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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

近衛文麿

2017-05-23 00:42:36 | 徒然の記

 岡義武氏著「近衛文麿」(昭和47年刊 岩波新書)を、読みました。

  岡氏は明治35年に東京で生まれ、平成2年に88才で亡くなっています。日本の政治学者で東京大学名誉教授、専門は政治史と日本政治史で、多数の著書があります。吉野作造氏に師事したと言いますから、左系の教授だと思いますが、偏見のない学者というのが読後の印象でした。

 これまで、東大といえば反日の巣窟と決めつけてきたましたが、偏見ばかりでは良くない、と思わされました。近衛文麿公が主人公ですが、著者は徹底的に公を酷評します。かって司馬遼太郎氏が、乃木将軍を無能な軍人とこき下ろしましたが、それに似た書きぶりでした。司馬氏と違う点は、本の最後で、公を運命に翻弄された悲劇の人物として、好意的に叙述しているところです。

 その代わり、東条元首相と松岡洋右元外相が、戦争責任者の筆頭として描かれています。松岡氏に関する本を読んだことがありませんので、著者の批判を受け止めるしかありませんが、東条元首相については、疑問を持ちます。「近衛の姿は悲劇だが、東条は喜劇だ。」氏が何をもってそう言うのか、書かれていないので分かりませんが、東京裁判における、東条首相の「宣誓供述書」を読んだ私は、そう思いません。

 「軍事法廷に立ち、戦争に至ったわが国の立場を堂々と述べ、」「戦争の責任は、日本側のみにあるのではないことを、明らかにしてほしい。」「貴方こそは、天皇のために申し開きをする最適任者であり、」「是非とも、その役割を果たして欲しい。」

 公が戦犯として逮捕命令を受けた時、側近の者から、このように訴えられました。しかし裁判の性格を見通していた公は、彼らに答えました。

「アメリカは軍事法廷で、被告の陳述を聞いた上で罪を断ずるのではない。」「政治的意図に基づいた裁判が行われるのであるから、」「貴下のいうことは、到底果たし得ない。」「陛下のお役に立つことなら何でもする。」「しかし、軍事法廷では不可能である。」

 その晩、公は自ら命を絶ちました。誇り高い貴族の末裔である公は、戦争犯罪人として、裁判を受ける屈辱には、到底耐えられないと、側近に漏らしていたと言います。公の覚悟と、状況を把握する明晰さを、ここで批評する気持ちはありません。しかし、戦争遂行の責任者として、屈辱に耐え、東条元首相は裁判で堂々と日本の立場を述べました。制度上からして、陛下に責任がなく、つねに陛下は平和を願っておられたと供述しました。この事実からすれば、公と比較し、どうして東条氏が喜劇と称されるのか、自分は理解できません。

 でもこの本は、知らなかった事実を沢山教えてくれました。近衛文麿という人物は、私の中で、名前と顔写真だけの存在でしたが、血の通う人間として理解ができました。これだけでも、感謝せずにおれません。

 まず驚かされたのが、大正7年に公が、雑誌「日本及び日本人」に寄稿した一文です。ずいぶんと長いので、割愛して引用します。

「われわれもまた、戦争の主たる原因がドイツにあり、」「ドイツが平和の撹乱者であったと考える。」「しかし英米人が、平和の撹乱者をもって、ただちに正義人道の敵となすのは、狡獪なる論法である。」「平和を撹乱したドイツ人が、人道の敵であるということは、」「戦前のヨーロッパの状態が、正義人道に合致していたという前提においてのみ、いいうることであるが、」「果たしてそうであろうか。」

「ヨーロッパの戦争は、実は既成の強国と、未成の強国との争いであった。」「現状維持を便利とする国と、現状破壊を便利とする国の争いである。」「戦前のヨーロッパの状態は、英米にとって最善のものであったかもしれないが、正義人道の上からは、」「決してそうとは言えない。」

「英仏などはすでに早く、世界の劣等文明地方を植民地に編入し、」「その利益を独占していたため、」「ドイツのみならず全ての後進国は、獲得すべき土地、」「膨張発展すべき余地もない有様であった。」「このような状態は、人類機会均等の原則に反し、」「各国民の平等生存権を脅かすものであって、正義人道に反すること甚だしい。」

「ドイツがこのような状態を打破しようとしたことは、正当であり、かつ深く同情せざるを得ない。」

 第一次世界大戦に敗れたドイツを評する意見ですが、私は似た論調を、ヒトラーの「わが闘争」の中で読みました。ヒトラーが政権を取るのは、日本で言えば昭和8年の話ですから、近衛公のような考え方が、当時すでにあったのでしょうか。後進国日本の指導者の一人として、こうした過激とも言える意見を雑誌に載せる公は、はたして賢明だったのか、軽率だったのでしょうか。後々悲劇の主人公となる萌芽を、私はこの論文の中に見ました。

  本を読み進みますと、満州に進出した陸軍の参謀たちが、公と同じ考え方で満州国を設立していることを、知らされました。満鉄社員や軍人の中には、五族共和の大東亜建設を本気で考えた人物もいましたが、当時の政治家や陸軍の中枢には、公のような植民地主義者が力を持っていたということも分かりました。

 著者は大東亜戦争の筆頭責任者を、東条元首相と松岡元外相に絞っていますが、近衛公こそが筆頭でないかと思えてきました。日中戦争不拡大と言いながら、結局戦争を拡大し泥沼化させた原因は、公が青年時代から持っていた思想にあると思えてなりません。反対したけれど、陸軍の横暴に抗しきれなかったと、本人も言い、著者もそれを認めていますが、事実は逆でないのかという気がしてきました。

 松岡外相にも暴走されたという口吻ですが、既に大正7年にドイツに同情し、評価もしているのですから、日独同盟に乗り気だったのは公の方だったのかもしれません。周りに持ち上げられるとその気になりますが、本来臆病な公は、肝心の場面にぶつかると決断できなくなります。そして傷口を広げ、総理を辞めたいと我儘を言って周りを困らせる。誇りだけ高い殿様政治家の典型で、傷だけらけになっても政治をやるという気概がありません。

 世の期待を一身に浴びながら、佐川急便の献金問題でマスコミに騒がれると、すぐ面倒になり、政権を投げ出した細川総理のことを思い出しました。

 威丈高に「蒋介石を相手にせず」と失言したため、日中戦争を拡大させ、日本の破滅を防げなくしたのは、明らかに公の失政です。あるいは米国との和平交渉も、蒋介石との和平交渉も、その芽があったのに決断できなかった。胆力のない宰相でした。

 本には具体的な公の足跡が、軍の強圧で思うようにいかない事情を絡め語られます。あるいは、米英ソの指導者たちが、いかに日本を追い詰め、破滅させていくかが詳しく書かれています。それにつきましては、他の書物の感想を述べた時に触れていますので、今回は省略いたします。著者の意見と異なりますが、いつものように浅学をものともせず、独断で、私が言いたいのは、この結論だけです。

 大東亜戦争の、国民に対する責任者は、近衛公が筆頭でないのだろうか。(世界に対する戦争責任者は、いません。)

 
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テロ等準備罪

2017-05-21 10:55:43 | 徒然の記

 国民、舐めんな!! まともに答えろ!! 安倍から、自由を守れ!! 安倍から、未来を守れ!!

 5月19日に採決された「テロ等準備罪」の成立について、非難する人の言葉がこれです。安倍独裁とか、民主主義破壊とか、激しい言葉も並んでいます。安倍政権に多数を与えた、国民の負託に応えたわけですから、私は、こうした政府批判をする人に同調しません。

 自由を守れとか、未来を守れとか、政府のやり方に不満があるとしても、こんな理屈がどこから出てくるのか、首をひねってしまいます。多様な意見があるのが、民主主義社会ですから、こうした中身の無い非難でも、あって不思議はありません。

 しかしこうした無名の庶民の声とは別に、多少名前の知られた人々が、この法案への反対を叫び、それをマスコミがどれほど大きく報道してきたのか。そこについては、疑問を覚えます。

「危機感を強める表現者たち」という見出しで、4月22日の記事がありました。映画監督の森達也、漫画家のちばてつや、作家の森絵都の各氏が、日本ペンクラブ主催のイベントでマイクを握りました。「犯罪とは、やり終ったものをいうのが原則です。」「計画段階から処罰の対象になるのですから、私たち市民生活に直接響きます。」

 「国はあなた方を守りますというマスクをかぶりながら、私たちへの監視を強めてきています。」彼らの主張の主なものですが、テロなどは、実行された後で処罰しても、後の祭りです。計画している最中に取り押さえなくて、どうするのでしょう。国内での破壊活動がほとんど取り締まられず、野放しにされ、犯人を捕らえることもできない現状を、彼らはどう考えているのでしょうか。

 国を転覆したり、無差別のテロを計画したり、そうした確信犯を、これらの人たちはそのままにしておけと言うのでしょうか。国際基準の法律を作り、他国との情報交換ができるようにする法整備が、こうした偏見の主張で歪められてどうするのでしょう。私たち市民に直接影響があるのでなく、邪悪な計画をする犯罪者が監視されるだけで、普通に暮らしている者が取り締まられるわけがありません。

 警察による拡大解釈の恐れがないとは、言いません。稀に生ずる拡大解釈と、多発するテロ等の兇悪犯罪の防止と、この比較で検討しなくてはなりません。そうした前向きの議論をせず、世界の情勢を無視し、反対のための反対をする人々を「お花畑の住民」と言います。

 4月25日の新聞には、「社会が萎縮、懸念」という表題で、木村まきさんの談話が大きく紙面を飾りました。彼女の夫は、戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」の被告となった、中央公論の編集者だった木村亨氏だそうです。木村氏が富山の旅館で開いた出版記念会が、共産党の再建準備会と見なされ、逮捕されました。旅館では、みんなでどんちゃん騒ぎをしていただけなのに、警察で拷問を受け、自白を強制させられたと、彼女は語ります。「夫が生きていたら、絶対反対したはずです。」

 しかしここで語られていないのは、当時の共産党の実態です。武装闘争を掲げ、電車を転覆させたり、火炎瓶で建物に放火し、騒ぎの巻き添えで人を殺しても、革命のためならばと無視したのです。天皇制を目の敵にし、政府の転覆を目指す共産党が取り締まられて当然でした。また、党員たちも、死を覚悟して活動に参加し、「萎縮する」とか、「言論統制」だとか、そんなものは頭になかったはずです。

 でも一番驚いたのは、5月15日の記事でした。大東亜戦争末期の首相だった、鈴木貫太郎氏の孫で、音楽評論家の鈴木道子さんの談話でした。貫太郎氏は首相就任に際し、家族には、平和実現への強い覚悟を明かしていたと言います。「この法は、時の政権が恣意的に運用し、思想や表現に監視の網がかけられる。」「祖父が求めた、平和な社会を脅かしかねない。」

 けれども、私は道子氏に聞いてみたくなります。大戦の終焉時にポツダム宣言が発表された折り、鈴木首相が「黙殺する。」と応じたため、広島、長崎への原爆投下となりました。終戦を願う昭和天皇とその側近の期待を担った首相だったのに、氏は平和の旗色を鮮明にせず、終始曖昧な態度で政権を運営しました。軍部、特に本土決戦をとなえる陸軍に反対するのは、覚悟のいることでしたから、私は氏を責める気はありません。

 事情を知らないお孫さんが、こんな談話を新聞で出されますと、ひと言言わずにおれなくなります。貫太郎首相が、「ポツダム宣言を受諾する。」と、平和を決意して応えていたら、広島・長崎の惨禍はなかったのかもしれませんよ。氏は平和を願っていたのかもしれませんが、平和のために行動しなかった人物でした。
 
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君は尊くましませど

2017-05-18 17:50:26 | 徒然の記

 暑からず寒からず、程よく晴れた五月の朝でした。アイスバーグ、ロココ、ドルトムントと、庭のバラが綺麗な花を咲かせています。うすいピンクのエゴの花も、満開です。花に群れ飛ぶミツバチの羽音が、耳に優しく響きます。

 昨日の展覧会を思い出し、感激の余韻に浸っておりますと、次第にそれが自分の中で、悲しみと怒りに変じてしまうのに驚かされます。昭和天皇の録音盤をめぐり、あの近衛師団司令部庁舎で、森中将の銃殺された、その場所を自分が訪ねたという感慨が、一晩眠りますと、すっかり違ったものになってしまったようです。

 それは、このところいつも心から離れない、今上陛下の「お言葉」騒動です。忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐えと、昭和天皇は戦争終結のお言葉を述べられました。悲壮とも言える先帝陛下のご決断と、今上陛下のお心持ちを、どうしても比べずにおれない自分がいます。詔勅の録音盤を守ろうと、森中将が命を失った場所に立った私には、NHKの録画で語られた今上陛下の言葉の軽さが、ひしひしと迫って参ります。

 天皇陛下の国事行為には、必ず内閣の助言と補弼が必要とされます。これが事に際し、陛下が遵守せよと言われる、憲法の規定です。陛下は、個人的な思いだと断られ、NHKを使って意見を述べられましたが、国政を混乱させるような「お言葉」が、果たして私事と言えるのでしょうか。あの日以来、陛下の退位をめぐる国会での政争が、一日として報道されない日がありません。テレビや新聞を見て、多くの国民が一喜一憂しております。

 かくも重大な国政に関し、政府にも宮内庁にも相談されない陛下だというのに、元ご学友の明石元紹氏や床屋の主人には思いを打ち明けられました。その彼らがまた、新聞やテレビで、陛下の代弁をするというのですから、日本の民主主義と立憲君主制が吹き飛んでしまいました。いくら人の良い床屋の主人だとしても、大切なお客の私事につき、たとえ直接聞かされたお話だとしましても、ご本人の了解なしに喋れる訳がありません。

 紳士協定という高尚な話でなく、これは商売人の常識ですし、庶民の常識です。彼らは、陛下になり代わり、代弁でもしている気になり、許された範囲でお喋りをしているのだと、そんなことがわからないほど国民は愚かでありません。このような見え透いた小細工を、国民の敬愛の中心におられる陛下が為されていいものでしょうか。

 聞くところによりますと、ご学友の明石氏とは、かの有名な明石元二郎氏の孫だと言います。元二郎大佐は、明治38年の日露戦争時に、日本と戦っている帝政ロシアを内部崩壊させるため工作活動を行い、ロシア革命を支援しました。現在の金額にすれば、50億円になると言われる資金を使い、反ロシア勢力に与え、帝政ロシアの根幹を揺るがせました。内政の騒乱がなければ、ロシアは日本との停戦を決断しなかっただろうという話もあります。「20万の兵に匹敵する、成果を上げた。」と、氏は賞賛されました。

 その孫である元紹氏が、今上陛下に組し、日本の根幹を揺るがせているというのですから、信じられない話です。祖父は祖国のため、敵国の崩壊に力を尽くしたというのに、孫は、日本の崩壊に手を染めるというのですから、いかにも敗戦後の日本らしい情けない話です。

 体力が衰えたから、皇太子に譲位したいと、個人のお気持ちを優先させた陛下なのに、私的外出を控えられる様子もありません。それほど外出されるのなら、遠出をせず、皇居の中にある近衛師団司令部の建物へ足を運ばれたらいかがなのでしょう。赤い美智子様に手を引かれずとも、そこならお一人で訪ねられます。

 司令部の建物の前に立たれ、敗戦前後の日本の姿と、昭和天皇のご決断の尊さを、お一人で噛み締められてはいかかでしょう。昭和天皇は、ご先祖様と国民のために、身を捨てて決断をされました。今上陛下は、ご先祖と国民を無視したまま、ご自分とご家族のことだけを語られました。しかも、憲法の手順を全て省略されたままの、違法行為です。

 今の日本では、政府も反日の野党も、本音の話ができません。それをしますと「お花畑」の住民が大騒ぎしますし、頑迷保守も騒ぎ出し、国論を二分する騒擾となります。ですから、名もない庶民である私が、政府と、憂国の議員の思いを代弁し、意見を述べさせて頂きました。

 いつもの私は、「ねこ庭のあるじ」ですが、今回だけは、あの忌々しい床屋の主人の役目をいたします。つまり、「代弁者」です。床屋のオヤジとの違いは、彼は言わされて喋っていますが、私は自分の意思で述べているところです。彼らと異なり、私には得意な気持がどこにもなく、しんどくなるばかりです。

  そしてやはり、この言葉に戻ります。

「君は尊くましませど、民を苦しむれば、天これを許さず。」

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楽家一子相伝の芸術

2017-05-18 01:12:14 | 徒然の記

 「茶碗の中の宇宙」と題して、国立近代美術館で、楽家の抹茶茶碗の展覧会が催されています。私は無粋なので、茶や花など、高尚な芸道に興味がありません。絵画の展覧会にしましても、行けば何点か惹かされる作品に出会いますが、わざわざ足を運ぶ気になりません。

 要するに私は、あまり言いたくないのですが、美を鑑賞する心や眼力がなく、かなり狭い世界で生きている人間です。「牛に引かれて善光寺参り」という言葉がありますが、今回も、牛に引かれて美術館詣でをいたしました。(牛は、もちろん家内です。)

 楽家の初代は「長次郎」ですが、二代以降現在の十五代に到るまで、「吉左衛門」という名前が受け継がれていきます。館内には、代々の当主の作品が並べられており、圧倒される品数でした。照明を落とした展示室の台に、ほのかに照らされる無数の抹茶茶碗を眺め、どれも同じものにしか見えない私は、退屈を友として時を費やしました。

 一方家内は、何がそんなに面白いのか、近づいたり離れたり、ためつすがめつ作品を眺めていました。所在ない私は、茶碗と一緒に、不思議な家内の姿を眺めて過ごしました。

 「もうひとつ、工藝品館で、動物の作品展がある。」・・・そう言ってわが牛君は、歩いて20分離れた会場へと私を引きつれました。黒田辰秋、荒井照太郎、喜多川平朗氏などなど、およそ聞いたこともない芸術家たちの作品が、第一室から第六室まで、うんざりするほど展示されていました。

 しかし私は、今度は退屈しませんでした。なんとこの建物は、旧近衛師団の司令部庁舎でした。玄関脇の石碑に、明治43年の建造と刻まれていました。最後の御前会議で昭和天皇が終戦の決意を述べられ、お言葉が全国放送のため録音されました。この時陛下の放送を阻止しようと、戦争継続派の近衛師団兵の一部がクーデターを起こし、反対した近衛師団長の森中将が、一人の将校に拳銃で射殺されました。

 その歴史を刻む場所が、この工藝品館だったのです。心を強く動かされ、私は退屈する余裕を失いました。「師団長室は、どこにあったのですか。」「近衛師団の反乱を知っていますか。」私は、館内のあちこちにいる職員に質問しました。若い女性ばかりでしたが、答えはみな同じでした。

「そういう事件については、聞いております。「質問される方も、時々おられます。」「しかし現在、当時のまま残っておりますのは、建物の外観と、内部の階段だけです。」「工藝品館になる前には、別の用途で使われておりましたので、内部は何度も改装されています。」「当時のことは、もう誰も知りません。」

 残念でしたが、気持ちの高ぶりの抑えられない私は、持参したカメラで、建物の外観や内部の階段など、これでもかと思うほど写しました。

「お父さんと私は、感動するものが違うのね。」帰る道すがら、憐れみとも感心したともつかない顔で、家内が呟きました。歴史を知る作業に心を傾けている今の私には、何を言われても気にならない寛容さがあるのです。今日は、有意義な一日でしたし、元気も出てきました。だから、大きな声で言いましょう。

 「牛君、ありがとう。」

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新老人の生き方もよう

2017-05-15 21:20:46 | 徒然の記

 私が千葉日報を誉めるので、文句無しに素晴らしい新聞と誤解されている向きがあります。

 飽くまでそれは、常軌を逸した朝日や毎日、あるいは東京新聞などと比較した話ですから、手放しの賞賛ではありません。今回は、その誤解を解こうと思い立ちました。5月9日の記事です。「新老人の生き方もよう」・・・・、自分で老人だと思っていませんから、老人関係の記事に、普段は目もくれません。こんなシリーズの記事があると気づきませんでしたが、タイトルに目を惹かされました。

 「過酷な歴史、後世に残そう」・・・。何だろうと、なぜか読みたくなりました。「新老人の会」事務局長の、岩清水由紀子さんの寄稿です。名前を出して良いのか、女性なので躊躇いたしますが、新聞に意見を発表しているのですから、批判は承知の上だろうと割り切ることといたしました。中身を少し引用させてもらいます。

「戦後70年を過ぎ、今では戦後生まれが、」「日本の全人口の8割を越えています。」「平成22年に発足した、新老人の会では、自分たちの戦争体験を風化させてはならないという、」「切実な声が上がってきました。」

 会は、本部の下に青森、岡山、広島、熊本などの支部があるらしく、各支部で出版をしたという話です。中国戦線で戦ったという、93才の吉岡氏の話として、熊本支部の本の一部が紹介されています。

「吉岡さんら兵士たちは、補給ももらえず、」「情報も与えられず、ただ命令に従うだけの行軍だったといいます。」「兵士の人格も命も、すべてゼロとして扱われ、」「おびただしい命が消えていったと、体験者にしか語れない重い証言が、つづられています。」

 と、こんな調子です。決まり文句が、最後を飾っています。「どれも、子供たちに、戦争を伝えなければという、」「真摯な思いが込められた本となっています。」

 過酷で無残な戦争はどうして始まったのか。そのとき、世界の情勢はどうだったか。どうして日本は、戦争に踏み切ったのか。そうした事実は何も語らず、ただ戦争が酷かったとか、人権無視だったとか、そんな話を集めて本にし、何の意味があるのだろうと、いつものことですが、不思議になります。

 結論はまた、日本だけが悪い戦争をした。戦争は残虐だからしてはならない、世界の人と仲良くしましょうと、こんな本を出すから、子供たちが「お花畑の住民」として再生されていきます。成長した子供達の何人かが、「政府が悪い、自民党を許すな。」と、プラカードを掲げる大人になるのでしょう。

 私も同じ老人の一人ですが、間違ってもこのような団体に参加しようと思いません。ネットの情報を調べれば分かることですが、こうした団体は、結局左翼組織の一部で、どこかの政党とつながりを持っているはずです。そうでなければ、広範囲な活動をするだけの資金が、どうして調達できましょう。

 これは千葉日報の、一部の記事ですが、思い出しますと、敗戦の日の前後には、こうした記事がたくさん掲載されます。戦争の原因を調べず、原因に触れることもなく、ただ戦争をしてはならないと説く、悲しい人々の記事です。

 火事で焼けた家の前に来て、「火事はひどいものです。」「火事を出してはいけません」「火事は恐ろしいのです。」と、説教する人間がいたら、近隣の人は顔をしかめるはずです。結果を見て責めるのでなく、原因を調べ、次の火事を防ぐ手立てを考えるのが普通の人間でしょうに。

 戦争の結果だけを見て、悲惨だとか、残酷だとか、子供に伝えたいとか、こんな決まり文句しか言えない人間を、私は軽蔑し、嫌悪します。戦争の原因を調べようと思えば、国の歴史を知らなくてはなりません。戦犯の汚名を着せられ、異国で処刑された多くの軍人たちや、先日無念の死を遂げた三宅氏のことを思うにつけ、私は、この善意の仮面を被る偽善者たちが許せなくなります。

 千葉日報を誉めるだけでなく、今日はそうでない記事についても述べました。つまりこれが、正真正銘の「両論併記」ということになりましょうか。

 今晩のお酒は、不味くて苦い味となりそうです。

 

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私の提言

2017-05-15 15:02:11 | 徒然の記

 私は紳士的な人間ですから、どこかの団体のように徒党を組んで、大騒ぎはしません。かって彼らは、あるいは彼女らは、差別用語を撤廃しろと新聞記者やテレビの司会者を攻撃し、震え上がらせました。

 怯えたマスコミは、「差別用語辞典」とかなんとか、報道する時の使用禁止語を一冊にまとめ、一斉に実施しました。いわゆるこれが、「言葉狩り」という凄い活動の成果です。

 でも私は、暴力とか、脅しとか、多数での絶叫とか、そんな真似はしません。常々気になっている、新聞用語の間違いを改めて欲しいと、ねこ庭の片隅から提案するだけです。

 「保守と革新」「保守と変革」「保守と刷新」・・などと、選挙戦の記事で、読者向けのタイトルで使用される言葉ですが、これが無意味なレッテルにすぎないのは周知の事実です。私は、これを次のように訂正してもらいたいと提言します。

「保守と反日」「保守と売国」「保守と亡国」・・です。昨今の国会審議や街頭のデモなど見ていますと、これは既に国民的合意になりつつあるのではないかと確信します。

 きっとマスコミは無視するだろうと予想しつつも、国民の一人として静かに声をあげます。賛同される方がおられたら、こんな用語を使用する新聞の購読をやめましょう。全国紙などとふんぞり返っていても、こんな会社が発行する新聞は、「新聞紙」でしかありません。読むものではなく、資源回収日にまとめて出し、トイレットペーパーなどに再生させるしか用途がありません。

 もう一つ、付け加えます。毎年8月15日に、呪文のように唱えられ、お祭り騒ぎのお札のように氾濫する言葉です。

 「終戦記念日」、これはもう、「敗戦の日」としか言いようのない日です。こんな言葉を使用するから、敗戦後の日本人が錯覚してしまうのです。戦争に負けて、戦勝国に占領された日だと、正しい事実を語らなくてどうするのでしょう。

 

 

 自分で書いて、自分で笑ってしまいました。「こんなマイナーなブログを、マスコミは知りようがない。」・・・・、そういう話でした。年寄りの冷水とは、こんなことを言うのでしょうか。

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頑張れ 千葉日報

2017-05-14 19:57:40 | 徒然の記

 5月3日の憲法施行70年に合わせ、賛成、反対、それぞれの立場で、全国で集会が開かれました。安倍首相が、千代田区で開かれた改憲推進団体の集会に、ビデオメッセージを送りました。

 「安倍氏 改憲へ前のめり」「民意無視の 数の横暴」「忍び寄る戦争の影」「総理の暴走 民主主義の破壊」・・・・。

 今はもう読んでいませんが、かって40余年間定期購読者でしたから、翌日の朝日新聞の見出しが、即座に浮かんできました。首相の発言は、2020年までの改憲を目標にすると、歴代自民党の総理が一度も口にしなかった、「時期の明言」を致しました。

 改憲を目指すという総理に、選挙の一票を入れたのですから、私と同じ立場にいる者には、発言は当然のものとして受け止められたはずです。過去70年にわたり、朝日を筆頭とする反日・亡国のマスコミは、「改憲」という言葉だけ耳にしても、狂ったような反対論を、全国展開してきました。

 ですから私は、朝日新聞の購読を止めたに関わらず、紙面の見出しを瞬時に予想しました。わざわざ確認する気になりませんが、当たらずとも遠からずという「言葉」の乱舞だろうと思っています。

 さてここで、私が定期購読し、他の人にも紹介している千葉日報の記事を紹介いたします。新聞の一面、二面、そして十九の社会面を使い、大きく取り上げています。まず「見出し」の文字だけを、書き抜いてみましょう。

「正面突破の姿勢鮮明」「日程余裕なく障壁も」「首相発言全文」「70年、県内などで憲法論議」「首相発言、勢いづく改憲派」「護憲派、必要性訴え続ける」

 ここには国民を扇動する、反安倍の色彩がありません。客観的事実が述べられており、賛成・反対の両論が同じスペースで掲載されています。「改憲スケジュールに余裕はなく、20年までに実施される国政選挙で、」「改憲派が三分の二を維持できるかも明確でない。」「賭けに出た首相には、高いハードルが待ち受ける。」と、これが二面トップ記事の冒頭説明です。

 朝日のような悪意と憎しみの文章でなく、千葉日報の指摘は私から見ても「事実」と思われます。自国の安全保障を忘れ、日本以外の国が正しいと勘違いしている「お花畑の国民」が、未だに気勢を上げている現状を思えば、総理のスケジュールがタイトである事情も理解できます。大切なのは、中立、客観報道を、新聞社がどれだけ考慮しているか、というところです。私が感銘を覚えたのは、次の記事でした。

「千葉市文化センターでは、護憲二団体主催の " 憲法記念日の集い " が開かれ、」「約600人が参加した。」「東京都千代田区の改憲派集会には、約1150人が参加した。」と書き、続いてそれぞれの会の出席者の談話を等分に掲載しています。どちらの側にも肩入れせず、双方の主張を並べ、判断は読者に任せています。

 たったこれだけのことですが、全国紙では見られない紙面作りです。両論併記という報道の基本は、高邁な理想を述べる全国紙自身が踏みにじってきました。各紙は互いに自社の利益を優先し、「売れそうな記事」と「センセーショナルな記事」を優先し、読者の関心と興味をそそる記事を書きまくってきました。彼らは口が裂けても言いませんが、公正な記事の提供より、売上を増やせる極どい記事を追いかけたのです。

 嘘や捏造が含まれていても、世間が騒ぎ、新聞が売れるのならと、国を貶める記事を国内ばかりか、世界に向けて発信し続け、それが慰安婦問題であり、南京事件であり、靖国参拝問題だったことが、やっと国民に知られるようになりました。敗戦後の70年間というもの、全国紙の背信行為が続けられた結果、日本各地に「お花畑の住民」が育成されました。

 全国紙の各社から見れば、吹けば飛ぶような、小さな地方紙が、マスコミのあるべき姿を見せつつあるなど、知る由もありません。安倍総理の政策には我慢のならないものが多々ありますが、「憲法改正」の一点では、全面的賛同をしている私です。話がとても飛躍しますが、それと同じことで、千葉日報の記事に、我慢のならないものが多々あっても、「両論併記」という一点で、高く評価しています。

 「理想は高く、手は低く」です。全部に賛成できなくても、支持することはできます。そういう寛大さが、時には必要です。だから私は、今宵も小さな声で、しかし力を込めて、言います。

  「頑張れ、千葉日報。マスコミの鏡。」

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新潟県知事米山隆一氏のこと

2017-05-13 14:02:38 | 徒然の記

 志半ばで散った三宅氏の無念さを偲びながら、想いを巡らせていたのですが、偶然開いたブログで、新潟県知事米山氏のことを知りました。

 新潟県と言えば、秋田と並ぶ米どころだとか、美味しいお酒の産地だとか、のどかで平和な印象を持っていましたので、こんな知事がいる県だとは夢にも知りませんでした。 

 米山知事が、保守派の長谷川教授に対し、憲法論で反対意見を述べていましたが、これはそのまま、憲法改正を願う私への批判でもあります。

「9条2項の標準的解釈は、自衛権を全く否定していません。主権も全く否定していません」「つまり長谷川氏は、憲法の授業に出席している法学部の1年生なら、ほぼ全員知っているような事実を平然と無視しています。」

「『憲法9条の改正が必要!!!なければ防衛できない!!!』と言う議論は、実は何の根拠も無く、むしろよほど宗教的思い込みによるものだと思います。」

 これだけでなく、氏は民進党を離党した長島昭久氏の、「真の保守政治家を目指す」という言葉にも、反論しています。

「真の保守という言葉に違和感を感じます。」「猫も杓子(しゃくし)も保守を掲げる昨今ですが、」「未曽有の変革期にある日本が今希求すべきは『未来』であり、過去を『保守』する事ではないと思います。」「結局、昔が好きだという、そんな意味ではないのか。」

 こうした発言だけでなく、氏は知事として、一昨年から「東アジア文化都市」という活動を始めています。中国の青島市と韓国の清州市との交流を目指し、相互理解の促進や交流人口の拡大などにつなげていこうというものです。

どちらのコースも中国、韓国の高校生が参加し、パスポート取得費など一部実費負担がありますが、参加費は無料だということです。市税が使われる韓国行きの費用が、相場の数倍であるところからして、残りの金額の使途が疑われているとも聞きます。

 しかし私がもっと驚いたのは、いつものようにネットで氏の履歴を調べ、次の事実を知ったことです。説明なしで、事実だけを転記しましょう。

  平成17年 自民党から、 国会議員選挙へ立候補  落選

  平成21年 自民党から、 国会議員選挙へ立候補  落選

  平成24年 自民党から、 国会議員選挙へ立候補  落選
 
    平成25年 日本維新の会から、国会議員選挙へ立候補  落選
 
  平成28年 日本維新の会を離党し、民進党へ 

  平成28年 民進党を離党し、共産党、生活の党、社民党の推薦で知事選に出馬し、当選

 日本を愛し、日本の現状を憂え、使命感と覚悟で生きた三宅氏の生涯と比較すれば、米山氏の腐り果てた半生が、唾棄すべきものと見えてきます。東大医学部を卒業した米山氏ですが、ここにもまた、頭が良くても、魂の抜けた、哀れな風見鶏を発見します。
 
 長谷川氏や長島氏への批判には、元自民党員だったという気配すらなく、反日・売国の野党に担がれて当選した人間にふさわしい、豹変した意見です。こういう人物だと知れば、心ある新潟県人なら、次の選挙で一票を入れないはずですから、氏の戯言も今期限りでお終いです。
 
 三宅氏が亡くなられた時だというのに、こんな変節漢の政治屋がのさばっているのですから、気を許してはなりません。私たち国民の武器は、選挙の一票です。正しく行使すれば、政界の害虫が駆除できるのです。三宅氏の代わりに、私は訴えます。
 
 「新潟県民の皆さん。米山氏に騙されてはいけません。」「氏は、日本の恥です。」
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政界の荒野を疾駆した野武士

2017-05-12 21:30:09 | 徒然の記

 去る4月24日、元衆議院議員の三宅博氏が亡くなられました。癌のためとはいえ、67才の若さでの死は、悔やまれてなりません。

 国会議員としての活動は、わずか2年余りでしたが、私はずっと氏に注目していました。国会の質疑では舌鋒鋭く、厳しい追及でしたが、決して粗野でなく、節度のある話ぶりには、耳を傾けずにおれなくなる真剣さがありました。大阪・八尾市の市議を振り出しとして政界に入り、一生を正論で生きた、稀有な政治家でした。

 氏は日本人がタブーとする問題へ、臆せず取り組みました。つまり「解放同盟」と、「朝鮮総連」、そして反日マスコミの中心に位置する「NHK」への追及です。どの団体にも、ヤクザや過激派がからみ、日本の闇とも言える部分があるため、正面からは誰も向かわない組織体です。

 知っていてもマスコミは報道せず、政治家たちは敬遠し、文化人や評論家とか言われる人々は、最初から恐れて触れようともしません。ブログで元気の良い私にしましても、三宅氏のように、個人で立ち向かう勇気は持っておりません。早すぎる氏の逝去を悼みつつ、私の脳裏をかすめますのは、「政界の荒野を疾駆した野武士」という言葉です。三宅氏は、死を恐れない政治家として、政界の荒れ野を駆け抜けた野武士だったと、そう思えてなりません。

  NHKは別としまして、「解放同盟」と「朝鮮総連」につきましては、基本的なことをほとんど知りませんので、ネットの情報を集めてみました。

 1. 解放同盟とは、差別の解消を標榜している団体をいいます。

  昔から日本社会党、公明党、民社党、社会民主連合との関係が深かったのですが、現在では民進党との関係が一番となっています。公式の方針として、反天皇制をスローガンに掲げ、具体的な敵として、日本共産党、昭和天皇、機動隊等を挙げていました。

 差別をはじめ、あらゆる差別を撤廃し、人権が確立される社会をめざし活動をしています。出版、報道、映画、演劇、会社、学校など、あらゆる分野での差別を糾弾し、差別用語を使用した個人を集団で攻撃しました。過激な行動が、人々の恐怖を誘い、このために多くの言葉が消え、世間では一時「言葉狩り」と言って恐れられました。

  こうした暴力事件は、昭和49年、兵庫県八鹿高校(養父郡八鹿町)で頂点に達しました。校内に解放同盟研究会の設置を認めなかった教師68人(ほぼ教職員全員)に対して、解放同盟兵庫県連メンバー数百人が襲いかかり、13時間にわたって「糾弾」と称して集団リンチを加えました。56人が重軽傷を負い、29人が入院したという教育史上例をみない事件でした。 

  奈良市解放同盟員の、給与不正受給事件というものもありました。
奈良市の公務員であったNが、平成13年からの5年9カ月余りでわずか8日しか職場に出勤しなかったにもかかわらず、その期間の給与およそ2700万円を満額支給されていたという事件です。マスコミでも大きく取り上げられたましたが、これが利権の象徴的な事件であるということはあまり国民に理解されていません。
 
 マスコミは事実をすべて報道しませんでしたが、奈良市環境清美部職員だったNは、解放同盟奈良県連合会古市支部長・奈良県連合会統制委員・奈良市支部協議会副議長だった男でした。
 
2. 朝鮮総連の土地売却問題
 
  公安調査庁が、破壊活動防止法に基づき、テロなどを行う危険性のある団体を調査し、総連もその対象団体となっています。今から10年前の平成19年に、朝鮮総連の土地と建物が、公安調査庁の元長官の会社に売却されるという事件が明るみに出ました。

 緒方重威は、朝鮮総連の調査をする公安調査庁の元トップですから、テレビや新聞で大きく報道され、詐欺事件の当事者として彼は逮捕されました。この後事件がどのようになったのか、マスコミの報道がなくなり、私も記憶にありませんが、ここで言いたいことは、朝鮮総連と政府組織との奇妙な関係です。金銭や女性のスキャンダルで、総連に絡め取られたという、まことしやかな三流誌の記事もありましたが、本当に彼だけのことなのでしょうか。

 もしかすると、公安調査庁と朝鮮総連は、もっと昔から、もっと深く結びついていたのではないかと、疑りたくもなります。朝鮮総連は、日本国内で数々の反社会的行動をし、拉致問題についても積極的な関与が疑われています。本国の指示次第で、拉致はおろか殺人でもやりかねない恐ろしい組織です。

「朝鮮総連の人間が、拉致に関わっていると分かっていながら、なぜ政府はこれを逮捕しないのか。」「日本の中にある犯罪組織を、どうして野放しにしているのか。」「日本は、法治国家でないのか。」

 生前の三宅氏が、厳しい口調で語っていたのを思い出します。解放同盟に対しても、朝鮮総連に対しても、氏は断固として非を許しませんでした。現在の国会質疑で野党議員がしているような、わざとらしい悲憤慷慨や、演技がかった熱弁はせず、氏は淡々として迫りました。

 NHKは、紳士的な放送団体のように思われていますが、ここもまた伏魔殿のような組織です。内部には、の縁者もいますし、朝鮮総連や反日の在日職員たちが働いています。政治家が群がり、活動家が巣食い、野心のある評論家や文化人が関与し、一筋縄ではいかない組織です。三宅氏が国会で、NHKの社員の中にいる外国人の人数を開示して欲しいと要求しましたが、NHKは答えませんでした。外国名は要らないから、総数だけで良いと食い下がっても、最後まで拒否しました。

 巨大な利権集団として君臨していますから、私ごときがブログでいくら抗議しても、NHKは痛くも痒くもありません。そのNHKに対し、三宅氏が衆議院の総務委員会で、遠慮なく問題点を指摘し追求しました。その折の国会中継の動画を、私は今もハッキリ記憶しています。

 捏造のJAPANデビュー問題、数々の偏向報道、受信料回収方法の不当性、社員の高給と海上保安庁の低予算の問題、中国中央電視台との隠された関係など、どれも多くの人間が疑問に思うことばかりでした。さらに氏は、NHK職員の度重なる不祥事等を取り上げ、質疑の結論として「腐敗堕落したNHKは解体するしかない、それが日本のためだ」と主張しました。

 氏のような政治家は、もう出てこないだろうと、そんな気がいたします。亡くなる前の氏が残していた動画を、思い出します。質問者の問いに答えるという録画で、ほんの数分の短いものでした。政治家としての心構えだったか、条件だったか、質問者の問いは忘れましたが、三宅氏の答えは覚えています。

 政治家として、自分が大切にしているのは、使命感と覚悟だと、語っていました。政治家に不可欠なものは、自国への愛情であり、国に不可欠なものは、主体的国家運営と述べる氏に、私は何度もうなづきました。使命感も覚悟も失い、目先の政争で日々を費やす議員たちには、口にできない言葉ばかりです。

 たとえ他の者が同じ言葉を使ったとしても、三宅氏のような実践の日々を持たない議員のたわごとなど、誰が耳を傾けるでしょう。氏の言う覚悟とは、政治のために死を恐れないという覚悟です。保守陣営の人間にとっては、誠に惜しい人物を失ってしまいました。後は氏の志の一端を、私たち国民が受け止め、選挙の一票に活かさなくてはなりません。

 文字通り氏は、政界の荒野を疾駆した野武士でした。安かれと祈りつつ、心から、哀悼の意を捧げます。

 

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識者評論

2017-05-11 23:06:37 | 徒然の記

 千葉日報に、「識者評論」というコラムがあります。今回は辺野古護岸工事について、名古屋大学の名誉教授紙野健二氏の評論でした。

 記事の表題が「法治主義、地方自治を損なう。」「問われる国の乱暴行為」となっています。ネットで氏の略歴を調べましたが、有名な教授でないらしく、「行政法学者」ということしか分かりませんでした。

「埋め立て工事そのものは、前知事の承認で可能となっているが、岩礁破壊を伴う区域が含まれており、」「これについては、翁長知事の承認が必要だ。」「地元漁協が漁業権を放棄しているので、許可が不要になったと国が主張しているが、」「岩礁破壊には知事の許可が必要と定められており、国が勝手に解釈するものではない。」

 「国と県が対立するのなら、両者が粘り強く協議を重ね、妥当な解決を模索すべきであり、」「工事を進めている国は、法治主義と地方自治を自ら損なっている。」「およそ国民主権下の政府のすることではない、無法行為である。」

 氏の主張を簡単に述べますと、以上の通りです。琉球大学の教授が、有名な反日の沖縄二紙 (沖縄タイムズ・琉球新報) に書いている記事なら、いつものことですから気にとめませんが、名古屋大学の教授の意見だというので、驚きました。

 基地問題で翁長知事と粘り強く話し合ったら、妥当な解決策が生まれるという意見はどこから生まれるのでしょう。翁長氏のみならず、沖縄の活動家たちは、国との話し合いなど頭から求めておらず、「何でも反対」を結論にしています。こういう事情を知りながら、政府だけを責めるというのですから、この教授も反日・左翼なのでしょう。

 沖縄の領海が中国によって、武力で侵略されている時、地方自治とか、無法行為だとか、そんな寝言を言っている場合でしょうか。教授の行政法には、「国の安全保障」という視点はないものと見えます。「危険な国際情勢」への配慮もせず、平和時の国と県の争いを語っているのですから、常識すら欠けている教授です。

 岩礁破壊と金科玉条のように語っておりますが、氏は平成15年から行われている「那覇港港湾計画」について、なぜ一言も言及しないのでしょう。国際物流産業と国際リゾート産業の展開のため、国際流通港湾として、大々的に埋め立て整備されている、那覇港のことです。

 詳細は省略しますが、新港埠頭地区、浦添埠頭地区、那覇埠頭地区、泊埠頭地区の広い海岸が埋め立てられています。いったいこの広大な海岸線には、岩礁破壊の心配は皆無なのでしょうか。観光開発や産業振興のための環境破壊は良いが、国の安全保障のための工事は悪いという、この偏向した、乱暴な意見はどこから生まれるのでしょう。

 紙野教授は顔写真まで載せていますから、この愚論を、よほど立派な意見と自負しているのでしょう。私にすれば、名古屋大学の評価を一段も二段も下げたとしか思えませんが、相変わらず恥知らずの教授が大きな顔をしております。

 千葉日報は、「名古屋大学にも、反日・亡国の教授がいますよ。」「ちゃんと国民の皆さんに知らせますよ。」と、言いたかったのでしょうか。

 千葉日報のファンですから、今夜は「贔屓の引き倒し」で終わります。

 

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