ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

参謀

2015-10-29 09:12:57 | 徒然の記
 児島㐮氏著「参謀」(昭和47年刊 文藝春秋社)を読み終えた。
参謀を辞書で調べると、「指揮官の幕僚として、作戦、用兵などの計画に参与し補佐する将校」と書かれている。指揮官の位階に対応して、佐官だったり将官クラスだったりすると分かった。重大な作戦になると、退役した元帥が任じられることもある。

 たかだか280ページの本なのに、28名もの参謀が語られている。週間ポストの連載記事を単行本にしたものというから、各人物のさわりの部分だけが披露されている訳で、物足りない気がした。内訳は日本人参謀15名、米国人が9名、ドイツ人が4名である。このうち私が名前を知っていたのは、石原莞爾中将と辻政信中佐とホイットニー少将の三人だけだった。

 ホイットニーは、マッカーサーの副官としてGHQ内で権勢を振い、「日本国憲法」を作らせ、財閥解体、農地改革、戦争協力者の追放を進めた人物だ。司令部内の反対勢力からは共産主義者と陰口を叩かれていたらしいが、私の記憶には、敗戦後の日本を崩壊させた張本人として刻まれている。石原中将は頭脳明晰で豪放磊落とのことだが、上官の意向を無視し猪突猛進して満州国を成立させた。苦虫を噛み締めていた上層部も、勝てば官軍の言葉のとおり後には彼をもて囃した。満州国の建設こそが、日本崩壊につながる一歩だと思うため、手放しで称賛できないものがある。

 愛新覚羅浩(ひろ)氏著「流転の王妃」の中に書かれていた言葉を、どうしても思い出す。
(彼女は満州国皇帝溥儀の弟溥傑と関東軍によって政略結婚させられた人で、嵯峨公爵家の嵯峨実藤氏の長女として生まれ数奇な運命を辿った日本人である。)

「吉岡大佐に限らず、"五族協和"のスローガンを掲げながらも、満州では全て日本人優先でした。日本人の中でも関東軍は絶対の勢力を占め、関東軍でなければ人にあらず、という勢いでした。満州国皇弟と結婚した私など、そうした人たちの目から見れば虫けら同然の存在に映ったのかもしれません。」

「日本の警察や兵隊が店で食事をしてもお金を払わず、威張って出て行くということ。そんな話に私は愕然としました。いずれも、それまでの私には想像もつかなかった話ばかりでしたが、そうした事実を知るにつれ、日・満・蒙・漢・朝の"五族協和"というスローガンが、このままではどうなることかと暗澹たる思いにかられるのでした。」
「日本に対する不満は、一般民衆から満州国の要人にまで共通していました。私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。」

 これが石原中将が建設した満州国の実態であり、ここに私は、中国が日本を敵視する原因の一つを見ている。自分の国を愛し、大切なものとして守りたい自分であるが、頑迷な保守と違い、盲目的な戦前の美化はしたくない。美化したり誇張されたりした過去には関心がなく、私が求めるのは歴史の事実だ。正しいことも間違ったことも包含した、国の歴史のありのままが知りたい。

 現在から過去を見て批判するのは簡単なことで、現在の知識で過去を断罪するのも容易な話だ。
だから私は、児島氏の著作に共感しないのでないかという気がする。読み物としての面白さを追求している氏と、生きるために事実を求めている私との違いを感じさせられた。

 辻大佐は石原氏に似た独断専行型の軍人で、功績も挙げたが上司にも睨まれた参謀だった。敗戦後は戦争責任を逃れるため所在不明となり、ほとぼりが冷めると「平和憲法を守り抜くため」と称して国会議員となった。議員在籍中にラオスへ旅行し、今もなお行方不明となっている。一説には殺害されたという話もあるが、謎のままだ。不可解な、怪しげな人物でしかない。

 士官学校をトップクラスで卒業し、年少の頃から天才、鬼才の名を与えられ、輝く出世街道を歩いたと、児島氏はそれぞれの参謀について語る。概して敗戦国の日本とドイツの軍人には厳しい論調で、戦勝国のアメリカの参謀には控えめながらの称賛という印象だ。読み捨ての雑誌の読者へ、面白おかしい話題を提供する目的で書かれたのだから、どれも目の粗い小話となっているのは致し方なしだろう。

 ルーズべルト大統領の参謀だったマーシャル元帥の話には、看過できない事実が述べられていた。
昭和19年と言えば、サイパンが陥落し、神風特攻隊が生まれ、「一億火の玉」「一億国民総武装」という悲壮な標語が溢れていた、第二次世界大戦の末期だ。アメリカでは大統領選挙の真っ只中で、ルーズヘルトが対抗馬のトマス・デューイと闘っていた。ニューヨーク州知事だったデューイは米国が日本側の暗号を解読している事実を聞き込み、それを選挙戦に利用しようとした。以下を氏の本から引用する。

 マーシャル元帥は直ちに、デューイ候補に親展の手紙を書き、暗号解読について言及しないよう要請した。
「ルーズベルト大統領が、日本の攻撃を事前に推測できる立場にあったことを暴露すれば、閣下は選挙で大統領を倒すことが出来るでしょう。」
「しかし同時に、わが米国の太平洋での優位は崩れ、多くの米国の若者が戦場で倒れることも明らかであります。」
元帥は、デューイ候補はその切り札を出さなければ落選するかもしれないが、その落選は祖国の勝利という栄誉ある報酬をもたらします、と強調した。

 そしてデューイ候補は落選し、このエピソードは元帥の優れた説得力の物語とされているとのこと。
ここで私が注目するのは、ルーズベルトが日本軍の暗号を解読し攻撃計画を知っていたというくだりだ。何時から知っていたのかについて記述はないが、もしかすると一部の言論人が言うように、真珠湾攻撃の前からだったのかもしれない。卑劣極まる奇襲攻撃だと米国民に語りかけ、参戦への口実にしたのなら、ルーズベルトは日本軍を上回る策士だったことになる。

 米国でも中国でも、安部総理を歴史修正主義者と蔑称しているが、歴史の事実を正しく知るのは重要なことだ。「見直し」と「修正」は似て非なる言葉であり、お決まりの米中の共同情報戦に決まっている。本を読むほどに、私は孤立無縁の日本を発見する。しかし国際社会では、何時だって「昨日の友は、今日の敵」で、国益をかけた醜い戦いが絶えず続く。どこの国だって、孤立無縁のなかで奮闘しているのだとも言える。

 こうした状況を踏まえれば、「日本を一方的に責める資格のある国なんて、あろうはずがない。」「日本だけを悪とし、卑下させ、卑屈にさせる左翼思想は間違っている。」「反日の言動に踊らされる国民は、愚かなお花畑と蔑まれて当然だ。」

 最近はどんな本を読んでも、こうした思考から離れられなくなった。氏の本で語られる参謀は、氏の視線を通じた参謀でしかなく、実際の姿は別なのかもしれない。生きている間に自分の考えがまとまるのかどうか、遅々とした歩みでも焦りはしない。残り時間との勝負だろうが、納得出来る事実を読書から集め、自分なりの答えが見つけられたら満足だ。

 過去のブログを読み返してみると、思い違いや間違いを発見し顔の赤らむ時があるが、訂正はしない。
いわばこれが私の足跡であり、成長の道でもあろう・・・・・と、謙虚な書きぶりだが、相変わらず傲慢で生意気な自分がいる。


 体力が日々衰えていくのに、「雀百まで踊り忘れず」の憎まれジジイである。世に憚って、案外と長生きするのかもしれない。
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平成官僚論

2015-10-16 21:56:06 | 徒然の記
 大前研一氏著「平成官僚論」(平成6年刊 (株)小学館)を読み終えた。
どのような内容かは、目次を引用すれば一目瞭然だ。第一部「新・霞ヶ関官僚解体論」、第二部「天下り官僚不要論」、そして「日本を滅ぼす官僚独裁主義」と来て、大蔵省、農林水産省、外務省と、政府の各省が遠慮なく批判される。

 官僚には「省益あって国益なし」と昔から言われているが、実例を挙げて氏が語ってくれる。各省による規制が社会の隅々にまで及び、許認可の利権で官僚と政治家が不当な利益を手にいれる。諸外国では市場の自由に任されていることが、わが国では微に入り細に入り役人たちに干渉される。
地方に自由な裁量権があるのならまだしも、全てが中央官僚の手に集約され、国民の暮らしは膨大な規制の中で営まれている。よくもまあ、みんなが黙っていると呆れ、これでは社会主義体制国家そのものでないかと批評する。なるほどそれで分かった。欧米の記者たちが「日本は民主主義国ではない。」「社会主義体制の国だ。」という根拠は、官僚機構が張り巡らせる「規制」の膨大さを指していたのだ。

 政府は余計な干渉をするな、全てのことは市場に任せ、国民の活動を自由にすべしと、何時だったか読んだ本でフリードマンが主張していたのを思い出した。大前氏もグローバル経済の信奉者で、新自由主義者と言われている。経済的合理性を追求する彼は、利益を生まないものや非効率的なものを、無駄として切り捨てる。

 明治時代に作られ、とっくに役目果たしたはずの北海道開発庁がなぜ今もあるのか、蚕糸砂糖類価格安定事業団や畜産振興事業団は、返って国内産業の発展を阻害しているのでないかと、うなづかずにおれない意見ばかりだ。業界に迎えられるだけでなく、自分たちが作った外郭団体に平均年俸2000万円で天下り、退職すれば多額の退職金が得られる仕組みが作られている。
国民からどんなに批判されても、総理も所管大臣も手出しができず、廃止も縮小もされずに存続し続ける不思議さ。不景気で馘首される国民が自殺しても、正社員が少なくなり、パート・アルバイトの若者が安月給で結婚ができなくても、官僚たちはぬくぬくとしている。怒りさえ覚えて読んだのは、こうした高級官僚たちの天下りだった。

 また彼は、狭い日本で農業をやらず、アメリカでもオーストラリアへでも行けば、日本より安く、うまい米が作られると提案する。蚕糸でも砂糖でも少数の従事者を保護するため、無駄な補助金を使うくらいなら、海外から安い製品を買い、ダメージを受ける彼らには転職補助をすれば良いと、合理的な提案をする。

 役人を養うために税金を払い、無用な規制に縛られる必要はどこにもない。世界一高い給料の国民を雇うより、安い労働力のある外国へ企業はどんどん出て行く方が賢明だ。明快な、氏の意見である。

 何度も同意したが、しかし、氏の意見には日本への愛が感じられなかった。竹中氏と似たような意見の彼は、どこかでつながりがあるのかないのか。私は知らない。個別には正論であっても、全体として進めていけば、彼らの論の行き着く先は「弱肉強食」の世界。民族も国も歴史も否定する、経済優先の「金儲け第一」の世界だ。

 日立製作所を退職して、氏は米国のマッキンゼー社に入り、日本支社長、アジア太平洋地区会長にまでなっている。昭和18年生まれで、私と同年代だが、積極果敢で優秀な人物であるのは間違いない。マッキンゼー社は米国、欧州、アジア、南米、東欧など60ヶ国に105 以上の支社を持つ、グローバル戦略業のコンサルティング会社である。

 要するに氏は日本人でありながら根っからのグローバリストで、己の才能と意思と努力の世界に生き、日本という国は彼の中では小さな比重しか占めていない。彼方の未来に国家も民族もない、グローバルな世界ができるのかもしれないが、私はそんな地球に生きていない。国益のために各国がエゴをむき出しにし、貶めたりけなしたり、握手したり殴り合ったりしている国際社会で暮らしている。

 だから私は、氏の意見に同調しない。アメリカやオーストラリアへ日本の農家が行き、土地を買い安くてうまい米を作っても、反日の嵐が吹けばどうなるというのだろう。かってアメリカは日本人の土地や財産を奪い、砂漠の荒れ野の収容所へ追いやったでないか。いったん風向きがかわると、平気で人種差別をするというのが国際社会の常なのに、氏の意見は単純すぎる。

 日本の官僚組織の批判をする氏は、アメリカやドイツではもっとうまくやっていると言う。
だが私は、官僚組織なんて、どこの国でも似たり寄ったりのはずだと思っている。税金として多額の金を集め、それを右から左へと人間が動かすのだから、長い間には欲が出てくる。どうしたって利権やごまかしが生じてくる。だからこそ、長く続けば「権力は腐る」という名言が生まれている。

 かって読んだフリードマンの本から、アメリカの官僚社会への批判をもう一度引用してみよう。
「1953年に作られた、健康・教育・厚生省は、当初の予算が20億ドル。すなわち軍事費支出の5%より、少なかった。25年後の1978年には1600億ドルの予算となり、陸・海・空三軍を合わせた全予算の1.5倍になった。これより大きな予算は、合衆国政府の全予算か、ソ連のそれしかない。」
「健康・教育・厚生省は、いわば巨大な帝国を管理しており、その権力はアメリカの隅々にまで浸透している。」

 中身や形が多少変わっているとしても、本質は同じだ。
業務に精通し法令を熟知している官僚は、よほどの聖人でない限りどこかで金の魔力に足を取られてしまう。だから良いと認めているのでなく、誰がやっても同じ泥沼なのにあまり一方的に攻めて良いのかと、私が氏に言いたいのはここなのだ。言葉の節々に日本を軽視する響きを感じたので調べてみると、沢山ある氏の肩書きの中にこんなものがあった。スタンフォード大学客員教授、梨花女子大学名誉教授、高麗大学名誉教授、中国・重慶市、天津市経済顧問というものだ。

 梨花女子大と高麗大学は韓国の大学である。日本を散々貶し、韓国を常に弁護した朝日新聞の論説主幹だった若宮氏は、退職後に韓国の東西大学の教授になった。大前氏が同じだとは言わないが、反日の大学に籍を置く人物が語る言葉に信が置けなくなっている私だ。

 氏の著書の官僚批判には、数字の根拠があり、でっち上げでもないから反対はしない。
しかし攻撃されている官僚諸氏については、別の考えをしている。平成21年の9月から3年間、民主党が政権の座にいた。この3年間に、鳩山、菅、野田という3人の反日・売国の総理が国の政治をかき回した。こともあろうに、韓国や中国の意のままになって私たちを失望させた。

 けれども愚かな総理と危険な反日の大臣や議員たちを政権に座らせても、日本の政治を根底から壊させなかったのは、官僚たちが頑張ったからだ。外交文書を全て公開するとか、韓国や中国に謝罪と補償をやり直すとか、一方的な譲歩をする彼らに、じっと耐え忍んで日本の国益を守ったのは、大前氏が批判して止まない官僚たちだ。
財政破綻をさせるなと、安部総理を民主党が攻めているが、彼らが政権の座にいた時、どれほど無茶なバラマキをしたか。次の数字が証明している。

 歴代総理の国債発行額の比較を、時系列に並べてみる。 1. 安部総理 27.5兆円。2. 福田総理 25.4兆円。3. 麻生総理 33.2兆円。4. 鳩山総理 44.3兆円。5. 菅総理 44.3兆円。6. 野田総理 44.6兆円。
国民の人気取りに金をばら撒き、財政を平気で破綻させていたのは民主党だったとわかる。

 こんな政権が続き、日本の国が台無しにされるくらいなら、時の権力者に逆らっても国の根幹を守った官僚たちを評価したい。天下りで彼らが高い報酬を得ても、安いものだと私は言いたい。他国の政府役人たちの、国を傾けるような収賄や公金横領に比べたら、日本の官僚のそれはまだ我慢の範囲ではなかろうか。

 慎ましい年金暮らしの自分にすれば、とても許せない官僚の贅沢ではあるが、それでもこれ以上大前氏に言わせたくないという気になった。へそ曲がりのする単なる反対でなく、どちらが日本を守っているのかという視点からの意見だ。大前氏か、官僚諸氏なのか。

 私には、官僚諸氏の方だと見えてならない。


 すっきりと割り切れているのでないが、今宵の結論である。
願わくばわが日本の官僚諸氏よ、国家百年の計のため、国民の信頼と負託に使命感をもって当たってもらいたい。そのための対価であるとすれば、外郭団体も天下りも決して高すぎる浪費ではない。
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千客万来

2015-10-14 15:28:40 | 徒然の記
 日差しが心地よかったので、早起きして庭の水やりをした。
カラカラになった鉢に水をたっぷりと与え、乾いた地面にも思い切り水を浸み込ませる。やりだすと、一時間はかかってしまう。昔なら30分で済ませた、それこそ朝飯前の仕事だった。若いときは早くても仕事が雑だ。年を取ると草花と対話しながら、楽しみながら、丁寧な作業になると、今では加齢の繰り言より自慢をする。

 バードバスの水を汲み出し、沈んだ落ち葉や木の実を捨て、タワシで中を洗う。
綺麗な水をいっぱいに張ったところで、朝の仕事が一段落する。それから、家内と二人でいつもの朝食の支度だ。どちらが何をすると決めているのでないが、湯を沸かしたり、トーストを焼いたりする。トマトを切り、レタスを洗い、皿に盛り付けるのは私の担当だ。定年前は缶入りの紅茶だったが、年金専任暮らしとなってからは、安物のティーバッグ紅茶だ。砂糖は入れず、たっぷりのミルクティーだ。

 猫庭を眺めつつ、仲が良いのか悪いのか、口喧嘩をしたり笑ったり、ひとときの朝食を楽しむ。
庭が騒がしいので食事の手を休めて目をやると、なんとしたこと。ヤマガラのつがいとシジュウカラのつがいと、メジロのつがいがバードバスを訪れている。雀までが加わって、大騒ぎだ。バードバスの横に立つえごの木が、鳥たちの順番待ちの場所なのだ。体が大きく強い鳥から、水浴びをし、きちんと待っている。先の鳥が終わらないうちに飛び込んだりすると、たちまち喧嘩になる。

 ところが、今朝はどうしたことか。ヤマガラとシジュウカラが一緒に水浴びし、雀がメジロと隣り合って体を洗っている。
人間だって動物だって、喧嘩をしている様子は見て楽しくないが、仲良くやっている様は楽しいばかりでなく、愛くるしさがたまらない。一度体を洗っても、えごの枝で羽を震わせ体が乾くと、また水に入る。いつもなら間を空けて鳥が来るのに、今朝は繁盛する風呂屋のような賑わいだった。

 バードバスを買おうと家内が言い出したとき、つまらないものを買うもんだと呆れたが、今は猫庭の必需品だ。
毎日バードバスの掃除をし、水を交換するのが自分の仕事だと、勝手に決め精を出しているのだから、家内の方が呆れている。亡くなった猫を思うと今でも辛くなるが、バードバスのお陰で慰められている。膝に抱いたり背を撫でたりはできないが、弾んだ声で水浴びをしたり、バスの縁に止まって小首を傾げたり、私たちがいても逃げずにえごの木でさえずったり、その仕草は猫に劣らない愛らしさだ。

 綺麗になったバードバスを、こんなに喜ぶのだから、鳥もヤッパリ汚れたバスより清潔な水浴び場が好きなのか。天気が良いと汗をかき、一風呂浴びたくなるのだろうか。人間とおなじ暮らしのリズムがあるのだろうか。


 千客万来の、バードバスだった。いや、そうでなく、千鳥万来のバードバス。

 
 
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黒澤明の映画

2015-10-11 19:05:41 | 徒然の記

 雨の日曜日だ。猫庭の木が、かすかに紅葉しだした。

 春には、華やかにピンクの花をつけ、緑葉を茂らせたハナズオウも、すっかり葉を落とし、枝ばかりとなった。たわわに赤い実をつけ、沢山ジャムを作らせてくれたサクランボが、枯葉を庭一面に散らしている。


 背を丸くし、庭のテーブルに眠る飼い猫の姿もなく、冬に向かう、小さくて静かな庭だ。なるほど、こうなってくると秋の庭は寂しい。
為すこともなくバソコンに向かい、映画に行き当たり、黒澤明の作品にたどり着いた。昭和25年に作られた「醜聞(スキャンダル)」という映画だった。

 私は、長い間黒澤明のファンだった。ダントツの映画監督と惚れ込み、「七人の侍」から始まり、「天国と地獄」、「椿三十郎」、「赤ひげ」、「用心棒」と、ほとんどの作品に夢中になった。

 リアリティーを追求した彼は、火災の場面で、本物の家を惜しげもなく燃やし、人斬りのシーンでは、肉の塊を切る音を流した。乱作する他の監督を尻目に、時間と金をかけ、年に一作しか作らず、名のある俳優たちの演技でも、納得するまでやり直させた。彼の作品はどれも面白くて、堂々としており、常に圧倒される思いで見た。

 しかし昭和25年の作品は、何という薄っぺらなお芝居だったことか。本当に彼の手になったものかと、首をひねってしまった。
敗戦の5年後という時代がそうさせるのか。家々の有り様も、登場する人間も、貧しくて侘しい。密集した貧乏住宅の路地を、バイクで走る主人公は、当時としては颯爽たる姿だったのだろうか。

 ぺらぺらの日本家屋の一部屋で、クリスマスの飾り付けをし、人気絶頂の美人歌手が、その家の娘のために賛美歌を歌う。イケメンの画家が同席し、オルガンを弾きつつ唱和する。こんな近所迷惑な大騒ぎを、つつましく暮らす当時の日本人が、本当にやっただろうか。

 あるいはクリスマスの酒場で、酔っ払いの老人が、「諸君、来年からは頑張ろう。」と演説し、もう一人の老人が、客に「蛍の光」の合唱を懇願する。店の楽団員が応え、客や女給や全員が、声を合わせだす。やがて誰もが感動し涙をこぼす。

 しかしクリスマスを祝う酒場が、当時はあったのか、占領下だから、そうせずにおれなかったのか。第一、酔った客がどうしてこんな陰気な「ホタルの光」を歌ったりするのか。私が見てきた黒澤映画の「リアリティ」は、欠片もなかった。

 物のない戦後の貧しさの只中とはいえ、衣装も建物も、洋風の部屋の家具や置物も、何もかも、ちゃちで貧乏くさかった。
昭和25年の私は6才だったから、小学校一年生の時の映画だ。日本が独立する一年前が、どんな時代だったのかネットで調べてみた。「出来事」という項目の表題を書き抜いてみよう。

 「NHK テレビの実験放送開始」「プロ野球 初の日本シリーズ」「1000円札の発行」。へえ、こんな時代だったのかと改めて驚いた。しかし、驚くにはまだ早い。

「女性の平均寿命が60才を超える」・・・・、こんなことがニュースになったのだ。「GHQが日本国内線の開設を許可」・・・・、注釈がないのでハッキリしないが、おそらく空の国内線のことに違いない。ああ、こんなことまで制限されていたのかと、敗戦国日本の悲しみを知らされる。

 「新製品」という項目を見てみよう。

「森永ミルクキャラメル」「ヤクルト」・・・・、この頃から出始めたのか。黄色い箱に描かれたキューピッドと、甘いヤクルトの味が思い出される。当時は子供だったから記憶になく、懐かしくもないが、「トリスウイスキー」「ポケットサイズ ニッカウイスキー」というのもある。もっと懐かしくなるのは、桃屋の「江戸むらさき」だ。

 ヒット曲という項目を見ると、時代が強く感じさせられる。私の子供たちは、美空ひばりだって知っているかどうか。
昭和生まれの親父は、胸がしめつけられるような、強い懐かしさに包まれ、しばし己を忘れてしまう。物好きのついでに、1位から6位までを列挙してみよう。

「 1. 夜来香 山口淑子」 「 2. イヨマンテの夜 伊藤久男」

「 3. 星影の小径 小畑実」「 4. 越後獅子の歌 美空ひばり」

「 5. サンフランシスコのチャイナタウン 渡辺はま子」

「 6. 東京キッド 美空ひばり」

 ブログに向かっているうちに、秋の陽が落ちて来た。こうなると、一気に夜が来る。
だから結論を急ごう。若い頃夢中にになった黒澤明が、はかない昔の夢の一つだった気がしてきたということだ。

 初期の作品には、和風建築の中に、洋風のセットがあちこち置かれ、日本文化に、無理やり西洋を接木したような、不自然さに違和感を覚えた。朝日新聞の社説でも読まされているような、登場人物の人道主義的セリフも、素直に聞けなかった。

 彼についてほとんど知らないけれど、もし生きていたら、平和憲法擁護者の一人だったような気がしてならない。思い違いなら許してもらいたいが、俳優に喋らせるセリフに、左翼人道主義者の正義の匂いが漂う。今なら彼の映画を見ても、若かった昔のように、感動しないだろうと思えてきた。

 大事なのは、国を捨てて欧米化することでなく、日本を大切にした上で、異風を取り入れる知恵だ。
国を滅亡の危機に晒したまま、反戦・平和を叫ぶのでなく、国を守りながら反戦・平和の主張をすることでないのか。黒澤氏がどういう人物か知らないまま言うのは、誠に申し訳ないが、作品を見た感想を率直に述べるとこうなった。


  淋しい秋の猫庭の、淋しい別れのひとつだった。

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アエラ

2015-10-09 22:13:53 | 徒然の記
 月に2、3回通院している。長時間歩くと膝が痛むので、整形外科医でのリハビリが目的だ。
電気にかかること10分、簡単な膝の運動を5分。ただそれだけなので、リハビリの効果については自分でもわからない。週に2、3回やれば良いのだろうが、面倒なので手抜きをしている。通院しないと貼り薬が貰えないから、止められないという理由もある。

 湿布薬は確かに効く。貼らないと膝が重苦しくなるが、貼ると楽になる・・・・・・。しかしこんなことは、今日の本題ではない。貼り薬を貰うため薬局での待ち時間に読んだ、アエラの話が本題だ。言うまでもなく、アエラは朝日新聞が出版する週刊誌である。薬局の書架には、何故か女性週刊誌が多い。あるいは料理とか園芸とか、女性向けの雑誌ばかりが並んでいる。

 いつも長く待たされるので、薬局は退屈でならない。それでも退屈に慣れているから、普段は何もせず椅子に座っている。今日は沢山の患者が椅子に座り、子供や(自分もそうなのだろうが)老人が溢れていたので、何気なく雑誌を手にした。女性週刊誌や子供の絵本を除くと、残っているのがアエラだった。朝日新聞の出版物なので気が進まなかったが、退屈しのぎだからと妥協した。これが大失敗だった。

 「日中の笑いの違い」とかなんとか、そんな特集で、中国と日本のお笑いの違いが写真入りで何ページも続いていた。文化や生活習慣の違いから日本と中国の笑いは異なっていると、そんな当たり前のことが書かれていた。書いている記者は、何が楽しいのか、陽気な調子で中国人たちの笑いについて誉めたり、感心したりだった。

 このところ中国の危険な挑発や恐ろしいまでの軍事力の誇示、あるいは建国記念日での南京問題のことなど、嫌悪せずにおれない本を読んでいるので、このクソ朝日の「親中ぶり」の能天気さに驚かされた。

 尖閣は俺のもの、沖縄も俺のもの、文句があるのなら東京を全滅させてやる、アメリカにくっ付いていたら日本の未来はないぞと、尊大な外務官僚や解放軍の将軍やらが連日のように威嚇してくる。どこまで本当なのか、日本のスパイを逮捕したとニュースが流れ、二人の日本人が捕まった。

 こんな緊張した時期に何が「中国の笑い」であろう。ここまで朝日がトンチンカンな特集記事で日本をかき回しているとは、想像もしていなかった。慰安婦問題で社長が辞めたけれど、何の反省もしておらず、未だに中国の提灯持ちかと、次第に怒りがこみ上げてきた。

 私とこの新聞社の記者たちは、あるいは経営者たちは、同じ日本人なのだろうかと本気で疑った。
こんなにも日本を苦しめている中国に対して、何も感じないのだろうか。やはり世間で噂されるように、朝日新聞社には反日の中国人や韓国人あるいは、在日の記者が沢山いて、日本を翻弄しているのだろうか。
アエラの中で知識人と言われる人物が語っているのは、「無法な国会」「独裁者安部総理の暴走」などと、相変わらず安保法案成立への難癖だった。

 これだけ中国が横車を押し、これだけ韓国が執拗に日本を悪しざまに言っても、そこには一瞥もくれない朝日の人間たち。そしてこんな雑誌を有難がって買っていく読者たち。同じ日本に住みながら、彼らと私の見ているものはどうしてこうも異なるのか。どうして人間はこうも愚かになれるのか。不思議でならない。

 私もブログでは偉そうな言い方をしているが、それでも内実はためらいつつ、一歩ずつ足を踏み出しながら生きている。間違っていると分かれば、謝りもするし訂正もする。
だからこそ、朝日新聞社という組織体の傲岸さが理解できない。仕事だから利益がいりますというのなら、もっと謙虚さがあってしかるべきだろう。社長辞任という大芝居を打ちながら、中身が何も変わらないのはなぜか。

 二日前に読んだ本で、中国人民解放軍が非軍事の戦争手段として三つの区分を説明していた。つまり「法規戦」「心理戦」「世論戦」だ。総称して「情報戦」とも言うらしい。米中経済安保調査委員会の議会報告で、当該三種類の戦争手段につき解説がされている。その一つである「世論戦」について、抜き書きしてみる。

「この戦術は、マスコミを通じて世論を中国にとって有利な方向へ動かそうというものである。」「いわゆるプロパガンダであり、目的は相手国の意思を挫き、中国側の主張がより多く受け入れられるようにすることだ。」「中国と争っている国に対して、否定的な意見を国際的により多く広めることを目的とする。」「ようするに、ネガティブキャンペーンである。」

 結論として、私は古森氏の著作に行き着いた。というより、米国委員会の議会報告の資料に到達したという方が正確かも知れない。

つまり朝日新聞は、何時からか社を挙げて中国の「世論戦」に参加しているということだ。執拗な日本批判と中傷とデマ記事は、こう考えなくては理解できない。つまり彼らが仕掛けているのは、「情報戦」という戦争なのだ。
慰安婦問題、靖国問題、南京問題という捏造とまやかしの記事の氾濫の意味が、自然と解けてくるでないか。米国委員会の説明とピッタリ一致する朝日新聞の記事の連鎖だ。

 だから私は、本日より認識を新たにする。
「朝日新聞は、中国の戦争に加担している。」「朝日のやっていることは、国家反逆罪に相当する。」「報道の自由とか、社会の木鐸であるとか、権力の監視役だとか、そんなものはすべて国民をたぶらかす嘘キャンペーンでしかない。」



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アメリカでさえ恐れる中国の脅威 -2

2015-10-08 16:09:53 | 徒然の記
  晴れ渡る青空を眺めてていると、爽快な気持ちになる。雲ひとつない、秋の空だ。
猫庭の片隅では、白とピンクの秋明菊がかすかな風に揺れている。こんな穏やかで美しい日だというのに、「アメリカでさえ恐れる中国の脅威 」について考えるのは気が重い。

 しかしまた逆に、こんな明るい日だからこそ、重苦しい思考をしても救われると、いろいろな思いが交錯する。どっちにしたって、今日は一日古森氏の本と付き合うと決めたのだから観念するとしよう。
 
 「中国製品といえば、品質は必ずしも良くないが、とにかく安いという印象が強い。しかも "労働集約型 "、 " 低付加価値"というイメージである。」「ところが現実には、この年来のイメージから実体が離れてきている。」
氏がこう述べて、次のように具体例をあげていく。

 「2007年に中国はドイツを追い越して、世界最大の工業製品輸出国となった。現在ではアメリカ、EU、日本のいずれに対しても、最大の工業製品輸出国となつている。」「この傾向は、アメリカの中国に対する経常赤字が2001年には887億ドルだったものが、2007年に2,897億ドルへと増加したことにも現れている。」

「中国は、2006年には世界第3位の自動車生産大国となった。アメリカと日本に次いだわけだ。」「2008年には、合計1000万台の自動車を生産したと見られる。この過半は、GMやフォルクスワーゲンなどの多国籍企業が中国との合弁で創設した会社で作られているが。」

 内容を見れば、外国企業と合弁での生産が多くを占めているが、肝心なことは、中国政府が取っている政策である。
「中国の研究開発費用は、過去17年ほど年平均17%で増加し、2000年から 2006年の間には19%の増加率だった。ちなみにその間のアメリカ、EU、日本などはみな4%程度の伸び率だった。」
「2007年研究開発費用は、GDPの1.49%に相当する440億ドルで、これは世界でも最高の水準である。」「金額で見れば、中国の研究・開発費は世界の第5位になる。」「中国政府は、2010年にはこれをGDP比2.5%にまで増やすと発表しており、この比率はだいたいアメリカと同じである。」

 自動車から航空機、宇宙関連産業へと中国の技術展開が進み、必然のこととして軍需関連産業へとつながっていく。これに関する「米議会調査機間の報告書」の内容を、そのまま引用してみよう。
「中国は現在、既存の戦略核戦力の近代化に資源を注いでいる。この結果、核兵器の配備数が大幅に増すであろう。」「この変化は東アジア、南アジアの各国の核兵器への野心を煽ることとなる。核拡散と同じ結果が起きやすくなるということである。」「中国の核戦力増強への恐れは、日本や台湾を含む近隣諸国に核計画を考えさせる要因となる。」

 こうしてアメリカは、日本の核武装への警戒も抱いている。中国が核拡散防止になかなか協力しないという状況の中で、より多くの協力を得るため、アメリカは中国に多様な働きかけを試みているらしい。勝手気ままに振る舞う中国に対し、いかにアメリカが手を焼いているかという話だが、こうした事実はほとんど国内で報道されない。
中国の実態が国民に広く知らされていれば、反日・売国の政治家や経済人、学者、そして「腐れマスコミ」が、どれほど危険なものか一目瞭然になる。利敵行為にうつつをぬかす偽物の日本人達を知れば、お花畑の国民だって数が減少するであろうに。

 米中経済安保調査委員会で報告された、「中国の主権についての考え方」を紹介してみたい。現在の日本にとって、切実で、重要な情報ではなかろうか。
「中国の陸上の国境線はほとんど確定しているが、最近中国政府は、海上、空中、そして宇宙の領有に関する国家主権をあらたに主張するようになった。」「これらの領有に関する主張は、他の諸国から認められていない。」「それでも中国はこの権利主張を広め、守ることを、軍事、非軍事両方の手段で推し進めている。」「中国のこの種の行動は、アメリカへのチャレンジとなり、アジア全体の経済と安全保障にも挑戦となっている。」

 尖閣諸島への領海侵犯や沖縄への領有権など、最近始まった日本への攻撃は、こうした主張に基づいて行われている。だから氏は、強く警鐘をならす。「これは恐ろしい現実である。中国は海洋法を守らない。海洋法に基づく国際機関の決定も無視する。」「中国は、国際条約よりも自国の主権主張を断固として優先させるという態度を鮮明にしている。」「この事実は、中国と海上での領有権紛争を抱えた日本のような諸国にとっては、とくに重圧をもつてのしかかってくる。」

 まさに日本は、こうした中国の挑戦と攻撃にさらされており、だからこそ安保関連法案が重要になっている。それなのに国会の参考人となった鳥越俊太郎氏は、「いったい、どこの国が日本を攻めてくると言うのですか。中国ですか。」と相手を小馬鹿にしたように笑っていた。こんな人物がジャーナリストの第一人者ともてはやされるのだから、日本のマスコミの堕落ぶりが推し量られる。

 海上での主権のぶつかり合いを防止するため、国際基準の一つとなつているのが海洋法である。中国は各国共通のルールたるべき海洋法を、自国に都合の良いように変えて履行するという構えを平気で見せるようになった。その一例として古森氏が次のように説明する。
「海洋法を守る世界の諸国では、自国の主権が及ぶ範囲は、沿岸から12カイリまでの水域である。」「ところが中国は、主権の及ぶ海域を、沿岸から200カイリへと拡大している。」「その上200カイリを超える大陸棚の延長の海域まで見做すというのだから、中国の主権行使がいかに異様なものか分かる。」


 「中国は、自国の排他的経済水域の上空を、他の諸国のように " 国際的空域 " とみなさず、自国の主権の適用対象とみなしている。」「中国はその勝手な解釈を誇示するため、上空を飛ぶアメリカの航空機に対し、捕捉、妨害、対抗などを繰り返している。」

 こうなると最早中国は、国際秩序を破壊する無謀な大国でしかなく、国際平和と秩序を守る第三諸国のリーダーだなどという自称はペテンと言わざるを得ない。この本の中では「中国の宇宙開発計画」「サイバー攻撃」など、まだ多くのことが述べられているが、この辺りで止めにしよう。興奮してくるから、健康に悪いし、何と言ってもこの秋の日をこれ以上台無しにしたくない。もっと知りたい人は、この本を買って読めば良い。

 ここまで中国を大きくしたのは、最初は日本だったのだだろうが、それ以後は欧米の肩入れだ。経済第一と利益を優先し、国民を弾圧し、人権を踏みにじる政府を黙認した結果がこれだ。かって中国政府は、日本の軍国主義政府と国民は別物だと言って平和条約を結んだが、同じことを日本がすべき時が来ている。
「弾圧されている国民と、残虐な中国政府は別物だ。」と認識し、日本の人権派や平和主義者や人道主義者は、踏みつけにされている中国国民への支援をすべきではないのか。彼らこそがお人好しで優しい、日本の左翼お花畑の人々の援助の手を待っているのではなかろうか。共産党や民主党、そして消えつつある社民党は、声を大にして中国への支援活動をやるべきであろう。

 スパイと間違われて投獄され、拷問を受けても、崇高な使命に生きる者にとっては、何の悔いもあろうはずがない。

 

 

 
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アメリカでさえ恐れる中国の脅威 -1

2015-10-07 21:02:46 | 徒然の記
 古森義久氏著「アメリカでさえ恐れる中国の脅威」(平成21年刊 ワック株式会社)を読み終えた。
氏は毎日新聞で編集委員を務めた後、産経新聞へ移り中国総局長となった異色の経歴を持つ人物だ。毎日新聞記者当時の経験を綴った「ベトナム報道1300日」を読んだのは、2年前だったから、氏とは二度目の出会いだ。

 中国の現状に関する「米議会調査機間の報告書」が、この本の元資料だ。先月読んだ「小平のいない中国」が平成7年の出版だから、氏の著作は中国の実像に最も近い本ということになる。読後感は、ただ一言「言い知れぬ危機感」だった。
反日・売国の政治家や腐れマスコミのお陰で、危険な中国を肌で感じぬままに暮らしてきたが、ここまでくると覚悟という段階にいると分かった。

 中身についてはこれから述べるとして、アメリカでさえ恐れている中国とは何なのか。結論から述べると、「共産党独裁の国家に暴走されたら、アメリカだってたじろいでしまう」という事実だった。アメリカも大統領の決意次第で無謀な戦争を始める国だが、それでも曲がりなりにも民主主義の国家だから、自由な意見が許され反対や異論がいくらでも主張できる。国民の多数が反対する行為なら、いずれ糾弾され、政権の交代や大統領の失脚につながったりする。

 しかし独裁と弾圧の中国では、反対意見がねじ伏せられ、異論は武力で押さえつけられる。国民の意見とか、世論とか、野党の大好きな民意とか、そんなものは党主席の決定の前では何の意味もなさない。要するに、中国は政治問題が内乱でしか解決できないという恐怖の国なのだ。つまり共産党の一党独裁下では、主席の暴走を止める平和的施策が皆無だということ。

 貧しい後進国だった中国はすでになく、経済力でも、軍事力においても、世界に恐れる者がないほどの大国になってしまった。彼らに言わせれば、植民地戦争時代に受けた屈辱の歴史の清算の時が来て、欧米列強へ報復をしているだけのことらしい。中でも小国日本から日清戦争で負かされたことは、何にも増して我慢がならない・・・・と、これが中国を強国にした民族団結の怨念である。

 まず私たちが認識を新たにしなくてならないことは、中国の経済が、世界経済に組み込まれた度合いの深さと大きさだ。中国憎しのあまり、明日にでも崩壊しそうな予想が日本で幅を利かせ、中国を嘲笑する本が売れているが、どうやら事実はそんな簡単なものでないらしい。中国が崩壊したら、日本はおろか世界中の歯車が動かなくなってしまう事実の方が真実味があると思えてきた。

 家電、自動車、情報機器、農産物、雑貨等々、日本のメーカーが大挙して現地生産に踏み切り、もはや中国なしで日本経済は回らなくなっている。日本だけかと思っていたら、アメリカの方がもっと緊密な関係になっていたと知った。一例を挙げれば、航空機産業の関連部品の大半が中国で作られているという事実だ。

 軍事機密が多いからと、日本にだって渡さない技術を、中国マーケットの大きさに負け、アメリカは合弁企業で現地生産している。中国の恐ろしいところは、関連する現地企業がほとんど国営であり、解放軍とのつながりを有し、機密が際限なく盗まれていくという構造だ。だから「調査報告書」は、ボーイング社がどんどん生産拠点を中国へ移すことについて、次のような危惧を表明している。

 「米中間のこの種の状況を、規制しないで放置しておくことのマイナス点は明らかだ。アメリカの企業にとって、製品の販売が常に生産拠点や必要技術の他国への移転を意味するならば、その企業の利益とアメリカの国益は合致しなくなる。」「特定のアメリカ企業はこの種の条件に応じることで利益を増すことができるが、アメリカ国家にとっては、自国の経済や安全保障に有害な事態を招くことになる。」

 ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーやメリルリンチなどといった米国のファンドマネーが世界中を席巻し、自国はおろか日本もヨーロッパも東アジアの国々も、経済を掻き回された記憶はつい昨日のように新しい。会社の利益のためなら、彼らは国家も社会も無視し、腐肉をあさる禿鷹のように情け容赦なくビジネスを展開した。グローバリズムなどという一見高尚らしい言葉で、弱肉強食の世界を作ろうとしている。

 けれども今では、その彼らさえ恐れさせる投資ファンドが中国に二つ存在している。一つはCIC(中国投資有限責任公司)であり、今ひとつがSAFE(国家外貨管理局)の巨大ファンドだ。これらについて、報告書は次のように説明する。重要なことなので、面倒でもそのまま引用したい。

 「中国の国家ファンドは、世界最大の保有外貨に直接支えられている点でも、他の国の政府系ファンドとは異なる。」「中国の外貨保有高は既に二兆ドルで、さらに毎年5 千億ドルの割合で増大していく。この巨額な外貨は、中央銀行の一部である国家外貨管理局」(SAFE)によって管理されている。」
「このSAFE自体がCICと競争するような形で、独自の投資活動をすることもある。」「SAFEもCICも他の国有銀行、国有企業と同様に、中国政府からの命令を受けて国家目標を推進するために機能している。」つまり中国のファンドは、政府の意思のままに動いている点が、他の国々の政府系ファンドと基本的に異なっているのだという。

 端的に言って、アメリカの懸念はここにある。
「アメリカでは長年、国家間の経済、金融の取引は原則として民間セクターが主体となり、政府の役割は制限されていることが望ましいと考えられてきた。」「中国の国家ファンドの膨張を許せば、世界の自由経済市場の重要な部分が、独裁的政府の所有下に置かれコントロールされることとなる。」「中国の国有企業の海外での拡大は、国際的資産が特定の国家の管理下におかれ、アメリカが当然視してきた国際経済、国際金融の構造と機能を変質させることとなる。」

 つまり世界中の経済、金融、貿易が、中国の管理下に入っていくという恐ろしい話だ。
現在の中国はアメリカ債への投資と購入額で世界最大の国となっており、オバマの米国はチャイナマネーの国内流入が拒めない立場にいる。報告書はさらに続ける。かって世界最強の大国だったアメリカが上げる、悲鳴のような報告書である。

 「中国側の投資が、アメリカの自動車、電機、通信、宇宙なとどいう安全保障にかかわる、高度技術の領域の企業に及ぶとなれば、アメリカの国家安全保障への深刻な疑念が生まれてくる。」


 昔のアメリカなら、即座に中国への報復と反撃を開始し、力任せに問題を解決しただろうに、中国に対し議会への報告書で懸念を表明するだけという無力さだ。大国アメリカの没落の方が、中国の崩壊より早まっているのではなかろうか。古森氏の本だけで判断するのは早計だとしても、最早我が国の保守の人々が軽視するような中国の実態ではない。

 アメリカですら困惑している中国の強大さを、私たち日本国民は真剣に直視し、考えなおさなくてならない。平泉氏の警鐘の正しさが日を追うごとに明らかになる。氏の逝去を知って以来、残りの動画を見てしまうが惜しくなり中断しているが、これもそろそろ再開しなくてはなるまい。

 このような中国を脇において、日本の政治家たちは、「平和憲法」やら「集団的自衛権の可否」やら、何を呑気な空論を弄んでいるのだろうか。能天気な政治家たちを棲息させているのが、お人好しで愚昧な多数の国民だとすれば、こんな悲惨な話はない。「独裁者安部を倒せ」とか、「戦争を許すな」とか、隣国を知ればとても叫んでおれない寝言なのに、お花畑で騒いでいる人間たちは文字通りの「左巻き」だ。

 明日も、この続きを書こう。
爽やかな秋の空が美しい。風が冷たくなり、二三日中には、衣替えの準備をしなくてはいけない。ランニングシャツを半袖から長袖に入れ替えたが、本格的な冬物の準備はもう少し先だ。中国へのブログが一段落するまで、何もかもお預けだ。
これからは楽観的な中国批判や嘲笑を止め、覚悟を持って、国民のひとりとして対応策を考えてみたい。とてもじゃないが、獅子身中の虫みたいなバカな人間など相手しておれなくなった。こんな気持ちは、国を大切にする保守の人々にしか理解されないのだろうと、そんな思いにさせられる今宵だ。


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