ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

歴史認識

2012-09-30 19:28:54 | 徒然の記

 「歴史認識」という最もらしいこの言葉は、中国がわが国を攻撃する時の決まり文句だ。

 手紙の書き出しの常套句みたいに、これがないと何も始められないのだとこれまで看過してきたが、苦言を呈さずにおれなくなった。一般常識として、事実をどこから始めるかによって「歴史認識」が変わると言うことを述べたい。

 共産中国の指導者たちの歴史認識は日本が蒋介石と泥沼の戦争をやっていた時から出発しているが、日本が欧米を相手に戦ったのは何故かと言うところから始めると内容が変わってくる。

 今と違い、当時は列強が力づくで後進国を植民地化していた弱肉強色の時代であり、うかうかしていると日本もそうされる恐れが大であった。現在では狂信的な軍国主義の思想家と一括りにして抹殺されている大川周明や北一輝の周囲に、アジアの多くの愛国者たちが熱い思いを抱いて集まったのは、当時の日本がアジア諸国での白人支配を打ち破ろうとしていたからだった。中国近代化の祖と言われる孫文も、日本で学び庇護されて祖国の独立に力を尽くした時期だ。

 戦争は理不尽で非道なものであるため、中国を戦場とする闘いのなかでわが国が蒋介石軍の兵士を殺したり、あるいは殺されたりした事実は枚挙にいとまがない。わが国には戦場での殺し合いを悔いている人間たちが沢山いるから、良心の疼きのため横車を押すような中国の日本攻撃(口撃)に耐えている。

 自分を偏狭な愛国者と思っていないが、過去をひもとくほどに日本のおかれた状況が理解できてくる。戦争に負け戦勝国に裁かれ,軍国主義、全体主義、帝国主義などという形容詞ですべての責任を負わされ、二度と戦争をしないようにと「憲法」まで作ってもらった。

 言わせてもらうなら、日中戦争だけを切り取って執拗にわが国を責める彼らは、正しい歴史認識を持っているのかと素朴な疑問が生じてくる。日本以前に中国の領土を奪い主権を侵害し人間を殺した欧米諸国やロシアのもっと長い侵略について、なぜひと言も言及しないのか。

 要するに自分より強い国に対しては、何も言えないという、その程度の歴史認識の国なのだと言わざるを得ない。馬鹿のひとつ覚えみたいに偏狭な反日教育をし、破壊や略奪を容認する過激な愛国教育を続け、国際社会で首をかしげられるような軍事・経済の大国になっている中国。

 軍国主義、危険な右翼勢力の台頭と、そんなものは現在の日本の主流でなく、むしろ多くの国民が眉をひそめているのに、彼らがあおり立てるから首を持ち上げてくることになる。
中国にしても韓国・北朝鮮にしても、彼らの言う「歴史認識」は我田引水の感情論かへ理屈でしかないのに、鵜呑みにする日本人たちがいるから面倒になる。

 北朝鮮の拉致を日本国内で援助した日本人、社会主義を信奉する左翼陣営の人間たち。私は民主党政権が生まれたお陰で、初めて具体的に知った。いわゆる教条主義者という人間たちだ。彼らの歴史認識は、政治の都合で如何様にも変動、あるいは固定化される。わが国のマスコミ、わが国の政治家、わが国の知識人と言われる人間のなかにどれだけ多くの教条主義者がいて、国を混乱させていることか。

 いわゆる獅子身中の虫、反日の日本人という人間たちだ。具体的なマスコミ名、個人名は省略するが、我慢のならないものがある。

 進歩主義、人道主義、平等主義、平和主義と、美しい形容詞を独占して来たマルクス主義が、現実の世界では全体主義国家となり言論の自由を封じる独裁政治となり、果ては一党支配の腐敗政治となることが証明され、社会主義革命が人間の理想として輝いていた時代は過ぎた。

 要するに、日本は普通の国にならなくてはいけない。自分の国を自分で守るごく普通の国。自分の国を自分で守ることが、どうして軍国主義の復活なのか。自国を防衛できない国が、世界のどこにあるのか。中国や韓国・北朝鮮と一緒になって「日本の軍国主義復活反対」などと合唱するマスコミや政党や知識人たちは、「歴史認識」そのものがねじ曲がっているのだ。

 前回は民主党に票を入れたが、これからは新総裁となった安倍氏を応援することとする。病に倒れる前まで総理だった安倍氏は、わが国を普通の国にするための施策を、一歩一歩実行していた。私が自民党を離れた理由はただ一つだった。庶民の暮らしを忘れ、官僚と一体になって愚かしい金権政治に身を落としたことだ。「山川の清きに魚も住みかねて,昔の田沼今ぞ恋しき」と、私にだって多少の汚れや腐敗には文句をつけない度量がある。

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谷垣総裁へ贈る言葉

2012-09-11 20:30:28 | 徒然の記

 つい昨日まで、自民党の総裁選挙に意欲を示していたのに、突然の断念である。

 沢山批判をしたけれど、こうなってくると、氏の心中を察し、同情の念が抑えられなくなる。一生懸命にやっても、その任に無い人柄、と言うものがあるのだと思う。谷垣氏は紳士でありすぎ、泥臭い政治の脂ぎった駆け引きには、不向きな人物であったということだ。

 自分では、大胆にものを言っているつもりでも、周囲からは、線の細い主張としか受け止められない、というのが率直な印象だった。だから乱世のリーダーになれず、周囲に人が集まらない。結局は都合良く担がれただけで、使い捨ての駒として扱われてしまった氏だ。

 どんな思いで、出馬の断念の会見をしたのだろうと、氏の無念さが分かる。だから私は氏に対し、「ご苦労様でした。」と心から言いたい。

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