純粋な学問として取り組むか、それとも皇室の歴史として拝読するかの違いにより、神話の位置づけや性格が異なります。
戦前は、平泉澄 ( きよし ) 氏に代表される皇国史観が絶対でしたから、武光氏の著作は、不敬罪に問われたのかもしれません。私のように、学徒として歴史に向かう人間には、客観的な叙述が参考になりますが、その分、皇室崇拝という気持ちからは、遠ざかっていくのかもしれません。
「古代の大和朝廷の信仰は、難しい言葉で言えば、首長霊信仰に基づくものであった。ある集団の指導者を首長と言い、首長霊信仰とは、世襲の首長の祖先を、その集団をまとめる神として祀るものである。」「皇室が、皇祖神とされる天照大神を崇めるのは、その代表的な例だ。」
「6世紀の皇室は、自家の首長霊である天照大神を重んじたが、朝廷を構成する豪族は、それと関わりなく自家の首長霊を祭った。大伴氏にとって大切な神は、天忍日命 ( あまのおしひのみこと ) であり、忌部氏が祭る神は、太玉命 ( ふとたまのみこと ) であった。彼らは、天照大神を信仰していなかった。」
6世紀の日本とは、どういう時代であったのか。別途調べてみました。
「6世紀の日本は、古墳時代の後期にあたる。」
「ただし、泊瀬部大王(はつせべのおおきみ)(後の崇峻天皇 ) が暗殺され、異母姉の額田部皇女 (ぬかたべのひめみこ) 、後の推古天皇が立てられた。」
「崇峻天皇5年 ( 592年 ) 以降、または厩戸王 (うまやどのおう)(後の聖徳太子)が摂政になった、推古天皇元年(593年)以降は、飛鳥時代に区分される場合もある。」
この時代から、およそ100年後に『古事記』と『日本書紀』が作られたと知りますと、苦労して編纂された歴史書の背景が、朧げに分かってきます。あちこち寄り道し、果たしてこのような読書方法で良いのか、自信はないのですが、自分が納得するやり方はこれしか知りません。
「7世紀後半に、中央集権化がすすむと、天皇家は天照大神を、国全体の守神 ( まもりがみ ) として位置づけようとした。大宝律令という法により、豪族たちも天照大神を祭る朝廷の祭祀に、強制的に参加させられるようになった。日本神話は、この動きの中で、整えられたのである。」
つまり豪族たちの神は、天照大神の元にある神となり、天皇家の支配を正当づける形で、神話にまとめられたということです。大阪にある住吉三神や、北九州にある宗像三神など土着の神様が、煩雑さも厭わず、詳しく書かれている理由は、ここにあるのでしょうか。
武光氏のような専門家は、当然のこととして説明をしませんが、私のような門外漢には、もう一つ大切な予備知識があります。それは、天神 (あまつかみ) と国神 (くにつかみ) の違いです。これはネットの情報で、探しました。
「天神は、高天原 (たかまがはら) にいる神々、または高天原から天降った神々の総称である。」
「それに対して、国神 (くにつかみ ) は、地に現れた神々の総称とされている。ただし、高天原から天降った素戔嗚尊 ( すさのおのみこと ) や、その子孫である大国主 ( おおくにぬし ) などは、国神とされている。」
「日本神話において、国神が瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと ) を筆頭とする天神に対し、国土(葦原中国)(あしはらのなかつくに) の移譲を、受け入れたことが、国譲 ( くにゆずり ) として、描かれている。」
「大和朝廷によって、平定された地域の人々が信仰していた神が国神になり、大和朝廷の皇族や、有力な氏族が信仰していた神が、天神になったものと考えられる。」
神話には分からない部分が沢山ありますが、その一つに、氏が答えてくれています。学問的にどうなのか知りませんが、私には納得の出来る説明でした。
「伊弉諾尊と伊弉冉尊は、国土を創造した神であり、天照大神の親とされる。」「この二神が神話の上で、そのように重視されるにもかかわらず、天皇家が二神を祭った形跡が見られない。」
「大和朝廷の歴史をみていくと、天皇は、四、五世紀に三輪山の大物主神を、主に祭り、六世紀以降、天照大神を重んじていたことが分かる。」「だから天照大神以前の神は神話上の抽象的な神で、祭られる神でなかったとみるのがよい。」
氏の説明によりますと、夫婦の創世神が国を生む話は、南方の国に多くあり、南方から移住してきた航海民が、この神を祀るのだと言います。日本で言えば、淡路島の周辺に、夫婦の神にまつわる伝説が分布しているとのことです。
摂津、和泉、播磨、紀伊、阿波も、航海民の多い所で、彼らの神が、伊弉諾尊と伊弉冉尊として、神話に取り込まれたと述べています。その根拠として、氏は次のように言います。
「淡路島には、伊佐奈木 ( いざなぎ ) 大社がある。それは朝廷から、一品 ( いっぽん ) という、最高の神階を与えられている。」
天照大神の神話を権威あるものとするため、創世神を取り入れたことに対する、お礼の意味があったのでしょうか。一筋縄でいかない豪族たちの中で、天皇の権威を抜きんでたものとするため、太安万侶や舎人親王がいかに知恵を絞り、苦心を重ねたのかが伺われます。
明治維新の頃、伊藤博文や井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らが、欧米列強に侵略されないよう、日本を近代化国家とするため、明治憲法の制定に、心血を注いだ姿が重なってきます。
いわば当時の神話は、明治憲法と同様の役割ではなかったかと、私は理解します。いずれの場合も、国の統一を図り、安定と発展を願い、天皇を国の中心に据えたという、為政者たちの知恵が共通しています。
これを思うと、マッカーサーが配下の人間たちに、わずか一月かそこらで現憲法を作らせ、天皇の位置づけを勝手に決めたことは言語道断な話です。幕僚たちが優秀だったとはいえ、日本の歴史も知らず、まして敵国として、快く思わない日本の憲法を作らせるなど、あってはならない話です。
武光氏の著書は、まだやっと70ページですが、神話はやはり、私に平成の現在を考えさせます。自民党の保守政治家たちは何をしているのかと、神話の神々というより、神話を編纂した天皇や為政者たちが嘆いているような気がしてきました。
今の学者たちも、考えを改めなくてなりません。小賢しく神話の矛盾を指摘したり、荒唐無稽さを笑ったり、そんな未熟な姿勢で、ご先祖の辛苦を見過ごしてどうするのでしょう。唯一無比の国体、天皇こそが世界一と、そんな頑迷固陋な意見はどうでも良い話で、学者たちの使命は、ご先祖の真意を後世に繋ぐことです。そうなれば、マッカーサーが作った憲法は、作り直さなくてならないという結論になるはずです。
市井の一個人でさえ、神話の一端に触れただけで、これだけを理解したのですから、現在の反日左翼の憲法学者が、いかに日本の歴史を理解していないかが分かります。現憲法を不磨の大典と崇める憲法学者たちは、古事記も日本書紀も読まない、偽物の憲法学者に違いありません。
息子たちに、神話を読めとは勧めませんが、神話を編纂したご先祖の辛苦だけは、心に刻んで欲しいと願います。ここが分かっていない政治家や学者は、尊敬する必要はありませんと、これも是非心に刻んで欲しいものです。
こんばんは
わたくしの親愛なるblog友達であらせます
ねこ庭の独り言 の とってもお優しいおじ様
わたくし、無能ゆえに難しいことは分かりません。
現世におきます天皇の位置は「国民の象徴」で御座います。
昭和天皇迄は御自身の魂ある間は「天皇」と致しまして国民に務めていらっしゃいましたが、平成天皇は生前退位と成りました。
政もその様に計らうためには憲法を改訂せざるを得ないことと成りました。
確かに、平成天皇の御体とご公務の多忙さに加えて厳しさの増すばかりの外交等を思慮致すならば「現、平成天皇の生前退位も仕方ないだろうな」と考慮をされて、来年度に退位が設けられました。
納得せざるを得ないのですが、わたくし、少し考えてしまいました。
おじ様へ(^_^)v
最近は朝夕が随分と寒くなって参りましたので、くれぐれも 奥様、御家族様、おじ様の御体を御自愛、御慈愛下さいませ。
では 御機嫌よう。
ニャンコ姫 こと 恵美子より微笑み返しと感謝を添えまして(⌒〜⌒)
何年ぶりのコメントでしょうか。
天の岩戸に隠れたまいし、天照大神のごとく、突然姿が見えなくなって、何年経ちますでしょう。
「昭和天皇迄は御自身の魂ある間は「天皇」と致しまして国民に務めていらっしゃいましたが、」
これが日本のあるべき、大君のお姿ですから、私も少し考えております。
でも本日は、政は忘れ、ねこ庭を忘れず戻られた姫に、ともかくも、お祝いを申し上げます。