ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

自民総裁戦

2018-08-31 16:26:14 | 徒然の記

 8月18日から、共同通信社が、千葉日報に表記のタイトルで、連載記事を配信しています。上中下の三回シリーズです。

 偏向記事より、読書を優先しているので、8月19日までしか読んでいませんが、意見を述べるには、これで十分です。安倍総理と石破氏の顔写真を並べ。それぞれの主張を囲み枠で対比させています。上下二回の主張を、そのまま並べてみました。

  [ 安倍総理 ]

   1. 次期国会に、自民党憲法案の提出をめざす。いつまでも、議論ばかり続けない。

   2. 戦力不保持の9条2項を保持し、自衛隊を明記するのが現実的だ。

   3. 「安倍一強」といわれるが、私は極めて融和的な人間だ。

   4. 旧民主党政権は、「決められない政治」。官邸主導で、機動的な政策展開が可能となった。

   [ 石 破 氏 ]

   1. 9条は緊急性が低い。スケジュールありきで、行くべきでない。

   2. 合区解消や、緊急事態条項の新設を優先すべきだ。

   3. 私は正直で公正、そして謙虚で丁寧な政治をつくりたい。

   4. 党紀刷新、官邸の信頼回復を掲げ、一強政治を改める。

  憲法改正について、正論を述べているのは、石破氏です。安倍氏のように、9条2項を残したまま、自衛隊を明記すれば、複雑な憲法がさらにややこしくなります。解釈の積み重ねで、自衛隊を合憲にしていますから、このうえまた解釈を付加するのでは、つぎはぎだらけの憲法になります、

 しかし石破氏の正論は、現在の日本の状況を考えれば、とても実現性がありません。2項の削除ができないばかりに、戦後73年が空費されてきました。この状況で正論を述べるというのは、「憲法改正反対」を主張していることに他なりません。そこが分かっているから、「9条は緊急性が低い。スケジュールありきで、行くべきでない。」という発言が出てきます。

 敗戦以来の保守自民党の党是であり、現在では多くの国民の悲願ともなった「憲法改正」を、かくも軽々しく扱う人物が総理になるなど、私にはとうてい考えられません。国の安全保障体制をいびつなままにし、国の独立を望まないというのなら、石破氏は総裁候補どころか、自民党の議員としても不要な人物です。

 ネットの情報では、野党から石破氏へ、「反安倍」「憲法反対」で結集しないかと、再度の離党の勧めがあったと言われています。ガサネタの多いネット情報ですが、そもそもこんな話が最もらしく出てくるところからして、石破氏の資質が問われます。

 しかも石破氏は、女性宮家創設の賛同者です。女性宮家の創設は、やがて皇室の崩壊をもたらす、アリの一穴ですが、氏は考慮していません。「男女平等の時代だから、」などと、お花畑の国民へリップサーピスし、日本の歴史や文化への、知識の欠如を公言しています。

 軍事オタクと言われるほど、軍艦や戦車の名前など、軍事については知識が深いのでしょうが、日本の基本となる政策で無知、無能を晒しながら、よくも総裁選に手を挙げたものです。

 1. 憲法を改正し、自国の軍隊を持ち、独立国としての日本を国際社会で明確にする。

 2. 日本の中心である皇室を守り、培われてきた、歴史と伝統と文化を守る。

 反日・左翼が目の敵にし、崩壊させようとしてきた、この二つこそが、自民党総裁としての政策であり、議論されるべき争点です。私は安倍氏の、グローバリゼーションに偏った経済政策や、安易な外国人受け入れ策には、大反対ですが、それでも石破に比べれば、よりマシな総理です。

 昨日まで、私が取り上げたブログの、日露戦争や朝鮮戦争や、国際政治の力のせめぎ合いが少しでも頭にあれば、石破氏の言葉は、「児戯に等しい、たわ言」と、分かります。

  「私は正直で公正、そして謙虚で丁寧な政治をつくりたい。」

  「党紀刷新、官邸の信頼回復を掲げ、一強政治を改める。」

 海千山千の政治家が、自国のエゴをむき出しに、権謀術作で戦う国際社会で、こんな寝言が通じましょうか。これは、いかに氏が、国民のレベルを低く見ているのかとという、証拠でもあります。「モリ・カケ問題」で、曖昧な答弁しかできなかった、総理を揶揄した悪意のスローガンでしかありません。

 現在の日本において、こんな些事で日本の総理を辞めさせたがるのは、反日・左翼の「お花畑の住民」くらいです。多くの国民の判断基準は、石破氏の考えている以上にレベルが高く、まともな思考をしています。国を大切にする国民の気持ちも、斟酌できないような議員が、なんで自民党に在籍しているのか。

  私に言わせれば、総裁選以前の問題です。

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日露戦争 - 7 ( 日露戦争の戦費について )

2018-08-31 00:24:34 | 徒然の記

 本日はロシアに関する、古屋氏の簡潔な説明を紹介します。 

 「世界一の陸軍国として自負を持つ、ロシアの支配階級には、日本との戦争に敗北するなどという懸念を抱く者はいなかった。」「ロシアが撤兵した後、日本や他の列国が入り込んで来ることは、ロシアの利権を弱め地域の安全をおびやかすという主張が高まっていた。」

 「国家の安全のため朝鮮を支配して防壁とし、その外側にさらに利権を扶植し、防壁の安全を図ろうとする日本側の論理も、論理のたてかたはロシアと同じであった。同じであったからこそ、両国の衝突は避けられなくなってきたのであった。」

  満州からの撤兵と、朝鮮への侵入に関し、日本とロシアは何度も会談を行いますが一向に進展せず、世論は次第に主戦論へと熱く傾いていきました。

 「新聞は、ロシアとの戦争は最早避けえないとするムードを煽り、政府は無為無策であると激しい言葉で非難した。」

 平成の今はNHKと朝日新聞が先頭に立ち、「平和を守れ」「戦争は絶対反対」と叫んでいますが、明治時代はマスコミが戦争を扇動していました。

  氏の本に戻ります。日露戦争に際しての、清国の中立化という課題です。

 「12月の閣議では、開戦の場合の清国と韓国に対する方針を決定した。」「まず清国は、日本の側に参戦させることなく、中立を取らせることが肝要だとした。」「清国を日本側に参戦させれば、欧米人一般への反抗を誘発し、義和団事件の再現となるやもしれない。」

 「それは清朝の内乱・革命へとつながり、列強がたちまち干渉をし、利権の奪取へ狂奔するであろう。」「列強の利権を、全身に背負い込んでいる清国を動かしてはならず、中立を取らせ、秩序と統一を保たせるのが良いというのであった。」

 清国はこの勧告を受け入れ、開戦直後に中立を宣言します。しかし韓国については、簡単にいきません。

  「韓国皇帝は日本に反感を持っており、反日派の勢力も強く、韓国皇帝は日露両国に使者を送り、局外中立を認めるよう要請するなどしていた。」「日本が最も心配したのは日清戦争の翌年、皇帝がロシア大使館へ逃げ込み、親日政権の打倒を命じたような事態が再現することであった。」

 「京城では、皇帝がロシアの同盟国である、フランス公使館へ逃げ込むのではないかという風評が流れていた。」「日本がロシアとの交渉で、最後まで朝鮮の支配力確保の条項に固執したのは、こういう事情からであった。」

 明治37年の2月、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争始まりました。戦争は翌年の9月まで続き、満州を主戦場として、旅順攻撃、遼陽の戦い、ロシア艦隊との海戦、そして最後には日本海海戦でのバルチック艦隊との戦いでした。

 戦費という点からの氏の説明は、私の知らない日露戦争の内情です。

 「開戦の主戦論者である井口少将は、日清戦争の戦費が2億2千万円であったことと対比し、日露戦争では5億円あれば足りると考えていた。」

 「国庫で負担できるのは、1億5千万円であるから、残りを同盟国のイギリスからの外債で賄うと構想していた。」「逆算して言えば、地理的にはハルビンまで、時間的には、戦争を1年と限定していることとなる。」

 「これに対して児玉参謀次長は、8億円と予想したと言われるが、実際には約20億円と、予想をはるかに上回る金額となった。」「増税で賄われたのは2億1千5百万円に過ぎず、78パーセントは内外からの公債、特に英米市場を中心とする外債に依存にした。」

 「そこから当然、イギリス、アメリカへの依存という事態が生まれる。」「財政的な面での依存と同時に、適当な時期に戦争に待ったをかけてくれる、調停者になってもらうという依存だった。」「いろいろな弱点を知る日本政府の首脳は、出来るだけ早い時期の講和の実現を、最初から明確に認識していた。つまり講和条件を懐にしながら、戦争を始めたのであった。」

  「薄氷を踏む思いで戦った戦争だった。」というのは、公然の事実です。長期戦になれば、戦費がなくなるだけでなく、伸びきった前線への補給手段もありませんでした。

 日露戦争時の指導者たちが、日本の国力を弁え、長期戦を避け、講和の決意を忘れなかったのは偉業だと、そんな気がします。

 書評はやっと190ページで、残りが50ページほどありますが、このあたりで古屋教授とお別れしたくなりました。

 貴重な事実を沢山教えて頂きましたが、自分の国を愛せない方の意見を紹介する作業に、意欲を削がれています。日本を褒める必要はないとしても、軍国主義の日本が侵略したという視点でだけで説明されると、不快感が生じます。ロシア、イギリス、ドイツ、フランス、そして清国でさえ、軍国主義国で武力の信奉者なのに、氏はなぜ日本だけに厳しい批判の目を向けるのか、本は最後まで読みましたが、書評を続ける気持ちが消えました。

 無知を開いてくれた氏に感謝しつつ、不愉快にも感じつつこれで終わります。

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日露戦争 - 6 ( ロシアの7ヶ条要求会と、日本の21ヶ条要求 )

2018-08-30 00:55:09 | 徒然の記

 日米英の抗議を受け、ロシアは満州からの撤兵を6ヶ月ごとの3期に分け、一年半で完了すると清国に約束しました。

 第1期の撤兵が終わり2期目の期限が近づいても、ロシアは約束を守らず、返って増員しているという情報も入ってきました。撤兵期限を10日過ぎた時、ロシアは清国に対し七ヶ条の新しい要求を出し、日本は清国側から、ロシアの新提案の内示を得ました。

 ロシアの要求は、次のものでした。

 1. 清国へ返還する土地はいかなる事情があっても、他国へ売却や譲渡をしてはなら

   ない。そのようなことをすればロシアへの威嚇とみなし、利益保護のた

   め、断固たる措置をとるであろう。

 2. 蒙古における、現在の政治組織を変更しないこと。それを変えると人民の暴動な

   どの騒乱が、起こる恐れがある。

 3. ロシアに予告せず、満州に新たに開市開港を行い、外国領事の駐在を許しては

   ならない。

 4. 清国が行政事務のため雇う外国人の権力は、満州北部地方に及んではならない。

   もし外国人を雇う場合は、ロシア人管理のもとに特別の官局を設けね

   ばならない。鉱山技師を雇う場合は、満州と蒙古に関してはロシア人技師に

   任せられるべきである。

 5. ロシアが北京ー営口間の電柱の上に仮設した、電信線は、ロシアが盛京省に有す

   る電信線と、連結し、維持されなければならない。

 6. 営口の税関を返還した後も、収税金は露清銀行に預け入れなければならない。

 7. 満州占領中、ロシアの人民や会社が正当に獲得した権利は、撤兵後も有力とする

   こと。流行病の蔓延を防ぐため営口に検疫局を置き、税関長と医師は、ロシア

   人を採用すること。

  眠れる獅子と言われた清国が日清戦争で日本に敗れ、北洋艦隊を失い、軍事力が弱体化するとこの有様です。7カ条と言いながら、中身は9カ条になり、撤兵してもロシア支配は変わりません。世界最強の陸軍を持つというロシアは、日米英に非難されても簡単に妥協しません。

 清国からの情報で内容を知った小村外相は、イギリスとアメリカへ通告し、両国政府も強い抗議を行いました。3国の反撃を受けロシアが譲歩の色を示し、清国はロシアの要求を拒否しました。

 ロシアの譲歩を見て、イギリスとアメリカは納得しますが、肝心の撤兵が曖昧になるため、日本は納得しません。黙っていれば、増員をするばかりでなく、満州から朝鮮へと侵略が進むので、事態を危機的と捉えました。

 予感が的中しロシアは、鴨緑江の朝鮮側の土地を買収し、中国人の人夫を率いて、大規模な工事を始めました。日本は実情を探るとともに韓国政府に抗議を繰り返しますが、ロシアは獲得した権利の上で行う森林事業だと、説明するだけでした。

 韓国駐在の林公使の調査によりると、現地のロシア人は軍人で、中国人は馬賊であると判明します。ロシアは周辺に軍隊を駐留させているだけでなく、韓国国境の要所に、兵隊を置いていることも分かりました。危惧していた通り、ロシアは日本防衛の生命線である朝鮮へ、手を伸ばしていました。

 清朝が崩壊したのち中国は中華民国となり、袁世凱が初代大統領となりました。大正4年の大隈内閣の時、加藤外相は袁世凱大統領に対し、世にいう「対華21ヶ条の要求」をしました。

 こんな要求を突きつけるのでは、日本が中国人に非難されても仕方がない。帝国主義の日本と嫌悪されても、返す言葉がないと思いました。しかし今、ロシアの清国への要求を具体的に知りますと、「対華21ヶ条」の手本はここにありました。

 息子たちのために「対華21ヶ条」の一部を紹介します。ロシアの要求にそっくりです。。

  ・ドイツが山東省に持っていた権益を、日本が継承すること

  ・山東省内やその沿岸島嶼を、他国に譲与・貸与しないこと

  ・膠済湾鉄道の敷設権を日本に許すこと

  ・旅順・大連の租借期限、満鉄・安奉鉄道のの権益期限を99年に延長すること

  ・日本人に、各種商工業上の建物の建設、耕作に必要な土地の貸借・所有権を

   与えること

  ・他国人に鉄道敷設権を与えるとき、鉄道敷設のため他国から資金援助を受ける

   時、また諸税を担保として借款を受けるときは、日本政府の同意を得ること。

  ・政治・財政・軍事に関する顧問教官を必要とする場合は日本政府に協議すること

  ・中国政府に政治顧問、経済顧問、軍事顧問として、有力な日本人を雇用すること。

  ・中国内地の日本の病院・寺院・学校に対して、その土地所有権を認めること

  ・福建省における鉄道・鉱山・港湾の設備(造船所を含む)に関して、建設に外国資

   本を必要とする場合は、まず日本に協議するここと。

 「対華21ヶ条」だけを取り出し現在の視点で読むと、反日・左翼の学者たちの言う通りです。傲慢な日本、軍国主義の日本、横暴な侵略主義者、中国を軍靴で踏みにじった日本など、どれも当たっています。

 しかし当時の国際社会を考慮すれば、別の見方が出てきます。ロシアや日本だけでなく、イギリスも、フランスも、オランダもドイツも、アジアの弱い国々に対し、同様な要求をし、一方的な通告をし、自国の勢力下に入れていました。当時の常識は「武力」であり、武力の如何が外交の勝利をもたらしていました。

 袁世凱に要求を突きつけた時、日本は日露戦争の勝利者でした。列強も一目置き、アジアで特別扱いされる強国になっていました。その延長からすれば、ロシアの「7ヶ条」より多い「21ヶ条」だとしても、現在ほどの批判はなかったのかもしれません。

 日本が中国において特殊利益を有することを、イギリスとフランスとロシアが、明文もしくは黙示の承認をしていた事実が証明します。ただアメリカは態度を明確にせず、ドイツは不承認でした。ドイツが不承認だった理由は、イギリスのグレイ外相が、加藤外相に語った言葉で分かります。

 「自分が非常に懸念しているのは、日中問題から生起する、政治上の事態進展にある。」「ドイツが中国において、盛んに陰謀をたくましくしつつあるのは、事実であって、中国をそそのかして、日本の要求に反抗させるために、百方手段を講じつつある。」「これによって、日中両国間に衝突を見るようなことがあれば、ドイツの最も本懐とするところであろう。」

 「自分は、今回の問題について何か質問を受ける場合、できる限り日本の要求を支持して、同盟の友好関係を全うしたい精神である。」

 息子たちに言おうとしているのは、「日本は正しかった。」という話ではありません。「昨日の敵は、今日の友」という、国際社会での国々のせめぎ合いです。力のある国が生き残り、力の無い国は属国として生きるしかない現実です。

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日露戦争 - 5 ( 外交と軍事力 )

2018-08-27 23:47:38 | 徒然の記

 日露戦争に突入するまで日本の政治家は、関係諸国と連携しつつ、ロシアを相手にギリギリの折衝を続けます。

 古屋氏はこうした日本側の努力を、詳しく伝えてくれます。氏の説明を読んでいますと、つくづく考えさせられました。

 1. 外交と軍事力は、車の両輪であること。

 2. 軍事力のない外交は、国際社会では無力であること。

 3. 軍事力の弱い国は、同盟を結ぼうとしても相手にされないこと。

 4. 軍事力の弱い国が結ぶ同盟や条約は、相手国の属国的扱いの内容しかないこと。

  そうなるどうしても、現在の日本について考えてしまいます。昨年末に、反日マスコミと野党が大騒ぎする中で、政府が有事関連三法を成立させましたが、中身は次の通りでした。

  ・ 武力攻撃事態法  ・ 自衛隊法(改正)  ・ 安全保障会議設置法(改正)

 簡単に言うと他国が攻めて来た時、速やかに対応できるように、自衛隊法の手直しと、軍事会議を開催できるようにするもので、攻撃してくる他国へ事前に対処できる法律ではありません。専守防衛に徹した、祖国滅亡論の上に立つその場しのぎの法律に過ぎません。

 日清・日露の戦争時、あるいは第一次世界大戦の時なら、専守防衛の理屈でもなんとか国は守れました。しかし核兵器とミサイルが作られている現在では、やられる前に敵基地を叩かなければ、攻撃後では反撃能力も破壊されています。敗戦以来現行憲法のもとで、自民党の政治家さえ、亡国の「専守防衛論」を主張してきました。

 日露戦争突入前の外交交渉は、別の名前を付ければ「外交戦争」です。どの国も軍事力を背景に、恫喝と妥協を繰り返し互いの腹を探りあいます。列強の仲間入りをしても、日本の国力はまだ他国に及ばず、外務大臣や外交官たちはよく対等に議論を戦わせたと、尊敬の念が湧いてきます。

 陸奥宗光、加藤高明、小村寿太郎という、錚々たる外務大臣や大使を先輩に持ちながら、戦後の外務省はどうなったと言えば良いのでしょう。

 「外交と軍事力は車の両輪である。」という国際社会の常識から逸脱し、憲法改正すら口にせず、安倍総理の足を引っ張っているのですから、理解を超えた存在となっています。自分のブログでは、「外務省」でなく「害務省」と呼んでいますが、氏の著作を読み、その感を深くしました。

  正確な言葉を記憶していませんが、外務省の小和田恒次官は、「日本の外交は、ハンディキャップ外交である」と公言し、中国や韓国には未来永劫謝罪すべきと主張しています。
 
 日本が英国と同盟を結んだ結果、ロシアとの関係がどうなったか、氏の叙述を紹介します。軍事力なしでは不可能な、文字通りの外交戦争です。

  「日英同盟の成立は,たしかにロシアに対する圧力となった。ロシアは,なんらかの形で、満州占領を終わらせる必要に駆られた。」「北京駐在のロシア公使は、清国に対し新しい提案を行った。」

 撤兵を三年をかけて行い、撤兵後の満州における清国の兵力と装備は、ロシアに報告すること、外国兵を雇ってはならないことなど、様々な条件をつけました。撤兵しても、満州の利権は守ろうという考えです。

 「この内容を知った日本は、すぐにイギリス、アメリカの両政府に知らせ、協力して、ロシアと清の取り決め成立を妨げようとした。」「日本は清国政府に対し、ロシアの撤兵は1年以内とし、軍備に関する制約は、ロシア撤退後は無効とすることなど、規定の変更を申し入れた。」

 「イギリス政府はロシアに対し、すでに定めた以上の賠償金を取ろうとするのは、列国の協定に違反すると抗議した。」「清国政府に対しては、ロシアの銀行に利権を認めるのなら、イギリスも同様の利権を要求することになると通告した。」「アメリカ政府もまた、清国とロシアの双方に強硬な抗議を提出した。」

 「ロシアとフランスは日英同盟について、表面上は賛成しながらも、清国における、両国の特殊権益が侵されるときは防御手段を取ると宣言した。」「しかしフランスには、イギリスとの戦争の意思がないため、この宣言は、露仏同盟の威信を保つという以上の意味はなかった。」

 日米英三国の抗議を勘案し、ロシアが提出した条件により、新しい条約がロシアと清国で結ばれることとなりました。すべては、日英同盟の効果でした。

 「イギリス政府は、この内容でもロシアに与える利益が大きいと、再修正を望んだが、小村外相は多少の不満があっても、ロシア軍を撤退させることが重要だと主張した。」

 息子たちに教えたいことが、氏の叙述には沢山あります。

 現在でも大国同士は、このようにして互いに水面下でせめぎ合っています。敗戦以後、軍事力を失った日本が、今は他国とどのような条約を結んでいるのでしょうかか。

 書かれた文言だけでなく、交渉時の密約と言われるものを含み、米国との安全保障条約や相互地位協定など、果たしてどうなっているのでしょう。敗戦国となった当時の日本ですから、米国と結ばれた条約や協定が属国扱いになっていても、不思議はありません。

 さらに言えば田中首相が、周恩来首相と交渉した日中平和条約も、この延長上にあります。田中首相は締結を急ぐあまり、中国に安易な妥協をし、今日の日中間の紛争の種を蒔いたと、こういう話も聞きました。単なる中傷と無視してきましたが、軍事力のない日本がする外交には、ほとんど期待のできないことが分かりました。

 「自衛戦争だった」という戦前の大義を捨て、復讐裁判でしかなかった東京裁判を、外務省は受け入れ、「謝罪外交」の道を選んでしまいました。その結果、韓国による売春婦問題、中国による南京問題、靖国参拝への内政干渉など、反論の一つもせず、卑屈に謝り続ける日本となってしまいました。

 外交の専門家という自負だけは持っていますが、戦後の外務省は世界に日本を晒し者にした元凶です。彼らは過去の歴史すら、本気で検証しませんし、国民の愛国心も踏みにじったままです。その元凶の一人が小和田恒氏であることも、公然の秘密です。

 雅子さまの父君として外務省内に力を持ち、何かと噂のあるお方ですが、その上にいた自民党の政治家に注目しています。小和田氏を秘書として重用し、外務省で出世させたのは、故人となった福田赳夫元首相でした。親中派の走りの議員であり、雅子さまを皇太子殿下と結婚させたのも氏でした。子息の福田康夫元首相も、親に劣らない親中派議員です。

 外務省を「害務省」に変えてた政治家や官僚を列挙し出せば、ブログに収まりません。本題を外れてしまいますので、今晩はここで一区切りをつけます。

 書評はやっと63ページです。日露戦争について述べるつもりでしたが、ロシアが満州での居座りを続けますので、暫くは「外交戦争」の話になります。

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日露戦争 - 4 ( 司馬遼太郎氏への反論 )

2018-08-26 19:43:00 | 徒然の記

 『坂の上の雲』の著者司馬遼太郎氏は、日清・日露戦争時の日本を肯定しますが、昭和の日本には疑問符をつけました。

  司馬氏の言葉を、紹介します。

 「私は、昭和十年から二十年までの、きわめて非日本的な歴史を光源にして、日本史全体を照射しがちな癖が、世間にあるように思えてならない。」 

 ある人物が、氏の言葉を解説しています。

 「 ごく単純化して言うと、明治維新の英雄たちが作り上げた明治国家、それは立憲制国家といえるが、それを昭和の軍が破壊したということになる。」「軍と言っても司馬が指弾するのは、参謀本部の参謀たちのことだ。」

 「この連中が、統帥権という超憲法的な権力を振りかざして、国家を私物化した。その結果日本は、国家としての体をなさなくなった。つまり国家として、合理的な行動が取れなくなった。」

 「そんな国家といえないものが、破滅するのは当たり前のことで、その当たり前のことが昭和という時代に起った。」

 と説明し、司馬遼太郎氏の言葉を紹介します。

 「繰り返して言うと、昭和の時代に起ったことは、日本の歴史においては特殊なことなのであり、それを基準にして日本史全体を語ろうとするのは、自分の趣味に合わない。」

 氏は昭和10年代の日本史を、特殊な例外として語りますが、古屋氏の著作を読むと、そうでないことが分かります。日本の指導者たちの考えは、下記の通り幕末以来一貫して変わらず、日本史に断絶はなかったというのが私の考えです。

  1. 日本の平和と安全のため、朝鮮は自主独立の国として存在すべきである。

  2. 小中華思想の朝鮮はみずから中国の属国に甘んじ、儒教の身分制を捨てず、国民全体の向上を考えようとしていない。 

  3. 事大主義の朝鮮は強いものに従う国是があり、中国がダメなら、白人国家のロシアや、アメリカという強国へなびいていく。

  4. いずれの場合でも朝鮮は、日本を侮蔑・嫌悪し心を開かない。

  5.   しかし日本は、朝鮮の独立を実現するためいかなる手段でも使う。

  明治、大正、昭和、そして、平成の今日において、この5項目の内一つでも変わっていることがあるでしょうか。

 朝鮮の人々は「日帝支配35年」、「横暴な日本の植民地支配」と言い、今も日本を憎悪していますが、これは単なる感情論でしかありません。現在では朝鮮の知識人が、自国の反日教育の嘘を暴露しています。「

 日本の統治が朝鮮の近代化に貢献したことは、認めなくてならないが、しかし日本は好きになれない。」・・と、これが現実です。

 朝鮮の人々は、小中華思想と儒教に邪魔され、日本の姿が見えません。白人の強国へなびくのは、有色人種特有の劣等感です。日本人にも似た感情がありますから、責める気はありません。

 朝鮮支援に熱を入れるあまり、神道の普及にまで力を入れ、日本は朝鮮人の反発を買いましたが、バカなことをしたものです。日本が親切心からしても、決して喜ばない民族なのに、なぜ見抜けなかったのでしょう。

   1. 夷狄に等しい未開の日本が、文明国である朝鮮に口出しするのは、許せない。

   2. 儒教の教えからして、親である中国をないがしろにし、兄である朝鮮を弟の分際で指図するのは許せない。
 
 前回も述べましたが、朝鮮人がこのような気持ちでいる限り、日韓の溝は埋まりません。八百万の神の住む日本と、もともと相容れない中華思想と儒教を信じる国は、仲良くできません。日本が許容しても、相手が拒絶します。

 話が横道に逸れましたが、私が言いたかったのは、司馬氏の考えは違っているのではないかということです。

 日清、日露戦争の時だけでなく、日本の政治家と軍人が信じた国是は、昭和の軍人にとっても同じです。「日本は朝鮮の独立を実現するため、いかなる手段でも使う。」という方針の通り、恫喝、讒言、殺人、破壊など朝鮮で行っています。

 古屋氏のように、その部分だけを取り上げれば、日本は悪辣な列強の仲間入りをし、朝鮮支配と満州侵略を進めたという話になります。

 ほとんどが事実ですから、反対もしません。日本の政治家や軍人を、ことさら弁護もしません。ただ氏のような反日の学者には、念押します。

 「当時の列強は、朝鮮や中国で何をしていましたか。」「日本のことを批判するのなら、イギリスやフランスやオランダやドイツ、ロシアのやったことも、」「同じように語るべきでしょう。」「武士道を重んじた日本の軍人や政治家の方が、彼らよりましなことをしていたのではありませんか。」

 ここで本論に戻り、著者に苦情を言うばかりでなく感謝もせねばなりません。

 当時の日本では、日英同盟を結ぶべきか、日露協商を締結すべきかで政界が分かれていました。仮想敵国がロシアであるという事実は不変でしたが、現実の政治をどう進めるかについては議論がありました。

 日露協商を進めていたのは伊藤博文と井上馨で、日英同盟に賛成していたのは山県有朋、加藤高明、桂太郎、小村寿太郎でした。二つの話が同時並行で進み、ロシアで交渉中の伊藤に対し待ったをかける電報が届くなど、この部分は、松岡洋右が同盟を結ぼうとソ連へ出かけた時と同じような、緊縛した情勢が叙述されています。

 明治政府内の対立を、今まで知りませんでしたから著者に感謝します。今ひとつ感謝したいのは、国際金融資本が、当時から暗躍していたという事実を教えてもらったことです。戦争をするには先立つものが資金ですから、金のない国は借金をしなくては動けません。

 具体的に金融資本の名前は書かれていませんが、ロシアにはフランスの金融資本、日本にはイギリスとアメリカの金融資本がついていました。高利の金を借し、いろいろと条件をつけますから、金融資本の力は侮れません。

 「金融資本こそが、世界の本当の支配者だ。」「表に顔を出さず、闇の世界に潜んでいる。」

 こうした陰謀論を唱える馬渕氏のような人がいますが、事実無根でもないとそんな気もしています。貧乏人ですから、桁外れのお金の話は分かりませんし、ブログの本論でないのでこのあたりで止めます。書評はやっと、56ページまで進みました。

 次回から、本論の日露戦争です。

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日露戦争 - 3 ( 日露戦争の萌芽 )

2018-08-25 14:18:46 | 徒然の記

 日本にすれば日清戦争も日露戦争も、朝鮮の帰属をめぐる戦いでした。

 「朝鮮を支配することが欧米列強に対抗するための、最低の条件だという考え方は、明治維新以来日本の支配層に一貫したものであった。」

  ブログの1回目に、古屋氏の意見を紹介しました。反日学者である氏はこうした表現しかしませんが、私は別の言葉で言います。
 
 「朝鮮の独立を守ることが、列強による日本侵略を防ぐための、最低の条件だという考え方は、幕末以来日本の指導者たちの一貫した思想だった。」
 
 日本は、朝鮮を属国として譲らない清国と戦争をし、朝鮮を独立国として認めさせます。しかし小中華思想を捨てられない朝鮮は、二つの観点から日本への協力を拒否します。
 
  1. 夷狄に等しい未開の日本が、文明国である朝鮮に口出しするのは許せない。
 
  2. 儒教の教えからして、兄である朝鮮を弟の分際で指図するのは許せない。
 
 親の清国が列強の手で、切り取られているのですから、何もしない朝鮮に日本政府は幻滅と怒りを抱きます。諭吉の『脱亜論』の背景にあるのは、こうした中国・朝鮮への決別宣言です。
 
 列強の侵略と戦うためには、近代化した列強の側に立ち、自国防衛策を取る以外道がありませんでした。列強は軍事力でも経済力でも強大ですから、日本は「富国強兵策」を推し進めました。
 
 次は明治33年の義和団事件に際し、日本が列強から支援要請を受けた時の古屋氏の説明です。このような意見は、反日左翼学者の偏った決めつけでしかありません。
 
 「義和団と清国軍を叩くためには、列強の軍隊だけでなく、もっと強力な陸軍部隊が必要であった。」「それは、列強の一角に食い込もうとしていた日本にとって、願っても無い好機に違いなかった。」「この時の日本の指導者の関心は、義和団の蜂起そのものより、列強にいかに日本の力を認めさせるかという、問題に向けられていた。」
 
 氏は桂太郎の自伝から、その一部を紹介します。桂太郎の言葉そのものでなく、氏が編集した言葉です。
 
 「この時の陸軍大臣桂太郎は、今回のような、数カ国の連合軍が成立したことは歴史上初めてであり、また日本が、こうした同盟に参加するのも初めてである。この列強連合軍への参加こそ、将来東洋の覇権を掌握すべき端緒になるに違いないと、考えた。」
 
 氏の意見は敗戦後の東京裁判の上に立ち、日本の領土的野心を主張する考えにつながります。本来なら、東亜の秩序を守るため、日本と共に戦うべき中国がこの有様ですから、日本が頑張らなければ、アジアは列強に食い荒らされるままです。日本の指導者たちの苦悩に、氏は注意を払いませんが、この偏った姿勢は、現在の野党議員や反日活動家たちに受け継がれています。
 
 中国と朝鮮が信じている中華思想と儒教は、今では筋道だった理論でなく、憎しみ偏見が一つになった感情論になっています。
 
 加えて氏のような反日左翼の学者が無数にいて、日本国内から、敵対情報を発信しているのですから、日本の孤立は解消されません。
 
 「安倍は、外国で金をばらまいている。」「国民の税金を、無駄遣いしている」と悪口を言う人々は、歴史の知識が無いのだろうと思うことにしています。安倍氏の外交が成功しているのか、いないのか分かりませんが、簡単に結果がでるものでないと理解しています。安倍信者と叩かれるのは、こんな意見を言うからなのでしょうか。
 
 当時のロシアは満州に居座り、日本の生命線である朝鮮へ手を伸ばします。強い者へなびく事大主義の朝鮮は、日本を嫌悪しロシアに近づき、自国の保護を期待します。
 
 まだ25ページで遅々として進みませんが、それでもなんとなく、日露戦争の萌芽らしいものが見えてきました。本日はここまでとし、次回への英気を発揮するおまじないを言います。
 
   「このブログは、息子たちへ遺言だ。」
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日露戦争 - 2 ( 反日学者古屋氏の、捏造例 )

2018-08-24 22:05:56 | 徒然の記

 国際社会が弱肉強食の世界である事実を、もう一度復習します。

 今も学校で教えているのかどうか、知りませんが、「三国干渉」という言葉があります。調べると次のように説明されています。

 「三国干渉は1895年(明治28年)4月に、フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国が、日本に対して行った勧告である。」「 日本と清国の間で結ばれた、下関条約に基づき日本に割譲された遼東半島を、清国に返還することを求める内容だった。」

 日本と清国が結んだ条約に、関係のない国が干渉し、勝利の結果得た半島を清国へ返せというのです。相手は列強で、三国も一緒では太刀打ちできません。無念の思いをかみしめながら、日本は清国へ遼東半島を返還します。この時の事情を、古屋氏が説明しています。

 「三国干渉は、極東への進出を望むロシアが、日本に先に満州へ進出されては不利と見て、ドイツ、フランスを誘ったものであった。」「三年後(明治31年)の3月、ドイツは清国に、山東半島の膠州湾を租借地として認めさせた。」

 「同じ月にロシアが旅順と大連の租借を認めさせ、三国干渉で日本から取り上げた場所を、今度はロシアが自分のものにしてしまった。」「これに対抗して、イギリスが九龍半島と威海衛の租借を認めさせた。翌年11月には、フランスが広州湾を租借した。」

  力に任せ、強国が好き放題をする・・、常に変わらない国際社会です。時代が進んだ今は、理知と正義が国際政治を貫き、昔のような大国の横暴は許されなくなっていると、世間ではそんなことをいう知識人がいます。

 しかし私は違います。中国がする南シナ海の岩礁埋め立て工事や、アメリカによるイラク攻撃やアフガニスタン攻撃、ロシアによるクリミア半島攻撃など、弱い国は相変わらず強国になされるがままです。

 国連の5大国による支配を見れば、世界がほとんど進歩していないと言う事実の方が、見えます。国連の加盟国は196ヶ国ありますが、常任理事国である米英露仏中の5大国が、世界政治の決定権を持っています。この不合理について、どの国も正面切って口にしません。

 話を、氏の本へ戻します。ロシアの政治家ウィッテは、ヨーロッパと中国をつなぐ海上航路を支配するイギリスに対抗し、満州とロシアをつなぐシベリア鉄道の推進に力を尽くしました。

 「イギリスは1899年(明治32年)、ロシアと鉄道協定を結び、ロシアの鉄道が南下するのを防ごうとした。」「その前年には清国に、揚子江沿岸の不割譲を約束させ、自国の勢力範囲を固めようとした。」「このように英露の対立を中心としながら、中国全土は、各国の勢力範囲に分割され始めていた。」

 列強の中国侵略について、氏が説明しています。

 「1899年(明治32年)の12月、アメリカ国務長官ジョン・ヘイが、」「列強に対し、〈門戸開放〉を要求したことは、中国分割競争の激しさを裏面から物語っている。」「それは分割に立ち遅れたアメリカが、中国市場からの締め出しを恐れたからであり、中国での勢力範囲、利益範囲を設定しようとする国々に対し、通商上の差別をしないようにという要求だった。」

 「言い換えれば、勢力範囲を設けること自体を非難したものでなく、その門を閉じ、アメリカを閉め出さないようにして欲しいということであった。」「この言葉はのちに、他国の政治的併合や軍事的占領に対し反対する標語となったが、当時のアメリカは、1897年のハワイ併合に続き、1899年の米西戦争でフィリピンを占領、併合していたため、そちらに力をそがれていたからだった。」

 これに付け加えるとすれば、1840年から2年間にわたり、イギリスと清国の間で行われたアヘン戦争です。アヘン密輸販売で巨利を得ていたイギリスと、アヘンを禁止していた清国が戦った戦争です。これなどは誰が聞いても、強国イギリスが弱い中国を侵略した戦争です。

 こういう時期に日本は国際社会に顔を出し、列強に飲み込まれないよう、懸命な努力をしています。しかしここでも古屋氏は、違った形で日本を説明します。明治政府の持つ危機感に触れず、読者に違別の日本を描いてみせます。

 「日本がこのような情勢の中で、どのような道を開いていくかは、はなはだ、難しい課題であった。」「まず、欧米の帝国主義列強と同じ道を辿ろうという、膨張主義が、国内世論の大勢を占めた。」「政府の当局者も、帝国主義という世界の大勢に遅れ、中国分割の分け前にありつけないことを恐れる点では、これらの世論と同様であった。」

  日本の歴史を公平に見ようとする学者なら、こうした卑しい説明より、福沢諭吉の『脱亜論』に注目するのではないでしょうか。

 「中国と朝鮮の二国は、儒教流から変わることがなく、西洋文明を取り入れようとしない。このままでは、西洋諸国の分割の対象となるかもしれない。」「日本は隣国の開化を待って、ともにアジアを興す余裕はない、」

 明治政府が重要視していたのは、東亜の平和と安定でした。列強の侵略を防ぐため共に力を合わせるべき国は、中国と朝鮮でした。しかし聞く耳を持たない二国の説得に、時間を費やしていたら日本がどうなるか。もうその余裕はないと、断腸の思いで決別します。長年日本の師であった中国を、明治の元勲たちが情け容赦なく切り捨てたと語る氏に異議を唱えます。

 「悪友を親しむ者は、悪名を免れられない、」「われわれは心中で、アジア東方の悪友を謝絶しよう。」

 『脱亜論』で語られているのは、隣国だからと特別の思いで接するのを止め、列強がしているように、国益優先で考えていこうという自らへの言い聞かせです。

 アジアの平和と安全だけでなく、日本の安全も侵す隣国は、悪友としか言えないと、自分を納得させています。言葉遣いの慎重さは、隣国への攻撃や侮蔑ではありません。別れの言葉を「謝絶」と使っています。謝って断絶するという複雑な心情です。

  そこを省略し、日本が列強の真似をし帝国主義の道を進んだという意見を、反日左翼学者の捏造と解釈します。「中国分割の分け前にありつけないことを、恐れる点では、」という氏の説明は、生まれる余地がありません。

 反日左翼学者の本を読んでいると、ついブログを続ける気力を失いそうになる時があります。しかしこの言葉が、気持ちを奮い立たせます。

 「ブログは、息子たちへ残す遺産だ。」

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日露戦争 ( 大院君の布告 )

2018-08-23 19:59:27 | 徒然の記

 古屋哲夫氏著『日露戦争』( 昭和41年刊 中公新書 )を、読了。

 なぜ、中国と韓国・北朝鮮は日本を憎むのか。これまでの読書のすべては、この疑問への答えを見つける旅でした。氏の著書の中に答えを発見し、納得しました。

 著者の略歴が、巻末の裏扉にあります。

 「昭和6年、東京に生まれる。」「昭和33年、東京大学大学院博士課程中退。」「現在、国立国会図書館勤務。」「専攻 日本近代政治史」

 氏は昭和56年に京都大学教授となり、平成18年に75才で亡くなっています。全体としては強い反発なしに読みましたが、論調は私の嫌悪する反日・左翼の学者のそれでした。

  現在のわが国と、中国、韓国・北朝鮮との揉めごとの出発点が、日露戦争以来生じたというのが氏の主張です。この意見に従えば、中国が捏造の南京事件や靖国参拝で、わが国への内政干渉を繰り返すのか。韓国が朝日新聞の捏造した売春婦問題で、執拗に日本攻撃をするのか。北朝鮮が罪もない日本人を拉致し、平然と拘束し続けるのか・・こうした疑問への答えが明確になります。

 同時に私は、氏とは異なる意見を持っている自分も再発見しました。客観的事実を述べているように見えますが、氏も反日の学者の一人で、この著書も戦後に氾濫した、「悪書」の一冊に加えて良い気がします。8割の事実と2割の捏造・・これが反日の学者たちの意見です。事実が沢山語られますから、読者はつい全部が正しいという錯覚に陥ります。

 それは本の書き出しの部分から、始まっています。

 「明治33年 (1900年 ) 、中国で義和団が、列強の侵略に反対して立ち上がると、列強は共同で出兵し鎮圧したが、満州を占領したロシア軍だけは、そのまま居座ってしまった。」

 「朝鮮を支配することが、欧米列強に対抗するための、最低の条件だという考え方は、明治維新以来日本の支配層に一貫したものであった。」

 ロシアが満州を占領するとなれば、やがて朝鮮の独立が危うくなり、ひいては日本の安全が脅かされる。明治政府は、日本の手で一日も早く朝鮮の支配を確立し、満州にいるロシアを追い出さずにおれなくなった、と説明します。

 間違った説明でありませんが、肝心の話が省略されています。氏の説明を読みますと、日本は初めから朝鮮の属国化を狙う、侵略国家だったとことになります。

 東京裁判でアメリカが、日本の軍国主義と中国や朝鮮への領土的野心を弾劾し、好戦的な暴力国家だと断罪しました。この結論に結びつけたいのなら、氏の意見に矛盾はありません。

 当時はイギリスがインドを、オランダがインドネシアを、フランスがインドシナを植民地としていた時代です。明治の元勲たちは、列強の侵略から日本を守るためには、中国や朝鮮との連携が不可欠と考えました。

  明治元年に日本は対馬藩を介し、朝鮮に新政府発足の通告と、国交を望む交渉を行いましたが、朝鮮に拒否されました。明治3年、明治政府はさらに使節を派遣しましたが、相手にされませんでした。更に明治5年に、旧対馬藩主を外務卿として派遣しますが、朝鮮は頑として応じず、明治6年以後は排日の風潮が強まっていきます。
 
 政権を握った大院君が、「日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん、我が国人にして、日本人に交わるものは死刑に処せん。」という布告を出しました。釜山にいた明治政府の外交官たちは、布告を見て怒り、政府内において征韓論が沸騰しました。

 福沢諭吉の『脱亜論』も、こうした情勢の中で世に出ています。同書の概略は、次のようなものです。

  「中国と朝鮮の二国は、儒教流から変わることがなく、西洋文明を取り入れようとしない。」「このままでは、西洋諸国の分割の対象となるかもしれない。日本は隣国の開化を待って、ともにアジアを興す余裕はない、」

 「むしろその列を脱して、西洋の文明国と進退を共にし、支那、朝鮮に接するの姿勢も、隣国なるが故とて特別の考慮に及ばず、西洋人がこれに接するの風に従って、処分すべきのみ。」

 「悪友を親しむ者は、悪名を免れられない、」「われわれは心中で、アジア東方の悪友を謝絶しよう。」

 列国による植民地化を恐れ、危機感を持ち、懸命に努力している日本は、最初は朝鮮や中国に、礼を尽くして話を持ちかけていました。しかし中華思想の中国と朝鮮は、禽獣に等しいとする日本を相手にしませんでした。

 列強の危機が眼前にして、明治政府が取った政策が、日本防衛のための朝鮮支配でした。中華思想を脇へ置き、中国と朝鮮が共に列強の脅威を理解していたら、「日韓併合」も「満州国設立」もなかった可能性があります。

 氏はこうした事情を語りませんので、軍国主義日本の話が独走します。危機を眼前にした明治政府は、頑迷な朝鮮に強圧的な対応をします。武力を背景にした、恫喝もしました。過去の文書から、激しいやり取りの部分だけを取り出し、説明すれば、読者は明治の元勲に幻滅し、朝鮮や中国に同情します。

 これが、今も続いている反日左翼学者の日本叩きです。

 中国や韓国・北朝鮮が日本を憎む今一つの理由は、日本の国内にいる反日左翼勢力が協力しているためです。一方的な情報を提供し、日本の過去を足蹴にしているのが氏のような学者たちです。

 本日はこれまでとし、明日からは具体的な事例で紹介します。
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青山繁晴参議院議員 ( 共同通信社批判 )

2018-08-21 23:31:04 | 徒然の記

 8月18日の千葉日報に載った共同通信社の記事を読み、安倍内閣に失望いたしました。7面の国際政治欄の4分の1を占める、大きな記事で、踊る活字が、私を翻弄しているようでした。

 「拉致交渉で新方針案浮上

 「政府、経済前面に信頼醸成」「対北朝鮮、反対論も

 「問題解決、行き詰まり背景」

 太陽と北風の童話のように、冷たい北風で厳しく迫るのでなく暖かい太陽で照らせば、旅人は身を包む厚い外套を脱ぎ軽い服装になり、心も開いていく。だから人に接する時は厳しいばかりでなく、優しくすれば、相手との話し合いもうまく行くと、金大中氏も何年か前、そんなことを言っていました。

 国民を弾圧し、言論の自由も職業選択の自由も、選挙の自由も奪っている北朝鮮の独裁国家に、関係諸国はいつまで騙されたら目が醒めるのでしょう。金大中氏だけでなく、カーター、クリントン、オバマ氏と、歴代の米国大統領が、ことごとく手玉に取られています。トランプ大統領も、果たしてどうなるのか。安心する材料は、何もありません。

 そうした中で、政府が新方針だと言う記事ですが、経済支援や援助を先行させようというのですから、こんなものは新方針でもなんでもなく、北の卑劣な言いがかりとごまかしの前で、とっくにお蔵入りした「カビだらけの方針」です。

 安倍総理への失望が、次第に怒りとなって燃えるのを我慢し、私は記事を読みました。書き出しの部分を、そのまま転記いたします。

 ・日本と北朝鮮の交渉をめぐり、圧力を背景に、「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」と迫る現在の方針から、軌道修正を求める意見が日本政府内で、浮上していることが分かった。

 ・北朝鮮が拉致問題は解決済みと立場を崩さない中、経済協力や支援に関する協力を前面に出して、信頼醸成を図り、拉致問題の進展につなげるシナリオとみられる。

 ・複数の政府関係者が、17日明らかにした。ただ政府内にも反対論が強い上、新方針で、日朝間の停滞状況を打開できるか見通せない。

 記事はさらに続き、

 ・トランプ大統領と金氏が会談した時、「北朝鮮が核を放棄すれば、日本が経済援助をす。」と伝えているから、経済支援を前面に出す方針は、アメリカにも益をもたらす。

 そういうことならば、総理が方針転換する可能性もあるのかと、理屈は通っています。だがそれでは総理が、拉致された国民の救出の優先度を落としたことになります。

 アラブの人質となる常習犯のような安田純平氏や、危険を承知で北朝鮮に行き、軍事施設をカメラにおさめたりするような、自己責任の日本人と、拉致被害者は同列に論じられません。

 偏見と言われてましても、私は暴力や威嚇で北に拉致された国民と、彼らを区別します。敵対国と示し合わせ、政府を困らせ、金を奪おうとしているのかと疑われるような者とは対応が違って当然です。

 拉致被害者は、可能であるならば自衛隊を使ってでも奪い返すべき国民ですが、安田氏や軽率な日本人観光者は、自己責任で放置すれば良いと思っています。罪もないのに拉致された人々は、すでに40年も自由が奪われたままですから、この人々をないがしろにするような総理に当然失望いたします。

  さて本日偶然に見た動画に、私は釘付けになりました。それは参議院議員青山繁春氏が、レギュラー出演する「虎ノ門ニュース」です。なんと氏は、私が失望と怒りを覚えた、共同通信の記事について語っていました。

 「共同通信は嘘をつくな。」「この記事を読めば、拉致被害者が帰らなくても、国交正常化をさせると、こうなります。寝言を言うな。」

 「かって僕がいた、共同通信社の記事ですが、黙っておれません。」

 私がこの記事を読んだ時、まっさきに浮かんだのが、青山氏でした。先日、共同通信社につき調査し、シリーズのブログにした時から、私は氏に、疑念を抱いていました。国民が知らないことを幸いに、大手全国紙の新聞社より更に巧妙で、さらに影響力のある、悪意の記事を配信する反日の共同通信社を厭わしく思い、氏もまたその片棒を担ぐロクでもない議員だとそう思っていました。

 ところが氏は、古巣の共同通信社を強く非難し、記事の捏造を明らかにしていました。

 「政府関係者なんて書いていますが、これは、ただの外務省の役人の話です。」「誰が話したのか、個人名も分かっています。」

 「複数の関係者は、官邸にいません。」「政府内に反対論が強い、と書いていますが、官邸での反対者は安倍総理一人です。」

 「彼らは取材もせず、自分たちの憶測で政府の重大な政策について、勝手な記事を書いているのです。」「こんな記事を書かせたのは、自民党の一部議員と、親北の外務省役人と反日のメディアなんです。」

 「第一次安倍内閣が倒されたのは、日本に潜り込んだ北朝鮮の工作員のためです。」「もっとはっきり言えば、自民党内にいる、「親北朝鮮、親中国、親韓国の議員たちが、第一次安倍内閣を倒したのです。」

 「これらは、自民党内にいる安倍総理の敵です。」

 なんとなく推測をしていましたが、氏がここまで公言するとは意外でした。おそらく総理とは了解の上で語っているのでしょうが、氏の話はまだ続きます。

 「多くの人は、北朝鮮の工作員は、野党にいると思っているのでしょうが、ハッキリ言って、北は、野党なんか相手にしていませんよ。」

 「攻勢をかけているのは、自民党の議員だけです。」「しかも、それは日朝議員連盟にいる議員たちです。」「ここまで言うと、私は明日から、党内にも敵を作ることになりますが、もう黙っておれません。」

 「そんなことを言っている青山も、北の工作員なのだろう、という人もいますが、北も、外務省の役人も、私には近づかないのです。」

 氏は共同通信社に在籍している頃から、安全保障関係の専門家だったとそうです。テロリストやスパイや、過激な活動家たちの攻撃から、国の施設を守るための専門家だと言います。しかし私は氏を知った当初から、氏の資質を疑っています。今回もそうですが、国の機密に属するようなことを、意気に感じたからとはいえ軽々しく暴露してしまうようでは、専門家とは言えません。

 氏のような直情径行の人物には、私は本気で近づきません。悪意のない、正義感の溢れる人物と理解しますが、国家の大事を共有する人間ではありません。その上で今回の意見を、感謝とともに拝聴しました。これはこれで、常人の成し得ない勇気のいる行為ですから。

 最後に、私が共鳴した、氏の言葉を紹介いたします。

 「現在朝日新聞の定期購読者は、約400万人、読売新聞が約800 万人です。」「しかるに、共同通信が配信している地方紙の読者は、1000万人を超えます。」「それだけの、情報発信力を持っているのです。その共同通信社が、こんな嘘記事を全国に配信して、どうするのですか。」

 先日来の私の予測は、青山氏の言葉である程度証明されました。もしこれで、美智子様との関係が事実だとしますれば、日本は国難状態にあるということでしょうか。

  共同通信社は、自社の記事を次の地方紙に配信しています。

  北海道新聞  室蘭民報  河北新報  東奥日報  デーリー東北

   秋田魁新報  山形新聞  岩手日報  福島民友新聞  ジャパンタイムズ
 
  東京新聞   下野新聞  茨城新聞  上毛新聞   千葉日報
 
   神奈川新聞  埼玉新聞  山梨日日新聞  信濃毎日新聞  新潟日報
 
  中日新聞   中部経済新聞  伊勢新聞  静岡新聞  岐阜新聞
 
  北日本新聞  北國新聞   福井新聞   富山新聞  北陸中日新聞

  日刊県民福井 京都新聞   神戸新聞   奈良新聞  大阪日日新聞

  山陽新聞   中国新聞   日本海新聞  四国新聞   愛媛新聞

  徳島新聞   高知新聞   西日本新聞  大分合同新聞 宮崎日日新聞

  長崎新聞   佐賀新聞   熊本日日新聞  南日本新聞  沖縄タイムズ

  琉球新報   スポーツ日本新聞東京  スポーツ日本新聞大阪

  報知新聞   日刊スポーツ新聞東京    日刊スポーツ新聞大阪
 
  ディリースポーツ  47NEWS
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8月15日の、陛下のお言葉報道

2018-08-17 19:35:13 | 徒然の記

 今回は、8月15日の陛下のお言葉を伝えた、共同通信社の、8月16日の記事について、語ります。

 同日の、千葉日報社独自の記事につきましては、前回述べたので割愛しますが、私の息子たちには、千葉日報の記事と並べ、共同通信社が、偏向記事を配信する会社だという事実を、自分の目で確かめてもらいたいと思います。

  「終戦から73年となり、平成最後の終戦の日を迎えた15日、」「政府主催の全国戦没者追悼式が、日本武道館で開かれ、」「参列者は不戦の思いを新たにした。」

 「戦争体験者の高齢化で、記憶の伝承が課題となる中、」「各地で語り継ぐ試みも、始まっている。」「退位を控える天皇陛下は、お言葉に、」「戦後の長きにわたる、平和な歳月に思いをいたしつつ、」「との一節を加え、四年連続となる、」「深い反省という言葉とともに、」「強い思いを示された。」

 「安倍晋三首相は、」「戦争の惨禍を二度と繰り返さないとは、述べたが、」「アジア諸国への、加害責任には触れなかった。」

 と、これが記事の書き出し部分です。相変わらず、安倍総理への批判を繰り返し、陛下のお言葉との違いを強調し、対立を煽っています。戦争体験者がいなくなっていくので、今後は戦争体験を語り継ぐため、「語り部の育成」に厚生省が力を入れていくと説明し、再び、総理への批判が始まります。

 「安倍総理は式辞で、戦争の惨禍は繰り返さないとした上で、」「歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、」「この決然たる誓いを、貫いてまいります、」「と述べた。」「加害者責任に言及しなかったのは、第二次政権発足後の、」「平成13年の式典から、6年連続となる。」

 加害者責任という言葉を、共同通信社は、総理攻撃の武器ででもあるように使い、悪印象を作ろうとしています。もし共同通信社が、日本の会社であり、日本人が経営している会社であるとするなら、こんな不都合な言葉を、なぜ使い続けるのでしょうか。このような話を持ち出すのなら、世界で起きている戦争に、加害者責任の問われる国は、日本以外にないとでも考えているのでしょうか

 歴史が私たちに教えるのは、戦争が常に大国のエゴから始まるという事実です。ならば大東亜戦争時の日本ばかりを責めるのでなく、他の国々も、公平に批判してはどうなのでしょう。いったいどこの国が、自ら戦争の加害者責任を語ったか、共同通信社は、それを明らかにした上で、総理を批判すべきでしょう。もう国民は、共同通信社が語るような政府攻撃や、悪意の倒閣記事に飽き飽きしています。

  私の言葉を読み、「戦争に大義を与えてはならない。」「どんな戦争でも、二度とやってはならない。」、という意見を寄せた方がいます。穏やかな口調なので、性悪の反日・左翼でないと分かりましたが、どういう読み方をすれば、私の意見が「戦争に大義を与える」、と受け止められるのか。不思議でなりません。

 私が先の大戦につき、反対しているのは、マスコミや「お花畑」の人々が、不当に日本を貶めている事実に関してです。日本だけが悪かった、日本だけが間違っていた、世界に向かって謝れなどと、こうした偏った意見に反対しているだけです。日本を責め、自分も反省すれば、戦争が地球から無くなると、そんなバカな意見を、笑っているだけなのです。

 共同通信社の記事は、こんな日本人を育てるには、格好の教材となりますから、見過ごすわけにいきません。こうした記事を目の当たりにしますと、私は息子たちに、改めて語らずにおれなくなります。

 「父は、お前たちに言っておきます。」「戦没者の慰霊祭に、反対しているのではありません。」「陛下のお言葉を、否定しているのでもありません。」「父は、ここに忘れられているものを、指摘しているだけなのです。」「難しい理論ではありません。」

 共同通信社の記事では、追悼の対象となる人々を、次のように列挙しています。

  1. 戦死した軍人・軍属 ・・ 約 230万人

  2. 空襲や広島・長崎の原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人 ・・約 80万人

 合計、310万人だと説明しています。軍人だけでなく、民間人も同じですが、こうして亡くなられた方々の、尊い犠牲の上に、現在の私たちの暮らしがあり、平和があります。

 だとするならば、私たちが亡くなられた方々に捧げる気持ちは、二つあります。「哀悼の気持ち」と「感謝の気持ち」です。陛下のお言葉には、犠牲となった国民への「感謝の気持ち」がありません。腐れマスコミどもが、外国勢力へ忖度し、犠牲者への「感謝の気持ち」を無視しているからといって、戦後73年経っても、なぜ陛下はそんなマスコミを是とされるのでしょう。

 私が異を唱えておりますのは、この一点のみです。国民の敬愛の中心にあった、天皇陛下のため、多くの軍人は命を捨てています。天皇陛下のために死ぬことが、大切な家族や郷土を守ることと同じだと、信じていた人々でもあります。そういう国民に対し、陛下はいつになったら「感謝の気持ちを」表されるのでしょうか。

 愛する息子たちに言います。前回のブログで、父が千葉日報社の記事を「尊い」と言ったのは、ここにあります。大きさを比較すれば、象とアリと言われる、共同通信社と地方紙の千葉日報です。それは同時に、全国紙と千葉日報社の力関係でもあります。その小さな地方紙である千葉日報社が、陛下も、共同通信社も、全国紙もしなかった、客観報道をしました。「哀悼の気持ち」と「感謝の気持ち」を、きちんと記事にいたしました。

 この勇気を、父は尊いと思い、感謝せずにおれないのです。父は戦争賛美者でもなく、軍国主義者でもありません。ただ、「お花畑の人々」と違うのは、理不尽な他国が攻めてきたら、あの森永氏のように自分だけ逃げ出さず、戦うというところでしょう。御覧なさい、小さなネズミの親でさえ、大きな敵に襲われたら、身を犠牲にして子を守ります。

 だから、今回の記事に、私はいつもの言葉を貼り付けます。

  「共同通信社の記事は、国民への挑戦である」

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