ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「総裁選挙」青山氏への疑念 ? ? ?

2024-09-29 21:03:58 | 徒然の記

 私は最初、青山氏への失望と書き、「失望」という言葉を使いました、しかしこれは重い言葉で、信頼を裏切られた時に用いるもので、「ねこ庭」が次に取る行動が決まってしまいます。

 信頼を裏切った人間とつき合う人はいませんので、「失望」の次に来る行動は「絶縁」です。個人同士の関係ならこれで済みますが、日本が関係すると簡単に決められません。

  「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ。」

 青山氏が疑念を生じさせても、「戦後レジームからの脱却」という目的で一致しているのなら、「絶縁」せず離れた場所で互いにネズミを捕ることになります。

 反日左翼、反日グローバル勢力のネズミを、青山氏が見逃したとしても、私たちが捕まえます。この場合青山氏は、印象の良くない黒い猫です。

 動画の最後に司会者が、青山氏に質問しました。

  ・それで青山さんは、今回の選挙では誰に入れるのですか。

 高市氏と石破氏の二人しかいないと言うのなら、青山氏の答えは一つしかなく、即答で高市氏の名前になります。

 ところが氏は即答を避け、私は人間性を見て決めると言いました。ここからの説明は支離滅裂で、冗長で、無駄話になります。

 ・人間性を第一に考えるのは記者時代からの考えで、日本の文化には、一挙手一投足でぱあーと人間性を理解する伝統があります。

 ・日本の伝統からいって、日本人には皆人間性を見抜く力がある。僕は日本人を信じたいですね。

 ・個人の独立があって日本の独立があるわけですから、この人に入れたいと思う人がいるのなら、個人個人が判断すれば良いのです。

 ・青山がこの人に入れるから、この人が絶対だなんて、そんなことは全く考えていませんよ。

 ・指導者の人間性次第で、国家・国民の運命が変わってしまうんですよね。

 ・例えば岸田総理がもっと人の痛みが分かる人だったら、能登の大災害の時現地へ行くべきですし、復旧の予算だって予備費でなく、補正予算をちゃんとつけるべきだったんです。

 ・金額は同じと説明されましたが、根幹は人間性なんですよ。能登の被災者に向き合う姿勢なんですよ。

 「総裁選で誰に入れますか」と言う質問に対する、氏の答えです。故意に焦点を外し、時間を空費させる氏の姿に私は醜さを感じました。

 ・例えばロシアを見てください。国の指導者の人間性が、国家と国民をどれだけ変化させるのか。

 ・ロシアは資源大国で、国連の常任理事国でなので、自分の国のことだけに専念していれば、十分やっていけます。ウクライナに攻め込んで、国民の死者を増やし、ウクライナの人々を殺す必要なんてありませんよ。

 ・それがプーチンという人物の、旧ロシア帝国への回帰思想、領土欲、つまり彼の人間性がもたらした不幸なんです。

 ・国のリーダーの人間性は、大事なんです。

 熱弁を振るいますが、「総裁選」で誰に投票するかの質問と、なんの関係があるのでしょう。風が吹けば桶屋が儲かるという話に似て、回りくどい屁理屈です。

 ・僕は9月27日の投票日には、党本部の会場に間に合う時間のギリギリまで事務所で仕事をし、選挙会場の8階まで、階段を使って上がります。

 ・他の人はエレベーターを使いますが、僕はスキーのため体を鍛えていますから、階段で上がります。

 ・体を一生懸命に使っている時が、人間の思考力は一番冴えますから、僕はそこで誰に投票するかを考えます。

 司会者の質問を散々引っ張った最後が、この答えです。途中を省略していますから、実際にはまだ長い話です。

  反日左翼系の石破氏と保守の高市氏と、いずれに投票するのかと聞かれ、青山氏がこれほど曖昧で優柔不断だったとは呆れるしかありませんでした。

 知っているのかもしれませんが、石破氏の選挙スローガンを紹介します。

  「ルールを守る」「日本国を守る、国民を守る、地方を守る、若者を守る」

  「みんなが安心安全で、みんなが笑顔で暮らせる日本」

 いかにも石破氏らしく、なんの具体策もなく、国の独立も安全保障もありません。「ルールを守る」が一番目にきているのは、「政治資金規正法」を逸脱し「裏金」作りをした旧安部派への攻撃スローガンです。

 無意味なお喋りにつき合うのを止め、石破氏を総裁にしてはならない理由を、ウィキペディアから抜粋して紹介します。

   ・憲法改正について・・・色々語っているが、結局は態度不明

   ・女性天皇、女系天皇について・・・選択肢の一つとしてあり得る

   ・増税政策について・・・財政規律は大切

   ・閣僚の靖国参拝について・・・反対

   ・外国人参政権付与について・・・反対

   ・同性婚、夫婦別姓について・・・賛成

   ・移民問題について・・・限定をつけて賛成

   ・慰安婦問題について・・・相手が納得するまで、謝り続けるしかない

 「ねこ庭」として石破氏を特に容認できないのは、靖国参拝に関する意見です。政治家の役割を履き違えています。

   ・戦死者との約束の一つは、天皇が靖国に親拝することである。

   ・政治家が参拝することが、事の本質ではない。

   ・歴史認識については、法律家や歴史家が主張すべきことである。

   ・政治家の役割は、天皇が靖国に親拝ができるような環境を整えることだ。

 国を愛する国民なら、今日の法律家と歴史家が共産党を中心とする反日勢力の影響下にあることを知っています。石破氏も現実を知らないわけでないのに、建前だけ立派な反対論を述べています。靖国参拝から政治家を除外する意味は、自分の責任を軽くしたいからです。

 アメリカと中国の政府が靖国参拝に反対しているのですから、石破氏の意見は「現状のまま何もしない」と主張していることになります。

 青山氏は、本当にこんな姿勢で良いのでしょうか。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々のため、「護る会」の中から高市氏支持に回った議員の名前を紹介します。誰もそんなことは言いませんが、「ねこ庭」では「青山氏に見切りをつけた議員諸氏」と考えています。

  山田宏    小林茂樹    杉田水脈   関芳弘    谷川とむ   中村裕之

  三ッ林裕巳   有村治子   衛藤晟一   古庄玄知   佐藤啓    堀井巌

 青山氏に沢山の疑問符をつけながら、シリーズを今回で終わりますが、次回の総裁選挙に氏が立候補しても、現在の姿勢のままなら、私は氏を支援しないことをお約束いたします。党員である友人の新田氏も、私と同じ意見です。

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「総裁選挙」高市氏の敗北

2024-09-29 09:38:37 | 徒然の記

 ・総裁選挙のウオッチを通じ、高市氏の「危うさ」を示す事実の一つを、青山繁晴氏の姿勢から見ました。

 前回このように述べ、すぐに青山氏の姿勢を紹介しようと、確認のため動画を見ました。ところが思いがけない発見をし、ショックでブログに向かえなくなり、午後の10時を過ぎてしまいました。

 ・僕は決して人の悪口は言いません。

 ・意見の違う人がいても批判攻撃せずに、相手との共通点を見つけ、敵は作りません。だから私は野党の議員さんたちとも、個人的には友人です。辻元清美さんとも友人です。

 青山氏の口癖で、【僕らの国会】で聞かされる言葉ですが、確認の動画で氏が語っていたのは高市氏の悪口でした。

 それだけでなく、保守と思っていた青山氏が実は保守でなかったと言う驚くべき事実を発見しました。氏は下記のように遠回しに説明していましたが、総裁選挙の最中での保守政治家の意見かと耳を疑いました。

  ・氏は決選投票で、高市氏でなく石破氏に投票している気配が濃厚

  ・高市氏より、石破氏の方を高く評価している気配

 早口で喋っているので前回は聞き漏らしましたが、確認のため注意深く耳を凝らした今回、信じられない青山氏の考えを知りました。

  ・大東亜戦争敗北の原因は、負けると分かっていながら大国アメリカと戦った優柔不断な近衛文麿にある

  ・戦争責任は、考え過ぎて情勢に引きずられ、大事な時に決断できなかった日本国のトップ近衛文麿にある

 「東京裁判史観」でありませんが、氏は先の大戦の責任が日本にあるという意見の持ち主でした。左翼系の人たちは一般的に、処刑された東條英機首相たちを戦争責任者として批判・攻撃しますが、氏は近衛文麿首相を批判していました。

 【僕らの国会】で一度も語らなかった「戦争責任論」でした。

 支援していた青山氏に疑念が生じるという予想外の展開になり、予定していたブログの中身が変わってしまいました。

 動画の名前とタイトルを書いておきますので、私の意見を確かめたい方は自身の目でお確かめください。

  9月24日(火)  『虎ノ門ニュース』 「マスコミが一切報道しない 自民党総裁戦SP」

 最後まで残るのは、小泉、石破、高市の3氏だろうと言われていましたが、党員・党友票の締切日が9月26日ですから、動画の当日は誰が決選投票に残るのか混沌としていた時です。

  ・まだ決まっていないので、はっきり言う訳にいきませんが、僕個人の予想なら言ってもいいかもしれませんね。

  ・3人の名前が上がっていますが、このうちの一人は、間違いなく決選投票前に落ちると思います。今はここまでしか言えません。

  ・それが誰かと聞かれても、ちょっと今の段階では・・・

 と言いながら、司会者にさらに聞かれると、

  ・上位二人は誰かとあえて予想すると、石破さんと高市さんのような気がします。

 余計なことは喋らない、大事なことは口が裂けても言わないと言うのも、氏の口癖ですが、結局氏は口が裂けても言ってはいけない情報を漏らしていました。

  ・これからは、小泉氏の動向がキーになると思いますよ。「小石河連合」の河野さんが落ちても大きな影響はありませんが、小泉氏が落ちると、小泉氏の票が石破氏に乗っかる・・・

  ・石破氏も高市氏も双方が議員票に弱いですから・・・

 27日の投開票日を目指して生き残りを賭け、25日26日と石破、高市、小泉3氏が激しい駆け引きをしていると、その後時事通信社が報道していましたので、青山氏の発言がいかに早い段階でされていたのかが分かります。

  ・3年前の総裁選挙の時、僕は安倍さんに頼まれて高市さんの推薦人になりました。それで僕は、総裁選への出馬を諦めたんです。

 安倍氏に頼まれやむなく推薦人になった経緯と、氏が3年前にも出馬の意思があった事情を知りました。

  ・今回高市さんは「護る会」のメンバーに、推薦人を頼んでいました。

  ・しかし「護る会」の代表である僕は、そんなことは絶対しません。

  ・高市さんの動きは、「護る会」をバラバラにするのではないかと心配する人もいました。

 高市氏は閣僚ですが「護る会」では一会員で、代表は青山氏です。会に手を入れられて青山氏は、不快感を覚えたに違いありません。

 双方とも身近な議員との人間関係を重視せず、日本人特有の酒席や食事の席を敬遠していると聞きますので、人情の機微には疎い者同士のようです。

 正しいことを言えば周囲の人間はついて来ると、二人はそう考えています。青山氏の話から、協力関係にない二人の事情が見えてきました。無念なのはこの動画が、青山氏と高市氏双方へのマイナス評価につながったことです。

  ・僕は決して人の悪口は言いません。

  ・意見が違う人がいても批判攻撃せずに、相手との共通点を見つけ、敵は作りません。だから私は、野党の議員さんたちとも、個人的には友人です。

 だが動画での高市氏に関する説明は、誰が聞いても悪口です。意見の違う野党の議員と腹を割って話せる青山氏が、なぜ高市氏と忌憚のない意見が交わせないのか不思議な気がします。これでは、双方が度量のない政治家だと公表しているのと同じです。

 カズヤ氏が自分の動画で、青山氏を「吹かす」と酷評していましたが、今度はうなづかされました。

 優柔不断な近衛文麿氏の話は、深く考えて検討するだけで行動に移さない石破氏への批評でした。氏は悪口でないと思っていても、聞いた石破氏には悪口になるのではないでしょうか。

  ・石破さんは、何を考えているのか誰にも言わないので分かりませんが、真面目に物ごと考える人だと思いますよ。

  ・僕はもう総裁選から脱落した人間で時間がありますが、石破さんは総裁選で多忙なのに、今日の自由民主党の部会に出席されていました。真面目な人なんですね。

  ・女系天皇OKという意見なのでダメだという人もいますが、首相になったからと言って、なんでも思う通りにできませんよ。

  ・党内の大反対にあって、そんなことは実現不可能です。第一「護る会」が認めません。

 だから石破氏の女系天皇容認論は、心配する必要がないと説明しますが、信じられない安易な意見です。これが石破氏を否定しない理由というのですから、???? 疑問符がたくさん並びました。

 緊迫した異常ずくめの「総裁選」の最中で、推薦人を集められず脱落した衝撃のあまり、氏は政治家としての綻びを無意識のうちに見せてしまったのか。

 私自身、青山氏の支援者の一人として今日まで来ましたので、大きなショックです。青山氏の支援者の方々には申し訳ありませんが、次回も説明を続けさせていただきます。

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「総裁選挙」石破氏勝利

2024-09-27 21:09:43 | 徒然の記

 午後1時から4時まで、NHKの「総裁選挙」開票中継を見ていました。第一回投票と決戦投票の結果、石破氏が自由民主党の総裁に決まりました。

        第一回投票                 決戦投票

  高市氏       181                                      194            + 13

  石破氏       154                                      215            + 61

 正直なところ、自由民主党の議員諸氏への失望と脱力感があります。

 上記数字は議員票ですが、第一回投票で高市氏は石橋より27票上回っていました。第二回目の決戦投票では、石破氏が議員票を61票積み増しし215票となり、13票の積み増ししかできなかった高市氏を21票引き離して逆転しました。

 決選投票では61の人の議員が、反日・リベラリストの石破氏の支援に回ったことになります。キングメーカーの麻生、菅、岸田3氏がどのように動いたのか、「勝ち馬」を狙う議員個人がどのような考えで石破氏支持へ回ったのか。

 そこは分かりませんが、自由民主党の半分が「日本の独立」を選ばなかったという結果だけは分かりました。

  ・アメリカ民主党政権と中国共産党政権が、高市氏の総裁当選に反対していた。

 「ねこ庭」は、高市氏敗北の原因をここに見ています。総裁選挙のキングメーカーとなった麻生、菅、岸田の3長老は、やはり米中政権との対立より従来通りの曖昧戦略で一致したと推測いたします。

 日本の盟主であるアメリカが中国との対立を望まない以上、中国に強行姿勢を見せる高市氏を敬遠した・・・・、これが「ねこ庭」の見方です。

 3長老の選択が正しかったのか、間違っていたのかを言う前に、「ねこ庭」は次の現実を直視します。

  ・唯一の同盟国であるアメリカの意向に逆らって、日本の戦後政治はできなくなっている。

  ・「憲法改正」と「皇室護持」は、日本だけで決定できる国内問題でなく、日米間の重要課題となっている。

  ・米国が中国との衝突を避けている情勢下で、米国の同意なしに中国との対決ができなくなっている。

 高市氏は保守層の国民の思いを代弁し、中国との対決を公言しています。

  ・総理になっても、靖国参拝を続ける

  ・日本領海の排他的経済水域に置かれた、中国の観測用ブイを撤去する

  ・日本人を殺害した2件の事件は、中国の反日教育に原因がある。

  ・赤字国債を発行し、景気回復のための政策を打つ

 高市氏の意見が「日本再生」のための正論であるだけに、米国は当然高市氏の総裁当選を望みません。麻生、菅、岸田の3氏には、何らかの形でアメリカの意思が伝わっていたものと考えます。

 「戦後レジームからの脱却」・・ (「憲法改正」「皇室護持」)

 日本の指導者であれば、「戦後レジームからの脱却」を考えない政治家はいませんから、故安倍首相の悲願を麻生、菅、岸田3氏が無視しているとは考えられません。

 「日本弱体化計画」を持つアメリカと「日本復活絶対反対」の中国は、この点で国益が一致し協力しています。これを知る3長老が、高市氏の総裁当選を忌避したと考えても不自然はありません。

 ・現時点で、「戦後レジームからの脱却」はそれほど困難な課題となっている。

  安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を公言しながら、アメリカと中国に妥協し、アメリカの代理人竹中氏と中国の代理人二階氏を重用しました。

 アメリカと中国に屈しつつ、慎重にことを進めていた安倍氏でさえ、「戦後レジームからの脱却」を実現しそうになると暗殺されました。安倍氏の後を継ぐと言い、「憲法改正」を公言した岸田氏には暗殺未遂事件が起きました。

 二つの卑近な例を見ても、「戦後レジームからの脱却」の困難さが窺えます。果たして石破氏に、これを期待することができるのか。これが一番の問題になります。

 一方で高市氏については下記のようにNHKが盛んに語り、「高市潰し」と批判されましたが、これも無視できない事実です。

 「高市氏のウイークポイントは、強硬な右派の主張が国際社会で受け入れられることになるのかと言うところです。

 直球勝負でアメリカにも中国にも挑んでいく、と言うのが高市氏の姿勢です。喝采したくなるほどの正論であると同時に、一歩間違うと危機を招く危うさがあります。「今回の総裁選挙のウオッチを通じ、高市氏の「危うさ」を証明する事実の一つを「ねこ庭」は青山繁晴氏の姿勢に見ました。

 スペースがなくなりましたので、次回をすぐに続けます。明日の日本を思う方は、参考意見の一つを聞くつもりで、ふらっと「ねこ庭」へ足をお運びくださることを期待します。

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「ねこ庭」休業のお知らせ

2024-09-22 23:06:30 | 徒然の記

 自由民主党の「総裁選挙」終了まで、「ねこ庭」のブログをお休みといたします。

 テレビはほとんど見ませんが、共同通信社の配信記事を掲載した千葉日報新聞と、ネットの情報に集中するためです。

 一日が机の前に座り切りとなりますので、健康管理のため空時間を活用し、「ねこ庭」の雑草取りに当てようと思います。

 残暑がまだ厳しいため、2~ 3時間荒れ放題の雑草や伸び過ぎた枝の剪定をしていますと、汗びっしょりになります。程よい疲れと体の痛みが、健康の維持に役立つと、勝手に決めています。

 先週1週間、すでに実行していますが、さらに「総裁選挙」が近づきましたので、本格的に「選挙ウォッチ」体制に生活を切り替えます。

 わさわざ報告する必要はないのですが、私も80才ですから、

 「この暑さで、あいつもやっとこの世からオサラバしたか。」と、

 反日と左翼系の人が誤解して喜ぶといけませんので、報告だけはしておこうと思います。

 今回の「総裁選挙」の異常さを知るほどに、心と体が熱くなります。残暑の暑さなどに負けておれない、異常な選挙です。「ねこ庭」が目を凝らしてウオッチしても、「選挙」の結果がどうなるものでもありませんが、集中せずにおれません。

 孤独な戦いをしていた「青山繁晴氏」を応援していましたが、推薦人を集められず氏は立候補できませんでした。そうなりますと、「ねこ庭」が応援するのは、高市早苗氏ということになります。

 新しく長老となった麻生氏と菅氏と岸田氏が、互いの怨念を交えて、水面下での工作に精を出しています。何時もなら見えない長老たちの動きが、9人と言う異常な候補者の乱立のお陰で、国民の目に見えます。

 「風読みの議員たち」が、「勝ち馬」に乗ろうとしのぎを削っている様子も、見えています。あからさまな権力闘争が、隠しても見えてくると言うのが、今回の「総裁選挙」の特色ではないでしょうか。

 そんなことは、今更言われなくても分かっているぞ。

 不機嫌な読者の方の顔が浮かびますので、「ねこ庭」休業のお知らせをこの辺りで終わりにします。

 「総裁選挙」後の再会を楽しみにしております。

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日本記者クラブ・「総裁選討論会」- 8

2024-09-21 07:54:19 | 徒然の記

  〈 傲慢な「日本記者クラブ」とは、どんな組織なのか。 〉

 この疑問から始まり、次々と生まれた疑問の扉を開き、〈 昭和60 ( 1985 ) 年の「プラザ合意」〉の紹介が終わりました。 

  「プラザ合意」以後政府はアメリカの要求に膝を屈し、国民には立派な理由をつけて誤魔化し、日本弱体化の構造改革を進めさせられていったことが分かりました。「戦後史の大河の流れ」の中で、逆らえなかった歴代内閣の無念さがあるはずなのに、私たち国民には伝わってきませんでした。

 それは政府と官僚組織とマスコミが協力し、事実を国民に知らせなかったからです。「平和憲法」の大嘘以来、国際社会の現実を隠し続けた政府に、私たち国民が気づけなかった不幸が「総裁選挙」の今も続いているということになります。

 全ての官庁が抵抗していた「公益法人制度改革」という大改革も、この流れの中で小泉首相が強行しました。というより、そうせざるを得なかったと言うことでしょうか。

 「郵政民営化」も「雇用制度の改革」も「公益法人制度改革」も、小泉首相のリーダーシップのもとで進められたと世間では考えられていますが、事実は違っていたようです。

 中曽根内閣が受け入れた「プラザ合意」以降、竹下、宇野、海部、宮沢と続く歴代内閣は、米国の桎梏政治から脱却できず、最後の仕上げをしたのが小泉内閣だったということでしょうか。

 先日紹介しました「内閣府ホームページ」の最後には、「公益法人制度改革」に関わった政治家の名前が一部掲載されていました。

  ・第一次小泉内閣

     経済財政政策担当大臣・竹中 平蔵

    行政改革担当規制改革担当大臣・石原伸晃・・・以下省略

 小泉、竹中、石原の3氏が、「日本記者クラブ」を野放しにした張本人だったのですが、ここまで来るともう結論が出ます。

  ・反日マスコミ勢力との戦いに政府が敗北し、内閣府が「日本記者クラブ」をしぶしぶ分離した。

  ・「日本記者クラブ」の背後には、戦後日本の支配者であるアメリカの支援があった。

 だから彼らは総裁選挙で、首相候補の各氏を横柄に扱い、政治家への敬意と礼節を無視しても当然と思っています。

 9人の候補者の中で、「日本の戦後レジーム」からの脱却を語っている議員は誰なのか。私たちは、本物の保守政治家を見る目を取り戻さなくてなりません。

 総裁選挙の投票には参加できませんが、次からの選挙で反日議員を落選させることはできます。保守の顔をして、その場限りの主張をしている口先だけの候補者を、しっかり見極めましょう。

  ・日本をダメにする候補者を支援している亡国の議員たち、彼らの顔と名前をしっかりと覚え、次回の選挙から落選させること、・・これが日本独立への早道です。

  シリーズの8回で、やっと「ねこ庭」の結論が言えました。長いおつきあいに感謝いたします。

 「総裁選挙」   西田昌司氏の見方 のシリーズが中断したままになっていますが、再開する必要がなくなりましたので、合わせてご報告いたします。

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日本記者クラブ・「総裁選討論会」- 7

2024-09-21 07:52:53 | 徒然の記

  〈 傲慢な「日本記者クラブ」とは、どんな組織なのか。 〉

 この疑問から始まり、次々と生まれた疑問の扉を開き、

 〈 昭和60 ( 1985 ) 年の「プラザ合意」とは何だったのか 〉

 この疑問に到達し、「日本記者クラブ」に関する答えが見える気がするところまで来ました。答えの根拠を確実にするため、もう少し「プラザ合意」の中味を紹介します。

  ・先進国間には自由貿易を維持するために、協調して為替操作に介入することへの抵抗感は無かった。

  ・とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が大きな問題として扱われていたため、先進 5ヶ国間で結ばれた「プラザ合意」は、実質的には「円高ドル安」へと誘導する合意であった。

  ・プラザ合意について多くの議論がなされたが、失われた10年から失われた30年へと続く、長期経済低迷の起点ではないかとの見解がある。

  ・協調介入によって円高に導いた結果、物価と賃金はマイナスへと落ち込み、貿易では農林水産物も、鉱工業製品も、日本人労働力も、全ての日本産品は競争力を相対的に失い、それまでの経済成長リズムの瓦解へ繋がった。

  ・日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、日本のGDPがアメリカを追い抜き世界一となることへの米国の危惧と、

  ・以前からの日米貿易摩擦、米軍の統括した新技術であるインターネットとその分野における日本との競争への畏れがあった。

  ・「プラザ合意」後米国政府の思惑通り、日本の産業の象徴であった民生用電子機器をはじめ、日本の多くの産業は昭和60 ( 1985 ) 年を境に急激に落ち込み、衰退の道を歩んでいくこととなった

 G5の加盟国にとって日本経済が弱体化することは、そのまま彼らの市場拡大と利益につながるので、アメリカに追随したことになります。

 ウィキペディアの説明は長文なので割愛していますが、G5の加盟国が一つになって日本を攻撃した様子が伺えます。

 「プラザ合意」を飲まされた中曽根首相が、その後どのような「構造改革 ( 日本経済弱体化計画 ) 」を実行したのか、後に続く内閣の動きを合わせざっと辿ってみます。

  ・昭和62年4月、中曽根首相は国鉄を分割民営化し、JR6社を発足させた。
 
  ・同年6月、総合保養地域振興法(リゾート法)を制定し、民間活力の導入によるリゾート産業の振興と余暇活動の促進を図った。
 
  ・同年10月、自民党総裁任期の満了となる中曽根氏は、次期総裁に竹下登氏を指名(中曽根裁定)
 
  ・翌11月、中曽根内閣は総辞職し竹下内閣が成立するが、米国からの「日本潰し要求」は続いた。
 
   ・昭和63年の竹下内閣の時、アメリカ議会は更に強力な手法で、日本を一方的に不公正貿易国と認定し、スーパー 301条を成立させた。
 
  ・翌年、アメリカは日米の貿易不均衡を是正するため、貯蓄・投資バランス,流通,企業形態など、日本の構造問題を解消することが重要と主張し、「日米構造協議」が開始された。
 
  ・平成8年の橋本政権が打ち出した「行財政改革」は、まさにアメリカが求めていた「構造改革」だった。
 
  ・日本の省庁を、1府22省庁から1府12省庁に再編し、独立行政法人の設置を進め、「聖域」だった郵政事業にも手をつけた。
 
 橋本首相を評価する意見もありますが、ヴォーゲル氏が賞賛していた官僚組織を崩壊させ、弱体化したのですから日本にとっては大失政でした。一連の動きはすべてアメリカから要求されたもので、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』での指摘通りに日本潰しが実行されたと、「ねこ庭」は考えています。
 
 「郵貯改革」を断行した小泉首相が、その総仕上げでした。
 
 ポピュリスト政治家の典型だった小泉首相は、靖国参拝に反対する中国政府の批判を意に介さず、国民の喝采を得る一方で、竹中平蔵氏を重用し、国民を守ってきた企業の「終身雇用制度」を破壊しました。

 小泉首相の子息が、今回「総裁選挙」に立候補している小泉進次郎氏です。また小泉首相は安倍氏を重用し、首相への道を開いた人物で、長老となった菅氏はその安倍氏を支えた幹事長でした。

 進次郎氏も菅氏も今回の「総裁選挙」にあたり、故安倍氏が主張していた「戦後レジームからの脱却 ( アメリカからの独立  ) 」と「憲法改正」に、どう向き合おうとしているのでしょうか。

 今回を最後に「日本記者クラブ」に関する結論を紹介する予定でしたが、やはり甘い見通しでした。スペースが無くなりましたので、次回が最終回となります。

 何となく「ねこ庭」の結論を推測されている賢明な方は、スルーしてください。

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日本記者クラブ・「総裁選討論会」- 6

2024-09-20 22:35:39 | 徒然の記

  〈 昭和60 ( 1985 ) 年9月22日の「プラザ合意」〉

 「プラザ合意」の後、日本は次々と米国から無理難題を言われるようになり、その代表的なものが「日米半導体協定」、「日米構造会議」、「日米年次改革要望書」でした。

 第二次世界大戦後世界の覇権国となったアメリカは、同時に世界第一の軍事大国、経済大国でした。二度とアメリカに立ち向かえないようにと、焦土と化した日本に、軍備放棄の「日本国憲法」まで与えたのに、日本は甦りました。

 奇跡の経済復興を遂げ世界第2位の経済大国となり、アメリカの地位を脅かす存在になりました。アメリカの財政赤字の原因は、アメリカ市場で大儲けしている日本でした。

 アメリカが意図する「プラザ合意」の目的は、単純明快でした。

  ・日本の経済力を削ぎ落とすこと。

  ・二度とアメリカに立ち向かえないようにする、「日本弱体化計画」を実行すること。

 だから前回、下記ウイキペディアの説明を、生やさしくて役に立たないと批判しました。

 ・昭和60 ( 1985 ) 年9月22日の「プラザ合意」は、中曽根康弘首相・竹下蔵相・澄田智日銀総裁らによって決断されたが、この決断は、日本がアメリカの要求を全面的に容認した対米妥協策との解釈が一般的である。

 5年前の9月に「ねこ庭」はこの問題を検討し、米国が「日本弱体化計画」に活用したのが、エズラ・ヴォーゲル氏の著書  『ジャパン・アズ・ナンバーワン』だったと結論を得ました。

  しかしウィキペディアの解説は、フレッド・バーグステン氏の名前を挙げています。経済学者、政策アドバイザー、作家の肩書きを持つ氏は、

  ・昭和46 ( 1971 ) 年のニクソン・ショックと、昭和60 ( 1985 ) 年のプラザ合意のシナリオライターの一人とされ、

  ・平成 2 ( 1990 ) 年前後まで、バブル景気の日本に対し、ジャパン・バッシングの急先鋒だった・・・そうです。

 「ねこ庭」が理解するのは、「プラザ合意」の背景にフレッド・バーグステン氏、エズラ・ヴォーゲル氏という二人の学者が存在していた事実です。

 〈 昭和60 ( 1985 ) 年9月22日の「プラザ合意」とは何だったのか 〉

 これにはやはり、ウィキペディアの説明の方がよく分かります

   ・昭和60 ( 1985 ) 年9月22日、先進5か国(G5)の財務大臣・中央銀行総裁会議で発表された、主に日本の対米貿易黒字の削減の「合意文」の通称である。

  ・その名は、会議の会場となったニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。

  ・会議に出席したのは、

    ・アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー

    ・イギリス蔵相のナイジェル・ローソン

    ・西ドイツ財務省のゲルハルト・シュトルテンベルク

    ・フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォ

    ・日本の蔵相竹下登

  ・世界経済に大きな影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。

 有名な会議なので疑問もなく名前を覚えていましたが、ウィキペディアの説明を読むと、会議の異常さが明らかになりました。
 
  ・日本と米国の経済問題なのに、アメリカはわざわざG5の蔵相会議を招集した。
 
  ・歴史的な大会議だと言うのに、わずか20分で終わる形式的なものだった。
 
  ・米欧対日本、4対1の不公平な会議は米国主導で行われ、他の4ヶ国は既にアメリカと協議・合意していた。
 
 多数の力を背景に諸外国が日本を叩く・・何となく「東京裁判」の図式を思い出すのは、私だけでしょうか。ドイツが参加していることを除けば、アメリカが主導し日本を叩く構図が、よく似ています。
 
 「プラザ合意は、日本にとって第二の敗戦だった。」
 
 巷で囁かれているこの言葉の正しさを、今になって実感しました。大東亜戦争の敗北と「プラザ合意」の敗北の二つによって、日本はますますアメリカの属国になったことになります。
 
  〈 傲慢な「日本記者クラブ」とは、どんな組織なのか。 〉

 この疑問を解くために、6回のシリーズになりました。さすがにここまで来ますと、「ねこ庭」には結論らしきものが見えてきたような気がします。

 息子たちのため、次回は屈辱的な「プラザ合意」の中身を紹介し、できれば結論まで進みたいと思います。予定通り終わらせたいと願いながら、皆様のお越しをお待ちします。

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日本記者クラブ・「総裁選討論会」- 5

2024-09-20 11:27:13 | 徒然の記

 〈 「日本記者クラブ」とは、どんな組織なのか。 〉

 あと1週間もすれば、自由民主党の総裁、つまり日本の首相が「総裁選挙」で決まります。テレビと新聞が9人の候補者各氏の動きと発言を、毎日報道しています。

 この緊迫した時に、たかが「日本記者クラブ」の話に関わっていて良いのかとそんな気がしないでもありません。

 しかし加熱していく報道を見ていますと、言わずにおれなくなります。

 「君たちは、傍若無人に批判しているが、相手は一体誰なのか。」

 9人の多数のため、ついぞんざいな扱いになるとしても、この中の一人は間違いなく次の日本の首相です。同時進行中のアメリカの大統領選挙も、トランプ氏とハリス氏が互いに相手を罵り合い、礼節のかけらもありません。

 報道するマスコミも両氏への敬意を忘れ、貶し合いに参加しています。参加していると言うより、マスコミが率先して両氏への誹謗・中傷合戦を煽っています。

 敗戦以来、日本がアメリカの属国となっているからといって、「選挙」の醜さまで見習ってどうするのでしょう。

 大手メディアだけでなく、ネット界の報道も、総裁選挙の候補者諸氏を酷評しています。日本のトップを選ぶ選挙と言う真面目さと敬意はどこにもなく、左も右も礼儀知らずの報道です。

 毎日このようなニュースを見聞きする国民が、影響されないはずがありません。日本の政治の劣化と、国民の意識の低下が日々進行しています。息子や孫たちのためちゃんとした日本を残すのが、親や祖父母の役目の一つですから、この風潮を是認してはダメだと考えます。

 「ねこ庭」が熱くなる「総裁選挙の報道」から一歩離れ、「日本記者クラブ」についての研究を続けている理由です。礼儀知らずと横柄さの発信源が「日本記者クラブ」と分かれば、この化け物を作った原因を明らかにするのは無意味なことではありません。

 どうして日本は、こんな屈辱的な「日米年次改革要望書」を交換するようになったのだろう。

 疑問の扉を開いていく作業は、息子や孫たちのためいつか役に立つはずです。

 アメリカは日本の同盟国で、様々な面で日本を支援してくれる大事な国ですが、同時に大東亜戦争の戦勝国となって以後、日本を属国にしている国だと言うことも忘れてはいけません。

 敗戦後から79年が経過しているのに、今も日本がアメリカの支配から脱却できずにいるのは、アメリカのせいでなく、日本の政治家と国民に責任があります。独立国の矜持を失い、国の安全保障の大切さを忘れ、目の前の安逸さを追っているからこんなことになります。

 今回の「総裁選挙」で、日本の失った独立について誰が語っているのでしょう。

 「ねこ庭」から眺めますと、石破氏と河野氏は保守の顔をした自由民主党内のリベラル議員です。国民に不人気なのに、二人がなぜ常に総裁選の上位にいるのか。

 全ては「日本戦後史の大河の流れ」の中の出来事で、「日本記者クラブ」も流れに混じった細い水で、悪臭を発する汚水です。

 与野党の政治家は、第四の勢力となったマスコミを恐れ、その背後にいるアメリカを恐れ、知っていても語りません。マスコミを警戒し政治家が口をつぐんでいるのなら、政治家が喋りやすくするのは国民の役目です。

 マスコミもアメリカも恐れない「ねこ庭」なら、代わって話せます。

 ・屈辱的な「日米年次改革要望書」を交換するようになった発端は、昭和60年の「プラザ合意」からです。

 ネットには遠回しの説明がありますが、こんな生やさしい文章では事実の正しい理解に役立ちません。

 ・昭和60 ( 1985 ) 年9月22日の「プラザ合意」は、中曽根康弘首相・竹下蔵相・澄田智日銀総裁らによって決断されたが、この決断は、日本がアメリカの要求を全面的に容認した対米妥協策との解釈が一般的である。

 次回は「プラザ合意」の扉を開け、中をのぞいて見ることにします。

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日本記者クラブ・「総裁選討論会」- 4

2024-09-19 22:12:58 | 徒然の記

  〈 「日本記者クラブ」とは、どんな組織なのか。 〉

  ・平成12 ( 2000 ) 年から平成20 ( 2008 ) 年・・「公益法人制度改革」

  ・平成23 ( 2011 ) 年4月・・内閣府が「日本記者クラブ」を分離

  ・平成14年3月、「公益法人制度の取り組み」を閣議決定

  ・平成15年6月、「公益法人制度の基本方針」を閣議決定

  ・平成16年12月、「公益法人制度改革の基本的枠組み」を具体化

 前回までに紹介した項目を下記のように時系列に並べ変え、その時の内閣を書き加えてみた時、「ねこ庭」は新しい発見をしました。

  ・平成12 ( 2000 ) 年、「公益法人制度改革」開始年度・・森内閣

  ・平成14年3月、「公益法人制度の取り組み」を閣議決定・・小泉内閣

  ・平成15年6月、「公益法人制度の基本方針」を閣議決定・・小泉内閣

  ・平成16年12月、「公益法人制度改革の基本的枠組み」を具体化・・小泉内閣

  ・平成20 ( 2008 ) 年「公益法人制度改革」最終年度・・麻生内閣

  ・平成23  年4月、内閣府が「日本記者クラブ」を分離・・民主党・野田内閣

 「公益法人制度改革」を実行したのは小泉内閣だけでなく、森内閣から麻生内閣、民主党の野田内閣まで関係していました。

 つまり森内閣以降、歴代内閣が「公益法人制度改革」に関わっていた事実が明らかになりました。

  官庁が反対し抵抗する改革を、歴代内閣が進めた理由は、何なのだろうか。

 歴代政府を拘束する力のあるものと言えば強力な外国勢力しか考えられず、平成12年に発足した森内閣に関与していた外国勢力は、米国以外にありません。

 私は後期高齢者ですが学徒の記憶力は健在のようで、「ねこ庭」の過去記事を思い出しました。

 探した過去記事の、該当部分を転記します。

  ・「日米年次改革要望書」は、日本政府とアメリカ政府が両国の経済発展のため、改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書である

  ・2001(平成13 ) 年森内閣の時から毎年日米両政府間で、「成長のための日米経済パートナーシップ」の一環として「年次改革要望書」が交換された

 どうして森首相は「年次改革要望書」の交換に応じたのか。過去記事が説明しています。

  ・由来をたどれば、1993(平成5 ) 年7月の宮沢喜一首相とビル・クリントン大統領との会談で決まったもの

  ・その時の文書名は、「日米の新たなパートナーシップのための枠組みに関する共同声明」だった

  ・最初の要望書は、1994 ( 平成6 ) 年であった

  ・当初は「提案書」であったアメリカからの要望書が、2001 ( 平成13 )年からより強い「勧告書」になる。

  ・米国側からの要望が施策として実現した例としては、

    建築基準法の改正、 法科大学院の設置の実現、 著作権の保護期間の延長、

    著作権の強化、 裁判員制度をはじめとする司法制度改革、

    独占禁止法の強化と運用の厳密化、 労働者派遣法改正(労働者派遣事業の規制緩和)、

    郵政民営化、といったものが挙げられる。

 以上、「ねこ庭」の過去記事の一部を紹介しました。何と言うことはありません。日本を崩壊させる様々な改革は、「日米年次改革要望書」から来ていました。

 こうなりますと、次の疑問は、

 どうして日本は、こんな屈辱的な「日米年次改革要望書」を交換するようになったのだろう。

 私の年代の者なら、誰でも記憶していると思いますが、始まりは有名な「プラザ合意」です。当時世界第2位の経済大国だった日本を、世界第一位のアメリカが徹底的に攻撃しました。

 「日米年次改革要望書」だけでなく、日本経済を弱体化させるための「日米半導体協定」と「日米構造会議」が同時に進行していました。 

 これもまた、いわば「日本戦後史の大河の流れ」の中の出来事です。次回のテーマは、当然このようになります。

 どうして日本は、こんな屈辱的な「日米年次改革要望書」を交換するようになったのだろう。

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日本記者クラブ・「総裁選討論会」- 3

2024-09-19 18:17:52 | 徒然の記

  〈 「日本記者クラブ」とは、どんな組織なのか。 〉

 傲慢な「日本記者クラブ」の謎を解く鍵が、見つかりました。

 やはり平成12 ( 2000 ) 年から平成20 ( 2008 ) 年にかけて行われた、「公益法人制度改革」が出発点でした。

 ウイキペディアでは改革の目的を次のように書いていますが、これでは明確な説明になっていません。

  (1)民間による非営利目的法人の活動の発展を促進すること、

  (2)従来の民法法人制度の問題点(主務官庁の裁量の不透明性など)を解決すること

 ネットを探すと、「Web  医療科学」が「ねこ庭」の疑問を解く説明をしていました。

  ・いま、公益法人制度の改革三法ということで3つの法律ができました。

  ・これには、小泉政権下の平成14年以後、官から民へ、行政から民間へという流れのなかで、民間の非営利部門の活動をいかに活発化させるかということが、まず動きとしてありました。

  ・その趣旨として、公益法人の設立はこれまで主務官庁の許可制であったわけですが、これを自由裁量による制度に改めて、登記のみで法人を設立できるようにするというものです。そのうえで、公益性というものを判断するわけです。

  ・つまり、法人の設立と公益性の認定を分離するということ、これがこの法律の最も大きな趣旨です。

 制度改革以前は、すべての公益法人の許可権を主務官庁が握り、監督下に置いていましたから、「公益法人制度改革」は官庁の反対を押し切って進められた大改革だったことが分かりました。

 日本の崩壊を招いた「郵政改革」と、今日の若者の貧困化へ道を開いた「雇用制度改革」を実行したのは、小泉・竹中氏でしたが、小泉氏はそれだけでなく「公益法人制度改革」もしていたのです。

 「公益法人制度改革」は、平成12 ( 2000 ) 年から平成20 ( 2008 ) 年にかけて行われたと、説明されていましたが、内閣府が一般社団法人だった「日本記者クラブ」を、公益社団法人として分離したのは、平成23 ( 2011 ) 年4月1日でした。

 制度改革の最終年度の平成20年を3年も遅れて、内閣府が「日本記者クラブ」を分離した事実の意味を考えました。

  ・内閣府は、決して好んで「日本記者クラブ」を分離したのではない。

 第一次小泉政権下で進められた、「公益法人制度改革」について「内閣府のホームページ」に根拠となる叙述がありました。

  ・小泉内閣は、平成14年3月に「公益法人制度の抜本的改革に向けた取り組みについて」を閣議決定した。

  ・これに基づき、平成15年6月に、「公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針」を閣議決定した。

  ・平成16年12月に、「今後の行政改革の方針」(閣議決定)の中で、「公益法人制度改革の基本的枠組み」を具体化した。

 小泉首相の強力なリーダーシップのもとで改革が進められた事実と、最後には、この改革に関わった政治家の名前も一部掲載されています。

  ・第一次小泉内閣

     経済財政政策担当大臣・竹中 平蔵

    行政改革担当規制改革担当大臣・石原伸晃・・・以下省略

 小泉、竹中、石原の3氏が、「日本記者クラブ」を野放しにした張本人と分かり、これでお終いと思っていましたが、さらに別の発見をしました。

 スペースの都合で次回といたしますが、驚きの発見を知りたい方はぜひ足をお運びください。

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