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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

24時間テレビの愚

2009年09月05日 | ニュース・時事

先日のある新聞のコラムに「のりピー裁くメディアに辟易」という一文があった。この数週間、ワイドショーのトップはほとんどのりピー一色で、人が死んでいるのに押尾が前に来ることはない…という話から始まるのだが、「まるで大岡越前になったかのように」のりピーを裁きにかかるメディアには辟易する…という筆者の感想に、大いに共感した。

確かにのりピーの犯した罪は大きいが、あの、愚にもつかないワイドショーだかバラエティだか知らないけど、なんでテレビには、あれだけの大勢の芸人やコメンテーターがひな壇に並んで、ロクでもないおしゃべりを垂れ流しながら、のりピーを裁きまくるのであろうか。複雑な生い立ちや私生活まで裁いている。それは、逸脱というものである。

「いやぁ、ここまで来たら、ぜひ本当のことを話してほしいですね」
「なんといっても、子どもさんが一番かわいそうですよね」
そんなこと、誰でもわかってるがな。

したり顔をして話すタレントたちを見ていると、胸が悪くなる。
おまえら、いつから評論家になったんじゃ。
そんなヒマあったら、もっと自分を磨け!

他人の不幸はわが身の幸せ…なのか。
のりピーを語る芸能人たちは、彼女のような人気者が裁かれるのがうれしくて仕方ないようである。この話になると、がぜん、みんな身を乗り出して何かひとこと言うのであるが、実につまらない感想に終始する。もっとも、テレビを見ているほうも身を乗り出すのだから、五十歩百歩かもしれないが…。


それと、テレビのバラエティといえば、相も変わらずなのが「24時間テレビ・愛は地球を…」という番組である。昔は一生懸命見ていたものだが、あまりの企画のあざとさに、最近は敬遠気味である。特に、あの目玉と言われれる長距離マラソン。タレントにあんなことをさせて、舞台の上から「ガンバレ~」と涙ながらに応援し、最後はお決まりの感動ゴール…ってなぁ、日本には、他に感動することがないのか…? 商業主義、視聴率主義の象徴のようなシーンである。今年はゴール時が衆院選の生中継とダブってしまったようだが、それにしても、あのイモトという女は何者なのだ…? まるでゲテモノではないか。ああでもしなければ、世間から喝采を受けることがないのか。世も末じゃわい…。

今回も、たまたま午後にチャンネルを合わせたときは、誰かと誰かが卓球をしていた。24時間の番組中ずっとラリーを続けている、というのだろうか…? だらだらと、ピンポン玉を互いに打ち返しているだけなのだが、こんなことをしていて、いったい何の意味があるのだろうかと…ため息が出る。その日は天下分け目の選挙の日。日本の行方が変わろうとする時、何をだらだらとピンポンしとんね…と思いながらテレビを消した。ほんま、日本は平和な国…を通り越して、能天気な国や。

新聞のテレビ欄を読むと、今年も「盲目少女&金メダリスト」とか、声を失った少女に奇跡」とか「闘病6歳に黒木瞳」とか「難病少年と上原投手」などなど、障害者や難病患者のドキュメンタリーを随所に入れていた。それ自体を悪いとは言わない。しかし…

番組に一貫して漂うハイテンションの中で、「慈善」という「善良な行為」に酔ったタレントたちが、おおげさに涙ぐんだり、口を一文字に結んだり、声を詰まらせたりしている姿を見ていると、テレビの前では逆にシラけてしまうのである。こいつら、番組では優等生的感動を見せているが、ウチへ帰ったらパンツ1枚でシャブ打っとんのんちがうやろな、と突っ込みのひとつも入れたくなるほどだ。

障害や難病と戦っている人よりも、それを励ましたり応援したりするタレントたちの「感動ぶり」がうるさいほど表に出すぎているのが、この番組のイヤなところなのだ。焼酎のCMにもあるだろう。脇役が主役より目立ったらだめなのだ。みんな、このCMを見習えっちゅうねん。


昨日、NHKニュースの中で、生まれつき「骨形成不全症」という、2万人に一人の難病を背負って生きている20代の女性の生活が紹介されていた。骨を作るための機能に異常があり、骨折しやすく、成長障害がある。中学時代には、いじめにも遭う。その女性、鈴木千絵さんは、やがて折り紙と出会い、それに打ち込む。そして今は折り紙講師として公民館教室で教えたり、学校で折り紙講習をしたりしている。あらゆるハンディを乗り越えてひたむきに生きるその姿勢に、僕はニュースを見ながら涙をぽろぽろとこぼした。

NHKでは、アナウンサーが視聴者に感動を押しつけないのがいい。

静かに鈴木千絵さんの日常をカメラで追い、ナレーションは淡々とした口調で流れる。見るものは、鈴木さんの生き方を知り、さまざまなことに思いを巡らせる。そして、そこから教えられるものは計り知れない。

視聴者の本当の涙は、視聴率戦略で作り上げられたドラマからでなく、こうして普通に報じられた事実を見たときに思わず流れるものだろう。

障害・難病に関しては、こういう報道でいいのではないか。

障害や難病の人たちの夢を、著名な女優やスポーツ選手との交流で夢をかなえて上げるのもいいだろう。しかし、それならそれで、なぜもう少し地味な形でかなえて上げられないのか…。それを、露骨な商業主義で運営し、キャスターやタレントがここぞとばかりワイワイ泣いたり騒いだりして追い風を作り、感動の押し売りをする…その構図が、たまらなく嫌いだ。

テレビの中の当事者たちが大はしゃぎすればするほど、
テレビを見ている側はシラけるものなのである。

 

 

 

 


コメント (6)
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