■第三回アナリーゼ講座ショパン・バラード1番を終えて■
08.9.21 中村洋子
★9月15日、カワイ表参道「コンサートサロン・パウゼ」で、
ショパン・バラード第一番のアナリーゼ講座を開催しました。
『ショパンに秘められた“古典性”』がテーマでした。
100人超の熱心な音楽愛好家の方々に、参加していただきました。
★講座でお話いたしました、幾つかの要点につきまして、
すこしづつ、ブログでもご紹介いたします。
①ショパンの古典性は、どこから来ているか。
②ショパンは、誰に影響を与えたか。
③名ピアニストによる、バラード1番の演奏比較。
④楽譜をどう選ぶ、なにを使うか、などです。
★今回は、「ショパンが影響を与えた作曲家」についてです。
ロマン主義以降の「バラード」という形式は、
ショパンが実質的に作り出したものといえます。
ガブリエル・フォーレは、自分でも「バラード」を作曲しています。
フォーレの弟子ラヴェルの、ピアノを熟知したピアノ曲は、
ショパンなしには、考えられません。
★ショパンの心酔者ドビュッシーは、ショパンの「前奏曲集」と
同じ「前奏曲集」を作曲し、名実共にショパンの後継者でした。
フランスのピアノ音楽に、ショパンが与えた影響は、
あまりに明白ですので、今回は、
ロシア音楽への影響について、少々述べます。
★チャイコスフキー(1840~93)は、
ショパン(1810年生、異説あり)の「次世代の作曲家」です。
1833年生まれのブラームス(1833~97)と、ほぼ同世代です。
(シューマンは1810年生まれで、ショパンと同年生まれ)
彼が生まれた年、ショパンは30歳の円熟期でした。
シューマン、ショパンという天才が開拓した新しい音楽を、
学び、豊かに深めていったのが、
チャイコスキー、ブラームスの世代です。
★5歳のときから、教養豊かなフランス人の女性家庭教師につき、
7歳で、彼女からピアノを学び始めたチャイコフスキーが、
ショパンを徹底的に学んでいたのは、間違いありません。
(余談になりますが、後年、チャイコフスキーの後援者となった
フォン・メック夫人が、まだ10代だったドビュッシーを、
家庭のピアニストとして雇い、その天分を、チャイコフスキーに
逐一報告していたのは、おもしろい逸話です。)
★彼の有名なピアノ曲集「四季」op.37b(1875~76)を見てみますと、
「十月・秋の歌」の12小節目は、ショパンのバラード1番・35小節の、
左手内声に現れる「ミ♭、レ、ド♯、ド・ナチュラル」に酷似します。
同様に、バラード1番・43小節目の左手内声の
「ソ、ファ♯、ミ♭、レ」は、四季・十月の32小節に、
やはり、極めて似ています。
そして、その「ファ♯、ミ♭」の増2度は、チャイコフスキーが
好んだ音程となり、最後の交響曲「悲愴」にも使われています。
チャイコフスキーらしい、哀切なオーケストラの響きは、まさに、
この音程の賜物といえます。
★ショパンの35小節の内声は、39小節の右手内声に縮小形として、
反復され、このような「拡大、縮小という手法」は、
バッハから、ショパンが学んだことです。
★36小節目は、5声と考えることができます。
ソプラノの「シ♭、ラ」と、右手の内声「レ、ファ、ミ♭」で、
まず、2声になります。
左手の四分音符の「ファ、ミ♭」、「ミ♭、レ」
(この音形は、右手内声の拡大形です)、
2分音符で充填される和声音、そして、バスの「ソ、ファ♯、」、
これで3声になります。
そして、右手と左手を合わせると5声になるのです。
★この部分は、バッハのフーガを弾く時と同じように、
複数の独立声部を、弾き分ける練習をしませんと、
ショパンが単なるムード音楽になってしまいます。
★「弟子から見たショパン」(そのピアノ教育法と演奏美学)
ジャン・ジャック・エーゲルリンゲル著=音楽の友社=によりますと、
ショパンはピアノの弟子に、「バッハを勉強しなさい、
ピアノ上達のためにはこれが、一番の方法です」と、
平均律クラヴィーア曲集を、いつも薦めていました。
フランツ・リストは1852年、ショパンについて、
「J.S.バッハの熱狂的な弟子」と、評したそうです。
★また、ショパンが、マジョルカ島に持っていった唯一の楽譜が、
平均律クラヴィーア曲集でした。
レンツ(熱烈なファン)の「どうやって、演奏会の準備をするのですか」
という質問に、「2週間ほど、家に閉じこもってバッハを弾くのです。
それが私の準備です。
自分の曲は練習しないことにしているのです」と、答えています。
さらに、暗譜でバッハを見事に弾くショパンを見て、
感心した弟子のピアニスト・シュトライヒャーに対し、
「バッハの曲は、忘れようとしても忘れられないものなのです」と
ショパンは、答えています。
★今回は、「ショパンは、誰に影響を与えたか」でしたが、
やはり、根源のバッハのお話に戻ってしまいました。
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