気になるというより、気になって仕方がない言葉が二つある。
最近の若者たちが使う奇妙な造語でなく、どちらも昔からある、レッキとした日本語だが、無神経に不用意に、しかもあまり頻繁に使われるのがなんとも面白くない。
いつか止めてくれると期待しているのに、日本の良識 ( 言い過ぎかもしれないが ) の砦と信じたいNHKまでが、止める気配もなく続けるので我慢ならなくなった。
「列島各地の天気予報をお伝えします。」
「休日の列島各地の表情とニュースです。」
朝昼晩の食事時、国民が一番テレビを見る時間帯に全国に報道され、しかも毎日なので、ひと言言わずにおれなくなる。
たしかに日本は、四つの島で構成される島国であり、小学生の頃私も先生からそう教わった。しかし「列島」とは単なる物体としての島、物理的な土地を表現してるのであり、歴史や文明の総体としての「国」を表現する言葉ではない。
私たちの住む国は物理的な島、列島にとどまるものでなく、国民の心のよりどころとなっている「国」なのだ。懐かしいふる里を含む、もっと大きなしかも長い時を経た大切な国である。
それを売買対象の不動産のように、「列島」という無味乾燥な言葉で片付ける愚行を、NHKは何時までやるのか。ニュースで使うのなら「日本各地の」とか、「全国の」と言えば良い。あるいは「列島」という言葉を省いてしまえば、スッキリするのだ。
私の記憶が正しいとすれば、列島という言葉が脚光を浴び、頻繁に使われだしたのは、田中角栄氏の『日本列島改造論』からでないかと思う。
「コンビータつきブルドーザ」「今太閤」などと、マスコミに褒めそやされた氏は、土建屋らしい発想で壮大な日本の国土改造を国民に問い、最後は金権政治の宰相となり収監された不遇な政治家だった。
氏は不世出の天才政治家で、命をかけ日中国交回復を成し遂げた総理だったが、自民党と官僚を金まみれにした張本人でもあった。功罪半ばする大政治家として私の心に存在しているが、その彼が使った「列島」という言葉にそろそろ暇を告げて良いのではないだろうか。
今ひとつ気にかかってならない言葉が、「この国」だ。
「この国の政治はどちらを向いているのか」
「この国の若者の未来に、光があるのだろうか」
こちらは主として、新聞の中で使われている。だいたい「この国」などという第三者的な表現は、外国を訪ねた人間たちが自国と異なるものに触れ、感心したり驚いたり憂えたりする時に使う言葉だ。
チョイと良い指摘もあるし、余計なおせっかいもあるが、所詮は傍観者たちの意見で使われる言葉だ。
最初は新聞に寄稿する評論家が使っていたのに、いつの間にか社説や論説にまで、「この国」が顔を出すようになった。自分の国を言い表すのに、なぜ「この国」などという他人行儀な言葉を使うのだろう。
ハイカラな表現だと、思い違いをしているのだろうか。公式な、真面目な文章なら、「わが国」「私たちの国」と言うべきで、旅行者の目で他人ごとのように叙述すべきではないはずだ。
国民大衆をむやみに煽動する新聞を社会の良識とは思わないが、大事な公器であることは間違いない。
せめて公器らしく、読者への気配りをして欲しいものだ。この国などと言われると、いったい君はどこの国の新聞記者なのかと問い返したくなる。切実な自国の問題を、傍観者のように無責任に語るのは今日からでも止めてもらいたい。
思うにこの言葉は、司馬遼太郎のベストセラーだった、『この国のかたち』から来ているように思うが、どうなのだろう。
氏は、沢山の優れた小説を書いた作家だが、自分の国日本のことを、いつも「この国」などと言っていたのではない。たまたま、ひとつの作品の中で使っただけのことで、氏が日本を傍観者として眺めていなかったことは、どの作品を読んでも伝わってくる。
いくら氏の本がベストセラーになったからといって、新聞や評論家たちが日本を語るのに、馬鹿のひとつ覚えみたいに「この国」の合唱をして良いのだろうか。NHKが使う「列島」と同様に、青少年にとって有益でない言葉の使い方なので、是非とも止めてもらいたい。こんな言葉を蔓延させていると、知らぬうちに自分の国を軽んずることにつながる。
と言っても、マスコミの大好きな「表現の自由」という理屈から見れば、果たして私の意見が妥当なものとして受け取られるかについて、自信はない。
夜も更けた。NHKと新聞社に、庶民の繰り言に耳を傾けてくれる寛容さを夢見つつ、本日の「きまぐれ日記」を終ることにしたい。
長年のもやもやを吐き出したので、今夜は安らかな眠りが訪れることだろう。
ついこの間、桐生の新里東小学校で、六年生の女子児童がいじめを苦にして自殺した。
当初学校側はいじめの事実はなかったと言い、数日後にいじめの事実があったことを認めた。それでも、自殺との因果関係は分からないと言い張っている。
インタビューに答える校長の不誠実さに、顔を背けたくなった。今回だけでなく、以前から疑問に思っているが、亡くなった生徒への学校の対応には、釈然としないものがある。新里東小学校ばかりでなく、亡くなった生徒に対する粗末な対応は、同様の事件を起こした学校に驚くほど共通している。
その曖昧さと無責任さには、これが教育界の風土かと失望を覚えさせられる。いったい校長たちは何を守ろうとし、何を隠そうとしているのか。疑問が変じて怒りとなる。
問題を大きくしたくない、なるべく平穏に納めたいと、学校に見られる事なかれ主義の隠蔽体質は、いったい何なのだろう。四角四面なことを言いたくはないが、教育者とは、現実の世界がどうであっても、人の道や社会の正義、人間の誠というものを、生徒たちに教える立場にあるのではないだろうか。
学校の醜態を目にしながら、いったい生徒たちは、何を学びとるのだろう。
いじめが一筋縄でいかない問題と、分かってはいるものの、それにしても先生方の積極性の無さは寂しい限りでないか。校長を筆頭とする、こうした教師たちの鈍感さが、いじめられている子の希望を砕いているのだと、なぜ思い至らないのだろう。
いじめは陰湿で、凶暴で、他人に相談すれば倍返しになる辛いもので、口先だけの注意では無くならないのだと、生徒たちは知っている。死んだ子が哀れまれ、何分かの黙祷でお仕舞いになり、一般的な注意だけで明日からの対策がないのなら、いったいどの子が教師や親に相談をするだろうか。
頼りない大人に周りを囲まれていれば、結局は、孤独の内に死を選ぶしかないという生徒が、これからも出てくるはずだ。こんな単純な理屈が、なぜ分からないのだろうか。
人は腕力で傷つけられるだけでなく、言葉の暴力によっても傷つくと言うこと。言葉の暴力で人が死ぬと言うことを、学校はもっと真剣に教えるべきなのだ。
他人をいじめて死に至らせるのは、悪事であり犯罪であると、シッカリ説明しなくてならない。いじめる子はもちろんのこと、見て見ぬ振りをする子も悪事に加担していることになると、ハッキリと教えるのが真の教育ではないのか。
事件があるたび学校は全体集会とやらを開催し、生徒を集合させ、もっともらしく何かをやる。同時に親たちも子供とは別に集められ、時間潰しの会議をしている。
新聞やテレビが、そそくさと会場に消える生徒や親たちの姿を遠慮がちに映し出すが、そこで何が議題となっていたのか、なぜ報道しないのか。クラスでのいじめが、社会正義に反するものだと、そんな意見が議題にならないのだとしたら、全体集会に何の意味があるだろう。
教育界の組織については良く知らないが、新聞の報道で知る限りでは、学校の上に市や県の教育委員会があり、更にその上に文部省があるのだと思っている。
それぞれの組織に学識経験者と呼ばれる立派な人たちがいて、学校だけで手に負えない、問題への助言や手助けをしているはずなのに、一向にその動きが見えないのは何故なのだろう。
教育の現場だけに限らず、いったいにわが国では、死んでしまった、あるいは殺されてしまった被害者より、生きている加害者の権利の方が大事に扱われる傾向がある気がするが、私だけの偏った思い込みなのだろうか。
事件の当事者が未成年同士である場合など、特にその感が強く、犯罪者である加害者の将来への配慮が先に立ち、被害者の家族への気配りは無視されてきた。
不断は歯切れよく社会正義を語るマスコミでさえ、この不公正さと不公平さについて、なんのコメントも発しない。世の識者と言われる人々からの指摘もなく、世間 ( もちろん私も含まれる ) の、誰も声を上げない。
最近になり、遺族の裁判への参加と加害者への質問が、やっと許されるようになったが、こうした被害者 ( 死者 ) 軽視の風潮が、そのままいじめ事件に投影しているのではないだろうか。
校長や学校関係者が、説明のためにと自殺した生徒の家を訪ねる場面が、テレビで報道されたが、もし自分が当事者だったら人格円満でない私は、責任逃ればかりする校長や関係者など、塩を撒いて門前払いにすると思う。
「これでは死んだ娘が浮かばれません」「残念だし、悔しいです」
顔を映されない父親が怒りを殺して語るのを聞いていたら、やり切れない悲しみが伝わって来た。
学校は普段から、いじめが悪であると言う教育を、授業で行う。家庭では親が子供たちに、弱い者いじめをする人間は最低だと常に教え、分からない息子や娘にはゲンコツをしてでも説教をする。
授業参観や父兄会ではいじめについて、意見交換が率直にできるような仕組みづくりを学校と親が努力する・・。いとも簡単なことではないか。
即実行に移せるほど、単純な案だ。だが、簡単で単純なことほど、この世での実行が難しい。
言っている私が一番よく分かっているのだから、今日はもうこれで止めにしよう。
民主党、自民党、公明党、社民党、みんなの党、日本共産党、国民新党、たちあがれ日本、新党日本、新党大地と、覚えきれないほどの党があり、議員たちが連日マスコミを賑わせている。
テレビ番組の中で特に関心を持っているのは、NHKの「国会中継」と「日曜討論」だ。自民党時代の「国会中継」は、総理大臣や閣僚が木で鼻をくくったような味気ない答弁を繰り返し、中身を語らなかったが、民主党になってからというもの不慣れと言うのか失態と言うのか、本音の答弁が増えて素人に分かり易くなった。
中身の無い答弁で、国会の議論を空疎なものにしていた自民党に比べたら、民主党の方が政治を国民に近づけたことは確かだ。
確かだが、払った代償も大きかった。その最たるものが、鳩山さんの沖縄基地移転問題だった。彼の善意に満ちた、軽はずみな本音の発言で、政府と沖縄県民、日本とアメリカの関係が同時に台無しになり、抜き差しならなくなった彼は泥沼の中で退陣に追い込まれた。
彼のひと言で揺らいだ日米関係を好機として、中国が尖閣諸島で日本を揺さぶりはじめ、更にはロシアも北方領土に干渉しだし、ひとつの外交の失敗が、まるでドミノ倒しのような連鎖を生むと言う、厳しい現実を知らされた。
官僚政治を打破しすべてを政治家が決断するとか、財政破綻を速やかに解消するなどと、政治家は、どんなに高邁な理想であっても、やれないことを不用意に口にしてはならないのだと、高い授業料を払わされて、私たち国民も教わった。
もしかすると、ぶっきらぼうだった自民党の大臣たちの方が、政治家としては真っ当だったのかと思わされてしまうくらいだ。
しかし私は変節漢のマスコミのように、民主党政権への攻撃や非難をしようとは考えていない。
最近のテレビや新聞の報道を見ていると、明日にでも菅内閣が倒れれば良いという響きで伝えているが、ちょっと待ってくれと言いたい。マスコミのトップにいる諸氏が、どんな人物かは知らないが、あなた方は、本気で国会討論を見ているのかと問うてみたい。
今は野党となった自民党の議員たちが、テレビを意識し繰り広げるパフォーマンスを何と見ているのか。
国民生活に直結する予算や、関連法案の審議に力を注がず、閣僚の失言や失態を取り上げ、倒閣につなげようと時間を空費している姿を国民がどれほど苦々しい思いで見ているか、知っているのだろうか。
威勢良く、沖縄の基地問題の失敗を追求している自民党議員も、政権の座についたら、何が出来るのか考えながらやってもらいたいものだ。中国への弱腰外交だ、アメリカべったりだと政府を追及しているが、それなら自分たちはどうするのか何がやれるのかと、対案を持って議論すべきなのだ。
野党だった頃の民主党も、同じスタンスで自民党政府を攻撃して倒したが、いざ政権の座についてみると、簡単にやれることはほとんどなかった。だからこそ、民主党も自民党も謙虚に過去を反省し、無責任な野党体質を互いに改め、国難の今はひとつになり、日本国の議員として、アメリカや中国やロシアに対処する方策を考えるべきでないのか。
その姿が国会中継の中で見えたら、国民である私たちは、次の選挙でどの党に入れるべきか、どの議員に投票すべきかが判断できる。
与党と野党は、常に反対しあって争うのでなく、同じ方向の中で、手段の違いで論争すべきで、それがこれからの政治ではないのか。今回の政権交代で、国民が色々なことを学んだのに、政治家とマスコミが昔のままでは意味がない。
私がNHKの会長だったら、もっと国会中継の方法を工夫する。マルチ画面も出来るのだから、答弁する閣僚へ汚いヤジを飛ばしたり、無用な私語や居眠りをしたりする議員たちを余すところなく映し出させる。
空席の議員を明らかにすれば、菅内閣を倒しても、民主党でも自民党でもたいした内閣はできないと、国民の目に分かる。政治家は無駄な倒閣に時間を費やすのでなく、国難の今は国政に専念すべきなのだ。
ゴマメの歯ぎしりみたいな提案だが、もし自分がNHKの会長になったら、即座に無修正の国会中継を全国放映する。
しかしこういうことでは、私も野党の議員と同じ穴の狢か。やれそうもないことを無責任に、偉そうに、喋っているだけなのだから。
幸せな人間は、本なんて書きはしない。同様に、幸せな者は絵だって描かない、音楽も創らない。
大芸術家と言われている人物の、ほとんどが、実は不幸な人間だったと、今は知っている。ことさらに書くというのは、昔はまったく逆を考えていたからだ。
中学や高校生だった頃、つまり人生で最も多感な時、図書館の壁に飾られた芸術家たちの肖像画に強い憧れを抱き、大文豪とか、天才画家とか、不世出の大作曲家などに敬意を表するだけでなく、いつか自分も、世界に名を轟かせる偉大な芸術家になりたいと、愚かにも不敵にも、ひそかに企んだ覚えがある。
世間から与えられる賞賛や、華やかな名声が欲しくてならず、そうした人間の仲間入りができたら、最高の幸せだと本気で思いこんでいた。「若気の至り」という言葉は、こんな私のためにあったのだろうが、ひと言弁明させてもらえば、そもそもこうした言葉が存在するということ自体が、若者たちの多くが、常識を外れた思考や、行動をするということの証明ではなかろうか。
作曲は別として作文や詩や絵などに、ちょっと気の利いたできばえを見せ、周囲の大人たちを感心させる、少年や少女の例がいくらでもある。
残念なことに自分もそんな少年の一人だったから、大芸術家になりたいと言う野望が捨てられなかった。
と言っても、別段そのための努力を人一倍やるとか、誰かについて指導を受けたとか、そういうことはいっさいやらず、好きこそ者の上手なれという言葉を信じ、ひたすら企みを心に秘め通したという話だ。
やがて普通の会社に入り普通の結婚をし、普通のサラリーマンとして暮らしながらも、普通でない企みは持ち続けた。格別良いことも悪いこともしなかったので、会社を首になる心配はせずに済み、円満に定年退職し現在に至っている。
と、言葉にすれば、わずか二行足らずで叙述完了の人生だが、本人にである私にとっては、結構しんどい日々であったという気がしている。
そして今ただいまの現在、己の暮らしの静けさと穏やかさに安堵し、冒頭の文言「幸せな人間は、本なんて書きはしない。」・・を、思い返している。
今の私は、世間をあっと言わせるような詩や小説や絵を書きたいと思わなくなり、無益な煩悶や焦燥から爽やかに解放されている。
年金暮らしなので贅沢ができるわけでないが、慎ましく生きる楽しさを知った。まだ確信はないけれど、自分がやっと幸せになりつつあるという気がしている。
だからこそ私は、現在の若者たちに言いたい。とりわけその若者の一部を構成している、わが息子たちに伝えたい。
「悩みと苦しみの後には、きっとではなく、必ず心の平安が訪れる。」
「年をとったら、そんな日がいやでも来る。安心して、苦労すべし。」
と、言いたい。
それにしても、昔の人はたいしたものだ。長く生きて、私がやっと知りえたことを、誰でも知っていた。つまり、「若い時の苦労は、買ってでもしろ」と。
すべては、こういうことだったのか。
こういう言い方を本人はきっと喜ばないと思うが、向井万起男氏は、宇宙飛行士向井千秋さんの夫である。
慶応大学を卒業した、レッキとした医者なので、余分な言葉で修飾しなくていいのに、世間はどうしても紹介したい人間を、少しでも著名な人物との関係で述べたがる。
私も彼には無縁な他人で、いわば世間の一員なので、有名な女性宇宙飛行士の夫として語ってしまう。が、これから書こうとしているのは、彼のエッセーが私の文章と、とても違っていると言いたいだけなのである。
しかも「きまぐれ手帳」に書くのだし、生真面目に、詳しく紹介する必要もないのだ。
・・・と、ここまで書いて中断し、およそひと月半が経過してしまった。
確かに九月は、忙しかった。家内と一緒に、八日間の格安イタリア観光旅行に行き、OB会の案内状が来て神戸まで足を伸ばし、更に病院の定期検診にも行った。
中国が尖閣諸島で自国船が拿捕されたことに異を唱え、無理難題をエスカレートさせるという不愉快な出来事も起きた。だからもう、向井氏のエッセーにかまっておれなくなり、中国という国がますます嫌いになってしまった。
中学や高校で中国は礼節の国だとか、気宇宏大な民族であるなど、素晴らしい文明国として教えられたが、最近の中国は嫌悪感が強まる面ばかりが目につくようになっている。
北朝鮮も同じく厄介な国で、荒唐無稽としか思えない理屈を並べ立て、世界に向けて我がままを主張する。だが軍事大国、経済大国となりつつある中国は、その影響力の点で、北朝鮮の数十倍も始末におえない。
だが待てよと、いつものように反省する。
このままで進めたら、向井氏はどうなるのか。表題を向井氏のエッセーにして、中国のことを書いていたら、向井氏に失礼ではないか。いやそれより、支離滅裂のまま終了したら、いくら「気まぐれ手帳」とは言え自己嫌悪に陥りそうではないか。
よしここで方向転換し、正しい軌道に戻り、向井氏のエッセーについて書こう。
主題は、私の書く文章と、彼の文との違いだった。ひと言で言えば、「毒にも薬にもならない、お喋り」を、よくもこれだけ書けると言う驚きだった。
軽妙な笑いを誘うのでいくらでも楽しく読めるが、余韻が何も残らない。楽しく読めたのなら、それでいいじゃないか。ひと時の楽しみを提供したでないかと、氏は言いそうだけれど、せっかく本にして世に出したというのに、もったいないでないかと私は思ってしまう。
氏と違い私の書く文章には毒があり、読む相手に楽しいひと時を提供していない。文章とはエゴの主張でもあるから、どこかに毒も無ければ、何のために書いているのかとそんな疑問にとらわれてしまう・・と、こういうことが書きたかったのだ。
向井氏にとっては中断のままでよかったのか、という気がするが、自分が安堵するためにはこうするしかなかった。要するにこれが、エゴの主張ということなのだろうか。
いずれ自民党に戻る日が来るのだが、当分は、民主党に投票することとした。
こうした時期に総裁となった谷垣さんには、気の毒と言うしかないが、演説の内容が、民主党への批判とあら探しばかりというお粗末さが情けない。たかだか半年あまり政権を担当した民主党の政策や、国会運営を批判すればするほど、「ならば、これまでの自民党はどうだったのか」、という反論が生じてしまう。
そこに気がつかない自民党の議員たちは、それほど国民が愚かだと思っているのだろうか。
過去の反省の上にたち自民党はこうすると、消費税の時みたいに踏み込んだ提案を大胆にやってこそ、新生自民党と思うのだが、与党攻撃だけで参議院の選挙を戦おうとする谷垣さんと、そればかりを言わせている自民党の幹部たちが情けない。
鳩山さんが、基地問題で軽い発言をし、話をこじらせたことを除けば、国家財政の破綻、官僚依存の政治、政治と金、税金の無駄使い、沖縄の基地、杜撰な年金管理など、現在問題となっているのは、すべて自民党の時代に端を発したもので、どれも民主党を責める材料にはならない。
真の保守政治家なら、今は民主党に政治の方向転換を大胆に任せ、時には協力して法案を成立させ、政権党になった時のための、準備をすべきではないのか。
憲法改正や教育改革や経済の活性化は、自民党にしかできないのだし、その時が来れば、組合依存の左翼理想主義が破綻するのは目に見えている。3、4年の野党暮らしが、なぜ腹をくくってやれないのか。
マスコミも評論家も口にしないが、政治を軌道に乗せるキーポイントは、いずれの党が官僚組織をコントロールできるかなのだ。
「大臣の首がいくら短命で変わっても、日本の政治は基本が揺るがない」と、戦後長く語られた話の土台にあるのは、「世界一優秀で清廉な官僚組織」だった。
敗戦後の荒廃した国を再建したのは、自民党の政治家と、役人たちであったという事実を忘れてはなるまい。凡庸な大臣が沢山いても補佐し、身を粉にして働いた官僚たちの、国家への献身と使命感については、歴史の事実として記憶しておくべきだろう。
その官僚たちが金まみれとなり堕落したのは、高度成長期の頃からだ。
自民党の政治家たちがふんだんに金を使うようになり、役人と組み、税金による錬金術を考案したころから、組織の腐敗が生まれた。だから、マスコミや評論家たちが、物知り顔に官僚批判だけをする不公平さについていけない。
賄賂なしでは動かないどこかの国の役人や、私情を隠さず自家の利益を追求する官僚たちのいる、どこかの国を思い出してみれば良い。そんな国に比べたら、わが国の役人がいかに素晴らしい組織集団かと、そういう見方も必要だ。
欠点や悪事をあげつらうだけでなく、善の面にも目を向け、この巨大で強力な官僚機構を如何にすれば駆使できるか。これが、政権の命運を左右する。
高級官僚の天下りや渡りは腹立たしいが、それなら定年前の退職制度を見直すべきだろうし、政治家がやるべきことは残されている。
自民党の政治家なら、マスコミの口車に乗り魔女狩りみたいに大騒ぎするのを止め、官僚組織の活性化策を考える方が先ではないのか。何故と言って、官僚組織を駆使し国を再建したのも自民党なら、官僚たちを堕落させたのも同じ自民党だからだ。
いいも悪いも、そうしなくてならなかった戦後の事情を知っているのは、これもまた自民党の政治家だから、個々の議員の生命には限りがあっても、永遠に存続する国のため気を長く持ち、政治に取り組んでもらいたいものだ。
無表情だが、どことなく愛嬌のある鳥が、罪もないのに、このような蔑称で呼ばれ続けていることに、かすかな胸の痛みを覚える。
警戒心がなく、人が近づいても逃げず、呆気なく捕まる鳥なの、でアホウドリと呼ばれると聞いた。それならなおさらのこと、人なつこい鳥の名前にアホウドリはふさわしくない。
幼子のように、人を疑うことを知らない鳥なら、「純粋ムクドリ」とか、「わらべドリ」とか、そう呼んでやるのが筋ではないか。なぜこんな蔑んだ名前で呼ばれるようになったかにつき、誰に疑問を抱かれることもなく、世に流布されるこの無神経さにため息がでる。
何時だったか忘れたが、絶滅種となりつつあるこの鳥のため、孤島に繁殖地をつくろうとする試みが、テレビで報道された。そこまで大切にする鳥なら、誰かがひと言「名前の理不尽さ」について、述べてやるべきではなかったのだろうかと今も悔やまれる。
あれがNHKの番組だったのなら、受信料を払っている視聴者の一人の意見として、取り上げてもらえないものだろうかと思う。利益第一主義の民放には期待出来ないが、公共放送のNHKなら聞き届けられる希望が持てる気がするではないか。
かって、日本の風俗街のあちこちに、「トルコ風呂」という派手な看板が、目についた時期がある。
青少年の育成にはとても有害だが、不道徳な男たちにはとても喜ばれるいかがわしい場所にあった。色々議論があっても「トルコ風呂」の看板は、歓楽街の夜を我が者顔でのさばっていた。
それがある時期から綺麗サッパリと消え、今では日本のどこへ行っても、「トルコ風呂」という看板が見られなくなった。
大切な祖国の名前が、こともあろうに風俗の看板に使われるなどもってのほかと、在日トルコ人たちだったか、来日トルコ人だったかの抗議を受け、政府がこれに応じたと、そんなふうに記憶している。
我慢を重ねたトルコ国民に対して、何と申し訳ないことをしたことかと、今にして思えば当然の抗議だし、反省すべきは、われわれの無神経さだ。トルコとアホウドリでは、比較にならない事案だかも知れないが、真剣な抗議によって、世間に蔓延した名称が消えたという事実に、注目したい。
迅速に対応した政府と、これに応じた業界のことを知ると、日本人もまんざらでないと嬉しくなる。こんな事例もあるのだから、アホウドリのことくらい、なんとでもなるような気がしてくる。
自分が、そんな名前で呼ばれていることを知らず、抗議の声だってあげられない鳥だが、人間として黙っていて良いのだろうか。野鳥の会の会員たちは、何をしているのか。
動物や草や木の名前は、誰が、どのようにしてつけているのだろう。
どう考えてもそれは、学者先生たちの仕業だという気がする。人なつこい鳥の姿が愛らしいと思えず、愚ろかにしか見えなかったのだから、アホウドリの名前をつけた学者はよほど人間味のない人物だったに違いない。
こういう先生にかかったら、「手乗り文鳥」や人なつこい犬や猫たちも、学名のどこかに、「アホウ」の文字を入れずにおれなくなるのだろうか。
トルコ風呂の看板を潔く変更した、政府や風俗業者に比べたら、学者先生たちは、なまじ知識階級だけに、名称変更に簡単に応じてもらえないという不安が強い。立派な学者もたくさんいるが、アホウドリの名前をつけた学者のように心の捻れた学者がたまにいる。
誰も名前を変えられないところを見ると、名付けた学者は著名な人物だったに違いない。アホウドリのことを思うと、世間には碌でもない学者が存在することを教えられる。
プラネタリュームへ、家内と一緒に「はやぶさ」の記録 映画 を観に行った。
予備知識も関心もなく、多少面倒な思いで妻につき合った。しかし、何ということ、私は感動してしまった。
はやぶさは、片道20億キロの旅をした。
直径わずか500メートルの小惑星「イトカワ」に到着して、小石を採取し、7年ぶりに帰ってくる。4年で終わる予定だった実験が、エンジンその他のトラブルで3年遅れの帰還になったという。
途中で何度も、音信が長く途絶えたのに、懸命の捜索で通信が再開し、それこそ満身創痍の状態で地球へ戻ってくる。到着は、6月13日の夜間だ。機械だというのにまるで心があるもののように、懸命に役目を遂行する姿に目頭が熱くなった。
がんばれ「はやぶさ」。がんばれ「日本の技術者たち」
だから、どうしても「はやぶさ」について書きたくなった。そして、この感動のドラマに誘ってくれた妻に感謝する。
たまには自分も、素直に家内に礼を言う時だってあるということか。これも、「はやぶさ」のお陰だ。
草や花は手をかけるとその何日か後、あるいは何ヶ月後かに、必ず結果を見せてくれる。
しおれていた葉が緑を甦らせ、小さな芽をつけたりすると、自然のわざに感嘆させられ充実感を味わう。
季節の変わり目に土を入れ、肥料をやり、雑草を抜き、余分な枝を払い、風通しを良くしてやると、見慣れた庭が爽やかに変貌する。破れた麦ワラ帽子や、あちこち草のシミのついたズボンなど、みっともない姿も気にならず、流れる汗が心地よい。一杯のコップの水が、しみじみと美味い。
すべて、庭仕事の醍醐味だ。
昨年の暮れ、スッカリ地肌をさらした冬の庭に、家内と二人で、買って来た土と肥料を加えた。害虫の巣になる枯れ残った葉を取り除き、気合いを入れて春の準備をした。
参考書を読みながら、いつもはやらない虫除け薬の散布を、種類を変えて二度もやった。
我が家の庭は毎年虫どもに葉を食われ、梅雨入り前には、白っぽいカビにやられ、枯れたり腐ったり、情けない姿と成り果てる。なんとか「ちゃんとした庭」にしたいと、去年は工夫をしたのだ。
おかげで今年は、例年になく庭が綺麗だ。アイスバーグ、カクテル、ロココ、マダムハーデイーなど、赤や白や淡いピンクのバラが柔らかな花弁を開き、気持ちを和ませてくれる。
玄関のツルバラとミニバラ ( 4種類あるが名前がおぼえられない ) も、たくさん莟をふくらませている。すべて、昨年末の準備、夫婦で力を合わせた家庭円満の労働の賜物だ。
家を買い転居して来た当初は、庭と虫の関係を知らなかったので、蝉やカミキリムシや黄金虫がいても気にならになかった。名前が分からないため、「みどり虫」「オレンジ虫」と勝手に呼んでいる小さな虫が、春先の庭を飛び交う様は季節を告げる愛らしさとみえた。
しかるに庭を丹精するようになって以来、虫はすべて、退治すべき害虫になった。ちゃんとした庭を維持するには、日々が、植物の病気や虫との闘いだった。
虫は卵を葉に産みつけ、かえった幼虫がその葉を食べ、花も木も台無しにしてしまう。土にもぐった幼虫は、おとなしく静かにしていると思っていたのに、大事な根を食い荒らし、植物を涸らす作業をしていた。
三年前だったろうか、綺麗なブルーの羽に、白い胡麻斑のカミキリのつがいが、イチジクにとまっていた。つかまえず放置していたら、幹に卵を産みつけ、幼虫たちが幹を穴だらけにし、甘い実をつける立派な木をボロボロにしてしまった。
道具がないため、手でつかまえるのだから、背伸びしても届かない高さに逃げられると、憎っくき虫どもが下へ来るまで根気よく待つしかなかった。虫と名のつくものは、ミツバチ以外は見つけ次第殺している今だ。
毎年春になると、家内と近くのバラ園に行くことにしている。赤青黄と色とりどりのバラが咲き乱れ、目に鮮やかな美しさに言葉を失う。
「こんなに沢山バラがあるのに、虫食いの葉もなく、病気の花もない。」
「どんな手入れをしたらこうなるのだ」
と、小さな庭で、虫との闘いに明け暮れる私は、行くたびに同じ疑問を抱いた。その疑問が、去年の春に突然解けた。花に潜り込んだミツバチが、そのままの姿で死んでいるのを見たからだ。
ゴルフ場の、あの美しい芝生と同じことで、バラ園の「美しい庭」には、大量の農薬が絶え間なく、散布れされているという事実だった。しかも、親指ほどもあるミツバチが、一気に死んでしまうほどの強い薬だ。
私が家で使うのは、化学薬品でなく、天然ものと言えばよいのか、木酢と唐辛子エキスである。市販の薬品も持っているが、使うのは月に一度あるかないかだ。それを何十倍にも薄めて使っているので、虫もたいして死にはしない。薬をかけられた我が家の虫は、死んだ振りでジッとしているが、目を離すと逃げ出してしまう。
バラ園の蜂が教えてくれたのは、「美しい庭」のための、かくも残酷で、確実で、有害な手入れの方法だった。花木の美しさを楽しむための薬だが、人間にも無害でないと思われる強い効き目だ。
害虫と言い雑草といい、私たちは懸命に退治しているが、虫の方からすれば、ただ生きているだけの話で、害虫呼ばわりは迷惑な話だろう。雑草に言わせれば、人間が勝手にそう呼んでいるだけで、これらも間違いなしの、レッキとした自然界の一員だ。
さりとて私は、環境保護団体の会員みたいにバラ園を非難したり、化学薬品の追放を叫んだり、虫を殺す自分を責めたりそんなことはしない。
良いも悪いもこれが現実と肯定し、諦観し、目を閉じて深呼吸する。そしてやっぱり、明日もあさっても庭の手入れを楽しむ。
そうしなければ、人間なんてとてもやっていられない。どこかの国の哲学者みたいに、「人間の生きていること自体が悪である」と、そんな結論を得て、人間を呪うなどまっぴらご免である。
虫や雑草が勝手気ままに生きているように、人間も勝手気ままに生きて、何が悪いのだろう。それで地球が駄目になるというのなら、一蓮托生、地球とともに人間も滅びると覚悟しておけば良い。
たかが「美しい庭」の管理の話で、ここまで大上段に構えるのかと自分でも苦笑するが、なぜかいつも思考がこんな調子になってしまう。
私の癖なのか、少し曲がった根性のせいか、いずれにしろ、そんなところだろうから本日はこれまで。