■ Furtwänglerの、記念碑的な Matthäus-Passionマタイ受難曲 の名演■
~Bach の音楽的思考が、スケルトンのように明確に分かる演奏~
~27日の 平均律 第2巻 アナリーゼ講座は、15番 G-Dur~
2014.5.21 中村洋子
★「 Musikverlag Ries & Erler Berlin リース&エアラー社 」 から、
近く出版されます、私の 「 Suite für Violoncello solo Nr.2
無伴奏チェロ組曲 第 2番 」 の校訂作業が、ほぼ終わりましたが、
引き続き、「 Suite für Violoncello solo Nr.4
無伴奏チェロ組曲 第 4番 」 の校訂が始まり、忙しい毎日です。
★忙しい時にこそ、ついつい、違うことに手を伸ばしてしまいます。
このところ、ブログで書いております Wilhelm Furtwangler
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)の、
作曲作品も、「 Ries & Erler Berlin リース&エアラー社 」から、
出版されています。
その Furtwängler が亡くなる直前、1954年に録音しました、
≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ を、聴き始めてしまいました。
★この演奏は、一部が割愛されていますが、
聴き出しますと、もう止められません。
3回も、繰り返して聴いてしまいました。
★ Furtwängler につきましては、≪ 神秘的 で偉大な指揮者 ≫、
というイメージが、いまだにはびこり、
そのように思い込んでいらっしゃる方も多いと、思います。
★今回、≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ の直筆ファクシミリを、
見ながら、 Furtwängler の指揮を聴きますと、
5月 3日の当ブログ
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20140503 で、
書きました ≪ unbeirrbarorganischen 揺るぎない有機性≫
という意味が、疑念を差し挟む余地が全くないほど、
ヒシヒシと、伝わってきます。
その具体的な意味を、再度、貼り付けますと、
≪ 譬えて言いますと、一つの煉瓦から、巨大なピラミッドを、
どのように構築していくか、ということです。
最少の motif モティーフを、 countepoint 対位法 、harmony という
クラシック音楽の 「 根幹の設計図 」 に基づき、
少しづつ発展させ、組み合わせ、巨大な宇宙の構築にまで、
発展させる方法論のこと ≫ なのです。
★つまり、 Furtwängler の指揮で、≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫
の構造が、これ以上ないほど明確に現れてくる、
Bach の音楽的思考が、まるでスケルトンのように分かってくる、
のです。
ということは、聴いていて、とても分かりやすい、
という意味です。
★Furtwängler に対する “ 神秘的 ” という形容詞は、
この ≪ unbeirrbarorganischen 確固たる、有機的な ≫ という
キーワードを、「 格調 」 と訳した新潮社文庫のように、
勉強不足で、 Bach の音楽を読み取ることのできない人が、
その理解力不足を糊塗するための、形容詞なのでしょう。
決して、神秘的ではなく、 ≪ 明快 ≫ そのものの音楽なのです。
★私が、どうして Furtwängler の演奏を、
読み取ることができるようになったのかを、考えますと、
いろいろな要素が、挙げられます。
★ 「 無伴奏チェロ組曲 」 を六曲書き、 Bach の世界に半歩でも、
近づきたいと、努力したことや、
「 Inventio & Sinfonia インヴェンション & シンフォニア 」 の、
「 アナリーゼ講座 」 を開催し、そこで、 Edwin Fischer
エドウィン・フィッシャー(1886~1960) の校訂版を、徹底的に学び、
Bach の構築性を、教えられたこと。
★残念ながら、Edwin Fischer の平均律校訂版はありませんので、
それに匹敵するであろう、Bartók Béla バルトーク (1881~1945) や、
Julius Röntgen ユリウス・レントゲン (1855~1932)の、
平均律クラヴィーア曲集1、2巻校訂版を、学ぶことにより、
Bach の音楽の構造をどう解析するか、その方法論を学んだこと。
★さらに、 Furtwängler の作曲した曲を、彼自身の指揮で、
聴いたことも、大変に勉強になりました。
そこに、彼の曲の構造を、演奏にどのように結びつけているかが、
実によく表れており、その手法が、読み取れました。
★ Edwin Fischer と Furtwängler は、
Beethoven Piano Concerto No.5 の歴史的名演など、
数多く共演し、真に理解し合う仲でした。
Edwin Fischer が録音した 「 平均律クラヴィーア曲集 」 は、
「 Bible 聖書である 」 と、Wolfgang Boettcher 先生が、
常々、話されています。
★ Furtwängler の≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ が、
一点の曇りもなく、分かりやすい演奏であるのは、上記の理由からです。
日本で広まっている 「 神秘的でデモーニッシュな指揮者 」 という
Furtwängler 像は、彼の実体とは、大きくかけ離れていると、
私には、思えます。
★一例を挙げます・・・
≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ の冒頭の合唱と orchestra の
『 Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen 』 で現れる、
「 バスのオクターブにわたる音階上行形 」 には、
≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ の構造を、解くカギがあるー
といっていいほど、重要な部分です。
Furtwängler の指揮から、その重要性が、余すところなく、
伝わってくるのです。
★「 平均律第 1巻 」 が1722年 完成、
そのエッセンスを凝縮した 「 Inventionen und Sinfonien
インヴェンションとシンフォニア 」 ( 初心者用の曲ではありません ) が、
1723年 完成、≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ の初演が、
1727年です。
この 3曲が 1720年代に完成していますが、それらを共通して、
読み解くカギが、平均律第 1巻の 「 序文 」 にあると、
言い切れます。
★それにつきましては、24回にわたった 「 平均律アナリーゼ講座 」 で、
既に、詳しくご説明いたしましたが、
≪ 調性をどう解釈するか ≫ という問いへの、解答が、
「 序文 」 にあり、それの具体例がまさに、
「 バスのオクターブにわたる音階上行形 」 なのです。
★自著で書かれていますように、
Furtwängler にとっても、 Bach は至上の作曲家です。
そして、≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ の指揮で、
“ これが、私の Bach です ” と、言っています。
思わず、膝を叩きたくなるような、音階の演奏。
★5月 29日の 「 平均律第 2巻 アナリーゼ講座 」 は、
15番 ト長調 G-Dur です。
平均律第 2巻は、≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ 初演から、
10年後の 1739年に、London Manuscript が、残っています。
★その10年間で、 Bach の調性への取り組みが、さらに、
深まり、「 平均律第 1巻 」 や、≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫
とは違う世界を、形成しています。
15番 G-Dur は、独自配列の Bartók版 ( 全 2巻 ) では、
「 第 1巻の冒頭の曲 」 でもあるのです。
★このことは、 Bartók が Bach を、どのように、分析していたか、
ということの答えに、なるでしょう。
講座で、この点について、詳しくお話いたします。
★音楽の演奏は、年々進化していくように、思われる方が、
多いかもしれませんが、
昔の時代の演奏が、時代遅れでは全くありません。
Bach をバロック音楽の中に位置付け、
≪ バロックというタガを嵌める ≫ のは、滑稽であると、
いうべきでしょう。
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● 中村洋子 平均律 第 2巻 アナリーゼ講座
■ 第 12回 第 15番 G-Dur BWV884 Prelude & Fuga
~ 平均律 2巻 前奏曲になぜ、Binary form(二部構成)が多いのか~
■ 日 時 : 2014年 5月 29日(木) 午前 10時 ~ 12時 30分
■ 会 場 : カワイ表参道 2F コンサートサロン・パウゼ
■ 予 約 : Tel. 03 - 3409 - 1958
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