■ エキエル校訂のショパン「別れの曲」は、原典といえるのか?■
2010.11.9 中村洋子
★近く、ドイツで出版されます、
私の3冊目の楽譜 「 チェロ 四重奏曲集 」 の、
校訂作業中で、忙しくしております。
★ドイツの出版社から 「 あなたの自筆原稿で、2小節ごとに、
3回フォルテが記譜されており、 2回目と 3回目は必要ないのでは、
あるいは、2回目、3回目は、アクセントを意味するのでしょうか 」
という、問い合わせがありました。
★確かに、1回 forte と記譜した以上、
それを解除する記譜が無い限り、その後も、
forte が続く、というのが、楽典の常識です。
しかし、作曲中の私の気持ちとしては、
「 2回目のフォルテの際、緩めることなく、そのまま、
フォルテで弾く、3回目も、どうぞ、そのまま、
フォルテで弾いて欲しい」 という、
願いから、出てきた記譜です。
★しかし、常識に沿った出版社の疑問も、当然ですので、
1回目を、piu forte ( その前が、mf でしたので、
結果として forte を意味する ) 、2回目を forte、
3回目の forte 記号は削除、ということにしました。
演奏上は、私の最初の記譜と同じように、
forte が、続くことになります。
★この私の楽譜は、作曲家の ≪ 生前出版 ≫ となり、
出版楽譜の記譜は、≪ 作曲家自身の校閲を経ている ≫ ため、
≪ 自筆譜より、正しい記譜である ≫ ということに、
一般的には、なります。
★しかし、このように、作曲家が意図した音楽が、
最も、生々しく流れているのは、≪ 出版楽譜 ≫ より、
≪ 自筆譜 ≫ である、ということは、論を待ちません。
★このことは、ベートーヴェン、モーツァルト、シューマン、
ドビュッシーなどの、大作曲家の遺した自筆譜と、出版楽譜との
関係と、全く同じです。
★ショパンの「 Etude in E major Op.10 no.3 」
通称 「 別れの曲 」 についても、同様です。
この曲については、ショパンが、極めて丁寧に清書した
「 自筆譜 」 が、残されています。
★この自筆譜を見ますと、ショパンが、
バッハの 「 平均律クラヴィーア曲集 1巻 9番 ホ長調 」や、
モーツァルトの作品を、完全に自分の血肉としたうえで、
自らの 「 Etude 」 を、創作したということが、よく分かります。
★いま話題の 「 エキエル版 」 を、見ますと、
この版は、「 自筆譜を見比べつつ、
『 初版楽譜の第 2刷 』 を底本とし、さらに、
ショパンの弟子カミ―ユ・デュボアなど、
三人のお弟子さんの楽譜に、ショパンが残した書き込みも、
考慮した 」 とあります。
★結論から言いますと、これは、
ショパンの 「 原典 Urtext 」 ではなく、
エキエルが、さまざまなソースを自分の主観により、
取捨選択して作り上げた、「 エキエルの ショパン楽譜 」
ということが、できます。
★この楽譜の欠点は、次のような点です。
「 底本としている 『 初版楽譜の第 2刷 』 に、
エキエルの判断で、自筆譜の表記を加えている
ところが見受けられるが、それについては、
全く、注釈していない。
つまり、どこが自筆譜のままなのか、
どこが 『 初版楽譜の第 2刷 』 の表記なのかは、
不明である 」
もう一点、 「 ショパンの自筆譜と、
『 初版楽譜の第 2刷 』 とは、表記が顕著に、
異なっているところがありますが、
それが、どこであり、どのように異なっているか、
エキエル版には、その説明が、なされていない 」
という点です。
★具体的な例を、一つ挙げますと、
2小節目の ≪ 1拍目 ソプラノ ≫ は、
16分音符 4つ ( Fis, Gis, Gis, Fis ) から、出来ています。
自筆譜では、3番目、4番目の ( Fis, Gis ) に、スラーが掛り、
この Gis の少し前から、 ≪ ディミヌエンド ≫ が、始まります。
ただし、この ≪ ディミヌエンド ≫ は、
≪ アクセント ≫ のようにも、
見えるように、書き込まれています。
この個所が、9小節目で反復されるときは、
明らかに ≪ アクセント ≫ のように、記譜されています。
★エキエル版は、ショパン初版楽譜をそのまま、踏襲して、
16分音符 4つ ( Fis, Gis, Gis, Fis ) の音を、
一つのスラーで括り、
1番目の Fis 、 2番目の Gis に、クレッシェンドを、
3番目の Gis、 4番目の Fis に、ディミヌエンドを、
付しています。
★さらに、理解しにくいことは、
2拍目の ≪ ソプラノ 4分音符 Gis ≫に、
意味不明の、 ≪ ディミヌエンド記号のようなもの ≫ が、
記されています。
この不明の記号を、「 アクセント 」 ととることは、
非音楽的ですし、4分音符の長い音 1音を、
一体どうやって、ディミヌエンド できるのでしょうか。
★この個所での、記譜の違いは一見、
些細で、 “ つまらないことに目くじらを立てている ” 、
と、受け取られるかもしれません。
しかし、ここにこそ、ショパン音楽の本質が、現れ出ている、
といってもいいほど、極めて、重要な箇所です。
★ショパンが、自らの手で、この場所を書いたその瞬間、
彼の頭の中で、バッハを源とするハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンなどの音楽が、滔々と流れていたことが、
逆に、見事に証明できるのです。
そこを、11月 16日の 「 第 9回平均律・アナリーゼ講座 」 で、
「 バッハの平均律 1巻 9番 ホ長調 」 と、比較しながら、
詳しく、ご説明いたします。
★「 別れの曲 」 初版楽譜や、エキエル版に見られる、
上記の記譜法は、「甘く、ロマンティック 」 に、
聴こえるかもしれません。
しかし、ショパンの、元々の発想を知ることにより、
たとえ、エキエル版のままで弾くにしても、
そのクレッシェンド、ディミヌエンドを、
どのように弾いたらよいかが、分かってきます。
それにより、本物のショパンに迫ることができるのです。
★エキエル版は、数多く存在する 「 ショパン校訂楽譜 」 の、
One of Them です。
「 別れの曲 」 の自筆譜ファクシミリを、見ることは、
現在、難しくはありません。
まず、それをご覧になり、ご自身の目で、
ショパンの作曲時の発想を、確認することが、
大切であるように、思います。
★自筆譜も、実は 2種類あり、
最初のものは、「 Vivace = 生き生きと速く、アレグロより速く 」 、
その後に書かれた、 2回目の自筆譜は、
「 Vivace ma non troppo = Vivace よりは遅く 」、
そして、パリの 「 Schlesinger 」 により、出版された
「 初版楽譜 」 には、「 Lento ma non troppo =
ゆっくりと、しかし、それほど遅くはなく 」 と記され、
それぞれ、テンポが変更されています。
★なぜ、ショパンが段々と、遅くしていったか、
これについても、 16日のアナリーゼ講座で、解説いたします。
( 名古屋・亀末広、茶三昧、寒具 )
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コメントありがとうございました。20年ほど前、どちらでご一緒でしたでしょうか?
ごめんなさい、思い出せません。
よろしくお願いいたします。
中村洋子