ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

自虐史観 ( 元外務官僚藤崎一郎氏の正論 )

2016-07-28 14:05:31 | 徒然の記

 誰が言い出したのか知らないが、言い得て妙の言葉である。だが最近の私は、これを「自己否定史観」あるいは、「自滅史観」と言い換えたい衝動にかられる。

 四、五日前のNHKの番組で、藤崎一郎という元外交官が出ていた。温厚な語り口の紳士で、中々の好人物と見えたが、その意見には落胆させられた。

 「日本は、明治以来二つの大きな間違いをしました。」「一つは、軍国主義へ走ったこと。」「二つ目は、第二次大戦を引き起こしたこと。」正確な表現を覚えていないが、内容は間違えていないと思う。

 列強がアジアを侵略していた、あの時代を考えれば、富国強兵を国是として孤軍奮闘した日本を、それほど簡単に責められるのか。ましてこれが間違っていたなど、なぜ言い切れるのか。第二次世界大戦にしても、日本が引き起こしたものでなく、欧州ではヒトラーのドイツが台頭し、ムッソリーニのイタリアが続き、もともと政情が不安定になっていた。

 アジアでは依然として欧米列強の植民地が存在し、ロシアでは暴力革命を旗印にする共産党が政権を樹立していた。中国では赤い毛沢東が蒋介石と交戦しており、遅かれ早かれ、日本以外の要因で、世界は戦乱に突入していた。しかるにこの藤崎氏は、あたかも日本にだけ責任があるという論調で、さらりと意見を述べている。

 どういう人物かとネットで調べてみたら、なんと氏は外交官の父を持つだけでなく、明治の元勲伊藤博文の玄孫だという。氏自身も北米局長をし、米国駐劄特命全権大使までやっている、外務省エリートの一人だ。こういう人物までが、自虐史観を身につけ、まっとうな顔をして日本滅亡に協力しているのかと、今更ながら外務省の如何ともしがたい体質を知らされた。

 さて、83才と自称する人物のブログを見て、こんな意見もあるのかと驚いたのは、昨夜だった。老い先短いからなんでも思ったことを言うのだと、そんな調子で書かれていた。

 「拉致問題は、永久に解決しない。」「拉致問題はその内風化し、忘れられる。」「実態を知っていながら、北朝鮮と折衝しようとしている安倍総理は、馬鹿だ。」

 拉致家族の苦しみを無視し、頑張っている者たちの苦労も思いやらず、何とひどい意見かと腹が立った。しかし、前後のブログを読み進む内、納得せずにおれない意見に出会った。

 「北朝鮮と話し合いをしても、解決などあるはずがない。」「彼らは日本の金が欲しいだけで、拉致問題を解決しようなんて、頭から考えていない。」「日本に残されている道は、二つしかない。」「ひとつは、自衛隊を使って武力で被害者を奪い返す方法。」「今一つは、拉致被害者のことを断念する方法だ。」

 「今の憲法では、自衛隊は北朝鮮へ出ていけない。」「国民を救うための武力が使えない、そこが分かっているから、北朝鮮は日本が恐ろしくも何ともない。」「主導権は、永遠に北朝鮮にあり、日本は金をせびられるだけだ。」

 「話し合えば解決するなどという者がいるが、一体何年話し合っているというのか。」「話し合っている間に、拉致家族の親たちは死んでしまう。」「自衛隊という武力を動かせなくて、北朝鮮と話し合うのは無駄なこと。」「自衛隊を動かすには、憲法を改正しなくてならない。」「だが、国内ではそれができない。」「だとすれば、もう結論は一つしかない。」「拉致被害者の救出を断念し、諦めること。」

 左翼も、自民党の反日議員も、この老人のように、現実を見つめ、本気で議論する勇気を失っている。拉致問題だけでなく、尖閣への領海侵犯だって、行き着くところは「憲法改正」だ。自分の国を守るための軍を持つ・・・・。ただこの一言に尽きる。

 戦争ができない国になっている日本を、普通の国にすること。つまり亡国の野党や、反日の自民党議員が言うところの、「戦争のできる国」にすること。大事なのは、この83才の老人が指摘するとおり、「戦争ができる」ことと、「戦争をしたがる」ことは別なのだ。自滅史観の愚か者たちは、憲法改正によって、あたかも日本が戦争をしたがる国へと変貌するように騒ぐが、これこそが大間違いの詭弁だ。

 都知事選に立候補している鳥越氏は、「尖閣に中国が上陸してきたら、」「あんな無人島のために戦争するのですか。」と、冷笑した。こんな人間を、どうして都知事という要職に就かせられるのだろう。無人島であれなんであれ、国の主権を守るためなら、戦争も辞さないという覚悟があって、初めて国の安全が担保される。

 それならば、あんな無人島、いや、島とも言えないサンゴ礁に、なぜ中国は国運を賭けるのか。国際社会の非難を無視し、埋め立て工事を敢行し、軍事施設を作っている中国の不気味さが見えないような鳥越氏の姿に、反日左翼たちの亡国ぶりを見る。

 83才の老人に比べれば、73才の私は若すぎるが、それでも、こういう正論を言う老人は、大切にしなければならない。そして私も、もういい加減、本音のブログが書きたいものだ。都知事選において、自虐史観の人間どもを当選させてはならない。国を自己否定し、自滅の道を進もうとする左翼思想を拒絶しなくてはならないと、遠慮なく言いたい。

 見習うべき老人の正論だが、ひとつだけ自分との違いがあるとすれば、それは「過激的言動の否定」だ。右であれ左であれ、過激で勇ましい言辞は、日本のためにならない。日本民族は世界一優秀だとか、日本が世界の一等国だとか、独りよがりの自惚れた主張を、私は嫌悪している。

 自分の国が一番だと、多くの国の人間が心に思っているのだから、先ずそれを事実として認めなくてならない。内心で誇りを持つことと、大声で主張し他者を排斥することは、別次元の話だ。自己正当化と、自己賛美を押し通すことは、やがて世界の平和と秩序を乱す要因となる。

 私のブログで、乱暴な言葉が使われ、過激と見える言い回しがあるとしても、それはここに言う「過激」でなく、独りよがりの自惚れた主張でもない。

 勝手なことを言うと思う向きもあるだろうが、分かる人には分かってもらえるはずだ。

 

 ねこ庭の木で、セミが鳴いている。雨らしい雨が降らなかったが、明日あたりには、気象庁が梅雨明け宣言をするのではなかろうか。優秀な人材が集まっていると言われる気象庁だが、最近はなぜか権威を失ってしまった。「梅雨明けになったと、思われます。」・・・・なんて、ひどく自信のない宣言をしている。

 しかしこれも、昔と違って、独りよがりの主張をやめた結果だと思えば、是としなくてはなるまいか。 

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西田昌司氏のビデオレター

2016-07-24 22:05:25 | 徒然の記

 都知事選での、桜井誠氏の演説動画が多くの人間に見られている。テレビも新聞も黙殺しているが、動画の世界では格段の人気らしい。それで私も、先日氏の動画を見た。聴衆を「君ら」と呼んだり、「ふざけるな、こんな馬鹿なことがどうして許されるんだ。」と怒鳴ったり、相変わらずの桜井節だった。

 けれども、話している内容には抗えないものがあった。過激な言葉に抵抗を覚えたが、多くの日本人が言えなかったことを氏が代弁しているという感があった。

 「密航して、不法入国して日本に来たからと、大人しくしているのならいいんですよ。」「ところがどうです。やつらは、不法滞在者なのに、日本を攻撃し、日本人の悪口ばかり言っています。」「日本の国にいて、日本のお世話になりながら、日本の悪口を言い、日本人を貶める。」「そんなに嫌なら、自分の国へ帰ればいいんですよ。」

 「自分の不法入国は棚に上げて、謝れ謝れと騒いでいる。」「ここは日本、日本人の国なのです。」「戦後70年経っても、こんな馬鹿なことを私たちはまだ続けるんですか。」

 野次ったり怒鳴ったりする聴衆に向かい、「ここに上がってきて、意見を言いなさい。」「来ないなら、こっちから行きます。」と選挙カーから降りて、相手に向かっていく。こんな候補者は見たことがない。なんというパフォーマンスかと、最初は眉をひそめたが、身辺警護の運動員を置きざりにし、単身人混みをかき分ける氏に、ひとつの覚悟を見せられた。

 平成7年の4月だったと思うが、オーム真理教の村井秀夫が、教団本部前で刺殺された。ひしめく野次馬と200人近い記者の眼の前で、一人の暴漢が彼を刺した。桜井氏のように、民団や総連から目の敵にされている候補者は、単身で人混みを歩くのは危険極まりない。

 小池百合子氏にも、殺人をほのめかす脅しがきているらしいが、桜井氏にはもっと多くの脅迫状が届いているとのこと。それを知りながら人混みに入るなど、普通の人間ならできない。私は、桜井氏が命がけでこの選挙戦を闘っていると理解した。あの過激さでは、都知事になれないだろうし、なられても困るが、それでも氏の主張の率直さと、体を張る勇気に脱帽した。

 さてここで、今日のブログの本題に戻る。今年の5月24日に、ヘイトスピーチ禁止法が国会で可決された。今日まで信じられなかったが、この法案を推進したのが、有田芳生氏と西田昌司氏だという。反日・売国の有田氏は分かるが、保守議員の先頭にいるような西田氏が法案の推進者と言われて信じる気になれなかった。

 しかし今日、「西田昌司のビデオレター」という動画を偶然眼にし、氏自身の言葉による制定の理由を聞いた。なんだ、こんな詰まらない議員だったのかと即座に幻滅した。保守議員という呼び名を削除し、能天気なお花畑の住民の一人として、軽蔑を込めて再認識した。

 「ヘイトスピーチは、あってならないものです。」「人間として恥ずかしいことです。」正論だから、その意見には反対しない。

 だが、次の言葉を聞いたとき、私は思わず声が出た。「西田君、お前はもう、日本人の中のクズだ。」これまでは「西田氏」と呼んできたが、一瞬にして敬意の念が吹き飛んだ。

 「韓国の日本大使館前で、韓国の人たちが、日本の悪口を言ったり、攻撃したりしています。」「しかしこれは、日本で、ある団体が、韓国人の悪口を言ったり攻撃したりすることと、同じではないのです。」「これを混同するから、間違えるのです。」

 「韓国大使館前でやられているのは、ヘイトスピーチでなく、政治的主張なのです。」「政治的主張と、個人的憎しみから叫ばれるヘイトは別なのです。」

 このような馬鹿な区分を頭の中でする政治家が、どうして保守という範疇に入れられるのか。日本人の誇りと矜持は、どこへ捨てたのか。私は西田氏に聞きたい。

「知事選の演説で、桜井氏はいつもと同じ話を聴衆にしているが、いったいこれは、ヘイトスピーチなのか。」「それとも、同じ内容でも、選挙戦での話なら、突然政治的主張とやらに変化して、桜井氏は法の埒外に置かれるのか。」

 普段の桜井氏の主張が、政治的要素のない個人的感情に過ぎないと、君の頭にはそう響くのか。馬鹿も休み休み言えと言いたい。上品さの欠けた桜井氏のアジ演説とは言いながら、氏は、敗戦後の日本の政治や社会情勢から語っている。在日の歪んだ特権と、政治の怠慢や矛盾をわかりやすい言葉で説明している。

 彼の主張は、最初から最後まで「政治的主張」そのものでないか。もっといえば、あの日本大使館前で、首相の首を切ったり、日の丸を引き裂いたりし、「残虐な日本」を責める韓国人のスピーチの醜さは、桜井氏の演説以上でないか。

 国民の嫌韓と怒りは、どこから出発したか。それは全て韓国政府と、狂気の韓国人が「慰安婦問題」で日本を執拗に攻撃したからでなかったのか。韓国はアメリカで、国連で、フランスやカナダで、慰安婦像の設置を推し進め、日本の歴史と過去の全てを貶めた。

 それが事実ならまだしも、昭和57年の朝日新聞の捏造報道(吉田の嘘証言)から始まり、国内の売国・左翼が日本の罪悪を大合唱し、多くの国民を苦しみの底へ蹴落とした。平成26年に、やっと朝日新聞が捏造と大嘘の報道を取り消して謝罪したが、この間の国民の苦渋と怒りを、西田君は忘れたとでもいうのか。

 桜井氏の意見は、こうした事実の積み上げに立っており、身の危険を顧みず活動している。そんなことを一切考慮せず、有田芳生氏ごとき反日の議員と手を携え、ヘイト法案を成立させたというのなら、私はただ一言「恥を知れ」と言いたい。

 誇りある保守の議員の列から氏の名前をつまみだし、「獅子身中の虫・駆除すべき害虫」の引き出しに入れることとする。

 ネットで調べてみると、ヘイト禁止法を定めているのは、カナダ、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、デンマーク、フランスなど、18ヶ国の名前があった。逆に法が制定されていない国は、アメリカ、イギリス、ドイツ、ロシア、中国、韓国、北朝鮮だ。

 しかし制定している国であっても、日本のように、自国の人間がヘイトスピーチを受けてもお構いなしとしている国が、果たして存在するのか。面倒でそこまで調べなかったが、自国民がヘイトスピーチで攻撃されても平気でいるなど、そんな馬鹿な国があるとは考えられない。

 何度でも言おう、「都知事選での桜井氏のスピーチは、法の網にかかるのか、かからないのか。」「選挙時のスピーチなら、突如としてヘイトの対象外になるのか。」「そんなおかしな法律を、税金と時間をかけ、本気で作ったのか。」

 もっと日本国民に、わかりやすく説明して欲しいものだ。

 

 

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創価学会 公明党をぶった切る

2016-07-20 21:49:01 | 徒然の記

 藤原弘達氏著「創価学会 公明党をぶった切る」(昭和60年刊 (株)日新報道)を、読んだ。

 氏は大正10年広島県に生まれ、東大卒業後に政治評論家になった。攻撃的な右翼的政治評論で名を挙げ、マスコミの寵児だったらしい。当時ノンポリだった自分は、何も覚えていない。それでも、中身を知らないが、氏が「創価学会を切る」という本を出版するとき、なにやら騒動があったという記憶はある。

 どうして氏が、これほど創価学会を目の敵にしたのか、読後の今でも理解できない。結論から述べれば、つまらない本だったとその一言だ。昭和44年に氏が「創価学会を切る」という本を出そうとしたとき、学会の激しい妨害に会い、当時の自民党幹事長だった田中角栄氏が仲介に立っている。出版する本を全部買いあげたいと、いかにも金権政治家の田中氏らしい申し出だった。

 氏が断ると、今度は笹川良一氏が、同じ提案をしたらしい。だが本は出版され、国会での論戦に使われ、池田氏の証人喚問をするかしないかで大揉めになった。当時の日本は高度成長期の最中で、新入社員の私には何しろ暇がなかった。土日も祝日も出勤し、それでも人手が足りず、残業に追われる毎日だった。

 今回読んだのは、その16年後に出版された昭和60年の著作で、「創価学会 公明党をぶった切る」と、更に扇動的な書名になっている。目次も、俗悪週刊誌の見出しにそっくりだ。もしかすると、最近の週刊誌の際どい見出しは、マスコミを闊歩していた氏が先鞭をつけたのかもしれない。

「月刊ペン事件にみる汚辱の構図」「学会の三流スパイ大作戦・電話盗聴」「ヤクザまがいの大石寺対学会の縄張り争い」「宗教法人をかたる営利集団」「ビジョンなき政権欲ボケ」「公明党は池田の私物的存在から抜け出せるか」

 目次のタイトルの一部だが、暴露記事ばかりで終始されると、真面目にものを考える人間は辟易する。これも叔父の蔵書の一冊だが、どうやらあまり関心を払われていなかったようだ。気に入った本に、叔父は購入月日と購入書店を記入している。もっと大切な本には、自分でカバーを掛け、剥がれないようテープで貼っている。

 そうしたものが無いところを見ると、、叔父は、内容の低劣さに気落ちしたのではなかろうか。出版妨害や電話の盗聴、本山との争いなど、どれも見過ごせない重大な学会の恥部だ。やっきになり、出版を止めさせようとしたのだから、創価学会にとっては、世間に知られたくない爆弾みたいな内容だったに違いない。

 私は創価学会親派でなく、むしろ苦々しい思いのすることの方が多いが、それでも氏に賛同し、学会を非難攻撃する気にならない。激しい言辞が並んでいるが、氏の言葉には、心に響く誠がこもっていない。

 世間を騒がす話題を提供し、雑誌でも週刊誌でも売れれば良いという、利益優先のジャーナリズム根性が目につく。右翼的評論家などと言われながら、共産党と手を組み、創価学会を攻撃していると知れば、人間性にも疑問符がついてくる。共産党が目をつけて政治利用したのか、氏の方が歩調を合わせたのか、それは知らない。目的のためなら手段を選ばないというのでは、右翼的評論家の名が廃るのではないか。

 つい二年前だったが、自民党の役員までした古参議員が、こともあろうに赤旗へ寄稿し、安倍総理を批判したことがあった。何でもありの議員など、国民は相手にするわけが無い。安倍氏に批判的な自分だが、あんな亡国政党の手を借りるなど思いつきもしない。ついでだから再確認のため、その愚かしい売国議員の名前を記しておこう。加藤紘一、古賀誠、野中広務の三氏だ。

 目的のためなら手段を選ばずでは、まともな人間に相手にされない。藤原氏の主張は、事実を踏まえなされているが、感情論が先に立っている。冷静なジャーナリストの目が曇っていると懸念するのは、創価学会だけが恥部を持ち、暗い闇を引きずっているのかというところにある。

 批判は正論だが、宗教法人はどこも似たり寄ったりでないのだろうか。物欲、金銭欲、出世欲、個人崇拝など、暴露されないだけの話だと私は推察している。氏の本を読んで喝采するのは、要するに無知なる庶民であり、お花畑の住民たちだ。氏のやっていることは、一過性の批判や反感を掻き立て、いっとき世間を騒がせるだけの川面の泡でしかないと、そんな気がした。

  本の最終章で、氏は次のように述べる。

「公明党には、恥も外聞もなし」「公明党には、国民党としての資格なし」「公明党は、乗り心地の良い船に乗る」「公明党は、ファッショの起爆剤、危険がいっぱい」そしてこれが、結論だ。

 「やはり公明党は、解党すべし」あたかも公明党さえなくなれば、日本が正しい国になると言わんばかりだ。だが戦前から敗戦後にかけ、そして現在において、共産党がやってきたことは、創価学会の悪辣さの何倍になるというのか。

 事実に基づいていても、他の事実との比較なしに述べられる意見は、偏見という名で呼ばれるのではないか。針小棒大、大山鳴動してネズミ一匹では、冷静な評論家であるはずがない。叔父がこの本を評価していないのを、正しい態度だと納得する。

 ネットの情報によると、氏はすでに亡くなられているらしいので、これ以上は言及すまい。生きておられる時はマスコミ界の実力者だったから、皆に沢山お世辞を言われたに違いない。それでつい、自分の意見が何でも世間に通ると勘違いし、こんな本を出されたのだろう。追従する取り巻きは、人の判断力を曇らせるのだから、ほんとに罪な人間たちだ。

 氏が亡くなったあとも、マスコミ界で評論家として名を売り、持ち上げられている自称ジャーナリストが、今も沢山いる。間違いなくその中の一人が、都知事選に立候補した反日の鳥越俊太郎氏だ。追従する取り巻きが、個人でなく、売国の野党であるだけに今回は始末が悪い。

 こんな体たらくでは、推薦した野党の党首たちも、鳥越氏本人も、双方進退極まっているのではないか。


 

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大本襲撃

2016-07-17 19:43:20 | 徒然の記

 早瀬圭一氏著「大本襲撃」(平成19年刊 毎日新聞社)を、読了。

 氏は昭和12年大阪に生まれ、同志社大学卒業後毎日新聞社へ入社している。客員編集委員を経たのち、東洋英和女子学院の教授、北陸学院大学副学長となっている。

 大本教(おおもと)については、かって国のひどい弾圧があったとか、力を持った教団だったとか、その程度のことしか知らない。格別知りたいとも思わず今日まで来たが、氏のお陰というか、叔父の蔵書のお陰というのか、図らずも理解させてもらった。左翼平和主義者やマスコミが、戦前の日本は酷かったと言っているので、自分には、戦前の日本について知りたいという気持ちが常にある。

図らずもこの本が、そうした私の願いの一端を叶えてくれたので、結果として感謝している。これが事実だとすれば、戦前の公安警察は、中国に劣らない残虐さで、社会への不安を煽る思想に対峙していたのだと、分かった。左翼であれ、右翼であれ、社会秩序を乱すと判断されれば、容赦なく弾圧される。

 警察による大本教弾圧は、一回目が大正10年、二回目が昭和10年だ。二回目の弾圧は酷いもので、頑丈な本部の建物が爆薬で破壊され、検挙者は教祖以下およそ千名にのぼっている。一回目は不敬罪、二回目は治安維持法違反である。甘粕大尉に検挙され、大杉栄、伊藤野枝、甥の宗一 (6才)が拷問で惨殺されたのが、大正12年で、昭和8年には、小林多喜二が、築地警察署でなぶり殺しにされている。

 第二回目の検挙で、厳しい警察の拷問を受けた大本の信者は、一年間の間に自殺者1名、衰弱死者2名、自殺未遂2名と書かれており、当時の警察の残虐さに心が冷える。三代目の教祖となる若い日出麿は、連日の拷問で精神異常となり、一生回復しなかった。

 この本は、二代教主の出口すみを中心に話が書かれている。大本教は教主は男でなく、女がなるものと決められているらしく、平成の現在は五代教主紅氏だ。ややこしいのは、初代の出口なおを補佐する形で大本の基礎を作った王仁三郎が、教祖と呼ばれて崇められているところだ。二代教主のすみは、初代教主なおの三女で、王仁三郎はその夫である。

 すみは王仁三郎が存命の間は、教団の表にあまり出ず、財産の管理や資金管理、信者の管理など実務面で力を発揮している。胆力のある女性らしく、逆境にあっても笑顔を絶やさず、子供のような純真さを持ち、周囲の人間を惹きつけていた。王仁三郎が亡くなった時、再起不能の三代目の日出麿を抱えながら、「わしが今日から、教団を指導する。」と宣言し、落ち込む信者たちをとりまとめ、教主の真価を発揮したという。

 私は信者でないから、著者のように、すみの話に感動しないが、大本教の話に心を動かされた。初代教祖なおは、当初「天照大御神」を拝んでいたが、ある日突然に神かがりとなり、自分は「艮(うしとら)の金神(こんじん)」の生まれ変わりだと称する。艮の金神は、別名を國之常立命( くにのとこたちのみこと)と言い、日本書紀の中に出てくる。

 天之常立命(あめのとこたちのみこと)と並ぶ、根元神で、始原神とも言われ、この世に現れた最初の神であるらしい。つまり、天と、地とを造った最初の神様だから、天照大御神より前の神様である。

 教祖なおは、この艮の金神の生まれ変わりだと公言し、自分が乱れた世の中を変える、すなわち「世直しをする」と語る。無学文盲の彼女が神がかりになって語り、その思いをかな文字で記す。これが有名な「お筆書き」と言われるもので、大本教の教えの基本となる。曖昧なお筆書きの言葉を解釈し、補強し、信者たちに伝えたのが、王仁三郎である。

 敗戦後の日本は、誰が何を言おうとお構い無しの社会になっているため、多くの人間には、弾圧される理由が分からないのではなかろうか。しかし、有難いことに今の自分は理解できる。大本教主は天皇陛下より以前の神、この世の根元の神の生まれ変わりで、この世を作り直すというのだから、天皇陛下の御代を否定する、憎むべき破壊思想ということになる。つまり、共産主義同様の危険思想ということだ。

 私が知るべきというか、覚悟しておくべきことが、この本で語られている。

右であれ、左であれ、政治を語る者は、好むと好まざるにかかわらず、時の政権とぶつかる。その時に、みっともない姿を晒さないように気をつけること・・・・・。安倍政権が本当に自主独立の国として日本を再生した時、はたして反日・売国の左翼は生き残れるのだろうか。

 あるいは、赤い皇后陛下を批判し、皇室の伝統と文化を崩壊させる雅子妃を批判する私は、果たして無事でおれるのだろうか。「不敬罪」とか、「不穏思想」とかで、警察に連行されないだろうか。

 日本が普通の国として独立し、自前の軍隊で国を守り、米軍の駐留も無くなった時、社会がどうなるのか。良識とか、バランス感覚とか、国民の意識とか、色々なものがきちんと確立していないと、中庸の社会は生まれないのだと、ここはしっかり考えておかなくてならない。

 今のように反日のマスコミが跋扈する社会も腹立たしいが、反対するものを排斥してしまう狭量な保守も唾棄すべきものだ。今回の知事選挙で、自民党の都連が石原氏の名前で、党の公認者以外を応援した議員は、家族縁者がそれをしても除名すると、こんな馬鹿な文書を出している。不用意な話だが、要するにこれが、個人の思想弾圧というもので、自民党が隠している爪だ。

 右も左も、国民がしっかりしていないと、過激な愚か者は、こうした締め付けや弾圧を平気で実行するということだ。知事選を観察しつつ、この本を読めば、生きた社会学が学べる。国民が賢明でないと、議員もマスコミも、左右に大きく振れるということを、歴史の中からしっかり学ばなくてならない。他人がどうであれ、自分をちゃんとしておきたいから、これからも本を読むこととする。

 

 蒸し暑い一日だった。そして、やたら蒸し暑い本だった。傍らのテーブルには、叔父の遺品である本がまだ26冊ある。どんな気持ちで、叔父はこの本を読んだのだろうか。全部を読み終えたら、無口だった叔父の心が、分かるのだろうか。それもまた、私の楽しい宿題だ。人は亡くなっても、残った者に語りかけると、こういうことなのだろうか。

 

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何でもありの都知事選

2016-07-12 22:01:48 | 徒然の記

 千葉県民だから投票権はないが、首都の知事選という点では、国民として無関心でおれない。

 舛添氏を選んだ前回の知事選も、理想とする候補者がいなかったけれど、今回もまた同じだ。候補者を推薦する政党からして、常軌を逸した選定をしている。参議院選挙で完勝したからといって、舛添氏の失敗を再び繰り返そうとする懲りない自民党だ。公明党と一緒になり、元建設官僚の増田寛也氏を公認した。

 増田氏は党に所属せず、民間人として総務大臣になった経歴を持つ。風貌は舛添氏に比べると温厚だが、頭の中は舛添氏同様の親韓派だ。電力不足の韓国を助けるため、海底トンネルで両国をつなぎ、電力を送るケーブルを敷設しようと、発想の規模は舛添氏を遥かに凌ぐ土建屋の理論だ。

外国人参政権付与にも賛同しているし、慰安婦問題についても韓国寄りの見方をしている。要するに、先の大戦は日本だけが悪かった、日本が侵略戦争を始めた、日本が謝らなくてならないと、自分の国への愛が薄い政治家だ。

 自民党員なのに、党にも都連にも相談せず、小池百合子氏は立候補した。元防衛大臣だから、増田氏に比べたらマシなように思えるが、元をたどれば日本を大切にする政治家なのかどうか、首をかしげたくなる。元々はテレビのニュースキャスターで、細川氏の日本新党で議員となり、新進党へ移り、小沢氏について自由党へ変わり、小沢氏に見切りをつけて自民党に入っている。あだ名は「政党の渡り鳥」らしいが、機を見るに敏な政治家である。

 ジャーナリスト出身らしく、舛添氏の負の遺産である朝鮮人学校への土地貸与を白紙に戻すと言っている。金食い虫のオリンピックの見直しもすると、時流に乗った発言で都民の心を掴みつつある。

 片や野党の民進党はどうかといえば、これがもう、話にならない迷走ぶりだ。女たらしの芸能人の石田純一氏を誉めそやし、担ぎ上げるかと思ったら、ブーイングの大きさに驚いたのか、今度は元官僚の古賀茂明氏に声をかけた。都政の刷新をすると記者会見までさせておきながら、結局は鳥越俊太郎氏に決めた。

 鳥越氏は否定しているが、舞台裏の話では野党共闘の候補者だという。この鳥越氏たるや、反日・売国の元凶みたいなジャーナリストで、日本より中国や韓国が大事らしく、慰安婦問題についても、尖閣への領海侵犯についても、決して韓国や中国を批判しない。それどころか、戦前の日本の全てを悪の一言で片付け、もっと韓国や中国へ謝罪すべしと主張する。

 舛添氏の韓国学校への土地貸与の件についても、今は答える時期でないとはぐらかしている。増田、小池の両氏が白紙に戻すと言っていることから推察しても、鳥越氏は舛添氏を凌駕する売国ジャーナリストだ。こうした人物を推薦し支援するというのだから、なるほど民進党が参院選で大敗する理由がわかる。岡田氏以下同党の政治家たちは、国民の求めているものを無視し、右傾化とか好戦国民とか、薄っぺらなレッテル貼りにしか頭を使っていない。

 過酷な国際社会のなかで、日本はこれからどうすれば良いのか、軍隊なしで生きていけるのか、本当に他の諸国は平和を愛する国々なのか、こうした国々の信義と公正を信頼して、自国の安全と平和が守れるのだろうかと、敗戦後の70年にして、やっと多くの国民が真剣に考え始めた。

 きっかけを作ったのは、韓国による慰安婦問題の激しい攻撃だった。捏造の大嘘を混じえて、韓国は国連ばかりでなく、アメリカやフランスなどで、醜いまでの日本攻撃を展開した。また、中国は尖閣諸島への領海侵犯だけでなく、最近は沖縄は中国のものだったと言い始め、沖縄の独立まで画策している。

 しかもこうした横暴な隣国へ情報を提供し、国内でのデマを増幅させ、お花畑の国民をたぶらかしてきたのが、共産党であり、民進党であり、社民党だった。だからこそ、自分の国を大切にする国民が目覚め、反日野党や売国マスコミを見限りつつある。

 いわば鳥越氏や宇都宮氏はこうした政党の広告塔であり、追蹤者だ。とても不安で、都政の未来など託せる相手ではない。私のように日本を大切にする国民の目から見れば、鳥越氏や宇都宮氏は親の仇と言って良いくらいの「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」である。

 この二氏に比べればマシに見えるが、増田氏も小池氏も反日の度合いにおいては彼らの仲間である。

 どこの国でも、選挙というのは何でもありの異常事態なのだろうが、こんな不毛の選択を迫られた都民は、戸惑っているに違いない。月末には結果が出るが、賢明な都民の方々は果たしてどんな投票をするのだろう。

 何でもありの選挙で、情けないまでの政党の有様だが、一つだけ救いがある。愚かな政党とはいうものの、人を殺したり殺されたり、死人が出ないところだけは、世界に誇れる日本だと、自分で自分を慰めることとしよう。

 (自分を慰めるための屁理屈が九割で、本気の部分が一割だ。死人の出る選挙なんて、そんなものは未開の国の話だから・・・・。)

 

 

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千葉日報とは、どんな会社か

2016-07-10 17:41:28 | 徒然の記

 選挙の投票を終え、国民として責任も果たしたので、結果がどうであれ、まず安堵している。

 現在、時間は午後の四時だ。開票速報はまだ出ないから、待ち時間を活用し、少し勉強してみよう。朝日、毎日、産経、千葉日報と購読する新聞を変えてきたが、産経はやめなくて良かったのでないかと、私を知る者からは疑問視される。

 産経は日本で唯一の保守系新聞と評され、朝日やNHKの対極にあると言われている。

 私には良いのだが、産経は、家内に不評だった。何でも、朝日新聞と逆の論調なので、その姿勢に違和感があったらしい。国会で、野党が自民党に対し、何でもかんでも、屁理屈で反対するように、産経は、圧倒的反日マスコミの中で、保守論を展開している。家内にはそれが、左翼政党のひねくれ根性と、同様に見えたようだ。朝日の偽善的人道主義に辟易する、私の気持ちを理解してくれる、家内の意見は、日本の誰のものより優先する。聞けば、それなりの理屈があるため、妥協した。

 そして、名前も知らなかった千葉日報を、タウンページで探した。最低の条件は、記事の「両論併記」だった。どうしたって、日本のマスコミ界は反日だから、中立の記事は望むべくもなく、期待もできない。千葉日報は、朝日新聞の親戚かと思われる、酷い記事もあったが、最近は「両論併記」の気配が見られるようになった。

 そこでネットを利用し、千葉日報社の概略を調べてみた。会社の資本金が、3億6千万円で、従業員数は129名だ。活字だけ見ていると、大きな組織に見えるが、実態は小さな会社だ。昭和31年に設立され、初代社長は、なんと松本キヨシ氏だ。薬の安売りで、一時は派手なコマーシャルを全国に流していた、あの会社の創業者だった。

 朝刊のみを発行する新聞社で、自前の印刷工場は持たず、日経新聞の千葉工場に委託している。年間売上高は、40億円だ。発行部数が公表されていないほど、少ないせいか、新聞の折り込み広告も依頼されていない。

 どのくらいこじんまりとした会社なのか、提携している日経新聞と比較してみよう。まず発行部数だ。千葉日報と違い、こちらは堂々と公表している。朝刊275万部、夕刊が140万部だ。年間の売上高が1,806億円なので、千葉日報の45倍だ。従業員数が3,007人だから、こうなると千葉日報社は、まさに家内工場レベルの会社だ。

 私が長年勤務した会社は、有名企業ではなかったが、資本金286億円で、従業員が一万一千人だった。関連会社を含めると、三万人の従業員がいた。年間の売上高が3,434億円だったから、こうしてみると、日経新聞社より大きな図体をしていたのだ。

 長く会社勤めをしていた習い性で、こうした数字でしか、会社の比較が実感できない。

 社会の激流に棹さすマスコミと、どこにでもあるお前の会社と、単純な比較をするなと、千葉日報の社員に叱られそうだが、決してそんなつもりではない。山椒は小粒でもピリリと辛いと、昔の人が言ったように、図体だけが立派さの基準にはならない。

 日本経済を支えているのは、大企業ももちろんだが、何といっても、全国に存在する優秀な中小企業群だ。千葉日報が、こうした地味で、粘り強い会社だったと知った今は、応援したいという気持ちが湧いてきた。

 私の会社は、千葉県内にも、支店や営業所が数カ所ある。会社を辞めて8年が経っているが、後輩もまだいるので、「元気ですか。朝日新聞やめて、千葉日報に変えてはどうだろう。」「野菜だって、地産地消の時代だし、地元の新聞を大切にするのも大事なことだよ。」・・と、自分がやれるのは、せいぜいこんなところだろうか。

  両論併記で、千葉日報よ、がんばれ。 これぞ、マスコミの鏡。

コメント (2)
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永平の風

2016-07-07 22:00:49 | 徒然の記

 大谷哲夫氏著「永平の風」(平成13年刊 (株)文芸社)、を読み終えた。これも叔父の蔵書の一冊だ。

 氏は昭和14年に東京で生まれ、早大文学部を卒業後に、曹洞宗宗学研究所員となった。昭和52年に駒澤大学に奉職し、副学長、仏教学部教授を務めている。

 先月読んだ中野氏の著作は、道元の「正法眼蔵」についての解説書だったが、大谷氏の本は道元の生涯を描いた伝記である。丹念に事実を調べた上で、道元への敬愛に満ちた、控えめな文で書かれており、不動産屋の広告みたいな、中野氏の著作とは大違いだった。

 中野氏も、対話をすれば一廉の人物なのだろうが、反日の東大卒らしい、平和主義者だった。反核アピール運動で、井上靖、井上ひさし、大江健三郎氏らと行動を共にしながら、保守の国学院大学で教職をとっていた。政治家でも同じことだが、本人は真剣でも、主義主張の相反する場所を、あちこち渡り歩く人物には、どうしたって信頼が薄くなる。

 その点大谷氏は、信念を左右にせず一筋の道を歩き、地味な道元の生涯を辿っている。同じことを語られても、背筋を伸ばし、読みたくなるから不思議だった。510ページの分厚い本だが、余計な批評も忘れ、ひたすら読んだ。道元が、かの有名な永平寺を開いた、曹洞宗の初祖だということにしても、中野氏の本で、すでに知っているのに、改めて感心した。

 中野氏の著作は、たった310ページだったが、得意げな氏の高説に退屈させられ、何度か中断した。

 「道元の心を知らない中野様。もっと勉強なさりませ。」

 叔父の批評まで書かれていたから、いっそう先入観があったのかもしれない。

 きっと叔父は、大谷氏の著作を読んだのち、中野氏の本に目を通したのだろう。執筆姿勢の折り目正しさを比べると、確かに大谷氏の方が、生真面目な叔父に似つかわしい。私は叔父みたいな堅物でないから、二人の著者にそれぞれ敬意を表する。

 道元が産声をあげた時代は、紀元1200年の鎌倉時代だった。征夷大将軍となった頼朝は、これから幕府を固め、支配を強化しようとしていた矢先に、落馬事故のため命を落とした。

 長子頼家が18歳で後を継いだが、京と鎌倉の権力のせめぎ合いが高まり、政情が一気に不安定になった。加えて台風、火災、水害、干ばつといった自然の災害が重なり、庶民の暮らしを、いっそう不安なものにしていた。

 道元という人物を語るには、面倒でも母の伊子(いし)と、祖父である藤原基房について、述べなくてならない。一度で覚えられなかったため、メモをしたので、これに沿って叙述する。

 「後白河法皇の厚い信任を得て、基房は、、」「摂政・関白として、朝廷で絶大な権力を振るっていた。」「しかし台頭してきた、平清盛と対立し、政権の座を追われ、」「清盛は、基房の甥である基通を関白につけた。」「身の危険を察し、基房は出家し、善観と名乗り、難を逃れた。」

 「その四年後、平家は、頼朝と呼応した木曽義仲に追われ、」「都落ちする。いわゆる源氏の台頭と、平家の滅亡である。」「基房は、これを好機と義仲に接近し、当時16歳だった三女、伊子を、」「義仲の側室として、送り込む。」

 「才色兼備の伊子に、たちまち義仲は夢中になり、基房の便宜を図る。」「義仲が基房の長子・師家を、内大臣摂政に任じ、」「基房は、再び朝廷での主導権を回復する。」

「しかし翌年、都で群盗と化した義仲の軍勢は、」「頼朝の差し向けた、義経の率いる軍に滅ぼされた。」「頼朝は基房の復権を良しとせず、基房の弟の藤原(九条)兼実と、代わらせた。

「だが朝廷の世界では、幕府との協調を図る兼実は、歓迎されず、」「対抗する勢力として、台頭してきたのが、源通親(みちちか)だった。」「通親は、権謀術数をもって活躍した政治家で、」「頼朝の押す兼実の政権を、根底から揺さぶった。」

 「やがて兼実を、後鳥羽上皇に讒訴して失脚させ、」「その一派を、ことごとく朝廷から追放してしまった。」「鎌倉の頼朝は、通親の存在を、蛇蝎のごとく嫌っていた。」

「義仲亡き後、傷心の娘、伊子を引き取り、」「家運の挽回を伺っていた基房は、通親への接近を図った。」「そしてついに、彼は伊子を、通親の側室として送り込むことに成功した。」「この時通親は52才、伊子は30才だったが、深い悲しみをたたえた伊子の瞳は、」「世の無常を悟った、女心をうかがわせていた。」「通親は、噂にも増して知性を内在した、伊子のまぶしさと、色香に強く惹かれていった。」 

 前置きが長くなったが、道元は、伊子と通親の間に生まれた、庶子だったということだ。通親に、幼名を文殊とつけられた道元は、幼い頃から利発な子で、成長するにつれ、群を抜いた才能を発揮する。

 だが彼は、早逝した母、伊子の教えを心に刻み、政治の世界で生きることを望まず、仏門に一生を捧げると決意する。

 このあたりは本の序章に過ぎないが、生きることの意味を懸命に探す、ひたむきな青年道元の姿に、涙をそそられた。道元などと呼び捨てにしているが、彼は、私などが想像すらできない、雲上の人だ。庶子とはいえ、周囲からの敬意を集め、将来を属望されたプリンスだった。だが彼は、決して幸せではない。

 比叡山延暦寺で、修行し学び、頭角を現し、ついには学僧の一人として宋へ派遣される。天候に左右されながら、難渋して宋に辿り着いて以後、再び道元は、周囲の中国僧を驚かすような才と、精進をみせる。短期間のうちに、中国語が話せるようになり、仏典についても深く理解し、驚嘆せずにおれない克己心と努力だった。

 こういう箇所を読んでいると、学門、文化、芸術など、やはり当時の中国は、日本に多くのものを与えた、先進国だったと教えられる。現在は共産党に支配され、訳のわからない国となっているが、過去の中国に、敬意を失ってはなるまい。残酷で無謀な、共産党に支配された、現在の中国国民に対し、むしろ私たちは、同情すべきではないのだろうか。

 乱世には偉人、傑人が輩出すると言われるが、当時もそうだったのだろう。767年に生まれた最澄が、比叡山で天台宗を開き、真言宗の開祖となった空海が生まれたのは、774年だ。比叡山の延暦寺では、若い修行僧として法然、栄西、親鸞、道元、日蓮などが学んでいる。

 地震や洪水、原発の事故などが頻発し、安倍政権の暴走とか、独裁だとか、あたかも日本が、乱世の末期、でもあるかのように、左翼政治屋や反日マスコミが合唱しているが、一人も偉人や傑人が生まれていないところからすると、平成の今は普通の時代ではないのだろうか。

 金儲け主義の反日マスコミや、程度の低い政治家たちに惑わされず、一喜一憂をせず、ゆとりを持って暮らそうと、本は様々のことを教えてくれる。

 金と権力を握った者が、庶民を痛めつけるというのは、道元の時代から続いていると、それも教えてくれた。歴史を、生き生きと再現してくれた氏に、感謝したい。これ以上中身を書くと、本を買う人が減るといけないので、ブログを終わるとしよう。

 良い本を読むと、心が豊かになり、良い人間になれたような幸せがある。ただ残念ながら、この幸福感と自己陶酔が、一晩しか続かず、明日はまた、普通の自分に戻るという現実がある。繰り返していることなので、慣れっ子にはなっている。

 ここが道元と異なる、縁なき衆生というのか、悟れない凡俗というのか・・。そこだって、分かっているつもりだ。


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選挙

2016-07-05 23:35:41 | 徒然の記

 選挙というのは、いったい何なのだろう。

 真っ当な意見を述べたり、常識的なことを言ったり、誰もそれができなくなるらしい。棄権をしないようにとか、日本の未来を考えて投票しましょうとか、相変わらず、紋切り型の言葉が飛び交っている。

 毎度のことながら、選挙時の政治家のやることは、国民を愚弄しているとしか思えない。まず都知事選での自民党に驚いた。自民党都議連が前岩手県知事で、元総務相の増田寛也氏(64)に、東京都知事選への出馬を要請した。敵対国として、中・韓が目の前にいるとき、なんで第二の舛添氏に、都知事を要請するのか。

 この非常識さ、国民の気持ちからのズレ度合い・・。金の使い方の吝嗇さだけで、多くの国民が、舛添氏に怒ったのではない。親韓の度合いが過ぎ、都民のためより、在日韓国人を優先したから、リコールの声がかまびすしくなったと、その認識が全くない。

 増田氏みたいな、反日候補を担ぎたがる自民党は、国民が何のため安部内閣に多数を与えているのか、気づくこともできないらしい。親韓の議員の跋扈する、自民党の実態が、国民の目に晒されているだけの話でないか。はたしてこれで、保守党と言えるのか。

 対する亡国の野党は、国の安全を守る法律を「戦争法」とレッテルを貼り、相変わらず国民を、レベルの低いお花畑の住民としてしか、扱っていない。都民でないため、都知事選には参加できないが、自民党なら、唾棄すべき左翼政党と同じ穴のムジナだ。

 だいたい、マスコミもマスコミでないか。「安部自民党の暴走」とか、「数の暴力」とか、「民主主義の破壊」だとか、野党のこんな戯言を、恥ずかしげもなく活字にする。民主主義の基本すら無視した暴論を、正しいものであるかのように記事にする、新聞の低劣さに、怒りを通り越し情けなくなる。

 民主主義は、衆愚政治に陥る危険性を常に持つが、多数決という原則で動いている、政治システムだ。個人が直接、政治に参加できないから、代理となる政治家を選挙で選び、多数を得た政党が、政治を担当する。こんなことは、中学生でも知っている政治の基本だ。

 多数を得た自民党が政権を担い、国民の意思を反映する法を作り、実行する。こうして作られた安保関連法が、どうして「数の横暴」になるのか。「民主主義の破壊」になるのか、世の識者たちは、キチンとマスコミにもの申すべきでないのか。

 6月にNHKが行った、政党支持率をみれば、自民党への支持は38.1%だ。対する民進党は7.6%しかない。弾圧政治の共産党が、爪を隠し猫なで声で囁いているが、国民の支持はたったの3.2%だ。

 国民の代表みたいに胸を張っている、福島氏の所属する社民党なんて、0.8%の国民にしか支持されていない。かっては飛ぶ鳥を落とす勢いで、100人近い議員を引き連れ、赤い中国へ挨拶旅行をした小沢氏の党は、なんという名前だったか、忘れていたが、0.1%の支持率だ。

 一人前に民主主義政党と名乗るのなら、もっと国民の支持を集め、議員の数を増やしてからものを言うべきでないか。国民の支持どころか、そっぽを向かれているのに、どんな「民意」を語るのかと問いたい。自分たちの不甲斐なさが、支持率に出ているのだと、反省したらどうなのだろう。

 安部内閣のやることに、私は何でも賛成していないし、怒りを抑えている時もあるが、野党がこんな有様では、消去法で自民党に入れるしかない。

 自民もダメ、野党もクズというのなら、残る道は棄権か。18歳の若者は、どんな基準で投票するのでしょう。選挙民を笑う前に、政党の姿勢を笑いたい。というより、怒りが爆発寸前である。


 そうは言っても、棄権などせず、私はキチンと国民の義務を果たす。どういう投票をするか、今は秘密だ。時には、私にも秘密くらいはある。

 
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