ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

驕るNHK - 23 ( 壁に向かって話される陛下 )

2019-08-31 12:03:40 | 徒然の記
    今回は第4章の(4)で、3項目があります。
 
 [ 「戦前と似ている」と危機感も ] ( NHKの説明  )
 
 「 『拝謁記 』 には、昭和天皇が、東西冷戦や朝鮮戦争の勃発を背景に、国内でも共産主義が勢いを増していく状況を、戦争に突き進んでいった時代と重ね合わせて、危機感を募らせる様子が記されています。」
 
   ◦  大学生を青年将校と重ね合わせる  
 
   ◦  「私は実に心配しているのだが・・」
 
   ◦ 「国会の有様はどういう事だろうね。」
 
 【  大学生を青年将校と重ね合わせる  】 
 
 〈  昭和25年7月10日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・共産党の大学生に 動機の純眞なるものがあるとの議論に、非常に危ないと感じる。
 
  ・永田鉄山問題でも動機うんぬんを口実に、刑には処しても甚しく軽きに失し、 また他の場合には、動機のよきを口実に不問に附した事もあり、かゝる風が、遂に大平洋戦争を起す事となった事ゆえ、 青年将校と大学生との差だけであって危険は同じ事だ。
 
 ウィロビー准将に支援された首相に押され長官になった田島氏は、いわば左翼の仲間です。ご存知ない陛下が、詩に語られているお姿がお気の毒になってきます。
 
 共産主義者も国粋主義者も、過激なものは危険を含んでいますので、陛下のお言葉にはうなづけるものがあります。しかし田島氏に語られるのは、壁に向かって話されるようなもので、お気持ちが通じないだけでなく、メモを残され、このように批判の材料にされます。
 
 【   「私は実に心配しているのだが・・」  】 
 
 〈 昭和26年12月9日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・いわゆる反米思想が、一般にある程度あるはやむを得ぬも、それに乗じて、共産のものが共産主義の為に、美名を、平和とか戦争反対とか言って色々やるのは困ったものだ。
 
  ・これは丁度、戦前に軍閥者が忠君愛国というような、当時にあっては、ちょっと文句のいへぬ事を看板にして、戦争へと駆り立てたとの同じであって、誠に困った事だ。
 
 〈 昭和27年4月18日の拝謁時のお言葉 〉・・・ サンフランシスコ平和条約が発効
  陛下
  ・私は実に心配しているのだが、 戦争前の状況というか、大正末期か、昭和の始めへかけての社会の有様と、最近は非常に似ていると思う。
 
  ・国会は矢張り、その頃と実際少しも変りなく、国家社会より党の事を考えたような様子でその言論や行動を行い、政府側の答弁も、責任逃れのような事ばかりで、嘆かわしい有様はさっき言った頃と少しも違いがない。
 
  ・あの頃は、血気にはやる青年将校をこれらの事情が刺戟して、段々騒ぎを大きくしたが、今はこれがソ連の手にのせられて、共産的になるか、又は反動として右翼的の戦前と同じ様なものが出現するか、世相は誠に私には憂慮すべきもので、その前徴は歴々あらわれていると思う。
 
  ・蟻の穴から堤が切れるとか、塵もつもれば山といふ諺がある。
 
  ・今私は、その徴候を充分認める。これは、過去の過ちを再びせぬとは限らぬ、徴候だ。
 
  ・まだ徴候の内に手を打たなければ、重病になっては名医も及ばぬ。今の内に警告して何とかすれば、どうかなると思うが、時機を失しては、駄目だ。
 
 戦前の軍が、「軍があるから日本がある」と本末転倒していた事実を踏まえ、陛下は労働組合の間違いを指摘されています。「組合のための日本」でなく、「日本があっての組合」だという適切なご指摘です。
 
 熱情に駆られ、共産党に利用されている学生たちへの危惧と、党利党略を優先し、国政を忘れた政党など、そのまま現在につながる陛下の警鐘でした。
 
 押し返すいつもの強弁がなく、メモも残されていませんが、お気持ち語られても、聞く側の田島氏は、柳に吹く風のごとしです。虚しく壁に語られている、陛下のお姿が見えるようです。
 
 NHKのこの報道について、自民党の議員諸氏からなんの意見も聞きません。安倍総理を責める気はありませんが、「報道の自由」とはこのようなものなのでしょうか。
 
 内閣改造後の総理に、「ねこ庭」からせめて下記2点の実行を期待したいものです。
 
 1.  国会議員の二重国籍禁止法の制定
  国の安全保障の観点から、国会議員は日本人のみとする。二重国籍の議員には帰化を促し、従わない者は国外退去とする。
 
    2. NHK役員の二重国籍禁止法の制定
  国の安全保障の観点から、NHK役員は日本人のみとする。二重国籍の役員には帰化を促し、従わない者は免職とする。
 
 NHKの見直し作業は、国籍条項から始めないとダメです。
コメント (4)
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驕るNHK - 22 ( 田島長官と元帥の人間性比較 )

2019-08-31 06:49:40 | 徒然の記
 第4章 (3)の最後の項目でが、下記の通りまだ(4)(5)(6)(7)があります。
 
   (1)  象徴への決意を語る場面も
 
       (2)  国民との距離 縮めようとする姿も
 
       (3)  政治的発言を諌められる場面も
 
   (4)  「戦前と似ている」と危機感も
 
   (5)   田島長官がブレーンと組み 昭和天皇支える
 
   (6)   新しい皇室制度に不満を漏らす
 
   (7)   象徴への模索 専門家の見方

 
 【 「何も遊ばすことは不可能」 】 
 
 〈 昭和28年10月14日の拝謁時のお言葉 〉
 陛下
     ・私も随分軍部と戦ったけれども、勢がああなったのだが、その事を私が今国民に告げて、二度繰返さぬよう、
 
 ・その時の軍部は、 軍部あっての国家、日本という考へであったやうに、今労働者は組合あっての日本と、いうような考えでは困るし、
 
 ・前回にもちょっと言い、また田島も言っていたように、政党あっての日本といふ考へ方で 、日本の政党という考へがなくては困る。
 
 ・このことを、戦争に至る迄の軍部と私との関係など、 国民に今話したいのだが、勿論それは出来ぬ事は承知だが、国の前途の為心配だ。
 
 田島氏
 ・それは仰せの通りでありまするが、陛下がそういう政治にふれた事を仰せになります事は、絶対に出来ませぬ。
 
 〈  昭和28年3月12日の拝謁時のお言葉 〉・・・ 保守分裂の政治状況について
 陛下
 ・旧憲法でもどうかと思うが、新憲法ではとても出来ないが、私が思うに真に国家の前途を憂うるなら、保守は大同団結してやるべきで、何か、私が出来ればと思って・・・
 
 田島氏
 ・仰せのごとく、旧憲法でもどうかと存じまするが違法ではありませぬ。新憲法では違反になります故、国事をお憂へになりましても、何も遊ばす事は不可能であります。
 
 〈 昭和28年5月18日の拝謁時のお言葉 〉
 陛下
 ・改進党の党首、重光葵(しげみつ・まもる)に、自分の意見を言いたい。
 
 田島氏
 ・陛下は、一番国本位でお考えになりますので、何とか、御意思を伝えられますればと存じまするが、これは憲法上絶対に不可能。
 
 ・今日天皇は、新憲法で、政治、外交は、陛下の遊ばす事ではありませぬから・・御静観願うより外ないと存じます。
 
 陛下
 ・総理の認証を、しないという事はある。
 
 田島氏
 ・いえ、首相は認証でなく親任でありまするが、これは議会で定めましたものを、形式的に御任命になりますので、これは、どうも出来ませぬし、又また認証にしましても、認証なさらぬという事も難しいと存じます故、この際はどうもすべき事はないと存じます。
 
 〈 昭和28年7月1日の拝謁時のお言葉 〉
 陛下
 ・宮内庁には、少しも関係のない事だがね。
 
 ・どうも国会の反対党の議論も、本当に国事に関するというよりも、政府いぢめのやうな事、ばかりのようだし、ニュースやラヂオで聞いても、政府の答弁も、責任免れのような、不親切で誠意のないやうなものだ。困ったことだね。
 
 ・ 旧憲法ならば、当然私が出る事が出来るのだが、今の憲法ではどうすることも出来ない。
 
 ・党首をよんで、お互に国の為にというやうな事が言えればだけれども・・・
 
 田島氏
 ・もどかしく御感じの、憂国の御至誠(ごしせい)ゆえ、 御同情にたえぬも、さりとて絶対に動けぬ今日の情勢ゆえ、何とも致しやうはござりませぬが、田島なども、全く御同感に存じまするが、陛下としてはどう遊ばす事も出来ませぬ。
 
 「ねこ庭」を訪問される方々のため、もう一度、 「 NHKの説明文」 を紹介します。
 
  「 『 拝謁記 』 には、昭和天皇が政治への関与を、憲法で厳しく制限されたにもかかわらず、時に踏み込んだ政治発言をして田島長官がそれをなだめたり、いさめたりする様子が記されています。」
 
 わがままを言われる陛下を、田島氏が苦労してお諌めしたと、そんな光景が浮かぶように書かれています。私たち国民には氏の不誠実さが見えるだけで、NHKが期待する陛下への悪印象は生じません。
 
 メモが氏の部屋で眠っていれば、何も問題はありませんでした。陛下の前で理解者の顔をしていたかったのなら、氏は亡くなる前に、メモを一切焼き捨てればよかったのです。
 
 陛下を欠席裁判にかけるような真似は、敵将だったマッカーサー元帥もしていません。
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驕るNHK - 21 ( 公共放送NHKへの疑問 )

2019-08-30 20:01:48 | 徒然の記
   第4章の(3)です。まず、書き出しの「NHKの説明 」を紹介します。
 
 「 『拝謁記 』には、昭和天皇が、政治への関与を憲法で制限されたにもかかわらず、時に踏み込んだ政治発言をし、田島長官がなだめたり、いさめたりする様子が記されています。」
 
 こうして、いつもの陛下への批判が始まります。内容は、次の3項目ですが、今回からは、島田氏の言葉を省略せずに入れます。
 
   ◦  delicate  中々困った事   
 
   ◦  昭和天皇 「国の前途心配」
 
   ◦ 「何も遊ばすことは不可能」
 
 【  delicate  中々困った事 】 
 
 〈 昭和24年10月31日の拝謁時のお言葉 〉 ・・・  講和条約に関するもの
 
 田島氏
 ・只今、陛下御関心の事は何でござりまするか。
 
 陛下
 ・平和問題が相当進んでいる様だが、果して真相は如何であるか。
 
 ・マッカーサーとの会見は、そう度々は出来ぬ故、そんな情報で、マッカーサーの眞意が分かれば非常に良い。
 
 ・政治外交に関与する意ではなきも、細目や具体的の事は別に、とにかく眞意の大方向だけの事は、外人の拝謁等の場合の心得にも知っておきたい。」
 
 ・英王の如きも、あの英国の憲法下で充分御承知のように・・。
 
 田島氏
 ・これは、随分至難な、delicate(デリケート)の事でございます。
 
 田島氏 ( 翌日の拝謁で、改めて )
   ・昨日の情報集めの事も、デリケートにて、陛下は、憲法上厳格に申せば、政治外交に御関係なれば、憲法違犯となります。
 
 陛下
 ・外国人記者との面会のために、大体の事を、どうしても知る要あり。
 
  ( 注釈 : 氏は、「これは中々困った事」と思い退出したと、その時の気持を記しています。)
 
 ウイロビー准将に繋がる芦田首相と関係の深い田島氏が、陛下のご意向を汲むはずはありません。
 
 陛下も、このことを何となくご存知の上で語りかけておられますが、平成になり、反日学者たちが勝手な意見を述べることまではご存知ありません。
 
 「君主から象徴となった昭和天皇が、自ら変わろうとする一方で君主としての意識を払拭できずに、時に政治的な発言をし、いさめられるなど、象徴天皇像を模索する姿が克明に記されていました。」
 
 国民はまだNHKを信頼していますので、彼らがこういう説明をすると、そのまま受け取る心配があります。
 
 【  昭和天皇「国の前途心配」  】
 
〈 昭和26年1月9日拝謁時のお言葉 〉
 陛下
 ・国民に、健全なる皇室の思想を持たせるよう、 教育は大切だと思う。宮内庁から、教育委員会に話してはどうか。
 
 田島氏
 ・戦後の青少年に、 健全なる対皇室思想を養う事は、最も必要の事と存じますが、陛下がかれこれ遊ばす事は、絶対に出来ませぬ。
 
 ・政治関与、または思想の統一を、 天皇を使ってするというような誤解の批難を受け易い、デリケートな問題です。
 
〈 昭和27年5月13日拝謁時のお言葉 〉・・・ 独立回復後
 陛下
 ・愚痴見たような事だが、秩序を維持しようとする政府に対して、新聞などの論調が、攻撃的だ。
 
 田島氏
 ・御軫念(しんねん)は、御尤(ごもっと)もで、象徴として、国のためのみ御考への陛下の公正な御考へは、中正な不偏な、一国民田島などの考へまする事も、
 
 ・全く同じでありますが、こんにちの憲法の条章では、陛下の御軫念をそのまま政府に伝へなど致す事は、来ませぬ。
 
 陛下
 ・元の憲法なら、私が眞に国を思ふ立場から、何とか動くといふ事ともあるのだが、今はどうする事も出来ぬし、
 
 ・心ある者が心配しながら、打つ手なしにしてるうちに、大事に至るといふ事は、軍部にやられた、過去の経験だ。どうも心配だ。
 
 田島氏 (  注:  この部分は、氏が付記している感想 )
 ・ごもっともなれども、うっかりした事は申上げられず、また出来もせず、只陛下の御軫念に同感の点を、他の面より申上げる位の事のみ。
 
 田島氏の遺族の方は、たとえNHKに説得されても、国家公務員の守秘義務違反をしてはなりませんでした。氏が陛下に憲法違反を申し上げ、ご意向を封じているメモだとしても、このメモの公開がそもそも違法な行為です。
 
 この違法なメモを、よくもNHKが世界へ拡散したと怒りを新たにします。かって「靖国参拝」に関する陛下のお言葉を、日経新聞がスクープ記事にしましたが、あの「富田メモ」でさえ、ことの重大さを勘案し、一部分が公開されただけでした。
 
 しかし今回は、メモの全文公開です。紹介するだけでなく、曲がった物差しを持った学者たちの、曲がった説明がついています。
 
  「 NHKは、本当に日本の公共放送なのでしょうか ?  」
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驕るNHK - 20 ( NHK、ホイットニー准将、芦田首相 )

2019-08-30 09:38:04 | 徒然の記
 第4章 (3) の内容は、次の3項目です。
 
   ◦  delicate  中々困った事   
 
   ◦  昭和天皇 「国の前途心配」
 
   ◦ 「何も遊ばすことは不可能」
 
 前回までは拝謁時の田島氏の言葉を省略し、陛下のお言葉のみを紹介してきました。しかしそれでは陛下のお姿が伝わらないので、今回から変えます。敗戦直後の世情の混乱をご覧になり陛下が語られるお言葉を、田島氏が抑え込んでいる様子が分かります。
 
 氏がなぜ、ここま陛下のお気持ちを無下にしたのかを考えてみますと、疑問を解く鍵が見つかりました。
 
  1.  GHQによる日本統治期間   昭和20年9月から、昭和27年4月まで
 
     2.  田島氏の長官在任期間    昭和24年4月から、昭和28年12月まで
 
  3.  芦田内閣          昭和23年3月から、昭和23年10月まで
 
  4.  民政局ホイットニー准将   昭和20年9月から、昭和27年4月まで
 
 共通する鍵は、ホイットニー准将です。モズレー氏の説明にもありましたが、彼は最初から天皇へ敵意を持ち、陛下に関する不利な情報をマッカーサー元帥に伝え続けた幕僚でした。
 
 民政局局長として占領政策の中心にいて、現在私たちを苦しめてやまない「日本国憲法」を押し付け、「認めなければ、天皇が処刑される。」と脅迫した張本人です。
 
 当時民政局は、マルキストたちの集団と言われていましたが、元帥は彼を重用していました。彼は社会党の片山哲氏や、リベラルと呼ばれる芦田均氏を支持し、保守政治家の吉田茂氏を嫌悪していました。
 
 治安維持法の撤廃、特高の廃止、内務省・司法省の解体、刑務所にいた共産党幹部の釈放 ( 徳田球一等 ) を、矢継ぎ早に実施したのも、准将とその部下たちでした。短命でしたが、片山内閣と芦田内閣を陰で支えていたのが、准将であったことは誰もが知るところでした。
 
 話が飛びますが、ライシャワー元大使の言葉を再紹介します。
 
 ・アメリカ人が、およそアメリカ人らしからぬ、革命的情熱を日本で燃やしたのは、なぜだろう。
 
 ・よく聞かされる説明は、日本社会は極めて悪質だから、荒療治で臨まなければ矯正できないという説であった。
 
 ・この弁明は、ある点では、無知がもたらした結果であり、ある点では、マルクス主義的な解釈によるものであった。

 ・しかし予見がいかに間違っていようとも、この薬は結果的に、なかなかの効き目を見せた。
 
 ・マッカーサーは、アメリカが生んだ最も過激的な社会主義者、と呼んでもいいくらいの指導者と化し、目覚ましい成功者の一人となった。
 
 ・革命的変革というものは、どこかよその国が、有無を言わせぬ軍事力を背景とした方が、実現はたやすいのである。
 
 何度読んでも腹立たしい文章ですが、氏が賞賛する荒療治をやった中心人物が、ホイットニー准将でした。
 
 「ねこ庭」のブログを通じて、悪臭のヘドロを発生させた大元を探していますが、大元の一つが准将でした。さらに別の大元を探すため、田島氏の経歴を調べてみました。
 
  ・田島道治( たじま みちじ )氏 は、明治18年生まれ、 昭和43年に逝去
 
  ・日本の実業家、銀行家。戦後、第2代宮内府長官、初代宮内庁長官を歴任し、GHQの占領下にあって宮中改革に尽力した。
 
  ・昭和23年6月、芦田均首相によって、宮内府長官に任命される。
 
  ・昭和天皇は、宮内府長官・松平慶民と、侍従長・大金益次郎を交代させることに、難色を示していたが、 芦田は、 宮中改革を実行するため、交代を断行し、
 
  ・田島が宮内府長官、三谷隆信が侍従長のコンビが成立した。
 
  ・その後宮内府は宮内庁と改称され、宮内府時代の官僚機構が縮小・改変される。
 
 氏は芦田首相の強引な人事で、宮内庁に押し込まれた人物でした。つまり氏は、GHQの実力者ホイットニー准将と、芦田首相の力を背景に、陛下と対面していたということになります。
 
 「なぜここまで氏は、陛下のお気持ちを無下にできるのか。」という疑問が、 これで解けました。ヘドロ発生の大元は、ホイットニー准将と芦田元首相の二人でした。
 
 彼らの庇護のもとで、氏がこっそりメモを取り、そのメモのせいで陛下は、NHKと反日学者に好き放題を言われておられます。
 
  NHKは、日本の公共放送と言えるのでしょうか。
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驕るNHK - 19 ( 警備についてのお言葉 )

2019-08-30 06:07:53 | 徒然の記
 第4章の(2)の内容は、次の2項目です。
 
   ◦  厳重な警備に対して   
 
   ◦ 「菊のカーテン」誠に困る
 
 今回は ( NHKの説明 ) も、学者の解説もありませんので、陛下のお言葉だけの紹介です。
 
 【  厳重な警備に対して 】 
 
〈  昭和26年9月29日の拝謁時のお言葉  〉 ・・・ 国民体育大会のため広島訪問
  陛下
  ・治安関係で警戒厳重になれば、国民との接触目的は、果して目的を達し得らるや。
 
  ・和歌山へ先年巡幸の時は、米兵の剣付鉄砲(けんつきてっぽう)で、私をとりまいて、かえって、国民との阻隔(そかく)に、ならぬかと思った。
 
  ・終戦直後は大体警備は楽になり、いわゆる警戒線のくずれが、大阪や名古屋であった程度で 、警戒は戦争前と大違ひで、
 
  ・そのために、国民との親近がはかられたと思ふが、今、治安やゝ悪いとのために、 警察が万全主義で警戒を厳重にすれば、米兵でなくても阻隔(そかく)のきらいなしとしないので、もしそう言う憂あれば、広島訪問を止めた方がよいかも知れぬ。
 
  〈 昭和27年2月25日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・警備のために、折角の皇室と国民との接近を、害するやうになっても困る。
 
  ・あまり厳重過ぎると、折角出掛けても、逆の印象を与へる事になるから困る。その辺のかねあいが、むつかしいね。
 
〈 昭和28年5月5日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・皇室と国民の接近という事は、今後とも計らねばならぬ。
 
〈 昭和28年11月4日の拝謁時のお言葉  〉・・・ (注) 吉田とは、吉田総理のこと
  陛下
  ・昨日吉田が、直訴の事を言って、警察が悪いので今後は厳重にするといっていたので 、あまり厳重にしては、皇室と国民の間に垣が出来て困ると言った処、それは、我慢願ひますと言っていた。
 
  ・話はそれなりになったが、一人の人の誤ちから、千人の人に迷惑をかける事になる。
 
  ・一度間違った事があると、いろいろの事に、必要以上の注意をしすぎるようになる事は、このことだけでなく、政治全体一般にこれはよほど注意すべき事である。
 
  ・一つしくじったとか、やり損いの事があると、その取締りの為に、千人も万人もの人に迷惑をかける事になり勝ちだ。
 
  ・これは充分考へぬと、政治はいかぬと思う。
 
  ・私は外遊から帰って、警衛の事などあちらの見聞を取入れ、余程簡単にするように言い、また一部その方向に実行されつヽあったのに、虎の門事件の為にすっかり駄目になってしまった。
 
  ・然しこれは旧憲法時代で、皇室と国民の間に若干の藩屏というか、いろいろの垣根が、法制上も認められてあった時だが、
 
  ・今は全然違う建前で、皇室と国民とは最も多く接近すべき時に、警衛の責任上そうはなるか知らぬが、皇室が国民と接近しようとする事には、非常な害になるので、この点は余程よく吉田にも考へて貰わぬと困る 。
 
  ・我慢願ひますと言って、大いに厳重にするつもりらしいが、これは長官から、よく総理に言って貰ひたい。
 
 【  「菊のカーテン」 誠に困る  】 
 
 〈 昭和28年11月4日の拝謁時のお言葉 〉・・・ 大手新聞の報道に触れ
  陛下
  ・『菊のカーテン』 などと書き出しては、誠に困る。
 
  ・見出しだけで中を読まぬ人も多く、『菊のカーテン』といふ言葉で想像して、皇室が国民に接近したがらぬとの印象を、与へる事になっては困る。
 
    ◦  厳重な警備に対して   
 
    ◦  「菊のカーテン」誠に困る
 
 上記2項目の説明は、左翼的思考からすれば以下のようになるのでしょうか。
 
   ・陛下による、警察行政への不当な圧力
 
     ・陛下による、マスコミへの不当な介入
 
 そのようなことは書いていませんが、悪意の説明を多く読まされるため、邪推する癖がついたようです。第4章は、NHKと学者の説明がなかったので、これで終わりです。
 
 陛下のお言葉を捻じ曲げて悪用する、NHKと学者たちのヘドロ記事にだいぶ慣れましたので、次回もブルーシートに広げます。
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驕るNHK - 18 ( 「令和」の世を汚す、田島氏と学者たち )

2019-08-29 15:04:03 | 徒然の記
   家の前の下水のふたを開け、溜まったヘドロを手ですくい、地面に広げたブルーシートに乗せていく ・・・・ 想像するだけで、鳥肌の立つ作業です。
 
 前回まで、反日のNHKと学者たちの意見を紹介してきた作業は、これに似ています。悪臭のヘドロを無下に扱わず、息子たちのためと両手でシートの上に広げてきました。耐えられない作業ですが、やっと第3章が終わりました。
 
 どうして今の時期に、しかも英訳までして、NHKが世界にこの番組を報道したのか。自分たちのご先祖を冒涜し、歴史を汚すこのような報道をしに、彼らは何をしようとしているのでしょうか。
 
 今日から「 第4章 」で、内容は下記の7項目です。いわば、NHKと反日学者たちが並べたヘドロの列です。
 
   (1)  象徴への決意を語る場面も
 
       (2)  国民との距離 縮めようとする姿も
 
       (3)  政治的発言を諌められる場面も
 
   (4)  「戦前と似ている」と危機感も
 
   (5)   田島長官がブレーンと組み 昭和天皇支える
 
   (6)   新しい皇室制度に不満を漏らす
 
   (7)   象徴への模索 専門家の見方
 
 いつもの通り、「NHKの説明文」を紹介します。
 
 「『拝謁記』には、戦後の日本国憲法で、君主から象徴となった昭和天皇が、自ら変わろうとする一方で、君主としての意識を払拭できずに、時に政治的な発言をし、
 
 「いさめられるなど、」「象徴天皇像を模索する姿が、克明に記されていました。象徴天皇の行動のあり方が決まっていく、現場がわかる貴重な資料だ。」
 
 マッカーサー元帥が陛下のお人柄を理解し、日本を護る決意をしたので、国土の三分の一をソ連の統治とせずに済みました。
 
 屈辱や悲しみに耐えられ、陛下は国民のため懊悩されました。そういう陛下を語らず、NHKと学者たちは、陛下を蔑み小馬鹿にするため、国の電波を使い、ヘドロのような報道を拡散しています。
 
 第4章の(1)の内容は、次の2項目です。
 
  ◦  象徵の立場 強く意識   
  ◦  目頭あつくなる
 
 【  象徵の立場 強く意識  】 
 
 〈 昭和25年9月4日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・私は憲法上の象徴として、道義上の模範たる様、修養を積んで居るつもりだが、まだたらぬ故、
 
  ・此上つとめたく、抽象的な道徳哲学、宗教の問題で、間接に修養したいと思ふ故 、あるいは儒教哲学、あるいはカント哲学等の道徳的哲学の話をきいて、益々修養したく思ふ。
 
  ( 注  :  田島氏が昭和天皇に対し、抽象的なことではなく、朝鮮問題や共産党の問題に、触れてもいいのではと提案すると )
  陛下
  ・聞いた人が、外で喋るからいやだ 。自説をのべて、天皇も同意見だなどといわれる事は困るからだ。そうでないならば、抽象的でなくてもよい。
 
 〈  昭和26年1月24日の拝謁時のお言葉  〉・・・講和条約の成立に際し
  陛下
  ・従来、政治軍事中心であったのを、今度は文化中心で学問芸術の方面、また社会事業というような事を、一層よくして、国民との接触を謀らねばならんと思う。
 
 通常なら、「はかる」と言う言葉は、「図る」と言う文字を使います。しかし学者たちは、陛下を策士であるように見せるためか、わざわざ「謀る」と言う字を当てています。
 
 【  目頭あつくなる  】 
 
 〈  昭和26年5月16日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・私は象徴として、自分個人のいやな事は進んでやるように心懸けている。また好きなやりたい事は、一応やめる様に心掛けている。
 
 〈 昭和26年10月10日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・とにかく、皇室と国民との関係というものを、時勢にあう様にして、もっと良くしていかなければと思う。
 
  ・私も、微力ながらやる積りだ。」「長官も私の事で気付いたら、言ってくれ。何か、皇室と国民との理想的結びつきに行く様、研究し骨折って欲しい。
 
 タイトルの「目頭が熱くなる」とは、何に関する叙述かと思いましたが、陛下のお言葉を聴き、田島氏がそうなったと言う話でした。
 
 盗人猛々しいとは、このことを言うのでしょうか。国家公務員の守秘義務違反のメモをNHKに提供した氏に対し、むしろ国民は、情けなさに目頭が熱くなります。
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驕るNHK - 17 ( NHKと古川教授と吉田教授の反日番組)

2019-08-29 05:56:31 | 徒然の記
   今回は第3章の(3)で、内容は次の4項目です。
 
    ◦  初めて詳細に手に取るように分かった   
 
    ◦  すごく重苦しい選択
 
    ◦  物を投げつけられる体験も
 
    ◦  道義的な責任ははっきり意識
 
 「天皇の位にとどまるという決断に対する、『 拝謁記 』の分析に当たった専門家の見方です。」
 
 ・・・ これが書き出しの説明で、教授たちの意見が紹介されます。
 
 視聴者が、番組をどの場面から見ても、陛下の印象を悪くする意図なのでしょうか。読めば分かりますが、どの項目にもほとんど中身がなく、何度も同じ言葉を流す民放のコマーシャルに似て、陛下への悪印象操作だけです。
 
 【  初めて詳細に手に取るように分かった  】  ( 日本大学・古川隆久教授の話 )
 
  〈 独立回復を祝う式典でのおことばについて 〉
 
 ・昭和天皇は田島長官を通じて、昭和23年の東京裁判の判決の際に、マッカーサー元帥に、手紙で退位しないことを伝えていたが、これは当時、公になっていないので、昭和天皇が自ら退位を否定した発言は、昭和27年の、独立回復のときのおことばしかない。
 
 ・最終的に留位を決心していく状況や、そこに至る昭和天皇の気持ちや、心の揺れは全く表に出ておらず、これまでは、断片的な資料から推測していたが、今回の『拝謁記』で初めてそれが詳細に手に取るようにわかった。
 
 教授の説明によりますと、陛下は東京裁判の折、退位しない旨を書面で出されたらしいことが分かります。氏はこれが公にされていないと言いますが、このような機密文書を、政府が公開するはずもなく、マッカーサー元帥も簡単に認めなかったでしょう。
 
 あるいはこれが陛下と元帥の会見の中でなされ、誰にも語られなかった秘密部分の一つである可能性もあります。書面での意思表示を元帥が示唆し、陛下がこれに答えられた・・・と、このような推測もできますが、公表されなかったことも、当時の状況を考えれば理解できます。
 
 モズレー氏が著作で述べていたように、陛下の退位を一番望んでいたのは、ソ連でした。国の中心である皇室が崩壊し日本社会が乱れれば、革命がしやすくなるという狙いです。
 
 古川教授の肩書は歴史学者で、専門が日本近代史です。そうであるとすれば氏は、モズレー氏の言う天皇退位と、ソ連の動きを知らないはずがありません。この点を省いて説明をする氏は、間違いなく反日・左翼学者です。
 
 【  すごく重苦しい選択  】  ( 日本大学・古川隆久教授の話 )
 
 ・昭和天皇は在位し続けたことで、一生戦争のことを言われ続けていくことになった。
 ・そのストレスを考えると、実はそんなにうれしい選択ではなく、すごく重苦しい選択だったと思う。
 
 ・そのうえで、在位し続けたことでちゃんと責任をとらなかったと言われ、それが日本社会に影響して、ちゃんと責任がとれない社会になったんじゃないかとまで言われてしまった。
 
 ・この段階では、すでに君主ではなく象徴なので、仮に天皇が謝罪して退位しても、一定程度、批判は和らいだかもしれないが、国として謝らないかぎり、劇的に状況は変わることはなかっただろう。
 
 「国として謝る」とは、具体的に何を言おうとしているのでしょう。戦後数々の事実が明らかになってる今、氏はNHKは国民の電波を使い何をしようとしているのでしょう。
 
 【  物を投げつけられる体験も  】  ( 日本大学・古川隆久教授 の話)
 
 ・さらにこのときの決断の影響で、発言はなるべく慎重にするなど、その後の行動様式が非常に抑制的になったと思う。
 
 ・戦後長い間海外に出ることができず、晩年に近くなってから、ヨーロッパを訪問した際に、物を投げつけられるなどの苦い体験をしたことや、中国や沖縄など、内心行きたいと思っていても行けない場所が、いくつもできてしまったのは、戦争の影を引きずっていたことと結びついている。
 
 陛下に敵意を抱いていたホイットニー准将が、悪意の情報をマッカーサー元帥に報告したと聞いていますが、古川氏の説明はこれとよく似た国民への悪意の報告です。読むほどに嫌悪感が生じます。
 
 ・退位した方がすべてを明らかにして、すっきりして、違う人生を、歩めたかもしれない。
 
 ・でも退位できなくて、どこにも思いを吐露できない中で、戦前の追憶を、ずっと何十年もしなければいけない形になっていったので、心が晴れるような日は戦後なかったと考えてもおかしくはないと思う。
 
 マッカーサー元帥や、モズレー氏に比べ、氏の人格の低劣さがそのまま伝わる説明です。陛下のご生涯を思う時、多くの国民は感謝しますが、氏はただ批判し、己の醜さを晒すだけです。
 
 【  道義的な責任ははっきり意識  】 ( 一橋大学・吉田裕特任教授の話 ) 
 
 ・昭和23年末の段階で、退位問題には決着がつけられたと思っていたので、その後もくすぶっていて、昭和24年の段階でも、まだ退位のことを言っているというのはまったく予想しなかった。

 吉田氏も古川氏同様、日本の歴史学者です。
 
 専門は日本近現代政治史ですから、氏もまた敗戦後の日本で、ソ連が何を狙っていたのかを知る人物です。飾らずに言えば、反日・左翼教授であり、「獅子身中の虫」です。
 
 ・退位問題の裏には、君主としての責任感があるが、それは国民に対する責任と、歴代の天皇や天皇家の祖先に対する責任の2つがある。
 
 ・敗戦という事態を迎え、それまで続いてきた国体を、危機に陥れてしまったことに対する道義的な責任を、はっきり意識していることが『拝謁記』の記述から分かった。

 ・天皇制廃止の立場からではなく、天皇制や国体の護持を望む立場からの退位論が、周囲にかなりあり、それを意識せざるをえない状況が、ずっと続いていたことが分かる。
 
 ・昭和天皇が、退位論に関するいろいろな議論に、細かく目を通していたことも、よくわかる。
 
 
 第3章が終わりましたので、ここまでの「ねこ庭」の感想を一言で言います。
 
 「NHKの番組は、陛下への批判と中傷をする反日学者の宣伝報道です。」
 
 これでまた「ねこ庭」のブログは、gooのスタッフの方々から「警告」を受けるのでしょうが、致し方ありません。
コメント (4)
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驕るNHK - 16 ( NHKと学者たちの、品格・人品 )

2019-08-28 12:46:39 | 徒然の記
 今回は第3章の(2)で、次の3項目です。
 
   ◦  普段の食事   
 
   ◦  住居の増築
 
   ◦  御用邸での静養
 
 毎回同じですが、「 NHKの説明 」から始めます。
 
 「 『拝謁記 』 には、退位論が根強く残る中、昭和天皇が国民の目を気にして、自らのふるまいなど、細かいことにも気を配る姿が記されています。」
 
 【 普段の食事 】 
 
〈 昭和25年12月7日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・今の時節に私の為にお金のかかる事は、 随分困っている人もある時代だから、 その点をよく考えて貰うようにしたい。
 
 【 住居の増築 】 
 
 〈 昭和24年8月30日の拝謁時のお言葉  〉
  ( 注 :  住まいとして使い続けていた、防空施設の「御文庫(おぶんこ)」の増築が、話題に上ると、)
 
  陛下
  ・佐世保の引揚者住宅の如き、暗き不充分なる住宅あり。遺憾の旨を漏らしたる私の立場としては、言行不一致のひらきあり。やめて貰いたし。
 
  ・今は皇室、殊に私に対してあまり皆悪く思ってない様で、一部には退位希望者あるも、大体は私の退位を望まぬ様な時に、
 
  ・私が、住居を大いに新築でもしたように誤伝せらるれば、 私は非常に不本意で、いわば一朝にして信を失う事は、つまらぬと思う。
 
    〈  昭和27年9月15日の拝謁時のお言葉  〉
  陛下
  ・世の中は、とかく表面、形に表われたものだけで批評をするもので、宣戦の詔勅の如きも、宣戦した詔勅と単純に言うていろいろ言うが、その内容をよく見、又それに至る経緯、また苦心したものゝある事などは、少しも考へない。
 
  ・只形式上、表面的の表われた結果について、批判する故誠に困る。
 
  ・それと同じく、経緯を経た事は表面には分らず、 国民の住の問題がまだ解決せぬのに、また、戦争犠牲者の対策が確立せられぬのに、住居再建という事になって批判せられるのは困る。
 
 【 御用邸での静養 】 
 
 〈 昭和26年12月19日の拝謁時のお言葉 〉
  陛下
  ・退位論など唱へる人達、生活に困った人 、特に軍人など、戦争の為にひどい目にあった人から見ると、私が葉山へ行くなど贅沢の事をしてると思うだらう。それは境遇上のひがみと思うが、そういう人のある事を考へても行っていいか。
 
  田島
  ・退位その他の事をうんぬんする人は、葉山へ御出掛けなどをやかましく申しは致しませぬし、大切な御位置の方の御健康上御よろしい事は、結構な事であります故よろしいと存じます。
 
  陛下
  ・それなら、それでよろしい。
 
 以上が第3章に記載されている、昭和天皇のお言葉の全てです。「南京事件」の記述と同様、NHKがわざわざ取り上げるほどの中身はありません。あるとすれば、昭和天皇が国民を思われ、ご自分のことを遠慮されていた事実を知り、感謝するだけです。
 
 モズレー氏は、陛下と会見する前の元帥を次のように評しました。
 
 ・元帥の物差しでは、天皇の御性格を、理解することができなかったためである。
 
 元帥の人柄では、陛下を理解できないだろうといささか低い評価でしたが、元帥は陛下のお言葉を聞き、即座にお人柄を理解しました。
 
 それを思いますと、NHKとこれに協力する学者たちの人品の卑しさを、何と言えば良いのでしょう。彼らは、陛下のお言葉を受け止めることができず、国民の目ばかり気にする卑屈な天皇であったと、そう言う捏造を発信しています。
 
 「昭和天皇が国民の目を気にして、自らのふるまいなど、細かいことにも気を配る姿が記されています。」 ・・・
 
 第3章の書き出しのNHKの文章を、モズレー氏が書けば次のようになります。
 
 「昭和天皇が国民へ思いを致され、、自らのふるまいなど、細かいことにも気を配られるお姿が記されています。」
 
 メモを残した田島氏も非礼な人物ですが、これを入手し、つまらない説明文を添え世間に公表するNHKと、反日の学者たちの人品をなんと評したら良いのでしょう。
 
 自由民主党の議員諸氏に、
 
 「皇室とNHKと、どちらが大切なのか。」
 
 問うてみたくなる「ねこ庭」の怒りを、分かってくれる人物はいないのでしょうか。
コメント (2)
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驕るNHK - 15 ( 守るべきは皇室か、NHKか )

2019-08-28 08:38:12 | 徒然の記
  モズレー氏の著作の紹介を、今少し続けます。
 
 「天皇と元帥との会見の、正確な内容は、元帥の死後その書類が公表されるまで、分からないであろう。」
 
 「ここ当分の間は、マッカーサーの 『 回想記 』に述べられた説明を、だいたいにおいて信頼すべきものとしなければならない。」
 
 また氏は、「天皇は、会見内容の公開は、元帥の特権だと考えておられる。」、とも述べています。
 
 会見内容を公開しないというのは、おそらく陛下と元帥の約束ごとだったのでしょうが、高い地位にある人には、約束を守る節度があると同時に、礼儀でもあります。
 
 部外者が当事者の言葉を自分で解釈したり、公開したりしてはならないと、氏はそのように教えています。今回NHKと学者たちがしていることは、モズレー氏の教えに反した行為です。
 
 何時のことだったか忘れましたが、テレビの記者会見の場で、元帥との会談内容について質問された時の、陛下のお姿を思い出しました。
 
 「マッカーサーとの約束だから。」と、お答えにならなかった陛下がおぼろな記憶として残っています。
 
 令和の時代になった今、NHKがこのような恥ずかしい番組を作り、日本全国と世界に発信するとは、予想もしないことでした。
 
 モズレー氏は元帥と陛下のお人柄を比べ、次のようにも述べています。
 
 「元帥が、天皇ご訪問の意図について、ご自分の立場の申し開きをして、戦犯として起訴されないよう、連合国への説得を頼むためでないかと疑い、またそう信じていたのは、元帥の物差しでは、天皇の御性格を、理解することができなかったためである。」
 
 ここで氏は、マッカーサー『回想記』の中の元帥の言葉を紹介します。
 
 「天皇が話されたのは、次のようなことである。」
 
 「私は、戦争遂行中、日本国民が政治・軍事両面で行なった、全ての決定と行動に対し、唯一の責任を負う者として、私自身を、貴方の代表する連合国の裁定にゆだねるたため、ここへやってきました。」
 
 「大きな感動が、私を揺さぶった。」
 
 「死をも伴う責任、私が十分に知っている諸事実によっても、明らかに天皇の責任のものでないとわかる責任を、進んで引き受けようとされる態度に、私は骨の髄まで感動した。」
 
 「この方は、生まれながらの天皇だが、その瞬間私は個人としても、日本最高の紳士と向かい合っていることに、気がついた。」
 
 以後元帥の態度が一変し、天皇を守る側へと大きく重心を移したと、モズレー氏が語っています。ここでわざわざ氏の言葉を紹介するのは、NHKとこれに協力する学者たちの卑しい心根を比較し、息子たちと「ねこ庭」訪問される方々に報告したくなったからです。
 
 もしかすると陛下は、元帥との対談でもっと話をされたのかもしれません。しかし陛下も元帥も約束を守り、外に漏らすことなく亡くなられました。これが高い地位にある方々の、約束を守る姿です。
 
 御言葉をメモに残し世間へ漏らすなど、あってはならない背信行為です。公務員の守秘義務違反を承知の上で番組を作ったNHKと、協力した学者たちは犯罪者ではないのでしょうか。
 
 自由民主党の議員諸氏に問うてみたくなります。
 
 「日本にとって、皇室とNHKといずれを守るべきと考えているのでしょうか。」
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驕るNHK - 14 ( NHKと、モズレー氏の比較 )

2019-08-27 19:02:13 | 徒然の記
 当時の陛下の状況について、モズレー氏が説明しています。
 
 「天皇に対する騒々しい攻撃とデモは、9月いっぱい続き、過去数週間にも及ぶ、お疲れも加わって、その圧迫は天皇にとって耐え難いものになっていた。」
 
 「天皇が望まれたことの全ては、目立たない場所へのご引退であった。」
 
 「天皇はお疲れのうえ、悲しみと気分の滅入りから軽い黄疸にかかり、ご気分が優れず、侍医の手当てを受けておられた。」
 
 NHKはこうした陛下のお姿には触れず、退位を躊躇われるだけの方として伝えています。NHKの説明文と比較しながら、モズレー氏の説明を読みましょう。
 
 「そう言うある日、皇后がお文庫にやって来られ、戦後初めて体験された宮城外の冒険を話された時、しばらくの間だが天皇は元気を取り戻された。」
 
 「皇后が義母の皇太后を、訪問された帰途、皇居の方から流れてくる叫び声を聞かれたことから、話は始まる。」
 
 「これは著者の取材した話だが、それは共産主義者が組織した天皇制反対の集会であった。」
 
 長くなりますが、モズレー氏の言葉をしばらく紹介します。
 
 「皇后は運転手に進行を命じ、車は騒がしい群衆の端の方を回って進んだ。」
 
 「彼らはすぐに、車のボンネットに翻る皇后旗に気づき、仲間たちに伝えた。この瞬間、宮城広場は静寂にかえった。」
 
 「皇后は突然ご自分の心臓を、ぎゅっと掴まれたような恐怖に襲われたが、群衆はほとんど、一斉に皇后へ向かって頭を下げ、再び集会を続けたと言うことである。」
 
 陛下が元気になられたのは、天皇制反対を叫んでいる者たちも、心のどこかで皇室への敬愛を失っていないとお知りになったからでした。
 
 退位について話されたり、譲位への思いを漏らされたり、陛下が田島氏に語られた背景には、こうした事実がありました。
 
 「日が経つにつれて、天皇はますます夜は不眠、昼はご気分の沈滞に悩まれ、この精神的な緊張状態を緩和するには、ただ一つの手段しかないと、決まった。」
 
 「マッカーサー元帥が天皇を招かなければ、天皇が、元帥を訪問されるべきである。寺崎氏を通じて、会見の打ち合わせが、始まった。」
 
 寺崎氏について、氏は次のように説明しています。
 
 「寺崎氏は、パール・ハーバーの日米開戦当時、ワシントンの日本大使館一等書記官だった。」
 
 「氏は米国人の夫人とともに戦争中を日本で過ごしたが、戦後間もなく、その完璧な英語と親米的な気質、それと多分、マッカーサー元帥の幕僚の主要メンバーだったボナー・フェラーズ将軍が、夫人の従兄弟の一人だった関係で、宮内庁の渉外官に迎えられた。」
 
 この寺崎氏が、『昭和天皇独白録』を書いた寺崎英成氏です。モズレー氏が、陛下の元帥訪問時の様子を語っています。
 
 「9月27日二重橋の門は再び開き、古ぼけた幌ばりのノールス・ロイスのお車が、お堀の美しい二重橋の上を音もなくすべって行った。」「ついに、対決が近づいた。」
 
 「 『マッカーサー回想記 』 には、次のように書かれている。」と、今度は元帥の著書を紹介します。
 
 「モーニングに縞のズボン、それにトップ・ハットをかぶられて、天皇はお車に、宮内大臣と向かい合わせに乗って、米大使館にお着きになった。」
 
 「私は占領当初から、天皇の処遇を粗略にしてはいけないと命じ、君主にふさわしいあらゆる礼節で天皇に接するよう、指示していた。」
 
 『マッカーサー回想記 』を紹介した後、氏が続けます。
 
 「マカーッサー自身は、すでに天皇は戦犯でないと認め始めていたとしても、やはり天皇が、困惑の種になりそうだと考えていた。」
 
 「服従とか、過度の尊敬の身振りを示せば、必然的に、王権へのへつらいという、非難を呼ぶであろう。」
 
 「天皇のようにいつも公共の場では、それが楽しい場合であっても、神経過敏になるような人にとっては、この試練は身震いするほどのものであった。」
 
 陛下のお気持を、なぜモズレー氏が知っているのか不思議な気がしますが、当時の状況を考えれば、推察できたのかもしれません。
 
 「米大使館に入られた天皇は、顔色が青く、落ち着かないご様子であった。」
 
 「当然のこと、天皇に向けられた視線には、敵意が満ちていた。そこには、愛も尊敬もなく、抑制されてはいたがただ冷たい、軽蔑しかなかった。」
 
 「やがて分かったことだが、ある一人の男だけは、この例外であった。」
 
 「それは、天皇を元帥の部屋へお送りするため、エレベーターのそばに待機していた、ボナー・フェラーズ将軍である。」
 
 つまり将軍は、寺崎夫人の従兄弟でした。天皇はこのことを知られないまま会見に臨まれ、一人だけ笑みをくれた人物を心に刻み、感謝されました。皇居に帰られた後、「私と握手した将軍は、誰か。」と、寺崎氏にお尋ねになり、フェラーズ将軍と分かると、何日ぶりかで初めて微笑されたと言います。
 
 モズレー氏の叙述を紹介することが、NHKとその協力者である学者たちの陛下への悪意を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に伝えるはずと、考えたからです。
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