 尚武の国  " といわれる。」「だがそれは国内だけのことで、国外向けではない。」「日本では明治維新まで過去一千年以上、武器・武具類は全く発達しなかった。」「源平の対立、南北朝時代、戦国戦乱と戦争は多いが、」「西欧の戦いと比べると、それは戦争と言われるほどのものであったろうか。」

 「戦闘形式は集団戦の形をとっているが、実は個人戦である。」「個人の武芸は発達したが、それは軍備というものではない。」「軍備には、軍団を指揮する司令官がおり、部隊の隊長がいて、」「司令官の統率のもと、一糸乱れない戦闘体制がなければならない。」「さらに通信連絡、兵器、弾薬、食料に至るまで、」「兵站部が必要である。」

 武門の棟梁の貴重な意見として、また学徒として、侯の説明を読みました。

 「だがそのような組織的なものは、僕の家の古文書をひっくり返して調べてみても、」「何もない。」「" 尚武の国  " であれば、戦争記録を正確に整備し、」「次の戦争に備えておかなければならないのに、」「そんなことは全く無関心で、戦争を研究した跡などさらさらない。」

 「中国から孫子、呉子の兵法が相当早くから入ってきたが、」「これも、真剣に研究した形跡がない。」「投石器、戦車、装甲車など、それを一切顧みず作ろうともしない。」「依然として飛び道具は卑怯なりと、刀を振り回している。」

 言われてみますと、日本での戦争はその通りでした。西欧のような総力戦でなく、武士同士の戦いが中心で、一般の民百姓は無関係でした。負けた相手の国の男も女も殺されたり、奴隷になったりせず、残虐な殲滅戦ではありませんでした。

 「こう見るとわが民族は本質的に、諸外国人のように執拗な長期戦、」「殺戮戦、侵略戦を、嫌うものがあるのではないか。」「あるは、不得手なのではないか。」「明治維新以後に、西欧の軍政と戦術を取り入れたが、」「模倣しきれなかったのではないかと、思う。」「これを今次大戦に引き伸ばしてみても、その形跡が濃い。」

 侯はその例として、真珠湾攻撃を説明します。

 「昭和16年12月8日、海軍はハワイを急襲した。」「襲撃は成功したが、それだけで引き上げてしまった。」「上杉謙信が武田信玄に一太刀あびせて引き上げたのと、どこが違うのか。」「急襲と同時に部隊を上陸させ、占領確保して前進基地にし、」「執拗に戦闘体制を整えるのが、戦略の本質である。」

 「日本軍はそんな計略も計算もなく、たった数隻の軍艦を沈めただけで、」「勝った勝ったと大騒ぎである。」「壊れたものは修理し、失つたものは作れば良い。」「アメリカは、すぐに盛り返した。」「こんな単純なことが分からないのが、日本民族である。」

 黙って読んでいましたが、次第に私の心が、侯から離れていきました。90パーセントの事実の中に、10パーセントの捏造を入れ、読者をたぶらかすという、反日左翼の主張に似たものを感じたからです。

 真珠湾攻撃をした時の日本には、侯の言う戦略を取る余力が残っていませんでした。残り少ない、血の一滴の石油を使い、やっとの思いで攻撃した真珠湾だったはずです。日本を愛する人物の言葉とは、思えなくなりました。

 「これが日本人の戦争観念である。」「この日本人が、形だけ外国の軍政を模倣したところで、」「粘りっこい外国の集団戦に、どうして勝つことができようか。」「日本人は個人の武芸を重んじるが、それは個人戦であって、」「西欧式の集団戦に、太刀打ちできるものではない。」

 ここまできますと、これはもう自虐思考であり、敗戦思考でしかありません。日本をダメにする反日左翼思想と、どこが違うのでしょう。

 「この観念を持ちながら、今日の自衛隊を議論するなど、」「愚の骨頂であろう。」「形だけアメリカの装備を真似て、何になろうか。」「無用の国費を消費するだけである。」「むしろ全廃した方が、良いだろう。」「もし防衛隊を置くなら、日本人的な戦争観念を取り去った、」「小さな完備したものにすべきだろう。」

 これが、自伝の終わりを飾る侯の言葉です。最後の二行が何を意味しているのか、私には意味不明です。なんでも理解する聡明な殿様ですが、これでは口先だけの評論家と大差がありません。

 侯に欠けているのは、幕末以来、日本の武士や学者たちが、アジアを侵略する欧米列強を見て、危機感を抱き、懸命な努力を重ねた歴史への理解です。長州の吉田松陰と、門下生だった下級武士たちの苦労を知る私には、とても認められない侯の意見です。

 何回目かのブログで述べましたが、或いはこれが、徳川の御三家である侯の限界なのでしょうか。武士や庶民の苦難と国難への理解を、殿様の意地と誇りが邪魔しています。

 「薩長の下級武士と下層公卿が手を組んでやったのが、明治維新だ。」という意識が、幕末・明治を見る目を曇らせ、薩長否定の気持ちが、日本軍の否定へと繋がっています。国を守る軍隊を否定し、侯は日本の国民をどうするつもりなのでしょう。中国やアメリカの属国にしても良いと、軽く考えているのでしょうか。

 本日でブログを終わり、侯の著作は、他の本と束ね、来週の小学校の有価物回収の日に出します。残念ではありますが、これが私の出した結論です。

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『最後の殿様』 -18 ( スターリンと 2・26事件 )

2021-07-17 14:51:37 | 徒然の記

 2・26事件には、侯も複雑な思いがあるのでしょうか。折に触れ、感想を述べています。

 「2・26事件には、確かに同情すべき点が多い。」「だがその影響も、軽視するわけにいかない。」「三月事件、十月事件、5・15事件までは、」「首謀者は革命運動として、国民大衆との結合を念頭に置いていた。」「労働者や農民が加わり、無産政党の加担も求めていた。」

 「だが、2・26事件にはそれがない。」「純粋性と忠誠心に凝り固まった結果、軍人だけの行動となった。」「これが、派閥闘争に利用されたといわれるところで、」「国民から遊離しただけでなく、反軍思想さえ生まれた。」「2・26事件の結果、世界の各国が、アジア大乱を予想した通りになった。」「翌、昭和12年7月7日に、盧溝橋事変が突発し、」「ついに、不幸な日中戦争となったのである。」

 私はこの時、侯の自伝の5年後に出版された、白石正義氏の著『私の昭和史』の記述を思い出しました。

 氏は、陸軍士官学校在学中に5・15事件に連座し、退学処分となり、満州に追放されました。そこで関東軍情報部、関東軍特務機関要員となり、身分を隠したまま終戦を迎え、引き揚げ船で帰国した人物です。戦後は一般人として暮らしていましたが、自分の人生の記録として、昭和63年にこの本を書いています。

 侯の知らない事実が書かれており、知っていたら、2・26事件への見方が変わっていたのではないかと、そんな気がしてきました。話が横道へそれますが、白石氏の著作から、その部分を転記します。

 「わが国と蒋介石を戦わせ、」「両方の戦力を消耗させることが、」「スターリンの唯一の願望であり、世界戦略の一端であった。」「アジアでの無産革命を達成するための障碍の一番が、日本帝国で、二番目が蒋介石の国民党であった。」

 「このためにスターリンは、中国に「国共合作」を行わせ、」「手段として、共産軍を国民党軍に編入し、日本に対する統一連合戦線を結成させた。」

 いわゆる、世間でささやかれる「スターリン謀略説」です。白石氏が、渾身の思いで出版した本だったのでしょうが、昭和63年の日本では、一顧だにされなかったようです。

 「近衛内閣以後の歴代の内閣は、日中戦争を一日も早く終わらせるべく、」「それなりの努力を払った。」「しかし都度不調に終わった原因は、スターリンの  " 反ファッショ人民戦線 "  にあったのでないか。」「王明の提案の内容をみれば、いくらわが国が和平交渉を提案しても、無駄であった理由が、判明する。」

 ここで氏が説明しているのは、昭和10年にモスクワで行われた、「コミンテルン第7回大会」における「スターリンの戦略」です。大会後、戦略に沿って、三つのことが実行に移されたと言います。

  1. 毛沢東の抗日宣言 (昭和10年)

  2. 西安事件 (昭和10年)

  3. 2・26事件 (昭和11年)

 1. 2. については、納得できますが、3つの戦略の中に 2・26事件が含まれていると言うのは、不思議な話でした。今まで忘れていましたが、侯の自伝を読み、ふと白石氏の著作を思い出しました。

 氏の著作を、少しばかり転記します。

 〈 1. 毛沢東の抗日宣言 (昭和10年) 〉

  スターリンの指示を受けた毛沢東は、四川省で、抗日宣言を発表した。

 「中国および中国民衆の仇敵は日本だ。」「日本の侵略で中国は多くのものを失ったが、今や日本はさらに武装し、中国に迫っている。」「中国および中国民衆は、国内抗争を停止し、抗日の旗印のもとに、すべての階級の民衆を組織し、全面的抗日戦線を行うべきだ。」

  〈 2. 西安事件 (昭和10年) 〉

  共産党討伐戦のため、南京を訪れていた蒋介石を、副司令官である張学良が、宿舎を急襲し監禁した。延安にいた共産党の周恩来が、モスクワの指令で仲介に入り、蒋介石を救出した。釈放の条件として、蒋介石は共産党討伐を止め、国共軍が一致して日本と戦うことを、約束させられた。

  〈 3. 2・26事件 (昭和11年) 〉

   軍部内の将校を扇動し、天皇親政の名のもとに政権を取らせ、米英相手の戦争に突入させる。かくて日本は国力を消耗し、敗れ、日本を敗戦革命に導くことができる。

 要するにスターリンは、クーデターを成功させ、米英戦争へ向かわせることを戦略にしていたと、氏は説明しています。意見の正当性を裏付けるため、ボン大学教授の松本氏の意見を、引用していました。

 「 2・26事件によるクーデターは成功しなかったが、米英戦争へ向かうという流れは残った。」「5・15事件は、純粋に日本だけで考えられ、実行されたものだが、」「 2・26事件は、その考えの底流に、外国の発案が働いている可能性がある。」

 読者の疑問を解く鍵として、白石氏が次のように述べています。

 「コミンテルン第7回大会には、野坂参三と山本縣蔵の2名が、それぞれ岡野、田中という偽名で日本を出国し、参加しています。」

 私はこの2名、野坂、山本の両氏が、スターリンの戦略を実現するため、大川周明氏や北一輝氏に近づいていたのではないかと、推測します。共産党員にも親近感を抱き、警戒心を持たなかったのですから、十分に考えられます。結局日本軍は昭和16年の12月に「真珠湾攻撃」をするのですから、長い目で見れば、スターリンの戦略は実行されています。

 スターリンを過大評価するのでなく、私がこの話を紹介するのは、「日本共産党の恐ろしさ」「無警戒な日本人」への警鐘のためです。現在の国際社会は、米中の二大強国が覇権を争い、日本がその狭間で翻弄されています。政界にも経済界にも、国益を忘れた反日左翼たちが、中国に膝を屈し、米国内の反日勢力に媚びを売っています。

 私たちは、侯や大川氏、北氏と、周辺にいる「お人好し」の人々を、笑っているわけにいきません、他人事ではありませんと、それが言いたくて回り道をいたしました。

 「政界は一寸先は闇」といわれますが、国際社会も同じことです。過去を知り、現在を考えることの大切さを、息子たちに伝えたいと願っています。

  1.  反日左翼学者の追放  2.  反日左翼スコミの駆逐  3.  反日左翼政治家の落選

 現在の私たちがやらなくてならない具体策は、以上三つです。しかも忘れてならない重要なことは、自民党の中にいる「害虫たち」です。落選させる勇気を持たなくてはなりません。

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『最後の殿様』 -17 ( 大川氏と北氏の革命思想 )

2021-07-17 08:10:13 | 徒然の記

 大川周明氏と北一輝氏の思想を比較する前に、時代を語る侯の説明を転記します。

 「昭和7年になると、底流にあった歴史の激動が、表面化してきた。」「米を作っても農民は食えず、佐倉宗五郎のような義人の出現を待望するようになった。」「青年は鬱勃たる不満を抱き、ある者は過激化し、ある者は退廃的になっていった。」

 「2月9日に、前の大蔵大臣井上準之助さんが、」「選挙の応援演説に行った先の小学校で、小沼正に拳銃で射殺された。」「3月5日には、三井合名の団琢磨さんが、菱沼吾郎に射殺された。」

 「これが血盟団事件であった。」「血盟団は、社会の諸悪の根源は、政治家よりも財閥であるとみた。」「より根源の財閥を、一人一殺によって打倒しようと試みたのである。」「財閥は大打撃を受けた。」

 血盟団事件については、私も学校で習い、事実だけは知っています。

 「その激動の中で、大川周明くんと石原莞爾くんは協力して、」「神武会を発足させ、発会式を行い、」「またしても僕が担がれて、顧問になった。」「これは行知社の名称を変え、幅を広くしたものである。」

 ここで侯が、大川氏の主張を紹介しています。

 「神武会は政党でなく、一個の国民運動である。」「われらは一党一派を立て、現在勢力を倒し、これに代わろうとするものではない。」「国民全体の総力をもって、建設にあたらんとするもので、」「国民統合の、機動力足らんとするものである。」

 「今日の乱兆歴然とした機運の中で、一党一派が単独で、」「政局を収集しうるとは考えていない。」「少なくとも神武会は、左様な日向の夢を描いてはおらぬ。」

 私には、当たり前のことを述べているとしか読めませんが、侯は、「大川くんは、一党一派の利己心や指導権を否定している」と評して、さらに紹介します。

 「神武会はまず国民に向かって、日本の理想と現実を明確に説明する。」「国民は日本の理想の高きを知り、日本の現実の低劣悲惨さを知るであろう。」「さらに神武会は国民に対し、日本を貶めた諸悪の根源がどこにあるかを、」「正確に説明する。」

 これも私には、当たり前の意見ですが、侯は、「いろいろの意見があるが、全て抹消的で、その根源をえぐっていない。」「大川くんの着眼はやはり鋭い」と評価し、説明を続けます。冗長なので少し割愛し、最後の部分を転記します。

 「神武会の政策には、少なくとも2個の条件を不可欠とする。」「第一は途端に苦しむ国民が切実にもとめ、断行によりその苦しみを和らげうるもの。」「第二はその断行が、国家機構の根本的改革を誘導するものであること。」

 拙速を語らず、長期展望に立った意見には、三月事件と十月事件の反省がこめられ、国民大衆の上に立つ革命を語っていると、侯は、高く評価しています。しかし私には単なる精神論だけで、具体的な中身が何もないと思えますので、それほど感心しません。

 北一輝氏について言いますと、『日本改造法案大綱』が有名です。2・26事件の決起将校たちは、氏の本を熱心に読んでいたと言います。どのような内容なのか、ネットの情報がありますので、紹介します。

 ・男女平等、男女の政治参画

 ・華族制度廃止、貴族院廃止

 ・累進課税の強調

 ・私有財産制限、大資本国有化、財閥解体、皇室財産削減

 ・日本の国体は、「天皇の独裁国家」でなく、「天皇を中心とする近代的民主国家」

 ・天皇の下に議会があり、議会から内閣が生まれる「天皇親政国家」を目指す

 ここまで具体的に書いていたのかと言う驚きが、まずありました。大川氏の抽象的な精神論に比べますと、具体的なので、若い将校の心を掴んだのだと思いました。十月事件のクーデターは未遂に終わりましたが、成功した後の政府の陣容まで計画していたことが、ネットの検索でわかりました。

  首相 荒木貞夫陸軍中将   蔵相 大川周明  内相 橋本欣五郎中佐

  外相 建川美次少将     法相 北一輝   警視総監 長勇少佐

  海相 小林省三郎少将

 侯は説明していませんが、おそらく十月事件のクーデター失敗以来、革命一本槍の北一輝氏と大川氏の間に、考えに齟齬が生まれたのではないかと推察します。大川氏が北一輝氏を離れれば、必然的に侯も北氏から距離を置くことになります。さらにネットでは次のようにも、書かれています。

 「彼らの思想は、国家社会主義と分類・紹介される事が多い。」「しかしむしろ、軍部単独による階級闘争・暴力革命・非合法手段・強権行使に頼った、」「日本式社会主義とも言える。」「更には反特権階級・反財閥、果ては日蓮宗の思想までもが混然としている。」

 北氏だけでなく大川氏の思想も、神道やイスラム教が混じる「日本式社会主義」だったと、私には見えます。「彼らには、政権を取るまでの方法論はあったが、政権を取った後の具体策がなかった。」と、ネットでは厳しい評価ですが、さもありなんと、思えてなりません。

 侯の著作で北一輝氏は評価されていませんが、ネットには別の評価も書かれていますので、「両論併記」の意味で、転記します。

 「二・二六事件後、軍法会議の裁判長吉田悳少将はその手記で、」「北の風貌全く想像に反す。柔和にして品よく白皙。」「流石に一方の大将たるの風格あり、と述べている。」

 「日ごろから言葉遣いは丁寧で、目下、年下の者にも敬語を使っていたという。」「裁判では、青年将校たちの決起について、自分は関係がないことを主張しながらも、」「青年将校たちに与えた、自らの思想的影響についてはまったく逃げず、死刑判決を受け入れている。」

 侯の人物評も、吉田少将の評価も、どちらも北一輝氏を語る事実です。息子たちへの参考のため、付記しました。

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『最後の殿様』 -16 ( 複雑な気持ち )

2021-07-16 07:54:01 | 徒然の記

 「革命は、国民大衆との結合なしにはあり得ない。」「わが国では、軍隊を使っての武力クーデターは成功しない。」

 三月時件、十月事件のクーデータ計画を失敗した橋本中佐の反省として、侯が語った言葉です。レーニンにしてもスターリンにしても、あるいは毛沢東も、革命を成功させるには、国民大衆を味方に入れるため力を尽くしました。ボルシェビキは貧しい者の味方だ、人民解放軍は弱い農民の味方だと、国民大衆の心を奪いました。

 同時にあらゆる武力を使い、彼らは暴力で革命を成功させました。だから私は、橋本中佐の意見の半分に同意し、半分に異論があります。国民大衆との結合と同時に、武力は不可欠なので、正しく言うと次のようになります。

 「国民大衆と結合した武力行使が、革命を成功させる。」

 だが私の気持ちを複雑にさせるのは、言葉の定義ではありません。2・25事件は、国民と結合したクーデターだったと、私が考えているからです。 高橋正衛氏の説明を借りると、理解できます。三月事件から5・15事件まで主体となったのは、桜会で、陸大出身のエリート軍人が中心でした。

 しかし2・25事件の主体となったのは、下級将校です。彼らの多くは、大学へ行ける裕福な家庭に育った桜会の軍人と違い、貧しい農村や漁村の出身者でした。世界恐慌の影響を受け、日本経済が破綻し、その影響をまともに受けたのが農村と漁村です。生活のため、それだけのために、娘を売る親が現れ、売られた娘たちは酌婦となり、売春婦となり身を持ち崩して行きました。

 犯罪者が増え、刑務所が溢れるだけでなく、貧しい娘たちの不幸も溢れ、新聞が書き立てていました。娘たちを金で買い、弄ぶのは、戦争成金と、財閥と、彼らと結びついた政治家でした。つまり2・25事件で決起した下級将校たちは、橋本中佐の言う「国民大衆」だったのです。

 たまたま彼らが武器を持つ軍人だっだけで、彼ら自身は「国民大衆」でした。彼らは可愛い妹や、愛する姉や、大切な姪たちが売られていくのを、怒りと涙で我慢していた「国民大衆」でした。

 この事情につきましては、高橋正衛氏だけでなく、2・26事件の当事者だった末松平太氏の著書などからも、知ることができます。

   権門、上(かみ)におごれども、國を憂うる誠なく、
   財閥、富を誇れども、社稷(しゃしょく)を思ふ心なし

 昭和維新の歌を歌いながら、彼らは心を一つにしたと言われていますが、時流に乗り、歌で高揚したと言う軽薄なものでなく、歌は心の叫びだったかと、私には思えます。彼らは、荒木貞夫、真崎甚三郎という野心家の将軍に利用され、梯子を外され、陛下から逆賊と言われてしまいました。

 5・15事件で犬養総理を射殺した、桜会の将校たちとの処遇の差は、大川氏や侯のような人々の理解不足と、受け止め方の違いから生じているのでないかと、推察しています。

 彼らは天皇親政を求め、政争を繰り返す政党に敵対心を燃やし、天皇と外界を遮断する元老や重臣を、「君側の奸」として憎みました。この思想を植えつけたのは、北一輝氏だけでなく、大川氏も橋本中佐も仲間だったのではないでしょうか。政府要人を殺害した罪は厳しく問うとしても、彼らもまた、歴史の波に流された「国民大衆」の一人であり、犠牲者でもあったと、言ってやることはできないのでしょうか。

 それができないのは、殿様だった侯の限界か、あるいは侯の言う下層に生まれ育った私の、独りよがりな思い込みなのか。自分では分かりません。その判断は、私がいなくなった後で、ブログを読むであろう息子たちに任せたいと思います。

 ここで断っておかなければならないのは、私が色々批判するので、息子たちが侯を誤解してはならないと言うことです。引用しているのは、侯の意見の一部であり、侯自身は世間の物差しで測れない、不思議な人物であると思います。

 このようにちゃんと説明しておけば、次回からも、遠慮なく意見が述べられます。明日は「国家社会主義」に関する、大川氏と北氏の相違について、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に、ご報告しようと思います。侯は大川氏の思想を賞賛しますが、私は北氏の考えの方が優れているのではないかと、密かに考えています。

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