音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■映画『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』の作り方は、作曲と同じ■

2019-02-03 21:28:23 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■映画『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』の作り方は、作曲と同じ■
           2019.2.3   中村洋子

 

 


★≪節分やきのふの雨の水たまり≫ 久保田万太郎

今日は節分です。

私の子供時代、あちらこちらの家の二階から、可愛い子供の

“オニワーソト 鬼は外”が聞こえてきましたが、

最近はマンションも多く、街中で、懐かしい声は本当に

珍しくなりました。


★道路の舗装が進み、砂利道や水たまりを見かけることもありません。

「きのふの雨の水たまり」、冷たい春雨が、水たまりとなって、

残っています(暦の上では、春直前ですが)

雨傘を持って、小学校の帰り道、水たまりに映る空を眺めた

遠い記憶があります。


★≪年寒しうつる空よりうつす水≫ 万太郎

子供は、水に映る空を見ますが、齢を重ねますと、

大人は、空を映す水のほうを、じっと見つめてしまう。

うつる空とは、過去のさまざまな出来事、懐旧。

空模様は、刻々と変わりますが、それを映す水、

つまり自分は、変わらない。

変わらないと言っても、いつかその水も蒸発していくだろう。

万太郎還暦の句です。

 

 


★最近見ました映画『葡萄畑に帰ろう』(原題 The Chair)は、

2017年、ジョージア(グルジア)の映画。

その前に見た『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』

(原題 In Jackson Heights)は、2015年、米仏合作映画。


★『葡萄畑に帰ろう』は、ジョージアの「国内難民追い出し省」大臣が、

失脚し、母の待つ故郷の葡萄畑に家族と共に帰るというお話。


★ブラックユーモアを狙って、面白おかしく筋立てを作っていますが、

やや不発気味。

俳優も良く、映像も美しいのに残念でした。

脚本が練り込み不足で、監督は「エルダル・シェンゲラヤ

(Eldar Shengelaia1933-)で、撮影当時は84歳です。


★12月1日に、当ブログでご紹介しましたインド映画「ガンジスに還る」、

撮影当時24歳の監督、脚本とは60歳もの年齢差があり、ほんの一瞬、

これは監督が「老年ゆえの散漫」か、とも訝ったのですが、

そうではありませんでした。


★『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』の

フレデリック・ワイズマンFrederick Wiseman(Director, Sound,

Editor, Producer)監督は、1930年生まれ、撮影当時85歳。

189分(3時間)のドキュメンタリー映画でしたが、一瞬も飽きさせず、

“アメリカとはどんな国か”を、しなやかに切り取っています

ニューヨークのジャクソンハイツに“生息”する、

さまざまな階層の人々、特に移民の人々の日常と抱える問題を、

そのままの姿、演技無しで撮っています。

 

  

 


★このジャクソンハイツでは、なんと167か国語が喋られています。

・難民を支援する会の会合:メキシコから砂漠を渡って“不法入国”
 
してきた女性が経験を語る、彼女の娘は途中で離ればなれになり、
 砂漠をさまよい死の恐怖を体験した。

・英語がほとんどできない人を「タクシー運転手」にするための
 英語教育の
クラス風景: 
 
東西南北のNは鼻のnose、Sは下を向いて靴のshoes、
 Eは食べる(eat)時の右手,、Wはお尻を拭く(poo poo wash)
 
ときの左手・・・と、一回で覚えてしまう見事な譬え。

・コーランを唱えながら、黙々と鳥の頸をナイフで切る肉屋さん。

・大資本によって商店の立ち退きを迫られている弱小経営者と、
 それを支援する
NGOの若者たち、言葉はスペイン語

・トランスジェンダーの人たちが集まるバー、その前に毎晩パトカー
 を停めて
嫌がらせをする警察とそれへの抗議。

・おどろおどろしい極彩色で飾られた仏像が座っている寺院風景、
 ラマ教なのでしょうか?

・イスラム教徒の男女別に分けた小学生の教室:
 「人間は罪深い、人間は罪深い」など
コーランの一節を
 何度も何度も復唱したり、アラビア語文字での活用形を暗記する

 ブルカを纏った子供たち。(戦前の日本での教育勅語の暗誦は
 こうだったのかと
類推させられました)。

・オートクチュールを纏ったお金持ちの98歳になる老女への
 インタビュー:

 老女の身内は全部亡くなっています。「あなたはお金があるの
 だから、話し相手になってくれる人に来てもらったらどうか

 という提案を頑として拒否する、「
電話を時々してもらうだけ
 
で結構」、「もう歩くことができなくなった、頭はまだ大丈夫、
 
頭と交換してもいいが歩きたい」(インタビューアーは、
 
かなり高齢の女性ですが、 どういう関係かは映画では不明)。

・ゲイの人たちの晴れやかなパレード。

・ベリーダンス教室の練習、なかなかに官能的。

・ジャクソンハイツを地盤とする白人の民主党市会議員の誕生パーティ、
 裕福な白人層も一緒に居住している。

・歩道を清掃活動中のボランティア女性たちに、通りがかりの女性が
 「私の父はあと数日の命、一緒にお祈りをして」と頼む。快く応じ
 輪になって一緒にお祈りを捧げるボランティア女性たち。
 
★ジャクソンハイツは、クイーンズ区北西にあり、2015年当時、
 
人口約13.2万人、ヒスパニック系57%、アジア系20%、
 白人14%、黒人3.5%と、ヒスパニック系が
突出し、黒人は少ない。
 住民の約半数が海外で生まれた移民。
167か国語が聞かれるという。
 最近、NYの中心マンハッタンへ地下鉄で30分の
距離にあることから、
 人気が高まり中産階級から上位中産階級向けの
コンドミニアム建設や、
 経済発展特区づくりの再開発が進み、小さな商店などが並ぶ昔の
 街並みが消えつつある。

 

 


★ワイズマン監督は、マイノリティのさまざまな苦しみに

暖かい眼差しを向け、『ガンジスに還る』と同様、

最後は人間賛歌となります。


★監督「9週間の撮影と、10ヵ月の編集からこの映画が出来た」。

撮影の1、2日前に現場に行き、予備的な聞き込みをするだけ、

取材は、ワイズマンとカメラマン、助手の3人だけ、

目標は「面白いシークエンスsequence)を集めるだけ」。


編集は、まずシークエンスの価値づけをミシュラン方式で
 
星一つ、二つ、三つに分けます。

これで、撮影したものの約半分が取り除かれます。

さらに半年から8か月ほどの時間をかけ、残った価値のある

シークエンスをどう組み合わせて構成するか考える。


★その構成作業について、ワイズマンは

「小説を書くこととどこか共通する作業で、

リアリティ・フィクション」と呼ぶ。

 

★映画に、「音楽」は全く加えない。

あるのは、街の音楽家などを撮影した際に、彼らが演奏している

音楽のみ。


ナレーションや、監督による登場人物へのインタビューもなし、

「必要な情報は、映画の中に盛り込まれている」。


ワイズマンの「小説を書くこととどこか共通する作業」は、

実は、この「compose 構成すること」こそ、

「作曲する compose」と、同じ作業です。

小説だけではないのです。

芸術の、根本原理ともいえます。

 

 


★ジョージアの映画「葡萄畑に帰ろう」に、戻しますと、

脚本は、エルダル・シェンゲラヤ監督の口述したものを、

作家のギオルギ・ツフヴェディアニ Giorgi Tskhvediani が、

シナリオ化したものだそうです。

口述をシナリオに起こす過程は、ワイズマン監督の徹底した

「compose」と、少し異なるかもしれません。


★この二人の80代半ばの監督を比較しますと、

芸術は年齢(老齢)には関係ないと、言えましょう。

どれだけ練りに練って「compose」するか、それは作曲のみならず、

演奏にも言えることです。

私たちにそれを当てはめると、どれだけ勉強するかどうかでしょう。

 

 


★最近は、曲を知るためにパソコンにアップされている、

いい加減な演奏をさっと聴き、それで良しとする風潮が

あるとも聞きます。

私は、原則としてパソコンで音楽は聴きません。


Bachの勉強をしていて、この曲はどんな曲であろう、と思うとき、

調べる時に役立つCDは、≪Bach  The Complete Bach

Edition (TELDEC 153CD)≫です。

153枚のCDで、Bachの全作品をほとんど網羅しています。

珍しい作品や、絶版のCD録音もあり、重宝しています。


★例えば、153枚のうちの127枚目のTrack22-25には、

「Preludes, BWV 846a, 847a, 851a&855a」 の四曲の

Preludeが、収録されています。

これだけで、ピンとくる方は少ないかもしれませんが、

種明かしをしますと、この4曲は、

Clavier-Büchlein von W.F.Bach と、括弧書きがあります。

「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの為のクラヴィーア

小曲集より」という意味です。

さあ、この4曲は何の曲でしょう?


月刊誌「ショパン」2月号48~51ページに、

「大作曲家の自筆譜から見えるもの」を、寄稿しました。

その中で、「Inventio 1」インヴェンション1番の

「BWV772」と「BWV772a」の二つの稿について、論じています。

「BWV772」は、初期稿 Earlier version、

「BWV772a」は、後の稿Later versionです。

「どちらの稿で弾くべきか」、あるいは、

「どちらを弾いても構わないのか」について、書きました。


★「Preludes, BWV 846a, 847a, 851a&855a」の種明かしは、

次回ブログにしたいと、思います。 


★https://youtu.be/OnOuhoKvNR0

 

 ★https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture

 

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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