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それでも私は、旅に出る

2018-10-30 22:14:07 | 徒然の記

 金纓 ( キム・ヨン )氏 著「それでも 私は旅に出る」( 平成13年刊 岩波書店 ) を、読了。

 なんとも不可解な、厄介な本を読んだものと、これが率直な感想でした。本の中身は、とりたてておかしなものでなく、旅行好きの女性が、世界中を歩くとうい逞しい話です。表紙の裏扉の、広告文が、内容をよく表しています。

 「韓国で生まれ育ち、日本人牧師との結婚により帰化。」「言語や文化の違いに、悪戦苦闘しながら、」「育児、勉学、仕事に邁進してきた、女性牧師が、」「50歳を目前に、仕事も住まいも持ち物も捨てて、」「リュックひとつで、旅に出た。」

 「途中乳がんに冒されるが、手術後1ヶ月で旅を再開。」「予期せぬ出会いや、ハプニングを楽しみながら、」「訪ね歩いた97の国々。」「生きることの不思議と、喜びを語るエッセイ。」

 249ページの単行本ですが、一気に読んでしまいました。前向きで楽天的な彼女が、思ったままを綴るのですから、決して退屈はしません。幾つになっても好奇心旺盛で、多少の問題が生じても、めげずに乗り越えていきます。彼女は、身勝手な利己主義者でなく、徹底した個人主義者で、現実主義者でもあります。

 「割と自分の好きなように、生きてきたようで、」「案外私は、他の人のためには、一生懸命やるくせに、」「自分のためには、手抜きをしてきたのかもしれない。」「娘たちや友人たちとも別れ、見知らぬ国々を歩きながら、」「これからは自分のために食べ、自分のために、」「楽しんでもいいかな、と思った。」

 「いつまでも、一緒にいられる人はいない。」「生まれるときも一人なら、死ぬときも一人だ。」「死ぬまでにつきあわなければならないのは、」「ほかならぬ自分なのだ。」「自分を楽しまなくて、どうする。」

 親である限り、私にはこんな思考は生じませんが、異を唱える気持ちはありません。こんな考えもあるのだろうと、面白く感じるくらいです。

 「今まで知らなかった世界が、」「一つ一つ開かれていくことの喜びは、例えようがない。」「旅をすればするほど、さらに多くの国を訪ね、」「沢山の人々と暮らしてみたいという願いが、」「つのるばかりである。」

 旅を読書と置き換えれば、私には、彼女の気持ちが分かります。知らないことを知る喜びは、旅でも読書でも、同じです。しかも彼女は、私の好きな啄木の歌について、語ります。

 「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に」「そを聴きに行く、」「と啄木は歌った。」「私はその町の庶民の息吹を感じるため、」「駅や長距離バスターミナルへ行く。」「人ごみの中に、三時間も四時間もいれば、」「人々の暮らしや、気持ちが伝わってくる。」

 望郷の念にかられ、駅を訪ねる啄木の気持ちと、庶民研究は別物ですが、それでも彼の歌を引用するところが、面白く感じます。今時の若者なら、このくらいの取り違えは平気でするでしょうし、まして帰化人なら、愛嬌のある勘違いです。

 アフリカの喜望峰に立ち、彼女が浸る感慨には、私と似た思考がありました。

 「ヨーロッパ人による、航海の結果がもたらした、」「いわゆる新大陸発見が、アフリカや中南米の人々には、」「ほとんど災難であったことは、よく知っているつもりで、」「それに対する批判も、人並みにある私だ。」

 「大航海は、もともとヨーロッパの、力のある国の野心と、」「利害がもたらしたものである。」「国家的要請と、個人の野心が相まって、」「新大陸のは発見が、可能となつた。」「しかしバスコ・ダ・ガマにしろ、コロンブスにしろ、」「彼らの勇気ある冒険の結果が、」「これほど大きな悲劇をもたらすとは、」「予想だにしなかったのでは、ないだろうか。」

 「私たちの野心や情熱、また善意や努力さえも、」「意図せずして他人を傷つけ、」「踏みにじることが、往々にしてある。」「それを知ったときほど、人間の限界と、」「無力さを感じ、身につまされることはない。」

 そしてまた、こんなことを言って、私を喜ばせます。

 「長旅で、一番欲しくなるものは、」「みそ汁でもキムチでもなく、日本語の本だ。」「久しぶりで日本に帰ってきたら、」「新聞がやたらと面白い。」「いつもはあまり読まない新聞を、」「隅から隅まで読み漁ったのも、しばらく日本語に飢えていたからだ。」

 旅の終わりが来て、最後に彼女はドイツのある山村で、名高い「イエスの受難劇」を観ます。見終わった後の、彼女の言葉です。

 「観劇の後、もうこれで旅を終えてもいいと、」「何かふっきれたように思った。」「この感動を、より多くの人と分かち合うため、」「私はまた、仕事に戻らなければと、思ったからだ。」「自分が帰るところは、韓国でなく、」「日本だということも、改めて知らされ、不思議な気がした。」

 「韓国人であっても、日本人の牧師だからなのだろうか。」「それとも、家族や多くの友人が、日本にいるからなのだろうか。」

 私が不可解で、やっかいだと言いましたのは、この本の書き出しの部分にあります。昭和43年に、ソウル大学の二年生だった彼女は、デモの首謀者として退学させられ、さらに難関の延世大学に挑戦します。入学した大学の神学部で、留学生だった日本人の澤正彦氏と出会います。

 ここからが本題であり、息子や孫たちに伝えたい肝心の部分です。しかし、これを述べるには、ブログのスペースが足りません。心置きなく語るために、本日はここで中断いたします。あすは、10月31日で、10月の最終日です。彼女の不可解でやっかいな本の書評も、明日で最終といたしましょう。

 

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