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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

気の重い日

2016-03-31 23:49:50 | 徒然の記

 本の感想を遠慮なく言えば、さぞ気が晴れるだろうと、無縁な人は思うのかもしれない。

 反日の宣伝しかしない人々の本には、怒りをこらえ反論しているから、気晴らしにはならない。その代わり、共感する本に出会い、感じたことを書き綴るときは楽しい。読書の喜びというより、生きていることに感謝したくなる。

 今日は、石原氏の書評をブログにして、一日気持ちが沈んだ。
やっぱり、あんな、正直な叙述をしなければ良かったと、重いしこりが残った。晩年の石原氏に共鳴しているのに、若い頃の作品を持ち出し、欠点を晒す必要があったのだろうか。

 福島原発が水素爆発したとき、冷却水を炉にかける作業に、日本中がテレビの前で釘付けになった。自衛隊ヘリの放水も、期待していたのに、効果がなかった。現場に近づくことさえ危険な状況下で、東京都の消防隊が命がけで放水作業をした。

 出発する隊員にだったか、戻ってきた隊員にだったか、広間に整列した隊員たちを前に、頭を深く下げ、石原氏が感謝の言葉を述べた。

 「ありがとう。諸君の活躍に感謝する。」
石原氏の目には涙がにじんでいた。

 小説の中では、義理や人情を書かなかったけれど、あのときの氏は、まさに情の人だった。死を覚悟し、福島で働いた隊員たちは、都知事の涙とあの一言で、きっとすべての苦労を忘れたはずだ。テレビを見ていた私ですら、熱いものが込み上げてきた。

 だから私は、氏の作品を遠慮なく批判した自分を、悔やんでいる。
私は、敬意を払っている氏を、ことさら攻撃する悪意を持っていない。廃棄処分の本を図書館から貰い、テーブルに積み上げ、山にした本を順番に読んでいるだけの話だ。ノルウエーの本を読んだ後だったから、氏の小説に期待もしていたのに、結果として、幻滅し、飾らない気持ちを述べてしまった。

 事実は、ただそれだけの話だ。
それだけの話なのに、私の心は、深い海の底へ沈む。老いて、病床にあるかもしれない石原氏に、心ない仕打ちをしたという、申し訳なさがつきまとう。

 もしかすると私は、石原氏だけでなく、大切なブログの仲間に対しても、気づかぬうちに、礼を失しているのではなかろうか。知らずして、心を傷つけた人がいるのではなかろうか。

 静かな湖の面に小石を投げると、波紋がずっと広がるように、悲しみが続いていく。だから、今日はもう眠るとしよう。

 石原氏はもちろんのこと、ブログの仲間の皆さん。どうかご容赦いただきたく。

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殺人教室

2016-03-31 09:01:35 | 徒然の記

 石原慎太郎氏著「殺人教室」(昭和34年刊 新潮社)、を読み終えた。

 ずいぶん昔の本だ。氏が、芥川賞を受賞したのが、昭和31年だから、本はその3年後、27才頃のものだ。先日氏が、67才で書いた「国家なる幻影」には、率直な感想を述べたが、今回は気が乗らない。

 「国家なる幻影」は、政治家としての主張なので、それなりの意見を言えたが、「殺人教室」は文学作品であり、感性の話だ。芸術を理解するかという、リトマス紙みたいな面があるので、躊躇する。もし自分が30、40代だったら、世間的配慮から、きっと遠慮深い意見を述べたに違いない。

 芥川賞を、大学在学中に受賞しただけでも、注目の人だったのに、福田内閣で環境庁長官、竹下内閣で運輸大臣と、衆議員議員を9期勤め、さらに都知事を4期務めた。氏が実施した数々の政策は、今も語り継がれるほどのもので、解説するだけでブログが終わる。

 平成元年に、盛田明夫氏と共著で出版した、「NOと言える日本」は、保守政治家としての氏を確立した。

 けれども、私はやはり、自らの心に忠実に生きたいから、この作品について、正直な感想を述べることとする。

 この本は、五つの短編で構成され、「殺人教室」はその中の一編だ。詳しい話は後でするとして、政治家でなく、文学者としての、氏の作品に関する私の評価は、ゼロだ。「ファンキー・ジャンプ」「ともだち」「殺人教室」「殺人キッド」「男たち」の五編は、私の趣味に合わない低俗さだ。簡単に言えば、その一言で終わる。

 27才の氏は、本の後書きでこう述べている。
「僕は、この作品集には自信がある。」「成功、不成功は不問にして、ここに集めた作品は、ひとつひとつ、」「僕自身の、作家としての、developmentの指標になるはずだ。」「ある批評家は、僕に関して " もう限界だ " などとぬかした。」「たいていの悪口は我慢できるが、ああした皮相なものの言い方は、我慢がならない。」

 氏の自信作について、それぞれ簡単な粗筋を紹介しよう。

 「ファンキー・ジャンプ」は、ジャズバンドのメンバーである、天才的ピアニスト・タツノの話だ。麻薬に溺れ、酒で胃をダメにし、ぼろぼろになった彼が、満員の聴衆を前に渾身の演奏をする。

 体の衰弱からくる妄想と、ピアニストとしての熱狂と、絶え間ない囘想と、自問自答の中で、物語が進行する。読者である私は、何が何やらチンプンカンプンだ。話の最後は、観客の興奮と熱狂のなかで、タツノも狂人となって行く。そんな話だ。

 「ともだち」は、二人だった。一人は学生時代の友だった武井だ。同居生活の二人は、話し合い、相談しあう仲だった。しかし久しぶりに遭遇した武井は、投げ槍になり、世間を斜めに見、酒に溺れていた。

 もう一人の友は、盛りを過ぎたボクサーだ。武井と別れた後、入った寿司屋でデレビを見ていたら、友であるボクサーが闘っていた。見るに堪えない試合で、若い相手に負けたと見えたのに、判定勝ちになった。二人の友は、どちらも、辛い悲しい生活を背負っていた。
「僕は疲れていた。その夜が虚しかった。」「仕方がない、いや、それでもいい、と思った。」「そして、みんなともだちだ ! 」これが締めくくりの言葉だ。

 「殺人教室」は、若い頃の氏を連想させる、四人の学生の話だ。身体強健、学術優秀、経済的に恵まれた彼らは、非の打ち所のない若者たちだ。しかし彼らは、こうした境遇の者に有り勝ちな、心の病に罹っている。持て余す退屈さだ。平凡に過ぎ行く日々が、我慢ならず、生きている印のない日々が、嫌悪すべきものとなる。

 共通の趣味が射撃で、腕前は揃って超一流だ。彼らは一念発起し、素晴らしい銃を完成させる。遥か彼方まで飛ばせる銃身と、遠方まで照準を合わせられるスコープと、音もなく発射する銃砲だ。彼らはこの銃を使い、ゲーム感覚で殺人を開始する。

 今で言う無差別殺人だ。飽き足らなくなった彼らは、どうせやるのなら、罪のない人間を対象にせず、社会に害を為す者たちを殺そうと、計画する。そうなると、ターゲットは政治家になる。やがて彼らは、新聞のヒーローとなり、社会を動かすという快感を知る。しかし、ある時、そんな彼らが、誤って仲間の一人である東郷を撃ち殺してしまう・・と、ここで話が終わりだ。終わりの文句が、実にくだらない。

 「東郷には可哀想だが、いいきりだった。」
「何をしよう、これから。」「もうじき試験だよ。大丈夫なのかい。」
「そうだな、少し頑張らないと苦しいな。」「不幸だね、みんなさ。」
そんなため息をつき三人は顔を見合わせた。
「またきっと、退屈だろうなあ。」
「試験が終わったら・・・・・」「何をしよう。」
「なにをしようか・・・・」

 知的な飾りのように、哲学や政治が語られるが、それこそ、皮相な若者のたわ言でしかない。その次の殺人キッドに至っては、アメリカの西部劇としか思えないのに、日本の話だというから驚いてしまう。

 「殺人キッド」は、東京の西部の山奥に住む、一人暮らしの青年の話だ。
なんでも中の人間が悪病で死に、彼だけが生き残り、父親が残した牧場で、、銃を友として暮らしているという荒唐無稽な設定だ。拳銃の腕前はこれもまた、超人のような凄技で、一度に2羽の飛ぶ鳥を撃ち落とすというものだ。ある日、どこからか飛んできた飛行機が、一枚のビラを落とす。

 「安くて心温まるサービス。」「麗人が皆様をお待ちしております。」「銀座六丁目 キャバレー・キャピタル。」ビラの言葉と、写真の美しい女に惹かされ、彼は拳銃を持って山を降りる。

 彼は大都会東京で、キャバレーの客引きに騙され、美しい女に騙され、殺人をそそのかされ、ついには裁判所で裁かれる。さて、そこで彼が被告席から訴える言葉だ。どこの国の話かと、バカバカしくて読む気にもなれなかった。

 「私たちの田舎では、誰もがピストルを持っていました。」「ピストルを撃つことは、常に自分を守るだけのために使われたのであって、それ以外のことでは決してない。」

 「なぜ皆さんは、自分のピストルを、錆びつかせたまま隠そうとするのですか。」「みんなが、それぞれのピストルを捨てて素手になった時、」「一見の平和、一見の秩序は、うかがわれるでしょう」「しかしそれが、果たして、真実我々の望んだものでありましょうか。」

 銃規制をしようとするアメリカで、頑固に反対する、ライフル協会の代表みたいな演説だ。演説の甲斐なく、彼は刑務所に入れられるが、刑期を終えた彼を待っていた組織がある。銃を持ちたい人間だけの、社会を作ろうという団体である。彼らは原子爆弾を開発し、世界中の反対者を殲滅させ、地下深くに同士だけの地下壕を作っている。

 これ以上話の筋を紹介するのが面倒になったので、大きく省略する。
結末は、組織に疑いを持った彼が、時限装置のついた原爆を、地下壕で爆発させ、愛する彼女を連れて再び田舎へ戻るというものだ。拳銃の弾はどうして補充できるのか、あるいはこれまで、どうして補充出来ていたのか。都会育ちのキャバレーの女が、ほんとに彼と、何もない田舎で暮らしていけるのか。原爆はなぜ、東京をそのままにしたのか。
リアリズムのかけらもない、白日夢でしかない。

 こんな小説を、読まなければ良かった。これが読後の感想だ。したがって、最後の作品は省略だ。

 「三つ子の魂百までも」という言葉を、私は信憑性の高いものと、常々思つているから、一層悔やんでしまう。いくら氏が若かったとはいえ、こんな酷い小説を本気で書いていたとすれば、やっかいな話になる。

 果たして氏は、本当に保守政治家だったのだろうか。日本の歴史や、文化や先祖たちを、真面目に考えていたのだろうか。

 銃やヨットや、ジャズやウイスキー、ボクシングにサッカーなど、小説の舞台には、日本にあまりない背景と、小道具が飾られ、乾いた人間の会話が続けられる。時代遅れだと義理・人情が切り捨てられ、侘びもさびも語られず、日本酒の香りすらない。

 氏が嫌悪するのは、個人を縛る制度や習慣であり、憎むのは、平凡な日々に流される個人だ。若かった頃の、氏の気持ちが、分からない訳でもない。

 「繰り返される退屈な毎日、こんな虚しい日々で、人生をすり減らすくらいなら、」「残虐なロシアの官憲に、殴り殺される方がよっぽどましだ。」学生だった時、本気で、そう思い詰めた自分を思い出すからだ。

 しかし、それは一時期のことだ。何時からか私は、日本の歴史を考えるようになり、日本が好きになり、ご先祖様が大切なものになった。石原氏が、どの時点から保守を任ずるようになったのか、詳細は知らない。

 詰まらない昔の作品を読み、現在の氏を思うとき、氏もまた心の世界の嵐を、いくつも超えた人なのかと、感慨深いものがある。

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ノルウエーを知るための60章 -3

2016-03-25 19:47:09 | 徒然の記

 「議会主義への道」と題する章では、次のように書かれている。
「19世紀半ばまでのノルウエーは、官僚の主導によって、経済の近代化、伝統的特権や規制の廃止が進められる一方で、地方や市民社会の自立は遅れていた。」「歴史家 J・A・サイプは、この時代を官僚国家と呼んでいる。」
当時の人口がどのくらいだったのか知らないが、政府、議会、司法、国教会のすべての領域を支配していた官僚の人数は、なんとたったの2,000人だという。ノルウエーがどれだけコンパクトな国だったのかが、これからも推し量れる。

 「徐々に、特権や規制に縛られなくなった市民が、自発的な組織を作り始めた。」「都市の商人と職人が組合を結成したほか、1850年頃には正式な選挙を前にし、" 試験選挙 " を自発的に実施するなど、政治的関心を高めていた。 」
「法律教育を経て官僚になるという以外にも、医師、技師、建築家、農業技術者などとして活躍する専門家が増え、官僚エリート以外の議員の割合も上昇した。」

 ペリーが日本へ来たのが1854年だから、幕末の頃のノルウエーの話だ。「ノルウエーの議会主義発展の中で、左翼党と右翼党の背景になったのは、議会と、国王・政府との権力闘争だった。」「同時に都市に対する農村」「東部に対する西部・南部」「中央集権に対する地方自治」「国教会の権威に対する非国教会派など、様々な対抗要素がこれに反映していた。」

 ノルウエーにおける右派と左派は、簡単に言えば、国王・政府の権力側が右で、異議を唱える市民勢力を左と呼んでいるに過ぎない。複雑な要素が絡むとされているが、自分の国を憎み、歴史を否定するような主義・主張はどこにもない。勤王か佐幕かで国論が分かれ、親兄弟が血の争いをした幕末の日本でだって、国そのものを否定するような主張はなかった。

 ノルウエーを見ても、幕末を考えても、今のわが国のように祖国を否定し、憎悪するいかがわしい左派はいなかった。敗戦後の政治家たちは、日本人としての矜持を失い、魂を忘れ、いったい国民をどんな未来へ導こうとしているのだろうか。北欧の小国とは言え、敢然とけじめをつけた1948年代のノルウエーの政治家たちの、爪の垢でも煎じて飲むべきでないのかと、無念の思いがする。

 当時のノルウエー議会では、レジスタンスの活躍の功で、共産党が11議席を占めていた。
スターリンがフィンランドに対し、衛星国とした東欧諸国と同じ条約の締結を迫ったのは、ソ連が軍事介入したチェコ事件の後だった。ソ連が北欧への進出を狙っているとイギリスのタイムズが報道し、ノルウエー議会が大騒ぎとなった。共産党議員が即座に外交委員会からはずされ、翌年の選挙で共産党はすべての議席を失った。

 ソ連との緊張が一気に高まったが、直ぐさまスエーデンが一つの提案を示した。「スカンジナビア中立防衛同盟構想」である。スエーデンを中心に、北欧3国が平時での中立同盟を形成するというもので、迫り来る東西対立の荒波から、北欧の中立を守るための意思表明だった。デンマークがすぐに呼応し、ノルウエーの援護に動いた。

 スカンジナビア中立防衛同盟構想は実を結ばなかったが、私の心を捉えたのは、ノルウエー議会の議員たちの決断だった。民族の悲願として510年間掲げてきた国家独立のため、国民が団結してドイツと戦い、命を共にした共産党の議員だったのに、彼らは議場から追放された。本には書かれていないが、そこには様々な人間のドラマがあったはずだ。

 国益のため、盟友とも言える共産党の議員と決別した、他の議員たちの覚悟を知るほどに、わが国の自民党議員の不甲斐なさを知った。戦後70年たっても亡国の反日議員と決別できず、利敵言動を放任し、どこに保守政治家の矜持があると言えるのか。世界第二の経済大国ともてはやされた時、保守政治家たちは溢れる金に目が眩らみ、立党の精神を忘れ果てた。国益を忘れ、金権にまみれて腐敗し、そんな自民党を嫌悪した国民の多数が民主党へ投票してしまった。

 反日・売国の亡国政党とも知らず、うっかり政権を渡した結果が今日の有様だ。
沖縄の領海に侵入されても抗議せず、不法な漁船に体当たりされても反撃せず、竹島を占拠されても放任し、逆に慰安婦だの南京事件だのと、国際社会で悪意の宣伝をされるまま。隣国の情報戦に最初から尻尾を巻き、刺激してはならない、我慢するのが大人の対応だなどと、中•韓ばかりかアメリカからさえ無視されたままだ。

 事件のほとんどが民主党政権下で火を吹いたが、火種を残して来た責任は、それまでの自民党政権にある。
ノルウエーの本を読むほどに、日本の政治家たちの胆力の無さが見えてくる。あるいは、井の中の蛙だった自分たち国民の姿を再発見する。

 「1960年から70年にかけて、ヨーロッパ各国は経済成長へと向かった。」「特にノルウエーの場合、本格化する北海油田の採掘が、国民経済を全く異なったものにした。」「70年以来上昇を続けているGDPが、2000年にはほぼ3倍になった。」「石油収入を運用する年金基金は、国家財政の2倍になっている。」

 北欧の中で一番豊かなノルウエーは、こうして生まれた。豊富な蓄えに油断することなく、やがて枯渇する石油の代わりを求め、ロシアとの友好関係構築に余念がない。NATOの一員であるが、EUには加盟していないノルウエーと、EUには加盟しているがNATOに加わっていないデンマークとスエーデンなど、本を読むほどに北欧の複雑さに頭が混乱する。

 だから北欧諸国の政治家はしたたかで、逞しいと、私はそんなことは言わない。
それぞれの国が、置かれた状況で政治を行い、政治家が考え、行動する。どれほど複雑に見えようと、積み上げられた歴史の中での行為に過ぎない。敗戦が全てをひっくり返し、軍国主義の名の下に、塵芥のように切り捨てられた戦前の指導者たちだが、歴史の中での彼らの検証を、保守政治家たちは何故本気でやらないのか。

 敵対する隣国にこのままなぶられるのでなく、国内にいる「お花畑」の亡言に怯むのでなく、歴史の中の日本を見つめ直すこと。2000年に及ぶ日本の歴史で、戦後はたかだか70年だ。しかもGHQによる占領は、たったの7年ではないか。その間に実施された日本弱体化政策を、どうしてそのまま受け入れてしまうのか。

 反日の野党より、亡国のマスコミより、責任が重いのは、自民党の政治家でないのか。
盟友とも言える共産党議員と決別した、ノルウエーの議員諸氏を知った今となっては、保守政治家たちの不甲斐なさを責めずにおれない。今のわが国では、愛国という言葉さえ忌避され、国旗すら掲揚されず、国歌も嫌悪される。

 北欧の国々の国歌につけられた名称を、本から抜粋してみた。
スエーデン「古き自由な北の国」、デンマーク「麗しき国」、フィンランド「われらの地」、そして最後にノルウエーの国歌「われらこの国を愛す」だった。510年かけて独立を勝ち取った国ならではの名前だった。

 ノルウエーの国歌の名前を読んだとき、私は不覚にも涙がこぼれた。


 こんな当たり前の言葉さえ、日本では口にできない風潮がある。・・・・・・だからもうノルウエーのブログは、これで終わりとする。文豪イプセンや、作曲家グーリグのこと、あるいは出光石油のことなど、述べたいことはまだあるが、ここで終わろう。

 保守自民党の議員諸氏が不甲斐ないのか、はたまた己自身に信念が無いのか、本を枕にしばらく考えてみたくなった。




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ノルウエーを知るための60章 - 2

2016-03-24 22:43:15 | 徒然の記
 本によると、ノルウエーの国土面積は、日本とほぼ同じだという。
ここに500万人の国民が住む。なんとこの広さに、神奈川県(360万人)と北海道(190万人)を合わせた人数しか居住していない。つまりノルウエーの人口は、国全体でも東京都(900万人)の人口より少ないということだ。

 そうなると、北欧の他の国がどうなのか知りたくなる。
理工系の人間でないから、私は大雑把な理解で事足りる。そんな人間のため、親切な本にはちゃんと数字が載せてある。スエーデンは日本の国土面積のおよそ1.2倍のところに、959万人、デンマークはほぼ九州と同じ面積の国土に、561万人、フィンランドは日本よりやや小さい国土に、543万人の人口だ。

 日本は小国だと教わってきたが、人口から見ると大国ではないか。
問題だらけの国みたいに、反日マスコミが日々悪意に満ちた報道をしているが、この狭い国土にこれだけの人数を住まわせ、衣食住を賄っているのだから、大したものだ。

 ハノイ市の人口が700万人だから、ベトナムは一つの市だけでノルウエーの国民総数を上回っている。まだ貧しいベトナムを思えば、人口が多いから大国だと、そんな風には考えないが、ノルウエーとの生活レベルを比較しても日本は遜色がない。

 ノルウエーの貨幣単位はクローネで、1クローネが約15円だから、円安の現在は物価がとても高い。街のレストランでコーヒーとサンドイッチを注文すると、2,500円くらい取られる。アルコール類は特に高く、ビヤホールで地ビールを500mlのグラスで頼んだら、およそ1,200円だった。

 石造りの建物が多かったイタリアやスペイン、イギリスに比較すると、ノルウエーはほとんどの民家が木造だった。土台は石造りでも、家々は木造りで、彩の美しい街並みは、豊かさというより、貧しさ、言葉が適切でないのなら、質素な暮らしぶりだった。大昔はバイキングの略奪で近隣諸國を悩ました国だが、イギリスやスペインのようにアジアやアフリカに植民地まで作り、悪辣な収奪をしていないから、その分だけ富の集積がないのかもしれない。

 本の解説によると、これだけ対立した過去を持ちながら、北欧の三国は助け合い協調しあいつつ、今も国際社会で頑張っているとのこと。わが国では毎日のように、「憎むべき日帝の35年間の支配」などと隣国が騒ぎ、腐れマスコミが一緒になって合唱している。沢山の資金を投じながら、結局は憎しみしか残せなかった日本も反省すべきだが、ノルウエーの510年間に比べればいったい何なんだろう。もちろん本には書いていないが、中国や韓国問題について、ねじれの大元に宗教があるのではないかと、私は密かに思考した。

 北欧4国の宗教を本から抜粋すると、ノルウエーは「福音ルーテル派教会」が国民の多数を占めると、書いてある。スエーデンは「スエーデン・ルーテル福音教会」が国教で、国民の80%、デンマークは、「デンマーク・ルーテル福音教会」が国教で、国民の80%、フィンランドは、「フィンランド・ルーテル福音教会」が78%と説明されている。国は違っても、同じ「ルーテル福音教会」であり、プロテスタントのキリスト教だ。

 翻って日本は「八百万の神々」の鎮座する神道があり、寛容の多神教だ。中国は、古来儒教・道教・仏教等が混在していたが、儒教によって中華思想を確立し、「世界の中心は中国で、他の国はすべて蛮族だ」という排他的思考に成り果てた。その儒教は、宗教なのか学問なのか、今もって不可解な思想でもある。この中国もついこの間、共産党が政権を取って以来、「宗教はアヘンだ」とするマルクスに従い、すべての宗教を禁じてしまった。

 事大主義の韓国は、昔から中国に寄りそうことで、国の存立を保持してきた国だ。本家の中国以上に儒教を浸透させ、満洲族の支配する清朝は最早昔の中国ではないと、勝手に決めつけ、朝鮮こそが世界の中心であるという、小中華思想に固まってしまった。中国は親だが日本は弟だと、彼らは儒教的序列を断りもなく作り、日本が何を言おうと「弟の分際で生意気だ」と、相手にしなくなった。
だから韓国の度を越した自尊心と横柄さは、昨日今日の話でなく、江戸、幕末、明治から続くもので、福沢諭吉ですら見限ったほどの頑迷さだ。

 国ごとに少し呼称が異なるとはいえ、北欧の国々の神様は同じキリスト教だ。
内部を覗けば、諍いや対立の種が転がっているのかも知れないが、同じ一神教で、イエス様を拝んでいるのだから、魂の底に流れるのは「神の愛」や「罪の意識」だ。時間をかけて話し合えば、共通の思考が生まれる余地があるに違いない。

 ましてノルウエーとスエーデン、デンマークは王様の国だ。
先祖を辿れば、兄弟だったり、従兄弟同士だったり、遠い親戚だったりしている。歴史上で利害の対立が幾つあっても、周囲の強国から自国を守るためなら、小国同士の連合を大切にする。弱肉強食の国際社会を生き抜く知恵として、王様たちはリアリストだ。

 本の何ページだったか、もう忘れたが、そんなことが書いてあった。
どう考えても、北欧諸国の状況は、日本の参考にならない。こんな中国や韓国と、首脳同士が膝詰め談判をしたって、共通の何かが生まれるわけがない。その上日本には、国内に親中・親韓の「お花畑」があり、花たちが政府を糾弾ばかりするため、まとまる話だって壊れてしまう。こともあろうにこの花たちが、マスコミ界に蔓延っているのだから始末に負えない。あっちのマスコミは政府と歩調を合わせているのに、こっちの日本ではマスコミが政府に背を向け、隣の国に手を振っている。自国を憎む売国の花が咲き乱れる日本みたいな国は、北欧のどこにもないし、世界中にもないのではなかろうか。
 
 政治や文化や歴史のページを読むたび、ノルウエーの羨ましさに、私は何度も本を閉じた。


 一方で私は、今回の旅で、日本の若者たちへの希望も覚えた。
今回利用した成田発デンマーク行きSASは、200人乗りの飛行機だった。文科系の私は数字に大雑把なので、正確さに自信はないが、この内の70人くらいが日本人だったと思う。その中の30人くらいが若者で、学生の団体だったり、友人同士の個人旅行だったりであった。

 不審な老人と警戒されのたかもしれないが、私は周りの若者に質問した。
「学生さんですか?」「クラブ活動なんですか?」・・・・・。若者たちは、面倒がらずに答えてくれた。「姉妹なんです。」「友だち同士で、卒業旅行です。」

「どこまで行くのですか。」
「フィンランドです。オーロラを見に行きます。」「ノルウエーで、オーロラを見ます。」

 何という屈託のなさか。そして何という日本国政府の変貌か。
自分が学生だった頃の53年前、政府は私の願いをすべて拒絶した。貧しかった日本は厳しい為替管理をし、一般人の観光旅行を一切認めなかった。たとえ日本円があったとしても、外貨を割り当ててくれなかった。忘れもしない、外務省の為替管理局旅券課の課長は、大学の先輩だったにも拘らず冷酷無情な対応をしてくれた。
「貴重な外貨は、政府の要人、マスコミ関係者、経済界の要人にしか割り当てられないんだ。」
「君みたいな、学生に何で外貨が割り当てられるか。」
「君は、英語もロクに話せない。外国の歴史も知らないし、知識もない。」
「そんな馬鹿な学生にうろつかれたら、日本の恥だ。」

 その先輩は、果たして存命でおられるのかどうか。あの悔しさと屈辱感は、53年経った今でも鮮明な記憶だ。

 話がすっかりそれてしまったが、水杯で別れをしたという、明治時代の洋行者などを思えば、現在の若者の置かれている状況の変化が、いかに大きいかを言いたかっただけだ。

 若者たちが機内で座席の前のテレビで、飛行ルートの画面を見ていた。
馴染み深いメルカトールの世界地図でなく、北極を真ん中にした地図だった。画面ではSASの機体が北海道を通過し、シベリア大陸へと進んでいた。自分たちが進む道を、リアルタイムで確認できるという驚き。
そんな私を知るはずもない若者たちは、当たり前のように画面を眺め、驚くこともなく世界地図を見ていた。

 何気ない光景だったけれど、私はそこに、自分とは違う新しい日本人を発見した。
彼らは世界地図の中の日本を、ごく普通のこととして見ている。英語が上手に喋れなくても、恥じ入ったり尻込みしたりせず、日常の顔で外国へ行こうとしている。息子たちもそうだったが、下手な英語をものともせず、堂々と外国人と会話している。

 自分とは違う日本人が、育っているという実感は、何故かしら日本の未来への希望を抱かせてくれた。
この若者たちは、親たちのように、戦争の記憶に縛られ、必要以上の罪悪感や自己嫌悪に陥ることなく、自分の気持ちが述べられるのでないか。得手勝手な中国や韓国に臆することなく、自分の思いを語るのではないか。

 シールズのような馬鹿な若者が千人いても、国を愛する若者が千人いるのなら、間違いなく日本が変わる。
「世界地図の中で日本を考える。」・・・・・。会社勤めをしていた頃、そんなことを言った会社の社長が経済紙で賞賛されたことがあった。しかしもう、そんな肩に力を入れた、気負いの時代は去っている。

 若者たちは意識することなく、世界地図の中の日本を眺め、外国を見ている。
それだけに私は、日本のマスコミの偏向と、反日・売国の報道が気になる。希望の若者を、シールズのようなバカ者へと変貌させる捏造記事を憎む。

 だがもしかすると、若者たちは、氾濫する反日記事の醜さを嫌悪し、かっての自分みたいに、「中国や韓国、アメリカやソ連がそんなに好きなら、あなた達はその国に行けばいい。」と、日本人としての怒りを抱くのではないか。

 「ミミズの戯言」らしく、最後は自分に都合の良い結末にしてしまったが、朝日新聞やNHKに比べれば可愛いものでないか。多少独りよがりの編集があるとしても、社会に流す影響たるや、太平洋に垂らした、一滴の砂糖水・・・・と、そんなものでないのか。






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ノルウエーを知るための60章

2016-03-23 10:38:40 | 徒然の記
 岡本健志/大島美穂氏編「ノルウエーを知るための60章」(平成26年刊 明石書房)を、読了した。
 在日ノルウエー大使館や駐日ノルウエー大使館勤務者、あるいはノルウエーの政治・宗教・文化などを研究している学者や、専門家など、37名の人物が各章を分担している。
 
 何も知らずにノルウエーへ行き、現地の人々を眺めながら、懸命に読んだ本である。
世界地図を見せられ、どこにノルウエーがあるかと聞かれたら、正確な位置すら言えなかった私だ。成田からデンマークのコペンハーゲンへ11時間かけて飛び、そこからノルウエーの首都オスロまで約二時間、さらに1時間半かけて目的地に着いたのだから、今はきちんと場所が示せる。

 スカンジナビア半島の左から順に、ノルウエー、スエーデン、フィンランドだ。この3国の下から突き出しているのが、デンマーク。国の名前だけ知っていたが、これら北欧4ヶ国がどれほど複雑な関係で互いに存在しているかについては、本で初めて教えられた。目から鱗の、ありがたい本だった。

 デンマークはアンデルセンの童話の国で、人魚姫の像があると、そこまでなら日本人は誰でも知っている。
人魚姫のイメージでしか考えていなかったから、1395年より1525年までの130年間、この優しげな国がノルウエーとスエーデンを支配していたなど考えてもいなかった。

 3国は今も王様のいる立憲君主国だが、この時代、デンマークは宿敵ハンザ同盟を破り、北海からバルト海をまたぐ北欧の強国だった。当時の国力も現在と同じく富と軍事力だが、1395年頃はデンマークの女王様が一番力を持っていたらしい。女王様は権力を貴族たちに分散させず自分にだけ集中していたから、他の王様に有無を言わせず「カルマル同盟」を結ばせた。
 
 建前は平等の同盟だが、実質はデンマークを盟主とする、デンマークによる支配だった。
こうして教えられると、同盟なんて昔からとんでもない代物だったと分かる。日米同盟などとわが国は浮かれているが、要するにアメリカを盟主とするアメリカによる支配なのだと、バカな私もノルウエーの地でやっと目が開いた。

 しかしノルウエーの不幸は、これだけでは済まない。
1905年に独立するまで、更に約380年間という長い間、スエーデンの統治下に置かれる。門外漢なので何度読んでも理解できないのだが、「同君連合」と言われるもので、スエーデンの王様がノルウエーの王様を兼務するということらしい。しかも同君連合なるものをお膳立てするのが、当事国でなく、ロシア、オーストリア、イギリスというのだから驚く。

 当時のロシア、オーストリア、イギリスといったら、北欧どころか世界の強国で、国際政治を意のままにしていた国々だ。国際政治の場で、小国がいかに大国に翻弄されるのかという好例だった。敗戦後に、紛れもなく小国と成り果てた日本が、米国、ロシア、中国などに、好き放題に弄ばれているが、お手本はノルウエーにあったという発見をした。

 デンマークによる130年と、スエーデンによる380年を合算すると、510年間になる。
ノルウエー国民は、この間もずっと独立への願望を持ち続けている。それなのに1940年から1945年までの5年間、更にドイツの支配下に置かれるという不幸に見舞われる。かろうじて国外へ脱出したホーコン7世は、ヒトラーのドイツに徹底抗戦する。祖国解放と自由の回復のため、国民は国の内外で戦い、ホーコン7世はレジスタンスの象徴となった。

 だからこそノルウエーは、ドイツが破れ第二次世界対戦が終わった時、戦勝国の一員として認められ、NATOに名を連ねている。3国は大戦の間中、懸命に中立宣言をしたが、ドイツの侵攻で国を蹂躙され、小国の悲哀を噛み締めている。

 北欧の国々の状況を知れば知るほど、自分を含めた戦後の日本人が、どれほど常識の欠落した状態でいるのかを、知らされた。いかに敗戦の衝撃と挫折が大きかったとは言え、日本さえ反省すれば世界が平和になるなど、どうして国際常識を狂わせるような思考にはまってしまったのか。

 「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
憲法前文の美しさに魅惑されたとしても、どうして他国の公正と信義まで簡単に信じてしまったのか。

 ついこの間まで、自分がその一員だったから偉そうに言えないが、ある左巻きの人物のブログを見たら、「憲法の前文は素晴らしい。この文を読んだら、誰だって感動する。」と、書いてあった。まさに彼のような人間が日本を狂わせる、「お花畑」の一人だ。選挙の一票が欲しいため、大衆に迎合する政治家だって、このまま「お花畑」をはびこらせていたら、未来は真っ暗だと危機感を覚えないのだろうか。

 ノルウエーは、祖国の独立を得るまで、根気よく510年という歳月を費やしている。国民の多くが、独立を願っていながらもそうだったのだから、際限なく「お花畑」を放置していたら、100年たっても日本の独立は手に入れられないという話になる。その一方で、敗戦後70年くらいで独立が叶うなんて、甘すぎるのでないか。100年か200年かかるという覚悟で「お花畑」を耕し、転作地にすべく汗を流すべきかと、そんなことも本気で考えた。

 これまでは机の前で読書し、観念的にブログを書いてきたが、今度は現場にいて、ノルウエー人を見ながら、彼らと対話しながらの読書だった。その臨場感は、何にも代え難かった。
スーパーマーケットへ行き、缶珈琲を探していたら、二十歳前と思われる若い男子店員に声をかけられた。「日本人ですか。」そうだと答えたら、「私は日本が大好きです。」と笑顔の彼が、忙しい朝の店の中で握手を求めてきた。数日後、市内にある「旅行者センター」を訪ねた時、行列の中に中年の日本人女性が並んでいるのを見た。

 「日本は素晴らしい国です。」窓口の係女性が、大声で朗らかに笑い、「おお、サンキュウ、ベリーマッチ。」と、言われた女性が、日本人らしくない陽気さで応じていた。すると隣にいた係の男性が、顔だけ振り向けて「ニッポン、サイコウ。」と言葉をかけた。

 私はこうしたノルウエー人を目にし、「へえ、日本て人気があるんだ。」と嬉しくなってしまった。街を歩くと、多くの日本車を目にした。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、ダイハツなど、雪の坂道をベンツやワーゲンに負けない勢いで走っていた。どうしてそんなに日本が好きなのか、聞いてみたかったけれど、誰も皆忙しそうだったし、先ずもって自分に英語力がなかった。

 ノルウエーでは誰もが英語を喋るので、バスに乗ったり買い物をしたりと、簡単な会話なら何とかできる。しかしちょつと込み入って来ると、もうお手上げだ。

 「日本人は、意思を伝えるツールとしての英語力を、身につけなければなりませんね。」「ボーダレスになっていく国際社会では、そうでないと生きていけません。」平泉渉氏が亡くなられる前、しきりに強調されていたが、その通りだった。

 「英会話を小学生から必須にするなど、日本をダメにする愚策です。」「なるほど東南アジアの人間は、誰もが英語を喋りますが、彼らは英語の学術書は読めない。」
だから今のままで良いのだと右系の教授が反対していたが、自分の経験からしても、彼は間違っている。本を読めるのと同じくらい、意思を伝えるツールとしての英語力は必須なのだ。聞くも喋るもできないまま、他国の人間と交流して、何の意味があるというのか。

 去年だったと思うが、野党の議員団がアジアの国を訪れ、現地の議員たちと意見交換する動画を見たことがある。

 現地の議員は日本語が喋れず、英語で説明したり質問したりしていた。野党議員は誰も英語が喋れず、通訳を通じての対話になっていた。相手国の議員が長く喋る間、何も分からない日本の議員たちは、ただ曖昧な笑顔でうなづいているだけだった。当意即妙に受け答えするから、現地での対話に意味がある。正しく伝えているのかも分からない、通訳を通じての対話は、見ている方が情けなかった。

 あの折の動画の印象と、今回の自分の経験で、「ツールとしての英語力」の必要性を痛感した。英語がもっと喋れたら、自分はもっと多くのことを知り、もっと有意義なブログが作れたのにと、無念でならない。

 会話については無念だけれど、無念でない沢山の経験をしてきた。
冥土の土産として残さずにおれないが、今日はこれまでとし、明日以降の楽しみにしよう。そろそろ日も傾いてきた。春とはいえ、まだ朝夕は冷える。猫庭の花が、日を追うごとに増えていき、白と黄色の水仙が、ほのかな香りを漂わせている。

 水やりをし、雑草を抜き、枯れ枝を切り、疎かにしているのではないが、今はノルウエーについて優先させたい。
日ごとに記憶が薄れていく気がするので、忘れない内に記録したいと思うからだ。さてその記録、一生懸命綴っているが、自分が死んだらどうなるのか。ほんとうに、息子たちが読んでくれるのか。孫が読んでくれるのか。

 そこまで考えると、お先は真っ暗。日本の未来どころではない、おぼつかなさだ。
しかし何を嘆こう。誰だってそんなものでないか。自分一人がそうではないと知る安心感・・・・。これぞ「赤信号、皆で渡れば怖くない」だ。

 生きている限り、自分は知識を求め、ブログに記録する。それは、生きている限り無意識に呼吸をするのと、同じようなものだ。

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国旗は、どこで売っているのか。

2016-03-20 18:11:48 | 徒然の記

 自分の記憶の中には、祝祭日に日の丸の掲げられた街や、村の風景が、まるでない。
学校や市役所、公民館や会社など、玄関口に日の丸の飾られた風景だって、ほとんど目にしたことがない。

 現在住んでいる住宅地でも、祝日に飾られた日の丸を見たことがない。
「これから祭日には、玄関に国旗を立てようかな。」家内に話しかけると、即座に否定の反応があった。

「やめてよ、お父さん。近所の人に、変な目で見られるから。」
「だって、普通のことだろ。」
「周りがしていないことをしたら、普通とは言わないでしょ。」

 ということで、国旗を立てるという思いつきを、私はあっさりと放棄した。

 しかし日が経つにつれ、自分の決定と、国旗を飾らない世間の奇妙さとに、改めて疑問が湧いてきた。国を大切にするという自分が、深い考えもなく世間の風潮に流され、国旗を立てずに、今日まで来た。それを、変だとも思わず過ごしてきた。たいした抵抗もなく、家内の言葉で納得してしまった。

 何もかもが、不思議でならなくなってきた。

 そうか、これが敗戦国としての日本の現実だったか。
祝祭日の国旗掲揚が禁じられたのは、おそらくマッカーサーの統治以来なのだろう。日の丸と君が代が、軍国主義の象徴だと、左翼政党や反日たちが、ずっと飽きもせず主張している。深い考えがなかったとしても、その主張に参加していた自分を、発見した。

 お前さん、なにを今更と、意気軒昂な左右の人々から、軽蔑されそうだが、正直に言って、これが事実だ。
 
 国旗を玄関に飾ろうと飾るまいと、日本を思う自分に変わりはない。国旗の掲揚など、形式だけの話に過ぎない。そう考えて今日まで来たが、自己否定の歴史観に、追従する行為だったのは間違いなかろう。

 近隣のしないことをすれば、家内の言うとおり、変人扱いをされるのかもしれない。情に竿せば流される、智に働けば角が立つと、漱石が言っていたが、そのとおりだ。この住宅地で、玄関に国旗を立て、国民が祝日に旗を掲げてどこがおかしいと、まさに智を働かせた言い分である。

 自分がそうしたところで、苦情を言う者はいないが、首をかしげる住民が生じることは、容易に想像できる。隣近所に合わせ、日の丸を掲げないというのは、情に流されることであり、ついでに己の信念も流してしまう。年73才にしてやっと自覚した、このお粗末さだ。

 GHQの洗脳だと、何でも、マッカーサーのせいにする人もいるが、敗戦後から70年も経って、GHQもマッカーサーもあった話ではない。何もしなかった自分たちの責任だと、屁理屈を言わず、謙虚に認めたい。

 そうなると、日本国憲法だって同じ話だ。マッカーサーが解任され、日本から居なくなって65年が立つ。この長い間、不都合な憲法をそのままにしてきたのは、GHQでもなく、マッカーサーでもなく、日本人自身だった。

 日の丸のことで、他人ごとみたいな言い方をする、自分の間違いにも気づいた。
国旗の掲揚は、私が決め、私がやれば良いのだから、「日本人だ」などと曖昧にせず、「私だ」と言うべきだった。

 さてそうなると、国旗はどこで買えば良いのだろう。
旗ばかりでなく、頭を飾る金の玉や、旗竿など、セットにして売っているのはどこだろう。もしデパートだとすれば、どこの売り場にあるのだろう。戦前は多くの家で日の丸を飾っていたらしいが、いったい人々はどこで手に入れていたのだろう。私の周りには、答えてくれそうな人物が、思い当たらない。

 この不可思議な状態を、誰かが疑問を抱いた話を、聞かされたという記憶もない。
これまでだいぶ本を読んだが、そんなことを、疑問だと指摘した書にも出会ったことがない。無い無い尽くしの日本だ。偉そうな意見を、恥じらいもなくブログで述べてきたが、自分の頭のなかも、無い無い尽くしだったか・・。

 パソコンで調べてみたら、なんと靖国神社で、国旗一式を売っていることが分かった。
さすが、靖国神社だ。膝の具合が良くなったら、いつか東京まで足を伸ばし、日の丸を買ってくるとしよう。

 次なる問題は、世間に逆らいたくない家内を、いかに説得するか、という話になる。こうなってくると、安倍総理の気持ちが分かってくる。

「なにしろわが家には、家庭内野党がいますから。」・・。

 いったい、多くの人は、どのようにしているのだろうか。私と同じ境遇にいる人間が、総理以外に、日本のどこかにいるのだろうか。いつもの野次馬根性が頭をもたげてきたところで、今日の戯言はおしまい。

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もしかすると、マスコミの鑑になれるか、地方紙「千葉日報」

2016-03-18 22:08:01 | 徒然の記

 少し古いが、2月12日の千葉日報を見て、明日の日本に、希望が持てるような気にさせられた。「安保法下の自衛隊」という記事だった。

 漫画家の小林よしのり氏と、東京外大教授の伊勢崎賢治氏と、元陸上幕僚長で、現在東洋学園大名誉教授の富澤暉氏の意見が、記事になっていた。三氏は、マスコミを賑わす左翼学者たちの対極にいる人々で、新聞がこれまで取り上げることのなかった、右の考えの持ち主だ。
 
 小林・伊勢崎両氏の胸中には、「平和を支える軍事の役割を知ろうとしない、国民世論と、」「見て見ぬ振りの政治への、もどかしさがある。」という説明から始まる、新聞一ページ大の記事である。

 「近代国家は、愛国心の産物。」「自分の国は、自分で守るという気概が、日本には足りない。」という小林氏の主張と、「正当防衛しかできない自衛官を、他国の戦場に立たせるリスクを、誰も触れない。」という伊勢崎氏の意見が、注釈なしで載せられている。

 何も知らないのが一番危なのだとして、国民の無関心を憂える富澤氏については、次のような紹介記事だ。

 「独立と平和は、いずれも国家に欠かせない要素ながら、」「互いに矛盾する点に、難しさがあると、氏は解説する。」「内外情勢を分析し、独立と平和の配分を考えるのが、外交で、」「軍事は、その背景として、戦争抑止と秩序維持に貢献している、と氏は説く。」

 マスコミと言えば、新聞もテレビも、まるでバカの一つ覚えの金太郎飴みたいに、「平和憲法を守れ。」とか、「戦争法案反対」としか報道しない。シールズと称する痴的な学生の戯言を、素晴らしい意見であるかのごとく取り上げ、心ある国民の存在を無視した、記事ばかり書いている。

 つい先日は、偏向報道に関する総務大臣の談話に、よせばいいのに、数を頼んで反対の合唱をした、自称ジャーナリストたちがいる。青木理氏、大谷昭宏氏、鳥越俊太郎氏、金平茂紀氏に田原氏、岸井氏、田勢康弘氏の7氏だが、ブログの世界では、似非ジャーナリストと軽蔑されている。

 反日と売国の偏向思考しか出来ない彼らは、ごく普通の総務大臣の話を、政権による圧力などと言い騒いでいる。反日と捏造の朝日新聞に寄生し、生活の糧を得ていた彼らが、今更何を言うのかと、国民の多くは冷ややかに眺めている。

 私は彼らに、2月12日の千葉日報の記事を見せてやりたい。
総務大臣ばかりでなく、国を大切に思う国民の多くが望んでいることは、千葉日報の報道姿勢だ。右も左も、公平に記事として掲載する。国民をたぶらかすような、余計な注釈をつけず、世間にある二つの意見を、そのまま報道する。記事を読み、判断するのは、読者である国民だ。

 こんな公平な紙面が作られたのは、敗戦後初めてのことではないのだろうか。
大袈裟でもなんでもなく、率直な感想だ。なんだ、やれば出来るんじゃないかと、とても爽快な気持ちだ。千葉日報の記者や経営陣が、総務大臣の言葉に怯え、萎縮して迎合記事を載せたとは考えられない。

 その証拠が、四日後の記事だ。
トランプ氏の排外主義と題する、米大統領選に関する連載ものだ。千葉日報は、トランプ氏の支持者には、所得の低い労働者階層を中心とした、白人が多いと説明する。年々増えるヒスパニックに対し、少数派に転落する白人の不安が、過激なトランプ氏への支持につながって行くと述べ、これに関する森達也氏の言葉を紹介する。

 「森氏は、中国や朝鮮半島への批判が溢れる、日本のネット空間とも重ね、」「 群(むれ)は、異質なものを排除したくなる。 」「 ネット右翼的言説の、本質だ。 」

 森氏が何者なのか、知らないが、読むだけで腹立たしくなるレッテル貼りだ。いつも言うことだが、氏は、多くの国民がなぜ中・韓を嫌悪せずにおれないのかと、根本の処をすっ飛ばしている。これはまさに、似非ジャーナリストたちの、為にする偏見でしかない。

 むかっ腹の立つ、この千葉日報の記事だが、要するにこれが「両論併記」という公平さだろう。
本気でそうしているのかにつき、疑念があるので、「千葉日報はマスコミの鏡」と、断定をしていない。「 もしかすると、マスコミの鑑になれるか、地方紙「千葉日報」」 というブログの表題には、私の大きな期待と、不安がそのまま包含されている。

 たとえ、千葉日報社の気まぐれ記事だとしても、12日の紙面は、日本の新聞史上に残る、快挙だ。

 もしもこれが、新聞社の編集方針であるとしたら、私は、千葉県民の方々にのみならず、全国の人々に、千葉日報を推奨したい。捏造朝日に40年間も騙された自分は、素直な気持ちで、千葉日報の定期購読者として、死ぬまで名前を連ねたいと願う。


 結論が出るのは、まだ先の話になるが、楽しい話も、たまにはあって良い。
さあ、これから風呂へ入り、サッパリしたところで焼酎のお湯割りを一杯呑んで、眠るとしよう。

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蓮池氏の兄は、やはりおかしい

2016-03-14 15:36:47 | 徒然の記

 新聞では、北朝鮮に対する安倍総理の厳しい対応が報道されている。
この長きにわたる北朝鮮の不誠実な取り組みと、手前勝手な言い分の繰り返しを思えば、圧力強化は当然である。

 拉致家族の人々は、のらりくらりと自己正当化ばかりする北に対し、政府の対応は手ぬるいと、切歯扼腕してきた。今回の圧力強化策の実行についても、拉致家族の方々は、やむを得ないと苦渋の了解をしている。

 けれどもここに、奇妙な人物が一人いる。
新聞の報道なので、事実が正しく伝えられているのか自信は無いが、記事をそのまま転記する。蓮池薫氏の兄、透氏58才の言葉だ。
「対話を続けながら、制裁を強化するなんて矛盾だ。」「言っていることと、やっていることがばらばら。」

 いったいどこからこんな考えが出てくるのか、拉致家族連盟から除名された理由がわかってきた。
安倍総理は拉致問題を踏み台にして、首相の座を手にしたなどと、たわけた本を出版した人物でもある。先日は、反日の外国人特派員協会で総理への批判を展開した。むしろ、彼こそが、拉致家族と安倍氏を踏み台にし、売名と金稼ぎに精を出しているのではなかろうか。

 長らく拉致問題を担当してきた山谷議員が、「蓮池透氏は、北の工作員ではないか。」と疑問を呈していたが、そうでなければ理解不可能な透氏の言動だ。けれども私は、山谷氏とは違う意見を持っている。

 「北の工作員なら、もう少し賢い。」「彼は北に洗脳された、お花畑の日本人の一人に過ぎない。」



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