2007/11/27(火)
★今月は、作曲に専念していましたので、ブログがお留守になってしまいました。
作曲が進みました日は、フラッと映画を見に行くことがあります。
イギリス映画「ヴィーナス」は、あのピーター・オトゥール(1932年生、75歳)が、
老いた「俳優」を主演しています。
★年老いることの残酷さと、そればかりではない生の輝きを描いた「ヴィーナス」は、
オトゥールが恋する、若いモデル志望の女性(ジョディ・ウィッテカー)を別にして、
すべて、イギリスの燻し銀の俳優による“交響曲”のような、贅沢な映画でした。
特に、オトゥールの別れた妻(ヴァネッサ・レッドグレーヴ、1937年生、70歳)は、
出番は少ないのですが、何日たっても、
彼女の姿が焼き付いて、脳裏から離れません。
見ている私たちが、気付かないだけであって、計算し尽くされた演技の上に、
計算だけでは出てこない即興の豊かな感情表現があったのでしょう。
★ピアフの一生を描いたフランス映画「エディット・ピアフ」は、
マリオン・コティヤールという新進女優(1975年生、32歳)が、
子供時代の役は別として、47歳で没したピアフを演じ切りました。
それ以外は、フランスの老練な、一癖、二癖もある役者が、脇を固めていました。
ピアフの祖母を演じた娼館の女主人(カトリーヌ・アレグレ、
1946年生、61歳、名女優シモーヌ・シニョレの娘)は、ものすごい存在感でした。
その娼館に引き取られた幼いピアフを、心からいとおしむ若い娼婦
(エマニュエル・セニエ、41歳、シャネルのCMにも出た元モデル、ポランスキー監督の妻)
10歳のピアフを、旅芸人として働かせようと、娼館から無理やり連れ出す父親
(ジャン=ポール・ルーヴ、40歳)
このように、重厚な俳優たちが惜しげもなく出演している映画は、私の心のご馳走です。
★音楽の演奏も、彼らのようにあるべきでしょう。
若さの華だけではなく、例えば、ピアニストであるならば、
計算し尽して、練習を重ね、曲の構造も知悉し、その上で、
コンサートの場で、一回性を発揮して欲しいものです。
★いま、「ラヴェル 生涯と作品」アービー・オレンシュタイン著を読んでいます。
以前、ご紹介しましたフランソワ・ルシュール著「伝記 クロード・ドビュッシー」
と比較してみますと、二人の個性の差が興味深いのですが、
音楽に対する真摯な姿勢は、実によく似ている、と感じました。
★おもしろいのは、自作品の演奏に対する二人の反応です。
私も、自分の作品の演奏について、
“こんなはずではない”と思うことが、ありますので、
共感したり、苦笑いしたりして読みました。
★「伝記」によりますと、ドビュッシーは、自分のチェロソナタを演奏した
リール音楽院教授・ルイ・ロゾールについて、
「彼のせいで、ソナタを書いたことを、一瞬後悔し、
自分の書法の確実さを疑いました。
・・・この異常な出来事は、私を徹底的に動揺させました。
その影響は甚大で、私は、自分の哀れな音楽が、
しばしば無理解に出会っても、もう驚きません」と、手紙をしたためているそうです。
★訳が直訳調で、一読しただけでは理解できない日本語ですが、
次のようなことを言っているのでしょう。
『自分の曲を弾いたリール音楽院教授のひどい演奏を聴いて、
“この曲を書かなければよかった”と、一瞬ではあるが後悔してしまった。
“自分のエクリチュール(作曲の様式、書式)が、間違っていたのではないか”、
とさえ、思ってしまった。
しかし、“演奏が悪すぎるのである”、
“これからは、動じないようにしよう”と、気を取り直した』
この教授は、チェロソナタに、イタリア喜劇の登場人物のイメージを重ね合わせ
「月と仲違いしたピエロ」という題を付けるのをためらわなかった、といいます。
★ちなみに、ドビュッシーの生前によく演奏された曲は、
「喜びの島」と「牧神の午後への前奏曲」でした。
ドビュッシーが、自分で気に入っていたと思われるピアノ曲の
「前奏曲集第1巻の“デルフォイの舞姫”」ではありません。
この曲は、日本のピアニストが大好きな「花火」とは、大変に異なります。
この点については、いずれ、お話いたします。
★一方、晩年のラベルは、自作品が満足できない演奏をされた時も、
『自分の音楽は、出版されている楽譜のなかにすべて書いてある』
『本当に分かる人は、楽譜を読んで分かってくれる』
という自信からか、どんな変なおかしな演奏に対しても、
いささかも動じることがなく、無表情を装ったそうです。
現在の私はドビュッシー派かもしれません。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
★今月は、作曲に専念していましたので、ブログがお留守になってしまいました。
作曲が進みました日は、フラッと映画を見に行くことがあります。
イギリス映画「ヴィーナス」は、あのピーター・オトゥール(1932年生、75歳)が、
老いた「俳優」を主演しています。
★年老いることの残酷さと、そればかりではない生の輝きを描いた「ヴィーナス」は、
オトゥールが恋する、若いモデル志望の女性(ジョディ・ウィッテカー)を別にして、
すべて、イギリスの燻し銀の俳優による“交響曲”のような、贅沢な映画でした。
特に、オトゥールの別れた妻(ヴァネッサ・レッドグレーヴ、1937年生、70歳)は、
出番は少ないのですが、何日たっても、
彼女の姿が焼き付いて、脳裏から離れません。
見ている私たちが、気付かないだけであって、計算し尽くされた演技の上に、
計算だけでは出てこない即興の豊かな感情表現があったのでしょう。
★ピアフの一生を描いたフランス映画「エディット・ピアフ」は、
マリオン・コティヤールという新進女優(1975年生、32歳)が、
子供時代の役は別として、47歳で没したピアフを演じ切りました。
それ以外は、フランスの老練な、一癖、二癖もある役者が、脇を固めていました。
ピアフの祖母を演じた娼館の女主人(カトリーヌ・アレグレ、
1946年生、61歳、名女優シモーヌ・シニョレの娘)は、ものすごい存在感でした。
その娼館に引き取られた幼いピアフを、心からいとおしむ若い娼婦
(エマニュエル・セニエ、41歳、シャネルのCMにも出た元モデル、ポランスキー監督の妻)
10歳のピアフを、旅芸人として働かせようと、娼館から無理やり連れ出す父親
(ジャン=ポール・ルーヴ、40歳)
このように、重厚な俳優たちが惜しげもなく出演している映画は、私の心のご馳走です。
★音楽の演奏も、彼らのようにあるべきでしょう。
若さの華だけではなく、例えば、ピアニストであるならば、
計算し尽して、練習を重ね、曲の構造も知悉し、その上で、
コンサートの場で、一回性を発揮して欲しいものです。
★いま、「ラヴェル 生涯と作品」アービー・オレンシュタイン著を読んでいます。
以前、ご紹介しましたフランソワ・ルシュール著「伝記 クロード・ドビュッシー」
と比較してみますと、二人の個性の差が興味深いのですが、
音楽に対する真摯な姿勢は、実によく似ている、と感じました。
★おもしろいのは、自作品の演奏に対する二人の反応です。
私も、自分の作品の演奏について、
“こんなはずではない”と思うことが、ありますので、
共感したり、苦笑いしたりして読みました。
★「伝記」によりますと、ドビュッシーは、自分のチェロソナタを演奏した
リール音楽院教授・ルイ・ロゾールについて、
「彼のせいで、ソナタを書いたことを、一瞬後悔し、
自分の書法の確実さを疑いました。
・・・この異常な出来事は、私を徹底的に動揺させました。
その影響は甚大で、私は、自分の哀れな音楽が、
しばしば無理解に出会っても、もう驚きません」と、手紙をしたためているそうです。
★訳が直訳調で、一読しただけでは理解できない日本語ですが、
次のようなことを言っているのでしょう。
『自分の曲を弾いたリール音楽院教授のひどい演奏を聴いて、
“この曲を書かなければよかった”と、一瞬ではあるが後悔してしまった。
“自分のエクリチュール(作曲の様式、書式)が、間違っていたのではないか”、
とさえ、思ってしまった。
しかし、“演奏が悪すぎるのである”、
“これからは、動じないようにしよう”と、気を取り直した』
この教授は、チェロソナタに、イタリア喜劇の登場人物のイメージを重ね合わせ
「月と仲違いしたピエロ」という題を付けるのをためらわなかった、といいます。
★ちなみに、ドビュッシーの生前によく演奏された曲は、
「喜びの島」と「牧神の午後への前奏曲」でした。
ドビュッシーが、自分で気に入っていたと思われるピアノ曲の
「前奏曲集第1巻の“デルフォイの舞姫”」ではありません。
この曲は、日本のピアニストが大好きな「花火」とは、大変に異なります。
この点については、いずれ、お話いたします。
★一方、晩年のラベルは、自作品が満足できない演奏をされた時も、
『自分の音楽は、出版されている楽譜のなかにすべて書いてある』
『本当に分かる人は、楽譜を読んで分かってくれる』
という自信からか、どんな変なおかしな演奏に対しても、
いささかも動じることがなく、無表情を装ったそうです。
現在の私はドビュッシー派かもしれません。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲