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■平均律第 1巻 1番のフーガの「ストレッタ」は、フーガの華です■
10.1. 25 中村洋子
★明日は、「平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 第 1曲」の、
アナリーゼ講座です。
講座を前に、日本で出版されている「平均律クラヴィーア曲集」の
解説書を、見ました。
★ある本で、前奏曲について、「意識的に強弱も何もつけず、
平に弾いているうち、なんとなく音楽本来のもっているエネルギーの
動きが、わいてくるわけです」。
「平におしまいまで弾いてきて、最後の 3小節のところ、これはこの曲の
しめくくりだけど、一種の即興的自由さで音楽が流れ出している。・・・
実にこれで音楽が生硬さから救われている」という評価でした。
★私は、この考え方には、昨日のブログでお書きしたとおり、反対です。
また、フーガについても、その本では「バッハみたいなフーガの大家でも、
48 もあるとどうしたって出来、不出来がありまして、
どうもこれは上出来の部類には入らない。
書き込むことに一生懸命になりすぎて、音楽の流れがあまり
スムーズでない。はじめて勉強する人が1番からやってよくない
といった理由は、フーガにあるわけですよ・・・」
という評価も、されていました。
★私は、1番のフーガは、前奏曲とともに、
バッハの 「最高傑作」 であると、思います。
★「平均律」と「インヴェンションとシンフォニア」が、
相前後して、完成された背景には、息子のフリーデマンや、
お弟子さんたちへの、≪作曲の教育としての曲≫という
目的も、見逃せません。
★「平均律」と「インヴェンションとシンフォニア」の
各 1番 ハ長調の「主題」は、以前お書きしましたように、
≪同じモティーフ≫によって、紡ぎだされています。
「インヴェンションの 2声」、「シンフォニアの 3声」、
「平均律 1番のフーガの 4声」というふうに、
フーガの作曲を、どのように構成していったらいいのか、
その手助けとして、類稀なる美しい例として、
バッハが、作曲したものです。
★上記の本では、「 1番のフーガ」について,
「はじまった間もなくストレッタになっちゃうから、
フーガの重要な魅力のひとつである提示部と推移部の
対照の面白さがないのです。対主題もないといってさしつかえない」
「フーガというよりは通模倣様式的な曲ですよ」とも、書いてあります。
★「ストレッタ」は通常、フーガの後半に配置されます。
主題が終わらないうちに、次の主題が「カノン」として、奏され、
緊密感をもたらす効果が、あります。
上記の本の先生がたは、 7小節目から堂々たる「ストレッタ」が、
始まるこの 1番フーガが、自分のもっているフーガ観に、
つまり、自分の「鋳型」に当てはまらないため、
「フーガ」とみることが、できないのでしょう。
★インヴェンション、シンフォニア、平均律の流れを見て、
この 3曲を、≪大きな一つの曲≫と、とらえた場合、
平均律は、後半部分に当たるわけですから、
フーガの華である「ストレッタ」の妙技が、
ここで、縦横に尽くされるのです。
★このことは、毎日、大バッハから学んでいた息子や、
お弟子さんにとって、自明のことだったでしょう。
その証拠に、ユーモアに満ちたバッハは、平均律のフーガの
「 21小節目の後半」で、アルトとテノールのパートに、
≪インヴェンション 1番の 3小節目前半≫を、
そのまま、組み込んでいます。
その時点で、バスは、ハ長調の属音である「ソ」の
保続音(オルゲルプンクト)を、始めます。
大変に、重要な部分です。
★息子やお弟子さんは、作曲されたばかりの
「 21小節目の後半」パートをみて、
「あっ、あのインヴェンションだ!」と、
さぞや、ニッコリしたことでしょう。
(サボテンの花)
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