![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/39/0d275698305b635f514daeeb5e4ef0c2.jpg)
■「平均律第1巻 2番ハ短調」に加えられた無理解な改竄と、誤解について■
10.2.14 中村洋子
★本日は、旧暦のお正月です。
中国では「春節」と呼ばれ、文字通り、きょうから 「 春 」 です。
軒下に吊るした蜜柑を食べに、メジロが時々、尋ねてきてくれます。
★2月 18日(木)の「第 2回平均律アナリーゼ講座」の準備で、
きょうは、「 第 1巻 2番ハ短調 」の「 前奏曲とフーガ 」を、
バッハの 「 自筆譜 」で、勉強いたしました。
★「 2番前奏曲」 は、「1巻 1番 ハ長調」 と、対を成す曲です。
1月 24日のブログ
≪平均律第 1巻 1番前奏曲で、反復」のもつ大きな意味≫を、
是非、もう一度、お読みください。
★日本の有名な、平均律の解説書を、きょう、何十年かぶりで、
本箱から探しだし、中を見ました。
この本では、「 2番の前奏曲」について、
「第一義的には、この曲は、両手のための規則正しい16分音符運動の
練習曲であるといえよう。」
「バッハが、息子の指の訓練のためにこれを書いたことは、明らかであろう」
と、書かれていました。
★私は、この解釈には、全く賛成できません。
バッハの息子たちの、当時の年齢と、
将来、彼らが一流の作曲家になった、
という事実を、考え合わせますと、
息子たちの指や両手は、既に十分に熟達し、正確に弾けていた、
と、考えられます。
★息子の教育用と考えるならば、この曲は、≪ 作曲の手引き ≫ と
見るのが、妥当でしょう。
上記の解説書の筆者には、“ 4分の 4拍子で、小節の前半 2拍を、
後半 2拍で、単に反復しているだけの、単調な曲である ”としか、
見えないのでしょう。
★バッハによる、この 2番の ≪ 自筆譜 ≫ を見ますと、
バッハが、息子や弟子たちが、その楽譜を一目見ただけで、直ぐに、
曲の大きな「まとまり」が、理解できるように、
工夫して書かれているのが、実によく分かります。
段落の分け方、符尾の書き方などで、それが、如実に現れています。
≪ 自筆譜 ≫を、見ずして、なにも語れないと、言えそうです。
★ ≪ 自筆譜 ≫ から、分かることは、
決して、この曲は、 1小節ごとにプツリプツリと、
区分けされているような、単純な曲では、ない、ということです。
第 1回講座でも、この点については、ご説明し、
それを理解することにより、ショパンやシューベルトが、
大変に弾きやすくなる、ということを、お話しました。
18日の第 2回講座では、この点を、さらに詳しく、
分かりやすく、ご説明いたします。
★大バッハが、この大きな平均律という素晴らしい曲集の巻頭、
1番、 2番の前奏曲に、単調な無味乾燥な曲を、当てる訳がないのです。
同様に、1番のフーガを、「 上出来の部類には入らない 」と、
記している本すら、ございますが、
このブログをお読みになる、音楽を愛し、
バッハを愛していらっしゃる皆さまは、くれぐれも、
盲信なさらないで、ください。
ご自身が自分で「美しい曲で、私は大好き!」と、感じられたその
感性を、信じてください。
★「 2番 ハ短調のフーガ 」につきましても、
原典版(Urtext)ですら、バッハの意図を、勝手に捻じ曲げ、
改竄した版が、多く、見受けられます。
★ ≪ 自筆譜 ≫ では、
29小節目の 3拍目、左手オクターブ「 ド‐ド 」の、
下の「ド」(下第2線)だけ、
30小節目1拍目で、同音の「ド」を、弾き直します。
そこでは、「タイ」が付けられてはいない、ということです。
★29小節目の3拍目、左手オクターブ「 ド‐ド 」の、
上の「ド」(第2間)は、
30小節目1拍目で、同音の「ド」と、「 タイ 」 で、結ばれています。
30小節目のオクターブ「 ド‐ド 」は、
31小節目のオクターブ「 ド‐ド 」に、
二音とも、タイで、結ばれています。
★上記と、同じ流れと見て、
29小節目の 3拍目、左手オクターブ 「 ド‐ド 」の、
下の「ド」(下第2線)から、30小節目 1拍目にかけて、
「タイ」が、付いてないのは、
“ おかしい 、バッハが書き忘れたのであろう” として、
勝手に 「 タイ 」 で、つないでしまっている版が、
数多く、見受けられます。
★しかし、バッハの「自筆譜」では、
ここに、「 タイ 」を付けては、いません。
「 前奏曲 1番ハ長調 」 34小節目 1拍目のバス 「 ド 」 と、
3拍目のバス 「 ド 」 も、いろいろな版では、改竄され、
「 タイ 」で、結ばれていますが、これも同様に、
決して、バッハが 「 タイ 」 を、付け忘れたのではありません。
タイを付けると、一見美しく、なめらかに聴こえますが、
そうしますと、バッハの作曲の意図から、
外れてしまうことに、なります。
★第 1回講座で、1番前奏曲については、 2つの理由から、
「 タイ 」が必要ないことを、実際の演奏に反映できるように、
詳しく、ご説明いたしました。
2番の、この部分での ≪ タイ ≫ も同様で、
バッハが、まさに、 ≪ タイをつけなかった ≫、
その理由を、探求し、理解することにより、
前奏曲が ≪ 単なる指の練習曲 ≫ ではない、ということも、
証明されるのです。
(フキノトウ)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
10.2.14 中村洋子
★本日は、旧暦のお正月です。
中国では「春節」と呼ばれ、文字通り、きょうから 「 春 」 です。
軒下に吊るした蜜柑を食べに、メジロが時々、尋ねてきてくれます。
★2月 18日(木)の「第 2回平均律アナリーゼ講座」の準備で、
きょうは、「 第 1巻 2番ハ短調 」の「 前奏曲とフーガ 」を、
バッハの 「 自筆譜 」で、勉強いたしました。
★「 2番前奏曲」 は、「1巻 1番 ハ長調」 と、対を成す曲です。
1月 24日のブログ
≪平均律第 1巻 1番前奏曲で、反復」のもつ大きな意味≫を、
是非、もう一度、お読みください。
★日本の有名な、平均律の解説書を、きょう、何十年かぶりで、
本箱から探しだし、中を見ました。
この本では、「 2番の前奏曲」について、
「第一義的には、この曲は、両手のための規則正しい16分音符運動の
練習曲であるといえよう。」
「バッハが、息子の指の訓練のためにこれを書いたことは、明らかであろう」
と、書かれていました。
★私は、この解釈には、全く賛成できません。
バッハの息子たちの、当時の年齢と、
将来、彼らが一流の作曲家になった、
という事実を、考え合わせますと、
息子たちの指や両手は、既に十分に熟達し、正確に弾けていた、
と、考えられます。
★息子の教育用と考えるならば、この曲は、≪ 作曲の手引き ≫ と
見るのが、妥当でしょう。
上記の解説書の筆者には、“ 4分の 4拍子で、小節の前半 2拍を、
後半 2拍で、単に反復しているだけの、単調な曲である ”としか、
見えないのでしょう。
★バッハによる、この 2番の ≪ 自筆譜 ≫ を見ますと、
バッハが、息子や弟子たちが、その楽譜を一目見ただけで、直ぐに、
曲の大きな「まとまり」が、理解できるように、
工夫して書かれているのが、実によく分かります。
段落の分け方、符尾の書き方などで、それが、如実に現れています。
≪ 自筆譜 ≫を、見ずして、なにも語れないと、言えそうです。
★ ≪ 自筆譜 ≫ から、分かることは、
決して、この曲は、 1小節ごとにプツリプツリと、
区分けされているような、単純な曲では、ない、ということです。
第 1回講座でも、この点については、ご説明し、
それを理解することにより、ショパンやシューベルトが、
大変に弾きやすくなる、ということを、お話しました。
18日の第 2回講座では、この点を、さらに詳しく、
分かりやすく、ご説明いたします。
★大バッハが、この大きな平均律という素晴らしい曲集の巻頭、
1番、 2番の前奏曲に、単調な無味乾燥な曲を、当てる訳がないのです。
同様に、1番のフーガを、「 上出来の部類には入らない 」と、
記している本すら、ございますが、
このブログをお読みになる、音楽を愛し、
バッハを愛していらっしゃる皆さまは、くれぐれも、
盲信なさらないで、ください。
ご自身が自分で「美しい曲で、私は大好き!」と、感じられたその
感性を、信じてください。
★「 2番 ハ短調のフーガ 」につきましても、
原典版(Urtext)ですら、バッハの意図を、勝手に捻じ曲げ、
改竄した版が、多く、見受けられます。
★ ≪ 自筆譜 ≫ では、
29小節目の 3拍目、左手オクターブ「 ド‐ド 」の、
下の「ド」(下第2線)だけ、
30小節目1拍目で、同音の「ド」を、弾き直します。
そこでは、「タイ」が付けられてはいない、ということです。
★29小節目の3拍目、左手オクターブ「 ド‐ド 」の、
上の「ド」(第2間)は、
30小節目1拍目で、同音の「ド」と、「 タイ 」 で、結ばれています。
30小節目のオクターブ「 ド‐ド 」は、
31小節目のオクターブ「 ド‐ド 」に、
二音とも、タイで、結ばれています。
★上記と、同じ流れと見て、
29小節目の 3拍目、左手オクターブ 「 ド‐ド 」の、
下の「ド」(下第2線)から、30小節目 1拍目にかけて、
「タイ」が、付いてないのは、
“ おかしい 、バッハが書き忘れたのであろう” として、
勝手に 「 タイ 」 で、つないでしまっている版が、
数多く、見受けられます。
★しかし、バッハの「自筆譜」では、
ここに、「 タイ 」を付けては、いません。
「 前奏曲 1番ハ長調 」 34小節目 1拍目のバス 「 ド 」 と、
3拍目のバス 「 ド 」 も、いろいろな版では、改竄され、
「 タイ 」で、結ばれていますが、これも同様に、
決して、バッハが 「 タイ 」 を、付け忘れたのではありません。
タイを付けると、一見美しく、なめらかに聴こえますが、
そうしますと、バッハの作曲の意図から、
外れてしまうことに、なります。
★第 1回講座で、1番前奏曲については、 2つの理由から、
「 タイ 」が必要ないことを、実際の演奏に反映できるように、
詳しく、ご説明いたしました。
2番の、この部分での ≪ タイ ≫ も同様で、
バッハが、まさに、 ≪ タイをつけなかった ≫、
その理由を、探求し、理解することにより、
前奏曲が ≪ 単なる指の練習曲 ≫ ではない、ということも、
証明されるのです。
(フキノトウ)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲