門井慶喜氏著「銀河鉄道の父」(平成29年刊 講談社)を、読了。
氏は昭和46年に生まれ、今年47才です。直木賞受賞作だというので、家内が図書館から借りてきました。芥川賞受賞作より、直木賞作品が好きなので、久しぶり楽しめると期待し、ページを追いました。しかし、惹かされる叙述が、どこにもありませんでした。反日の学者の著作を読み、文句ばかりつけている毎日なので、小説の味わい方を忘れてしまったのかと、自分を責めてみました。
宮沢賢治の作品は、あまり読んだことがなく、世間で言われるほど、素晴らしいと感じた記憶もなかったのですが、それでも、私の中にある「賢治像」は、もう少し品格のある姿で刻まれていました。
賢治の実家が裕福で、父親も寛大で、子供の全てを受け入れていたと、そういう予備知識はありましたが、正直なところ、氏の作品は、私の心にある賢治像を俗気で汚したと、そういう気持ちがしてなりません。
氏は、多くの事実を調べ、文献を参照し、賢治の一家を描いたのでしょうから、私の勝手な想像より、実像に近いはずです。私が賢治に抱くイメージは、せいぜい作品から受け取る印象ですから、口幅ったいことは言えません。しかし、「セロ引きのゴーシュ」や、「風の又三郎」、あるいはあの有名な「雨ニモマケズ」の詩から、私は、澄み渡る秋空にも似た、清澄なものを感じていました。人間や生き物に対する探究心と、澄んだ目と、不思議な才能に敬意も表していました。
しかし氏は賢治を、「親の心、子知らず」のバカ息子として、私の前に描き出しました。父親もまた、息子に劣らぬ「親バカ」として、登場させました。私自身、いつになるか分からないのに、ブログを息子たちのためと書き続ける「親バカ」ですから、本来なら、もっと共鳴して良いはずなのに、読んでいる間中、そんなはずはないと、首を振り続けました。
藤沢周平氏の「暗殺の年輪 」、山口瞳氏の「江分利満氏の優雅な生活」、高村薫氏の「マークスの山」、出久根達郎氏の「佃島ふたり書房」など、これまで手にした直木賞受賞作の、充実した読後の気持ちを振り返りました。
どの本にも、作者自身の世界があり、独自の文体や観察眼があり、私を虜にしました。もちろん、門井氏にも独自の文体がありますが、冗長な文章が多く、五六行飛ばし読みしても、なんの支障もありませんでした。反日学者の著作は、300ページ足らずでも、二三日かかるのに、408ページの長編を、5時間で読み終えました。いかに無駄な描写や説明が多いかという、証明なのでしょうか。それとも私が、間違った読み方をしているのか、理解に苦しむところです。
子供には、こんな話をしたことはありませんが、私は学生時代も、就職してからも、平気で父に金の無心をしていました。賢治のように、裕福な家でありませんでしたから、心にはいつも罪悪感がありました。それなのに、大切な仕送りを、バーの飲み代にしたり、友人との遊交費にしたりしました。商売人に学歴は無用と、父もまたそういう時代に育ち、学歴は高等小学校卒でした。苦労した父は、学問がなければ、これからの時代は生きていけないと、固く信じ、息子の私を大学へ行かせてくれました。
裕福な家であれ、貧しい家庭であれ、息子のため尽くす親の姿が、子供の心に刻まれぬはずはありません。まして賢治ほど利発で、人を思いやる人間が、成人しても親心が分からないとして描くのでは、人間観察が浅すぎないかと、私は感じてしまいます。賢治が、生涯父親に対抗心を燃やし、逆らい続けるなど、本当にそんな息子だったのでしょうか。
口には出せませんでしたが、父への感謝と愛は、こんな私でさえ、心に秘めておりました。照れくさくて正直に言えず、生返事ばかりしていた自分を思い出すと、胸が痛くなる私です。賢治にしても、内心では、父への愛と感謝があったため、思っている半分も、口に出せなかったはずです。
だからこそ、賢治はたびたび思いつめ、精神を病んだのではなかったのでしょうか。自分の思い通りにならないから、父へ当たっていると解釈するのは、私の少ない経験からしても、違っている気がいたします。言葉や行動に表さなくても、父と子の間には、あうんの呼吸で伝わる人情の機微がある。心と反対の言葉が口から出たとしても、互いにそれは感知します。私が思いますに、おそらく作者に足りないのは、「人情の機微」なのかもしれません。
「あの頃、こんな父親がいたのかねえ。」「作者が、現代風に解釈しているような、気がするのよ。」
本を渡す時、家内が笑っていましたが、もしかすると、私と同じことを感じていたのでしょうか。人気のある本で、図書館では順番待ちになっていると、聞きます。そんな本を批判するのは気が引けますが、私の心には、何の響きも残しませんでした。浅瀬を流れる清流のように、水底の小石も水草も、しっかりと見える読みやすい文章です。でも私は、ゆったりと流れる、大きな川の方が、好きなのかもしれません。というより、宮沢賢治とその父親は、浅瀬の清流で眺めるのでなく、もっと大きな川の流れに泳がせ、静かに観察すべきではなかったのでしょうか。
人はそれぞれ、人生もそれぞれですから、今夜はこの辺りで止めると致しましょう。他人の労作に、素人がケチをつけているのですから、息子たちには、愚かな父と見えることでしょう。こんなことでは、今夜もきっと、ろくな夢は見ないはずです。