音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■平均律第1巻6番「フーガ」、バッハが自筆譜に記したスラーに秘めた大きな意味■

2010-07-06 17:09:48 | ■私のアナリーゼ講座■
■平均律第1巻6番「フーガ」、バッハが自筆譜に記したスラーに秘めた大きな意味■
                     2010.7.6 中村洋子


★平均律クラヴィーア曲集第1巻6番「フーガ」の、

2 小節目と 3 小節目に、

バッハ自身が、「 スラー 」 を、書き込んでいます。


★この 「 スラー 」 の解釈により、

この 「 フーガ 」 を、どのように演奏するか、

それが決定されるほど、重要な 「 スラー 」 です。


★バッハが、「 スラー 」を記入したということは、

「 必要であるから、記入した 」ということです。

「 必要であるから 」とは、

「 誤解されないため 」という意味です。


★ 2 小節目の「 スラー 」は、自筆譜では、

1拍目 16分音符 4つに、掛っています。

楽譜によっては、

自筆譜のように、4つを一つのスラーで、

大きく括っているものと、

最初の F ( ファ )から、スラーを始めずに、

2番目の D ( レ )から、始めている楽譜もあります。


★前者の、 4つを 一括りにしたスラーを採用しているのは、

ベーレンライター版 ( アルフレート・デュール校訂 )、

ヘンレ版 ( 新版 エルンスト・ギュンター・ハイネマン校訂 )

などです。


★また、後者の、3音にスラーを掛けているのは、

ヴィーン原典版 ( デーンハルト校訂 音楽之友社 )と、

ヘンレ版 ( 旧版  オットー・フォン・イルマー校訂 )など。


★どうして、このように、2種類のスラーになってしまったか?

それは、バッハの手書譜のスラーが、

符頭から、下に大きく離れた場所に書かれ、しかも、

スラーの始まる場所が、若干、2番目の音符に寄っているからです。


★しかし、つぶさにこの手書きスラーを見ますと、

最初の音符から、スラーが始まり、4音に掛っていると、

見るのが妥当と、思われます。


★では、なぜ、3音にスラーが掛けられている、

と解釈する楽譜が、あるのでしょうか。

それは、 1 小節目から始まる「 フーガのテーマ 」 の前半を、

2 小節目の F ( ファ )まで、と見ると、

テーマ全体が、すっきりと見渡せ、理解しやすくなるからでしょう。


★しかし、そのような解釈であるならば、

バッハは、そこに 「 スラー 」 を、書き込むことはしなかった、

と、私は思います。


★その解釈、つまり、テーマの前半が、

2 小節目冒頭の F ( ファ ) まで、続く場合、

F は前半を閉じる音となります。

そのため、 F に重み は、掛りません。

重みが掛りませんと、流れのあるテーマと、なります。


★一方、スラーが 4 つの音全部に掛る場合、

テーマの解釈が、全く、異なってきます。

つまり、 F から、テーマの第 2部分が始まり、

非常に、緊迫感があり、畳みかけるような曲想に、

がらりと、変化します。


★さらに、 2小節目の冒頭の F ( ファ )と、2番目の D ( レ )が、

分断されないことにより、 F と D とによって作られる

「 短 3度 」 が、 1 小節目の主題冒頭の、 8 分音符

D ( レ )ー E ( ミ )ーF ( ファ ) によって作られる

「 短3度 」 と、見事に、呼応することになるのです。


★そして、この 「 短 3度 」 音程が、 2 小節目 2 拍目、

スタッカートの 4 分音符 B ( シ♭ )と、

3 拍目の、トリルの付いた 4 分音符 G ( ソ )

によって作られる、 「 短 3度 」 にも、

さらに、呼応しています。

この B 、 G による 「 短 3度 」 が、テーマの頂点になる、

ということが、分かります。


★つまり、「 短 3度 」 が、 3 回現れ、クラシック音楽の原則、

「 3 回目が頂点 」 に、則っています。

バッハは、この 2 つの 4 分音符に、スタッカートとトリルを

自ら、書き込むことにより、その頂点であることを、

演奏者に、指示している、と思います。


★日本でよく読まれ、権威とされている平均律の解説書には、

このスタッカートについて、

『原典版には、2小節目のところに、非常に短いスタッカートが
ついています。これは気をつけなければいけない。この場合の
スタッカートは、バッハは自分で書いているわけですけれども、
これはむしろここのところで、フレーズが切れるというくらいの
解釈でいいと思うんですよ』と、書かれています。

≪非常に短いスタッカート≫と、書かれています。

しかし、自筆譜を見ますと、

短いどころか、ごく普通のスタッカートです。

ヘンレ旧版のみ、スタッカーティシモに記譜していますので、

ヘンレ旧版だけを見て、≪非常に短いスタッカート≫と、

書かれたのでしょう。


★自筆譜や、他の通常の版は、すべて「通常のスタッカート」です。

上記の≪非常に短いスタッカート≫は、明確に誤りです。

そのように演奏しますと、次の G ソ の音に行こうとする、

音の流れが、断ち切られてしまいます。


★さらに、≪フレーズが切れるというくらいの解釈でいい≫で、

演奏しますと、すでにご説明いたしましたように、

「 短 3度 」の関係が、損なわれてしまいます。

バッハが 3 回積み上げて構築し、頂点とした 「 短 3度 」が、

無残に、空中分解してしまいます。


★ 3 小節目の、 2 拍目のスラーの書き方も、同様に、

版によって、さまざまです。


★ヘンレ旧版は、スラーを削除して、全く記載していません。

ヘンレ新版とヴィーン原典版は、バッハの自筆譜を、

完全に無視し、 3 小節目の( タイによって繋がれた )

2 拍目冒頭の A ( ラ )から、 2 拍目終わりの E ( ミ )まで、

スラーで、全部括っています。


★ベーレンライター版は、

2 拍目の 16 分音符 2 つ目の音 G ( ソ )から、

2 拍目終わりの E ( ミ )まで、スラーで括っています。


★虚心に、バッハの自筆譜を眺めますと、

スラーは、 2 拍目 2 番目の 16 分音符 G( ソ )から、

次の16分音符 F( ファ )の、2つの音を、スラーで繋いでいる、

と、見ることができます。


★バッハの、ソ と ファの 2 音のみに、

スラーを掛けた技法は、常識的なものではありません。

ヘンレ新版、ヴィーン原典版、ベーレンライター版の、

スラーの掛け方は、大変に、常識的です。


★バッハが、なぜ、2 音のみにスラーを掛けたか?

その意図を、分析していきますと、

豊かなバッハの音楽の、根幹に触れる、思いがします。

この点につきましては、

7月14日、カワイ表参道「 パウゼ 」での

「 第 6 回平均律アナリーゼ講座第 1 巻 6番・ニ短調」で、

詳しく、お話いたします。

                  ( 沙羅:夏椿の花 と 蜜蜂 )
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